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東京地方裁判所 昭和40年(むのイ)709号 決定 1965年11月24日

被請求人 藤井節三

決  定 <被請求人氏名略>

右の者に対し、東京地方検察庁検察官から適法な刑の執行猶予の言渡取消請求があつたので、当裁判所は、口頭弁論を経たうえ、次のとおり決定する。

主文

東京地方裁判所八王子支部が昭和三十五年十二月六日被請求人に対し詐欺被告事件についてなした刑の執行猶予の言渡はこれを取り消す。

理由

一  本件請求の要旨は、

被請求人は、昭和三十五年十二月六日東京地方裁判所八王子支部において詐欺罪により懲役一年、五年間刑の執行猶予及び保護観察の言渡を受け、この判決は同年同月二十一日確定したが、帰住先岡山市管轄の岡山保護観察所から法定遵守事項のほか健康の回復に努めるよう指示され、なお兄秀一との融和の調整、更生保護会古松園への収容委託、就職斡旋、生活保護及び医療扶助等の補導援助の措置を受けながら

(一)  昭和三十六年一月下旬以降職場を転々し、市内遊技場に出入りしてパチンコに耽る等遊惰放縦な生活を続け、

(二)  同年八月十日頃、岡山市中央病院に入院した後、担当保護司にも無断で、あるいは療養の都合と弁明して右病院ほか四ケ所の医療施設を転々して療養に専念せず恣意的な生活をし、

(三)  この間、生活費並びに医療費に困窮していると称し、直接又は担当保護司を介して二十数回にわたり近親者に経済的援助を強要して相当額の金員の交付を受け、

(四)昭和三十九年六月中旬頃から担当保護司にも無断で森藤医院を退院して岡山市を立ち去り、旅行先からと称して両三度通信した後同年八月中旬以降全く所在不明となり、

(五)  その後は昭和四十年六月十五日頃函館市で逮捕されるまでの間東京都内、福岡市等において刀剣、現金等を詐取する等の非行をなしていた、

もので、右は、転居及び長期の旅行についてあらかじめ保護観察所長に届け出ること、善行を保持することの遵守事項に違反しその情重きときに該当するから、前記執行猶予の言渡の取消を求める。

というのである。

二  よつて、まず被請求人に対する昭和三十九年六月中旬頃までの保護観察の経過について検討すると、検察官提出の被請求人に関する保観観察記録、前科調書、被請求人に対する保護観察官の質問調書、口頭弁論における被請求人の供述を綜合すれば、被請求人は

(一)  昭和三十五年十二月六日東京地方裁判所八王子支部において、詐欺罪により、懲役一年、五年間刑の執行猶予及び保護観察の言渡を受け、この判決は同年同月二十一日確定したこと、

(二)  同年同月七日岡山保護観察所に出頭して、保護観察についての説示を受け、帰住予定先である岡山市内の兄秀一方を訪れたが、受入を拒否されたゝめ、保護観察所の措置により同市内更生保護会古松園に収容委託されたこと、

(三)  昭和三十六年一月六日右保護観察所において法定遵守事項を誓約し肺結核の既応症に関連して健康の回復に努めるよう指示され、引き続き古松園に居住して生活扶助及び医療扶助を受けながら適当な職を捜すことゝなつたこと、

(四)  その後、電気機具製作所、空瓶会社、鉄工所等で雑役夫として働き就職を理由に生活扶助、医療扶助を打ち切られたが、結局それらの職に永続きせず同年三月末担当保護司に無断で古松園から同市内の簡易宿泊所同胞園に移り、コンニヤク店、食品店、豆腐製造所の雑役夫の職を転々したこと、

(五)  同年八月十日、十二指腸潰瘍兼肝臓肥大症により岡山市中央病院に入院治療を受けていたが、昭和三十七年四月上旬担当保護司に無断で退院して岡山大学附属病院小坂内科に移り、その後はいずれも担当保護司に事後連絡する方法で昭和三十八年二月二十三日久本内科医院に、同年十二月二十五日氏平医院に、昭和三十九年六月上旬森藤医院に順次転院したこと、

