東京地方裁判所 昭和40年(ワ)10315号 判決 1974年11月11日
原告
吉沢栄治郎
同
吉沢正美
同
吉沢かつよ
原告ら訴訟代理人
平山国弘
外一三名
被告
国
右代表者法務大臣
中村梅吉
右指定代理人
武田正彦
外二名
被告
佐藤仁
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、原告ら
(一) 被告らは各自、原告吉沢栄治郎に対し金五二〇万円、同吉沢正美に対し金一一五万円、同吉沢かつよに対し金三〇万円および右各金員に対する昭和三七年一一月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言
二、被告ら
主文同旨の判決(なお、担保を条件とする仮執行免脱の宣言)
第二 当事者の主張
一、原告らの請求原因
(一) 医療事故の発生とこれに至る経緯
1 原告吉沢栄治郎(昭和二三年七月五日生、以下、原告栄治郎という。)は、昭和三七年三月八日頭痛を主訴としてお花茶屋診療所において診察を受けたところ、血圧が一六〇ないし六〇位であることが判明し、子供の高血圧症状は腎臓病に起因する例があるので大病院で精密検査を受けるようにと勧められ、同月一二日日赤中央病院に入院し、高血圧の原因究明のため腎臓に関する諸検査を受けたが、異常所見はなく退院を命じられた。
2 しかしながら、同原告は、その後も依然として血圧が高かつたので、日本大学医学部板橋病院第二内科において、血沈、血液化学検査、腎臓機能検査、検尿、心電測定等の諸検査を受けたところ、高血圧の点を除き異常所見はなかつたが、高血圧の原因究明のため入院して検査を受けるよう指示されたので、同年四月一六日同内科に入院し、さらに精密検査を受けた結果、かぜにより極めて軽い腎炎を起こしたため血圧が高いが、入院中の諸検査の結果には異常はないとの診断であつたので、同年五月六日退院し、その後は一、二週間に一度の割合で同内科に通院して診療を継続した。この間同原告は、ビタミンC、血圧降下剤、腎炎治療薬を継続して服用していたところ、頻繁にパンツが青染するようになつた。
3 そこで、同原告は、下腹部青染の原因につき診断を受ける目的で、同年一〇月一二日被告国の経営する東京大学医学部付属病院の小児科外来を訪れ、検尿、血圧測定等のいわゆる外来的検診を受けたものの、右青染原因を解明するには至らず、さらに入院して精密検査を受けるよう示唆されたので、同年一一月五日同小児科に入院し、同月一六日および同月二四日の二回に亘り、同小児科の医師であつた被告佐藤仁による腎バイオプシー(すなわち、穿刺針を経皮的に腎臓に到達させてその組織の微少部分を採取し、これを顕微鏡で観察する方法)を受けた。
しかるに、被告佐藤は、右第二回目の腎バイオプシー(以下、本件腎バイオプシーという。)を施行した際、穿刺針を原告栄治郎の右腎内動脈に突き刺して動脈血を多量に流出させ、右腎の三分の一を壊死させたため、同原告は、同年一二月五日東大病院木本外科において開腹検査のうえ右腎の全剔手術を受け、さらに癒着性腸閉塞を併発して、同月二三日同外科において再び開腹のうえ小腸の癒着部分の切除手術を受けることとなり、その後小児科に移科して治療を継続し、昭和三八年二月二二日一旦退院したものの、同年五月には抜糸のため堀切中央病院に五回通院し、また同年一二月二日には癒着性腹痛のため東大病院に再入院するなどし、その後も昭和四〇年一二月頃まで健康管理のため被告佐藤のもとに通院して治療を継続しなければならなかつた(以下、右医療事故を本件事故という。)。
(二) 被告らの責任(不法行為)
1 原告栄治郎は、前述のとおり、東大病院小児科において下腹部青染の原因につき診断を求めたものであるが、仮に一応の診察の結果、右青染の原因として腎臓病の疑いが持たれたとしても、同原告が初期の慢性腎炎に罹患していたものであることは、日赤中央病院、日大病院での診断あるいは東大病院における腎バイオプシー以外の諸検査の結果から既に判明していたわけであり、少くとも同原告の病状が軽微なものに過ぎなかつたことは明らかであつたから、腎臓病の診断、治療における腎バイオプシーの有効性、換言すれば、同検査を実施しないことによる診断、治療上の過誤の虞れを考慮に入れても、なお同原告に対し腎バイオプシーという極めて危険な検査(同検査が施術による偶発症、就中術後の出血を伴う危険なものであることは、その態様に徴して明らかである。)を施す必要はなかつたというべきである。しかるに、被告佐藤は、自己の研究のため故意に、または少なくとも医師として通常なすべき注意義務を怠り慢然、診療の必要性を超えて原告栄治郎に対し本件腎バイオプシーを行つたため、本件事故の発生を見たものである。
2 仮に腎バイオプシーが原告栄治郎の病状につき必要欠くべからざる検査方法であつたとしても、右検査は、前述のとおり、重大な身体損傷の危険を伴うものであるうえ、同原告および同原告に付き添つていた原告吉沢かつよ(以下、原告かつよという。)にとつて未知、未経験の方法であつて、当初の診療委任(準委任)の内容とはなつていなかつたものである。したがつて、被告佐藤としては、原告栄治郎に対し腎バイオプシーを施行するに先立ち、同原告および原告かつよに対し、右検査の内容、有効性あるいは危険性等につき詳細な説明を尽くしたうえ、その真意にもとづく承諾を得るべき義務があつたにもかかわらず、故意または過失によりこれを怠つたものである。
3 また、被告佐藤は、原告栄治郎に対し本件腎バイオプシーを施行するに当り、検査の目的達成に必要な限度以上の身体損傷を与えることのないよう細心の注意をなすべき義務があつたにもかかわらず、これを怠り漫然右検査を実施しため、右検査用の穿刺針を誤つて同原告の右腎内動脈に突き刺し、右腎内に多量の動脈血を流出させた結果、本件事故の発生を招来したものである。
