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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)870号 判決 1967年8月02日

本籍 岡山県玉野市和田一、二三八番地

住居 京都市下京区若宮通揚梅下宮永方

無職

高尾威広

昭和一七年一月二二日生

<ほか一〇名>

右の者らに対する昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反被告事件について、当裁判所は検察官金吉聡、弁護人杉本昌純、平田亮、水嶋晃、宮沢洋夫、北村哲男、木内俊夫ら各出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人国吉毅を罰金二万円に、

被告人岡部守成、同前沢昇をそれぞれ罰金一万五、〇〇〇円に、

被告人高尾威広、同斎藤克彦、同玉川洋次、同平野茂、同小島昌光、同小林紀興をそれぞれ罰金一万円に、

被告人山崎順一を罰金五、〇〇〇円に各処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

被告人菊地睦男は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一、日韓条約批准反対行動事件

(事件の背景)

政府は、韓国との国交正常化を実現し、友好親善関係を結ぶ目的で、昭和二六年から韓国政府との間で、そのための予備会談を始め、その後数次の本会談を重ね、種々の曲折を経て、漸く昭和四〇年六月二二日日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約等を正式調印し、同年一〇月五日召集された第五〇回国会において、右条約締結の承認等を求めることになった。これに対し、社会党その他の革新政党および革新団体は、韓国政府の性格、その条約締結権等を問題とし、条約自体軍事的侵略的性格をもつものであるとして強く反対し、右条約調印以前から度々集団行動によって、その反対の意思を表明してきたが、さらに、韓国国会での審議状況等が伝わるとともに、条約内容自体についても、韓国の管轄権の範囲、李承晩ラインの存廃、竹島帰属の問題その他について、日本政府と韓国政府との間に解釈上のくい違いがあることがわかり、反対運動も増々強まり、新聞その他世論も、右国会においては慎重な審議を要求していた。ところが、右国会においては、前記召集日に開かれた衆議院議院運営委員会において、国会の会期の決定方法としては、異例の採決によってこれが七〇日と決定され、将来の波瀾を予想させた。そして右条約承認等の案件を審査するためいわゆる日韓特別委員会が設置され、衆議院日韓特別委員会は同月二五日から右条約等の案件の審議に入ったが、翌二六日には、同委員会を連日開く動議が抜き抜ち的に可決され、また同年一一月一日参考人の意見を聞く旨の動議が再び抜き打ち的に提出されて強行可決され、さらに同月六日右条約等の案件も混乱のうちに強行採決された。そして右の強行採決については、国民の各階層から非難や議会制民主々義の危機であるとの意見が述べられたが、さらに同月一二日午前零時一八分衆議院本会議においてもまた、右条約自体の審議は殆んど行なわれないままこれが強行可決された。このような状況において、被告人らの所属する社会主義青年同盟(以下社青同と略称する。)あるいは東京都学生自治会連合(以下都学連と略称する。)等は独自の集団行動を実施するとともに、社会党系の原潜寄港阻止日韓条約粉砕全国実行委員会主催の統一行動等に参加して、右条約批准反対と国会に対する抗議の意思を表明してきた。

(罪となるべき事実)

(一)  一〇・五事件

被告人高尾威広は早稲田大学第一法学部に在学していたもので、昭和四〇年一〇月五日東京都千代田区紀尾井町三番地清水谷公園において開催された社青同東京地区本部主催の「日韓会談反対、ベトナム侵略反対、合理化反対、全都青学決起集会」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって、同日午後六時五六分ごろから同日午後八時五〇分ごろまでの間、同公園から、同都港区赤坂三丁目赤坂見附交差点を経て、同都千代田区永田町二丁目ホテルニュージャパン角を左折し、同都同区同町二丁目永田町小学校裏を経て、参議院第二通用門前交差点を右折し、衆議院西通用門前交差点を右折して、同都同区同町二丁目一〇の五日枝神社前に至る道路で行われた集団行進に、学生約六〇〇名とともに参加したものであるが、右集団行進に対し、東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「ことさらなかけ足行進、停滞等交通秩序をみだす行為をしないこと。」との条件が付せられていた。

しかるに、右集団行進に参加した都学連の学生約三〇〇名の第一てい団は右許可条件に違反し、同日午後七時五三分ごろ、参議院第二通用門前交差点付近から先行する社青同てい団の右側を追い抜き、同議院議員面会所前道路までことさらなかけ足行進をし、右面会所前に同日午後八時二九分ごろまですわり込んでことさらに停滞した。その際、被告人高尾は右集団行進に参加した谷翰一らと共謀のうえ、同日午後七時五〇分ごろ参議院議員会館横の歩道上において、被告人高尾が右学生の隊列に向い、電気メガホンで、「国会はすぐ目の前だ。国会前のすわり込みをたたかおう。」と呼びかけ、さらに五・六メートル位進んだところの歩道の街路樹の柵にのぼって、右学生隊列に向い、両手を口にあてて、「すわり込みをするぞ。」と呼びかけ、同日午後七時五三分ごろ、前記第二通用門前交差点付近において、右学生隊列の先頭付近で、学生隊列に面し、両手をあげて二、三回手まねきをし、先頭隊伍が横に構えていた竹竿を引張るなどして、ことさらなかけ足行進を指揮誘導し、前記議員面会所前において、右学生隊列の先頭隊伍を制止して停止させ、右集団行進に参加した三井一征、大河内健一らと共謀のうえ、右学生隊列に向って、両手を二、三回上下に振ってすわり込みを指示してすわり込ませ、右てい団をことさらに停滞させ、もって右許可条件に違反した集団行進を指導し、

(二)  一〇・一五昼事件

被告人国吉毅は早稲田大学第一文学部に在学していたもので、同月一五日同都千代田区日比谷公園一番五号日比谷公園野外音楽堂において開催された都学連主催の「日韓条約批准阻止全都学生総決起集会」と名づける集会終了後、右集会参加者によって、同日午後四時一六分ごろから同日午後四時五八分ごろまでの間、同公園西幸門から、東京家庭裁判所角交差点大蔵省裏を経て、同都同区霞ヶ関三丁目大蔵省裏グラウンド先交差点を左折し、三年町交差点を経て、同都同区霞ヶ関三丁目四の三特許庁角交差点を左折し、同都港区琴平町虎の門交差点を経て、同都同区西新橋一丁目交差点(旧田村町一丁目交差点)を左折し、日比谷公園幸門に至る道路で行われた集団示威運動に、学生約一、〇〇〇名とともに参加したものであるが、右集団示威運動に対し、東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること。」「ことさらなかけ足行進等交通秩序をみだす行為をしないこと。」との条件が付せられていた。

しかるに、右集団示威運動に参加した学生らは右許可条件に違反し、同日午後四時一六分ごろ、前記日比谷公園西幸門を出発して、同日午後四時四八分ごろ、同都港区西新橋一丁目六番二一号大和銀行虎の門支店前に至るまでの道路上において、終始約八列となって行進し、その間の午後四時三三分から午後四時三四分ごろまでの間、同都千代田区永田町三丁目六番一六号伊藤ビル手前付近でことさらなかけ足行進を行った。その際、被告人国吉は前記集会において、右集団示威運動の総指揮をする旨紹介され、「国会に向けて断固とした戦いを組まなければならない。」などという趣旨の演説をして、てい団の順序を指示し、集団示威運動に出発してからは、右運動は参加した学生照井克弘、佐渡二夫、末吉正浩、藍谷邦雄らと共謀のうえ、被告人国吉が学生隊列の先頭列外に位置し、号笛をふき、あるいは隊列に正対して両手を振って手招きをし、隊列が乱れると手指で八列の隊になるよう指示し、前記伊藤ビル手前付近では、先頭列外に位置して号笛を吹き、走りながら手招きをして、前記八列での行進およびことさらなかけ足行進を指揮誘導し、もって右許可条件に違反した集団示威運動を指導し

(三)  一〇・一五夜事件

被告人国吉毅、同斎藤克彦(明治大学商学部に在学し、都学連書記長の職にあったもの)、同玉川洋次は同日日比谷公園野外音楽堂において開催された反戦青年委員会主催の「一〇・一五ベトナム戦争反対、日韓条約批准阻止、全国青年学生総決起集会」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって、同日午後七時二六分ごろから同日午後九時ごろまでの間、同公園西幸門から東京家庭裁判所角交差点、大蔵省裏を経て、衆議院南通用門前交差点を左折し、同議院通用門前交差点を右折、衆・参議院議員面会所前を経し、参議院第二通用門前交差点を左折し、永田町小学校裏に至る道路で行われて集団行進に参加したものであるが、右集団行進に対し東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること。」「ことさらなかけ足行進、すわり込み等交通秩序をみだす行為をしないこと。」との条件が付されていた。

(1)  しかるに右集団行進に参加した都学連系の学生約九〇〇名は右許可条件に違反し、同日午後七時四九分ごろ、前記日比谷公園西幸門を出発して、同日午後八時七分ごろ、衆議院西通用門先(三〇メートル位参議院寄り)に至るまでの道路において、終始約八列となって行進し、午後七時五〇分ごろ同都港区内幸町二丁目二二番地飯野ビル前付近から大蔵省裏付近までことさらなかけ足行進をし、さらに午後八時八分ごろ、右西通用門先付近から二つの集団に分かれ、うち二・三〇〇名は左側車道に出て先行していたてい団を追い抜き、参議院議員面会所前までことさらなかけ足行進を行ない、同日午後八時一〇分ごろから右議員面会所前車道上にことさらにすわり込み、その余の六・七〇〇名も午後八時一九分ごろ右面会所前歩道上に到着してことさらにすわり込み、同日午後八時五二分ごろ機動隊からすわり込み排除の措置を受けて行進に移った。その際、(イ)被告人国吉は前記飯野ビル前道路上において、約八列となった右学生隊列の先頭列外に位置し、号笛をふくなどして、右約八列でのことさらなかけ足行進を指揮誘導し、(ロ)被告人斎藤は右集団行進に参加した畠山嘉克、松本輝夫らと共謀のうえ、同日午後八時八分ごろ、前記衆議院西通用門先道路において、右学生隊列の先頭列外に位置し、手を振り「ワッショイ」の掛声をかけて前記約二・三〇〇名の学生集団のことさらなかけ足行進を指揮誘導し、(ハ)被告人国吉は松本輝夫らと共謀のうえ、同日午後八時一〇分ごろ、前記参議院議員面会所前車道上において、右約二・三〇〇名の学生集団に向って号笛をふき、両手を上下に振ってことさらなすわり込みを指揮し、(ニ)被告人斎藤、同国吉は共謀のうえ、同日午後八時一九分ごろ、右議員面会所前歩道上において、約六・七〇〇名の学生集団に向って、交々、両手を上下に振ってことさらなすわり込みを指揮し、

(2)  右集団行進に参加した社青同員約二五〇名は前記許可条件に違反し、同日午後九時五分ごろから同日午後九時一〇分ごろまでの間、参議院議員面会所前車道上にすわり込んだ。その際、被告人玉川は右社青同員の隊列の先頭列外右側付近に位置し、右手を上下に振ってことさらなすわり込みを指揮し、

もってそれぞれ前記許可条件に違反した集団行進を指揮し、

(四)  一一・五事件

被告人岡部守成は静岡大学文理学部に在学していたもの、被告人平野茂は東京工業大学理工学部に在学していたもの、被告人前沢昇は専修大学経済学部に在学していたもの、被告人小島昌光は社青同東京地区本部執行委員の職にあったもので、同年一一月五日日比谷公園野外音楽堂において開催された東京都反戦青年委員会主催の「一一・五日韓条約批准阻止首都青婦人学生総決起集会」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって、同日午後七時ごろから同日午後九時ごろまでの間、同公園西幸門から、東京家庭裁判所角交差点、大蔵省裏を経て、衆議院南通用門前交差点を左折し、同議院通用門前交差点を右折し、衆・参議院議員面会所前を経て、参議院第二通用門前交差点を左折し、永田町小学校裏に至る道路で行われた集団行進に参加したものであるが、右集団行進に対し、東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること。」「ことさらな停滞、すわり込み等交通秩序をみだす行為をしないこと。」との条件が付せられていた。

(1)  しかるに、右集団行進に参加した学生約九〇〇名は右許可条件に違反し、同日午後七時ごろ、前記日比谷公園西幸門を隊列は一〇列位で、先頭隊伍は竹竿を横に構えて出発したところ、機動隊の規制にあって、激しくもみ合い、一旦同門内に引き返し、同日午後七時八分ごろ、約一〇列の隊列を組んで出発し、日韓粉砕のかけ声をかけながら行進して東京家庭裁判所角交差点にいたり、午後七時一一分ごろから約一分余同所付近にことさらに停滞し、その後議院本館便殿裏付近道路まで、七列ないし一〇列位の隊列で行進し、同日午後七時三八分ごろ、右学生の先頭の集団は約五・六列となって右便殿裏付近の右側歩道上を参議院第三通用門まで行進して、警察官と衝突してもみあい、さらにその余の集団とともに車道上を行進して参議院議員面会所前に到着し、同日午後七時四七分ごろから午後七時五七分ごろまで、同所にことさらにすわり込み、その後立ちあがって一旦行進に移ったが、参議院第二通用門前交差点から永田町小学校付近に至る道路上にことさらに停滞し、同日午後八時三九分ごろ、再び右第二通用門前交差点付近まで反転して機動隊に阻止され、同所にことさらに停滞を続け、午後八時四一分ごろ、同所から「ワッショイ」とかけ声をかけながら参議院議員面会所に向い、待機していた機動隊に激しく衝突してもみあった。その際、(イ)被告人岡部、同平野は他二、三名のものと共謀のうえ、前記西幸門から霞ヶ関交差点付近に至る道路上において約一〇列の学生隊列の先頭列外に位置し、両手を振って手招きをし、号笛をふき、後向きあるいは前向きとなって約一〇列での行進を指揮誘導し、(ロ)被告人岡部は前記東京家庭裁判所角交差点において、隊列の先頭列外に位置し、両手をあげ、号笛をふいて右学生てい団を停止させ、他の学生の肩車にのって、「実力で阻止するぞ。」「日韓条約批准粉砕」などの呼びかけをして前記ことさらな停滞を指揮し、(ハ)被告人前沢、同平野は右集団行進に参加した国吉毅、高尾威広、天羽浩一らと共謀のうえ、前記参議院議員面会所前道路において、学生隊列に向い、交々、両手を上下に振って前記ことさらなすわり込みを指揮し、(ニ)被告人前沢は同日午後八時三七分ごろ、参議院議員会館横道路上に停滞中の学生集団の中央付近で、他の学生の肩車にのり、参議院の方向を向き、両手をあげて反転するよう指揮し、さらに右集団行進に参加した仲田信範らと共謀のうえ、参議院第二通用門前交差点付近に反転して停滞している学生集団に対し、他の学生の肩車にのって、号笛をふいて隊列を整えるよう指示し、隊列を組み始めた学生集団の先頭付近で「ワッショイ」の掛声をかけて、前記議員面会所の方向へ右学生集団を誘導し、ことさらな停滞を続けるよう指揮し、

