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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)4722号 判決 1966年6月24日

徳島県鳴門市北灘町折野字東地二九一番地の一

原告 近藤三二

被告 国

右代表者法務大臣 石井光次郎

右指定代理人検事 鎌田泰輝

<外四名>

右当事者間の昭和四〇年(ワ)第四七二二号損害賠償請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告は「被告は原告に対し一一四万七二六〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因ならびに抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

一、不法行為による損害賠償請求。

(一)  原告は昭和一九年二月一一日中華民国河北省宛平県において現地召集を受け衣第三〇四二部隊に入隊して兵役に服していた。

原告は昭和二〇年八月一五日北鮮咸興府五老里村で終戦を迎えたが、当時被告の意思決定機関は前記部隊隊長熱田某少佐に命じて、原告を含む当時の部下を国際連合加盟国の軍隊(以下単に国連軍と略称する)の手に委ねる施策をなした。

そのため原告は国連軍の手により捕虜として直ちにソヴィエト社会主義共和国連邦(以下単にソ連と略称する)シベリアのウラジオストックに送られ、同所に抑留されて一年八月余の間苦役に服せしめられた後漸く釈放されて昭和二二年五月一日鳴門に帰還したものである。

原告は、右抑留により、言語・慣習が理解され難く気候・風土の異る敵国地内で、鉄条網の張り巡らされた収容所において銃剣を背にして常に生命の危険に晒されながら、不充分な衣食住の条件のもと、薬品・看護も不満足の状態で、栄養失調の身体を駆使されて、零下三十幾度の雪の原野において労務賠償としての苦役をなして来た。

右の如く自由を剥奪され、屈辱に耐え、生命の危険に怯えながら労務を提供したことにより蒙った原告の肉体的および精神的苦痛、ならびに終戦当時内地に居住していた者に比して生活立直しの出発が遅れたことに起因する財産的損害は、金銭に換算して合計五〇万円に相当する。

そして、原告が蒙った右損害は、前記のとおり、被告が原告を国連軍の手に委ねた施策に基くものであり、被告の右施策は、被告の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行なうについて、故意にかつ違法になしたものである。

ただし、原告は、被告が戦争を行ない、原告を徴兵したこと自体を不法行為として主張するものではなく、右のとおり被告が原告をソ連に抑留せしめて苦役に服せしめる施策をなしたことが不法行為であると主張するものである。そしてその不法行為は終戦の日である昭和二〇年八月一五日から原告が鳴門に帰還した日である昭和二二年五月一日まで継続されていたものである。

よって原告は被告に対し国家賠償法第一条第一項もしくは民法第七〇九条に基づく損害賠償として五〇万円の支払を求める。

(二)  被告は国家賠償法施行前の行為についても民法上の損害賠償義務を負うべきである。

(三)  民法上の時効については同法第七二四条後段を適用すべきである。

二、債務不履行による損害賠償請求。

(一)  原告は前記のとおり昭和一九年二月一一日応召して兵役に服したものであるが、原告が兵役に服することは被告との間の契約関係によるものである。しかるに被告は右契約の目的に反し原告をして昭和二二年五月一日までの間ソ連において抑留のうえ労働をなさしめた。

ところで当時内地における一世帯の家計額は最低生活で月一万八〇〇〇円の割合であったが、原告は右期間内地において稼働すれば少くとも同額の割合による収益を得た筈であり、右金額は四四万七二六〇円となる。

右のとおり原告は被告の債務不履行により、内地において稼働すれば得られた筈である四四万七二六〇円の利益を失い同額の損害を蒙ったので、被告に対し債務不履行に基づく損害賠償として右金員の支払を求める。

(二)  時効については民法第一六七条第二項を適用すべきであり、その期間は二〇年であるから、原告の右権利は消滅していない。

三、一時行賞賜金請求。

(一)  原告は前記のとおり昭和一九年二月一一日兵役に服し復員時兵長に累進していたが、当時兵役に服したものは一時行賞賜金の受給権を有していた。ところで、右一時行賞賜金は、上海事変当時上等兵であった者に対しては二〇〇円が支給されたので、今次の大東亜戦争において兵長であった原告に対しては、貨幣価値の変動を考慮して、これの一〇〇〇倍に相当する二〇万円が支給されるべきである。

