東京地方裁判所 昭和40年(合わ)830号 判決 1967年6月24日
主文
被告人赤瀬川克彦を懲役三月に、
被告人伊藤静および同安正茂をおのおの懲役一月に処する。
被告人三名に対し、それぞれ、この裁判の確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
押収してある千円の日本銀行券表側図柄の印刷用銅版一枚(昭和四一年押第一、一〇〇号の一)を没収する。
被告人赤瀬川克彦および同安正茂は、昭和三八年五月中旬ごろにおける、緑に黒をまぜたインクを用いた印刷による千円の日本銀行券約九〇〇枚の模造の点については、無罪。
理由
一、被告人らの経歴
被告人赤瀬川克彦は、昭和二八年三月名古屋市内の旭ケ丘高等学校美術科を卒業した後上京し、東京都内の武蔵野美術学校洋画科に入学したが、昭和三一年同校を中退し、以後装飾屋、看板屋などの仕事をして生活しながら絵画等美術作品の創作活動を行なつているもの、被告人伊藤静は、千葉市内の中学校を卒業した後印刷工として働き、昭和三六年から独立して、東京都文京区江戸川町七番地において、有限会社三恵印刷所(以下三恵印刷所の略称する。)の代表取締役として、同会社の事業たる印刷業の経営に当たつているもの、被告人安正茂は、同都内の小学校を卒業した後印刷工などとして働き、昭和三七年四月からは同都北区中里町三二七番地において、安正印刷所の名称で、印刷業を営んでいるものである。
二、戦後抽象美術の動向と被告人赤瀬川の作品歴
昭和三〇年頃以降、わが国でも、アンフオルメルないしはアクシヨン・ペインテイングと呼ばれる戦後抽象美術の新しい様式が次第に隆盛になり、次いで、ネオ・ダダイズム、ヌーヴオー・レアリスムあるいはポツプアートと呼ばれる新しい様式が現われて来た。これらの戦後抽象美術は、いずれも、戦後マス・メデイア、マス・プロダクシヨンといつた機械文明・産業主義文明の極度の発達にともなつて古典的な人間性や自然の観念が解体しようとする傾向のある現代において、美術活動自体も、それに応じておのずから変容を余儀なくされ、その結果として出現して来たものと考えられるのであつて、これらの抽象美術の潮流は、日常生活に密接な関係を持つ日用品とか、役に立たなくなつた廃品とかのもろもろの人工品を素材とした作品を産み出し、また、アトリエで描いたタブローを展覧会で発表するという在来の表現形式に飽き足りず、もつと自由な環境の中に表現行為を解放したいという熱望から、ある時間、ある空間で観客の前でさまざまな手段を通して表現行為に訴えるハプニングないしイヴエントと呼ばれる表現形式を産み出していた。
このような戦後抽象美術の潮流の中で、被告人赤瀬川は、読売アンデパンダン展、シエル美術賞コンクール、その他数々の個展、グループ展などによつて、ベニヤ板にガラスコツプを貼りつけた作品、タイヤのチユーブ、ラジオの真空管などを組み合わせた作品、写真の切り抜きを寄せ集めたコラージユの作品、椅子、扇風機などを包装紙で梱包した作品など種々の作品を発表し、また美術活動グループ「ハイレツドセンター」の構成員ともなり、数多くの実験的なハプニングやイヴエントなどに参加するなどして、活動をつづけていた。
三、罪となるべき事実
被告人赤瀬川は、昭和三八年一月ごろから、日常生活の中で最も普遍的な性質を持つ千円の日本銀行券(当時流通していた聖徳太子像のあるもの。以下千円札と略称することがある。)に着目し、これを素材として作品を作ろうと考えたが、
第一 同被告人は、たまたま昭和三八年二月五日から同月一〇日までの間東京都新宿区内の新宿第一画廊で同被告人の個展を開催する計画を進めていたので、この機会に参観者の招待をかねて千円札を素材にした作品を知人に送付しようとの考えを起し、同年一月下旬ごろ、佐藤健を介して同都文京区音羽町九丁目八番地製版業有限会社日新堂の製版工内木謙作に依頼して、写真製版の方法により、右千円の日本銀行券表側と同一寸法・同一図柄の印刷用銅凸版(真正の千円券の撮影によるもの)および個展案内文を記載した右と同一寸法の印刷用銅凸版各一枚を作らせ、同年一月二五日ごろ、大西展児こと大西信夫を介して、前記三恵印刷所において、被告人伊藤に前記銅版二枚を渡して、これにより千円札表側と同一寸法・同一図柄のものの印刷を依頼するとともに、その裏面に右個展案内文の印刷を依頼し、ここに、被告人赤瀬川、大西および被告人伊藤の間に順次千円の日本銀行券(現行日本銀行法のもとにおいては、通貨および証券模造取締法第一条にいう銀行紙幣に該当する。)