(2)  前記集団行進に参加した全逓信労働組合等の組合員約二〇〇名は、前記許可条件に違反し、同日午後七時四七分ごろから午後七時五七分ごろまでの間、参議院議員面会所前通路にことさらにすわり込んだ。その際、被告人小島は、右議員面会所前道路において、右労働組合のてい団の先頭列外に位置し、「すわれ、すわれ」と呼びかけ、両手を上下に振るなどして、ことさらなすわり込みを指揮し

もってそれぞれ前記許可条件に違反した集団行進を指導し

(五)  一一・九事件

被告人小林紀興(法政大学経済学部に在学していたもの)、同前沢昇は同月九日、同都新宿区霞ヶ丘一番地明治公園において開催された原潜寄港阻止日韓条約粉砕全国実行委員会、安保破棄中央実行委員会共催の「日韓条約粉砕国民統一行動中央集会」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって、同公園から、北青山二丁目交差点(旧青山四丁目交差点)を左折し、外苑口交差点(旧青山三丁目交差点)、赤坂見附交差点、同都千代田区平河町交差点を経て、永田町小学校に至る道路で行われた集団示威運動に、学生約四、〇〇〇名とともに参加したものであるが、右集団示威運動に対し、東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は六列縦隊とすること。」「だ行進、ことさらなかけ足行進、あるいは先行てい団との併進、追越し等交通秩序をみだす行為をしないこと。」との条件が付せられていた。

(1)  しかるに、右集団示威運動に参加した学生のうち約七〇〇名の第一てい団は右許可条件に違反し、同日午後八時五〇分ごろ、前記明治公園を約一〇列の隊列で出発し、午後八時五三分ごろ、同都新宿区霞ヶ丘一三番地神宮第二球場西側付近から、同都港区北青山二丁目七の二五外苑会館西側付近まで、日韓粉砕等のかけ声をかけながら、ことさらなかけ足行進をして、先行する労働組合のてい団を追越し、その後は「ワッショイ」等のかけ声をかけて行進し、先行するてい団に追いついては停止するということを繰り返し、その間「日韓条約粉砕」等のシュプレッヒコールを行っていたが、同日午後九時一五分ごろ、同区北青山一丁目四の六バロモンテーラー前付近からことさらなかけ足行進をしながら再び先行する労働組合のてい団を追越し、さらに同日午後九時二八分ごろ、同都同区赤坂七丁目二の二一草月会館前付近から同都同区赤坂七丁目一の一九タカラ椅子会館前付近までことさらなかけ足行進をし、同所で機動隊に衝突して激しくもみあった。その際、被告人小林は右集団示威運動に参加した宍戸照雄、今井卓司らと共謀のうえ、被告人小林が行進中の右学生第一てい団の先頭列外に位置し、後ろ向きあるいは前向きとなって、号笛をふき、両手をあげて手招きをし、右学生第一てい団の約一〇列の隊列によることさらなかけ足行進および先行てい団の追越しを指揮誘導し

(2)  前記集団示威運動に参加した学生のうち約八〇〇名の第二てい団は前記許可条件に違反し、同日午後八時五一分ごろ、前記明治公園を約一〇列の隊列で出発し、同日午後九時二分ごろ、北青山二丁目交差点(旧青山四丁目交差点)手前約一〇〇メートル位の地点からことさらなかけ足行進を行って先行する労働組合てい団を追越し、右交差点内を大きく旋回したのち、だ行進を行い、その後は先行するてい団に追いついては停止するということを繰り返し、その間「日韓条約粉砕するぞ。」等のシュプレッヒコールを行っていたが、同日午後九時一〇分ごろ、外苑口交差点(旧青山三丁目交差点)付近から同都港区北青山一丁目四の六万宝堂付近まで前記学生第一てい団の左側をことさらなかけ足行進をしながら併進し、そのまま先行する労働組合のてい団を追越し、同日午後九時二二分ごろ、同都同区赤坂八丁目四の一七赤坂郵便局前付近から同都同区赤坂七丁目三の三九高橋是清翁記念公園前付近までことさらなかけ足だ行進を行い、同日午後九時二九分ごろ、前記タカラ椅子会館前付近で機動隊の併進規制を受けた。その際、被告人前沢は右集団示威運動に参加した河合正次、久保井卓蔵、東英樹らと共謀のうえ、被告人前沢が、行進中の学生第二てい団の先頭列外に位置し、後ろ向きあるいは前向きとなって、号笛をふき、両手をあげて手招きをするなどして、右学生第二てい団の約一〇列の隊列によることさらなかけ足行進、だ行進、先行てい団との併進および追越しを指揮誘導し

もってそれぞれ前記許可条件に違反した集団示威運動を指導し

(六)  一一・一一事件

被告人国吉毅は同月一一日日比谷公園野外音楽堂において開催された前記全国実行委員会主催の「日韓条約批准粉砕統一行動」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって同公園西幸門から、永田町小学校に至る間の道路で行われた集団行進および永田町小学校から新橋土橋に至る間の道路で行われた集団示威運動に学生約一、二〇〇名とともに参加したが、右学生てい団は土橋に到着後も機動隊に両側併進規制を受けながら同都千代田区丸の内二の一国鉄労働会館前まで行進し、同所で右規制をとかれた。ところが右の学生のうち約八〇〇名はただちに解散することなく東京都公安委員会に対する許可申請をせず、したがってその許可を受けないで、同日午後八時二一分ごろ、同都同区丸の内一の一東京駅八重洲南口前付近で約一〇列の隊列を組み、先頭隊伍は竹竿を横に構えて、日韓粉砕のかけ声をかけ、気勢をあげながらかけ足行進をして、同駅八重洲中央口前広場に向ったが機動隊が阻止態勢を示したので、同広場を大きく旋回して同駅構内に入り、同日午後八時二七分ごろ再び約一〇列の隊列でかけ足行進をしながら右広場に出て来たが、機動隊に阻止されて旋回して同駅構内に引き返し、同所で集会を開いたのち、さらに同日午後八時四四分ごろ、同じく約一〇列の隊列で、先頭隊伍は竹竿を横に構え、日韓粉砕のかけ声をかけながらかけ足行進で同駅前広場に出て反対側の車道まで進行して右折し、かけ足で気勢をあげながら同日午後八時五〇分ごろ同都中央区八重洲五丁目七番地常陽銀行東京支店前付近まで行進して集団示威運動を行ったが、同所で機動隊に阻止されて解散した。その際、被告人国吉は他数名の学生と共謀のうえ、右学生隊列の先頭列外に位置し、隊列に向って両手をあげて招くなどしてかけ足行進を指揮誘導し、号笛をふいて日韓粉砕のかけ声の拍子をとって気勢をあげる行為を指揮し、もって無許可の集団示威運動を指導し、

(七)  一一・一二事件

被告人山崎順一は東京大学経済学部に在学していたもので、同月一二日日比谷公園野外音楽堂において開催された前記全国実行委員会主催の「日韓条約批准粉砕統一行動」と名づける集会終了後、右集会の参加者によって、同公園西幸門から、東京家庭裁判所角交差点、大蔵省裏を経て、衆議院南通用門前交差点を左折し、同議院通用門前交差点を右折し、参議院第二通用門前交差点を左折し、永田町小学校に至る道路で行われた集団行進に参加したものであるが、右集団行進に対し、東京都公安委員会が与えた許可には、交通秩序維持に関する事項として「行進隊形は五列縦隊とすること。」との条件が付せられていた。

しかるに、都学連系の学生約一、三〇〇名は同日午後三時ごろから午後四時ごろまでの間、同公園野外音楽堂で独自の集会を開き、右集会終了後、二つのてい団に分かれて集団行進に出発したが、右のうち第一てい団約六〇〇名は右許可条件に違反し、同日午後四時三分ごろ、同公園西幸門を約一〇列の隊列で先頭隊伍は竹竿を横に構えて出発し、午後四時一一分ごろ大蔵省裏グランド先交差点付近に到着した。その際、被告人山崎は前記集会において総指揮者として紹介されて演説し、出発に先立ち第一、第二てい団に分かれて、一〇列の隊列をとるよう指示し、さらに集団行進に出発してのちは、右集団行進に参加した宮園孝雄らと共謀のうえ、被告人山崎が、行進中の学生第一てい団の先頭列外に位置し、前向きあるいは後向きとなって、先頭隊伍が横に構えている竹竿を握って引張ったり、手招きをしたり号笛をふいたりして右学生第一てい団の約一〇列での行進を指揮誘導し、もって右許可条件に違反した集団行進を指導し

第二、品川駅前事件

被告人岡部守成は昭和四一年四月二六日、国鉄労働組合等が賃銀のベースアップを要求して、同日の初電から四時間位の時限ストを行うのを支援する目的をもって、東京都港区芝高輪南町六四番地日本国有鉄道品川駅前広場に集合した都学連系の学生約一四〇名が、東京都公安委員会に許可申請をせず、したがってその許可を受けないで、同日午前三時五一分ごろから同日午前五時三五分ごろまでの間、右国鉄品川駅西口駅前広場および同駅西口手小荷物取扱所前付近から京浜急行電鉄品川駅改札所前付近に至る国鉄品川駅本屋西口軒下乗客通路付近において、約五列あるいは六列の隊列を組み、「ワッショイ」のかけ声をかけながらかけ足行進やだ行進を繰り返し、右手小荷物取扱所前付近の広場および同駅西口改札所前付近に立止りあるいはすわり込んで、「始発は四時二〇分だ。」「始発をとめよう。」「われわれは改札を阻止するぞ。」などのシュプレッヒコールを繰り返し、インターナショナルや国際学連歌の合唱をし集団示威運動を行った際、右集団示威運動に参加した高橋重年、浅田洋治、成島道官らと共謀のうえ、被告人岡部において、同日午前三時五一分ごろ、同駅手小荷物取扱所前広場において、前記学生集団に対し、「われわれも駅構内に入って始発電車をとめよう。」などという趣旨の煽動演説をし、前記学生隊列の先頭列外に位置し、後ろ向きあるいは前向きとなり、かけ声をかけて前記かけ足行進やだ行進を指揮誘導し、前記西口改札所前などに右学生隊列を停止させたり、すわり込ませたりし、改札口仕切台(らち柵)の上にのぼって「機動隊と対決しよう。乗客を説得しなければならない。」などの煽動演説をし、前記「始発は四時二〇分だ。」「始発をとめよう。」「われわれは改札を阻止するぞ。」などのシュプレッヒコールの音頭、インターナショナル、国際学連歌の合唱の音頭をとって、右無許可の集団示威運動の指導をし

たものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人高尾の判示第一の(一)の所為、被告人国吉の判示第一の(二)の所為、被告人国吉、同斎藤の判示第一の(三)の各所為、被告人岡部、同平野、同前沢の判示第一の(四)の各所為、被告人小林、同前沢の判示第一の(五)の各所為(以上についてはそれぞれ包括して)、被告人山崎の判示第一の(七)の所為はいずれも昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進、集団示威運動に関する条例(以下都条例という。)第三条第一項但書、第五条、刑法第六〇条に、被告人玉川の判示第一の(三)の所為、被告人小島の判示第一の(四)の所為はいずれも都条例第三条第一項但書、第五条に、被告人国吉の判示第一の(六)の所為、被告人岡部の判示第二の所為はいずれも都条例第一条、第五条、刑法第六〇条に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、被告人国吉の判示第一の(二)、同第一の(三)、同第一の(六)の各罪、被告人岡部の判示第一の(四)、同第二の各罪、被告人前沢の判示第一の(四)、同第一の(五)の各罪はそれぞれ刑法第四五条前段の併合罪であるから、それぞれにつき同法第四八条第二項により合算した罰金額の範囲内で、被告人国吉を罰金二万円に、被告人岡部、同前沢をいずれも罰金一万五、〇〇〇円に各処し、所定罰金額の範囲内で、被告人高尾、同斎藤、同玉川、同平野、同小島、同小林をいずれも罰金一万円に、被告人山崎を罰金五、〇〇〇円に各処する。被告人らにおいて、右各罰金を完納することができないときは、同法第一八条により、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人らには負担させないこととする。

(弁護人らの主張に対する判断)

第一、全事件に共通する主張に対する判断

一、弁護人らは、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下本条例と略称する。)は集会、集団行進、集団示威運動に対し、一般的抽象的基準のもとに、実質的な許可制をとるものであるから、憲法第二一条に違反すると主張する。

本条例がその第一条、第三条において定める規制方法の基本的な部分に関しては憲法第二一条に違反するとまでいえないことについては、すでに昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決の存するところであり、右判決が前提とした本条例の制定の必要性を基礎づける合理的事実が存在すること、本条例の規制方法が右の目的を達成するについて必要やむを得ない最少限度の措置であることについてはこれと別異の結論を導かざるを得ない特別の事情の変化は認められないので、当裁判所も右の見解に従うこととする。

なお、後の各主張について判断する前提として、若干ここで付言する。

まず、憲法第二一条の規定する集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由の保障が民主的な憲法体系のもとでは最も重要な基本原則であり、ことに代議制民主政治を基本的な政治原理とする日本国憲法のもとにおいては、右の表現の自由は国民が政治的意思と意見を形成し、これを自由に表現する重要な手段となるものであるといわなければならない。しかも現代の大衆民主々義のもとにおいては、これが単なる個人的権利としてでは、その十分な機能を発揮することは困難であり、意見を同じくする者らの集団に編成された個人の権利、自由として、初めてその機能を発揮し得るものというべく、ここにおいて、集会、集団示威運動の自由は右の表現の自由のなかでも中核的な位置をしめるものとなるのである。そしてさらに、代議制民主政において、議会は何よりも国民の意思を政治に媒介しなければならないものであり、したがってそれを構成する議員と国民の意思が乖離するのを防止するために、集団示威運動は請願とともに重要な役割を荷うものである。しかし、これとても何らの制約も許さないものではなく、一般国民生活全体の利益との矛盾衝突を調整する実質的公平の原理による制約を、当然の内在的制約として内包しているものである。

次に、本条例はその第三条に許否決定の基準として、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる」かどうかということを掲げているところから、本条例が公共の安寧に対する侵害を予防することを目的としていることは明らかであるが、右の「公共の安寧」という文言自体は必ずしも一義的に明らかであるとはいえない。