4 さらに、腎バイオプシーは、前述のとおり、術後の出血を伴いやすい危険な検査方法であるから、施術者は術後の患者の容態を仔細に観察し、異変があれば直ちにこれを発見して迅速、かつ適切な医療措置を講じ、よつて患者の病状の悪化を未然に防止すべき義務がある。しかるに、被告佐藤は右の義務を怠り、術後の原告栄治郎につき十分な経過観察を行うことなく放置したため、同原告の腎内出血の発見が遅れ、迅速、適切な医療措置を欠いた結果、前述のとおり重大な身体の損傷を来たしたものである。
5 本件事故は、被告国の被用者である被告佐藤がその事業を執行するにつき、故意または過失により発生させたものであるから、被告佐藤は不法行為者として、また被告国はその使用者として、各自原告らが本件事故によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。
(三) 被告国の責任(債務不履行)
1 原告栄治郎は、昭和三七年一一月五日被告国との間で、同被告の経営する東大病院小児科に入院したうえ、下腹部青染の原因を医学的に解明し、かつ病状に即した適切な治療行為を行うことを内容とする医療契約(準委任契約)を締結し、同日同小児科に入院した。
2 被告国は右約旨に従つて原告栄治郎に対し誠実に診断、治療を行うべき義務を負つていたにもかかわらず、東大病院小児科の医師であつて、被告国の履行補助者であつた被告佐藤は、右の義務に違背して原告栄治郎に対し、前述のとおり、不必要かつ手技操作において不完全な本件腎バイオプシーを、同原告および付添人である原告かつよの承諾を得ることなく実施したばかりか、術後の経過観察、医療措置にも適切を欠いたため本件事故を発生させ、または被害を拡大させたものであつて、これは右約旨に悖る不完全履行というべきである。
3 したがつて、被告国は債務不履行責任にもとづき、原告らが本件事故によつて蒙つた損害を賠償する義務がある。
(四) 原告らの損害<略>
(五) よつて、被告国に対しては不法行為または債務不履行にもとづく損害賠償として、被告佐藤に対しては不法行為にもとづく損害賠償として、原告栄治郎は前記逸失利益等の合計金五二〇万円、原告正美は前記慰藉料等の合計金一三六万八、七〇六円の内金一一五万円、原告かつよは前記慰藉料金三〇万円、および右各金員に対する前記不法行為の翌日である昭和三七年一一月二五日から(ただし、債務不履行責任については、本訴状が被告国に送達された日の後である昭和四〇年一二月一七日から)各支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
(一)1 請求原因(一)の1の事実中、原告栄治郎が高血圧の原因究明のため、日赤中央病院に入院して腎臓に関する諸検査を受けたことは認め、その余は不知。
2 同(一)の2の事実中、原告栄治郎が高血圧の原因究明のため、日大板橋病院第二内科に入院して各種検査を受け、退院後も同内科に通院して治療を継続していたことは認め、その余は不知。
3 同(一)の3の事実中、原告栄治郎が昭和三七年一〇月一二日被告国の経営する東大病院小児科外来を訪れ、同年一一月五日同小児科に入院したうえ、原告ら主張のとおり二回に亘つて同小児科の医師であつた被告佐藤による腎バイオプシーを受けたこと、右検査の施術内容が原告ら主張のとおりであること、原告栄治郎は右施術後肉眼的血尿の症状を呈したため、同年一二月五日東大病院木本外科において右腎の全剔手術を受けたが、その後癒着性腸閉塞を併発したため、同月二三日小腸の癒着部分の切除手術を受けたこと、同原告はその後前記小児科に移科して治療を継続し、昭和三八年二月二二日同小児科を退院したことは認め、その余は否認する。
なお、原告栄治郎は高血圧および尿蛋白を主訴として来院したものである。
(二)1 請求原因(二)の1ないし4の事実はいずれも否認する。
2 同(二)の5の事実中、本件事故当時被告佐藤が被告国の被用者であつたことは認める。
(三)1 請求原因(三)の1の事実中、原告栄治郎が原告ら主張の日に東大病院小児科に入院したことは認め、その余は否認する。
2 同(三)の2事実中、被告佐藤が東大病院小児科の医師であつたことは認め、その余は否認する。
(四) 請求原因(四)の事実は否認する。
ちなみに、腎臓は代償能力が極めて大きく、健康人の場合、腎臓の一方を剔出しても生活には何ら支障がないことは医学界の定説であつて、腎臓の病変が軽い原告栄治郎においても右腎の剔出により日常生活に支障を来たすことはない。
三 請求原因(三)に対する被告国の抗弁
原告栄治郎の来院時における主訴の内容、同原告に対する診療の経過は以下に詳述するとおりであつて、被告国には何ら医療契約上の義務不履行はなく、仮にこれがあつたと仮定しても、被告国および被告佐藤には右不履行につき、何ら故意の過失はない。
(一)1 原告栄治郎は、昭和三七年一〇月一二日高血圧および尿蛋白を主訴として東大病院小児科に来院し、最初に本間講師の診察を受けたが、その際同講師に対し、病歴および現症として、二ないし四歳時神経性周期性嘔吐症を患い、九歳時急性腎炎のため日赤中央病院に入院したこと、そして、昭和三七年三月八日前頭部の限局性重圧感と鼻出血があり、持続性高血圧(一五〇ないし一六〇)と尿蛋白が認められたため、同月一二日再び日赤中央病院に入院し、高血圧の原因につき腎機能検査、レジチンテストを含む各種検査を受けたが、原因が判明せず、右退院後も高血圧(一四〇ないし一六〇)が続き、鼻から出血することもあるため、降圧剤の服用、減塩食をしていること、なお、同年八月三〇日扁桃腺の剔出をした旨申し述べ、高血圧が慢性腎炎によるものかまたは本態性のものかを確定するため腎バイオプシーを希望した。本間講師は、原告栄治郎の右病歴および診察結果判明した高血圧、尿蛋白等の症状から慢性腎炎の疑いを懐き、さらに検尿、検便、血清化学等の検査を指示して同原告を腎臓外来へまわすこととした。
