東京地方裁判所 昭和40年(ワ)8203号 判決 1967年9月27日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五三七万八〇二四円およびこれに対する昭和四〇年九月三〇日から右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めた。
二、被告訴訟代理人は「主文同旨」の判決を求めた。
第二、原告の請求原因
一、昭和三九年九月七日午後五時四二分ころ、東京都豊島区西巣鴨三丁目九〇八番地先の滝野川線踏切において、(以下本件踏切という。)被告の被用者である訴外今津清の運転する早稲田発荒川車庫行電車(以下被告電車という。)が原告に接触し、原告はこれにより頭部挫傷、前額部挫創、右上腕礫創、左下腿礫断創、胸部および右下腿擦過傷の傷害を受けた。
二、原告は本件踏切の被告電車の進行方向左側のやや軌道敷内に踏み込んだ位置に立つて電車の通過を待つていた。訴外今津はほぼ満員の状態である被告電車を時速約三〇粁の速度で運転してきたのであるが僅か数米の至近距離において初めて原告に気づいたのである。訴外今津の被告電車の方向から原告の立つていた地点へのみとおしは非常に良いのであつて、前方を注意していさえすれば、ずつと前の地点で原告を発見しえたのであつて、制動をかけることによつて事故は避けられたはずである。従つて訴外今津には前方不注視の過失があり、右過失によつて本件事故が発生したというべきところ、訴外人は被告の被用者運転手として被告の業務である軌道事業に従事中であつたから、被告は使用者として、本件事故によつて原告の蒙つた後記損害を賠償しなければならない。
三、本件踏切は踏切警報機と反応灯しかなくその他の設備は無かつた。踏切の交通量および電車の通過回数からいつて「地方鉄道および専用軌道の踏切道保安設備設置標準」(昭和二九年四月二七日運輸省鉄道監督局長通達第三八四号)ならびに「踏切道の保安設備の整備に関する省令」(昭和三六年一二月二五日運輸省令第六四号)からすれば第三種踏切道として踏切警報機の設置を義務づけられるにとどまるものと思われる。しかし右の通達および省令は最低限度を示すにすぎないもので、右基準を守れば足りるというものではない。滝野川線は軌道が悪いうえに旧式の電車を走らせているため電車は大きな横揺れをし、そのため踏切道のかたわらで電車の通過を待つ者が目測を誤つて電車と接触してしまう危険が多分にあつた。ことに本件踏切は学童が通学路として利用することも多いのであるが、電車通過の際に踏切横断者にこの位置まで退避せよとの警戒を表示するものは全くなかつた。事故直後右警戒表示として本件踏切の端に二本の白線がひかれるにいたつたし、また電車の方向を指示する電車方向指示機および踏切警報機が作動していないことを示す停電表示灯が設置されるに至つたが、これらはもともと設置すべきものであり、これらがあれば本件事故は発生しなかつたかも知れないのであつて、これらを欠くことは踏切道の保安設備の設置そのものに瑕疵があつたといわざるを得ない。
また踏切警報機は当時故障していたのであり、その表示として踏切から数米離れたところに積んであつた枕木にペンキで故障と書いてあつたが、これで足りるものでなく、結局保安設備の管理に瑕疵があつたというべきである。
ところで本件踏切は被告の軌道設備の一部であつて公の営造物であるから、被告は国家賠償法二条一項により、原告が本件事故によつて蒙つた損害を賠償しなければならない。
四、損害
1 治療関係費
原告が事故直後池袋病院に入院し、その年の一一月二日昭和大学病院に転院し、翌四〇年八月二八日退院する迄に要した費用
イ 池袋病院入院治療費 一六万一三二〇円
ロ 昭和大学病院入院治療費(義足作成料をも含む) 一一万一七四六円
ハ 入院中の付添看護料 三九万三六一〇円
ニ 付添看護婦の寝具賃借料 二万八〇〇〇円
ホ 入院中の氷代 一八四〇円
ヘ 転、退、通院のタクシー代 四八〇〇円
ト 電車の乗客が貸与してくれた寝袋のクリーニング代 八〇〇円
チ 切断された足の焼却料 一〇〇〇円
リ 医師、看護婦等医療関係者に対する謝礼 三万円
ヌ 諸雑費(入院一日につき一〇〇円) 三万五七〇〇円
合計 七六万八八一六円
2 将来支出しなければならない義足代、同修繕費、マツサージ料等(必要費を年額二万円とみて、昭和三〇年の国勢調査にもとづき満五歳のものの平均余命を六二年とみてホフマン式複式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して算定したもの)五五万六九一二円
3 得べかりし利益の喪失
本件事故の負傷により労働能力の減少をきたし、これは満二〇歳から満六〇歳の間年額二万円の収入の減少をもたらした。これをホフマン式複式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して算定したもの) 三〇一万八二九六円