ところで、地方公共団体の制定する条例は地方自治の本旨にもとづき、憲法第九四条により、法律の範囲内において制定する権能を認められた自治立法であって、その条例を制定する権能も、その効力も、法律の認める範囲を超えることはできない。そして、地方自治法第二条第二項、第三項は地方公共団体の事務を定め、同法第一四条第一項は右の事務に関し条例を制定することができる旨を定めているが、本条例は右の条項にもとづいて、制定されたもので、同法第二条第三項第一号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること。」という事務を規定事項とする条例であることは明らかである。すなわち、前記公共の安寧を保持するとは、右の地方公共の秩序を維持して住民および滞在者の安全を保持することに外ならず、より具体的にいうならば、住民および滞在者の生命、身体、自由、財産あるいはその総和としての地方公共の平穏、道路交通秩序に対する侵害を予防し、その安全を保護することであるといわなければならない。

この点について前記最高裁判所判決は本条例の目的は「地方的情況、その他諸般の事情を十分に考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最少限度の措置を事前に講ずること」であると述べており、その「法と秩序」というのも抽象的であるが、さらに「法と秩序の維持について地方公共団体が住民に対し責任を負担する」と述べているところからして、右の法と秩序を維持するということは、すなわち、地方公共団体が住民および滞在者の安全を保護するということを表わしたものと解される。

さらに、前記最高裁判所判決は、本条例が定める規制方法が必要やむを得ない最少限度のものであるかについては、「憲法の保障する表現の自由が、憲法の定める濫用の禁止と公共の福祉の保持の要請を越えて不当に制限されているかどうか」を「条例全体の精神を実質的かつ有機的に考察」して判断すべきであると述べているだけであるが、「本条例第三条では許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従って、本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制は実質において届出制とことなるところがない。」と述べているところからして、この判決も、また、昭和二九年一一月二四日最高裁判所が昭和二四年新潟県条例第四号行列行進、集団示威運動に関する条例違反事件につき示した「行列行進又は公衆の集団示威運動は公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらない限り、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなくて一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは憲法の趣旨に反し許されない。」というこの種の自由とその規制に関する根本原則を判決の原理としているものと解さねばならない。

二、次に弁護人らは、本条例に基く公安委員会の集団行動の許可事務についての権限は、大幅に警視庁警備部長に委任され、しかも、警視庁警備課集会係では、闇の手続ともいうべき事前折衝が行われ、そこでは、国会周辺での集団示威運動を完全に禁止するという方針のもとに、集団行進と集団示威運動を峻別し、国会周辺では示威の要素を全く抜き去った集団行進として許可するという前提で勧告がなされ、実質的な許可処分がなされるだけではなく、右勧告が進路変更を条件とする許可処分、あるいは不許可処分をする役割をも果しており、しかも、許可に当っては、おびただしい条件が付与され、これが機動隊の実力規制の根拠となり、大量の現行犯逮捕の根拠ともなっており、これらの運用の実態は明らかに違憲であり、それは本条例自体に基因するもので、本条例の許可制は実質的な届出制というには程遠く、集団行動の一般的禁止の解除としての許可制であって、表現の自由の著しい事前抑制として憲法第二一条に違反するものであると主張する。

前記昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決は「本条例といえども、その運用如何によって憲法第二一条の保障する表現の自由の保障を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。」と述べている。すなわち、これは、前記のとおり、本条例の規定する許可制はその実質において届出制と異るところがないとはいえ、公安委員会が権限を濫用すれば、一般的な許可制と同様、広範な事前抑制として憲法の趣旨に反する運用となることを指摘したものである。

ところで、弁護人ら主張の運用の実態というのは、条例の解釈適用としての個々の行政処分あるいは事実行為を含む広範な事実状態をいうもののごとくであるが、裁判所の違憲審査権は、一定の事件性を前提として、法令あるいは処分が合憲か違憲かを判断するものであって、法令運用の実態そのものは、憲法判断の対象とはならない。ただ右の運用の実態は、法令あるいは処分の憲法判断をするに当っての補助事実として考慮されるべきであると考えるので、以下この点で必要なかぎり検討する。

(一) 公安委員会の許可権限の委任について

≪証拠省略≫を総合すると、東京都公安委員会(以下公安委員会という。)の行う集会、集団行進および集団示威運動(以下集団行動という。)の許可に関する事務のうち、重要特異な事項として、(イ)集団行動の申請に対する不許可処分(本条例第三条第一項本文)、(ロ)申請にかかる集団行動の進路、場所又は日時の変更を伴う許可処分(同条第一項第六号)、(ハ)許可の取消処分、許可条件の変更処分(同条第三項)、(ニ)メーデーあるいは一〇万人を超える大規模な集団示威運動の許可処分は、公安委員会が自ら直裁処理しているが、右以外の集団行動の許可処分およびその際の条件付与については、下級機関である警視総監にその事務処理についての決裁の権限を与え、さらに、警視総監は、右のうち軽易な集会の許可処分は警察署長に、その他はすべて警視庁警備部長にその事務処理についての決裁の権限を与えており、その事務処理は全て公安委員会の名義をもって行わせ、その結果は毎月とりまとめて公安委員会に報告させて、その承認を受けさせることにしていることが認められる。すなわち、右は本条例による公安委員会の権限自体を警視総監以下の警察官に委譲したものではなく、公安委員会が自己の責任において、その権限に属する事務の一部の内部的な決裁権だけを委任したものと認められ、法律上の性質は代決と呼ばれるものと解される。そして、警察法第三八条第三項、第四四条、第四五条によれば、公安委員会が内部的規定を定めて警視総監以下の警察官にその事務を処理させることは、その事務を公安委員会の権限に委ねている趣旨に反しない限り、許されるものといわなければならない。

そこで、右の警視総監以下の警察官に集団行動の許可等の事務を処理させることの適否について考えるに、公安委員会は、非常勤の委員よりなる行政庁でありながら、その事務量が極めて増加していること、したがって、その円滑かつ能率的な事務処理を図るためには、重要特異でない、一般市民に対する利益処分等の事務を、下級機関である警視総監以下の警察官に委ねることもやむを得ない事情にあること、集団行動の許可手続は四八時間以内に迅速にしなければならないこと、その処理させる事項は集団行動の許可事務であること、そして、それが無条件の許可である場合は、許可を原則とする本条例の趣旨に添う事務処理であって、表現の自由を不当に制限することにはならず、また、条件付の許可処分である場合でも、証人山田英雄、同茂垣之吉の当公判廷における各供述によれば、警察官の付与する条件は公安委員会が前記の重要特異な事項にあたる集団行動を直裁する場合の許可処分に付与される条件と殆んど同じもので定型化されたものである(その個個の条件については後に記するとおり問題があるが)ことが認められることなどを総合すると、前記の事務を警察官に処理させることにしても、許可不許可の権限を公安委員会に委ねた条例の趣旨に反するとはいえない。弁護人らは重要特異なものかどうかの判断を第一次的に警察官に行わせることになるので、不当であると主張するが、前記の重要特異な事項はそれ自体明らかであり、もし重要特異な事項ではないのに、それに該当すると判断した場合には、直接公安委員会の判断を受けるのであるから、問題とする余地はなく、また重要特異な事項であるのにそれに該当しないと判断したとしても、それは許可されるのであり、しかも条件が付されるとしても前記のごとく定型化された条件が付されるとすれば、これも前記趣旨に反するものとはいえない。ただ右の代決権限がいわゆる事務折衝と結びついた場合に問題を生ずる余地のあることについては、後に記するとおりである。

なお、前記公安委員会規程が部外に告示その他の方法で公示されていないとしても、右規程にもとづく本条例の運用は、部外に対してはすべて公安委員会の名義で、その責任において行われるもので、何ら国民に対して手続上不利益を課するものではないから、右規程にもとづく事務処理が直ちに違憲、違法であるとはいえない。

(二) 事前折衝について

(1) まず、事前折衝一般について、≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

すなわち、集団行動を行おうとする主催者は、その七二時間前に、所要の事項を記載した許可申請書三通を開催地を管轄する警察署に提出すれば、本条例上の義務を果したことになるところ、若干規模の大きい集団行動等については、右許可申請書を提出する以前に、主催者あるいは責任者は集団行動の企画が決ると、警視庁警備部警備課に赴き、同課の集会係に対し右の企画を説明し、これに対して集会係も要望を出して双方了解したのち、主催者は同所に備えつけてある申請書用紙に所要の事項を記載して、これを所轄の警察署に提出する手続が行われるのが通常であり、昭和四〇年において、許可された集団示威運動の数、一、二七七件のうち、一八〇件について事前折衝が行われた。そして、事前折衝の際の主催者の集団行動の企画の具体化の程度についても種々の段階があり、集団行動の進路、時間、参加予定人員等について、いまだ漠然とした方針しか定まっていないものから、すでに自ら作成した用紙に所要の事項を記載してこれを持参するものなどあり、事前折衝の内容は、許可申請書に記入する事項のうち、主として、行動の進路、開会、出発の時間に関してであるが、他に行進の隊列、宣伝カーの台数、さらに、いわゆる反代々木系と称される学生団体の参加が予定される場合には、それに対する指揮統制の問題が含まれ、右のうち進路については、当該道路の交通の繁雑とか他の団体との競合の問題の他に、(イ)開会中の国会周辺道路およびアメリカ大使館付近の道路での集団示威運動、(ロ)国会議事堂が道路によって囲まれる三角形の三辺のうち二辺以上を通る集団行進は許可しないという公安委員会の方針にもとづきその折衝が行われている。

(2) ところで、前記のとおり、昭和三五年七月二〇日最高裁判所判決は、本条例は実質的には届出制と同様に運用され、許可することが原則とされなければ、一般的な許可制を定めて事前に抑制することとなり、憲法の趣旨に反し許されないというのである。それゆえ、右の判決の趣旨をふえんすれば、届出制の届出に照応するところの許可申請については、申請者が任意に決定した内容を記載した許可申請書を提出する自由と、それが法定の記載要件を具備していれば直ちに受理されるという保障がなければならず、しかも、申請者に右許可申請以上の手続上の負担を課せず、また、右申請は原則として許可されるように運用されなければならない。

ここで前記事前折衝の性格について考えると、それは公権力に基く法的行為ではなく、事実行為または事実的活動であるといわなければならない。証人茂垣之吉、同山田英雄は右の事前折衝は、行政相談であると述べるところ、折衝の内容によっては、純粋に相談である場合のあることも否定できないが、公安委員会としては、できるだけ不許可処分あるいは進路日時等の変更処分という本条例による強制的権限の発動を避けたいため、国会周辺等での集団行動についての公安委員会の方針について申請者側に了解を求め、また、他の集団行動と競合する場合には事前に調整をし、学生団体の統制を要望し、さらに、本条例第三条によって、集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかと認められるかどうかという重要な判断をするにつき、その資料として、許可申請書一通しかないことから、任意に事情を聴取してその資料を得たいこと、また、警備課としては警備計画をたてることにも参考になること等からこの事前折衝を望んでいること、他方申請者側としては、実質的に申請書を受理するのは警視庁警備部警備課であり、申請書を直接所轄署に提出しても所轄警察署は許可申請書を公安委員会に提出するための経由機関にすぎず、所轄警察署において右警備課集会係の了解があるかどうかを確かめられ、了解済みでないと受理を渋る傾向があること、事前折衝をして了解がつけば、その段階で確実に許可されることを知ることができること、折衝を経ないで申請書を提出すると、公安委員会から不許可処分あるいは進路、時間等の変更処分を受けるおそれがあり、それが集団行動の予定日時の二四時間前であっても、これを参加予定者に周知徹底することは容易でなく、それが主催者の責任問題となること、そこで右のような不利益処分を受ける前に申請者の主張、意見を述べてできるだけ要求に近いところで了解すること等から事前折衝に赴きあるいは応ずるものであることが認められる。そして、その折衝は勧告的である場合も、助言的である場合もあり、また、前記のとおり相談的である場合もあり、必ずしも態様は同じではない。すなわち右の事前折衝はいわゆる行政指導の意味をもつものであり、また、許可申請前であるが、一種の聴問の機能も持っているものと解される。(京都市集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第六条第四項参照)

ところで、弁護人らは、右の事前折衝が闇の手続であると主張するが、なるほど、これにつき本条例上は何らの根拠規定もない。しかし、証人茂垣之吉の当公判廷における供述によれば、右の事前折衝は、昭和三一年一〇月前記都公安委員会規程第四号等により代決権限を警備部長らに与える以前から行われているものであることが認められ、しかも、公安委員会の直裁に属するメーデー等の大規模な集団行動についても、これが行われるところからして、本来は右の代決権限に基くものではないと解される。そして、警視庁の組織上の権限分配を定めた昭和二九年七月一日都公安委員会規程第三号警視庁組織規則(東京都公報に告示されている。)第六二条(後に全面改正後は第二三条)により、「集会、集団行進及び集団示威運動の許可取扱いに関すること」が警備課の所掌事務とされていることが認められ、警備課は右の規定にもとづき、公安委員会の補助機関として、その事務処理を補助し、そして事前折衝も行っているものと解される。したがって、前記のとおり事前折衝そのものの条例上の根拠はないが、右の組織上の権限の範囲内で行う事務について、行政指導又は行政相談の意味での折衝を行い、これが折衝の相手方である主催者らの意思の任意性を前提とするもので、強要的、威圧的にわたらなければ、その手続について明文で規定されることが望ましいとしても、必ずしも違憲、違法な手続であるとはいえない。

そして、≪証拠省略≫によれば、昭和四〇年中に事前折衝を行わずに許可申請をして、公安委員会が進路変更の処分をしたものが五件、事前折衝が行われたがまとまらずに主催者の計画どおり許可申請がされて、同じく進路変更の処分がなされたものが四件あるところからも、前記の許可申請書の提出の自由とそれが受理される保障は存在するのであり、事前折衝が申請者に手続上の負担を課するともいえないので、以上の限りでは、これが事前抑制として働き、憲法の趣旨に反することになるとはいえない。

(3) しかしなお次のような問題があることを指摘しなければならない。

(イ) ≪証拠省略≫によれば、公安委員会は、本条例制定当時から開会中の国会周辺道路における集団行動を許可しない方針をとっていたが、昭和三五年一月八日決定によって本条例第三条の「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」とは「1、交通頻繁な道路において実施の時間、場所または方法により交通が著しく混乱することが明らかなとき。2、実施の時間、場所または方法により国会の審議権の行使、裁判所の公判その他官公庁の事務(外国公館の執務を含む)が著しく阻害されることが明らかなとき。3、実施の時間、場所または方法により人の生命、身体に危険がおよび、または安穏正常な社会生活が著しくかく乱されることが明らかなとき。」をいうとする解釈基準を示し、過去に無許可の集団行動を行った集団が国会構内に侵入した事態があったことをも考慮し、右の2、の基準に従い、開会中の国会周辺の静穏を保ち、国会議員の登院の自由を確保するという趣旨で、国会周辺道路での集団行動はその目的が国会での審議中の案件に関する主張を含むものでなくとも許可しない方針を続けていたこと、ところが昭和三五年五月中旬ごろ、当時まで国会に対する請願の方法として主催者が国会請願を計画し、国会周辺の一定の場所に動員をかけ、三々五々集って請願するということが行われ、これが結果的に無許可の集団示威運動として行われていたので、公安委員会は、請願は憲法上も平穏に行われるべきものであるという理由から、国会請願を目的とする集団行動は、これを平穏な集団行進(請願行進または請願デモと称されることもある。)として許可する旨取扱うこととし、これが当時の労働組合、日本共産党などの集団運動の責任者との間でも事実上了解され、その通り行われていたことが認められ、この最後の点は≪証拠省略≫からもうかがわれる。