そして、同原告は同月一九日腎臓外来において被告佐藤の診察を受けたところ、尿蛋白は陰性であつたが、血圧が依然一五二ないし八〇と高かつたので、同被告はやはり慢性腎炎の疑いで原告栄治郎を入院させたうえ、精密検査を受けさせることとした。
2 原告栄治郎は同年一一月五日東大病院小児科に入院したが、高血圧以外に異常所見は認められなかつたので、ひとまず高血圧(原因未定)との診断のもとに高血圧の原因を鑑別することとし、病患として、慢性賢炎(糸球体腎炎または腎孟腎炎)、神経性高血圧、本態性高血圧、褐色細胞腫等を想定し、かつこれに対する検査方法として、一般検査、咽頭培養、心電図、血液生化学、腎機能検査、腎バイオプシー、静脈内腎孟造影、レジチンテスト(褐色細胞腫の診断用)、寒冷昇圧試験を予定し、腎バイオプシー、レジチンテストを除く各検査を順次行つた。しかし、特別の病患を指示する検査結果は得られず、高血圧が慢性腎炎によるものか、本態性のものかを決定することはできなかつた。
3 ところで、慢性腎炎は一般に不治または難治の病であつて、これに対する著効ある治療法は確立されていないのであるから、何よりも早期にこれを発見し、悪化防止のための適切な生活指導と薬物治療を行う必要が大である。
そして、原告栄次郎につき疑われたのは高血圧型慢性腎炎であるが、右病患は、高血圧をその主症状とし、浮腫は全然無いか、または極めて軽度であり、尿所見も軽度の蛋白尿および円柱尿を認めるのみであるから、本態性高血圧との識別が困難であり、その早期診断には腎バイオプシーを措いてほかに方法はなく、一般の検査方法によつてその異常を確認し得る程度に腎機能に障害を来たした段階では、既に医療措置を施すには遅きに失するのであつて、原告栄治郎に対するバイオプシーは必要不可欠であつた。
(二)1 そこで、被告佐藤は、前記腎孟造影により腎に奇型のないことが判明していた原告栄治郎に対し、腎バイオプシーを行うこととし、出血時間および凝固時間の検査を行つたところ異常はなく、別段出血性疾患も存しなかつたので、同年一一月一六日第一回目の腎バイオプシーを行つた。右検査ではその目的を達するに至らなかつたものの、術後同原告に肉眼的血尿その他の異常は認められなかつた。
2 被告佐藤は、原告栄治郎およびその母である原告かつよから再度腎バイオプシーを施行することの承諾を得たうえ、同月二四日午後一時四〇分原告栄治郎に対し第二回目の腎バイオプシーすなわち本件腎バイオプシーを行つた。同被告は、右施術において、第一回目と同様に予め抗生物質および止血剤を投与したうえ、第一回目とは別の部位に検査用の二叉針を刺入したところ、右の針は原告栄治郎の右腎外周部の糸球体の部分に到達し、その部分の腎細片を採取することに成功した。
3 ちなみに、右腎細片を顕微鏡で検査した結果、糸球体のかなり多数のものに病変の存することが判明し、これによつて初めて原告栄治郎の右腎が初期から中期の慢性腎炎に罹患していることが確認され、爾後の療養の方針が確定され得たものである。
(三)1 関係医師らは、右施術後の原告栄治郎につき、間断なく脈搏、血圧を測定し、腹痛の有無に注意するなどして経過の把握に努めていたところ、前同日午後四時三〇分頃肉眼的血尿があり、翌二五日午後一時の尿は清澄となつたが、同日午後再び新しい血の混入した尿が出た。しかし、その後は大きな出血の徴候もなく、また血尿の原因を除去するため腎臓を剔出するのは不穏当であつたので、関係医師らは対症療法の手を尽くしつつ、さらに経過を観察した。その後原告栄治郎の右症状は一進一退をたどり、そのまま治まりそうにも見えたが、同年一二月四日に至つてまたもや新しい血の混入した尿が出たので、泌尿器科の米瀬医師の来診を仰いだところ、出血が多いと腎臓の周囲に浸潤し、付近の癒着を起こすなどの虞れがあるとの判断が示されたため、翌日右腎の剔出を行うこととなつた。
2 そして、同月五日木本外科において原告栄治郎に対し右腎剔除のための開腹手術が行われたところ、腹腔内には別段大量の出血や血塊はなく、ただ右腎については、体積が大きく、実質内出血や一部に古い梗塞があり、また腎孟の部分に黒い血塊様のものが透けて見えるなどの所見があり、剔除の方法としては、一応部分剔除も考えられたが、止血が困難であること、圧迫止血にもとづく血管の狭小化により高血圧増進の虞れがあること、また右腎に血管異常があつて、これにより片腎性高血圧を生じている可能性があることなどから、結局右腎全部の剔出が相当と認められ、右手術は無事完了した。
3 右手術後の原告栄治郎の経過は良好であり、尿も良く出て左腎の機能は正常であつたが、これとは別に腹痛を生じ、その症状は不定であつて暫らくの間は原因が不明であつた。しかし、同年一二月二三日に至つて同原告に腸閉塞を認むべき症状が現われたので、木本外科の佐藤、塙両医師の診察を受けたうえ、同日同外科において小腸の癒着部分の切除手術が行われた。右手術後の経過も良好であつたが、同原告は食欲が乏しく、体力の回復が遅れたため、昭和三八年一月二一日小児科に移科したうえ、さらに治療を継続したところ、同原告の体力は順調に回復し、同年二月二二日同小児科を退院した。
(四) なお付言するに、腎バイオプシーは、予めX線撮影により腎臓の位置、形状を確認したうえ、太い血管の存しない外周部を対象として行うものであるが、その際誤つて検査用の針を腎臓の組織内に深く刺入するような虞れのある手技ではない。したがつて右施術の結果原告栄治郎に異常出血が見られたのは、同原告の腎外周部における血管の走行状態が通常人とは特に異つていて、偶々穿刺した部位に通常人の場合より太い血管が存したか、あるいは中小血管に何らかの異常があつて、これを偶々針が損傷したためと考えられる。
