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東京地方裁判所 昭和40年(ヨ)10274号 判決 1966年6月17日

債権者 佐渡谷里子

右訴訟代理人弁護士 田島亮治

同 田島弘

債務者 滝田イネ

右訴訟代理人弁護士 柏崎正一

同 野村宏治

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、債権者が、昭和四〇年五月二四日債務者と締結した契約に基づいて、債務者に一ヶ月金一五万円を毎月末日限り支払うほか金五〇万円を預けるという約定のもとに、債務者の所有にかかる本件建物の引渡を受け、爾来本件建物において旅館業を経営していたこと、同年六月二一日、債権者と債務者との間に債権者の主張するような要旨の条項よりなる本件即決和解が成立したこと(前記昭和四〇年五月二四日付契約および本件即決和解が本件建物を目的とする賃貸借契約であり、前記金一五万円および金五〇万円の金員がその賃料および敷金たる性質をもつものであるかどうかの点はしばらく措く。)は当事者間に争いがない。

二、ところで、≪証拠省略≫によると、上述のとおり債権者と債務者との間で昭和四〇年五月二四日締結されたものであることについて争いのない契約の内容の要点は、(一)債権者は、債務者がその所有に属する本件建物を他に売却するまでの間、本件建物において旅館業を営むものとし、債務者においてこれを諒承することとするが、債権者の本件建物に対する占有は、賃貸借契約または使用貸借契約による権原その他何らの権原に基づくものではなく、債務者において本件建物を売却するまでの期間中その明渡を猶予していることによるものであること、(二)右明渡の猶予期間は昭和四〇年八月三一日までとするが、その満了後においては、債務者から本件建物の売買契約の成立した旨を書面により債権者に通知した日より四五日を経過するまでの間とすること、(三)債権者は、本件建物の明渡ずみにいたるまでの間、本件建物およびこれに備え付けられた什器備品の使用に基づく損害金として、一ヶ月金一五万円を毎月末日限り債務者に支払うこと、(四)債権者は、本件建物の明渡ずみにいたるまでの間、左の事項を遵守すること、(イ)本件建物を旅館業以外の営業に使用しないこと、(ロ)本件建物の全部または一部を第三者(但し、女中を除く。)に占有使用させまたはその占有名義を変更しないこと、(ハ)あらかじめ債務者の承諾を得ないで、本件建物につき模様替、造作の付加その他現状を変更する一切の行為をしないこと、(五)債権者は、前記損害金の支払を担保するため、昭和四〇年五月二六日限り金五〇万円を債務者に預けることとし、この保証金は、債務者が債権者より本件建物の明渡を受けた際に、未払損害金があればこれを控除したうえ、債権者に返還すること、(六)債権者および債務者は、この契約に関しただちに即決和解をすることというにあったことが認められる。

右認定にかかる契約の内容と前記のとおり当事者間に争いのない本件即決和解の条項とを対比すると、両者はその骨子において大差のないものであることが明らかである。

そして≪証拠省略≫によれば、債権者は、債務者に対し、昭和四〇年五月二六日前記保証金名義の金五〇万円を差入れ、前記損害金名義による支払も続けていたことが認められる。

三、そこで債権者と債務者との間において上述にかかる昭和四〇年五月二四日付の契約が締結され、ついで同年六月二一日に本件即決和解がなされるにいたったいきさつおよび右契約ないしは本件即決和解の趣旨について調べてみるに、≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実が認められる。

債務者はかねて本件建物において旅館業を営んでいたが、成長した子供がその営業を好まなかったところから、本件建物を売却して廃業し、肩書地に住宅を新築してこれに移転しようと考え、本件建物の買手を探していたけれども、買手のみつからぬうちに住宅の建築が完成したため、宅地建物取引業を営む申請外永井清延に対し本件建物が処分できるまでの間、本件建物において旅館業を営むことを望む者があれば紹介してもらいたいと依頼した。昭和四〇年五月中頃同人の紹介にかかる債権者が本件建物において旅館業を経営しようということになったので、債務者は、これに関する契約の締結について、債務者を代理して債権者と折衝することを申請外弁護士柏崎正一に委任した。かくして申請外柏崎正一と債権者との間で交渉を遂げた結果、昭和四〇年五月二四日上述のような内容の契約が債権者と債務者との間で、申請外柏崎正一および同永井清延を立会人として締結され、その契約書(前掲甲第一六号証および乙第二号証)が作成されて取交わされ、ついで先に当事者間に争いないところとして記載したとおりの本件即決和解が中野簡易裁判所において債権者と債務者との間に成立せしめられるにいたった。ところで前記昭和四〇年五月二四日付の契約および本件即決和解の条項は、いずれも申請外柏崎正一の考案にかかるものであるが、同人において、債権者が本件建物を旅館業経営のために使用することに関する債務者との法律関係を右のような条項によって律しようとしたのは債務者がなるべく早く本件建物を売却する必要に迫られ、従って本件建物における債権者の旅館業の経営もその処分ができるまでの間における一時的、暫定的のものとすべきであったところから、債権者の本件建物に対する占有は債務者に対抗し得る権原に基づくものでなく、ただ債務者において債権者のためその明渡を所定の期間中猶予しているに過ぎないものとし、債権者が本件建物を旅館業を営むため使用することについて債務者に毎月末日限り支払うべき金員に関しても損害金という表現を用いるほか、債権者から債務者に預ける約定の金員にも損害金の支払を担保するための保証金なる名目を付けたのである。そして前記のように昭和四〇年五月二四日に本件建物の使用に関する債権者および債務者間の契約が締結されたのに続いて、同年六月二一日に重ねて右契約の内容とほぼその骨子を同じくする本件即決和解を成立させたのも、前掲甲第一号証および乙第二号証のような私製証書だけでは、債権者が債務者の請求によって本件建物を任意に明渡すことを拒絶する場合のあるべきことに備えるためであった。≪証拠省略≫中右認定に反する部分は採用できない。

