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東京地方裁判所 昭和40年(合わ)365号 判決 1968年12月19日

主文

被告人を懲役一二年に処する。

未決勾留日数中一、〇〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、北海道において、警察官をしていた父広次郎の長男として出生し、その手元で育てられて、昭和三五年四月北海道函館中部高等学校に進学したが、同校在学中から東京大学の糸川英夫教授らの研究している宇宙ロケツト開発に憧憬の念を抱き、これに従事したいと強く希望するようになり、手紙を寄せていた同教授からも、その研究室員として採用しようとの返事を得ていたことから、同三八年三月同校を卒業するや、家族の反対を押し切つて上京し、同年四月から東京都目黒区下目黒三丁目六五七番地所在の前田萬次郎方に四畳半一間を借りてここに居を定め、まもなく東京大学宇宙航空研究所に職員として採用され、当初糸川研究室に、その後同研究所の秋葉研究室に引き続き所属して勤務する傍ら、芝浦工業大学電気工学科第二部(夜間部)に入学して、将来東京大学の大学院に進むことを目途に通学していた者であるが、同三九年一〇月ころ、職場の同僚から、大学の夜間部から東京大学の大学院に入ることは困難である旨を聞き、自分や親元の経済状態からは昼間部に移る余裕がない為、前途に不安を感じ、挫折感に悩むようになり、一方、同研究室での担当事務も次第に手に余り、夜間通学の肉体的負担も重く感じるようになつたこと等から、次第に勤務態度や生活態度が悪くなり、ことに同三九年の暮に帰郷した際心臓発作のため一か月余の間入院加療を余儀なくされたのちは、仕事や学業に遅れをとつたことも手伝つて一層勤務に不熱心となり、遅刻早退や欠勤をしばしば繰り返すようになつたうえに、大学へも通学しなくなり、パチンコ遊戯に耽つたり、バーや喫茶店通いをするなど私生活も乱れ、金使いも荒くなつて友人等からの借金も度重なる状態となつていたところ、

第一  前記前田萬次郎方の間借り生活においても、掃除、洗濯を余り励行せず、戸締りも怠りがちのうえ、帰宅時間が不規則で、賃料支払も遅れがちであるなど放恣、自堕落な生活態度に流れていた為、これを嫌つた右萬次郎の妻ゑい(明治三五年一〇月一二日生)からしばしば注意を受けていたが、これを改めないばかりかかえつて反撥する態度に出ていた為同女との折合いが悪くなつていた折柄、同四〇年四月、右萬次郎夫婦が何者かより盗難を受けるに及び、このような放恣な被告人を置いておけないと考え、部屋を明渡して貰いたい旨を被告人に申し渡すに至り、被告人もこれを了承はしたものの、帰郷、出張等で明渡しを延引していたところ、同年九月末ころからは強く明渡しを迫られるようになつたので、急遽転居先を尋ね、同年一〇月三日ころ、肩書住居の安岡末子方に一間を借りて、同月一六日引越しをしたが、その際、ゑいから同日までの一〇月分賃料を日割計算で支払うよう請求されるや、貸主側からの要求で明渡すのだから支払う必要はないとこれを拒絶し、この件の話合いや部屋の後片付け、住民登録の移動手続の為に翌日訪れる約束をしたのであるが、これを実行しないで延引するうち、同月二一日になると所持金も乏しくなり、今後の生活費にも事欠く状態となつた一方、同月一七日従兄である佐藤将と右日割家賃の請求について話し合つたことなどから、この請求に応ずる義務がないばかりか、かえつて、貸主側から明渡しを求められた月の翌月である同年五月以降の賃料も支払う必要はなかつたもので、その支払済賃料の返還を引越費用とあわせて請求できるのではないかと考えるに至り、同年一〇月二二日昼ころ、参加の予定であつたソフトボールの試合がたまたま中止になつたので、この際延引していた約束の実行をかねて前田方に赴き右支払済賃料の返還請求などをしてゑいから金を出させようと思い立ち、同日午後二時ころ同所に至り、ひとり留守を守つていた同女が迎えるや、同家六畳居間において右の用件を切りだしたところ、同女においてもその間被告人の入居の斡旋をした学徒援護会に問いあわせて、日割家賃を請求できることを確めていたので、被告人の主張に耳をかさず日割賃料の支払いを強く請求した為、遂には口論となり、双方の主張の対立したまま互に興奮し、次第に声高になつて同女と応酬するうち、同女の態度に立腹し、かねてからの同女との感情的な対立も手伝い、同女に対する憎悪の念も募つて、このうえは強いてでも同女に金員を差し出させようと決意し、いきなり左手で同女の胸倉を掴み、「おばさん、どうしても払つて下さい。それでも人間か、余りに汚いじやないか。」などと申し向けて金員を要求し、これに驚いて大声をあげる同女の口を右手掌で塞ぎ、その勢いで同女の後方に倒れるや、なおも「払つてくれますか。」などと言いながら、上から両手でその頸部や口を押さえつけ、更に、傍らにあつた夏掛布団(同四一年押第二二〇号の三)をその顔に被せてその上から同女の口附近を押さえつけるなどの暴行を加え、その反抗を抑圧したが、右暴行により同女に急性心臓死を惹起せしめて即時その場で同女を死亡するに至らしめるや、奥八畳間にあつた菓子缶(同押号の七)内から株式会社協和銀行目黒支店発行前田萬次郎名義の普通預金通帳一冊(預金残高九万五、七〇八円)を、次いで右六畳居間の押入れ小抽斗等にあつた革製蟇口(同押号の五)およびビーズ製蟇口(同押号の六)から現金合計四二〇円くらいを取つて、これらを強取し