しかし、腎バイオプシーは、体の外部から経皮的に肉眼では見ることのできない腎臓を対象として行うものであるから、施術者がいかに注意したとしても、右のような稀有の事故を避けることは不可能である。
四 抗弁に対する原告らの認否
(一) 抗弁(一)の事実中、原告栄治郎の来院時の主訴が高血圧および尿蛋白であつたこと、同原告が腎バイオプシーを希望したこと、同原告に対し右の検査が必要不可欠であつたことは否認する。
(二) 同(二)の事実中、原告栄治郎、同かつよが腎バイオプシーを再度施行することを承諾したこと、本件腎バイオプシーによつて初めて原告栄治郎が初期ないし中期の慢性腎炎に罹患している旨確認され、爾後の治療方針が確定され得たことは否認する。
(三) 同(三)の事実中、原告栄治郎に新しい血の混入した尿が出たのが、一一月二五日の午後であつたこと(同月二六日の夕刻である。)、その後大きな出血の徴候がなかつたことは否認する。
(四) 同(四)の事実は否認する。
第三 証拠<略>
理由
一原告栄治郎が、昭和三七年一一月五日被告国の経営する東京大学医学部付属病院小児科に入院し、同月一六日および二四日の二回に亘り、同小児科の医師であつた被告佐藤による腎バイオプシーを受けたところ、右第二回目の施術すなわち本件腎バイオプシーの施行後肉眼的血尿の症状が続いたため(ただし、出血の程度については争いがある。)、同年一二月五日同病院木本外科において開腹検査のうえ右腎の全剔手術を受けたが、その後癒着性腸閉塞を併発したため、同月二三日同外科において再度開腹のうえ小腸の瘍着部分の切除手術を受けたこと、腎バイオプシーの施術の内容が原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがない。
そして、<証拠略>を総合すれば、原告栄治郎(昭和二三年七月五日生)は、二ないし四歳時神経性周期性嘔吐症を患つたことがあること、また昭和三二年二月発熱、食思不振、高血圧(一六〇位)等のため日赤中央病院小児科に入院し、急性腎炎との診断を受けたが、約一ケ月間の入院治療により軽快退院し、以後数年間は尿、血圧とも異常はなかつたこと、ところが、昭和三七年初め頃から時折尿蛋白が認められるようになり、同年三月八日には前額部に限局性重圧感を訴えたため、お花茶屋診療所で診察を受けたところ、高血圧(一五〇位)であることが判明し、大病院で精密検査を受けるよう勧められたので、同月一二日再び日赤中央病院小児科に入院し、腎機能検査、レジチンテストを含む諸検査を受けたが、異常所見は認められず、慢性腎炎ではあるが心配するほどではなく、学業にも支障はないとの診断を得て、同年四月四日退院したこと、次いで、同原告は、高血圧の診断、治療に万全を期する意味で、右同日以降日本大学医学部板橋病院第二内科外来に通院して血圧測定、検尿、血液化学検査等を受けたところ、高血圧の点を除いて異常所見はなかつたが、さらに入院して精密検査を受けるよう指示されたので、同月一六日同内科に入院し、腎機能検査(就中、運動負荷後の機能低下の有無、程度)、血沈、血圧測定等の諸検査を受けた結果、軽度の慢性腎炎との診断を受けたが、ほかに異常所見は認められなかつたので、同年五月六日退院し、その後は医師の指示により減塩食をする一方、二週間に一度の割合で通院して検尿、血圧測定、薬物治療を継続し、なお、同年八月三〇日には同病院耳鼻科で扁桃腺の剔出手術を受けたこと、この間同年七月頃から度々原告栄治郎のパンツに青インク様のしみが付着するようになり、その後一旦は治つたものの、同年九月頃から再び右の症状が現われるようになつたため、同原告は、ひとまず皮膚科での受診を予定して同年一〇月一二日東大病院を訪れたが、右青染症状は内科的疾患に起因するかも知れないとの考えから、結局小児科外来において診察を受けることとし、同原告およびこれに付添つていた原告かつよから同小児科の医師であつた本間講師に対し、右青染症状とともに、右症状が発現するに至るまでの病歴、就中前述の高血圧、尿蛋白の症状とこれに対する診断、治療の経過につき詳細に説明し(ただし、日赤中央病院退院時に慢性腎炎の診断を受けたことおよび日大病院における診断、治療の経過のうち扁剔以外の点は説明しなかつた。)、これを受けた同講師は、右青染症状につき皮膚科を紹介する一方、右病歴および自ら行つた検尿、血圧測定等の結果を総合して慢性腎炎の疑いを懐き、原告栄治郎を同小児科内の腎臓外来へまわすこととしたこと、同原告は、同月一六日右青染症状につき皮膚科で受診し、続いて同月一九日腎臓外来の医師であつた被告佐藤の診察を受けたが、その際付添つていた原告かつよからは専ら高血圧および尿蛋白の訴えがなされ、また検査の結果、尿蛋白は認められなかつたものの、血圧が一五二ないし八〇と高かつたので、同被告も同じく原告栄治郎につき慢性腎炎の疑いを懐き、さらに診断に精確を期するため入院して精密検査を受けるよう勧めたところ、同原告はこれを承諾し、同年一一月五日同小児科に入院したことが認められ、<証拠略>は信用できず、ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、原告栄治郎は、昭和三七年一一月五日被告国との間で、同被告経営の東大病院小児科に入院したうえ、高血圧原因の医学的解明と症状に応じた適切な治療を受けることを内容とする準委任契約を締結したものと認めるのが相当である。
また、被告国の履行補助者と認めるべき被告佐藤が、本件腎バイオプシーの施行に伴い、原告栄治郎に対し前述のとおりの重大な身体損傷を負わせたことは、右約旨に悖る不完全履行というべきである。