に紛わしい外観を有する印刷物を製造する共謀が成立し、この共謀により、被告人伊藤は、そのころ前記三恵印刷所において、その工員小島安雄に命じ、前記各銅版を用いて、クリーム色上質紙の表面に千円の日本銀行券表側と同一寸法・同一図柄のものを、裏面には右個展案内文をそれぞれ緑色のインクで二枚つづきに一色刷りした印刷物約一五〇枚を印刷させ、そのころ右大西がこれを同都文京区江戸川町一番地鈴木紙截所こと鈴木秀夫方に持参して右印刷物を千円の日本銀行券と同一寸法に個別に裁断させ、もつて、日本銀行発行の千円の日本銀行券に紛わしい外観を有するもの約三〇〇枚を製造し
第二 被告人赤瀬川は、同様千円札を素材とした別個の作品の製作に用いるため、昭和三八年三月ごろ、椙田房江を介して、前記安正印刷所において、被告人安正に前記千円の日本銀行券表側と同一寸法・同一図柄の印刷用銅凸版一枚を渡してその印刷を依頼し、ここに、被告人赤瀬川、椙田および被告人安正の間に順次千円の日本銀行券に紛わしい外観を有する印刷物を製造する共謀が成立し、この共謀により、被告人安正は、そのころ前記安正印刷所において、右銅版を用いて、薄クリーム色上質紙の表面に千円の日本銀行券表側と同一寸法・同一図柄のものを緑に黒をまぜたインクで三枚つづきに一色刷りした印刷物約三〇〇枚を印刷し、翌日ごろこれを同都豊島区駒込二丁目二〇二番地製本業皆川昭三方に持参して千円の日本銀行券と同一寸法に個別に裁断させ、もつて日本銀行の発行する千円の日本銀行券に紛わしい外観を有するもの約九〇〇枚を製造し
第三 被告人赤瀬川は、同様の意図のもとに、同年九月ごろ、同様前記椙田を介して、前記安正印刷所において、被告人安正に右銅版により前同様千円の日本銀行券表側と同一寸法・同一図柄の印刷物の印刷を依頼し、ここに、被告人赤瀬川、椙田および被告人安正の間に順次千円の日本銀行券に紛わしい外観を有する印刷物を製造する共謀が成立し、この共謀により、被告人安正は、そのころ前記安正印刷所において、その従業員秋山喜平に命じて、右銅版を用いて、茶色クラフト紙の表面に千円の日本銀行券の表側と同一寸法・同一図柄のものを黒色のインクで三枚つづきに一色刷りした印刷物約三〇〇枚を印刷させ、そのころこれを前記製本業皆川昭三方に持参して千円の日本銀行券と同一寸法に個別に裁断させ、もつて、日本銀行の発行する千円の日本銀行券に紛わしい外観を有するもの約九〇〇枚を製造し
たものである。<中略>
六、一部無罪の理由
本件公訴事実中
被告人赤瀬川および同安正は、共謀のうえ、昭和三八年五月中旬ごろ、安正印刷所において、秋山喜平をして茶クラフト紙の表面に実物大の千円紙幣の表側を緑に黒をまぜたインクを用いて一色刷りさせ、もつて、実物大の千円紙幣に紛わしい外観を有する印刷物約九〇〇枚を製造した
との事実については、通貨および証券模造取締法第一条にいう銀行紙幣に紛わしい外観を有するものたるには、それが一枚ずつ個別に裁断されたものであることを必要とすると解すべきところ、本件訴因には右裁断の事実の記載がなく、また、本件審理の結果によつても、訴因に示された印刷の過程までが認められるに止まり、かかる裁断までには至つていないことが明らかである。したがつて、この事実は、犯罪を構成しないことが明らかであるから、刑事訴訟法第三三六条により、無罪の言渡しをする。
七、弁護人の主張に対する判断
(イ) 本件行為が通貨および証券模造取締法違反罪の可罰的違法類型に該当しない等の主張について。
弁護人は、被告人らの本件行為は、通貨および証券模造取締法第一条、第二条等に当たる可罰的違法性を有せず、あるいは実質的違法性を欠くなどの理由から、結局犯罪を構成しないと主張するので、この点について判断する。