第二、同月二五日、右犯行によつて得た現金もまもなく費消しなお金員に窮していたところ、右犯行を秘して前田方を訪ねた際、萬次郎から同女が病死したものと思われていることを聞くに及び、前記普通預金通帳の紛失にも気付かれていないものと考え、これを奇貨として預金払い戻し名義の下に金員を騙取しようと企て、翌二六日、あらかじめ前田方に赴いて萬次郎から、住民登録の移動手続に使用すると申し欺いて同人の実印を借り受けたうえ、同区下目黒二丁目四三八番地所在の株式会社協和銀行目黒支店において、行使の目的をもつてほしいままに、同支店備付の普通預金請求書用紙の金額欄に「95708」と、氏名欄に「前田萬次郎」とそれぞれ書き込み、押印欄に右借り受けた印章を押捺し、もつて同人作成名義の普通預金請求書一通を偽造し、即時その場で、同支店普通預金窓口係の三島淳記に対し、右請求書一通を、真正に成立したもののように装つて前記普通預金通帳とともに提出して行使し、預金九万五、七〇八円の払い戻しを請求して、同人をその旨誤信させ、よつて、即時その場で同人から預金払い戻し名義の下に現金九万五、七〇八円の交付を受けて、これを騙取し

たものである。

(証拠の標目)省略

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、判示第一の強盗致死の事実について、「株式会社協和銀行目黒支店発行前田万次郎名義の普通預金通帳(以下単に預金通帳と言う)は被告人が昭和四〇年一〇月一六日に窃取したものであり、同月二二日に右通帳と現金を強取したことはないし、同日の前田ゑいに対する暴行は、強盗の犯意から出たものではなく、また同女は病死したものであるから、被告人は無罪である。」旨主張するので、以下この点について検討を加える。

一、預金通帳の盗取時期について

(一)  被告人の司法警察員、検察官に対する前掲各供述調書、前掲各公判調書中の被告人の各供述記載部分、被告人の当公判廷における供述(以下これらを一括して被告人の前掲各供述等と言う)によつて、預金通帳の盗取時期についての被告人の供述の経過を見ると、被告人は、司法警察員に対して、逮捕直後の同四〇年一〇月二七日「前田ゑいとの間に肉体関係があり、その弱身を握つていたことから、同月一四日の夕方、同年五月以降の支払済賃料の返還の為の担保の趣旨で同女から預金通帳を預り、自分の机の抽斗内の便箋の間に挟んで置き、同月一六日引越のときこの通帳を持つて出た。同月二二日(以下単に二二日と言うことがある)には前田方に行つてはいない。アリバイもある。」旨述べたが、同月三一日に至り、「二二日には前田方に行き、同女の死亡後、奥八畳間にあつた菓子缶の中から右通帳を取つた。」旨述べて先の供述を変更して以来、司法警察員、検察官に対して一貫して右変更後の供述を維持していたところ、公判廷においては、「同月一六日(以下単に一六日と言うことがある)引越し荷物を積み終つて六畳居間に挨拶に行つた際、同女が紅茶を入れる為台所に立つて行つた隙に、部屋を追い出される腹いせといたずら心から、右居間の座卓上にむき出しで置かれていた預金通帳をとつさに窃取した。二二日前田方においてこのことを同女に告白したところ、同女が盗難に気付き『泥棒』などと大声で騒ぎ始めたので、同女を抑止する為、暴行に及んだ。」旨弁護人の右主張に副う供述をするに至つたことが認められる。

