大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)112号 判決 1966年6月23日

被告人 成島道官 外六名

主文

一、被告人沢野、同内海を各懲役六月に

被告人丸山を懲役三月に

被告人大田を罰金五万円に

被告人成島、同中井、同仲田を各罰金三万円に

処する。

二、但し、被告人沢野、同内海、同丸山に対しては、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

三、被告人大田、同成島、同中井、同仲田が右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

四、訴訟費用中、

1、証人岩川藤吉郎、同黄川田昭夫、同田中克之、同菅野芳彦、同塩田旭、同鈴木洋助、同安藤美奈子、同吉羽忠、同金井精一、同塙登、同小島勝視、同木下宏、同浅田洋治、同山本浩司(但し昭和四〇年一二月一一日出頭の分)、同山崎正四郎に支給した分は被告人大田を除く全被告人の平等負担とし、

2、証人鳥越末雄、同田島省吾、同川原春雄に支給した分は被告人沢野、同内海の平等負担とし、

3、証人茂垣之吉、同高橋重年、同山本浩司(但し昭和四一年一月二〇日出頭の分)に支給した分は被告人丸山、同大田の平等負担とし、

4、証人除村明、同藺牟田正行、同風間敏、同紀野国秀雄、同石塚善規、同前川繁に支給した分は被告人沢野の単独負担とし、

5、証人高橋一成、同長崎弘、同平原昭登、同山下晋、同百瀬允宏、同上田保之、同大江達訓、同熊谷宜典、同伊藤武智、同斎藤司、同竹下勝彦、同萩谷高一、同薄羽美千穂、同斎藤秀夫、同串田昭吾、同村上重喜、同森川義朋、同友井幸次郎、同沢田文雄、同落合輝夫、同土屋準一郎に支給した分は被告人内海の単独負担とする。

理由

第一羽田事件

(事件の背景及び被告人らの地位)

日韓基本条約仮調印のため日本政府を代表して椎名外務大臣が昭和四〇年二月一七日東京都大田区羽田所在東京国際空港から空路韓国に赴くに際し、かねてから日韓会談そのものに反対していた東京都学生自治会連合(略称都学連)再建準備委員会は、その傘下の東京都内及び近県の各大学自治会所属の学生多数を動員し、椎名外務大臣の訪韓に対する抗議行動として、同日午前中羽田周辺において「日韓会談反対、椎名訪韓阻止全都学生統一行動」と名付ける集団示威運動を行うこととなつた。

その実施に先立ち、主催者から東京都公安委員会に提出された集団示威運動許可申請書によれば、右集団示威運動の場所及び順路は、東京都大田区萩中三丁目六番地の空地を集合場所とし、同所から行進を開始し同番地の七東京電力株式会社羽田サービス・ステーション前、同区東糀谷三丁目三番地大草時計店前三差路を経て環状八号線道路に入り空港方向に進み、同区羽田旭町一六番地朝日電装商事ビル手前で右折して通称稲荷橋通りに入り、同区羽田六丁目五番地先の右稲荷橋通り上(同区羽田旭町一六番地京浜急行バス第二車庫前附近)まで行進したうえ、同所において解散するというものであつた。これに対し東京都公安委員会は、秩序保持に関する事項として「解散は指定の場所で行なうこと」、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること」、「蛇行進、渦巻行進、ことさらな駈足行進、遅足行進、停滞またはいわゆるフランスデモ等、交通秩序をみだす行為をしないこと」などの条件を付して集団示威運動の実施を許可した。

本件集団示威運動の実施当日の二月一七日には、午前八時四〇分頃までに学生約四五〇名が所定の集合場所である前記空地に集合した。

被告人成島は昭和三八年四月東京大学教養学部に入学し、当時同学部文科二類第二学年に在学していた者、被告人中井は昭和三四年四月専修大学商経学部経済学科に入学し、昭和三八年三月同大学から除籍されたが、在学中にひきつづきその後も学生運動に従事していた者、被告人仲田は昭和三九年四月横浜国立大学工学部に入学し、当時同学部機械工学科第一学年に在学していた者、被告人丸山は昭和三八年四月横浜国立大学経済学部に入学し、当時同学部第二学年に在学していた者、被告人沢野は昭和三七年四月早稲田大学第二政治経済学部に入学し、当時同学部政治学科第三学年に在学していた者、被告人内海は当時日本社会事業大学社会福祉学部社会事業学科第三学年に在学していた者であつて、右被告人六名はいずれも本件集団示威運動に参加したが、特に被告人成島、同中井は予め現場責任者としてその氏名が届け出られていた。

(罪となるべき事実)

(一)  本件集団示威運動に参加した学生約四五〇名は、同日午前八時五五分頃二梯団に分れ相前後して前記空地を出発し、所定の行進路線に従つて行進をはじめたが、右集団示威運動の実施について東京都公安委員会の付した前記交通秩序維持に関する許可条件に違反して、同日午前八時五五分頃から午前九時八分頃までの間、前記空地から同区萩中三丁目七番地の七東京電力株式会社羽田サービス・ステーション前、同区東糀谷三丁目三番地大草時計店前三差路を経て同区羽田五丁目一番地京浜急行バス羽田営業所前までの道路上において、終始約一〇列、時としては約二〇列の縦隊となつて行進したほか、ことさらな駈足行進、駈足蛇行進を行ない、同日午前九時八分頃から同一二分頃まで約四分間にわたり前記京浜急行バス羽田営業所前道路上においてことさらな停滞をなし、同日午前九時一二分頃から同二四分頃までの間、右羽田営業所前から同区羽田旭町一一番地荏原製作所羽田工場前までの道路上において、約一〇列から二〇列の縦隊となつて行進したほか、ことさらな駈足行進、駈足蛇行進を行ない、ひきつづき同日午前九時二四分頃から三二分頃までの間、右荏原製作所羽田工場前から同区羽田六丁目五番地先までの道路上において、六、七列縦隊となつてことさらな駈足行進を行なつた。

その際、

(1)  被告人成島、同中井、同仲田、同丸山は、山口紘一ほか数名の学生と共謀の上、同区萩中三丁目六番地先から前記京浜急行バス羽田営業所前までの道路上において、被告人成島、同中井が行進中の学生隊列第一梯団の先頭列外に、被告人仲田、同丸山が同第二梯団の先頭列外にそれぞれ位置し、号笛を吹き、掛け声をかけ、各梯団の先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿を握り、時折り先頭隊伍に正対し中腰になつて背進するなどして、右区間内における学生集団の一〇列以上の隊列によることさらな駈足行進、駈足蛇行進を指揮誘導し、

(2)  次いで、被告人成島、同中井、同仲田は、大田一穂ほか数名の学生と共謀の上、前記学生隊列が前判示京浜急行バス羽田営業所前路上にさしかかつた際に大田が号笛を吹いて隊列をその場に停止させた上、被告人仲田がシュプレヒコールの音頭をとり、被告人成島が電気メガホンを用いて学生集団に煽動演説を行うなどして、同所における学生集団のことさらな停滞を指導し、

(3)  被告人丸山は高橋孝吉ほか数名の学生と共謀の上、前判示京浜急行バス羽田営業所前から同区羽田六丁目五番地先までの道路上において、進行中の学生隊列の先頭列外あるいは先頭隊伍の左側方などに位置し、号笛を吹き、先頭隊伍の肩に腕をかけ、時折り先頭隊伍に正対して背進するなどして、右区間内における学生集団の六、七列から約二〇列までの縦隊をもつてすることさらな駈足行進、駈足蛇行進を指揮誘導し、