通貨および証券模造取締法の保護しようとする法益は、刑法上の通貨偽造罪におけるそれと同じく、通貨等の真正に対する社会の信頼、ひいてはそれから生ずる取引の安全にあると解すべきである。すなわち、この種の模造行為は、未だ刑法上の偽造罪を構成する程度に達しないものであつても、なお、通貨等に対する公の信用を害するおそれがあると考えられるため、本法でこれを禁止しようとする趣旨と考えられる。本法の保護法益をこのように解すれば、本法第一条にいう「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」との文言は、通常の取引の過程で通常人をして真正な通貨等と誤信させる程度には到らないが、その行使の場所、時、態様あるいは相手方など、その用い方のいかんによつては、なお、人をして真正の通貨等と誤認させるおそれがあり、欺罔の手段としても用いられ得る危険性を持つものを指すと解すべきである。したがつて、本罪が成立するためには、単に真正な通貨等の外観を模擬するのみでは足りず、その模擬の程度が右に述べた程度の危険性を帯有するまでに到つていることが必要であると解する。
そこで、本件被告人らの製造した各印刷物がここにいう「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」に該当するか否かを考えてみると、本件各印刷物は、いずれも一面刷りとはいえ、真正の千円札の表側と全く同一寸法・同一図柄のものであり、しかも、その図柄は、直接真正の千円札をもとにして写真製版の方法を用いて印刷したもので、相当精巧なものであり、また、一色刷りではあるが、その色彩は、真正の千円札の基調をなしている色と同系の黒ないし緑であつて、裏面が真正の千円札と全く異なつた図柄あるいは白紙であることや、その紙質が真正の千円札と相当異なつていることなどの点を考慮に入れても、なお、前述した程度の危険性を有しているものと認められる。
また、被告人らの行為が無償の芸術上の表現行為であることや、本件模造千円札の現実の用途およびそれによる法益侵害の有無、程度等からも、未だ本件被告人らの行為が可罰的違法性あるいは実質的違法性を欠くものであると認めることはできない。
(ロ) 通貨および証券模造取締法第一条ないしその本件行為に対する適用は、憲法第二一条、第三一条に違反して無効であるとの主張について。
弁護人は、通貨および証券模造取締法第一条は、表現の自由を不当に侵害するものであつて、憲法第二一条に違反して無効であり、少なくとも通貨および証券模造取締法第一条を本件行為に適用することは、憲法第二一条に違反して無効であり、また、通貨および証券模造取締法第一条の「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」との文言は、あまりに漠然とした不明確なものであつて、この点からも同法は、憲法第三一条、第二一条に違反して無効であると主張するので、これらの点について判断する。
まず、通貨および証券模造取締法第一条の規定自体が抽象的に憲法第二一条の保障する表現の自由に抵触するものであるか否かを考えると、前記のように、通貨および証券模造取締法は、未だ刑法の通貨偽造罪等を構成する程度にまでは達していないものであつても、通貨等を模造する行為がなお通貨等に対する公の信用を害するおそれがあると考え、そのような行為を刑罰をもつて禁止しようとしたものであつて、その立法理由は、合理的なものと認められるところであり、また、通常の場合には、そのような通貨の模造行為に特に表現行為としての保護に値する価値を認めることは、困難であるから、この法律自体が抽象的に憲法第二一条に違反して無効となるものとは、到底認められない。
そこで、さらに本法を本件のような行為に適用することが憲法第二一条に違反するか否かを考えると、被告人赤瀬川の当公判廷における供述、同被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、さらに弁護人側申請各証人の当判廷における供述等によれば、被告人赤瀬川の本件「千円札」印刷物の各製造行為は、いずれも、いわゆるハプニングとしての要素を含んだ表現行為として、あるいは芸術上の作品を創作するための素材を作る行為として、行なわれたものであることが認められるから、このような場合に、被告人らの本件行為に刑罰を科することは、同被告人らの芸術上の表現の自由、さらにはこれら作品ないし表現活動を一般国民が鑑賞ないし享受し得る自由を侵害することになるものといわなければならない。しかしながら、憲法の保障する表現の自由は、無制限なものではなく、その表現行為が同時に他の法益に対する侵害を伴う場合には、その表現の自由は、ある程度の制限を免れ難いことは当然である。