4 慰謝料
(原告は昭和三五年二月三日生れの幼児であるが、左下肢を膝関節の上で切断し右上肢の機能を失つたうえ、頭部打撲に伴う後遺症の不安を抱えながら一生涯精神的苦痛を味わねばならないのである。)
5 被告が不誠実な態度により損害賠償を拒絶したため、原告が権利実現のためやむを得ず支出した費用
イ 調査費用(探偵社への支払) 三万円
ロ 目撃者を集めるための看板代 四〇〇〇円
計 三万四〇〇〇円
四、よつて原告は被告に対し前項1ないし5の合計金五三七万八〇二四円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四〇年九月三〇日から右支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、被告の答弁
一、請求原因第一項中、原告主張の日時、場所で原告が主張の電車に接触して負傷したことは認めるが、その余の事実は知らない。
二、同第二項中、訴外今津に過失があつたことは否認する。
同人は被告電車に乗客一二〇名くらいを収容して時速約三〇粁で運転し本件踏切にさしかかつたが、その約二五米手前のところで、踏切左側入口の外側軌条から約一、五米離れた位置に五〇歳位の男が電車の通過を待合せのため佇立しているのを認めたので、時速約二五粁に減速しかつ警笛を吹鳴し、安全を確認して進行を続けたところ、電車が踏切に入る直前に右男の陰から原告が急に飛び出して横断しようとするのを発見し、直ちに急制動をかけたが間に合わず電車の左側前部が原告の肩辺に接触し、電車はさらに約二五米進行して停車したものである、従つて訴外今津には何ら過失はない。
三、同第三項中、本件踏切の設備管理に瑕疵があつたとする点は否認する。本件踏切は昭和三五年一二月に第三種踏切として設置され踏切警報機を備え、アスフアルトコンクリートで舗装され踏切にひかれている白線のうち外側のものは当時から存した。事故当時の交通量および電車通過回数からみて、本件踏切は第三種踏切で足りるものであり、当時踏切警報機は正常に作動していたものであるから、何らの瑕疵はない。
四、同第四項の1ないし3は不知、4、5は争う。
第四、被告の抗弁
一 仮に訴外今津に過失があつたとしても、被告はその選任監督について相当の注意をしていた。
二、仮に、被告に責任があるとしても原告側に次の過失があるので、損害額の算定について斟酌されるべきである。
(一) 当時本件踏切の警報機が鳴り、点滅灯が動いていたのであるから、原告は幼児とはいえ満四歳七ケ月で、これにより電車が通過することを認識する程度の知能と危険を弁識するに足りる能力とを有していたのであり、従つてその際急に飛出して横断することは慎しむべきでありこれを怠つた点で原告には過失がある。
(二) 仮に、原告に右知能ないし弁識能力が無かつたとすればかかる者をこのような危険な場所に単独で歩行するにまかせた原告の親権者に過失がある。
第五、原告の再答弁
一、抗弁事実第一項は否認する。
二、同第二項中原告の年令は認めるがその余は否認する。
第六、証拠〔略〕
理由
一、原告主張の日時場所で原告が主張の電車に接触し、負傷したことは当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第四号証の一ないし三によると、原告はその主張のような負傷をしたことが認められる。
二、〔証拠略〕によると、本件踏切は都営電車の複線式の専用軌道で被告電車の進行方向(以下、左右はすべて進行方向に向つていう。)左側では幅員八米の、右側では幅員四米の道路と連つていること、被告電車から本件踏切の軌道外左側の地点への見とおしは、約八〇米前方から、軌条は直線であり、その左側には幅員約四米の道路が走つているので、良好であること、訴外今津は被告電車に満員の状態である約一二〇名の乗客をのせ、時速約三〇粁の速度で運転し前方を注意しながら本件踏切にさしかかつたが、その手前五、六〇米のところで本件踏切の軌道外左側の軌条左端から約一、四米のところに大人一人が立つているのを発見し、一七米手前のところで警笛を二度吹鳴したこと、更に十数米の近くに達したとき年寄りだと確認したので制動をかけ時速約二五粁に減速して進行したが、踏切に入る瞬間、幼児の原告が自車前方約六、五米の地点で左斜めに横断し始めたのを発見し、急制動をかけたこと、しかし結局間に合わず電車の左前部を原告に接触させて後、衝突地点から約二五、六米進行して停車するに至つたこと、その間に原告は左前車輪で左足首を切断されたこと、なお被告電車は本件踏切の手前約二五米の地点で対向して来た電車とすれ違つていること、時速三〇粁の電車の制動距離は三〇米以上であることが認められる。