もつて、東京都公安委員会の付した許可条件に違反して行なわれた集団示威運動をそれぞれ指導した。

(二)  右学生らの隊列は同日午前九時三二分頃行進の終点間近である同区羽田旭町一六番地朝日電装商事ビル附近路上において、前記許可申請書の記載事項に違反して同町一五番地穴守橋方面に進行しようとして、同ビル角附近路上で警備に当つていた警視庁第一機動隊所属の警察官の列に突当つたので、同警察官らが右の違法な路線変更を制止して所定の行進路線に従つて行進させるため、人垣をもつて学生隊列の進行を阻んだ上、これを所定の解散地点である稲荷橋通り上の同町一六番地京浜急行バス第二車庫の方向に押していたところ、午前九時三五分頃右任務に従事中の第一機動隊所属警察官一〇数名が、側方から突入してきた学生集団中に巻込まれて本隊から分断されるという事態が生じた。

その際、被告人沢野は、右警察官らのうち巡査除村明、同藺牟田正行の両名が多数の学生に取り巻かれ人波の中を押し流されているのを目撃するや、とつさに附近の学生らを掻き分けて右両巡査の身辺に近寄り、前記朝日電装商事ビル裏手の稲荷橋通り上で、これを取り囲んでいた約一〇名位の学生と互いに意思を通じ、両巡査の着用していたヘルメットをもぎ取つた上こもごも手拳で両名の頭部、顔面を殴打する等の暴行を加えてその職務の執行を妨害するとともに、右暴行により除村巡査に対し全治約一週間を要する顔面頭部外傷、藺牟田巡査に対し全治約二日を要する右眼部挫傷の傷害を与えた。

(三)  前記のように穴守橋方向への進行を阻止された学生集団は、同日午前九時四〇分頃警視庁第一機動隊に押されて同区羽田旭町一六番地京浜急行バス第二車庫前の稲荷橋通り路上まで後退したが、同所において、本件集団示威運動の実施について東京都公安委員会の付した前記秩序保持に関する許可条件に違反して解散しないばかりか、なおも穴守橋方向に向つて集団示威運動を継続すべく同所から環状八号線通りに逆行しようとする動きを見せていたので、先に行なつた路線変更に対する制止措置の効果を確実にするため、紀野国秀雄外四名の第一機動隊所属の警察官が同隊所属のB型広報車第四号に乗車して車両による学生集団の進路閉塞の任務に従事し、かつ、同隊所属の警察官石塚善規が右広報車に便乗しその天蓋上から右学生集団を対象として写真撮影による採証活動を行なつていた際、同区羽田六丁目五番地さがや食堂前の稲荷橋通り路上において右広報車と対峙していた学生集団先頭附近にあつた被告人沢野は、他二〇数名の学生と互いに意思を通じ、同日午前九時四四分頃から同四七分頃までの間前後二波にわたり各一分間位宛、前記警察官らが現に乗車している右広報車の下部に手をかけあるいは側方から押すなどして、右広報車が転倒するのではないかと危惧される程激しくこれを左右に揺り動かし、もつて前記紀野国秀雄外四名及び石塚善規の各職務の執行を妨害した。

(四)  その後右学生集団は同日午前一〇時一二、三分頃投石をつづけながら右第一機動隊の阻止線を突破して稲荷橋通りから環状八号線通りに進出し、穴守橋方面に向つて進行したが、穴守橋手前において同機動隊の実力行使に遭つて解散させられようとしたが、右学生らのうち約三〇〇名は同日午前一〇時三〇分頃、前記集団示威運動許可申請書の記載事項に違反して同区羽田六丁目四番地先の日本特殊鋼株式会社成徳寮と日本航空株式会社羽田分工場との間の通称成徳寮通り路上に集結して隊列を整えた上、あくまでも穴守橋方面に向つて行進を継続しようとしたので、警視庁第五機動隊所属の警察官約一四〇名が右成徳寮横路上において同隊隊長警視鳥越末雄指揮のもとに一団となつてこれが制止並びに採証活動の任務に従事していた際、同機動隊の阻止線を突破して再度環状八号線通りに進出しようとする右学生集団中にあつた被告人内海は、現場においてほか多数の学生と互いに意思を通じ、同日午前一〇時五二分頃から午前一一時七分頃までの間、同被告人を含む数名の学生が前記成徳寮敷地内及び同所のブロック塀上から、一部の学生が成徳寮通り入口に配置されていた警備車の車上及び日本航空株式会社羽田分工場の金網塀上から、その余の多数の学生が成徳寮通り路上から、それぞれ前記第五機動隊所属の警察官らに対し石及びコンクリート破片等を投げつける等の暴行を加え、もつて右第五機動隊所属の警察官らの前記職務の執行を妨害するとともに、同隊隊長警視鳥越末雄外二一名の警察官に右投石を命中させて同人らに対し別紙受傷者一覧表記載のとおりそれぞれ傷害を与えた。

(証拠)<省略>

第二国会請願事件

(罪となるべき事実)

被告人大田は昭和三七年四月東京大学教養学部に入学、昭和三九年四月同大学経済学部に進学し、当時同学部経済学科第四学年に在学していた者、被告人丸山は昭和三八年四月横浜国立大学経済学部に入学し、当時同学部第三学年に在学していた者であつて、被告人両名はいずれも、昭和四〇年一〇月一二日、東京都新宿区霞ケ丘一番地明治公園において開催された原潜寄港阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会主催の「日韓条約粉粋、ベトナム侵略反対、浅沼追悼中央集会」と名付ける集会の終了後、右集会の参加者によつて同所から港区神宮外苑権田原口、同区青山一丁目交差点、同区赤坂警察署乃木坂派出所前、同区山王下交差点を経て千代田区日枝神社前にいたる間の道路上において行なわれた集団示威運動、並びに右日枝神社前から同区麹町警察署永田町派出所前、同区永田町小学校裏、同区参議院第二通用門前、同区国会議事堂裏、同区総理官邸前、同区三年町交差点を経て同区特許庁角にいたる間の道路上において行なわれた集団行進に学生約一、二〇〇名とともに参加したものであるが、右集団示威運動及び集団行進に対し東京都公安委員会の与えた許可には、集団示威運動、集団行進の両者を通じ交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること」、「蛇行進、渦巻行進、ことさらな駈足行進、遅足行進、停滞、すわり込み等、交通秩序をみだす行為をしないこと」、集団行進については更に秩序保持に関する事項として「放歌、合唱、かけ声、シユプレヒコール等示威にわたる言動は行なわないこと」との各条件が付せられていた。しかるに、右集団示威運動及び集団行進に参加した学生約一、二〇〇名は、前記許可条件に違反して、同日午後七時五二分頃から午後九時頃までの間、前記明治公園から前記日枝神社前までの道路上において、終始約一〇列ないし一二列の縦隊で行進したほか、右行進の途中、新宿区神宮外苑国立競技場横、同所絵画館横、港区権田原交差点附近、同区青山中学体育館前から同区青山南一丁目消防会館前までの区間、同区赤坂警察署乃木坂派出所前附近、同区新町五丁目岩田薬局先、同区山王下交差点手前から前記日枝神社までの区間を各通過するにあたつてはことさらな駈足行進あるいは駈足蛇行進を行ない、ついで同日午後九時九分頃から同三三分頃までの間、前記麹町警察署永田町派出所前から千代田区参議院議員面会所前までの道路上において、約一〇列縦隊の隊列で駈足行進を行つたほか、その途中、同派出所前、千代田区永田町小学校裏、同区参議院車庫前ではそれぞれ二分間ないし五分間宛ことさらな停滞をした上「日韓条約批准粉砕するぞ」、「国会に抗議するぞ」などのシュプレヒコールを行なつて気勢をあげ、更に同日午後九時三四分頃から午後一一時四六分頃までの間、前記参議院議員面会所前路上に坐り込んだ上「国会批准を阻止しよう」などのシュプレヒコールを行なつて気勢をあげた。