二そこで、被告佐藤に医師としての業務上の過失(または故意)ないしは被告国の履行補助者としての過失(または故意)があつたか否かにつき、順次判断する。
(一) 先ず、原告栄治郎に対する腎バイオプシー施行の必要性如何につき検討する。
<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すれば、前に認定した経緯により昭和三七年一一月五日東大病院小児科に入院した原告栄治郎の診療は、鈴木義之医師が主治医として、また腎臓専門医である被告佐藤が鈴木医師の指導医としてともにこれを担当することになつたこと、右入院当時原告栄治郎には高血圧以外に特記すべき所見は認められなかつたので、被告佐藤らは、ひとまず高血圧(原因未定)との診断のもとに高血圧の原因を鑑別することとし、病患として、慢性腎炎(糸球体腎炎または腎孟腎炎)、神経性高血圧、本態性高血圧、褐色細胞腫等を想定し、これに対する検査方法として、一般検査、咽頭培養、心電図、血液生化学検査、腎機能検査(フイシュバーク濃縮試験、PSP排池試験、クリアランス試験)、腎バイオプシー、静脈内腎孟造影、レジチンテスト、寒冷昇圧試験を予定し、同月一三日までの間に、鈴木医師において腎バイオプシーおよび既に他病院で行われて陰性であることが判明していたレジチンテストを除く各検査を順次行つたが、診断に資する検査結果は得られず、高血圧が慢性腎炎によるものかあるいは本態性ないし神経性のものかを判定できなかつたこと、もつとも、原告栄治郎については小児科外来における検診の結果等から既に慢性腎炎の疑いが持たれていたが、右診断はあくまで疑いの域を出ないものであつたし、また腎機能検査の結果に異常がなかつたところから、仮に同原告に腎疾患があるとしても、軽度のものにとどまるであろうことは予想されないでもなかつたけれども、被告佐藤らは、腎疾患が多種に亘り、かつ病態に応じて治療法が異なること、そのうち慢性腎炎は完治させることが極めて難であり、何よりも早期発見と悪化防止のための適切なしかも長期間に亘る生活指導および薬物治療が肝要であること等を考慮した結果、腎病態の解明のため同原告に対し腎バイオプシーを行うことが是非とも必要であるとの判断に達したこと、そして、前記腎孟造影により両腎に奇型のないことが判明していた原告栄治郎に対し、鈴木医師がさらに同月一四日、一五日の両日出血時間および凝固時間の検査を行つて出血傾向に異常のないことを確認したうえ、被告佐藤において、同月一六日第一回目の腎バイオプシーを行つたが、腎組織を採取するに至らなかつたため、重ねて同月二四日第二回目の腎バイオプシーすなわち本件腎バイオプシーを行つたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
また、<証拠略>を総合すれば、腎機能検査法の急速な進歩にもかかわらず、同検査に示される機能障害の程度が必ずしも腎組織の病理像を正確に反映するものではないため、従来腎疾患の診断は困難を極めたが、右の点を解決し、腎組織の病理的変化を直接解明する方法として、腎バイオプシー(ただし、本件腎バイオプシーと態様を同じくする経皮的腎生検法についてのみ言及する。)が考案され、一九五一年AversenとBrunにより六六症例につき八〇回行われた腎バイオプシーの臨床結果が発表されて以来急速に普及し、我国においても一九五四年新潟大学の木下康民教授により成功例が報告されて以後急速に一般化し、昭和三七年当時においても、腎疾患の診断、予後の判定、治療方法の確定等のため臨床医学上日常的に採用される検査法となりつつあつたこと、腎バイオプシーの適応症としては、瀰漫性腎疾患(汎発性腎疾患)、すなわち各種腎炎、ネフローゼ症候群、高血圧性疾患、アミロイド腎、膠原病、妊娠中毒症等があげられ、一方禁忌症としては、高度の全身衰弱、腎硬塞、腎動脈瘤、腎周囲膿瘍、片腎、出血性素因等があげられているが、尿毒症、腎孟腎炎等の適否については見解が分れていること、また、腎バイオプシーに伴う偶発症ないし合併症としては、肉眼的血尿、疼痛、大出血、発熱、ショック、死亡等が報告されており、我国における腎バイオプシー実施例につき木下教授の行つた集計(甲第二一六号証)によれば、全ての偶発症ないし合併症例の総数に対する割合は、昭和三一年八月当時における七一九例については5.9パーセント(なお、死亡一例)、昭和四一年八月当時における九六九五例については23.6パーセント(なお、死亡七例、大出血による腎剔出六例)を占めているが、慎重な手技操作により回避し得る部分が少なくないうえ、その主要部分を占める肉眼的血尿、疼痛、発熱等は保存療法により容易に治癒可能であることが指摘されていること、そして、腎バイオプシーは、適応症の選択を誤ることなく、慎重に手技に臨めば決して危険な検査方法ではなく、肝生検、脾生検に比較すれば、かえつて安全であるといわれていること、なお、小児に対する腎バイオプシーは、患者の協力が得られるか、または全身麻酔を施して行う限り、格別の支障はないことが認められ、右認定に反する証拠はない。
よつて考察するに、被告佐藤は、原告栄治郎の急性腎炎の既応、扁剔の経験、高血圧の持続、尿蛋白の出没等の現症からひとまず慢性腎炎の疑いを懐き、腎バイオプシーに先立つて各種の入院検査を行つたけれども、診断に資すべき格別の所見が得られず、一方出血性素因その他の禁忌症も見当らなかつたため、腎疾患における早期の、しかも確定的な診断の重要性に鑑み、同原告に対し腎バイオプシーを行う必要があると判断したものであるところ(ちなみに、証人杉野信博の証言によれば、日大病院においても、原告栄治郎の既応歴、現症等から腎バイオプシーの必要性を認めていたが、設備上の制約からより緊急性のある患者を優先したため、これを施行しなかつたことが認められる。)、右の症例はまさに腎バイオプシーの適応症に該当するうえ、腎バイオプシーは一般論として特に危険な検査査方法とはいえず、当時においても腎疾患の診断方法としてかなり一般化していたことが認められるから、被告佐藤が右の判断にもとづき原告栄治郎に対し腎バイオプシーを施行したことは、医学上適当な措置であつたというべく、この点につき被告佐藤には何ら責に帰すべき事由は見当らない。