〔証拠略〕中右認定に反する部分は前掲証拠と対比して措信できない。ところで専用軌道を有する電車の運転士は踏切通過の際には踏切警報機が作動していることを示す反応灯が点灯している場合には、幼児が線路上で遊んでいるとか、あるいはあまりに接近した地点に立つているとか具体的に危険の予測される場合でない限り減速するは別として徐行すべき義務はないものと解せられる。しかるに証人今津の証言によれば、反応灯はついておりしかも踏切警報機は正常に作動していたことが認められ、〔証拠略〕も右認定を左右せず他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。しかも原告主張するように原告が軌道敷内にやや踏み込んだ位置すなわち軌条の左端から余り離れない地点にずつと立つていたとの事実については、これを否定する証人今津の証言と対比すると、原告本人尋問の結果は必ずしも措信し難く、目撃者といいうる者の証言もなく、他に心証を惹くに足りる証拠はない。しかも前示のとおり原告は踏切に立つていた男の陰になる位置にあつたのであるから見とおしの良い地点であるとしても、これを六・五米より手前で発見できたはずであると認めることはできない。そうすると右事実関係からすれば、訴外今津に前方不注意の過失があつたとはいえず他にこれを肯定しうる証拠はない。
仮に今津が原告をそれ以前に発見していたとしても、およそ大人のそばに幼児が佇立しているのを発見したときは、これを監護者と並んで立つ幼児と考えるのが通常であり、その幼児だけが行動することを予期して対処することまで運転士に期待することはできない。従つて、かりに右のとおり発見していたとしても、今津が直ちに制動して、その後原告がひとり動き出すのを発見したとき踏切前で停止しうる程度まで減速しておかなかつたことを今津の過失として責めることはできないと考えられる。
そうすると訴外今津に過失があることを前提とする原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
三、〔証拠略〕によると、本件踏切は昭和三五年一二月に第三種踏切として踏切警報機のみ設置せられたこと、その踏切警報機は閃光灯が片側二個計四個、鐘が同様四個あり、約一五〇米手前に電車が近づいたときから作動し、電車の後部が踏切へ入つた時には作動を停止する様式であること、これは昭和四一年五月二五日の道路交通量調査における交通量と電車の運行回数、電車が長さ約一一米で時速四〇粁以下で走ることを基礎として「地方鉄道及び専用鉄道の踏切道保安設備設置標準」(昭和二九年四月二七日運輸省鉄道監督局長通達第三八四号)ならびに踏切道の保安設備の整備に関する省令(昭和三六年一二月二五日運輸省令第六四号)の基準により第三種踏切として設置を義務づけられている踏切警報機としての規格を満すものであつたことが認められ、従つて、遡つて事故当時も、右基準は満していたと推認されるのである。
しかし、右設置基準を満すことが、直ちに国家賠償法二条の見地における営造物の設置または管理の瑕疵の不存在を意味するわけではないから、更に原告の主張について案ずるに、まず、学童の通行路という点については、証人一志忠彦、同青野武治郎の証言により特に近くに小学校があるわけではなく、本件踏切の交通量は余り多くなく、事故が起つたのは本件が初めてと認められるから、右基準の上の等級すなわち例えば遮断機つきのものとする必要があつたとは考えられない。その他上の等級のものとすべき必要についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
更に原告は、右基準の範囲内においても瑕疵があつたことを主張し、その主張のような白線および電車方向指示機の無かつたことを指摘している。〔証拠略〕によると事故当時白線はなく、電車方向指示機も事故後昭和四〇年秋ごろ設置されたもので、当時は無かつたことが認められる。しかし、右白線および電車方向指示機が設置されていたとしても原告が四歳七ケ月であつたこと(これは当時者間に争いがない)からして、本件事故の発生を防止できたとは断定できない。
また原告は踏切警報機が作動していなかつたとするが、前記認定のように作動していたものであるから、これを前提とする原告主張の管理の瑕疵は理由がなく、従つて停電標示灯の設置のないことも、本件事故の発生と因果関係はない。
そうすると、本件踏切について事故当時、その設置および管理に瑕疵があるとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
四、以上検討したところによると、原告の請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。