その際、被告人両名は右集団示威運動及び集団行進に参加した清井礼司外数名の学生と共謀の上、(イ)明治公園から日枝神社前までの道路上において、被告人大田が終始、進行中の前記学生隊列の先頭列外に位置し、両手をあげ、右手を廻し、あるいは先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿を握るなどして、一〇列縦隊以上の隊列による行進並びにことさらな駈足行進、蛇行進を指揮誘導し、(ロ)麹町警察署永田町派出所前から参議院議員面会所前までの道路上において被告人丸山が学生隊列の先頭列外に位置し、「ワツシヨイ」とかけ声をかけるなどして約一〇列縦隊の隊列をもつてする駈足行進を指揮誘導し、その途中、同派出所前、永田町小学校裏、参議院車庫前で、同被告人が立止つた学生集団に向い同僚学生の肩車に乗つて煽動演説をなし、あるいはシュプレヒコールの音頭をとり、更に参議院議員面会所前の道路上において、被告人両名が両手を上下に振りつつ「坐れ、坐れ」と指示し、その場に坐り込んだ学生集団に向い、ほか数名の学生とともにこもごも電気メガホンで「最後まで断乎として坐り込み闘争をかちとろう」などと煽動演説をしたりシュプレヒコールの音頭をとるなどして、学生集団のことさらな停滞、坐り込み及び示威にわたる言動を指揮し、

もつて、東京都公安委員会の付した許可条件にそれぞれ違反して行なわれた集団示威運動及び集団行進を指導した。

(証拠)<省略>

第三弁護人の主張に対する判断

(羽田事件及び国会請願事件に共通する都条例違憲の主張及びこれに対する当裁判所の判断)

この点に関する弁護人らの主張の要旨は、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(都条例と略称する)は、次のとおり憲法に違反する。すなわち、

(一)  都条例は、思想表現の手段としての集会、集団行進及び集団示威運動(以下集団行動という)を規制対象とし、基本的人権のうち最も重要なものの一つとして憲法の保障する思想表現の自由を抑圧するものであり、とりわけ「公共の福祉」というがごとき抽象的不確定概念より成る保護法益を設定し、曖昧な取締基準で集団行動に規制を加え、かつその規制の方法として許可制を採用し、本来自由であるべき集団行動を原則的に禁止している点において、憲法第二一条に違反する。

(二)  集団行動は本来自由になしうるところでそれ自体は実質的違法性を有しないのにかかわらず、都条例が無届集団行動の指導者、煽動者をも処罰の対象としているのは、主催者の届出義務懈怠という他人の行為の違法性を根拠として指導者、煽動者の行為に違法性を賦与し、その刑責を問おうとするものであつて、かくのごときは刑事立法として許容さるべきではなく、都条例は罪刑法定主義を定めている憲法第三一条に違反する。

(三)  旧憲法下においてすら言論集会結社等の自由は法律によらなければ制限することができないものとされていたのである。まして法律による留保を廃して無条件に思想表現の自由を保障している日本国憲法のもとにおいて、法律より下位に立つ条例によつて表現の自由その他の基本的人権を制限することは、憲法第九八条第一項に違反する。

(四)  都条例のような性格の所謂公安条例は、各地方公共団体によつてその制定の有無が区々であり、公安条例の制定されている地域の住民と然らざる地域の住民とでは表現の自由に関し差別されていることとなるので、都条例は法の下の平等を定めた憲法第一四条に違反する。

(五)  所謂公安条例は、占領米軍の強い要請により昭和二三年福井市大震災の機会に同市において制定されたのを端緒として、その後各地において制定され、超憲法的な占領法体系のもとでその実施を余儀なくされていたものである。しかも都条例は更に都民の血の抵抗を受けながらこれを排して制定されたものであつて、都条例をはじめとする公安条例は、その制定経過にかんがみてもその違憲性は明らかである。

というのである。

右(一)の主張について

しかし、都条例が憲法第二一条の規定に違反しないことは、最高裁判所が昭和三五年七月二〇日大法廷判決(刑集一四巻九号一二四三頁以下)においてすでに明らかにしているところである。右判例は直接当裁判所の判断を拘束するものではないが、当裁判所も右判例の見解に従うのを相当と認めるので、所論は採用できない。

同(二)の主張について

集団行動が、本来平穏に、秩序を重んじてなされるべき純粋な表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包しているものであることは、前示最高裁判所判例の説示するとおりであつて、都条例が、集団行動の主催者に対し事前の許可申請義務を課し、集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合にはこれを許可しないことができるものとし、その他の場合でも一定の許可条件を付することができるものとしている所以は、集団行動の行なわれようとすることを事前に予知し、集団行動の実施によつてひき起されることのあるべき不測の事態に伴なう混乱を未然に防止するため機宜の処置を講ずることによつて、公共の安寧を保持し、社会の秩序を維持しようとするものにほかならない。従つて、許可を受けず、又は許可条件に違反して行なわれた集団行動は、それ自体が公共の安寧又は社会の秩序に有害な結果を生ずる危険性ある行為として、実質的違法性を帯びるものというべきである。もつとも、都条例は無許可又は許可条件違反の集団行動に参加した者を処罰する規定を置いていないが、これは、一般に集団的、組織的に行なわれることを要素とする違法行為にあつては、その参加者の個々の所為をきりはなしてとりあげれば比較的可罰的評価が低く、参加者の個々の所為を集団化、組織化して右違法行為を実現せしめた主催者、指導者、煽動者を処罰すれば敢て参加者を処罰せずともこの種違法行為を禁遏できると考えられることに基ずくものであつて、参加者を処罰する規定を欠いていることをもつて、前記集団行動がそれ自体としては実質的違法性を欠く論拠とはなしえない。かかる違法性を帯びた集団行動を主催し、指導し、又は煽動した者を処罰することは何等憲法第三一条に違反するものではないから、これと異なる見解をとる弁護人の主張は採用の限りでない。

同(三)の主張について

本件都条例の定める集団行動に対する規制内容が憲法第二一条に違反しないことは前述のとおりであるが、問題は基本的人権に対しある程度の制限を加えることが憲法の規定に違反しない場合において、これを法律によらず条例によつて定めることの可否に存する。しかしながら、条例は直接に憲法第九四条によつて認められた地方公共団体の立法形式であつて、同条によれば法律の範囲内において効力を有するものとされているほかは、別に憲法上条例をもつて規定しうる事項については何等の制限もなく、専ら法律の定めるところに委せられているのであり、そして、条例制定権の具体的範囲、限界等は地方自治法第一四条第一項、第二条第二、三項に定められているのである。これによつてみれば、特定の地方公共団体の地域における社会生活を規律する法規範は、その規律内容が地方自治法に定められた地方公共団体の条例制定権の具体的範囲内に属する限り、基本的人権の制限を内容とするものと否とを問わず地方の実情にかんがみ必要と認められる以上、条例の形式によつて定めることが可能であり、基本的人権の制限を内容とするからといつて、必ず法律の形式によらなければならないとする成文上の根拠も実質的な根拠もないものというべきである。本件都条例による集団行動に対する規制は、地方自治法第二条第三項第一号所定の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」事務に関するものであるから、法律の形式によらず条例の形式によつて定めても、これを違憲であるということはできない。この点に関する弁護人の憲法第九八条第一項違反の主張は失当である。