(二) 次に、腎バイオプシー施行に伴う説明義務および承諾取付義務につき検討する。
腎バイオプシーは、一般論として特に危険な検査方法とはいえない反面、相当の頻度で肉眼的血尿等の偶発症ないし合併症を惹起するものであることは前記二(一)で認定したとおりであつて、潜在的には生命、身体に対するかなりの危険を内蔵するものと考えられるうえ、前記一の認定事実に<証拠略>を総合すれば、原告栄治郎は高血圧症状につき診断、治療を受ける目的で東大病院小児科に入院したが、当時同原告およびこれに付き添つていた原告かつよはいずれも腎バイオプシーにつき予備知識ないし経験を有せず、したがつて腎バイオプシーは当初の診療委任ないし医療契約の内容となつていなかつたことが窺われるから(なお、<証拠略>には、原告栄治郎が腎生検を希望して同小児科に入院したとの記載があり、<証拠略>にもこれに符合する部分があるが、いずれも措信し難い。)、被告佐藤としては、原告栄治郎に対し腎バイオプシーを施行するに先立ち、同原告および原告かつよに対し右検査の施術内容、有効性あるいは危険性等につき説明を加えたうえ、その承諾を得るべき義務を負つていたものというべきである。
ところで、<証拠略>を総合すれば、鈴木医師は、第一回目の施術に先立つ昭和三七年一一月一三日、原告かつよに対し腎バイオプシーの施術の概略を告げて施行につき承諾を求めたが、同原告から原告栄治郎の扁剔時出血が一週間も続いたとの事実が指摘されたため、同月一五日までに原告栄治郎につき慎重に出血傾向の検査を行つて異常のないことを確認したうえ、同日、重ねて原告栄治郎および同かつよに対し腎バイオプシー施行の承諾を求めたところ、右検査に不安を懐いていた両原告から幾ばくかの疑問点が提示されたため、この間の問答を通じて、両原告に対し、腎バイオプシーは背部から針を刺入して腎臓の組織片を採取し、これを顕微鏡で観察するという検査方法であること、原告栄治郎には既応歴、現症等から慢性腎炎の疑いがあるが、これを適確に診断する方法は腎バイオプシー以外にはないこと、施術に当つては局所麻酔を行うので、苦痛はさほど大きくないこと、術後出血する場合があるが、やがて治まるから心配はないこと等の説明をした結果、両原告もこれを承諾したこと、そこで、被告佐藤は、同月一六日第一回目の施術を行つたが、腎組織を採取するに至らなかつたため、続いて第二回目の施術を行うこととしたこと、そして、鈴木医師は同日二二日から二四日までの間、再三に亘り原告栄治郎および同かつよに対し再度腎バイオプシーを行うことの承諾を求めたが、施術への不安を募らせていた両原告はこれを固辞する態度を見せたため、同月二四日、被告佐藤自ら施術の安全性、すなわち七〇回余の自験例中失敗例は皆無であること等を強調して説得に努めた末、漸く両原告の承諾を得たこと、右同日被告佐藤により第二回目の施術すなわち本件腎バイオプシーが施行されたことが認められ、<証拠略>は信用できず、ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、被告佐藤は、自らまたは鈴木医師を通じて、腎バイオプシー施行に伴う前記説明義務および承諾取付義務を尽くしたものと認められるし、また被告佐藤が腎バイオプシー施行の承諾を求めた際、施術の安全性を強調して説得したことも(なお、右説得の態様が著しく不当であつたことを窺わせる証拠はない。)、腎バイオプシーが後記(三)認定のとおり局所麻酔のもとに行われる施術であつて、患者の協力なしには行い得ないものであることに徴すれば、何ら異とするに足りないものというべきであるから、いずれにしても被告佐藤にはこの点についても格別責に帰すべき事由は存しない。
(三) 進んで、本件腎バイオプシーにおける手技操作上の過失の有無につき検討する。
<証拠略>を総合すれば、腎バイオプシーの手順、方法および施術上の注意事項は次のとおりであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 術前処置、検尿、血圧、脈搏、心電図、腎機能検査、静脈性腎孟撮影等を行う必要があり、就中腎孟撮影は、腎の位置を決定し、また禁忌症を回避、除外するために不可欠の手順であること。
2 手技
(1) 採取すべき組織 糸球体を含む腎外周部の組織(皮質)を採取すべきであり、それ以外の組織は診断に無価値であること。
(2) 生検針および麻酔 生検針としては吸引針と細切針があるが、現在では代表的細切針であるビム・シルバーマン針が使用される例が多く、また施術に当つては、六歳未満の幼児の場合を除き、原則として局所麻酔が用いられる。
(3) 穿刺時の姿勢 坐位、伏臥位、腰掛位の三種があり、それぞれ一長一短があるが定説はなく、成功率にも有意差はないといわれていること。
(4) 穿刺点の決定 静脈性腎孟撮影による腎孟像にもとづき背部における穿刺点が決定されるが、他の臓器を穿刺する可能性と穿刺した場合の危険性、深く穿刺し過ぎた場合の危険性、呼吸性移動による感知の難易等の比較衡量から右側腎の下極が穿刺の目標点として選ばれる例が一般的であるものの、施術の便宜ないし成功率を重視して右腎の上半分を目標に穿刺するなどの例もあり、必ずしも定説はないこと、なお、腎孟撮影時の体位と穿刺時の体位が異なる場合は、穿刺点の決定に当り腎の体位性移動に注意すべきであること。