ところで、集団示威運動とは、多数の者が政治、経済、労働、宗教、世界観等に関する共通の意思をもち、一定の計画に従ってその特定の目的を達成するために、不特定多数の者の意思に制圧を加えるような威力若しくは気勢を示しつつ、その意思を表明する一切の行動を意味し、集団行進は多数の者が共通の意思をもち、特定の目的をもって、一定の計画にしたがい移動することを意味し、その共通の意思を一般公衆に認識させる目的をもつものとそうでないものとを含むものと解される。

弁護人らは、集団示威運動と集団行進とは重なり合う概念であって、条例上は規制場所の点で差異があるにすぎないと主張する。なるほど、行列行進の形態をもって行われる集団示威運動、すなわち、集団示威行進は、概念上は、集団行進に示威行為が加わった行為であるともいえるし、前記の集団行進のうち、集団の共通の意思を一般公衆に認識させる目的をもって行われるものは、全く示威的要素がないとはいえないから、実態として一個の集団示威行進を集団示威運動と集団行進に区分できるかどうかという点からは、両者は、重なり合うものとして不可分であると解する余地はある。しかし、ある行進の形態をもっての集団行動が集団示威運動であるか、集団行進であるかは、前記の概念からして区別することは可能であり、また本条例上も、集団行進と集団示威運動の規制場所の範囲を異にしているのは、当然両者は隣接するとはいえ、別個独立の概念であることを前提としているものである。

そこで公安委員会のいう国会請願を目的とする集団行進はそれに付される条件から考えると示威にわたる行為を含まない行進を意味していると解されるが、概念上は本条例上の集団行進に含まれるものであって、これを直ちに独自の概念を設定したものというのは当らない。

(ロ) ここで問題とすべきは、公安委員会が開会中の国会周辺道路での集団示威運動を許可せず、わずかに一辺を通る集団行進としてだけ許可するという方針に合理的理由があるかということである。

右方針は前記のとおり、過去に無許可の集団行動を行った集団が国会構内に不法に侵入した事態があったことをも考慮し、昭和三五年一月八日東京都公安委員会決定の本条例第三条第一項本文の解釈基準の一つである「実施の時間、場所または方法により国会の審議権の行使、裁判所の公判、その他官公庁の事務(外国公館の執務を含む)が著しく阻害されることが明らかなとき。」に当ることを理由とするもので、しかも、メーデー行事の場合を除けば、当該行動の主催者、参加予定者、その数、時間等を具体的に考慮することなく、しかも、国会で審議中の案件にかかわりのない集団行動までも、一律に許可しないというものと解される。そして、集団行動が右の国会の審議権の行使を如何なる態様において阻害すものであるかは必ずしも明らかでない。

もとより国会における審議がいかなる妨害をも受けることなく、平穏な環境の中で、公正に行われるよう保障され、またそれを構成する議員の職務上の地位の安全も保護されなければならないことは当然であり、国会が国権の最高機関であると明定されているところからしても、これは国民全体の重大な利害に関するものであること多言を要しない。しかし、前記のように、本条例は住民および滞在者の生命、身体、自由、財産あるいはその総和としての地方公共の平穏、道路交通の秩序に対する侵害を予防して、その安全を保護することを目的とするものである。したがって、国会周辺で集団行動を行うことにより、国会構内に不法に侵入して、国会内の平穏と国会議員の安全を害し、さらには、暴行脅迫を加えて、その職務の執行を妨害する危険がある場合はともかく、単に国会周辺で騒音を発するなどし、あるいは国会周辺において国会議員に物理的心理的影響を及ぼし、国会の審議そのものが阻害されることを予防するために国会周辺の集団行動を禁止することは本条例の目的の範囲外であるといわなければならない。しかも国会における審議権の行使を阻害することを防止することは、一定の地方の住民の利害だけに関係するものではなく、国がみずから処理すべき国家的事務であって、地方公共団体の条例制定権の範囲外でもあるといわなければならない。諸外国の国会周辺における集団行動の禁止は国家法にもとづき、議会の警察権の範囲を定めたものと認められ、右の結論を左右するものではない。

したがって、単に国会の審議が著しく妨害されることが明らかであるという理由のみで、しかも、個々の集団行動を具体的に検討することなく、一律に禁止することは条例違反であるのみならず、特定の限られた場所における集団行動であるとしても、一般的許可制を定めて事前に抑制するのに等しく、表現の自由を不当に制限するもので憲法の趣旨に反する運用というべきであり、直ちに本条例自体が違憲であるとはいえないとしても、個々の処分は違憲となると解すべき場合があるといわねばならない。

(4) そこで、次は、事前折衝の段階において、申請者が国会周辺道路での集団行動、特に集団示威運動を申請する意思があるのに、国会周辺道路の一辺を通行する集団行進としての申請に強要的に変更させ、本来重要特異な事項にあたる集団行動として公安委員会の直裁にまつべきものをこれによって回避し、前記の代決権限を乱用して、実質的に不許可処分、あるいは進路変更処分をしているものといえるかどうかについて、以下本件各事件毎に事前折衝の過程を検討する。≪証拠関係省略≫

(イ) 一〇・五事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である社青同東京地区本部の執行委員小島昌光が昭和四〇年九月二九日警備課を訪れて集会係長茂垣之吉らに面接し、同年一〇月五日に実施する予定の集団行動について説明し、行進の進路(以下コースという。)は清水谷公園を出発し、赤坂見附交差点、平河町交差点、国会裏を経て、新橋土橋に至るコースにしたいと話し、詳しいことはあらためて相談に来るといって帰ったこと、同年一〇月一日社青同東京地区本部執行委員長、樋口圭之介が警備課を訪れて茂垣係長らと面接し、コースは清水谷公園を出発し、平河町、国会裏を経て、日比谷公園にしたいとの希望を述べたこと、これに対し、茂垣係長らより、当日同時刻ごろ安保破棄中央実行委員会から国会裏を通行する旨の集団行進の許可申請があるので具合が悪いからといわれ、これに対して、樋口は一応国会正門前を通るコースはどうかと述べたが、それでは国会請願は受理して貰えないからといわれて、判示第一の(一)認定のとおり、衆議院西通用門前交差点を右折し、日枝神社を経て清水谷公園に至るコースを示されたので、同人もこれを了承して、同日その旨の許可申請書を提出し、申請どおり許可されたこと、その際、茂垣係長らは国会請願は代表請願でやってほしいと要望したことが認められるが、集団示威運動にするか集団行進にするかについて、特に両者間に折衝が行われたと認めるべき証拠はない。そして、右折衝の経過からすると、集会係長らが、集団行動を制限しその効果を減殺する意図をもち、また、不当に強要、威圧を加え、前記代決権限を濫用して、コースその他を変更させたものではなく、任意に了解した内容に従って許可申請書が提出されたことが認められる。

(ロ) 一〇・一五昼事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である都学連の副委員長吉羽忠が同月一二日警備課を訪れ、茂垣集会係長らに面接し、折衝の結果、判示第一の(二)認定のとおりのコースについて了解し、同日その旨の許可申請書を提出して、申請どおり許可されたことが認められるが、その際の国会周辺の道路をコースとする点についての具体的な折衝がなされたものと認めるに足りる証拠はない。ちなみに、証人茂垣之吉は、都学連からコースについて問題とされたことはない旨供述し、同年一月八日から同年一二月一七日までの間都学連または都学連再建準備委員会主催で行われた一四回の集団示威運動は、すべて国会周辺道路を通行しないものであって、前記事前折衝において、集会係長らが強要威圧を加えたような状況は認められず、任意に了解した内容にしたがって許可申請書が提出されたものであることが認められる。

(ハ) 一〇・一五夜事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である反戦青年委員会の事務局長山下勝ら三名が同月九日警備課を訪れ、茂垣集会係長らと面接し、「国会直近の道路をデモしたいと考えているが、なぜ許されないのか、公安委員会の意向を聞いてほしい。」と要求し、茂垣係長らから上司に報告して、指示をあおぐといわれたので、当日はそのまま帰ったこと、同月一一日再び山下ら三名が警備課を訪れた際、茂垣係長から「公安委員会に確かめた結果、従来の方針は特に変更しないということである。」旨告げられたので、山下らは判示第一の(三)の当時最も普通に行われていた行進のコースをとることを了解し、同日その旨の許可申請書を提出して、申請どおり許可されたことが認められる。なお、山下は同月一四日茂垣係長から電話で呼出され、右集団行動に参加予定の学生団体の統制について反戦青年委員会として十分意を用いてほしいとの申し入れを受け、その際求められて「反戦青年委員会の行動について一切の統制と指導の責任をとる。特に学生グループの参加者もこの統制下にはいる。」旨の念書を書いたことが認められる。そこで、右の折衝の過程をみると、第一回目の折衝は、主催者において直ちに申請書を提出する用意で赴いたものではなく、第二回目の折衝においては証人山下勝は、「申請書を作成した段階では合意に達して作成した。」旨供述しており、集会係長らがその権限を濫用したりして、不当に強要威圧を加えた事実は認められず、任意に決定した内容にもとづいて許可申請書を作成し提出したものと認められる。ただ、同月一四日茂垣係長らが特に学生団体の統制責任について念書の作成を求めた点については、証人茂垣之吉は事前折衝ではなく、警告の意味を含んだものである旨供述するところ、勿論、本条例第四条、あるいは警察官職務執行法第五条にもとづく警告ではないが、また、前掲証拠によれば、本件の許可は同月一三日になされていて、許可書はまだ交付されていなかったことが認められるが、弁護人らの主張するように、念書を書かなければ許可しないというような強要的な状況はなかったものと認められ、証人山下勝も「この程度のことを確約するのは当然であると判断したので念書を書いた。」と供述しており、念書が任意に書かれたものであることは明らかで、主催者としては集団行動の指揮統制の責任を負うべきことは明らかであり、しかも学生団体が統制に従わない虞れが十分認められたところからすれば、注意的に誓約の書面を出させることも、警察法第二条の警察の責務の範囲に属し、これが強要にわたらない限り、直ちに違法不当な措置ということはできない。

(ニ) 一一・五事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である東京反戦青年委員会の事務局員佐竹昭生が同年一一月二日警備課を訪れ、茂垣集会係長らと面接し、日比谷公園を出発し、大蔵省裏交差点を右折し、国会正門前を経て、参議院第二通用門前を左折し、参議院議員面会所前、首相官邸前、特許庁前を経て、新橋土橋に至るコースでデモ行進をしたいと希望を述べたこと、これに対し、茂垣係長らから、公安委員会の方針として、国会開会中における国会周辺でのデモは許されないこと、国会正門手前は高速道路の入口にあたる変形五叉路で交通量が多く、危険でもあるからという理由で変更して貰いたいと要望され、判示第一の(四)の当時最も普通に行われていた行進のコースをとることを了解し、それに応じて日比谷公園から永田町小学校までは請願を目的とする集団行進とすることも自から了承し、出発終了時間等は集会係で参加人員から計算して割り出した時間を了承し、その旨の許可申請書を提出し、申請どおり許可されたことが認められる。なお、右折衝に際し、学生団体の統制をとってほしいと要望されたことも認められる。そして、証人佐竹昭生が「許可申請書にはその折衝の過程で最終的に了解点に達した結論を記入した。」と供述しているところからもうかがわれるように、右折衝の過程で集会係長らがその権限を濫用して不当な強要、威圧を加え、希望するコースの申請を変更させたものではなく、申請者において、集会係長らの要望、説得を受けいれて、任意に許可申請書を作成し、提出したものと認められる。

(ホ) 一一・九事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である原潜寄港阻止日韓条約粉砕全国実行委員会の事務局次長淵上保美、安保破棄中央実行委員会の事務局員岡崎万寿秀他一名が同年一一月四日警備課を訪れ、茂垣集会係長らと面接し、同月九日両実行委員会の共催で、昼一万名、夜五万名の規模で、国会請願およびデモ行進を行いたいと述べ、昼のコースは、日比谷公園を出発し、大蔵省裏交差点を右折し、国会正門前を経て、平河町交差点、赤坂見附交差点、青山一丁目を経て、明治公園まで、夜の三つのコースのうち、国会コースは、明治公園を出発し、青山一丁目、赤坂見附交差点、平河町交差点、参議院議員面会所前を経て衆議院通用門前交差点を左折し、衆議院南通用門前交差点を右折して日比谷公園までにしたいと述べたこと、これに対し、茂垣係長らは、上司の指示をあおいだうえ、昼のコースを国会裏を通るように、夜のコースは、永田町小学校裏を通るように、変更して貰いたいと要望したので、右淵上らは一応帰って相談して来るということで、当日の折衝は終り、翌日再び淵上、岡崎の両名が警備課を訪れ、集会係の右要望をいれて、その旨の許可申請書を提出し、申請どおり許可されたことが認められる。すなわち、本件は、右のうち、夜のコースであって、永田町小学校の前を通るか、裏を通るかが問題となっただけで、その他は、永田町小学校から日比谷公園までを集団行進とするということを含めて当初の希望通りであり、右の折衝の過程において、集会係長らの強要的な行為態度があったものとは認められず、任意に決定した内容の許可申請書を提出して許可されたものである。

(ヘ) 一一・一二事件

≪証拠省略≫を総合すると、主催者である原潜寄港阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会の事務局員谷木寛作が同年一一月一日警備課を訪れ、茂垣集会係長らと面接し、同月六日から同月一四日まで、昼夜二回ずつ行う予定の合計一四件の集団行動につき、自ら準備した用紙に所要事項を記載した許可申請書を示して説明したこと、これに対し、茂垣集会係長も細部についてはその都度相談することとして了解し、記入漏れの点を注意したほか、学生団体の統制について要望して折衝を終り、右谷木は同日右の許可申請書を一括して提出し、申請どおり許可されたこと、しかし、同月一一日付の補正申請届で右の集団行動を中止する旨届出たが、さらに、谷木寛作作成の同月一一日付集会、集団行進、集団示威運動の許可申請書を提出し、同月一二日その許可を受けたことが認められる。右の経過からすれば、殆んど実質的な折衝はなされておらず、集会係長らの不当な介入があったものといえないことは明らかである。

