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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5094号 判決 1968年12月21日

原告 倉金栄一 外一名

被告 社会福祉法人同愛記念病院財団

主文

一、被告は原告らに対し各金二、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年六月二五日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、この判決は原告らにおいて各自金二五〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

一、当事者の求める裁判。

(一)  原告ら「被告は原告らに対し各金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年六月二五日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

(二)  被告「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

二、原告らの請求原因。

(一)  原告らは訴外倉金直の実父母であつた。

(二)  訴外直は昭和三八年一二月一〇日午前零時過ぎ頃東京都墨田区横網町二番地所在の被告病院四階にある医師用浴室(以下本件浴室という。)で入浴中、一酸化炭素中毒によつて死亡した。

(三)  (本件浴室の瑕疵および浴室管理上の過失)

1、本件浴室内には風呂釜として銅製外釜式三号二段釜が据え置かれ、この釜から排出される都市ガス燃焼後の廃気ガスは、そのまま浴室内に放散される構造となつている。かかる構造である以上、ガス燃焼に要する新鮮な空気を浴室内に供給する一方、燃焼後の廃気ガスを室外に排出するため、換気装置として実開口面積二、三〇〇平方糎(その総面積は鉄板打抜格子の場合で三、八〇〇平方糎)以上の換気口二個を設ける必要があつたのに、実際には浴室の天井部分に金網を張つた一辺一三糎四方の換気孔一個、浴室入口板戸の下部に細板を鎧状に打ちつけた縦三三、五糎、横四二、五糎方形のいわゆる「本製がらり」一個があるだけで、他に窓などの空気の流通を可能にする装置がなく、しかも本件事故当時前記の天井換気孔は、その金網にススがこびりつき排気の用を果さなかつた。

2、そして前記の風呂釜の手入も不十分であつたため、ガスの不完全燃焼を起し、ガスバーナーおよびパイロツトコツク(但し釜の下段のみ)を全開にして点火すると、その廃気ガス中に約〇、一八パーセントの濃度の一酸化炭素を発生させこれが浴室内に放散するような状態にあつた。そのため前記のように換気が十分でない本件浴室では、発生する一酸化炭素が漸次室内に畜積されるとともに、ガス燃焼に要する新鮮な空気が欠乏してきて、ますます不完全燃焼の度を加え、室内の一酸化炭素濃度は急激に増大することとなつたのである。本件事故後に検査したところによれば、風呂釜でガスを燃焼させながら入浴していると、点火後三〇分から一時間内で、入浴者が致死量に相当する一酸化炭素を吸入してしまい、死亡することが明らかにされている。

3、ところで一般に浴室である以上、ぬるくなつた湯を沸かしながら入浴する場合があることは当然予定されており、浴室の設備の安全性は、このような使用方法で入浴する者があることを前提として考えられねばならない。しかるに本件浴室の換気装置は、たとえ釜のガス燃焼器具が完全であつたとしても不十分であり、新鮮な空気の欠乏と排気の不良により、不完全燃焼を発生させ、室内に蓄積される一酸化炭素により人を死亡させるに至るのであるから、その設置保存に瑕疵があつたものといわねばならないし、また前記のように釜のガス燃焼器具の手入れを怠り、不完全燃焼を放置していたことにも、本件浴室の管理担当者の過失があるといわねばならない。

(四)  訴外直は右の換気装置設置保存の瑕疵およびガス燃焼器具管理上の過失により生じた一酸化炭素によつて死亡したのであるから、被告は土地の工作物たる換気不十分な本件浴室の占有者かつ所有者として、またガス燃焼器具の管理を怠つた管理担当者の使用者として、訴外直の死亡による損害を賠償する義務がある。

(五)  (訴外直の経歴および将来の計画)

訴外直は昭和一二年九月一九日に生れ、本件事故により二六才で死亡したものであるが、その間同三七年三月北海道大学医学部を卒業し、日本赤十字社中央病院で一年間のインターン(診療および公衆衛生に関する実地訓練)を了え、同三八年四月六日国家試験に合格し医師の免許を得た。そして東京医科歯科大学において医局員として研鑚するかたわら宿直医として勤務していた被告病院において本件事故に遭遇したのであるが、右大学での二年間の研究生活を終えたならば、昭和四〇年四月から札幌市内において小児科医を開業する計画を持ち、同市内琴似町に医院建設用の土地を確保していた。

(六)  (訴外直の将来得べかりし利益)

ところで厚生省大臣官房統計調査部作成の昭和三九年簡易生命表によれば、満二七年の男子の平均余命は四三・六八年であるから、直(死亡当時満二六年)がかりに本件事故により死亡しなかつたとすれば、右の年数生きられたはずであり、前記の計画どおり昭和四〇年四月満二七年で開業した後四〇年間満六六年となるまで、医師一人が取得すべき平均的利益を取得することができたのである。日本医師会の全国調査を基にして算定した、医師一人の一日平均稼働点数は別紙第一表A欄記載のとおりであつて、これを基礎に同表註記載のとおり計算すると、医師一人の平均収入、経営余剰、生活費控除後の残額は同表該当欄記載のとおりとなり、またこれから一〇年毎のホフマン式計算法により中間利息(年五分)を控除すると、同表G欄記載のとおり得べかりし利益の現価合計額は一四、一四七、〇一二円となる。

(七)  (原告らの精神的損害)

原告らは、長男としてその将来を嘱望し、北海道大学医学部を卒業させた直が、医師国家試験に合格し免許を取得して一人前の医師となつて間もない時期に、不慮の事故死を遂げたことにより、著しい精神的苦痛を受けた。この精神的苦痛に対する慰謝料としては、各自金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(八)  (結論)

被告は事故後原告らに対して金九〇〇、〇〇〇円と葬儀費用として金五〇、〇〇〇円を支払つたのみである。右金九〇〇、〇〇〇円は財産的損害賠償の一部に充当したので原告らは各自被告に対し、慰謝料として金五〇〇、〇〇〇円および原告らがその二分一宛を相続した直の得べかりし利益喪失による損害賠償請求権のうちその一部である金二、五〇〇、〇〇〇円、以上合計金三、〇〇〇、〇〇〇円と本件訴状送達の日の翌日である昭和四〇年六月二五日以降支払ずみまで右金員に対する年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。なおかりに右の得べかりし利益の損害額から控除すべきものがあるとすれば、それを控除した残額のうちから右各金二、五〇〇、〇〇〇円の支払を求めるものである。