同(四)の主張について

本件都条例の規制対象とされている集団行動は東京都内において行なわれるものに限られることは当然であるが、憲法第九四条が地方公共団体に条例制定権を認めていること自体から、特定の規律事項につき地域によりその取扱いに差異の生ずることは憲法も当然これを予想し、容認しているものと考えられるばかりでなく、都条例の効力の及ぶ人的範囲は東京都の住民又は滞在者に限定されず、本条例第五条の罰則は何人たることを問わず同条所定の行為をした者に対し一律平等に適用されるのであるから、本条例が法の下の平等を定めた憲法第一四条に違反するとの所論は理由なきものである。

同(五)の主張について

他の地方における公安条例の制定されるにいたつた経過、沿革等は、都条例が合憲であるか否かの判断上、何等の影響ももたない。都条例が占領米軍の強い要請により、都民の流血の抵抗を排して制定されたというような事情があつたとしても、都条例は憲法及び地方自治法の規定を根拠として、その定める適法な手続と形式とをもつて有効に成立したものであるから、講和条約発効後もその効力に変動のないことは勿論であり、都条例制定の経過を云々してこれを違憲であるとする所論は失当とするほかはない。

(羽田事件に関する弁護人のその余の主張及びこれに対する当裁判所の判断)

本事件に関しては、前記憲法違反の主張以外にも弁護人から多岐にわたる主張がなされているが、そのうち公訴事実の単なる否認にすぎないもの及び犯罪の成否と無関係な主張を除き、主要な事実上及び法律上の主張は、これを要約すれば

(一)  被告人成島等が京浜急行バス羽田営業所前において学生隊列を約四分間停止させたのは、暫時休憩し、隊列の点検整備を行ない、行進を続行するための意思統一を行うためのものであり、しかも学生隊列は道路の端で短時間停止したにすぎないから、右のような、目的、態様の停止は行進に当然附随するもので許可条件にいう「……停滞……等、交通秩序をみだす行為」に該当しない。

(二)  被告人成島、同中井、同仲田、同丸山の駈足蛇行進等の指導行為は、都条例に形式的には違反しても、その態様において軽微であり、法秩序全体の精神に照らして処罰価値がないから、実質的違法性を欠く。

(三)  警察官除村明、同藺牟田正行は、当時朝日電装ビル前路上で機動隊と押合いをしていた学生群衆の中に挾まれ、行動の自由を失い、到底公務の執行をなし得ない状態にあつたのであるから、その時点において仮りに被告人沢野が同警察官らに暴行を加えたとしても、公務執行妨害罪は成立しない。

(四)  被告人沢野が学生らと共にB型広報車を揺り動かしたのは、警察官石塚善規の学生らを対象とする違法な証拠写真撮影に抗議し、これを中止させるため已むことを得ずなした行為であるから、罪とならない。又、広報車による道路の閉塞は当時一応終了していたのであるから、右広報車を揺すつてもその乗務員に対する公務執行妨害罪は成立しない。

(五)  被告人内海外多数の学生のした投石行為は正当防衛である。すなわち、当日午前一〇時一七分頃学生デモ隊が稲荷橋通りから環状八号線通りに出て穴守橋方面に向つたところ、環状八号線通り上において、前後から多数の機動隊員が警棒をふりかざし喚声をあげて突進して来て、学生デモ隊を逃げ場のない道路上で挾み討ちにし、警棒で学生らを乱打し、逃げまどう者をどこまでも追つてこれに積極的な暴行を加え、多数の学生に傷害を与えた。右負傷者中には、一時生命が危険視される程の重傷を蒙つた者もいる。これら機動隊員の行為は、たまたま職務の執行にあたり個人的な行き過ぎとして行なわれたものではなく、全員が意思相通じて行なつた共謀による違法行為である。これに対しデモ隊員は他に何等の防衛手段もなく、そのままでは生命身体に直接侵害の危険が迫つてきたので、右違法行為を制止するため附近にあつた小石等を拾つて機動隊員に投石したのである。従って、被告人内海を含む学生らの投石行為は当時の情況下にあつて防衛行為として已むを得ざるに出た行為であり、その違法性を阻却する事由のあることは明らかである。

(六)  日韓条約の締結は米国の極東における軍事体制の強化、日本の韓国に対する経済的、殖民地的支配、学生労働者に対する弾圧の強化等を招来するものであり、本件被告人らの行動は、かかる性格をもつ日韓条約に対する反対運動の一環としてなされた正当な行為である。

というのである。

右(一)の主張について

挙示の関係証拠によれば、本件集団示威運動の実施に際し、学生隊列は京浜急行バス羽田支所前道路上にさしかかるや、そのまま行進を継続することのできない合理的、客観的事情は何等存在しなかつたにかかわらず、約二〇列の隊列のまま、上下線が道路中央のグリーンベルトで仕切られている環状八号線道路の空港方面に向つて右側道路部分一杯にわたつて停止し、シュプレヒコールを行なう等気勢をあげてその場に約四分間滞留し、しかもこれにより空港方面から大鳥居方面に向う車両の進行を現実に阻害したことが認められるから、学生集団の右行為が、東京都公安委員会の付した許可条件によつて禁止された「ことさらな停滞等交通秩序をみだす行為」に該当することは多言を要しない。もつとも、集団的な行進に当然附随する停滞が右許可条件に牴触するものでないことは所論のとおりであるが、集団的な行進に当然附随する停滞とは、たとえば前方の進路が混雑しているとき、交差点において信号を待つているとき、先行梯団との間隔がせばまつたので間合いをとるとき等に行なわれる停滞を指すのであつて、本件学生集団のなした停滞は、これに当らないこと明らかである。この点に関する弁護人の主張は採用できない。

同(二)の主張について

本件集団示威運動は、出発以来その殆ど全般にわたり許可条件に違反して行なわれたものであり、被告人成島、同中井、同仲田、同丸山は、最初から許可条件を守ろうとする意思などなく、警察官の数次にわたる警告も無視して、前記条件違反の集団示威運動を指導したものである。のみならず本件に頭われた証拠によれば、右集団示威運動に参加した学生らは、解散地点附近に到達した後、群衆心理に駈られた結果多数の勢威をたのみとし、椎名外務大臣の韓国向け出発を実力をもつて阻止せんとして空港に突入をはかり、警備に当つていた警視庁機動隊と数次にわたる衝突を惹起し、附近の平穏を害し住民及び通行者に著るしい迷惑をかけたばかりでなく、右衝突の機会に判示第一(二)ないし(四)の公務執行妨害、傷害事件が発生したほか、それ以外にも警察官に対する暴行傷害、物件に対する損壊等が行なわれ、現実に公共の安寧及び社会の秩序をみだしたものであつて、かかる事態の生ずるにいたつた間接の原因は、被告人らにおいて蛇行道、駈足行進等を指導することにより学生集団に無用の刺激を与え、その気勢を添えて群衆心理を煽つたことにあるといつても過言でない。以上に考察したところによれば、右駈足蛇行進等を終始指導した被告人丸山の行為はもとより、行進の半ばで逮捕されるまで右駈足蛇行進等を指導した被告人成島、同中井、同仲田の行為も、その態様、影響等に照らし十分な違法性を備えているというべきであり、これを目して処罰価値のない零細軽微な反法行為であるとするわけにはいかない。所論は理由がない。