(二)  しかし、前掲各証拠就中第四回、第五回各公判調書中の証人前田萬次郎の供述記載部分、同人、星野俊樹、伊藤幸次郎、飯田とみ子等の各供述調書等によると、前田ゑいは、几帳面な性格であつて、ことに金銭には細く、金銭に対する執着心も強かつたし、それだけに用心深く、戸締りや通帳の保管などは神経質な程注意していて、平素預金通帳は貴重品を入れておく菓子缶に納めて奥八畳間の仏壇下の戸棚に格納していたこと、そして、同女の夫も下宿人も一六日以降二一日までの間に同女から通帳の紛失などを聞いていないことを認めることができる。そうすると、右のような顕著な性格を持つ同女が、当時九万余円の残高のある預金通帳を、特に表に出しておく用の見当らない一六日の、しかも外部の者の出入りする引越の際に、むき出しのまま座卓上に放置して置くようなことが果たしてありうるか疑問であるばかりでなく、同女がこのようにむき出しで座卓上に置いた預金通帳の存在を忌失し去り、その紛失にも気付かないと言うことは到底考えられない所である。また、仮に同女が座を立つた隙に窃取するとすれば、更に戻つて来た同女とその場で暫時話をすることになるので、同女に通帳の紛失を直ちに気付かれてしまう可能性が高いし、後に気付いたとしてもその場の状況から被告人が犯人と目されることは殆ど必然と言つてよく、被告人の犯行が発覚すれば、曲つたことの嫌いな同女の性格から見ても、謝罪程度で済むかどうか疑問であり、これらのことは当然被告人も知り得たはずであるから、このような危険な窃盗の行為を、いたずら気分とか、腹いせなどの気まぐれで敢行すると言うことも理解しにくいことである。右のように、被告人の弁解に即して考えて見ても、一六日に窃取したとの供述をたやすく信用することはできないのである。

(三)  のみならず、被告人は、司法警察員や検察官に対して、一六日に預金通帳を窃取したと言うことを全く述べていないのである。前に認定した供述の経過を見れば、もし一六日に預金通帳を窃取したのが真実であるならば、当初アリバイを主張するなどしてゑいの死亡した二二日に前田方を訪ねたことさえ隠そうとした被告人としては、一四日に貰つたと言う供述が維持しえなくなつたのちは、当然一六日に窃取したことを述べえたはずであり、その方が二二日に窃取したと述べて直接同女の死と結びつけられる危険を負うより格段に有利であつた筈である。そして、右の取調については、これにあたつた者が、被告人に対して、迎合的な供述をすることを強制したり、供述を誘導したりしたような事跡が全く見当たらないし、被告人も公判廷で強制等がなかつた旨述べているのであるから、何故ことさらに被告人が一六日の窃取を二二日であると述べたかについて合理的な理由を見つけることは不可能であり、被告人も公判廷において、この点について「特に理由はありません。」としか述べようがないのである。

更に、被告人が一六日に預金通帳を窃取し二二日にゑいに対して右通帳の窃取を告白したと言う公判廷における供述について、その告白の動機や時期などを前掲各公判調書中の被告人の供述記載部分、被告人の当公判廷における供述によつて検討して見ると、当初は、「二二日には日割賃料の請求や五月分以降の賃料の返還などの話はでておらず、ゑいと和やかな話をしていて、その暖い人柄に触れて悪いと思つて打ち明けた。」と述べていたが、不合理な点などを突つこんで聞かれているうちに、「二二日には日割賃料の話も、五月分以降の賃料の返還の話も出て、口論もし、ゑいに通帳を盗んだことを言えば驚くだろうと言う悪意から打ち明けた。」と述べるに至るなど供述が転々と変り、結局いかなる時点に、いかなる気持から打ち明けたかについていずれも不明確な供述しかなしていないのであつて、これらの供述は、到底信用するに値しないものと言わざるを得ない。

(四)  以上のように、被告人の公判廷における一六日に預金通帳を窃取した旨の前記供述は、その内容からも、その供述経過等からも、到底信用することができず、被告人の司法警察員や検察官に対する二二日に預金通帳を取つた旨の供述の方が他の証拠と対比しても信用できるのであり、これらの供述調書と他の前掲各証拠を綜合すれば、判示第一のように被告人が二二日ゑい死亡後に右通帳を強取したものであることを充分認めることができるのであつて、結局弁護人のこの点についての主張は採用することができないのである。