三、請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)および(二)の事実を認める。

(二)  同(三)のうち、本件浴室換気装置の瑕疵および燃焼器具管理上の過失の存在を否認する。訴外直が死亡したのは同人の過失によるものである。

1、本件浴室内のガス器具の設置および換気装置が請求原因(三)1記載のとおりであつたことは認める。ただし浴室内天井の換気孔に多少のススが附着してはいたけれども排気の機能を果していなかつたことはない。

ところで本件浴室の面積は縦二、三一米で坪数にして一、四七坪(四、八五平方米)あり、しかも天井高が三、一〇米あつて浴室の高さとしては一般のものより相当高いそして前記の「がらり」が設けられた浴室入口板戸を隔てて脱衣場があり、そこには浴室内の換気を良くするため、その廊下側に縦一四糎、横三五糎の小窓一個、また天井部分には直径七五糎の円形換気孔一個と一三糎四方の換気孔一個とが設けられてあつた。しかしてこれらの換気装置は、昭和三二年東京瓦斯株式会社の紹介によつて、浴室工事の専門家たる訴外有限会社川尻商会が施工したものであり、その当時ガス風呂設備について東京瓦斯が行つていた指導方針にも適合していたのである。従つて後に東京瓦斯の指導方針が変更され、廃気ガスを屋外に排出する煙突を設置すべきこと等が新たに付け加えられたとしても、それ以前に設けられた本件浴室については従来の指導方針によりその安全性を判断すべきである。

2、原告らはガス燃焼を継続するならば、三〇分から一時間の間に入浴者が致死量に達する一酸化炭素を吸入するというが、その算定に用いられた方法は空気中の一酸化炭素濃度が一定であることを前提とするのであつて、本件の場合のように、一酸化炭素濃度が当初の極めて僅かな状態から漸次増大する場合には、原告主張の時間よりも長時間の吸入を続けなければ死亡することはないのである。また一酸化炭素の比重は空気より軽く本件浴室のように高さが三、一〇米もあるところでは、立つている人間の頭上の方に濃度の高い一酸化炭素が偏つて分布するので、人の吸気中の濃度は低く、入浴者が相当長時間室内にいる場合にはじめて気持が悪くなる程度にすぎない。なお原告らはガス燃焼器具管理の過失をいうが、通常の手入れはしており手入れを怠つたことはない。

3、ところでガス風呂における一酸化炭素中毒死の危険性が一般に知れわたつている以上、本件浴室のように燃焼後の排気ガスが室内に放散されるところでは、湯を沸かした後にガス栓を止めて入浴すべきであり、やむを得ずガスを燃やし湯を沸かしながら入浴する場合でも、万一に備え浴室入口の扉を開けておくべきである。浴室の安全性は右のような入浴方法を前提として判断すべきであり、原告主張の方法を前提とすべきではない。本件浴室でも入口扉を開ければ前記のように多数の換気装置を備えた脱衣場があり、多少の一酸化炭素が発生しても脱衣場を通して十分放散されて危険なことはないのであるから、構造上の瑕疵ありとはいえない。訴外直は医師として十分ガス風呂の危険性を知りながら注意を怠り、扉も開けずに入浴したため死亡するに至つたのである。

4、またたとえガスを燃やし湯を沸かしながら、扉も開けずに入浴することが許されるとしても、そのガス燃焼時間は入浴できる温度の湯を適温まで沸かすだけの時間に限られているものと考えられ、本件浴室の場合冷水から適温までの燃焼所要時間が三〇分程度であるから、右の所要時間は最大限一〇分程度にすぎない。そうするとかりに原告主張のとおり一酸化炭素が蓄積されるとしても右の所要時間内に入浴者が死亡することはありえないのであつて、この点より見ても本件浴室には構造上の瑕疵はない。本件の死亡事故は訴外直が貧血を起し倒れたため、異常に長時間ガスが燃えつづけたことによるか、その他の異常事態によつて発生したものであつて、本件浴室の設備によるものではない。

(三)  請求原因(四)のうち、被告が本件浴室の占有者でありかつ所有者であること、またガス燃焼器具管理担当者の使用者であることは認めるが、その余は争う。かりに本件浴室における廃気ガスの排出が不十分であつたとしても、それは土地の工作部たる浴室の瑕疵ではなく、風呂釜および煙突等からなるガス燃焼設備の瑕疵によるものである。すなわち廃気ガスを排出しようとしても、浴室内の気温は保たねばならないから、これまで以上の大きな換気口を設けることはできず、結局煙突を設けて廃気ガスを直接室外に導く以外に方法はない。

とすると、本件浴室で欠けていたのは右の煙突であり、それはガス燃焼設備の一部であつて土地の工作物たる浴室の一部ではないからである。そしてこのようなガス燃焼設備の瑕疵による事故の責任は、その工事を担当した者すなわち訴外川尻商会が負うべきであつて、ガス風呂の知識を持たずまたそのため全面的に工事を任さざるを得なかつた被告が負うべきものではない。また燃焼器具の管理に手落ちがなかつたことは前述のとおりであるから、被告には全く責任はないのである。

(四)  請求原因(五)のうち、東京医科歯科大学での研究生活を終えた後の訴外直の計画および札幌市内に医院建設用の土地を確保していた事実は不知、その余の事実は認める。

(五)  同(六)の事実は否認し、同(七)の事実は争う。

(六)  同(八)は争う。

四、被告の抗弁

(一)  (訴外直の過失)

かりに本件事故につき被告の責任ありとしても、被害者たる訴外直にも下記のとおり過失がある。

1、本件浴室の風呂は夕方五時頃から七時頃までに入浴できるよう湯を沸かしてあり、特別の事情がないかぎり右の時間に入浴すべきこととされていた。事故当夜の宿直業務は閑散で右の時間に入浴できたにもかかわらず、訴外直は午後一二時頃まで無駄に時間を費したため、さめた湯を沸かして入浴することとなり、本件事故に遭つたのである。このように本件事故は直が自から招いたものであり、同人に過失がある。

2、前述のようにガスに点火して入浴する場合には、危険を防止するため浴室の窓や入口を開けておくべきでありこれは一般人であつても常識上知つていることである。しかも訴外直は医師として一般人より以上にガス風呂の危険性を知つていたのであるから、同人が入口の戸を開けずにガスを燃やしていたのは、重大な過失である。