すなわち、本件各事件において、申請者が国会周辺道路での集団行動特に集団示威運動を申請する意思があるのに、国会周辺道路の一辺を通行する集団行進としての申請に強要、威圧を加えて変更させた事実はなく、したがって、前記の代決権限を濫用して実質的に不許可処分あるいは進路変更処分をしたものとはいえない。もっとも、一〇・一五夜事件および一一・五事件において事前折衝の結果、当初の希望していたコース等を変更して申請した事実は認められるが、両事件は、いずれも、都学連等の学生団体の参加を予定するもので、≪証拠省略≫を総合すると、都学連等の団体では同年一〇月五日以前に、国会前すわり込み、国会包囲デモ、国会構内侵入等を行う斗争を組む旨の記載があるビラ等を発行していたこと、一〇・一五夜事件、一一・五事件ともに実際に参議院議員面会所前にすわり込んで気勢をあげ、ことに一一・五事件においては一旦行進に移った学生集団が、参議院議員面会所前に反転して機動隊と激しく衝突して混乱状態になったことが認められ、その他過去における違法行為の実態から考えると、前記コース等の変更を要望したのは、単に国会の審議の妨害を防止するという理由だけからではないことが認められ、かつ、申請者も、任意に右の要望に応じたものと認められるので、これをもって表現の自由を不当に制限する違憲、違法な行為であるとはいえない。

(三) 実力規制措置等について

弁護人らは、集団行動を実施する段階になると、警視庁では防石面、防護衣等に身を固めた多数の機動隊員と採証車、広報車、警備車等を集団行動弾圧のために出動させ、公安部警察官を私服で配置し、高性能の拡声器を使用して、高圧的、脅迫的刺戟的な言辞を用いて警告して、集団行動の目的、効果を滅殺しようとし、許可の条件に少しでも違反すると、これを実力で排除し、ことに、デモ隊の両側に四、五列づつの機動隊が並んで完全に包囲しつつ併進規制を行い、予定時間をすぎると、無届として解散措置をとり、表現の自由としての集団行動を圧殺し、さらに、現場で極めて恣意的に条件違反の煽動者として、多数の者を現行犯として逮捕し、デモ鎮圧の手段として右現行犯逮捕権を濫用し、その間においては、暴行傷害を行い、公安部警察官はあらかじめ身分、経歴、思想等の調査をし、予備知識を得て個々の指導者をマークし、監視し、記録し、写真を撮影してスパイ活動に従事しており、集団行動の権利は消滅せしめられていると主張する。

前掲証拠の標目挙示の証拠その他本件に現われた証拠によると、本件の日韓条約反対のための集団行動に対する警備体制は以前より整備強化されたこと、警告についてはともかく、制止その他の所要の措置としての実力による規制として、本件では先頭隊伍が横に構えている竹竿の抜き取り排除、片側あるいは両側併進規制、両側圧縮規制、かけ足行進の阻止規制、停滞の際の推進規制、すわり込みの排除、解散措置等が行われたことが認められる。そしてこれらが違反の態様あるいはこれによってもたらされた障害の程度に応じたものであったか否か、必要以上に早い時期に規制措置に出たことはなかったかどうか、違法行為を是正する措置をとることによってかえって、不必要な混乱を惹起したことはなかったか、などの疑問がないわけではなく、また現行犯逮捕権の行使についても、前記証拠によれば本件のうち一一・九事件の集団行動においては五一名(うち本条例違反三二名)、一一・五事件の集団行動においては四一名(うち本条例違反三一名)がそれぞれ逮捕されており、その数は可成り多いといわなければならず、制止等の実力の行使としては限度を超えた暴行が全くなかったとはいえない。しかし、本件被告人らの逮捕については、恣意的な認定にもとずき、逮捕権を濫用して逮捕されたものとは認められないし、その他の点で違法、不当な行為があったにしても、それはそれぞれについて非難、是正されるべき方法が存在しているのである。そして、弁護人らが主張する両側併進規制ないしは圧縮規制についても本件に現われた限りではすべての集団行動に対して画一的に行われたのではなく、都学連等の学生のてい団に対してだけ行われたものであり、また本件各事件当日も私服の公安部警察官が可成り配置されて、違法行為の現認採証活動に従事していたことが認められ、これも本件に現われた限りでは、都学連等の学生団体、および社青同の団体等が特にその対象とされたものであるが、前記証拠によれば右団体は過去においてしばしば違法行為を敢行したことが認められ、このような実態からすれば右規制や現認の対象とされたのもやむを得ないところであって、これらの行為が必ずしも一般的に表現の自由の行使である集団行動を不当に制限圧殺し、憲法の趣旨に反する運用であるとまではいえない。

以上みてきたとおり、本条例の運用の実態は、本条例自体を違憲とする程に一般的許可制と同様の広範な事前抑制であると解すべき事実は認められないので、この点に関する弁護人らの主張は採用しない。

三、弁護人らは、本条例は占領軍の圧力のもとに、占領政策遂行のために超憲法的なものとして成立せしめられたものであるから、超憲法的事態のもとでのみ法的効力を有するもので、現在の日本国憲法のもとでは当然その効力を有しないものであると主張する。

≪証拠省略≫によれば、本条例の制定及び改正に対しては、占領軍の指示、督促があり、占領目的に反する虞れのある集団行動をも取締の対象としようとして制定されたものであることが認められるが、また右の証拠によって認められる審議経過にも明らかなように、本条例は憲法および地方自治法を根拠として、その定める規定事項につき、適法な手続と形式をもって有効に成立したものであるから、占領状態が消滅しても、法的効力は何らの変動をも受けないことは明らかである。よって弁護人らの右主張も採用しない。

四、弁護人らは(一)集団行動は本来自由であるから 無許可の集団行動もそれ自体は何ら実質的違法性はなく、単に主催者の許可申請義務違反があるにすぎないから、指導者、煽動者を当然に処罰すべき違法性はなく、また、条件違反の集団行動においても、単に条件に違反しただけで、主催者、指導者を処罰すべき違法性はなく、ことに集団行動の参加者が条件に違反した行動を行っていることを主催者、指導者が知らない場合あるいは集団行動の参加者の一部が条件に違反した行動を行った場合主催者、指導者を処罰することは不合理であって、憲法第三一条に違反し、(二)主催者、指導者、煽動者という概念は不明確であいまいな概念であり、組織的団体の統一的行動においては、指導者、煽動者は実体のない無用の概念であり、このような不明確な概念によって処罰することは罪刑法定主義に反し、憲法第三一条に違反すると主張する。

(一) 本条例第五条の無許可の集団行動が実質的違法性を欠くものではなく、したがって憲法第三一条に違反するものでないことは、昭和四一年三月三日最高裁判所判決においてすでに明らかにされているところで、当裁判所も右判決の見解に従うのを相当と認める。

また、条件違反の集団行動についても、合理的理由のもとに、必要最小限度において、合憲的に付された条件に違反する集団行動は、実質的違法性を欠くものではないといわねばならない。そして本条例第五条は、条件に違反した集団行動の主催者、指導者、煽動者を処罰する旨規定しているが、右の指導者、煽動者については、条件の内容を知りながら、集団行動の参加者に対し右の条件に違反する集団行動が行われるよう指導する行為をした者、または、煽動する行為をした者を処罰するというものであることは明らかであり、また、主催者についても、その地位にある者ということ自体を理由とし、一種の転嫁罰規定として、主催者が実施した集団行動がたまたま条件違反の行為をした場合にも、主催者を処罰するものと解すべきではなく、主催者が条件に違反する集団行動の行われることを知りながら、これを開催実施した場合に処罰するものと解すべきであり、また、集団そのものすなわち、集団行動の参加者が共同の意思をもって、条件に違反する行為を行った場合に指導者らを処罰するものであって、集団行動の参加者の一部がたまたま条件に違反したというのでは足りないと解すべきであるから、この点に関する弁護人らの主張はその前提を欠くものといわなければならない。

(二) 集団行動の主催者、指導者、煽動者という概念は必ずしも不明確な概念ではない。すなわち、主催者とは特定の集団行動を首唱し、これにつき中心となって、その規模、方法等につき企画して、その集団行動の開催実施に当る者、指導者とは集団行動の現場において、その目的を達成するため、主動的に、具体的な行動の方法、時期を決定し、集団の成員に対し、言語または動作によって指揮誘導する行為をして集団行動の進行を掌る者、煽動者とは集団行動を行うに際し、文書、言動等により、人に対し集団行動を実行する決意を生じさせまたはすでに生じている決意を助長させる勢のある刺戟を与える者をそれぞれ指すものということができ、不明確な概念ではなく、実態としても社会通念にてらして、十分把握することができるもので、これを処罰することにしても罪刑法定主義に反するものではなく、憲法第三一条に違反するとはいえない。よって弁護人らの右主張も採用しない。

第二一〇・五、一〇・一五昼、一〇・一五夜、一一・五、一一・九、一一・一二各事件(条件違反の集団行動)に共通する主張に対する判断

一、弁護人らは、本条例第三条第一項但書および第一号ないし第六号は公安委員会が許可の条件を付与するについて、非常に包括的事項に関し広範な裁量を許しており、この点から右条項は一般的許可制をとるもので、表現の自由を不当に制限しているから憲法第二一条に違反すると主張する。

本条例第三条第一項は「公安委員会は、前条の規定による申請があったときは、集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない。但し、次の各号に関し必要な条件をつけることができる。」と規定し、一、官公庁の事務の妨害防止に関する事項、二、じゅう器、きょう器その他危険物携帯の制限等危険防止に関する事項、三、交通秩序維持に関する事項、四、集会、集団行進又は集団示威運動の秩序保持に関する事項、五、夜間の静ひつ保持に関する事項、六、公共の秩序又は公衆衛生を保持するためやむを得ない場合の進路、場所又は日時の変更に関する事項」を掲げている。右の条件は、法律学上の概念としては、行政行為の附款(負担)であって、集団行動の許可に附随し、その一般的な効果を制限し、これに特別の作為、不作為等の義務を命ずるものである。もっとも、右の第六号は許可申請の内容である進路、場所又は日時における集団行動の一部を禁止し、他の進路、場所又は日時における集団行動に代えて許可するものであって、右の進路等を禁止する部分は、許可に附随するものではなく、申請の内容そのものに対応する処分の内容そのもので、単なる附款ではない。(広島県集団示威運動、集団行進及び集会に関する条例第六条参照)そして、右条件は公共の安寧を保持するという本条例の目的の範囲を逸脱することが許されないことは当然であり、また、附款の性質上必要最少限度のものでなければならないが、右の第三条但書は「必要な条件」と規定するだけで、いかなる場合に必要と認めて条件を附することができるかについての基準は明示していない。ただ、第六号は「公共の秩序又は公衆の衛生を保持するためにやむを得ない場合」と規定しているが、前記のとおり、同号は集団行動の許可申請について一部不許可とする処分(以下変更許可という。)であるから、本条例第三条第一項本文の公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合でなければならないと解すべきである。

ところで、集団行動の許可申請に対する公安委員会の措置として考えられる処分には、(A)公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められるといえない場合の許可、(B)これが明らかに認められる場合の(イ)不許可、(ロ)変更許可、(ハ)許可等が存するわけであるが、弁護人らは(B)の場合に許可するときに限り条件を付し得るもので、(A)の場合は、全て無条件許可でなければならないと主張する。

前記のように、本条例第三条は、許可を義務づけており、しかも無条件の許可を原則とするものである。そこで条件は許可に附随して、一般的な効果を制限するために、特別の作為、不作為等の義務を命ずるものであるから、不当に多くのまた厳しい条件を付するとすれば、それは事実上不許可処分をするのと同様の結果を生ぜしめ、右の原則は例外になってしまうことになる。したがって、条件を付し得る場合とその限度も真に必要にして最少限度に限られねばならない。ただ、本条にいう条件は公共の安寧に対する直接の危険の不発生を担保するため、すなわち、危険の発生を予防するために特別の義務を命ずるものであるから、その危険の発生が明らかに認められる場合に条件を付し得ることは当然であるが、危険の発生の虞れがある場合にも、また、その予防のために必要な最少限度の条件を付し得ると解しなければならない。(なお念のために付言すれば、危険の発生する虞れがあるかどうかの問題と危険すなわち、利益の侵害(害悪)の大きさの問題とは異るものであるから、右のようにいうからといって、単に社会的に不便を生ずるとか、公衆が多少の迷惑を蒙ることまでも危険に含ませるものではない。)そして、右条件が平穏で秩序ある集団行動にあっては、自ら当然に遵守されるべき合理的理由のある条件であるならば、許可を受ける者に不当な義務を課することにならず、したがって集団行動の自由を不当に制限するものともいえない。

そこで、条件を付し得る各事項について考えると、第六号は前記のとおり変更許可であって、許可、不許可の判断事項そのものであるから問題とされる余地はなく、第二号から第五号までの事項は、集団行動の自由が、法的な秩序ある社会関係にあるものとして、表現自体ではなく、その具体的な行使の態様に関して、公共の安寧を保持するための調整作用を受けなければならない事項を類型的に掲げているものであって、それが広範にすぎるとはいえない。ただ第一号の官公庁の事務の妨害防止に関する事項については、本条例は、前記のように、地方自治法第二条第三項第一号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全を保持すること。」という事務について制定された条例であって、しかも本条例に違反する場合の罰則をも定めるものであるから本条例の規定事項は右の事務の範囲に限られなければならない。単に官公庁の妨害防止に関する事項が右の範囲内に属しないと解すべきことは、さきに本条例の目的について記したところからも明らかであろう。もっとも、官公庁の事務を妨害する場合は住民の便益に影響がないとはいえないかも知れないが、しかしそれは住民の安全にとって間接的で極めて抽象的な可能性である。とすれば右第一号は本条例の制定事項の範囲外の事項であって、法律に違反しその効力を有しないものである。

いずれにしても本条例第三条第一項但書が公安委員会に、包括的な事項について、広範な裁量権を与えているものとは解されないから、この点で一般的な許可制をとるものとはいえず、憲法第二一条に違反するものではない。よって弁護人らの右主張は採用しない。

二、弁護人らは本条例第五条のうち、第三条第一項但書の規定による条件違反の集団行動の主催者らを処罰する規定は白地刑罰法規であり、構成要件は公安委員会の条件によって補充されるものであるけれども、実際には公安委員会が自由裁量によって恣意的に広範かつ多岐にわたる条件を付しており、これは刑罰は法律で定められなければならないとする罪刑法定主義に反し、憲法第三一条に違反すると主張する。

本条例第五条のうち、第三条第一項但書の条件に違反する集団行動の主催者らを処罰する規定が白地刑罰法規であり、公安委員会の許可に附随して付する条件によってその犯罪構成要件の具体的内容が補充されるものであることは所論のとおりである。