よって、原告は被告に対し一時行賞賜金受給権に基づき二〇万円の支払を求める。

(二)  被告がなすべき一時行賞賜金発給義務は現在もなお存続し、従って原告の右受給権は時効消滅したものではない。

四、請求の原因および抗弁に対する答弁を補足する事情。

(一)  被告は、刑事事件において勾留されたのち無罪となった被告人に対しては適正な金銭補償をしている。また、李ライン拿捕漁民に対しては被告がこれに補償金を支払った事実が新聞により報道されている。原告もまた被告の行為によって抑留を受けたのであるから、被告はこれに対し当然賠償または補償をなすべきである。しかも、李ライン拿捕漁民が自己の生活のために出漁して拿捕されたのに対し、原告は一銭五厘の葉書一枚で徴兵され、「滅私奉公」、国のために身命を賭して奮戦したあげくソ連に抑留されたのである。

(二)  被告は、昭和一五年四月二九日紀元二六〇〇年天長節の佳節を期して第一次行賞をとりまとめてそれ以前の年次の満州事変・張鼓峯事件・ノモンハン事件・支那事変・上海事変等の事件・事変に従軍した当時の全将兵に賜金債券の発行給付ならびに現金支給を行なった。しかるに被告は大東亜戦争に際してはこれを行なわなかったと主張している。しかしながら事件・事変以上に危険度の高い戦争に従軍した者に対しては当然右に準ずる施策をなすべきである。かかる観点から被告は昭和二八年八月一日大東亜戦争に対する功績を認めて一部職業的旧軍人に対しては恩給法を復活実施した。従って、原告のような短期召集兵(勤務年数不足により恩給受給資格がない者)に対してもその勤務年数に応じ戦時の行為の功績により一時行賞賜金を交付すべき義務がある。もし被告においてこれを怠る施策をなすとすれば、それは、原告ほか当時の短期召集兵を敗戦の責任者となしこれらの者をして一部職業的旧軍人に対する恩給の財源作りに働かしめるという罰金刑を科するものといわなければならない。力あるものに対しては恩給法を復活し、農地報償法を成立させるなどの被告の処置は、原告のような力なき者とこれとを差別する不平等な施策であり、是正されなければならない。

五、結語

以上により原告は被告に対し第一ないし第三の合計額一一四万七二六〇円の支払を求める。

第二、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁ならびに抗弁として次のとおり述べた。

一、不法行為による損害賠償請求について。

(一)  原告がその主張の日に臨時召集により独立歩兵第一一一大隊(衣三〇四二部隊)に入隊したこと、同部隊が昭和二〇年八月一五日原告主張の場所で終戦を迎えたこと、原告所属部隊隊長が熱田勝利大尉(少佐ではない)であったこと、原告が終戦後ソ連に抑留され昭和二二年四月二六日舞鶴港に上陸し同日復員したこと、以上の事実は認める。原告が抑留中いかなる苦痛を受けたかは知らない。その他は争う。

(二)  原告が抑留されたことが被告の公務員の違法行為によるものであるとしてもそれは公権力行使の職務執行上の問題であるから、民法上の不法行為の責任は被告に生じない。すなわち、このような違法行為については、被告は国家賠償法の規定によりその損害の賠償の義務を負うことになるのであるが右国家賠償法が施行されたのは昭和二二年一〇月二七日である。そして本件はそれ以前の問題であり、公権力行使の職務執行上の違法行為については同法施行前においては被告は一切の賠償責任を負わなかったものである。

(三)  被告に民法第七〇九条による賠償責任が生じたとしても、原告はその復員時である昭和二二年四月二六日には抑留による損害および加害者を知っていたものであるから、その損害賠償請求権は同法第七二四条前段により右復員の日の翌日から三年を経過した昭和二五年四月二六日の満了をもって時効により消滅した。

二、債務不履行による損害賠償請求について。

(一)  原告が召集を受け、終戦後ソ連に抑留されたことについての答弁は前記のとおりである。

(二)  原告は、ソ連をして原告を抑留させたのは、被告が原告との間になした契約の違反であり、被告は債務不履行により原告に月額一万八〇〇〇円相当の財産的損害を与えたことになる旨主張するが、原告のソ連抑留は、ソ連軍の一方的行為によるものであって、被告が特にこれを許容したものではない。従ってそれは被告にとっては不可抗力以外の何ものでもないから、債務不履行の成立する余地はない。