3、また前記のようにさめた湯を適温に沸す場合でも、その燃焼所要時間は一〇分程度にすきず、この程度のガス燃焼で入浴者が死亡することはありえない。そうとすると本件事故の原因は、訴外直が入浴中脳貧血を起し失神したか、あるいは長湯を続けて何回も湯に入つたため必要以上にガスを燃やし続けたか、その他被害者側の特別な理由で、長時間ガスを燃焼させたことによるものといわざるを得ない。訴外直にはこの点においても過失がある。

4、さらに一酸化炭素中毒の特徴として、意識不明となる前に多少の異常を感じる段階があり、さらに進むと頭痛謳吐を覚える段階がある。普通人であれば、右の段階において入口扉を開ける等の危害予防の措置をとることができるのに、直はその措置をとつていないのであり、同人にはこの点においても過失がある。

(二)  (時効の抗弁)

原告らは得べかりし利益の損害賠償請求において、最初訴状においては一部請求として各自金二、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求め、後に昭和四二年一二月一四日裁判所に提出した書面により請求金額を各自金二、五〇〇、〇〇〇円に拡張した。しかし原告らが損害および加害者を知つたのは本件事故直後であり、少くとも昭和三九年一月七日原告らが被告に対して損害賠償請求の意思表示をした際には、右の事実を知つていたのであるから、右の請求拡張部分を含め、訴状で請求されなかつた残額は右の日から三年を経過した昭和四二年一月六日に時効消滅している。したがつてまた前記の過失相殺は得べかりし利益の全額について行うべきでなく、時効消滅を免れた当初の請求額について行うべきである。

(三)  (災害補償)

原告らは昭和三九年三月末頃直の死亡事故について向島労働基準監督署より労働者災害補償保険法による所定の給付として金九五四、〇〇〇円を支給されている。

五、抗弁に対する原告らの答弁

(一)  抗弁(一)のうち訴外直に過失があつたとの事実を否認する。

1、同(一)の1は争う。直が当直勤務についていた以上、急患の外来患者が来院するおそれがなくなつた午後一二時頃入浴したことは当然であり、責を問われるすじあいはない。

2、同2も争う。事故が起つたのは一二月であるから保温上入口扉を開けるよう求めるのは無理であり、むしろガス風呂を設置した被告の方でガス風呂の危険を防止するため排気および換気設備を完備すべきであつたのである。

3、同3を争う。ガス燃焼の所要時間が一〇分程度にすぎないとの事実は争う。事故が起つたのは一二月であるから気温が低く湯をわかす時間も長くかかり、また上り湯を使う必要があること等を考えれば、ガス燃焼時間が三〇分以上に亘つたとしても不思議ではない。また本件浴室の換気は非常に悪いから、夕方湯を沸かした際発生した一酸化炭素が午後一二時に入浴した際にもかなり室内に滞留していたものと考えられるから、ガス点火後三〇分たたないうちに一酸化炭素中毒に陥ることもありうるのである。

4、同4を争う。一酸化炭素中毒の症状は被告主張のそれに限られず、吸入する一酸化炭素の濃度が高く、浴室内のように気温が高い場合には、症状が急激に通行し危害予防の手段がとりえないこともある。本件浴室の場合点火後約一八分たつたとき浴室入口附近ですでに約〇、二六パーセントの一酸化炭素が検出されているから、直が入浴していた風呂釜近くの浴槽附近ではより以上の濃度の一酸化炭素があつたものと考えられるが、一酸化炭素の許容濃度は〇、〇一パーセントであり、右の〇、二六パーセントの濃度では急激に症状が進行し、運動麻痺が起り意識不明となつて、危害予防手段をとりえなかつたものと考えられるのであつて、同人に過失ありとすることはできない。

(二)  抗弁(二)の時効消滅の主張は争う。本件訴状での得べかりし利益の請求は一部請求であるが、その残額も同一の請求原因に基づくのであるから、訴状の請求中には損害賠償額全額についての確認請求が含まれており、訴状の提出による訴訟係属の効果およびこれによる時効中断の効果は、残額についても生じるものと解すべきである。

(三)  災害補償金を受領したことを認める。但しさきに述べた通り、これを得べかりし利益に充当してもなお一〇、〇〇〇、〇〇〇円以上の損害が残つている。

六、立証<省略>

理由

一、原告らが訴外倉金直の両親であつたこと、および同人が当直医として勤務していた東京都墨田区横網町二番地所在の被告病院において、昭和三八年一二月一〇日午前零時過ぎ頃病院四階の本件浴室で入浴中、一酸化炭素中毒により死亡したことは当事者間に争いがない。

二、本件浴室の設備構造について。

当事者間に争いがない事実、ならびにいずれも成立に争いのない甲第六、七号証および乙第二、四号証によれば、本件浴室の設備構造は次のとおりであつたことが認められる。本件浴室は鉄筋コンクリート造り四階建建物の四階にある医師用浴室であつて、東西約二・一〇米、南北約二・二八米、高さ約三・一〇米、容積一四・八立方米の一室であり、その南西隅にある入口扉を隔てて東西約一・三五米、南北約二・二八米の脱衣場につらなつている。浴室内の東北隅には内法縦六三・五糎、横九四糎、深さ六七・五糎のコンクリート製浴槽があるが、その南側には隣接して高さ約一・二五米、直径三七糎の銅製外釜式三号二段釜が据え置かれ、右の浴槽と二本の循環パイプで連結されてあり、右の釜の上段焚口には上り湯用に雰号バーナー(公称ガス消費量毎時一・六立方米)一個、下段焚口には浴槽用の三号バーナー(公称ガス消費量毎時三・七立方米)一個が附属している。右風呂釜の燃料は訴外東京瓦斯株式会社から供給される都市ガスであるが、燃焼後の廃気ガスを直接室外に排出する排気筒(煙突)が設けられておらず、廃気ガスは風呂釜上端に取付られた高さ約一五糎の煙突から、そのまま浴室内に放散される状態となつていたが、浴室内の四周はコンクリート製の壁であり、天井にガラスをはめた明りとり一個がある他窓一つない構造であるので、室内の換気は殆んど次に述べる換気装置によらざるを得ない状態にあつた。しかしてその換気装置としては、前記の浴槽上部の天井に金網を張つた一三糎四方の換気孔一個があるほかに、前記の入口扉の下部に木製の細板を鎧状にとりつけた縦約三三・五糎、横四二・五糎のいわゆる「木製がらり」一個があるだけであるが、入口扉を隔てた脱衣場にはその南西隅の高さ約二・一〇米の壁面に、建物内の廊下に向つて開口する縦約一六糎、横約三六糎の換気口一個があり、天井部分にも排気孔が設けられてあつた。以上の事実が認められ、この認定を覆すべき証拠はない。