前記のとおり、本条例は地方自治法第二条第三項第一号に掲げられた事項について、同法第一四条第五項によって限定された刑罰の範囲内で罰則を定めるものであり、しかも集団行動を許可するに当って必要最少限度の条件を付する権限を公安委員会に与えているが、これは当該集団行動の主催者、規模、実施の日時、場所、方法等を個別的具体的に判断して定めることが妥当であるとの理由から右権限を公安委員会に委ねたものであり、条件を付する事項は前記のとおり、特定の具体的事項に限定されており、何ら自由裁量を許すものではないから、この程度において刑罰法規の内容を補充する権限を公安委員会に与えても罪刑法定主義に反するものとはいえないと解される。そして実際に個別的に明確な命令禁止の内容をもつ具体的条件が付されれば、犯罪構成要件が補充されて刑罰法規として完成し、しかも主催者らは集団行動の事前に右命令禁止の内容を知り得るに至るのであるから、憲法第三一条に違反するところはないと解する。よって弁護人らの右主張は採用しない。

三、弁護人らは、(一)本条例第三条第一項但書によれば、条件を付するのは公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合に限られるのに、本件各集団行動の許可にはこれに違反する必要最少限度を超えたおびただしい条件が、一方的に付されており、これらは集団行動の自由を不当に制限するもので、違憲、違法な条件であり、これらの条件の付された許可処分もまた憲法第二一条に違反し無効であり、また各個の条件の中には犯罪構成要件としては、極めて不明確であいまいなものがあって、これは罪刑法定主義を定めた憲法第三一条に違反し無効であり、(二)さらに条件付許可処分が、実際には公安委員会によって行われず、権限を委任された警視総監以下の警察官によって行われているのは、法律の定める手続によらずに刑罰を科するもので、憲法第三一条に違反し無効である、と主張する。

(一)(1)、まず弁護人らが条件の付与規準として主張するところからすれば、本件各集団行動の実施が、公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められたか否かを検討し、これが否定されれば、条件の内容に立入ることなく条件の付与自体が許されないとしなければならないが、右の主張が失当であることは前記のとおりであるから、ここでは直ちに各条件の当否について検討する。

本件で違反したとされている条件は、(A)集団示威運動(一〇・一五昼、一一・九各事件)について、交通秩序維持に関する事項の「行進隊形は五列縦隊(一〇・一五昼事件)または六列縦隊(一一・九事件)とすること。」「だ行進、ことさらなかけ足行進、先行てい団との併進、追越し等交通秩序をみだす行為をしないこと。」(B)集団行進(一〇・五、一〇・一五夜、一一・五、一一・一二各事件)について、交通秩序維持に関する事項の「行進隊形は五列縦隊とすること。」「だ行進、ことさらなかけ足行進、停滞、すわり込み等交通秩序をみだす行為をしないこと。」、秩序保持に関する事項(一〇・一五夜、一一・五、一一・一二事件)の「合唱、かけ声、シュプレッヒコール等示威にわたる言動は行わないこと。」というのである。

(2)、右の交通秩序維持に関する事項のうち「行進隊形は五列あるいは六列縦隊とすること。」とする条件については、本件各集団行動の進路はいずれも東京都の中心部であって、当時の都内の交通事情からすれば、交通上の危険と混乱を防止するためには、必要最少限度の合理的な規制であるといわなければならない。「だ行進、ことさらなかけ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、追越し等交通秩序をみだす行為をしないこと。」とする条件も、右の道路交通事情からすれば参加者および一般通行者の安全のためにもまた交通阻害を防止するためにも当然遵守されるべき事項である。また「ことさらなかけ足行進」が弁護人らが主張するように、集団行動にとって必要不可欠な表現ないし示威の方法とは到底みなしえない。

なお、弁護人らは「ことさらなかけ足行進」というのは、条件としては、不明確であいまいな概念であると主張するので、ここで検討する。なるほど、先行てい団との併進、追越し、すわり込み、等は概念としても、また、実態としても、十分把握することができるが、かけ足には、徒歩、速歩等の近接した概念があり、実態として、徒歩、速歩等とかけ足との限界的形態のものを十分観察把握し、表現することが困難な場合があることは否定できない。ことに、わが国における集団示威運動においては、あたかも、祭礼において「みこし」をかついだときのごとく、スクラムを組んで「ワッショイ、ワッショイ」とかけ声をかけながら行進する場合が多く、このような行進方法が前記のいずれの範疇に属するかは具体的な場合に問題となりうる余地がある。

ところで、集団でのかけ足行進は、徒歩で行進する場合に比し、集団の成員が前方あるいは側方を通行中の車輛、人その他道路上の障害物に接触する危険があること、交差点あるいは曲り角に来た場合に、交通状況に十分対応するための制止等の措置が困難であること、先行するてい団がある場合には併進、追越し等に発展する可能性があること、集団内で混乱転倒する場合のあること等によって、参加者および一般通行者の生命身体の危険、交通の阻害が生ずる虞れがあり、これを予防するため、かけ足行進を禁止するのは、必要最少限度の合理的制約というべきである。(これを単に参加者の少い一てい団だけを基準に考えるならば、これらが十分の理由となり得ないともいえるが、本件においてはいずれも一、〇〇〇人以上(一一・九事件においては五万九、〇〇〇人以上)の集団行動であって、各てい団の前方にも後方にも他のてい団がいる場合であることを付言しておく。)そして「かけ足」という言葉の通常の意味は、急速な歩調ということであり、それは一定の歩幅をもっての急速な歩調であるから、(ちなみに、警察操典によれば、「駈けあし」は歩幅八〇センチメートルで毎分一八〇歩である。)進行速度も歩行に比して速いもので、形態的には、両足が共に地面から離れている状態を伴うものであり、前記のこれを規制する合理的理由と社会通念にてらし、その実態を把握することは可能であるといわなければならない。また「ことさらな」という言葉の通常の意味は、わざとあるいは自然でないということであるが、これはかけ足行進を違法行為として定型化するにあたって、その違法な場合にかぎる趣旨を表わした修飾語であり、その消極的な面からいえば、正当の理由あるいは必要がないということに外ならない。法律用語としては、必ずしも熟したものといえないにしても、(郵便法第七九条参照)、これがあるために、犯罪構成要件として不明確であるとはいえない。

(3)、集団行進の秩序保持に関する事項の「合唱、かけ声、シュプレッヒコール等示威にわたる言動は行わないこと。」という条件について検討する。

まず、右の条件が如何なる理由にもとづいて付されたかについて、≪証拠省略≫によれば、形式的理由は請願を目的とする集団行進には示威を目的とする行動は本質上伴わないものであるのに現実の実態としては、種々の示威行動が行われるので、それを禁止するものであるというのであり、実質的な理由は、国会周辺の静穏を保持し、国会の審議権の行使が阻害されるのを防止するというのである。

そこで、右の形式的理由について考えると、集団行進と集団示威運動の意味については、前記のとおりであり、集団行進のうち、その共通の意思を一般公衆に認識させる目的をもつものにおいては、示威的要素がないとはいえないが、集団行進と集団示威運動を前記のように概念上区別する限り、集団行進には、本質上は示威を目的とする行動は伴わないといわなければならない。すなわち、集団行進を許可された者は、示威を目的とする行動はできないものである。しかし、そのゆえをもって、これを条件によって禁止することはできないといわなければならない。前記のとおり、条件は許可処分の附款であるから、当然それには限界があり、別個独立の許可処分の対象となる行為を附款で絶対禁止にすることは許されない。右の集団行進において示威を目的とする言動を禁止する条件を付することは、証人山田英雄も供述するように、集団示威運動を禁止することに外ならない。ところが、本条例上は集団示威運動は、集団行進とは別個独立の許可処分の対象となる事項であるから、これを附款で絶対禁止にすることは、その限界を超えることであって許されないといわなければならない。(この点もし許されるとすると、無条件で集団行進を許可されたものが示威行動をした場合は、無許可の集団示威運動となり、条件付で許可されたものが示威行動をした場合は、条件違反の集団行進となるという不合理を生ずる。)そして、もし集団行進の許可を受けた者がさらに行進の途中において示威を目的とする行動をしようという場合には、集団示威運動の許可申請をしなければならないことになるが、右の条件によって事前に禁止している限り、条例上は許可申請をすることは自由であるといえても、実質的には許可申請の事前において禁止し、申請自体を許さないのに等しいことになる。

検察官は「右の条件を付された集団行進がその許可された趣旨を没却し、許可内容とは全く異った形態の集団示威運動に化した場合には、当然無許可の集団示威運動となるが、国会周辺における集団示威行進を禁止しなければならない理由から考えると、全体としてまだ許可された集団行動のらち外に出たものと認められないが、許可された集団行進の趣旨に反してなされる示威にわたる行動を放置することは相当でないから、条件として付して遵守を求める合理性があり、また、実際の適用上も、右条件があるために、無許可の集団示威運動と評価されるべきもののかなりのものを条件違反の集団行進としてむしろ軽く取扱う機能を果している。」と主張する。しかし右条件の「合唱、シュプレッヒコール」等の行為は、本来、集団示威運動の中で行われる行為であり、右条件がいまだ示威運動に至らない言動だけを禁止しようとしているものとは解されない。集団示威運動と集団行進とは隣接する概念であって、集団示威運動は各個の行為の総和的な行動であるけれども、ある示威的行為を伴う集団行動が集団示威運動であると認められない場合、それが行進の形態をとっているものであれば、それは集団行進であると解されなければならない。そこでもし、右条件の行為が、集団行進の内容に含まれる軽微な示威行動にすぎないというのであれば、たとえ集団行進が請願を目的とするものであっても、請願の場所に至るまでの行進をも全て請願行為であるとすることはできないし、これが請願を目的とするからといって請願行為そのものと同様に示威的要素の含まれている行為を禁止する理由はない。検察官の主張は集団示威運動と集団行進との間に中間的行為を想定し、集団示威運動にわたらないものまでも、国会周辺の集団示威運動を禁止すると同じ理由によって、禁止しようとするものであって不合理である。実際の適用上は困難な事例があり、また条件違反の集団行動として軽く取扱われるとしても、集団示威運動と集団行進を概念上区別する限り、それは便宜的な取扱いであって妥当ではない。

次に、実質的な理由について考えると、右条件は秩序保持に関する事項として掲げられているが、国会周辺の静穏を保持し、国会の審議権の行使が阻害されるのを防止するという目的からすれば、これは官公庁の事務の妨害防止に関する事項であるといわざるを得ないが、いずれにしても右の理由は国会周辺道路における集団示威運動を禁止する理由と同じである。これについては先に公安委員会の方針の適否について検討した際に記したように、単に国会における審議権の行使を妨害する行為を防止することは、住民および滞在者の生命、身体、自由、財産あるいはその総和としての地方公共の平穏、道路交通秩序に対する侵害を予防し、その安全を保護するという本条例の目的の範囲外に属する事項であるのみならず、国みずから処理すべき国家的事務であって、地方公共団体の条例の規定事項範囲外である。したがって、右のような国会の審議権の行使を妨害する行為を防止するという理由でこのような条件を付することはできない。

いずれにしても右の「合唱、かけ声、シュプレッヒコール等示威にわたる言動は行わないこと。」という条件は違法な条件で無効であるといわなければならない。

(4)、その他の個々の条件は、本件に対し適用されるものではないが、弁護人らはおびただしい条件が付されているのは全体として許可処分を違憲にすると主張するので一応ふれることとする。

条件は、前記のとおり、許可処分の相手方に対し作為、不作為等の義務を命ずるものであり、本条例第五条の犯罪構成要件を補充し、これに違反した場合には、即時強制の措置を受け、また、指導者らは処罰されることになる。そこで、本件各集団行動の許可書に添付された条件書に記載されている各条項が、すべて右の意味での条件かどうかについて≪証拠省略≫によれば、これら条項は、すべて条件であって、注意規定ではないというのであるが、必ずしも右の各条件が犯罪構成要件を補充して刑罰の根拠となり、あるいは即時強制の根拠となる程の事項か否かにつき充分な法的検討を経たものではないと認められる。

別紙一〇・五事件の集団行進の条件書一の1「主催者は集団行進を平穏に行うよう指揮統制を徹底すること。」集団示威行進の条件書一の1「主催者および現場責任者は集団示威運動の秩序保持について指揮統制を徹底すること。」という各条項は≪証拠省略≫によれば、主催者がてい団ごとに統制者を置き、あるいは条件内容を参加者に周知させること等を意味するというのであり、これが一般的注意事項であることは明らかで、しかも主催者又は現場責任者を名宛人とする命令規範であって、同人らがこれに違反したからといって集団行動自体が条件違反としての義務違反性を帯びる理由はない意味でも注意条項である。これは集団示威行進の条件書一の3についても同じである。

集団行進の条件書一の2、集団示威行進の条件書一の2「時間および進路を厳守すること。」という条項も、これは本条例第二条第三号、第四号の記載事項違反又は同条例第三条第一項第六号違反の集団行動とならないよう注意したにすぎず、特別の義務を命じたものではない。同じ意味で集団示威行進の条件書一の5も注意条項である。

集団行進の条件書二の4、集団示威行進の条件書三の7「発進停止その他行進の整理のために行う警察官の指示に従うこと。」という条項については、本条例上は警察官に対しこのような指示権を与えた条項はないのであるから、これは道路交通法第一五条、第五条ないし第七条、第一一条の権限に外ならず、したがって特別の義務を命じたものではなく、これも注意条項である。

その他の条項にも特別の義務を定めたものではない条項、あるいは参加者が個々的に違反することを防止することを目的とし、したがって集団行動自体が直ちに条件違反という義務違反性を帯びるものではない条項と思われるものがないではなく、また仮に条件であるとしても、集団行進の条件書一の3 二の3、三の1、2、集団示威行進の条件書三の3ないし6のように本来条件として許されないかあるいは必要最少限度を超えるものとして違法の疑いのある条件もある。しかし条件を付するにあたって同意のあることを要件としていないのであるからこれらの条件が一方的に付されたことを理由として、これを無効とすべきいわれはない。そして前記の注意的条項を除けば必ずしもおびただしくかつ厳しい条件を付しているとはいえず、全体として集団行動の自由を不当に制限するものとはいえない。

(5) したがって、本件各集団行動に付された条件の中には違法あるいは違法の疑いのある条件も含まれているとはいえ、本件に適用される条件は、「行進隊形は五列あるいは六列縦隊とすること。」「だ行進、ことさらなかけ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、追越し等交通秩序をみだす行為をしないこと。」というのであって、これらの行進隊形およびだ行進等を規制する条件(以下本件条件という。)は、行進の方法、態様としては、当然に遵守されるべき基本的な条件であり、他の違法又は違法の疑いのある条件と特に関連があって、それらがなければ本件条件もその意味と実効性をもたないというものではなく、また、前記のとおり、無条件の許可を原則とするところからすれば、公安委員会としても他の条件が違法で無効でも、本件条件は付したと解され、両者が不可分の関係にあるとはいえないから、他の条件の違法無効が本件条件の違法無効を来すものとは解されない。そしてまた本条例が無条件の許可を原則としているところからして、右の違法あるいは違法の疑いがある条件があっても、本件各許可処分自体はその効力を失わないものと解する。