二、現金強取の有無について

(一)  被告人の前掲各供述等によつて、現金強取の有無についての被告人の供述の経過を見ると、被告人は、司法警察員に対して、同四〇年一〇月三〇日、「二二日にゑいが死んだことが判つてから、茶碗やスプーンを洗い、同女の首に前掛けの紐を巻いたりしたあと、賃貸借契約書を元の所に戻そうと六畳居間の押入れを開けた時に、その中の小抽斗にあつた革製蟇口に入つていた一〇〇円硬貨三枚、五〇円硬貨二枚計四〇〇円を盗んだ。」旨述べ(なお、この時までには、被告人が同日ゑいに暴行を加えたことや預金通帳を取つたことは供述していない。)同年一一月一日には、「小抽斗にあつたビーズ(珠数)の蟇口から一〇〇円硬貨三枚を、手前の箱の抽斗にあつた革製蟇口からは五〇円硬貨二枚と、一〇円硬貨二、三枚合計四二・三〇円くらいを盗んだ。」旨述べて先の供述を一部変更し、その後は、司法警察員、検察官に対し一貫して右変更後の供述を維持していたところ、公判廷においては、「ゑいの死亡後、カーテンを閉めたり、茶碗やスプーンを洗つたり、同女の首に前掛の紐を巻きつけたりはしたが、現金を取つてはいない。」旨弁護人の右主張に副う供述をするに至つたことが認められる。

(二)  しかし、前掲各公判調書中の証人前田萬次郎の供述記載部分、同人、伊藤豊次郎、坂田克也の前掲各供述調書によると、ゑいは、右ビーズ製蟇口を普段一〇〇円硬貨を入れる為に使用し、革製蟇口は、お使いに行く時などに使う金を入れる為に使用していて、萬次郎の経験では、これまでにこの二つの財布に一銭も金が入つていなかつたことは一度もなかつたのに、二二日ゑいの死後に見ると、両方とも空であつたこと、同日午後一時ころに、毎日新聞目黒販売所の集金人坂田克也が前田方を尋ね、ゑいから一〇月分新聞代五八〇円を集金したが、その時同女は一、〇〇〇円札で支払い、集金人は四二〇円の釣銭(札であつたと思うが、硬貨かも知れないと言う)を渡したこと、同女のつけていた家計簿の同日の欄には、その日の午前中伊藤豊次郎方を訪れて同女が使つた合計三八〇円のほかは、右新聞代の記載しかないことを認めることができる。これらの事実を綜合すると、二二日被告人が前田方を訪れる際に、右二個の蟇口には少くとも四二〇円の現金が入つていて、これを被告人が取つたのではないかとの推認もできるのである。

(三)  次に、被告人が右現金盗取の事実を司法警察員に述べた理由についての被告人の公判廷における弁解を、前掲各公判調書中の被告人の供述記載部分、被告人の当公判廷における供述によつて見ると、「はじめ警察官に事件当時の所持金を追及され、使つた金額を並べていくと、二二日に余り金が残らず、自分が金を盗まないと生活していけないようなことになつた。そして警察官からビーズの蟇口を見せられ、新聞代のお釣りがなかに二・三〇〇円入つていた筈だが、持つていかなかつたかと言われたので、勝手に考えて一〇〇円硬貨何枚、一〇円硬貨何枚と答えた。蟇口のあつた場所も警察官の話にあわせた。そのあと、今度は革の財布も示され、これを知らないかと何度も念を押されたので、警察官はここからも取つたと考えているのだと思い、そうした方がいいかと考えて、そこからもいくらか取つたと話した。細い内訳けを言つたのは、そのように言えば警察官が信用してくれると思つて適当に作つて言つた。」と述べ、更に供述調書の日付から、生活費のことを述べる前に、四〇〇円とつたことを述べたのではないかと問われるや、「新聞代か何かの支払のお釣りがなくなつているが知らないかと言われて取つたと言つた。」旨述べて供述を変更し、「そのあと生活費を計算したら、偶然四〇〇円は入らないと生活できないように一致した形になつた。別に、警察官に供述を信用させねばならないと言う理由はない。」と述ベているのであるが、しかし、被告人が現金盗取の事実を初めて述べたのは前記のとおり同年一〇月三〇日であるのに、集金人坂田克也の司法警察員に対する前掲供述調書の日付は同年一一月一日で、二日のちになつている点を見ると、警察官から新聞代の釣銭のことで問われて述べたという供述も疑わしいことになつて、仮に当初は、財布が空になつていたことから追及されたとしても、被告人が四〇〇円と言う金額を出す根拠は何もなくなるのである。また、先に述べたと同様右の取調については、取調にあたつた者が被告人に対して迎合的な供述をすることを強制した等の事跡が見当らないし、被告人も公判廷で強制等がなかつた旨認めているのであるから、何故被告人が盗取金員の細い内訳けまで創作してその供述を警察官に信用させるべく腐心せねばならなかつたのか、納得できる合理的な理由を見出し難いのである。