三、ガス燃焼器具の保守管理について。

前記認定のとおりガス燃焼後の廃気ガスがそのまま室内に放散される本件浴室では、ガス燃焼器具の保守管理を怠たり、不完全燃焼による一酸化炭素を発生させるならば、後述の換気の不充分とあいまつて、重大な危険を招くおそれがあることは明らかであるが、本件事故後二日目に本件浴室の検査をした証人野々村真一の証言と、同人の作成にかかり成立に争いのない甲第七号証によれば、本件風呂釜下段三号バーナーの大小手許コツクおよびパイロットコツクをいずれも全開状態にしてガスに点火すると、点火直後の新鮮な空気が供給されてもなおその廃気ガス中に約〇・一八パーセントの濃度の一酸化炭素が検出される状態にあつたことが認められる。ところで成立に争いのない甲第九号証に示された算式により、右三号バーナー(公称ガス消費量毎時三・七立方米)の廃気量を計算すると毎時約三七・七立方米となるが、前記認定のとおり本件浴室の容積は約一四・八立方米に過ぎないから、新鮮な空気の不足等によつて前記の廃気ガス中の一酸化炭素濃度が上昇しないと仮定しても、排気が不充分であれば、短時間のうちに浴室内の空気が前記の濃度に近い一酸化炭素によつて汚染されてしまうこととなるわけであるが、これまた成立に争いのない甲第一九号証の一、二によれば、一酸化炭素は極めて毒性が強く、空気中に〇・一パーセント含まれているだけでも生命に危険があるのであるから、本件風呂釜における不完全燃焼の度合は著しいものがあるといわねばならない。しかして本件の全ての証拠を精査しても、ガス燃焼器具自体の構造に瑕疵があつたという証拠はなく、かえつて証人宮崎嵩司の証言と前掲甲第七号証によれば、本件事故の前年である昭和三七年に行われた東京瓦斯による都市ガス熱量の上昇措置の際には、ガス器具の調整が行われていたことが認められるので、ガス器具自体に原因があるとは考えられないから、結局右のように著しい不完全燃焼が発生した原因は、バーナーの炎口やススでつまつた風呂釜を掃除する等のガス燃焼器具の保守管理を怠つていたことによるものと判断せざるを得ない。証人鶴岡千代、同河村静逸は、異常がみとめられたときは被告病院経理課の課員の手で、バーナーの掃除等を行つており、保守管理を怠つたことはなく、ガス燃焼器具に異常はなかつたと供述するけれども、右に認定したところから措信できず、被告病院のガス器具保守管理の担当者には、保守管理を怠つた過失があるといわざるを得ない。

四、換気装置の設置保存について。

(一)  成立に争いのない甲第九号証と証人宮崎嵩司の証言によれば、浴室に十分な換気装置が設けられていないときには、燃焼後の廃気ガスが室内に滞留するとともに、新鮮な空気が欠乏して不完全燃焼を起し、時間の経過とともにますますその度を加えて危険であるので、東京瓦斯株式会社ではガス風呂の設計者や建築家のために排気筒、換気口の設置基準を設けてこれを流布しており、昭和四一年に定められた基準によると、浴室内に本件と同じ三号二段釜を据えつけた場合には、直径一二〇粍の廃気ガスを直接室外に排出する排気筒(煙突)一本を備えるとともに、実開口面積(換気口の総面積のうち格子部分等を除いた実際に空気の通過する開口部の面積)二三〇平方糎の換気口を浴室の床面附近と天井近くに各一個設ける必要があり、かりに右の排気筒を設けないときには、実開口面積九一〇平方糎の換気口を右と同様二個設ける必要があることが認められる。しかるに本件浴室には前記認定のとおり入口扉下部に総面積約一四二四平方糎(前記の甲第九号証を参考にして計算するとその実開口面積は約四九六平方糎である)の「木製がらり」一個が取付けてあるが、これとて右の基準に達せず、天井部分の金網を張つた換気口は総面積わずかに約一六九平方糎にすぎない。しかも成立に争いのない乙第四号証と原本の存在および成立に争いのない甲第一六号証によると、右天井部分の換気口の金網の間隔は一粍程度であるが、それに〇・三ないし〇・五粍の厚みで全面にわたつてススが附着しており、煙草の煙でその吸引排出度合を検査してみると殆んど吸引排出の能力が認められなかつたというのであるから、本件浴室の換気装置の規模およびその存在の状態は前記の東京瓦斯の定めた基準に遠く及ばないものといわねばならない。

ところで被告は、本件浴室工事は昭和三二年に工事の専門家である訴外川尻商会に依頼して施工したもので、その当時の東京瓦斯の指導基準にも適合しており換気装置に瑕疵はなく、その後東京瓦斯の定める基準が変更されたとしても、それが故に瑕疵ありとすることはできないと主張するが、証人川尻三郎の証言によると、右の工事をした昭和三二年頃は未だ東京瓦斯の指導基準が明確でなく、施工業者自身の判断で工事をしていたが、その判断とて客観的な調査に基いたものではなかつたというのであり、またその後昭和三七年には前述のとおりガス熱量が上昇し、これに伴いガス燃焼に要する空気量も大巾に上昇した(同証人の証言によれば必要空気量は従来の五倍以上となつたという)のであるから、それ以前の基準があつたとしても、それはすでに本件事故当時には適用不可能となつたものというべきであつて、被告の主張は採用できない。

しかして前掲証人宮崎嵩司の証言によると、前記の東京瓦斯の定めた基準は、同社の研究所において種々の実験と計算に基づき決定されたものであるから、その値は換気装置の安全性を判断するにつき重要な参考資料であるといわねばならないが、しかしなにぶんにも同証人の証言によると、右の基準は浴室内に廃気ガスや一酸化炭素を殆んどとどめないよう定めた、最も厳格なものであるというのであるから、その基準に達しないというだけでは、本件浴室の危険性を具体的に知ることはできないので、以下にこの点の検討を行なうこととする。