同(三)の主張について

刑法第九五条第一項の公務執行妨害罪にいう「職務の執行に当り」とは、公務員がその職務の遂行に直接必要な行為を現に行なつている場合だけを指すものではなく、ひろく公務員が職務執行のため勤務についている状態にある場合をいうものと解すべきである。従つて、公務員がその職務に従事中、たまたま自己の意思によらない原因で一時的に身体行動の自由を失い、そのため職務の遂行に直接必要な行為を行なうことが事実上不可能な状態に陥つたとしても、同公務員において勤務を放棄したと認められる特別の事情のない限り、これに対し暴行脅迫を加えれば公務執行妨害罪が成立するといわなければならない。本件において警察官除村明、同藺牟田正行の両名は、被告人沢野外一〇名位の学生から判示暴行を受けた際、群衆の中にあつて行動の自由を失い、他の機動隊員らと共同して学生集団を解散地点方向に押し遣る行為に従事することが一時的に不可能な状況下にあつたけれども、依然として第一機動隊の一員として学生集団の違法な路線変更を制止し是正する任務を帯びて、その勤務についている状態にあつたことは挙示の関係証拠上明瞭であるから、被告人沢野の右両名に対する判示暴行が公務執行妨害罪を構成することは当然であつて、これと見解を異にする弁護人の主張は採用できない。

同(四)の主張について

警察官石塚善規が写真撮影を行なつたのは、判示第一(三)において認定したように、学生集団が集団示威運動許可申請書に行進路線として記載されていない穴守橋方面に進行しようとして第一機動隊所属の警察官らに制止され、これと押合いをつづけつつ稲荷橋通り上の京浜急行バス第二車庫前附近まで後退したものの、なおも穴守橋方面に進行する企図を捨てず、稲荷橋通り上において許可条件に違反して解散しないばかりか、環状八号線通りに逆行する動きを見せていたので、右学生集団の情況について証拠蒐集のために行なつたもので、学生集団の右行動は都条例に違反するものであり、同人の写真撮影行為は犯罪の捜査、被疑者の逮捕及び公安の維持に当ることをもつてその責務とする警察官として、適法な公務に属することはいうまでもない。右公務の執行を妨げる所為が正当防衛にあたらないことは勿論である。

次に、石塚善規以外に本件B型広報車に乗車していた紀野国秀雄外四名の警察官は、当時学生集団の違法な行進の進路を車両によつて閉塞する任務に従事していたものであつて、所論は右B型広報車による進路の閉塞は当時一応終了していた旨主張するが、挙示の関係証拠によれば、前記警察官らは判示さがや食堂前附近に駐車していた二輛の警備車の間隙にB型広報車を挿入しようとしていた際に被告人沢野らから車体を揺すられたもので、当時未だ車両による阻止線は完成していなかつたことが認められるのみならず、仮りに所論のように一応閉塞行為が終了していたとしても、爾後右B型広報車の看守、警備等のため車内にいること自体も学生らの進路閉塞のため必要とせられる行為なのであるから、いずれにしても同警察官らの公務執行が当時すでに終了していたとすることはできない。本主張もまた採用できない。

同(五)の主張について

証人菅野芳彦、同塩田旭、同鈴木洋助、同安藤美奈子、同吉羽忠、同山崎正四郎の当公判廷における各供述と判示第一(四)の事実認定に供した挙示の各証拠とを綜合すると、

(イ) 判示第一(四)の冒頭において認定したように、学生集団は同日午前一〇時一二、三分頃投石をつづけながら第一機動隊の車両による阻止線を突破して環状八号線通りに進出した上、穴守橋方面に進行したが、右穴守橋手前において機動隊の前後からの実力行使にあつて解散させられようとしたのであるが、右実力行使を受けた際、学生らの中には同所附近において機動隊員から警棒、携帯用マイク等で頭部、顔面又は手首等を殴打されたり(菅野芳彦、塩田旭、安藤美奈子)、押し合い中に倒れたところを靴で顔面を蹴られたり(山崎正四郎)した結果重軽傷を負つた者がいること

(ロ) その後成徳寮通り北側の環状八号線通りへの出口附近で学生らから第五機動隊員に対し判示のとおり投石が行なわれたので、同機動隊は右投石を鎮圧し学生らを解散させるため、同日午前一〇時五六分から同五九分までの三分間放水車により学生らに対し放水した後成徳寮通りに突入したが、投石が激しいのでいつたん環状八号線通りまで後退し、その後成徳寮通り南側にまわつた部隊と相呼応して前後から挾み討ちにして学生らを成徳寮通りから排除したのであるが、右実力行使を受けた際に学生らの中には成徳寮通り南側十字路で後方から追跡してきた機動隊員に警棒で後頭部を殴打されたり(安藤美奈子)、南側からも機動隊が迫つてきたので成徳寮の門の附近まで引返したところ機動隊員から警棒で後頭部を殴打されたり(鈴木洋助)した結果負傷した者がいること

が認められる。

これら機動隊の実力行使は、それ自体抽象的にいえば、都条例違反の集団示威運動を制止し、かつ投石を鎮圧するために許された行動であるけれども、その際における右に挙げた学生らに対する個々の警棒等の使用は、態様をみると果して具体的情況に照らし前記目的を達成するに必要かつ最少限度の範囲内にあつたかどうか疑わしいものがあり、少なくともこれが学生らに対する不正の侵害に該当しないと断定しうる証拠はない。しかしながら同時に前記各証拠によれば、右(イ)の実力行使は、学生らが成徳寮通り路上に集結する以前にすでに終了していたものであり、同所において学生らが第五機動隊員に投石を開始した頃は同機動隊が積極的に実力行使に出る気配はなく、単に車両及び人垣で阻止線を張つていたにすぎないこと、又(ロ)の実力行使は前述のように放水終了後に行なわれたもので、しかも安藤、鈴木らが負傷したのは、成徳寮通りの北口で鳥越末雄外二一名の警察官が学生らの投石により負傷した後に第五機動隊が南側に廻つた部隊と呼応して成徳寮通りに突入し、大部分の学生を排除し終つた後の出来事であることが明らかであるから、被告人内海を含む学生らが判示のように投石を行なつた当時は、機動隊員の警棒等の不法な使用による学生らの身体に対する侵害の危険が切迫していたとは到底認められない。従つて右投石行為は急迫不正の侵害に対する防衛行為と解し得る余地がなく、これが正当防衛にあたらないことは明白であるから、この点に関する弁護人の主張もまた排斥を免れない。

同(六)の主張について

日韓条約反対運動がいかに正当であるとしても、それのみによつて被告人らのなした判示第一の(一)ないし(四)の所為が正当化されるいわれはない。本件集団示威運動自体はそれが平穏に、秩序正しく行なわれる限りにおいては正当な行為であることに異論はないが、許可条件違反の集団行動は表現の自由の正当な範囲を逸脱するものであり、かつ、被告人成島、同中井、同仲田、同丸山の右集団行動の指導行為はその形態、影響などに照らして相当性を欠き、日韓条約反対の意思を表現するために已むを得ない行動であつたとも認められない。被告人沢野、同内海の公務執行妨害等の所為にいたつては論外であつて、これを正当化すべき理由は全く認められない。

本主張も採用できない。

(国会請願事件に関する弁護人のその余の主張及びこれに対する当裁判所の判断)