(四)  以上のように被告人の公判廷における弁解は信用できないところ、被告人の司法警察員に対する同年一〇月三〇日の前記供述は、被告人がゑいに対する暴行や預金通帳の奪取などを自白していない時点で、四〇〇円と言う具体的な金額を取つたと述べたものであり、その後の各供述は、右の供述をより詳細、明確に述べたものであつて、前記推認される事実ともほぼ合致しているので信用することができ、これらの供述調書と他の前掲各証拠を綜合すれば、判示第一のように被告人が二二日ゑいの死亡後に二個の蟇口から現金合計四二〇円くらいを強取したとの事実は優に認めることができるのである。

従つて、この点に関する弁護人の主張も採用することができないのである。

三、強盗の故意等について

(一)  被告人の前掲各供述等によつて、強盗の犯意の有無についての被告人の供述の経過を見ると、被告人は、司法警察員に対して、同四〇年一〇月二七日においては、二二日に前田方を訪問したことさえ否定し、同月三〇日においても、住民登録の移動手続と部屋の掃除の為前田方を訪問し、引越運送賃や一〇月分の日割賃料のことで論争したことは述べながら、なおゑいに対する暴行も強盗の犯意も否定していたが、同年一一月一日になると、「二二日には五月分以降の支払済賃料の返還も引越運送賃とあわせて請求し、口論のすえ、これを力ずくでも出させようと暴行に及んだ。」旨述べて先の供述を変更し、全面的に強盗の事実を認めるに至り、その後検察官に対して、同年一一月二九日以降、暴行の手段方法として布団をゑいの顔面に被せて押さえつけたことを附加供述するようになつたほかは、おおむね右変更後の供述を維持していたところ、公判廷においては、暴行の手段方法については右の供述を維持しながらも、暴行の契機については供述を変更して、「二二日には、住民登録の移動手続と部屋の掃除の用件で前田方を尋ねたのであり、その日ゑいに対して、一六日に預金通帳を窃取したことを告白したところ、同女が盗難に気付き『泥棒』などと大声で騒ぎ始めたので、同女を抑止する為、暴行に及んだ。」旨弁護人の右主張に副う供述をするに至つたことが認められる。

(二)  しかし、前記一において判断したように、被告人が一六日に預金通帳を窃取したとの事実は認められず、二二日ゑいの死亡後にこれを取つたことが明らかであるから、同日ゑいに対して預金通帳窃取の事実を告白したことが暴行の契機となつたという右供述は到底信用することができないのである。

(三)  しかも、前掲各証拠によれば、被告人は、同年一〇月一六日に一万七、八九九円の給与を支給されたが、同日新しい間借先の安岡方に賃料を支払つたり、運転手に引越運送の謝礼を支払つたりして八、〇〇〇円余を使い、翌一七日には佐藤将に一、〇〇〇円貸すなどしたほか、友人への借金返済、パチンコ等の遊興費、食費、煙草代等の雑費の支出などで、右給与を僅かの間に費消し、二一日夜には残金が相当僅少になつていたこと、被告人は、一六日引越の際、ゑいより一〇月分の日割賃料の請求を受けたが、貸主側からの要求で出て行くのだから支払う必要はないと言つてこれを断り、この件はゑいにおいて萬次郎とも相談しておくことにし、翌日被告人が訪れた時にまた話をすることになつたこと、被告人は、翌一七日佐藤将と会つた時この話をしたところ、同人もこれを払う必要はないし、かえつて五月分からの賃料を返してもらえるのではないかという趣旨のことを言つたことなどを認めることができる。

(四)  そして、仮に被告人の弁解のように二二日前田方に赴いた目的が住民登録の移動手続や部屋の掃除のためであるならば、これらは被告人の一方的な義務の履行であるばかりでなく、被告人としては、一六日のゑいとの話の成行きから、二二日に前田方に赴けば、同女から一〇月分の日割家賃を執拗に請求されるであろうことを当然予期していた筈であり、また、前田方に行くことは、当時手持金の少かつた被告人にとつてバス、国電等の往復の乗車賃等の出費を伴うので、被告人にとつてのみ一方的に不利益な結果を来す行為であるから、かようなことを約束の履行であるからと言つて、勤務の合い間に抜け出しまですると言うことは、前掲各証拠によつて認められる被告人のルーズな性格からして容易に考えられないのである。それで、被告人の右弁解は信用できないばかりでなく、かえつて、被告人は、前記認定のとおり、同月一七日には佐藤将から五月分からの賃料の返還請求ができるのではないかとの話を聞き、金にも窮していたのであるから、二二日には、ゑいにその賃料返還の話を持ちかけて、金員を出させようと目論んで前田方に行つたのではないかとの推認もできるのである。