(二)  証人野々村真一の証言および前掲甲第七号証によれば、前記の下段三号バーナーの燃焼を継続すると、一八分後には浴室入口附近の人の胸位の高さの空気中に、約〇・二六パーセントの濃度の一酸化炭素が検出されたことが認められる。ところでこの濃度は、前記の点火直後の廃気ガス中の一酸化炭素濃度約〇・一八パーセントを、すでに相当上まわつているのであるから、本件浴室ではガス器具の管理不良による不完全燃焼に加え、換気が十分でないことによる不完全燃焼が起つていたことは明らかであるが、右の検査結果により本件浴室における一酸化炭素の危険度を算定すると、前掲証拠によれば、入浴者がガスに点火しながら入浴している状態では、点火後三〇分から一時間内に致死量に相当する一酸化炭素を吸入し、死亡するに至ることが認められる。被告は本件浴室のように当初の一酸化炭素濃度が極めて低い段階から漸次増加する場合には、野々村証人の採用した算定方法は相当でなく、また一酸化炭素と空気との比重の差を考えると一酸化炭素は人の頭上に偏つて分布するから、致死量相当の吸入をするまでの時間は前記の時間より長いはずであるというが、同証人の証言によれば、その算定方法には相当の理由があると認められるので、右の主張は採用できない。

ところで被告はさめた湯を適温にまで沸かすときのガス燃焼所要時間は、本件の風呂の場合約一〇分程度にすぎないから、その間に発生する一酸化炭素では入浴者が死亡することはないはずで、直が死亡した原因は他にあり、本件浴室には危険はないと主張する。なるほど証人宮崎嵩司の証言によると、本件の浴槽に七割ほどの水を入れその温度を一度上昇させるためのガス燃焼時間は、計算上一分八秒程度であり、入浴可能な最低限の温度約三七度から適温である四二度までに上げる時間は五分四〇秒程度であるというのであるから、被告のいう温度低下のための追い焚きの時間は、風呂釜やガス燃焼器具の効率が相当低下していたであろうことを考慮に入れても、約一〇分程度と考えられ、その場合には追い焚きの時間中に吸入する一酸化炭素の量が少なく中毒症状はあらわれないこととなる。しかし追い焚きが必要となるのは湯の温度低下の場合に限らず、先に入浴者があつたため湯量が減少した場合にも必要となるのであり(証人鶴岡千代、同河村静逸の証言によると、直が入浴する前に二、三人の入浴者があつたことがうかがえる)、又当人の入浴中の使用による湯量減少に伴う追い焚きもあり、これらの場合のガス燃焼時間が相当長くなることは見やすい道理であるから、被告主張のようにガス燃焼時間を限定して浴室の安全性を論ずるのは相当でない。しかも証人野々村真一の証言によると、本件浴室内の換気の程度はかなり悪く、一時間に一回程度と考えられるというのであるから、入浴前発生していた一酸化炭素が相当量残留している可能性は十分あり、これに追い焚きの際発生する一酸化炭素が加わり、長い間室内に滞留することとなるので中毒事故の危険性は相当高いといわねばならず、さらにいずれも成立に争いのない甲第一八号証の三、乙第一一号証によると、浴室内のように高温多湿のところでは、中毒症状の発生進行が一般の場合に比べ相当早いことが認められており、このことも本件浴室の安全性を考える上において考慮に入れられねばならない。

しかして前掲甲第一八、一九号証の各二によると、一酸化炭素の中毒事故では致死量相当の吸入をするより先に、眠気におそわれたり、意識不明とならないでも四肢の運動麻痺が起つて、自から室外に退避する等の手段を採りえない状態になることが知られており、このことの上に既に述べた種々の悪条件を考え併せると、前記認定のような一酸化炭素の発生状態でも、本件浴室内で入浴者の死亡事故が発生する危険性は十分あつたものと認めるのが相当である。被告は本件事故の原因が直の脳貧血による失神や、必要以上に長湯を続けたことによる長時間のガス燃焼にあると主張するが、かかる事実を直接認めるべき証拠はないし、またこれ以外に一酸化炭素による中毒死を起こすことが考えられない程危険性の少ない浴室でないことは、右に述べた通りである。

(三)  さらに被告は、ガス風呂における一酸化炭素中毒死の危険が一般に知れわたつている以上、ガス燃焼中は入浴しないでおくか、やむを得ず入浴する場合でも浴室入口扉を開けるなどして換気を良くしておくべきであり、ガス風呂の安全性は入浴者が右のような措置をとることを前提として判断すれば足りると主張するので、この点につき検討を加える。

たしかに常時ガス風呂を使用する者あるいは一酸化炭素中毒の知識がある者の間では、ガス風呂に入浴する際の心得として換気に注意すべきことは広く知られており、直は内科、小児科の医師であるから、ガス中毒の危険につき知識あるものとして、右のような注意義務を負うものと認めて妨げないものというべきである。しかしながら、かかる注意義務を負う者であつても、専門的知識に欠ける以上、現に換気装置がある場合に、その装置によつても換気が不充分かどうかまで判断する能力はないのであるから(この点は一般人であると直のように医師であるとにより差異を認めえない)、事前に当該浴室の危険性を知りうべきであつた場合は格別、現存の換気装置のほかに窓や入口扉を開けるなどの特別の換気の措置をとらなかつたからといつて、重い過失を認めるべきではない。本件においても直は入口扉を開けずガスに点火入浴していたことが認められ、この点で過失があつたことは否み難いが、同人は時々本件浴室を利用していただけであつて(この事実は証人河村静逸の証言により認める)、換気装置の性能につき格別知識を有しなかつたものと認められるし、被告より注意を与えたことを認むべき証拠はないから、一二月一〇日という寒い時期に、現存する換気装置に信頼して、右のように入口扉を開けずガスに点火入浴したことを取上げて重大な過失ということはできない。

そして入浴中ガスに点火し、湯を沸すことは日常多数経験されることであるが、その際必らず前記の注意が守られるとは限らず、むしろ浴室である以上入浴者が一日の疲れをいやすため気持をゆるめていて、無意識のうちに前記の注意を怠ることも十分考えられるのであり、殊に本件の事故が起つた一二月のように寒い時節には、保温上入口扉を開け難いこともありうるのであるから、入浴者が入口扉を開けることを前提に、本件浴室の安全性を考えることは当を得ないものというべきであつて、被告の主張は採用し難い。

