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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5953号 判決 1970年10月07日

原告 本多鳴子

右訴訟代理人弁護士 神道寛次

被告 徳田一穂

<ほか一四名>

右被告ら訴訟代理人弁護士 藤井幸

主文

一、被告徳田一穂は原告に対し、金一八、六〇一円を支払え。

二、原告その余の請求は、いずれも棄却する。

三、訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

「一、被告徳田一穂は、東京都教育委員会に対し別紙目録二の建物につき収去の許可申請手続をし、かつ、右許可があったときは、原告に対し、右建物を収去して別紙目録一の土地を明渡せ。

二、被告徳田一穂は原告に対し、金九八八円および昭和二六年六月一日から右土地明渡ずみまで一ヶ月金二、〇六八円の割合による金員を支払え。

三、被告徳田百々子は原告に対し、別紙目録三の建物を収去してその敷地部分を明渡せ。

四、右被告両名を除くその余の被告らは、原告に対し、前項の建物中別紙添付図面表示の各室からそれぞれ退去してその各敷地部分を明渡せ。

五、訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決および仮執行の宣言を求め(た。)

≪以下事実省略≫

理由

請求原因第一・二項の事実は、当事者間に争いがない。

そこで、本件土地賃貸借における賃料債務が取立債務か持参債務であるかについて検討する。

本件では、本件土地賃貸借の当初の貸主、借主である本多忠昭と徳田末雄との間に賃料債務が取立債務か持参債務であるかを明かにした契約書の作成があったか否かを知るに足りる資料はない。また、右当初の貸主または借主の死亡後本件賃貸借の当事者間に右のような契約書が作成されたことのないことは、本件弁論の全趣旨から明らかである。また≪証拠省略≫によると、本件土地上の別紙目録二の建物は、本件土地の前賃借人であり、被告一穂の父である徳田末雄が明治三八年から死去するまでの間使用した居宅であり、被告一穂は、その出生以来今日まで六〇余年間右建物に居住してきたものであること、徳田政子も昭和一二年以来被告一穂の妻としてこれに居住してきたことが認められるが、昭和一二年ころ以降は別として、それ以前の時期に本件土地の賃料の授受につきどのような取りきめがされ、どのようにして授受されていたかは、≪証拠省略≫によっても知ることができず、ほかにこれを明らかにするに足りる証拠はない。

しかしながら、≪証拠省略≫によると、徳田方では、昭和一二年ころ以降は戦中戦後を通じかつて本件土地の地代を地主方に持参または郵送して支払ったことは一度もなく、地代は地主方の差配または使者が徳田方住所に出向いて集金していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

してみると、本件土地の賃料は、当初の賃貸借契約上、かりに持参払いの原則によるべきものであったとしても、昭和一二年ころ以降は、一貫して賃貸人の差配または使者が賃借人の住所においてこれを取立ており、これが多年の慣行となっていたものということができるから、本件賃貸借の当事者間においては、おそくとも終戦前後のころ、本件土地の賃料は取立債務とする旨の暗黙の合意が成立したものと認定するのが相当である。

原告は、本多家の貸地については、地代はすべて持参払いの方法によることを原則とし、本件土地の賃料につき取立債務とすることを承認したことはない旨主張する。

しかし、≪証拠省略≫をあわせ考えると、原告は昭和二六年当時、本件土地の周辺等に旧来の貸地としてなお三千坪程度の地所を保有していたが、右当時多数の借地人中約半数については、原告方の使者が地代の取立に出向いていたこと、これらの借地人のうちには、戦後一貫して地代の支払は自己の住所においてしている者のあることもうかがわれるのであって、かりに、本多家の貸地の賃料が持参払いを建前とし、地主方で本件土地の賃料を取立債務とするにつき明示の承認を与えたことはないとしても、これをもって上記認定の妨げとなるものということはできない。

以上の次第であるから、原告主張の昭和二六年五月から昭和二七年一月までの本件土地の賃料は、いずれも取立債務であると認めるべきところ、≪証拠省略≫によると、被告一穂方では、右各月の賃料支払の用意はあったが、原告側からは一度もその取立のために出向かなかったことが認められる。してみると、被告一穂には原告主張の賃料の履行遅滞はなかったことになるから、被告一穂に右賃料債務不履行があったとしてされた支払の催告および条件付契約解除の意思表示は、その効力を生じなかったものといわざるをえない。同被告に対する原告の請求は賃料支払請求のみを正当として認容し、同被告の本件土地の占有が賃借権に基づく適法なものと認めるべきであるから、すべて失当とすべきである。

次に、被告徳田百々子が本件土地に別紙目録三の建物を所有してその敷地部分を占有していること、同被告、被告一穂の両名を除くその余の被告らが右建物中原告主張の各室をそれぞれ被告百々子から賃借して占有し、これによりその各敷地部分を占有していることは、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、≪証拠省略≫を総合すると、別紙目録三の建物は、昭和八年ころ徳田末雄が建築し、昭和一二年中娘の被告百々子名義の保存登記を経由して、その敷地部分を同被告に転貸したこと、徳田方へは、地主側から多年にわたり差配または使者が賃料取立のため出入りしており、右建物の存在を熟知していたと思われるのに、本訴提起までの間、地主側からかつて何らの異議の申出もなかったこと、以上のように認めることができる。そして、右事実に、本多家が戦前広大な地所を有する華族であったこと(≪証拠省略≫により認められる。)をあわせ考えると、本件土地の地主側としては、右建物の建築により本件土地の一部転貸の結果をみるとしても、これを問うことなく、明示または暗黙の承認を与えていたものと認定するのが相当である。

右のとおりで、別紙目録三の建物の敷地に対する被告徳田百々子の占有は、適法な転借権に基づくものであり、したがってまた、右建物内各室を占有する被告らの土地占有も、権原に基づくものというべきである。右被告らに対する原告の請求も理由がない。

上記のとおりで、原告の本訴請求は賃料請求のほかはすべて失当であるから、民事訴訟法第八九条、第九二条にしたがい、主文のとおり判決する。

(裁判官 中田秀慧)

<以下省略>

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