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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)9067号 判決 1967年4月27日

原告 江川徳治郎

右訴訟代理人弁護士 江尻平八郎

高橋潔

柳本孝正

被告 長沢惶市

右訴訟代理人弁護士 太田寛

主文

1  被告は原告に対し墨田区吾嬬町東一丁目二二番地(現在の地番は同区文花二丁目九番一一号)所在家屋番号同町二二番木造瓦葺二階建二戸建店舗兼住宅一棟のうち向って左側の一戸一階一五坪八合三勺二階一五坪六合五勺(現況一階二〇坪六合二勺五才二階一八坪)のうち向って左側の一戸(現況一〇坪八合七勺五才二階九坪二合五勺)(別紙図面赤斜線部分)を明渡すべし。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は原告において金一〇万円の担保を供するときは仮に執行できる。

事実

原告は、第一次的に主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、予備的に、被告は原告に対し、原告が提供する金一〇〇万円を受領するのと引換に右建物のうち向って左側の一戸を明渡すべしとの判決を求め、

請求原因として

(1)  請求の趣旨第一項掲記の二戸建の建物はもと吉野忠彬所有であったところ昭和三〇年四月七日同人はこれを原告に対し売渡し、原告はその所有権を取得して同三〇年四月一一日その登記を経由した。

(2)  右の建物のうち向って左側の一戸(本件建物部分)は従前から被告が賃借していたので、原告は被告の右賃借権を認め、昭和三八年三月二日賃貸借契約書を作成し、期間の定めなく賃料一ヵ月金五〇〇〇円を以て賃貸した。

(3)  ところで右建物のうち向って右側の一戸は原告が居住し、同所において文房具小売商を営んでいるのであるが、店舗が狭く同業者の自由競争が激しいので営業上店舗を拡張する必要があるので、昭和三九年一二月初め頃原告自ら使用する必要のため被告に対し口頭を以て右賃貸借解約の申入れをなし、更に念のため翌四〇年一〇月九日被告到達の内容証明郵便を以て解約の申入れをなした。

(4)  原告の右解約の申入をなすにつき自ら使用する必要の正当事由は次の通りである。原告方は夫婦と子二人(二五才と二一才)の四名家族で、その住居兼店舗は、階下の店舗六坪半、 勝手、便所二坪二合五勺、二階六畳、八畳の二部屋で、階下の右店舗は文房具の小売販売のための事務用品機械器具の陳列、顧客の応接に狭隘で仕入商品の置場もなく、商品置場を右店舗の前の道路を隔てた約五〇メートル程離れた所に設けざるを得ず、能率が悪いばかりでなく、商品の出し入れにその都度道路を横断しなければならないため危険であって、営業の円滑をかくので、被告に対して賃貸してある向って左側の一戸である本件建物部分をあけて貰って店舗を拡張することがどうしても必要である。他方原告の子の一人(長男)は結婚させなければならないがその夫婦のための部屋がないので、そのためにも被告に貸してある部分を明けて貰って、結局本件建物部分は原告において自ら使用する必要がある。

(5)  本件建物は建築後少くも三四年以上経過して居り、老朽建物で、これが建っている地盤の土地は毎年二〇センチメートル位づつ沈下するところで、且つ湿地で通風も悪く既に建物の寿命も来て土台腐蝕等により危険で建て直しの必要な建物であるところ、被告は本件建物部分の階下で理髪業を営んでいるので、被告において明渡すときは、移転料金一〇〇万円を提供するほか明渡猶予期間二ヵ年の誠意ある条件を提供したのであるが、被告の拒絶するところであって、かりに原告の右解約申入に正当事由がないとしても、原告が被告に対し金一〇〇万円を提供し、これと引換に本件明渡を訴求するにおいては、原告に右正当事由が具備するものと考える。

(6)  結局第一次的には、第一次的請求趣旨の通り、もしこれが理由がないとしても予備的請求の趣旨の通りの判決を求めるため本訴に及んだと述べ(た。)

立証≪省略≫

被告は、原告の請求はいずれも棄却する、訴訟費用は原告負担とするとの判決を求め、答弁として原告主張の(1)の事実は認め、本件建物は吉野忠彬の父である新八郎が建築し、同人から昭和一一年五月一日被告の父孝一が賃借し、畳建具土間等に設備をなして理髪業を営み、孝一は昭和二二年五月二五日死亡して被告において同人を相続して引続き理髪業を営んで来た。昭和三〇年当時本件建物部分の賃料は月八五〇円であって、原告主張の(2)の事実中、その主張の賃貸借契約書を作成したことは認めるも、賃料は同三五年一〇月三〇日金四〇〇〇円に値上げ、同三八年三月二日月金五〇〇〇円に値上げされたもので、同三五年八月及び同三八年三月の二回に亘り原告の承諾をえて被告において乙第一、第二号証記載の通り本件建物部分について建増しをなしたものである。

(3)の事実につき原告が隣家で文房具販売業を営むこと、原告主張の内容証明郵便が被告に到達したことは認める。原告は、被告に対し賃貸借解約の申入れをなし正当事由ありと主張するけれども、そのような正当事由ありとはなしえない。原告は昭和三九年三月初めに、同年四月一日より賃料を月金一万円に値上げする旨通告し、従前の額の賃料の受領を拒絶するので、被告は、従前の家賃額を以て供託して来ている。そして原告はその店舗が狭いというけれども、本件建物の道路を隔てた向う側に木造瓦葺倉庫居宅一棟建坪一〇坪二階一〇坪を所有するほか、同町一八番五二土地三二坪八合八勺(空地)を所有して居りこれらに増築新築することも出来るのであり、また子の結婚のために必要な住居は他所に賃借することもできるのであって、原告は営業のためにも、子の結婚の必要についても被告の賃借する本件建物部分を明けさせなければならない事由はなく、更に地盤の沈下、建物の朽廃をいうも事実に符合せず、他方被告はこの賃借家屋で理髪業を営んでおり、多年に亘るその営業においては顧客がついて繁昌しているのであって、他の場所に移転するときは直ちに被告の右営業は極めて大きな影響を受けざるを得ず、かりに一〇〇万円の移転料を提供するといっても被告の顧客の喪失、新たな営業場所を獲得するのに要する権利金、設備費、その間に生ずる営業休止による損害の発生等は右金員で償うことはできない。被告としては直ちに原告の明渡要求に応じられない相当な理由があるばかりでなく、移転料提供を理由とする明渡要求にも応じることはできないと述べ(た。)