(四)  以上検討して来たところによれば、本件の死亡事故が発生した原因は、ガス器具の保守管理上の過失だけではなく、換気装置の規模があまりにも小さく、またその保存が十分でなかつたことにあると認めるほかなく、この判断を覆えすべき証拠はない。

五、土地工作物の責任について

ところで被告が本件浴室の占有者であり所有者であることは当事者間に争いがないから、前記の換気装置の設置保存の瑕疵につき、土地工作物の責任(民法第七一七条)を負うべきか否かを検討すると、たしかに被告がいうとおり本件浴室に十分な換気装置を設けるとすれば、換気口だけではその面積が大きすぎて室内の保温上問題があるので、寧ろ換気口の他に排気筒(煙突)を設けるべきであることは、すでに認定したところから明らかであり、その排気筒が風呂釜と一体となつて、ガス燃焼設備の一部を構成していることも、被告主張のとおりであるが、それが故に排気筒が土地の工作物である浴室の一部ではなく、被告には土地工作物の責任を負うべき理由がないとする被告の所論は採用できない。けだしもともと排気筒の機能は、排気の用を果す上部換気口と同様、廃気ガスを室内に残留させないようにして空気中の酸素の欠乏を防ぎ、よつて不完全燃焼による一酸化炭素の発生を予防する一方、万一にも一酸化炭素が発生した場合にはこれを室内に放散させずにおくことにあり、ガス燃焼を完全ならしめる機能は、そのまま浴室における一酸化炭素中毒事故を防止する機能となるのである。そして民法第七一七条にいう土地の工作物の中には、ガス風呂を設置した浴室のように設備如何によつては中毒事故の危険のあるところでは、浴室の本体そのものだけでなく、浴室に設置してその安全性を確保する換気口や排気筒も含まれるものと解するのが相当であるからである。

以上のとおりであるから被告は換気装置の設置保存に瑕疵がある本件浴室の占有者かつ所有者として、またガス燃焼器具の保守管理を怠つた担当者の使用者として(被告が保守管理担当者の使用者である事実は当事者間に争いがない)、直の死亡による損害を賠償する義務がある。

六、得べかりし利益の算定。

(一)  当事者間に争いなき事実、成立に争いのない甲第三号証の一、二、ならびに原告倉金栄一本人尋問および鑑定人桜一郎の鑑定の結果によると、直は昭和一二年九月一九日原告ら夫婦の長男として生れ、昭和三七年三月北海道大学医学部を卒業した後、上京して一年間日本赤十字社中央病院でインターン(診療および公衆衛生に関する実地訓練)を了え、同三八年四月六日国家試験に合格し、医師の免許を取得した者であるが、必要な修練を経た後は自己の専攻科目である小児科医を開業する目的もあり、その後は東京医科歯科大学において博士の学位を取得するため研究生活を続けていたのであるが、同年一二月一〇日臨時に当直医として勤務していた被告病院において、本件事故に遭い死亡したものであること。通常博士の学位をとるための所要年数は、直のように研究生である場合、四年といわれており、また一般に大学卒業後開業するまでの必要修業年限は、内科小児科医の場合四年ないし五年と考えられているが、このような医師としての修練に加え、医院の土地建物の取得などの経済的条件が整えば、開業可能と考えられるところ、直の場合将来の開業にそなえ、札幌市北三九条西五丁目(旧町名新琴似町)に三〇〇坪余の土地(原告倉金栄一の所有地)が用意してあり、またその他の必要資金も、原告栄一の資金援助や医療金融公庫等からの借入れによりまかなえる態勢にあつたこと。また小児科医を専門とする場合でも一般の開業医では内科を併せて行う者が大部分であるが、その場合健康な限り相当高年令まで医療に従事することが可能であるところ、厚生省大臣官房統計調査部作成の昭和三九年簡易生命表によれば、満二六才(直の死亡時の年令)の男子の平均余命は四四、七八年であり、直は健康であつたから、本件事故がなければ直はなお七〇才位まで生きえたであろうと認められること。以上の事実が認められる。

右の認定したところによれば、直が将来医師として得べかりし利益を算定するにあたつては、前記の土地で内科、小児科の医院を開業するものとし、その開業の時期を昭和四三年四月満三〇才の時とし、稼働可能の年限を満六五才までとするのが相当である。

(二)  ところで鑑定人は、直が昭和四〇年四月満二七才で開業するとの前提に立ち、種々の統計資料および実地調査に基づき、満六五才までの医療収入その他を年毎に積算することにより、医療収入総額を金三三二、〇七五、〇〇〇円、医療支出総額を金一九三、八三二、〇〇〇円、諸税金(所得税、道市民税)総額を金四一、三四一、〇〇〇円、生活費総額を金六六、七八〇、〇〇〇円と算定し、これにより税金および生活費控除後の純利益として金三〇、一二二、〇〇〇円という値を得ているのであるが、鑑定書の記載および鑑定人本人尋問の結果によれば、右各金額の算出根拠および算出経過は相当と認められるので、本件においても右鑑定における数額につき下記のとおり修正を行つたうえ、これを算定の基礎として採用することとする。

(1)  まず直の開業の時期は、前記のとおり鑑定のそれより三年後の昭和四三年四月満三〇才の時となるから、鑑定によつて得られた医療収入および支出の額はこの点で修正を免れない。そこで前記の鑑定書の記載と鑑定人本人尋問の結果により考えてみると、満三〇才で開業した場合に最も高い医療収入が得られる年令は満三八才と考えられ、その際の医療収入は鑑定における最盛時三五才の時の年間収入金一〇、六五〇、〇〇〇円とほぼ同額と認められるところ、右鑑定書の附表第一〇(年令別一日平均診療収入推移予想表)を参考にして、年令と医療収入の推移との関係を考えてみると、本件の場合三〇才時に右鑑定における二七才時(開業時)の収入を、また六五才時に同様六五才時の収入を得るものと考えて誤りないから、これらの値を最低値として、三〇才時から三八才の最盛時まで、右の附表の二七才から三五才(鑑定における最盛時)までの上昇率と同様収入が上昇し、三八才から六五才までは、三八才時の収入が前記のとおり最も高く右の鑑定における三八才時の収入より若干上まわる関係上、右の表における三八才以降六五才までの下降傾向より若干急に減少するものと考えられる。以上のような年令と収入の推移との関係を前提として、各年令における収入額を検討してみると、三八才時(最盛時)の収入は前記のとおり金一〇、六五〇、〇〇〇円であり、右の鑑定における三八才時の収入金一〇、六〇二、〇〇〇円を若干上まわるだけであるから、本件における三八才以降六五才までの各年の医療収入額は、鑑定において得られた三八才以降六五才までの各年の収入と同額とみてさしつかえなく、また三〇才(本件における開業時)以降三七才までの各年の収入は、鑑定における二七才(開業時)以降三四才までの各年の収入とほぼ同額と認めてよいこととなるが、病床の設置による入院収入の取得時期が鑑定のそれより多少遅れることや毎年の利息の支払が若干上昇することなどを考慮に入れると、本件における最盛時に近い三七才時の医療収入および後記の理由により医療支出をともに零とみなして算定することにより、過大な収入を見込む危険はなくなり、妥当な修正を行いうるものと考えられる。