(5) 穿刺方法 生検針の穿刺に先立つて、腎の位置、深さを確認し、かつ局所麻酔を行うため、通常探索針が使用されること。そして、予め決定された穿刺点に探索針を穿刺し、プロカイン液を浸潤させて局所麻酔を行つた後、さらに麻酔を行いながら腎と思われる抵抗に達するまで針を進め、呼吸性移動に伴う針の振れにより腎であることを確認し、かつ腎までの深さを測定したうえ、これを抜き、次いで、マンドリン(検甲第一号証の二)で閉塞した外套針(同号証の一)を探索針と同一方向に同じ深さまで刺入し、再び呼吸性移動により腎であることを確認したうえ、軽く腎を穿刺し、外套針を固定したまま、マンドリンを抜き出して切断用の二叉針(同号証の三)を一杯に挿入し(二叉針は、外套針より通常一ないし1.5センチメートル長いため、その分だけさらに深部に達することになる。)、さらに外套針を二叉針の先端まで進め、両針を回転させた後一緒に抜き出すこと。
次に、<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すれば、被告佐藤は、原告栄治郎につき入院後施行された検尿、血圧測定、心電図、血沈、血算、血液生化学検査、腎機能検査、伏臥位による静脈性腎孟撮影、出血時間および凝固時間検査の諸結果から腎の奇型あるいは出血傾向の異常等の禁忌症のないことを確認したうえ、昭和三七年一一月一六日午前九時三〇分トロンボーゲン(止血剤)五CC、次いで、同一〇時三〇分オピスタン(鎮痛、鎮静剤)0.6CCを投与した後、同一一時四五分から概ね前記認定の手順に従つて、ビム・シルバーマン針を使用し、腰掛位で第一回目の腎バイオプシーを施行したが、施術後原告栄治郎には肉眼的血尿等の異常は認められなかつたこと、しかしながら、右施術で採取した組織は腎以外のものであることが判明したので、続いて第二回目の施術を行うこととし、八日後の同月二四日午後一時四〇分から右同様の手順に従つて(ただし、第一回目とは穿刺点を変えて)、本件腎バイオプシーを施行した結果、糸球体を含む腎組織の採取に成功したこと、なお、本件腎バイオプシーの施術に当つては、二、三回程度の生検針による穿刺が試みられたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないところ、<証拠略>を総合すれば、腎バイオプシーによる腎組織採取の成功率は概ね七、八〇パーセントにとどまり、しかも同一の機会に二、三回の穿刺が試みられることは必ずしも異例ではないことが認められるので、被告佐藤が第一回目の施術に失敗したことおよび第二回目の本件腎バイオプシーにおいて二、三回程度の穿刺が試みられたことは必ずしも過失とはいえないし、腎孟撮影時の体位と施術時の体位が異なつていたことも直ちに過失を窺わせる事由とは認め難く、ほかに右認定の施術経過につき格別過誤と認めるべき点は見当らない。
そこで、本件腎バイオプシーによる腎の損傷部位如何につき検討する。
<証拠略>を総合すれば、原告栄治郎は、昭和三七年一一月二四日午後一時四〇分から本件腎バイオプシーを施され、施術後安静を保つていたが、同日午後四時三〇分肉眼的血尿があり、同日中さらに一回の血尿があつたこと、翌二五日午後一時の尿は清澄であつたが、二六日は朝から軽度の血尿が続き、午後六時には一〇〇ないし一五〇CCの新鮮血を排出し(なお、一部は凝固していた。)、その後尿意はあるが排尿しないとの訴えがあつたので、午後六時四五分尿カテーテルを挿管したが、尿も血液も出なかつたこと、二七日以後も肉眼的血尿が続き、三〇日午後四時膀胱洗滌を行つたところ、血液凝塊が流出したので、以後尿カテーテルを挿管することとしたが、その際上腹部を圧迫したところ、新鮮血が流出したこと、一二月一日血尿の色は一旦薄くなつたが、二日には再び濃くなり、以後大量出血の徴候はなかつたものの、血尿は継続したこと、四日午前九時にはまた新鮮血が流出し、その後排尿が困難となつたので、午後七時四〇分、同八時三〇分それぞれ膀胱洗滌を行つたこと、なお、同日泌尿器科医から尿閉と腎周囲の癒着の虞れが指摘されたため、翌日右腎剔出を行うとの方針が決められ、五日午後二時三〇分から木本外科において開腹のうえ右腎剔出手術が施行されたことが認められ、また<証拠略>を総合すれば、右手術時、原告栄治郎の腹腔内には大量の出血や血塊はなかつたが、右腎上部には二つのかなり広範囲な楔状梗塞があり(なお、<証拠略>を対照すれば、甲第二一一号証記載の腎臓図および手術所見から直ちに右梗塞が腎孟ないしその近傍にまで及ぶものであつたことを認めるのは困難である。)、この部分に切開を加えたところ、腎皮質の上部三分の一は既に懐死していることが認められ、また、腎孟、尿管中には多数の凝血が認められたこと、腎の出血分布範囲からは、小動脈および静脈の両者の損傷が予想されたことが認められるところ、以上の各事実を合わせ考えると、右梗塞は本件腎バイオプシーにより生じたものであろうこと、そして、本件腎バイオプシーにおいては、原告栄治郎の右腎上部の髄質内が穿刺され、同部分を走行する比較的太い血管が損傷されたであろうことが一応推認できる、