これを要するに、弁護人らの本件各条件付許可処分が違憲あるいは違法で無効であるという主張は採用しない。

(二) 条件付許可処分の手続が憲法第三一条に違反するという主張について弁護人らの理由とするところは明確ではないが、公安委員会の権限の内部的委任の適否については必ずしも違法といえないことは前記のとおりであり、また憲法第三一条が行政手続に適用又は準用があることを肯定するとしても、本件の各許可処分の手続に法律の定める適正な手続に欠けるところがあったとは認められないので、弁護人らの右主張は採用しない。

第三一〇・五、一〇・一五昼夜、一一・五、一一・九、一一・一一、一一・一二各事件に共通する主張に対する判断

一、弁護人らは、本件各公訴提起は、被告人らの正当な日韓条約反対運動そのものに対する政府権力の弾圧であり、被告人らだけを選んで起訴したのは、公訴権の濫用であると主張するが、本件各公訴提起は被告人らに特定の犯罪行為が存在するとして提起されたものであり、その背景になっている日韓条約に対する反対運動そのものを犯罪行為として起訴したものでないことは各起訴状によって明らかである。そして、これが起訴便宜主義の趣旨を逸脱し、被告人らに対する特別の意図のもとに、公訴権を濫用して起訴されたものであるとの事実は認められないので、弁護人らの右主張は採用しない。

二、弁護人らは、被告人らの本件各行為は、日韓条約が、憲法上の平和主義に反し、軍事的侵略的性格をもち、しかも、法的にも極めて多くの重要な問題が解明されないまま、批准されることに反対し、さらに、条約批准のための国会において、度重なる強行採決が行われ、これに抗議することが、憲法秩序を擁護するために国民の義務であるという動機目的をもって、憲法上表現の自由として保障され、しかも、大衆の表現手段として唯一のものである集団行動によってその目的を達成しようとしたものであり、また、実際の集団行動にあっては、機動隊によって集団行動を圧殺する規制が加えられたため、集団行動の自由を回復するためにやむを得ず、本件の如き行動に出たものであって、しかも国会の審議状況は緊迫し、被告人らが集団行動によって日韓条約批准反対の意思を表明し、国会に向って抗議しなければならない緊急を要する状態にあったのであるから、被告人らの各行為は正当行為あるいは超法規的違法阻却事由に該当し、実質的に違法性を阻却すべき場合であると主張する。

形式的に、犯罪構成要件に該当する行為であっても、その行為の動機、目的が健全な社会通念にてらして正当であること、手段方法において相当であって法益権衡の要件を具備し、その行為に出ることが緊急やむを得ない状況にあり、他に適当な方法がなかったと認めるときは、実質的に違法性を阻却するものといわなければならない。被告人らの各行為は、その時期、状況において、全く同一ではないが、いずれも第五〇臨時国会開会中の共通の状況における同種の行為であるから、一括して検討する。

被告人らが弁護人らの主張するような理由から日韓条約の批准に反対し、さらに、右日韓条約関係案件を審議する国会において行われた強行採決に抗議することが憲法秩序を擁護するために国民の義務であると考え、そのような動機目的から、本件各集団行動を行ったこと、そして、被告人らにとって、その反対あるいは抗議の意思を表明する手段としては、集団行動が有効であり、他に適当な方法が少いこともまた認められなければならない。しかしたとえ動機目的がいかに正当であり、また重要であっても、その目的を達成するために行う集団行動が平穏かつ秩序正しく行われなければ、それが正当な行為であるとはいえない。しかるに、本件においては、一般公衆の社会生活上不可欠なものである道路交通上の便益を意に介しないか、またはそれに対する侵害を最小限度に止めるよう努力せず、許可条件違反の集団行動あるいは無許可の集団行動を行い、実際上も道路交通の阻害を生ぜしめたもので、このような集団行動は本来平穏であるべき集団行動の範囲を逸脱し、その方法において社会通念上不相当であったといわざるを得ない。また、国会における審議状況からすれば、被告人らの反対あるいは抗議の意思を早急に表明する必要があった場合も認められるとしても、議会制民主々義をとる我国において、それゆえに許可条件に違反し、あるいは無許可で集団行動を行ってもやむを得ないと認められるほど、緊急を要する状態であったことは考えられない。

なおまた、弁護人らは、被告人らの行為による交通上の実害は極めて軽微であって可罰的違法性がないとか、様々の表現を用いて違法性を阻却する旨の主張をするが、本件各事件はその違法性の程度においてはそれぞれ異にしているけれども、それが極めて零細なあるいは軽微な違法行為であって、可罰的違法性がないと認めるべき事由はなく、その他違法性を阻却すべき事由は認められないので、弁護人らの右主張は採用しない。

第四各事件に関する特別の主張についての判断

一、一〇・五事件

弁護人らは、本条例第三条第一項但書によって付される条件は、本条例第五条の白地的規定を補充し、具体的な犯罪構成要件ならしめるものであり、しかも表現の自由を侵害するものであるから、条件として掲げられた禁止行為は例示的なものではなく、限定的なものであり、厳格に解釈しなければならないところ、本件集団行進が違反したとされる条件には「すわり込み」を禁止する文言がないから、本件においてすわり込んだとしても、これを条件違反の集団行進ということはできず、したがって被告人高尾がこれを指導したとして処罰されるいわれはないと主張する。

条件が本条例第五条の犯罪構成要件を補充するものであって、それが表現の自由に関する刑罰法規として厳格解釈が要請されること、本件集団行進が違反したとされる「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、あるいは先行てい団との併進、追越し、フランスデモ等交通秩序をみだす行為をしないこと。」という条件が、禁止する行為を制限的に掲げたものであること、右条件の中に「すわり込み」という文言がないことは所論のとおりである。しかし前判示のとおりすわり込みは右条件の中の停滞に該当するといわなければならない。右条件の禁止行為のうちだ行進等は具体的な方法、態様の行為として掲げられているが、停滞はとどこおっている状態であり、そのような状態を惹起する具体的な行為を前提とする概念であって、立ち止まり、しゃがみ、すわり込み、寝そべり等の行為によって停滞することを禁止するものであると解べきである。この点は道路交通法第七六条第四項第二号が同一類型の行為を道路における絶対的禁止行為として掲げていることが参考となろう。そして右のように解釈することは構成要件の合理的解釈であって、厳格解釈の要請を無視するものではない。なお一〇・一五夜事件以降の各集団行進の条件書には、右の「すわり込み」の文言が挿入されているが、≪証拠省略≫によれば、これは本件においてすわり込みが行われたために特に明示的に挿入されたものであって、これが右の解釈を左右するものではない。よって弁護人らの右主張は採用しない。

二、一一・一一事件

弁護人らは、本件は当日行われた全国実行委員会主催の集団示威運動の終点である国鉄労働会館前から、わずかに数百メートル、時間も二十数分超過して継続したにすぎないもので、右の集団示威運動の一環であって、別個のものではないと主張する。

本件集団示威運動が当日公安委員会の許可を得て行われた全国実行委員会主催の集団示威運動に引き続き行われたものであることは前判示のとおりである。そして右全国実行委員会主催の集団示威運動の終点については、証人金井精一(第一三回)、同小島勝視(第一四回)はいずれも国鉄労働会館前であった旨供述するけれども、同証人らは学生以外の集団がどこまで行進したかは全く現認していない。かえって≪証拠省略≫によれば、右の終点は新橋土橋であったものと認められる。そして学生集団は前判示のとおり機動隊に両側併進規制を受けて国鉄労働会館前まで行進してきたものと認められる。

そこで単に許可を受けた集団示威運動の途中において、進路を変更し、また時間が遅延したとしても、それは本条例第二条の規定による記載事項違反の集団示威運動となることはあっても、直ちに無許可の集団示威運動と解すべきではないが、本件は前記全国実行委員会の得た許可の内容である集団示威運動を終ったのち、しかも右許可を受けた主催団体ではない単なる一部の参加団体が独自の決定のもとに、右許可の内容とは逆の進路をとって示威行進を始めたものである。したがって、右許可の効力はその目的とする集団示威運動が終ったことにより消滅したのみならず、本件は右許可の内容と重要部分において内容を異にする集団示威運動であって、これが右の許可された行動の一環であるということはできないから、右弁護人らの主張は採用しない。

三、一一・一二事件

弁護人らは、本件の主たる訴因である無許可の集団示威運動と予備的に追加された条件違反の集団行進とは公訴事実の同一性がないと主張する。

本件は当初、被告人山崎は無許可の集団行進を指導したとして起訴されたものであるが、検察官は、これを無許可の集団示威運動を指導したという訴因に変更し、予備的に条件違反の集団行進を指導したものとの訴因を追加する申立をし、当裁判所はこれを許可し、前判示のとおり予備的訴因である条件違反の集団行進を指導したという点につき有罪と認めたのであるが、右の主たる訴因と予備的訴因は、同一集団によって、同一日時に、同一進路で行われた全く同一の集団行動であって、指導行為も外形的には全く同じものであり、両訴因は基本的部分を同一にし、犯罪として両立し得ない関係にあり、刑事訴訟法第三一二条第一項にいう公訴事実の同一性があることは明らかである。よって弁護人らの右主張は採用しない。

四、品川駅前事件

弁護人らは、本件の都学連系の学生らが外形上は集団示威運動類似の行為を行ったとしても、右の行為を行った時間には国鉄品川駅西口駅前には一般公衆はおらず、右の行為が一般公衆に対し影響を及ぼすような具体的可能性はなかったのであるから、本条例にいう集団示威運動に該当しないし、また形式的にこれに該当し、被告人岡部がこれを指導したとしても、何ら乗客にも迷惑を及ぼしておらず、右の行為は可罰的違法性あるいは実質的違法性がないと主張する。

本条例にいう集団示威運動は多数の者が政治、経済、労働、宗教、世界観等に関する共通の意思をもち、一定の計画に従って、特定の目的を達成するために、不特定多数の者の意思に制圧を加えるような威力若しくは気勢を示しつつ、その意思を表明する一切の行動を意味するのであるから、労働争議の当事者間で威力若しくは気勢を示す行動はここにいう集団行動に当らないことは明らかである。そして右の労働争議の一方の当事者である労働組合を応援する団体の行為が右労働組合の主動的立場において、その指導統制のもとに、統一した行動として行われるならばこれもまた同様に解すべきであるけれども、単に右の労働組合を応援する目的のもとに行われる行動であるというだけで、全て集団示威運動に当らないと解することはできない。

すなわち本件の都学連系の学生は労働争議の状態にある国鉄労働組合等とは組織上無関係であり、本件行為が右労働組合の主動的立場において、その指導統制のもとに、統一した行動として行われたものではない。そして前判示の行動は明らかに、威力および気勢を示す行為として行われたものであり、前判示の被告人岡部の煽動演説の内容、学生らのシュプレッヒコールの内容等からすれば、前判示の午前三時五一分ごろからの行動は、国鉄品川駅における初電発車時間である午前四時二〇分を間近かにして、一般公衆に対し気勢を示す行為として始められ、その後も続けられたものであることは明らかであり、しかも≪証拠省略≫によれば右午前四時二〇分前にも少数ではあるが乗客がいたし、その後も乗降客があったことが認められるので、右集団示威運動が不特定多数の者に影響を与える具体的可能性があったことも明らかである。したがってこれは前記の労働争議の当事者間における行動とは異り、本条例にいう集団示威運動に該当するものである。

しかもこれが無許可で行われたことは前判示のとおりであり、可罰的違法性がないとか、実質的に違法性を阻却すると解すべき理由はない。実際にも≪証拠省略≫によれば、初電発車時間から午前五時三〇分ごろまでは通常の方法での出札等を行うことができず、また本件行動による混雑のために鉄道公安官等によって特別に改札口の通路を確保する措置をとったことも認められる。よって弁護人らの右主張は採用しない。

(本件公訴事実中無罪部分の判断)

第一、被告人菊地睦男に対する無罪理由

被告人菊地睦男に対する公訴事実の要旨は「被告人菊地睦男は前判示第一の(五)の集団示威運動に学生約四、二〇〇名とともに参加したものであるが、右学生らが東京都公安委員会の付した許可条件に違反し、昭和四〇年一一月九日午後八時五三分ごろから午後九時五五分ごろまでの間、前記明治公園から永田町小学校に至る道路において、約一〇列ないし二〇列となってことさらなかけ足行進、だ行進、先行てい団との併進および追越しを行った際、被告人小林紀興、野原毅一他氏名不詳の学生らしき者八名位と共謀のうえ、被告人菊地は同日午後八時三分ごろから午後九時三〇分ごろまでの間、明治公園からタカラ椅子会館前に至る間の道路上において、終始学生隊列第一てい団約七〇〇名の先頭列外に位置し、隊列先頭が横に構えて所持する竹竿を握り、笛を吹くなどして右学生らのかけ足行進、先行てい団との併進および追越しを指導して、許可条件に違反する集団示威運動を指導したものである。」というのであり、右記載のうち学生第一てい団が条件違反の集団示威運動をした事実は前判示第一の(五)において認定したとおりである。

前記証拠の標目一一・九事件挙示の証拠によれば、被告人菊地は右集団示威運動には都学連の一員として参加し、タカラ椅子会館前で逮捕されたものであるが、その際の服装はヘルメットをかぶり、号笛をひもで首につるし、白軍手をしていたこと、その際とった行動は、学生第一てい団の先頭列外二・三メートル前方に被告人小林紀興、宍戸照雄、今井卓司らが後ろ向きになったり、前向きになったりして位置し、被告人菊地は行進中は終始他八名位と横に並び、前向きとなって両手あるいは片手を後ろに伸ばして、次列の一〇人位の隊伍が横に構えている竹竿を握っていたことが認められる外、証人石井勘一(第一一回)は(1)外苑会館前でかなりおそい行進をしているとき、右手を高くあげた、(2)魚信のところで出発するとき手をあげてかけ足行進に移った旨供述し、証人塙登(第一〇回)は(1)神宮球場わきでかけ足行進のとき、日韓粉砕のかけ声に合わせて笛をふきながら前にのり出すように竹竿を引張って誘導していた。(2)丸永ベーカリーの前で労働組合のてい団を追越しつつあるとき、左手を右肩の上附近にあげて前の方へ二度振った旨供述し、黒岩勝作成の昭和四〇年一一月一〇日付写真撮影報告書写真番号2―12には被告人がバロモンテーラー前付近で左手を上げている状況が認められる。