以上により三〇才開業とした場合の収入減を検討したわけであるが(収入減の総額は金四二、一三〇、〇〇〇円となる)、医療支出は医療収入に対応するものであるから、医療収入と同様医療支出も減額すべきこととなる。そこで本件では、医療収入の修正について述べたと同様の理由により、鑑定において得られた二七才以降三三才までの各年の医療支出額を、本件における三〇才以降三六才までのそれとみなし、また三八才以降六五才までの各年の医療支出については、鑑定の額をそのまま算定の基礎とすることにより(ただし後記の敷地地代等医療支出額に影響ある事項があるが、それは別途に算定することとする)、必要な修正を行いうるものと考えられる(これによる医療支出の総減少額は金二三、三三二、〇〇〇円である)。

(2)  次に鑑定では原告栄一から直に提供される前記の医院敷地の地代支払、および同原告からの借入金約五、〇〇〇、〇〇〇円の利払を考慮に入れていないが、直の得べかりし利益を算定する以上、これらもまた医療支出として控除しなければならない。鑑定人本人尋問の結果によれば、前記の医院敷地の時価は昭和四二年当時金一六、〇〇〇、〇〇〇円程度であつたと認められるので、年間の相当地代は多くともその六分金九六〇、〇〇〇円となり、これを開業期間中の各年の医療支出に加算すべきこととなる(その総額は金三四、五六〇、〇〇〇円である)。そして原告栄一からの借入金の利払については、一〇年後には返済されると考えるのが相当であるから、開業後一〇年間年利八分の割合(この程度の利率が相当である)による年間利息金四〇〇、〇〇〇円を支払うものとしなければならない(支払利息の総計は金四、〇〇〇、〇〇〇円である)。

(3)  以上により鑑定の純利益の額を減額すべき事由を検討したこととなるが(その総計は前述のところから金五七、三五八、〇〇〇円となる)、これとは反対に鑑定では、本来損益相殺の対象とはならない税金(所得税および道市民税と扶養家族の生活費を控除しているから、この誤りを正さねばならない。

けだし、扶養家族の生活費が収入を得るための必要経費でないことは明らかであり(最高裁判所昭和三九年六月二四日判決、民集第一八巻第五号八七四頁参照)、また税金についても、収入を得るための経費でないことはもちろん、後記法律の趣旨からも、損益相殺の対象として控除すべきではないからである。すなわち所得税法第九条第一項第二一号は「損害賠償金で、心身に加えられた損害に基因して取得するもの」につき、これを非課税所得としているが、もともと税金は、その対象となる収益の本体が将来得べかりし利益であつても、損害賠償金のようにそれが換算されて現実の収益となる限りでは、これに対して課税しうるのであるから、右のように特に非課税とした法の趣旨は、人の生命身体の保護を厚くすることにあると考えられるところ、損害賠償額の算定において税金を控除することとしたのでは、右の法の趣旨は全く生かされないこととなるからである。

ところで鑑定人尋問の結果によると、鑑定における生活費の算定では、夫婦と子供三人の家族を前提にしたことが認められ、またたとえ一家の主人たる者の生活費であつても、経験則上家族全体の生活費の半額を上まわるものとは考えられないから、本件においては直本人の生活費として鑑定における全家族の生活費の半額を計上すれば足り、これを各年令の経営余剰から控除すべきこととなる(その総計は金三二、二二〇、〇〇〇円となる)。

そして前記のとおり税金を控除すべきではないから、鑑定で得られる各年令の税金(総計金四一、三四一、〇〇〇円)の控除は行わないこととする。

(三)  以上必要な修正を加えたうえ、鑑定書附表第一五および第一六に示された数額を基礎に、医療収入、医療支出、医院敷地地代、原告栄一からの借入金の利息および直本人の生活費を五年毎に集計してみると、別紙第二表収支明細表各欄記載のとおりとなり、純利益の額は同表該当欄記載のとおりとなる(純利益の総計は金四八、六六五、〇〇〇円である)。

そこで五年毎に集計された右の純利益について、それぞれその最終年にその利益を得ることと仮定し、年利五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除して、昭和三九年一月一日現在における現価を計算すると、別紙第三表純利益現価計算表各欄記載のとおりとなり、その総計は金二一、四二二、〇一八円となる。直が死亡したのは同三八年一二月一〇日であるから、その死亡時の現価は、翌年一月一日現在の現価とほぼ同額とみてよいから、結局直の得べかりし利益は以上を綜合して金二一、四〇〇、〇〇〇円と考えるのが相当である。

七、過失相殺について。

(一)  被告はまず、直が本件浴室の通常の入浴時間に入浴せず、いたずらに時間を費し深夜になつて入浴したため、本件事故が発生したものであり、この点で過失があると主張するけれども、証人鶴岡千代の証言によれば、本件浴室の入浴時間は特に定められておらず、当直医が都合により自由に入浴時間を選びうることとなつていたことがうかがわれるので、直が深夜になつて入浴したことには格別の過失を認めることはできない。

(二)  次に直が浴室入口扉を開けないまま、ガスに点火入浴していたことには、前述のとおり同人の過失があるというべきであるが、すでに検討したところ(理由四項(三))から明らかなように、その過失は重大というまでにはいかない。

(三)  さらにまた被告は、さめた湯を適温まで沸すガス燃焼時間が短いことを理由に、本件事故の原因は浴室になく、直が入浴中失神したか、あるいは長湯をして必要以上ガスを燃やし続けたか、いずれにしても被害者である直の側に事故を惹起した原因があると主張するが、前記認定のとおり(理由四項(二))本件浴室では身体に異常がなくまた通常の入浴方法をとつたとしても、事故発生の危険があることが認められるのに対し、被告主張の原因を認めるべき証拠はないから、この主張も採用できない。