もつとも、<証拠略>によれば、被告佐藤は、本件腎バイオプシーにより原告栄治郎の右腎から多数の糸球体を含む組織片を採取することに成功しており、右組織片を検鏡した結果、同原告につき初期ないし中期の慢性腎炎との診断を下したことが認められ、右事実に<証拠略>を総合すれば、被告佐藤は本件腎バイオプシーにより少なくとも数ミリメートル程度の腎皮質(同組織にのみ糸球体が存在する。)を含む組織片は採取したであろうことが認められるところ、右の事実、および<証拠略>によつて認められる事実すなわち腎皮質が不完全な球体である腎臓の外周部の組織であつて、厚さは約一センチメートルに過ぎないこと、ならびに前に認定した生検針の構造(就中、外套針と二叉針の長さの差)、穿刺の手順、方法等を彼此対照すれば、本件腎バイオプシーの施術においては、少なくともマンドリンで閉塞した外套針を腎に到達させて軽く穿刺するまでの手順は、過誤なく行われたものと認めざるを得ない(すなわち、外套針が腎に深く入り過ぎると皮質の採取は不可能となるからである。)。加えて、前述の生検針による穿刺の手順を見てみると、技術的に困難であるのは専ら外套針を腎に到達させるまでであり、それ以後の手技は極めて容易であつて、ある程度熟練した医師(ちなみに、被告佐藤仁の供述によれば、同被告は本件バイオプシー以前に、約二年間に亘り七〇余例の臨床経験を有していたことが認められる。)にとつて過誤を来たす虞れはまずないといえよう。そうだとすれば、結局本件腎バイオプシーにおいて生検針が腎皮質を僅かに越えて髄質内に穿刺されたことはこれを窺知するに難くないが、通常の場合よりも特に腎の深部ないし中心部にまで穿刺されたとの可能性は否定されなければならない。
また、<証拠略>によれば、慈恵会医科大学の上田泰教授の内科学教室においては、腎バイオプシーの手技の便宜、組織採取の成功率に対する配慮から穿刺の目標点を腎の上半分に定めるのが通例であり、この方法により約一、〇〇〇例に及ぶ臨床経験を積んでいるが、未だ死亡例はもちろん、腎剔出の例もないことが認められ、さらに、前述の腎臓および生検針の構造、穿刺の手順、方法に<証拠略>を総合すれば、腎の上半分を穿刺した場合、生検針が腎の髄質内に穿刺されるにいたることは往々ありうることであつて、それがさして深くない場合には血管損傷の危険性において格別の差等のないことが認められるので、本件腎バイオプシーにおいて生検針が腎上部の髄質内に僅かに穿刺されたこと(腎皮質を含む組織片が採取されたことに徴し、生検針が腎の中心部ないしその近傍にまで及んだものと認め難いことは、さきに説示したとおりである。)をもつて手技操作上の過誤に該当するものということもできない。
(四) さらに、本件腎バイオプシー施行後の経過観察ないし医療措置に関する過失の有無につき検討する。
<証拠略>を総合すれば、被告佐藤および鈴木医師は、昭和三七年一一月二四日本件腎バイオプシーの施術後、原告栄治郎に臥床安静を命じる一方、頻繁に血圧、脈搏を測定し、腹痛の有無に注意するなどして同原告の容態の把握につとめていたところ、同日午後四時三〇分肉眼的血尿が見られたのを端緒として、以後前記(三)で認定したとおりの血尿ないし出血症状を呈し、また腹痛の出没も認められたこと、この間被告佐藤らは、症状に応じて止血剤、抗生物質、鎮痛剤の投与、輸血、輸液等の保存療法を試みたけれども奏効せず、なお血尿が続き、同年一二月四日には新鮮血が流出した後排尿困難に陥つたため、泌尿器科の米瀬泰行医師の来診を仰いだところ、尿閉と腎周囲の癒着の危険が指摘されるとともに、早急に腎の剔出を行うべきであるとの意見が示されたため、翌日にも腎剔出を行うとの方針が決定されたこと、そして、翌五日午後二時三〇分から木本外科において原告栄治郎に対し腎剔出のための開腹手術が行われたところ、右腎の所見から部分剔除の可能性も一応検討されたが、止血が困難であること、圧迫止血にもとづく血管の狭小化により術後さらに高血圧を来たす虞れがあること、右腎に血管異常があるらしく、片腎性高血圧の可能性もあつたこと等の理由により、結局全剔が相当であると認められ、以後の手技は無事完了したこと、右手術後は、被告佐藤らのほか、右手術に立ち会つた木本外科の医師数名も原告栄治郎の診療に加わることとなり、ともに同原告の経過観察に努めたところ、術後の経過は良好で、尿もよく出て左腎の機能も全く正常と考えられたものの、尿ないし腎の関係とは別に、同月六日以降悪感戦慄、腹痛、腹部膨張感、嘔吐、吐気などを訴えるようになり、腸雑音も出没したが、必ずしも症状が定まらず、同月一九日の段階では、排便があり、腸ガスはない等腸閉塞は予想し難い状況であつたので、この間は専ら保存療法に努めたこと、しかるに、同月二〇日頃から腸閉塞を疑わせる徴候が見えるようになり、同月二三日に至つて腸閉塞と認めるべき確かな症状が現われたので、原告栄治郎は、木本外科の佐藤、塙両医師の診察を受けた後同外科へ転科し、同日午後二時から同外科において、再び開腹のうえ、小腸の癒着部分を剥離して通過障害を除去するとともに、血液の循環障害を起こした部分あるいは漿膜に損傷を来たした部分を二ケ所合計七〇センチメートルに亘つて切除する手術を受けたこと、なお、開腹手術後に大なり小なりの癒着を起こすことは避けられないが、癒着が起きたからといつて必ず腸閉塞に進展するわけではなく、むしろその可能性は小さいこと、癒着、腸閉塞を未然に防止することは現在の医学水準では不可能とされていること、原告栄治郎の右手術後の経過も概ね良好であつたが、体力の回復に手間どつたため、昭和三八年一月二一日再び小児科へ転科したうえ療養を継続し、同年二月二二日退院したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、被告佐藤ら関係医師は、本件腎バイオプシー施行後の原告栄治郎に対する経過観察および医療措置に最善を尽くしたことが窺われたのであつて、その間に何ら過誤と認めるべき事由は存しない。
三以上の次第であつて、被告佐藤の故意または過失を前提とする原告らの本訴各請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却を免れない。
よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(中村修三 黒田直行 安倉孝弘)