叙上認定にかかる事実から判断するに、債権者は、旅館業経営のためにする本件建物の使用を、昭和四〇年五月二四日債務者との間に締結した契約に基づいて開始したのであり、これに関する両者間の法律関係はこの時に始めて成立するにいたったものであって、本件即決和解の条項も右契約の内容と趣旨を異にするものではなく、ただ単に将来本件建物の明渡期限が到来したときに、債権者と債務者との間に紛争の生ずることがあるべき場合に備えようとする申請外柏崎正一の配慮に基づいてそのような即決和解をしたものであることが明らかであるから、本件建物の使用に関する債権者と債務者との間の法律関係は、債務者、とくにその代理人として債権者との交渉にあたった申請外弁護士柏崎正一の主観的意図はともあれ、前記昭和四〇年五月二四日付契約および本件即決和解の趣旨を、各条項に即して取引の通念に照らし信義誠実の原則に従って客観的に解釈する限り、本件建物についての一時使用のための賃貸借契約に基づくものと認めるのが相当であり、前記昭和四〇年五月二四日付契約はもとより本件即決和解に対しては、このような趣旨内容のものとしてその効力を肯定すべきである。

債権者は、本件即決和解が無効であると主張するけれども、その原因として挙げる理由については、これを認めるに足りる疎明がないかまたはその前提を欠くものといわざるを得ないので、右主張は採りがたい。

四、債務者が本件即決和解の調書を債務名義として、昭和四〇年一一月二九日債権者に対する本件建物明渡の強制執行を完了したことは、当事者間に争いがない。

ところで、その日時のことは別として、債権者による本件建物明渡の猶予期間を昭和四一年五月二三日まで延長すると共に、右期間中に債権者より債務者に支払うべき一ヶ月金一五万円の損害金名義の金員を、昭和四〇年七月分より同年一〇月分までのものに限り一ヶ月金一三万円に減額する旨の合意が債権者と債務者との間に成立したことについても、当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫を総合すると、右合意は、債権者において債務者に損害金名義で支払うべき一ヶ月金一五万円の金額が、本件建物における旅館業による収益の予想外に少ないところから、これを一ヶ月金一三万円に減額することになったについて本件即決和解の成立(昭和四一年六月二一日)以後になされたものであることが認められ、この認定に牴触する≪証拠省略≫は採用しない。してみると、本件建物の一時使用に関する債権者と債務者との間の賃貸借契約の存続期間は、右合意によって昭和四一年五月二三日までとすることに改訂されたものと認めるべきである。

しかしながら債権者が本件建物を使用するについて債務者に毎月末日限り支払うべき約定の金員のうち、昭和四〇年一〇月分の金一三万円(前記合意により減額された金額にかかるもの)をその期日に支払ったことについては、債権者より何らの主張も立証もなされるところがない。本件即決和解の条項によると、債権者が右金員の支払を怠ったときには、債権者は本件建物の明渡に関する猶予期限の利益を失い、即時本件建物を債務者に明渡すべきものと定められていることについては、当事者間に争いがないのであるが、右条項にいわゆる本件建物の明渡猶予期間なるものは、本件即決和解に基づく債権者の本件建物についての使用に関する契約が前記判示のとおり賃貸借契約にあたるものであることにかんがみ、上述のごとくその存続期間を定めたものと解すべきであるにしても、債権者が昭和四〇年一〇月末日限り債務者に支払うべき金一三万円の支払をその期日にしたことの認められない以上、債権者は、右債務の不履行により昭和四〇年一〇月末日の経過と共に本件建物を債務者に明渡すべき義務を、当事者間に争いのない本件即決和解の条項(五)の定めるところに従って負うにいたったものと解すべきである。

さすれば債務者が債権者に対してした前記強制執行は、他の争点に対する判断を待つまでもなく適法であるといわなければならない。

五、してみると、本件仮処分申請については、被保全権利に関する疎明がないことに帰し、保証を立てさせることによってその疎明にかえさせることも適当でないから、本件仮処分申請を却下すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原正憲 裁判官 岡成人 守屋克彦)

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