(五)  のみならず、被告人は、前記のように、捜査段階から公判廷においても、ゑいとの口論の最中、被告人から同女の前襟を掴み、その口を押さえる等の暴行をしたことは、一貫して認めているのであつて、これを否定しうる証拠はないので、右暴行の事実は動かし難いものと言わざるを得ないのである。そして、そのような暴行に及んだ契機となつた事由については、被告人の公判廷における前記ゑいが預金通帳の盗難に気付いて大声で騒ぎ始めたので抑止するためである旨の供述は、すでに判断したように信用することができないのであり、また、単純なる暴行にすぎないことを窮わせるような証拠はないのである。むしろ、被告人が第一三回公判期日において、二二日ゑいに対し五月分からの支払済賃料を返してくれと言つたと思う旨供述していることや、前記認定のように被告人がゑいの死亡後に預金通帳などを取つていることなどを考慮すると、被告人が右のような暴行に及んだ理由は、五月分からの支払済賃料の返還を要求し、これを貫徹しようとしたためであると推認するほかないのである。

(六)  以上のように被告人が特に争わない事実、その他証拠上動かすことのできない事実のみを前提として考察して見ても、前記のことが推認されるところ、被告人の前掲各供述調書の供述記載は右推認される事実とも合致しているので信憑性も高く、これらの供述調書や他の前掲各証拠によつて、被告人が強盗の故意を有して暴行に及んだことは疑う余地がないのである。

なお、前記認定のような暴行は、必らずしも程度の重いものとは言えないけれども、前田ゑいが当時六四才の老女であつたことを考慮すれば、その反抗を抑圧するに充分であると認められる。従つて、弁護人のこの点に関する主張もまた採用することができないのである。

四、前田ゑいの死亡時期、原因について

(一)  被告人の前掲各供述等によつて、前田ゑいの死亡時の状況を見ると、被告人が倒れた同女の口を押さえたりしたあと、夏掛布団を同女の顔に被せてその上からその口付近を押さえつけているうち、同女の腹が鳴つたような音がして、同女がぐつたりと動かなくなつたこと、それで、被告人はその脈を見るなどして生死を確めてみた結果死んでしまつたものと思つたが、預金通帳を奪取したりしたあと再度確めてみたところ、やはり死亡したものと考えたこと、しかし万一蘇生されては困るとの懸念から、同女の前掛の紐を一回その頸部に巻きつけて置いたことなどが認められる。これらの事実と、後に述べるように被害者が急性心臓死したと認められることや、頸部に索条痕が残らず、生活反応が現れなかつたことなどを綜合して考えると、同女は、右のぐつたりして動かなくなつた時点で死亡したものと認めるのが相当である。

(二)  次に、前掲各証拠によれば、次のとおりの事実を認めることができる。

1 同四〇年一〇月二二日午後六時ころ前田萬次郎がゑいの死体を発見し、医師広田佳逸がこれを診察した際には、ゑいの頸部に前掛の紐がかなりきつく巻きつけられてあつたので異常であると考え、すぐ警察に連絡をとつた。

2 所轄の警視庁目黒警察署の係官は、同日実況を見分したが、死者の顔面は蒼白で、頸部に表皮剥脱や索条痕が見当らず、絞頸等による死体の所見がなかつたので、前記紐が頸部に巻かれたことによる死亡ではなく、その他の変死を疑わせる異常な所見が特に見当らなかつたことや、生前同女に高血圧の持病があつたこと、その他家内に物色のあとがないこと等から自然死ではないかと考え、行政解剖に付することとした。

3 同月二三日東京都監察医務院の監察医平瀬文子が死体を検案したが、死因不詳との結論に至り、同日同医務院監察医渡辺富男執刀のもとに行政解剖がなされた結果、他に原因となるべき所見がないので、心臓死と考えられるが、病的なものかシヨツク死等によるかは判定困難で、科学検査を待たなければ確定できないが心筋梗塞等の病死ではなかろうかとの一応の内部的結論を得たので、特に司法解剖に付することはせず、遺体は遺族に引き渡した。

4 ところが、その後被告人が銀行から萬次郎名義の預金の払戻を受けたことが判明し、私文書偽造同行使詐欺の被疑事実によつて逮捕され、右の結論に疑問が生じたので、同月三〇日検察官は渡辺監察医に、前記の解剖所見に基く鑑定を嘱託し、同監察医は同四一年二月二日、「本屍には扼死体に見られる顔面の鬱血等の所見を欠き、鼻口部閉塞による窒息死体に見られる著明な防禦損傷がなく、また、本屍の心臓所見上病死と断定すべき形態学的変化が認められない。そして、本屍が一見急性心臓死の所見を呈し、又〓部に米粒大の表皮剥脱があり、これは頸部に外力の作用した証跡としうるので、本屍の死因は、頸部圧迫による頸動脈洞反射に基く心臓停止と推定する。」旨の鑑定をした。