そして、具体的な個々の表現の自由に対する制限が合憲であるか違憲であるかの判断は、その制限によつてもたらされる利益とこれによつて失われる利益とを比較することによつて行なうべきものである。そこで、本件の場合について考えてみると、すでに述べたごとく、本件模造千円札は、その行使の場所、態様などその用い方のいかんによつては、世人をして真正の通貨と誤認させるおそれがあつて、取引手段たる通貨に対する社会の信用を害する危険性を持つことが明らかであり、本件「千円札」印刷物の製造行為が芸術活動であるからといつて、この場合の表現の自由がかかる危険性を無視してまで保護さるべき程度に達しているものとは認められない。したがつて、通貨および証券模造取締法を本件行為に適用することが憲法第二一条に違反するものとは認められない。
また、通貨および証券模造法第一条の「紛ハシキ外観ヲ有スルモノ」との規定は、前記のように合理的な解釈をすることが可能な規定であつて、憲法第三一条の罪刑法定主義の要請に反する程度に不明確な規定とは認められないから、この点でも、本法が憲法に違反して無効であるとは認められない。
(ハ) 被告人らには違法性の認識の可能性がない等の理由により故意の成立が認められないとの主張について。
弁護人は、被告人らは、いずれも通貨および証券模造取締法の存在、それについての従来の判例の内容を全く知らず、したがつて、本件行為が違法であるとの認識がなく、しかも、本件模造千円札が一見して真貨でないことが明白なものであつたこと、さらに、被告人安正の場合には、警察の許可があるものと誤信していた等の事情から、被告人らが違法の認識を欠いたことがやむを得ないと認められ、したがつて、故意責任が阻却されるべきであると主張するので、この点について判断する。
一般に故意ありとするには、犯罪構成要件に該当する具体的な事実の認識があれがよく、その行為の違法を認識することまでは必要でないことは、刑法第三八条第三項本文の規定するところである。ただ、違法の認識を欠くことについて過失がなく、違法の認識を欠くことも止むを得ないと認められる場合には故意責任が阻却されるとの考え方もあるので、本件の場合について考えてみると、被告人らにおいて、本件模造千円札の形態、図柄等についての認識があつたことは明らかであり、このような認識のある以上、右模造千円札の製造が芸術上の創作行為として行なわれたものであること、あるいは案内状に用いる目的で行なわれたものであること、また、たとえ警察の許可がとつてあつたと誤信していた等の事情があつたとしても、未だ本件行為の違法性の認識の可能性がなかつたものとは到底認められず、したがつて、被告人らは、故意責任を免れないものというべきである。
(なお、弁護人は、現在、紙幣のデザインをプリントした玩具類、灰皿、ハンカチーフあるいは広告宣伝用のチラシ等紙幣類似物が巷に氾濫しているのに、これら多数の紙幣類似物をさしおいて、本件被告人らの行為のみを通貨および証券模造取締法違反で起訴することは、法の下の平等を定めた憲法第一四条、法定手続を保障した憲法第三一条などの趣旨から考えて、本来のあるべき公訴権行使の範囲を著しく逸脱したもので、公訴権の濫用であるから、本件公訴は棄却さるべきであると主張するので、この点について判断すると、現行法制のもとでは、起訴不起訴の判断は、原則として検察官の裁量に委ねられているから、仮に検察官がその判断を誤ることがあつても、それは、単に不当であるにとどまつて、直ちに違法とはならないのが原則である。ただ、その裁量には刑事訴訟法第二四八条および条理上の制約が存するものと解すべきであるが、本件の場合について考察すれば、弁護人らが紙幣類似物が氾濫している事実を立証するために提出した各証拠物は、いずれも、その形態、大きさ、図柄などの点において真正の通貨と著しい相違があるものであつて、通貨および証券模造取締法第一条を前に述べたように解する限り、通貨に対する社会の信用を害するおそれがあるとは認め難く、いずれも同法の構成要件に該当するとは解し得ないものである。したがつて、検察官が本件被告人らの模造千円札製造行為を通貨および証券模造取締法違反で起訴するに至つた判断は、未だ違法となるまでに公訴権を濫用した判断であるとは認められない。それゆえ、弁護人の公訴棄却を求める申立は、理由がないというべきである。)
よつて、主文のとおり判決する。(堀義次 立原彦昭 涌井紀夫)