国会請願事件の弁護人は、

(一)  都条例自体は仮りに合憲であるとしても、その運用の実態は違憲、違法である。すなわち、

(1)  都条例に基ずく申請に対する許可、不許可は公安委員会の権限に属しているが、右権限は「東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(昭和三一年一〇月二五日都公委規程第四号)」、「東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(前同日訓令甲第一九号)」により「代行」の名目で実質上、警視総監、警備部長、警察署長等に夫々移譲され、又その許可、不許可の運用基準等は「集会、集団行進、集団示威運動に関する条例の取扱について(昭和三五年一月八日公安委員会決定)(同年同月二八日警視総監通達)」によつて詳細に定められていて、これらの規程、通達に基ずいて都条例の現実の運用がなされているところ、右一連の規程、通達等は公示されておらず、殊に前記通達にいたつては部外秘扱いとなつているのであつて、かかる公示されない規程、通達等に基ずく都条例の運用は違憲である。

(2)  都条例によつて警察官僚によらない民主的合議機関たる公安委員会の権限に属せしめられている事項を、右規程等により「代行」の名目で実質上警察の権限に委ねているのは、それだけでも違法であるのみならず、警察の手による右権限行使の実情をみると、都条例の建前では集団行動の許可申請をするには申請書三通を開催地の所轄警察署に提出すればよいこととなつているのにかかわらず、実際には、まず警視庁警備部警備課の集会等担当係官と協議し、その了解をとりつけた上でなければ申請書が所轄警察署に受理してもらえない仕組みになつているため申請者の希望する行進の順路が係官の意にそわない場合には、申請者は期日の切迫している集団行動の企画を不完全ながらも実現するために、係官のいうとおりの順路を涙をのんで容れざるを得ないのである。本件集団行動の許可申請の際にも主催者側の者が予め警視庁に赴き警備課係官と話し合つた上、主催者側の希望する順路を先方の意向にそうよう若干変更して警視庁側に妥協したという事情があるのである。この所謂事前協議の過程においてすでに実質的な許否の決定が行われているといえるのであり、許可のみならず不許可の決定権も事実上警備課の係官が握つており、公安委員会は許可申請の審査につき何等関与せず、単に警察当局が許可したものについて事後承認を与えるにすぎないのであるから、かかる運用の実情は国民の表現の自由を侵害するものといわなければならない。

(3)  しかも本件において付された許可条件は、申請者の承諾したものでないことはいうまでもなく、本来、表現の自由を抑圧する効果をもち、かつ、そのような意図をもつて付されたものであるから違法無効である。

(二)  本件集団行動に参加した学生らは自らの意思でシュプレヒコール、駈足行進、蛇行進、坐り込み等を行なつたものであつて、右行動は被告人らが指示したと否とに関係なく行なわれたものである。従つて、被告人らの外形的な指導行為のみに着目して被告人らに対し許可条件違反の集団行動の指導者としての責任を問うことは許されない。

(三)  本件は「日韓条約粉砕、ベトナム侵略反対、浅沼追悼」を目的とする集団行動に関連して発生した事件であるが、政府の日韓条約批准推進は米国の極東戦略体制の維持及び日本帝国主義の朝鮮半島再支配につながるものであり、又、ベトナム戦争に関する政府の米国への協力はベトナムの平和回復を妨げるものであつて、憲法前文、同第九条を基調とするわが国の平和体制を以上のように自ら蹂躙しようとしている政府に対して、国民が集団行動によつてその政治的意思を表現することは全く正当な権利に基ずく行動であるから、被告人らの行動は正当行為である。

(四)  被告人らの行為は、実質的にその違法性を阻却すべき事由がある。すなわち、右行為は、米国と結んだ政府の日韓条約推進、ベトナム戦争協力等の憲法違反行為に対し、憲法体制を維持回復しようという正当な目的、動機に出たもので、政府に対し国民の意思を表示するための集団行進、集団示威運動という相当な手段、方法をもつて行なわれ、その内容においても条例の条件違反により生じた被害法益と比べ憲法を擁護するという法益がはるかに大であり、しかも所期の目的を達成するには集団行動に代るべき有効適切な方法はなかつたのであるから、全憲法秩序に照らして実質的に行為の違法性は阻却されるものというべきである。

(五)  被告人大田、同丸山は、いずれも新鮮な護憲意識にもえ、かつ、鋭い感受性を持つ青年学生である。このような被告人らが政府の違憲の行為を目前にして、これに抗議するため街頭において集団行動を行なうに際し、本件都条例違反の所為に出ないことの期待可能性はなかつたものである。

と主張する。

右(一)の主張について

(1)  証人茂垣之吉の当公判廷における供述、昭和三一年一〇月二五日都公委規程第四号東京都公安員会の権限に属する事務処理に関する規程(抜抄)、前同日訓令甲第一九号東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(抜抄)によれば、東京都公安委員会は、集団行動に対する不許可処分、許可の取消処分及び重要、特典な集団行動についての許可処分は必ず自らの手で処理しているが、重要、特異でない集団行動についての許可処分及び許可の際の条件付与処分は、事務の迅速かつ能率的な運営をはかるため、前記規程等により警視総監、警備部長、警察署長等の警察官をして公安委員会名義でその事務処理を代行させ、その結果を毎月とりまとめて報告させた上事後審査を行なつていることが認められる。警察法第三八条第三項、第四四条によれば、都公安委員会は都警察を管理し、都公安委員会の庶務は警視庁において処理するものとされ、又同法第四五条によれば、警察法に定めるものの外、都公安委員会の運営に関し必要な事項は都公安委員会が定めるものとされているのであるから、右のような公安委員会の権限及び都公安委員会と警視庁との関係に徴すると、都公安委員会が内部規定を定めて、公安委員会の権限に属する事務の一部を自己の責任において警視総監以下の警察官に処理させることは、その事務が政治的中立性を担保されている行政委員会たるところの公安委員会の権限に委ねられている趣旨に反しない限り、これを許容して差支えないところである。集団行動に関する許可等の事務を警察官に処理させることの適否については更めて判断することとするが、いずれにせよ公安委員会から警視総監以下の警察官に対する前記事務処理の委任の法律上の性質は上級行政機関が下級行政機関に対して行なう権限代行ないし代決の委任と目されるものであり、この種の内部的授権は国民に対し何等手続上の不利益を科するものでないから、これを告示その他の方法により部外に周知徹底させる必要はないものと解するのが相当である。本件において東京都公安委員会の前記事務取扱方法の根拠となつている「東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程」及び「東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程」が部外に公示されていないことは証人茂垣之吉の当公判廷における供述に徴しても明らかであるが、それだからといつて右各規程に基ずく都条例の運用を違憲、違法とすることはできない。

次に証人茂垣之吉の当公判廷における供述、「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する昭和三五年一月八日東京都公安委員会決定及び同一表題の同年同月二八日警視総監通達によれば、右決定及び通達には集団行動に対する許可、不許可の具体的基準その他都条例の解釈運用に関する各種注意事項等が記載されていて、警察当局はこれに基き都条例の具体的な運用に当つているが、右決定、通達の存在及び内容は部外秘の扱いとされていることが認められる。しかし、都条例に基づく許可、不許可の基準は都条例第三条第一項に明示されているところであつて、右決定、通達は個々の許可手続を処理する下級機関のため事務処理の指針を示した所謂内規に外ならず、これにより都条例の内容を補充又は変更する法的効力を有しないことは勿論、一般国民に対しては何等の拘束力ももたないのであるから、右決定、通達が部外秘扱いとされているとしても、それだけでは何等違憲、違法とすべきいわれはない。