(以下渡辺鑑定と言う)

5 次いで、検察官から同四〇年一一月一三日右渡辺監察医の解剖検査記録等に基いて鑑定を嘱託された医師斎藤銀次郎は、同四〇年一二月二五日、「本屍には、死因となるような疾病がなく、特異体質とも認められない。機能的急性心臓死を推定するには資料が不充分であるが、本屍の心臓には形態学的病変は認められない。そして本屍には、眼瞼結膜の溢血点や血液の暗赤色流動性等急性死の死体ことに窒息死体に認められる所見があり、舌尖の位置や尿失禁などの事実も窒息死体に認められる所見と矛盾しない。本屍には頸部圧迫の所見はないが、下口唇左側に粘膜損傷、〓部の右後(下)部に表皮剥脱が認められることなどから判断すると、死因は、表面の滑らかな軟らかいもので鼻口部が圧迫閉寒されたために惹起された鼻口部(呼吸口)閉塞による窒息ではなかろうかと推測される。」旨の鑑定をした。

(以下斎藤鑑定と言う)

6 更に、同四三年三月二八日の第一一回公判期日において当裁判所より、前記の資料等による鑑定を命ぜられた医師上野正吉は、同年七月二〇日、「死体臓器の顕微鏡標本について検査したところ、本屍には、肺胞壁、肺胞内の一部に心臓病細胞が多数集積してみられるなど、心臓および循環系統に相当に高度の変化が認められ、本屍の心臓は心臓死を来たすに充分な素質をもつているといい得る。本件ではこれに加え、一般所見として急死所見があるから、この両者を結びつけて本屍の死因は心臓死とすべき可能性がある。本屍と同様の心臓所見を呈すべき頸動脈洞圧迫による心停止や、鼻口部閉塞による窒息死については、そのような外力が加わつたことを証明すべき所見が余りに乏しく、その他の死体の所見とあわせて考えても、そのような可能性は少い。従つて、本屍の死因は、病死に属する心臓死か外因によつて誘発された心臓死であると推定する。」旨の鑑定をした。

(以下上野鑑定と言う)

(三) 以上右の三回の各鑑定を比較対照するに、渡辺、斎藤両鑑定は、いずれも、上野鑑定人の発見した心臓、循環系統の高度の変化を前提としていないし、頸動脈洞圧迫による心停止を推定する為には、〓部の表皮剥脱一個のみでは、頸部に圧迫外力の加わつた証跡として余りに根拠に乏しく、鼻口部閉塞による窒息死を推定するにも、右同様外力の加えられた証跡が軽微に過ぎるばかりでなく、顕著な防禦損傷も見当らず、顔面部の鬱血等右推定を積極的に支持すべき屍体所見も見当らないのでやはり根拠に乏しいと言わざるを得ず、このような所見を有する屍体が、頸動脈洞反射に基く心臓停止、或は鼻口部閉塞による窒息を死因とすることがありうるとしても、それは甚だ稀な場合であると言うことができ、これに心臓、循環系統の高度の変化の所見が加えられた現時点においては、ゑいの屍体所見から推定されるべき死因としては、急性心臓死とするのが、最も蓋然性の高い、無理のないものと認められる。

(四) そして、前記認定のとおり、ゑいの死亡したのは、被告人から口を押さえられて後方に倒れ、更に口や頸部附近を押さえられたのち、夏掛布団を顔に被せられ、その上から口附近を押さえられていた時であるところ、このような状況下にあつた同女が、被告人のこれらの暴行と全く無関係に、偶然純粋の病死(心臓死)をしたとは到底認めることができず、上野鑑定とあわせ考えても、同女の死因は、被告人の暴行によつて誘発された急性心臓死であると認めるのがごく自然な結論である。

なお、また、前掲各証拠によれば、ゑいは当時六四才の高齢であり、高血圧の持病で日頃から医者通いをし、坂道では時に立ち止まつて休むこともあつたのであり、被告人はこれらの事実を知つていたことが認められるのであつて、このような病弱な老人に、右のような暴行を加えれば、心臓死等死の結果を見るに至る場合のあることは通常予想できることであるから、被告人の暴行と同女の死亡との間には因果関係があると言うことができる。