(三)  右事実が何らかの理由で債務不履行になるとしても、それに基づく損害賠償請求権は遅くとも原告の復員によりその権利を行使しうるに至ったものというべきであるから、右請求権は民法第一六七条第一項により、復員の日である昭和二二年四月二六日の翌日から満一〇年を経過した昭和三二年四月二六日の満了をもって時効により消滅した。

三、一時行賞賜金請求について。

(一)  原告が召集解除の際上等兵であったこと(兵長には累進しなかった)は認めるが、その他は争う。

行賞賜金は「戦役若ハ事変ニ際シ功労アル者ニ一時限リ金円賜与ノ件」(明治二八年七月二五日勅令第一一五号)および「戦役若ハ事変ニ際シ賜フ一時賜金ヲ公債証書ニテ交付スルコトヲ得ルノ件」(明治三七年六月一五日勅令第一六八号)の趣旨にかんがみ、戦役もしくは事変に際し国債発行等についてその都度法律を制定して、それに基づき交付されてきたものであって、その実行のためには、先ず大蔵省において陸海軍省からの行賞賜金交付予定人員の報告に基づいて予算措置を講じ、次いで陸海軍省から大蔵省に賜金国債の発行を請求して日本銀行から国債を受領のうえ、これを受給者に交付していたものである。

しかし、大東亜戦争に従軍した生存者に対して行賞賜金として交付するための公債の発行に関する法律は戦中戦後を通じて制定されておらず、従って原告にその受給権はない。

(二)  原告に右受給権があったとしてもその請求権は遅くとも原告の復員によりその権利を行使しうるに至ったものというべきであるから、それは公法上の債権として、会計法の規定(大正一〇年改正にかかる旧会計法第三三条、昭和二二年四月一日施行の現行会計法第三〇条)により、復員の日である昭和二二年四月二六日の翌日から満五年を経過した昭和二七年四月二六日の満了をもって時効により消滅した。

理由

一、不法行為による損害賠償について。

(一)  原告が昭和一九年二月一一日応召して独立歩兵第一一一大隊(衣三〇四二部隊)に入隊したこと、同部隊が昭和二〇年八月一五日北鮮咸興府において終戦を迎えたこと、その後原告がソ連に抑留されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(二)  原告は、右抑留は被告の意思決定機関である公務員が原告を国連軍の手に委ねる施策をなしたことに起因するものであるから、右施策は原告に対する不法行為であると主張し、さらに被告がその後も原告をソ連から帰国させず右抑留を継続せしめて原告をして苦役をなさしめる施策をなし続けたこともまた原告に対する不法行為であり、結局その不法行為は終戦の日である昭和二〇年八月一五日から原告が鳴門に帰還した昭和二二年五月一日まで継続していたものであって、原告はこれにより五〇万円の損害を受けたと主張する。

(三)  そこで原告の主張に係る被告の右行為が存在し、かつ、これが不法行為となるものとして右事実につき国家賠償法の適用の有無を判断する。

国家賠償法は昭和二二年一〇月二七日法律第一二五号として公布、同日施行されたものである。ところで原告が被告の不法行為として主張する被告の公務員の行為は昭和二〇年八月一五日から昭和二二年五月一日まで継続されたというのであるから、同法施行前の行為にほかならない。しかるところ同法附則第六項により同法施行前の行為に基づく損害についてはなお従前の例によるものとされ結局本件については同法の適用がないことになる。

(四)  そこで、次に従前の例によるものとして民法の適用の有無を判断する。

日本国憲法施行の日以前の行為、すなわち、大日本帝国憲法施行期間中の行為については、公法関係には私法である民法の適用がないことは、判例学説の一致した見解であって異論のないところであり、当裁判所も当時の行為の解釈としてはこれを已むを得ざるものと考える。しかるところ本件における公務員の行為は昭和二〇年八月一五日から昭和二二年五月一日までの期間におけるもので大日本帝国憲法施行下のものであるから、これについて民法の適用はない。

(五)  以上により、不法行為による損害賠償請求に関する原告主張事実がすべて認められたとしても、被告はこれの賠償責任を負わないのでその他の判断を待たずに原告の主張は理由がないことになる。

二、債務不履行による損害賠償請求について。

(一)  原告は、原告が前記召集に応じたのは、原告が兵役に服するという原被告間の契約に基づくものであったところ、被告は右契約に違反し前記のとおり原告をしてソ連において抑留のうえ労働をなさしめ、原告はこれにより昭和二〇年八月一五日から昭和二二年五月一日までの間内地において稼働すれば得られた筈の月一万八〇〇〇円の割合による利益(合計四四万七二六〇円)を失い、同額の損害を蒙った、と主張する。