(2)  そこで、警視総監以下の警察官に集団行動に対する許可等の事務を処理させることが、集団行動に対する許可、不許可の権限を都公安委員会に委ねた都条例の精神に違反しないかどうかの点について考察すると、都条例が集団行動の許可申請については許可を原則とする建前をとつていること、公安委員会が日常極めて多数の案件を処理しなければならないこと、許可申請書が提出されてから許可書を申請者に交付するまでには通常四八時間しか時間的余裕がないこと(都条例第二条、第三条第二項参照)等に鑑みれば、公安委員会が事務の迅速かつ能率的な運営をはかるため、重要、特異でない案件について、不利益処分でないところの許可処分を警視総監以下の警察官に処理させることにしたとしても、それ以外の案件の許否、殊に許可の取消処分、不許可処分については公安委員会が自らこれを掌握して処理している以上、前述の「東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程」、「東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程」等が都条例の精神に反するとは認められない。従つてこれらの規程を違憲違法なものとすることは当らず、右規程に従つてなされる取扱いもまた不当のものとすることはできない。もつとも、重要、特異でない案件について警視総監等が許可処分をする際にこれに条件を付することがあるのは前述のとおりであるが、この場合に付せられる条件は、取り扱うべき案件が本来比較的定例軽易なものに限られている関係上、一般に定型的、注意的なものであつて、その現実の運用をみても前示「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて」と題する警視総監通達等により、特に交通頻繁な東京都内の道路交通事情、集団行動の形態、これに対する警備体勢等の諸事情を考慮した上で類型化された条件を付する建前となつていることが認められるのであり、条件付与事務を公安委員会自らの手によらず警察当局をして処理させるときは一般に許可の内容を大きく制限し、集団行動の目的を無意味とするような条件が付される可能性があると考えることはできない。万一個々の事例において集団行動による表現の自由に対する不当な侵害と目される条件が付されたとすれば、右のような条件はそもそも都条例第三条第一項の趣旨を逸脱したものとして個々の処分を無効とすることにより救済が与えられるのであり、かつ、それで足りるものといわなければならない。よつて、警察当局をして許可の際の条件付与事務を処理させる取扱いをもつて不当のものとすることも当らない。

所論は、警視庁警備課の係官が実質上不許可の権限も掌握しているというのである。案ずるに証人高橋重年の当公判廷における供述によれば、同人は過去数回にわたりその所属する学生団体の行なう集団示威運動の許可を申請するにあたり、警視庁における事務担当係官と話し合つた際に、係官からその集会場所、行進路線、解散地点等について変更するようその都度示唆勧告を受けた事実は認められるが、集団行動の時間、場所、方法等によつては警察当局限りでは許可できないことが明らかで、公安委員会の直決を仰いでもたやすく許可になりそうもないものもあり、又交通事情や警察当局の警備上の都合などから不適当でないかと考えられるものもあるところから、右事務担当係官において右のような事務的見地から見て申請がなるべく許可になるようその内容の変更を勧告するのは、それが妥当であるかどうかは別問題として、強制、威迫にわたらない限りあながちこれを違憲、違法視すべきではない。要は、右示唆ないし勧告に応じないで当初の希望どおりの内容の許可申請書を所轄警察署に提出する自由と、右申請書が受理される保障とが残されていればよいのである。同証人の供述をもつてしても、未だ前記事務担当係官から不当に強制、威迫が行なわれたものとは認定し難いし、又同人が所轄警察署に当初の企画どおりの内容の許可申請書を提出したところその受理を拒絶されたという形跡も認められず、いわんや一般的に警察当局により申請内容変更方の強要あるいは適式な申請書の受理の拒否が行なわれていたと認めることはできない。しかして証人茂垣之吉の当公判廷における供述によると、本件「日韓条約粉砕、ベトナム侵略反対、浅沼追悼中央集会」における集団示威運動、集団行進等の許可申請に際しては、予め主催者全国実行委員会事務局次長淵上保美が昭和四〇年一〇月五日及び同月六日に警視庁警備部を訪れ、係官茂垣之吉に面接して本件判示第二の集団行動に関し時刻、進路等について希望を述べて警備部の意向を尋ねたこと、その際淵上は、明治公園を出発し国会請願をして日比谷まで行くコースとして青山通りを通行させてもらいたい旨希望を述べたところ、茂垣は、交通上問題があるから乃木坂の方を通つてくれ、その方が商店街だしデモの効果もあるのではないかと答えたこと、そこで淵上は、一応帰つて皆と相談するが新宿方面のデモコースについてはどういうコースがあるかも示してくれと言うので、茂垣が新宿コースで適当と考える二種類の順路の案を提示したこと、その後淵上から警備部に対し、国会コースは乃木坂廻り、新宿コースは四谷四丁目廻りで申請するという連絡があり、その頃開催地を管轄する警察署にその旨の許可申請書が提出され、右申請どおり許可になつたことが認められ、叙上の経過において警備部係官が申請人を威圧し無理に行進路線を変更させて許可申請をさせたような事実はなかつたことが明らかである。そうとすれば、集団行動の不許可処分までが事実上警視庁警備部係官の手によつて行われており、都公安委員会は実質上都条例の運用に全く関与していなかつたと認めるに足りる事由は見当らない。

(3)  ところで、本件集団示威運動及び集団行進の許可に際し付せられた条件は、その内容につき事前に申請人の承諾を得た上で付せられたものでないことは前掲茂垣証言によりこれを窺知するに難くないが、元来都条例第三条は条件を付するについて申請人の同意あることを要件とせず、むしろ一方的に付することを予想しているのであるから、これらの付された条件が個別的に見て憲法上保障された表現の自由を不当に侵害する場合は格別、そうでない限り一方的に付されたことのみを理由として右条件を無効とすべきいわれはない。本件集団行動に対しては各種の条件が付されているが、そのうち被告人大田、同丸山において右集団行動の条件違反の指導責任があると認められるその条件とは、集団示威運動及び集団行進の双方を通じ「行進隊形は五列縦隊とすること」「蛇行進、ことさらな駈足行進、停滞、すわり込み等交通秩序をみだす行為をしないこと」、集団行進については更に「放歌、合唱、かけ声、シュプレヒコール等示威にわたる言動は行なわないこと」の各条件であるから、以下、右各条件を付することの必要性、妥当性を個々的に考察する。それ以外の条件の適否については、本件事案の判断上、考察の必要を認めない。