(五) 以上のように、ゑいの死因は、被告人の暴行によつて誘発された急性心臓死であり、その間の因果関係も肯認できるから、この点に関する弁護人の主張も採用できないのである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の強盗致死の所為は刑法第二四〇条後段、第二三六条第一項に、判示第二の各所為のうち、私文書偽造の点は同法第一五九条第一項に、偽造私文書行使の点は同法第一六一条第一項、第一五九条第一項に、詐欺の点は同法第二四六条第一項にそれぞれ該当するところ、判示第一の強盗致死罪の所定刑中無期懲役刑を選択し、判示第二の私文書の偽造と、その行使と、詐欺との間には、順次手段結果の関係があるので同法第五四条第一項後段、第一〇条により一罪として最も重い詐欺罪の刑で処断することとし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが、判示第一の強盗致死罪について無期懲役刑に処すべきときであるから、同法第四六条第二項本文により他の刑を科せず、後記のような情状を考慮して同法第六六条、第七一条、第六八条第二号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中一、〇〇〇日を右の刑に算入することとし、訴訟費用については、被告人が貧困でこれを納付できないと認め、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、これを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件犯行は、被告人が金員に窮した結果、前家主の妻に対し支払済賃料の返還を要求して拒絶されるや、強いてでも金員を差し出させようと決意して判示のような暴行を加え、その結果同女を死に至らせて、預金通帳等を強取し、その後、家主名義の預金払戻請求書を偽造行使して銀行より現金を騙取したものであるところ、その動機を見るに、被告人は、給与や時々の実家からの仕送りによつて生活を維持しうるのに、パチンコ遊戯、喫茶店、バー通いをするなど無計画、自堕落な生活をするようになつた為、到底給与等では賄うことが出来なくなり、友人達に借金を重ね、本件犯行前受領した給与も僅か一週間くらいのうちに費消してしまつて金員に窮した挙句、家主に支払済賃料を返還させようと言う非常識な要求をしてまとまつた金を得ようと考え、家主の妻にその要求をして同女がこれに応じないと見るや、敢えて本件犯行に及んだもので、その動機には同情の余地がない。また、その態様を見ても、暴行によつて同女を死に至らせるや医師に連絡するなどの処置をとるどころか、かえつて金員奪取の意図を貫徹しようと預金通帳や現金を奪うとともに、自分の使用した茶碗、スプーンを洗つたり、契約書を元の位置に戻したり、同女の死体の位置を直すなどして自然死に見せかけたりするなど、終始冷静、沈着とも言うべき配慮のもとに犯跡の隠滅を図り、これがため一時は捜査当局に自然死であるとの誤解さえ生ぜしめたばかりか、更に既に死亡している同女が万一蘇生することを懸念して前掛の紐をその首にきつく巻きつけるなど念を入れており、その後も、知らぬ顔で被害者宅を訪れ、預金通帳の紛失に気付かれていないと見るや、遺族であるかのように装つて銀行から預金の払戻を受けるなど、被告人の冷酷、非情な性格を窺わせるのであつて、同女に長年連れ添い共に被告人を間借人として世話さえした夫前田萬次郎の心情にも思いを至すときは、その責任は誠に重大であると言わなければならない。

しかしながら、被告人は、当初、単に同女を説得して金を出させようと目論んでいたに過ぎず、強盗に及んだのは、その場の口論のなりゆきから、かねて同女に抱いていた悪感情も手伝い一時の憤激の念にかられたことも手伝つた偶発的行為であつて、その暴行によつて同女が死に至ろうとは全く予想していなかつたし、その暴行の程度も、高齢の同女に対しては反抗抑圧の程度に達していたとは言え、必ずしも通常死の結果を見るべき程に強度のものではなく、たまたま同女に高度の心臓病変などがあつたが為に死への転帰を見るに至つたもので、このことは同女にとつてはもちろん、被告人にとつても不幸な結果であつたと言いうることなどは、斟酌する必要がある。また、本件犯行後の行為を見ても、一方では犯跡隠滅の工作をしながら、他方では同女の首に前掛の紐を巻きつけたまま放置するなど矛盾した行動をとつていて、自己の行為が余りに重大な結果を来して動転していたことを窮うことができ、人間的な心情を必ずしも見出し得ないではないのである。更に、被告人がかつて宇宙ロケツト開発の研究に情熱を持ち、向学心に燃えて実家を離れ、夜学に通いながらその志を着実に果たそうとしていたことは評価すべきであり、夜間部から東京大学の大学院に進むことが困難であると知りながらも、昼間部に移る経済的余裕がないことから挫折感に悩み、生活態度が崩れるようになつたことにも同情の余地がないとは言えないし、現在被告人は本件犯行については深く反省もしているのである。

以上のような点を考慮して主文の刑を量定した。

よつて、主文のとおり判決する。

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