(四)  最後に被告は、普通人であれば一酸化炭素中毒で意識不明となるまでに、異常を感じ自から危害予防の措置を採りうるのに、直がその措置を採つていないのは同人に過失があつたことの証左であると主張するけれども、証人宮崎嵩司の証言によれば、不完全燃焼により一酸化炭素が発生していても、それに気付かずに死亡してしまうことがあることが認められるし、また前掲甲一八号証の二によれば、意識不明となる迄に四肢の運動麻痺が起り、その場から逃れられなくなつて死亡することがあるというのであるから、被告主張の前提自体疑問であり採用し難い。

(五)  以上のほか直の過失を認めるべき証拠はないから、本件においては前記(二)の過失を斟酌すべきこととなるが、その過失の程度を考えると、過失相殺として得べかりし利益の損害のうち三割を減額するのが相当である。

八、災害補償による減額について。

原告らが労働基準法に基づく災害補償金として金九五四、〇〇〇円の支払を受けたことは争いないから、被告は上記金額の限度において直の得べかりし利益の賠償債務を免れたものである(労働基準法第八四条第二項、最高裁判所昭和三七年四月二六日判決、民集一六巻四号九七五頁)。

九、原告らの精神的損害と慰謝料について。

原告倉金栄一本人尋問の結果によると、原告らは長男としてその将来を嘱望していた直が、北海道大学医学部を卒業し、国家試験に合格し一人前の医師となつて間もない時期に、不慮の事故死を遂げたことにより、著しい精神的苦痛を受けたことが認められるところ、これに対して直にも前記のとおり過失があること、また被告病院としても前記のとおり災害補償の手続をとり、弔慰金を支給し、また直の東京での葬儀においても香典を渡して弔慰を表すなど、病院として行うべきことを行つていたこと(証人河村静逸の証言により認める)その他諸般の事情を考慮すると、原告らの精神的損害を慰謝するには、各自に対し金五〇〇、〇〇〇円を支払うのが相当である。

一〇、時効の抗弁および過失相殺の対象について。

(一)  以上検討してきたところによれば、原告らは相続により、前記の直が将来得べかりし利益の損害賠償請求権を取得し、また自己固有の権利として前記慰謝料相当額の請求権を有することとなるが、得べかりし利益の損害賠償請求権の一部については、被告において消滅時効を援用しているので、この点の検討を行うこととする。

本件記録によれば、原告らは昭和四〇年六月一七日提起した訴において、直の得べかりし利益の損害額を明示したうえその一部として被告に対し各自金二、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めていたが、同四二年一二月一四日当裁判所に提出した書面により、右の請求額を拡張し各自金二、五〇〇、〇〇〇円の請求にあらためたことが明らかである。ところで成立に争いのない甲第一二号証の一、二と原告倉金栄一本人尋問の結果によると、原告らは本件事故の直後に直の死亡の事実を知り、翌三九年一月七日には事故発生の原因を知つて、損害賠償請求の意思がある旨被告に通知していることが認められるのであるから、原告らの被告に対する損害賠償請求権の消滅時効は、少くとも右の日から進行を開始したものと考えられる。したがつてそれより三年後の昭和四二年一月七日迄に時効中断の措置をとらないかぎり、債権は時効消滅することとなるわけであるが(民法第七二四条)、前記のとおり原告らは訴提起(昭和四〇年六月一七日)に際し、損害額を明示しながらその一部として各金二、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めただけであり、残余の請求権については時効期間経過前に時効中断の措置を採らなかつたのであるから、その部分の請求権は時効により請求しえなくなつたものといわざるを得ない。

原告らは一部請求の訴の中には、全債権についての債権確認の訴が含まれているから、訴提起により全債権額について時効中断の効力が生ずると主張するが、かかる見解は民事訴訟法第二三二条および第二三五条の解釈として採用できず、また前記のとおり原告らは損害額を明示してその一部を請求をしていたのであるから、残余の請求権につき何時でも時効中断の措置を採り得たものと考えられるのに、この方途に出でなかつたものであつて、時効消滅により請求不能となるとしてもやむを得ないものといわねばならない。

(二)  ところで被告は過失相殺は得べかりし利益の全額について行うべきでなく、時効消滅を免かれた当初の請求額について行うべきであると主張するが、過失相殺はいわば原始的な債権不発生事由であるのに対し、消滅時効は後発的な債権消滅事由であるから、過失相殺の判断を経た債権につき時効消滅の有無を考えるべきであつて、被告の右の主張は採用できない。

なお原告らは得べかりし利益の損害額から控除すべきものがあれば、その控除後の残額のうちから前記の請求をする旨申し立てているのであるから、前記の過失相殺その他の減額は、得べかりし利益の損害全体について行い、その残額が請求額以上であれば請求を全部認容すべきであつて、被告主張のようにまず請求された部分から減額するとか、あるいは請求部分と残余の部分とで同等に減額するなどの考えをとるべきではない。

一一、結論

しかして前記のとおり直の得べかりし利益の金額は金二一、四〇〇、〇〇〇円であるから、過失相殺によりその三割を減額し、また労働基準法に基づく災害補償金九五四、〇〇〇円を控除しても、その残額は原告らの当初の請求額合計金四、〇〇〇、〇〇〇円を上まわることが明らかであるが、すでに検討したように残余の請求権はすでに時効消滅しているから、請求拡張部分各自金五〇〇、〇〇〇円の支払請求は失当であり、原告らが財産的損害の賠償として被告に請求しうるのは、当初の請求額各自金二、〇〇〇、〇〇〇円にとどまる。ところで前記のとおり原告らは固有の権利として各自金五〇〇、〇〇〇円の慰謝料請求権を有するから、結局被告は直の死亡による損害として原告らに対し各自金二、五〇〇、〇〇〇円と、これに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四〇年六月二五日以降支払ずみまで、民法所定の法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて原告らの被告に対する請求は右の限度で認容し、その余の請求は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 篠清 浅生重機)

(別紙)

第一表 医師一人当りの平均収入および中間利息控除後の利益<省略>

第二表 収支明細表<省略>

第三表 純利益現価計算表<省略>

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