(二)  そこで、原告主張の損害賠償請求権が発生したものとして、時効の抗弁について判断する。

被告は、原告の損害賠償請求権は原告の復員によりこれを行使しうるに至ったものであるから、右請求権は復員の日である昭和二二年四月二六日の翌日から満一〇年を経過した昭和三二年四月二六日の満了をもって時効により消滅した、と主張する。原告の復員の日については争いが存するが、これを原告主張のとおり昭和二二年五月一日であるとしても、原告は復員によって同日以降右請求権を行使することができるに至ったものと解すべきであり、かつ右請求権は民法第一六七条第一項の適用を受ける通常の債権であるから昭和三二年五月一日の満了をもって時効によって消滅したものといわざるを得ない。従って被告の抗弁は理由がある。

(三)  以上により債務不履行による損害賠償請求権が一旦は発生したものとしても右は時効により消滅し被告はこれの賠償責任を負わないので、その他の判断を待たずに原告の主張は理由がないことになる。

三、一時行賞賜金請求について。

(一)  原告は昭和一九年二月当時兵役に服した者は一時行賞賜金の受給権を有していた、と主張するが、次の理由により原告はその受給権を有しない。

原告が主張する一時行賞賜金とは「戦役若ハ事変ニ際シ功労アル者ニ一時限リ金円ヲ賜与スルノ件」(明治二八年七月二五日勅令第一一五号、但し右は、明治四二年一二月二四日勅令第三五〇号ならびに大正八年一二月一二日勅令第四九二号により改正され、昭和二二年五月三日政令第四号により廃止された)ならびに「戦役若ハ事変ニ際シ賜フ一時賜金ヲ公債証書ニテ交付スルコトヲ得ルノ件」(明治三七年勅令第一六八号)に基づく一時賜金または公債証書のことであると了解される。しかしながら、これらの勅令に基づく一時賜金または公債証書の賜与を受けることは、権利として認められるものではなく専ら恩典に出ずるものであると解せられるから、これを根拠として原告に受給権ありとすることはできない。もっとも、原告において一旦これの受給資格を得たのちに被告においてこれを交付することを怠った場合には、原告は被告に対してこれの請求をなしうることはもちろんであるが、前示勅令第一一五号は昭和一九年二月当時は大正八年勅令第四九二号によって改正せられて「戦役又ハ事変ニ際シ功労アル者ニハ一時賜金又ハ金銀木杯若ハ錦地ヲ賜与スルコトヲ得」として一般的にこれを規定していたものであり、これを具体的に実施するには、何人が功労ある者に該当するか、予算措置をいかに講ずべきか等につき法規等の補完を要するものであるところ、今次のいわゆる大東亜戦争に従軍した生存者については何人に対してもこれを具体化する法規等は制定せられなかったから、原告もまたその受給資格を有しないものである。

(二)  以上により一時行賞賜金に関する原告の請求は理由がない。

四、原告が終戦後二〇年を経た今日かかる訴を提起した理由が、いわゆる旧軍人・旧準軍人が恩給を受ける権利または資格を取得したこと、いわゆる旧地主に対して改めてその補償がなされつつあること等の事実に比して、原告のように臨時召集により応召した者に対しては何ら補償がなされないことは不公平であると感じたことに由来するものであることは、弁論の全趣旨により容易にこれを看取することができる。

しかしながら、裁判所に対してこれを権利として主張するためにはその権利を根拠づける法規が存しなければならないことはいうまでもないことであるところ、本件について現在なお原告の各請求を根拠づける法規は存在しない。

原告は、刑事事件において勾留を受けた者が無罪の裁判を受けたときは補償を受け得るのに反し、兵役により抑留を受けた者に対して補償がなされないのは不当である旨主張するが、刑事手続等により抑留・勾禁・拘置等を受けた者が無罪の裁判を受けたのちその補償を受け得るのは、刑事補償法が存することにより裁判所がその適用をなしうるからである。同様に、原告主張に係る被告の補償等の行為はいずれも法規に基づいてこれをなしているものであるが、これに反し本件ソ連抑留のような場合にはその適用法規がない以上裁判所はこれの補償をなすことができない。そしてまたこのことは一時賜金についても同様である。

五、よって原告の請求をいずれも棄却し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山要 裁判官 西川豊長 裁判官 山口忍)

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