先ず「行進隊形は五列縦隊とすること」との条件は、本件集団示威運動及び集団行進の順路が東京都の中心部であつて、現今における都内の道路交通事情にかんがみれば、公共の福祉との調和をはかるために集団行動に課せられた必要最少限度の合理的な制約であるといえるから、違法、不法とは考えられない。次に「蛇行進、ことさらな駈足行進、停滞、すわり込み等交通秩序をみだす行為をしないこと」との条件は、本来平穏に秩序を重んじてなされるべき集団示威運動及び集団行進において当然守られなければならない事項であつて、東京都内の道路交通事情を併せ考えると尚更その遵守が強く要請される次第であるから、右条件はもとより表現の自由を侵すものということはできない。最後に集団行進に関する「放歌、合唱、かけ声、シユプレヒコール等示威にわたる言動は行なわないこと」との条件についてであるが、そもそも「集団示威運動」は一定の計画に従つて参加者の統一的意思を参加者以外の者に認識せしめるため、人の意思を制圧するような方法で表現することを目的として行なわれる多数人の一切の活動を指称するのに対し、「集団行進」は一定の計画に従つて参加者の統一的意思を参加者以外の者に認識せしめるために行なわれるものである点においては「集団示威運動」と軌を一にしているが、参加者の統一的意思は「行進」すなわち多数人の移動という方法自体によつて表現され、行進と直接無関係に示威を目的とする言動を他に伴なわないのを本質とするのである。従つて、集団示威運動に対し前記のような条件を付することは、少くとも「秩序保持に関する事項」としてはその許されるべき合理的範囲を逸脱したものと解されるのに反し、集団行進に対しては、それが平穏にかつ秩序を守つて行なわれるようにするため「秩序保持に関する事項」として前記のような条件を付することは許されると解されるのであつて、かく解しても集団行進における本質的な表現の自由を不当に抑圧することにはならない。以上のとおり右各条件は違法、不当なものではないことが明らかであるから、これが本来の表現の自由を抑圧する意図をもつて付せられたものでないことも、また多言を要しない。

されば、都条例の運用の実態が違憲、違法であるとする弁護人の主張は、すべて理由がない。

同(二)の主張について

本件集団行動に参加した学生らの全員が予め蛇行進、駈足行進、停滞、坐り込み等の条件違反行為を実行する決意を有していたとしても、挙示の証拠によれば、本件において行なわれた条件違反の集団行動は、参加者各自の自然発生的な個々の行為が時期的に偶然一致したものではなく、これを行なう時刻、場所、態様等は集団の行動力を最も効果的に発揮するため、現場における指揮者のその場その場の状況に即応した臨機の判断に委ねられていて、被告人大田、同丸山らの指示、合図その他の指導行為に従つて参加者各自の決意が実行に移されたものであることが認められるのであるから、所論はその前提を欠き、同被告人らは許可条件に違反してなされた集団行動の指導者としての責任を免れないものといわねばならない。

同(三)の主張について

日韓条約の締結及びその批准、ベトナム水域で行動中の原子力潜水艦の日本寄港承認その他米国に対する日本政府の協力の是否等については、国民の間に批判的な意見が少なくないのであるが、他方、政府の態度を是認する意見が存することも公知の事実に属し、このように世論が賛否両論に分裂して対立していることは、結局そのよつて立つ政治的立場の相違ないし国際情勢に対する把握の仕方の相違に基ずくものにほかならないのであつて、民主主義社会においてはいずれの意見も均しく尊重せられるべき価値を有し、法理的にみるかぎりその一方が正しく他方が誤りであるなどとは到底論断できないものであり、前記問題に対する政府の態度が争う余地のないほど明白に憲法前文、同九条の趣旨に違反するものとは謂いえない。もとより政府の態度をもつて平和主義の原則を基盤とする憲法に違反するものと考えることは国民各自の自由であり、これに反対する意思を表明するため集団行動をとることは、その態様にして平穏、相当であるかぎり憲法が国民の権利として保障しているところであるが、自己の主張のみを独り正当であるとなし、これを口実として法秩序を無視し他の法益を侵害するがごとき行動をとることは、法の支配を基調とする憲法のもとにおいては許されないところである。本主張も採用できない。

同(四)の主張について

被告人大田、同丸山は、日韓条約の批准及びベトナム戦争遂行中の米国に対する政府の協力等は違憲であると信じ、これに反対することが憲法体制を維持回復するゆえんであると考え、右のような動機、目的から判示第二の許可条件違反の集団行動指導行為をなしたことは、証拠上認めることができる。そして右目的、動機それ自体は何等不法とすべき筋合いのものではない。しかしながら、行為の動機、目的が正当であり首肯しうるからといつて、その一事のみにより直ちに行為の違法性を阻却するものでないことは言をまたない。右目的を達成するためには、あくまでも法秩序を尊重し、他の法益の侵害を最少限度に止めるような手段、方法が選ばれなければならない。集団示威運動、集団行進の方法に訴えることが前記目的の達成上適切有効であるとしても、その実施にあたり判示のごとく許可条件に違反して交通秩序に危険を生じ、平穏なるべき集団の秩序に現実の混乱を惹起させるような指導行為をなすがごときは、行為の社会的相当性を欠き、かつ、表現の自由行使として已むをえない行動であつたと認めることもできない。従つて、同被告人らの判示所為が実質的違法性のない行為であるとする主張は失当である。

同(五)の主張について

しかし、本件審理にあらわれたすべての証拠によつても、本件集団行動の実施にあたり、およそ通常人であるかぎり何人といえども判示所為に出ざるをえなかつたであろうと考えられるような事情は認められない。かえつて、通常の理性と教養とを持つ者ならば、本件集団行動が平穏に秩序正しく、整然と行なわれるように指導することこそ、むしろ自己らの主張が公衆に共感をもつて迎えられ、ひいては国民の大多数の支持を得るにいたるであろうことを悟り、そして、そのように実行したであろうと認められるのである。してみれば、被告人らの判示第二の所為が期待可能性を欠くとすることはできないから、右主張もまた排斥すべきである。

第四法令の適用

被告人成島、同中井、同仲田の判示第一(一)の(1) 及び(2) 、同丸山の判決第一(一)いの(1) 及び(3) の行為は昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第三条第一項但し書、第五条、刑法第六〇条に、被告人沢野の判示第一(二)の行為及び被告人内海の判示第一(四)の行為のうち、公務執行妨害の点はいずれも包括して刑法第九五条第一項、第六〇条に、傷害の点は各同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条に、被告人沢野の判示第一(三)の行為は包括して刑法第九五条第一項、第六〇条に、被告人大田及び同丸山の判示第二の行為は包括して前示都条第三条第一項但し書、第五条、刑法第六〇条にそれぞれ該当する。

被告人沢野の判示第一(二)の公務執行妨害と除村明、藺牟田正行両巡査に対する各傷害は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条を適用して、重い傷害罪のうち犯情の重い除村巡査に対する罪につき定めた刑をもつて処断することとし、これと判示第一(三)の公務執行妨害とは同法第四五条前段の併合罪であるから、各所定刑中いずれも懲役刑を選択した上、同法第四七条本文、第一〇条に則り重い傷害罪の刑に同法第四七条但し書の限度で法定の加重をした刑期の範囲内で、同被告人を懲役六月に処する。

被告人内海の判示第一(四)の公務執行妨害と警視鳥越末雄ら二二名の警察官に対する各傷害は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段、第一〇条を適用して、重い傷害罪のうち犯情の最も重いと認められる鳥越末雄に対する罪につき定めた刑をもつて処断することとし、所定刑中懲役刑を選択した上その刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処する。

被告人丸山の判示第一(一)と同第二の各都条例違反の罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから、各所定刑中いずれも懲役刑を選択した上、同法第四七条本文、第一〇条に則り犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、同被告人を懲役三月に処する。

被告人大田、同成島、同中井、同仲田に対しては、所定刑中いずれも罰金刑を選択して、所定金額の範囲内で被告人大田を罰金五万円に、被告人成島、同中井、同仲田を各罰金三万円に処することとする。

なお、被告人沢野、同内海、同丸山に対しては刑法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日からいずれも二年間右刑の執行を猶予することとし、被告人大田、同成島、同中井、同仲田において前記罰金を完納しないときは刑法第一八条第一項により金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置すべきものとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、主文第四項掲記のとおり各被告人に負担させることとした。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 津田正良 近藤浩武 森真樹)

別紙<省略>

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