立証≪省略≫

理由

原告主張の(1)の事実、昭和三八年三月二日頃原告が請求の趣旨第一項記載の建物(現況一階一〇坪八合七勺五才、二階九坪二合五勺、末尾図面赤斜線部分)(本件建物部分)を被告に対して賃貸する契約書を作成したこと、右賃貸借は期間の定めがなく、右契約書作成当時賃料は月金五〇〇〇円の約定であったこと、原告は被告に対し昭和四〇年一〇月九日到達の内容証明郵便を以て、右建物部分を自ら使用する必要があることを理由として賃貸借解約の申入れをなしたことは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を綜合すると、被告が賃借して使用している本件建物部分の隣りである向って右側の一戸は原告が居住し、その店舗で文房具商を営んでいる(この事実は当事者間に争がない)もので、被告の原告から賃借する本件建物部分は被告の亡父孝一(昭和二二年五月二五日死亡)が原告の前所有者から昭和一一年五月一日頃賃借し造作を施して理髪営業を営み、同人死亡後は被告が引継いでその営業をなして現在に及んでいるものであること、原告は前記のように昭和三〇年四月向って左側の本件建物部分と原告が居住営業しているその隣家である向って右側の一戸の二戸建の建物を前所有者から買受け所有権を取得し、その居住営業する向って右側の一戸で文房具小売商を営んで来たのであるが、その営業用の店舗は狭隘で、取扱っている商品も学用品だけでなく、むしろ事務用品の販売が主であって事務用機器の陳列等に、約六坪二合の店舗は狭すぎ、同業者の競争も激しく、顧客の接待、商品の陳列のために店舗の広さが必要であって、店舗前の道路を隔てた反対側にある倉庫から必要の都度商品を右店舗に運搬して客に見せなければならず、そのため道路を横断して商品を運搬等する回数も一日のうちに極めて多数回に及び、交通上の危険を伴うばかりでなく能率も悪いことが認められる。他方右≪証拠省略≫によれば被告は、その先代の時から含めて約三〇年に及んで同所で理髪業を営み、現在は、椅子四台を置き、職人(雇人)二名を含めその営業をなしていること、原告方はその夫婦と子二名(二五才と二二才)の家族からなり、被告方はその夫婦と母親並びに子二名のほか住込職人二名から成っていることが認められる。

原告側において店舗狭隘及び倉庫が道路をへだてた場所にあるためその営業上多くの支障があるという事情以外の原告主張の理由の相当性について検討するのに、原告は子(長男)の結婚のために居室を必要とすることを理由として挙げているけれども子が成人し結婚により居室を必要とするにしても、その必要性だけならば、被告が多年に亘って理髪業を営む本件建物部分を特に明渡させなければならない必然性はなく、他の場所に相当な方法でこれを獲得すれば足りるものであり、また、本件建物部分が建築後年数を経ているので老朽しているとの点についても、未だ朽廃の状態に達し危険な建物になっているものと認められるに足りる証拠はないのでこれを以て明渡を求めるに相当な事由とは見られない。なお被告の主張によれば、原告は、本件建物の場所から四・五十間位離れた場所に更地を三二坪位所有しているからこれを営業用のために使用できるというのであるが、原告本人尋問の結果によれば原告はそのような場所に土地を所有しているけれども原告の商売を行う場所としては周囲の状況からみて不適格であるというものである。そして原告は、被告が本件建物部分を既に賃借してその営業をしていた事実を知りながら約一〇年余り前に建物所有権を買受け取得し、約一〇年を経過して前示年月に自己使用の必要を理由として解約申入をなしたものではあるが、当初から被告をしてこれを明渡させる等の目的でこれを買受けた等の特段の事情は証拠上認められないのである。従って右認定の事実関係のもとにおいて被告の本件建物部分に対するその営業上の必要性と、原告の営業活動のための右建物部分を自ら使用する必要性とについては直ちに甲乙をつけることは困難であるように思われるけれども、被告方が多年この場所で理髪業をしているにもせよ、賃借建物であって、これを自己所有の建物と同じように恒久的に使用できる権原があるものとすることはできないのであって、賃借人として今後無期限に賃借を継続しうべきものではないし、賃貸主である原告が賃借人たる被告に対し加害的な意思で明渡を求めるものでない以上その余の本件事情を考慮に入れてもその営業活動のために自ら使用する必要が認められるものと言って妨げなく、(原告の解約申入がなされてから既に約一年半を経過している)原告の右解約申入れにつき正当事由があるものとみるのが相当である。そして前記倉庫が店舗の前の道路を横断したところにあるからといって直ちにこれを店舗に使えるといった事情は窺えないので右の判断をなすについてこれが消極的な要素となるものではなく、原告が附近に更地を有するとの事実も前示認定のもとにおいて本件では右判断に影響を及ぼすものでもない。

よって原告の第一次的請求を理由あるものと認め、民訴法第八九条第一九六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 長利正己)

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