(六)  その間兄秀一に対し金銭の無心をし、担当保護司を介し三千円、直接に一万三千円合計一万六千円の援助を得て右病院の入院費に当てたこと、

を認めることができる。検察官は右(四)、(五)、(六)の事実に関し、それが被請求人において職業に不真面目で、療養に専念せずパチンコ店等遊技場に出入りする等遊惰放縦な生活を続けた結果によるもので住居の届出義務に違反しその情重きときに当るものと主張するが、前掲各資料によると、被請求人は前示のように肺結核の既応症を有し過激な肉体労働には適しない健康状態にあつたが、古松園において担当保護司から斡旋を受けた職はいずれも相当な重労働であつたため、知り合いの他の保護司に相談してその尽力により同胞園に移り、かつその紹介で食品店等の軽作業所を捜し、結局将来事務の仕事をする約束で豆腐製造所の雑役夫に落付いたこと、医療施設を変更したことについては肺結核が再発し手術をすゝめられたが医療費の負担に自信がなく手術等を必要としない治療を求める等療養の都合によるものであつたこと、兄秀一に対する金円の要請は健康保険のみによる医療費では不足し保護司のすすめもあつたためであつて被請求人が兄秀一から得た金円はすべて入院費等に充当したこと、昭和三十六年四月末頃就職の紹介を依頼するについて知人に会うためパチンコ店に入つたほか遊技場に出入りしたことはないこと、古松園から同胞園に移るについて古松園管理人である担当保護司に事前に連絡しなかつた理由は前示のように適職ではなかつたが種々就職の斡旋を受けていた関係で転職を言い出し難く、移転後連絡諒解を求めたものであること、また中央病院から岡山大学附属病院に転院するについては、かねて担当保護司に転院の予定を話していたので特段の届出連絡をしなかつたこと等の事実を認めることができ右の認定を覆えすに足る資料はない。ところで刑法第二十六条の二第二号により、刑の執行を猶予され保護観察に付せられた者(以下対象者と略称する)について遵守事項に違反したことを理由に刑の執行猶予を取消すことができるのは右の違反につき「其情状重キトキ」に限られるから、執行猶予者保護観察法第五条第二号所定の「住居を移転し、又は一箇月以上の旅行をするときは、あらかじめ、保護観察所の長に届け出ること」とする遵守事項に違反し、その情状が重い場合の意義について考えると執行猶予者保護観察制度が本来対象の自助の責任、自立更生の意欲を前提として一般通常の社会人として生活しうるよう補導援護、指導監督しようとするものであることに照すと、右遵守事項については、その違反が、対象者において保護観察による指導監督等の制約を嫌い、保護観察からの離脱を図つて故意に届出を怠つたものであり、しかもそれが対象者の非行に陥るおそれのある不安定不健全な生活態度から招来されている場合を意味するものと解せられるところ、本件にあつては前示のように形式的に住居移転等の届出違反はあるが、それらはいずれも事後的には担当保護司に連絡届出がなされており、被請求人において保護観察からの離脱を図つたものとは認められず、この間の被請求人の行動は肺結核の既応症を有しながら生活扶助、医療扶助を打ち切られ、その後十二指腸潰瘍肝臓肥大症等の疾病にかかつた被請求人が自ら適職を求め、適当な療養先を捜し、また実兄に援助を依頼したことが主たる動機であり、それに関し多分に被請求人の自己中心的、恣意的な言動があつて保護観察実施上の困難のあつたことは認めうるとしても、被請求人に不安定不健全な生活が続いたとは認められないから、前示期間中の遵守事項違反をもつて刑の執行猶予の言渡を取消す程度にその情状が重いとはなし難い。

三  よつて、昭和三十九年六月中旬以降の被請求人の行動について検討すると、前示各資料のほか被請求人に対する昭和四十年六月二十六日付、九月十一日付、同月二十八日付各起訴状、検察事務官作成の同年十一月二十二日付電話聴取書によれば、被請求人は

(一)  昭和三十九年六月八日頃前示森藤内科医院を担当保護司に無断で退院した後、岡山市を去り、同年八月十三日頃までの間三回にわたり真実は岡山市に帰住する意思がないのに、旅行中で近く帰岡する旨の虚偽の書信を担当保護司に送つたほか保護観察所に対する所在の連絡を絶つたこと、

(二)  同年七月上旬以降昭和四十年六月十四日函館市において逮捕されるまでの間 福岡市、東京都、玉野市、萩市、大阪市、京都市等を転々し、十数回にわたり、知人等から刀剣、現金、小切手等を詐欺する等の非行を繰返し、これら事実に関し、昭和四十年十一月二十二日東京地方裁判所において詐欺罪により懲役一年八月に処する旨の判決を受けたこと、

を認めることができる。

被請求人の右の行状を前記二(一)、(二)、(三)の事実と併せ考えると、右三(一)の行状は対象者の遵守事項に関し前示したところに照し執行猶予者保護観察法第五条第二号所定の住居変更、一箇月以上の旅行をする場合の届出に関する対象者の遵守すべき事項に違反し、その情状重きときに該当し、右三(二)の行状は同法第五条第一号所定の、対象者において善行を保持すべき遵守事項に違反しその情状重きときに該当することは明らかであるから、刑法第二十六条の二第二号に従い、この際は前記二(一)掲記の刑の執行猶予の言渡を取消し、強く被請求人の反省を促しもつて自助の責任を涵養して将来の更生を図らせるのを相当と認め主文のとおり決定する。

(裁判官 千葉和郎)

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