そこで被告人菊地の服装、行進中の位置および証人野原毅一の被告人菊地が先頭の竹竿をつかまえている指揮団に属していた旨の供述と被告人菊地の本件以前に二回指揮者になったことがある旨の供述を併せ考えると、被告人菊地が右学生第一てい団の指導者になり得る地位または状態にあったことは認められる。しかし、前記証人石井の証言のうち(1)の被告人菊地の動作については、同証人自身何の意味かわからなかった旨供述しており、(2)の動作について、同証人はかけ足行進に移った旨供述するが、証人黄川田昭夫(第一二回)は魚信附近では学生第一てい団は平常行進であった旨供述しており、証人小島勝視(第一〇回)も同所附近は半分歩きであった旨供述しているので、右の(2)の動作がかけ足行進の発進の合図であったものと直ちに認めることはできない。証人塙の証言の(1)、(2)の被告人菊地の動作について、その当時被告人菊地の属していた学生第一てい団がかけ足行進をして労働組合のてい団を追越していたことは前判示第一の(五)のとおりであるが、右の(1)、(2)の動作はいずれもかけ足行進の途中に行われたものと認められ、これが、かけ足行進の発進あるいは継続といかなる関連をもち、またいかなる影響を与えた行為であるかは必ずしも明らかでなく、ことにこれらの動作は集団示威行進の過程において行われたものであって、日韓粉砕のかけ声に合わせて笛をふくことは示威行為の性格をもつものであり、これらが示威行為ではなく、単に行進の態様としてのかけ足行進の指示にすぎないと断定することはできない。なお、証人小島、同塙らは被告人菊地が竹竿を後手に持って引張るようにして誘導していたと供述するが、これは竹竿がなくとも、先頭隊伍が後方の隊伍を誘導する形になるのは当然であって、これを指揮行為ということはできない。そして証人小島は被告人小林紀興、宍戸照雄、今井卓司を列外指導者と呼び、明治公園から草月会館までは被告人小林の指導で動いていると判断したと供述している。以上に記したところからすると被告人菊地が主動的に指揮誘導行為を行ったとは認められない。

検察官は三〇〇名以上の隊列を被告人小林、宍戸、今井の三名の指導者のみによって自由に動かし得るものではなく、被告人菊地は被告人小林らと意を通じて指導にあたったものであると主張するが、集団に対する指導者の指示は集団の成員に直接伝えられるばかりでなく、集団の一部の成員を通じて間接的にも伝えられるものであり、しかも、集団の成員が共通の意識をもち、共同とする目的も明確で、その達成のための行為も単純である場合、後者の伝達方法によって、少数の指導者でも数百人の集団を動かすことは容易であるといわなければならない。そして指揮行為をするものとこれを受ける者は対向関係にあるから、その間に意思を共通にする部分があるのは当然であって、これを直ちに共犯者ということはできない。また検察官は証人野原毅一の証言中の指揮団という言葉が真相をついた供述であると主張するが、同証人はなるほど前記学生第一てい団の先頭列外にいたものであるが、しかし同証人は指揮団と指揮者という言葉を使って表現し、被告人小林を指揮者と述べており、右の指揮団というのは、前記竹竿の前後にいる二〇名位を指すというのであるから、これら全員を指揮者といえないことは明らかである。

これを要するに被告人菊地については、前判示第一の(五)の学生第一てい団の条件違反の集団示威運動を指導する行為をした者と認めるに足りる証拠はなく、また直ちに煽動者と認めることもできないので、犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。

第二各事件についての一部無罪理由

一、一〇・一五昼事件

被告人国吉毅に対する昭和四〇年一〇月二七日付起訴状記載の公訴事実第一は、前記有罪と認めた部分以外にも、前記日比谷公園西幸門から大和銀行虎の門支店まで(前判示の伊藤ビル手前付近を除く。)ことさらなかけ足行進の指導をしたというのであるが、これを認めるに足りる証拠はない。なるほど、証人小林保徳(第五回)、同金井精一(第五回)は前判示の伊藤ビル手前でのかけ足の外は「速くも遅くもない普通のかけ足」とか「さほど速くない小きざみなかけ足」とか供述するが、≪証拠省略≫によれば、先頭列外にいる照井克弘らはてい団に対面して、先頭隊伍が横に構えている竹竿を前傾姿勢で握っており、また先頭列外の被告人国吉及び西側の機動隊等も殆んど徒歩で進んでいる状況等から考え、これがかけ足行進であったとは認められない。証人金井精一は一一・五事件に関する証言(第八回)において「かけ足行進というのは速さというよりも形態で、足踏の場合にもかけ足ということがあるかも知れない。」と述べており、前記の「かけ足」との供述も直ちに条件にいうかけ足であったというものとは解されない。

二、一〇・一五夜事件

(一) 被告人国吉毅に対する昭和四〇年一〇月二七日付起訴状記載の公訴事実第二、被告人斎藤克彦に対する同日付起訴状記載の公訴事実は、前記有罪と認めた部分以外にも、前記参議院議員面会所前にすわり込んだ学生らが「日韓条約粉砕」「実力で阻止するぞ」「ポリ公帰れ」等のシュプレッヒコール、あるいは「インターナショナル」「がんばろう」の合唱をした際、被告人国吉、同斎藤は他二、三名と共謀のうえ、右シュプレッヒコールおよび合唱の音頭をとって指揮し、許可条件に違反した集団行進を指導したというのであるが、右の違反したとされる「合唱、シュプレッヒコール等示威にわたる言動は行わないこと。」という条件は前記のとおり違法で無効な条件であるから、右の被告人国吉、同斎藤の行為は罪とならないものである。

(二) 被告人玉川洋次に対する同年一一月八日付起訴状記載の公訴事実は、前記有罪と認めた部分以外にも、(1)前記社青同員約二五〇名が前記の日午後八時一五ごろから、午後八時五五分ごろまでの間、衆議院西通用門先道路上にすわり込んだ際、被告人玉川は青島章介と共謀のうえ、右社青同隊列の先頭列外に位置し、右手あるいは両手を上下に振って右社青同員をすわり込ませ、(2)前判示のとおり、右社青同員が、参議院議員面会所前にすわり込み、「日韓条約粉砕」「実力で粉砕しよう」「最後まで頑張ろう」等のシュプレッヒコールをした際、青島章介、樋口圭之介他一、二名と共謀のうえ、その音頭をとってこれを指揮し、もって許可条件に違反した集団行進を指導したというのであるが、右(1)について、前掲証拠の標目一〇・一五夜事件挙示の各証拠によれば、右社青同のてい団が被告人玉川の合図によってすわり込んだことが認められるが、≪証拠省略≫によれば、右社青同のてい団の前方は参議院第二通用門前交差点付近まで先行のてい団がすわり込んだり、立ったりして停滞しており、進行できない状態であったことが認められる。とすれば同所で右社青同てい団が停滞するのもやむを得ないものといわなければならず、それがすわり込んだとしてもことさらにすわり込んだものと断定することはできない。(2)についてはこれが違反したとされる「シュプレッヒコール等示威にわたる言動は行わないこと。」という条件は前記のとおり、違法で無効な条件であるから、右の行為は罪とならないものである。

三、一一・五事件

(一) 被告人岡部守成、同平野茂に対する同年一一月二二日付起訴状記載の公訴事実は、前記有罪と認めた部分以外にも、前記学生らが日比谷公園西幸門から参議院議員面会所前までの道路上において、ことさらなかけ足行進、だ行進をした際、(1)被告人岡部、同平野は他四、五名と共謀のうえ、前記西幸門から霞ヶ関交差点に至るまでの道路上において、先頭列外に位置し、両手をあげ、あるいはこれを振り、笛をふくなどしてことさらなかけ足行進を指導し、(2)被告人平野は他四、五名と共謀のうえ、右霞ヶ関交差点から参議院議員面会所までことさらなかけ足行進、だ行進を指揮し、もって許可条件に違反した集団行進を指導したものであるというのであるが、前記証拠の標目一一・五事件挙示の証拠によると、西幸門から東京家庭裁判所角交差点までは「普通歩く程度の速度ないしはもう少し遅いくらいのかけ足」(金井証言)、「普通歩くより一寸速い程度ないし歩く速度とかわらないかけ足」(塩川証言)というので、かけ足行進とはいえず、右交差点からは機動隊が完全に両側併進規制をして、通常行進を促がされて行進していた状況であり、南通用門前交差点から通用門前交差点を過ぎるころまでゆるいだ行進であり、議院本館便殿裏付近から参議院議員面会所までは学生の先頭集団がかけ足行進をしたという証言があるが、この際も列外指導者は殆んど後向きとなって誘導しており、その途中において後続の集団に追いつかれて併進しており、その速度は速いものとはいえず、条件にいうところのかけ足行進には当らないといわなければならない。したがって学生らのてい団がことさらなかけ足行進をした事実は認められないから被告人岡部、同平野においてこれを指導したものとはいえないし、また右の南通用門前交差点からのゆるいだ行進については被告人平野がこれを指導したと認めるに足りる証拠はない。

(二) 被告人前沢昇に対する同日付起訴状記載の公訴事実は前記有罪と認めた部分以外にも被告人前沢は(1)前記学生らが参議院議員面会所前にすわり込んで、「日韓条約粉砕」「日韓強行採決反対」「われわれは最後まで斗うぞ」等のシュプレッヒコールをした際、右シュプレッヒコールの音頭をとり、(2)参議院第二通用門前交差点から参議院議員面会所前まで反転してかけ足行進をした際、これを指揮して、もって許可条件に違反した集団行進を指導したものであるというのであるが、(1)の行為については、これが違反したとされる「シュプレッヒコール示威にわたる言動を行わないこと」という条件が前記のとおり違法で無効であるので、右行為は罪にならず、(2)の行為については、前記一一・五事件挙示の証拠によれば学生てい団が参議院議員面会所前に向ったが、すぐ機動隊に衝突したものであり、これをかけ足行進をしたということはできないので、被告人前沢がことさらなかけ足行進を指導したともいえないことは明らかである。

(三) 被告人小島昌光に対する同日付起訴状記載の公訴事実は、前記有罪と認めた部分以外にも、前記全逓信労働組合の組合員らが、国会便殿裏から参議院議員面会所前までの道路上においてことさらなかけ足行進をした際、被告人小島はその先頭隊伍が横に構えている竹竿を引くようにし、手を前後に振るなどして、右かけ足行進を指揮し、もって許可条件に違反した集団行進を指導したものであるというのであるが、前記一一・五事件挙示の証拠によれば、右事実に添うかの如き証言もあるが、いずれも便殿裏を発進してから議院面会所までに到着するまでの全過程を観察していたものではなく、所要時間の点でも疑問があり、ことに右証言は被告人小島のひきいるてい団は右側車道の混雑している学生集団と四列横隊で待機している機動隊との間の「一人か二人しか通れないようなところ」(菊地証言)を五列の隊列で、竹竿を横に構えて、進行したというのであって、到底かけ足行進で進行できる状態であったとは認められないから、右証言は採用できない。その他当初の発進地点の国会便殿裏から、議員面会所前まで終始かけ足行進で進行したと認めるに足りる証拠はない。したがって被告人小島がことさらなかけ足行進を指導したものということはできない。

四、一一・九事件

被告人小林紀興に対する同年一一月一九日付起訴状記載の公訴事実は、前記有罪と認めた部分以外にも、前記学生第一てい団が先行てい団と併進した際、これを指導したというのであるが、これを認めるに足りる証拠はない。もっとも、前判示第一の(五)の(2)のとおり、第二てい団が第一てい団に追い付いて併進した事実は認められるが、これは第一てい団がみずから先行てい団と併進したものではないし、また前判示のとおり、被告人小林の指揮する学生第一てい団が、労働組合のてい団を追越した事実はあるが、その途中の行為までもこれを併進と解すべきものではない。したがって右学生第一てい団が先行するてい団と併進した事実は認められないから、被告人小林がこれを指導したといえないこともまた当然である。

五、一一・一二事件

(一) 被告人山崎順一に対する主たる訴因を排斥して予備的訴因を認める理由

被告人山崎に対する同年一二月二二日付起訴状の主たる訴因は「被告人は昭和四〇年一一月一二日日比谷公園大音楽堂で開催された全学連、都学連共催の「日韓条約批准粉砕統一行動」の集会終了後、右集会に参加した学生ら約一、三〇〇名が東京都公安委員会の許可を受けないで、同日午後四時三分ごろから午後四時二〇分ごろまでの間、同公園西幸門から大蔵省裏、衆議院南通用門前、同通用門前、参議院議員面会所前を経て永田町小学校裏等に至る間の道路上において、日韓粉砕などのかけ声をかけ、気勢を示しつつかけ足行進をして集団示威運動をした際、これに参加したものであるが、神丕志、その他三名と共謀のうえ、被告人において、同日午後四時三分から午後四時一一分ごろまでの間、西幸門から大蔵省裏交差点に至る道路上で、約一〇列のてい団の先頭列外に位置し、先頭隊列が横に構えて所持する竹竿を片手に握り、あるいは笛をふき、手を振るなどして隊列を誘導し、もって右無許可の集団示威運動を指導したものである。」というのである。

そこで≪証拠省略≫を総合すると、前記全国実行委員会は昭和四〇年一一月一二日に行う予定の集会、集団行進、集団示威運動の許可申請を同月一日にして、同月一一日これを許可されたが、同日中止する旨の補正申請を出し、同月一二日進路を一部短縮し、時間も一部変更した外、ほぼ同内容の許可申請をし、同日許可されたが、その参加予定人員は三万名、集合は午後零時、集団行進の出発は午後二時三〇分、集団示威運動の出発は午後三時一〇分、解散は午後六時となっていたこと、当日全国実行委員会は午後一時三五分ごろから午後二時五分ごろまで、日比谷公園野外音楽堂で集会を開き、午後二時二〇分ごろ都学連等の学生らを残して全部集団行進に出発し、午後三時五六分ごろ集団示威運動を終了して解散したこと、ところが都学連系の学生らは約二〇〇名が右集会場に入り、約三〇〇名は会場外にいて、前記のとおり他の集団が行進に出発するや、会場外にいた学生も中に入り、後続の学生の到着を待って約一、三〇〇名が午後三時ごろから午後四時ごろまで独自の集会を開き、午後四時三分ごろ西幸門を出発して行進を始めたことが認められる。

検察官は右の学生らの集会はともかく、集団行動は全国実行委員会主催のものの一環ではなく、無許可の集団示威運動であると主張し、その理由として(1)右学生らは全国実行委員会の統制に服さず独自の行動をとったもので、主催者の受けた許可の利益を享受すべき権利を放棄したものであり、(2)行進の出発が予定より一時間三〇分もずれているので同一性はなく、(3)学生らは警察官の二度にわたる無許可の集会である旨の警告を無視して敢えて無許可の行動を行ったものであるという。

前掲証拠によると都学連は全国実行委員会の加盟団体ではないが、当時まで右委員会主催の集団行動には殆んど参加していたこと、本件の許可申請の事前折衝においても、学生の統制を要望されているので都学連も参加予定団体に含まれていたこと、したがって前記許可処分の効力は都学連の学生らにも及ぶと解しなければならない。

そこでまず右許可は参加予定人員が三万名であって、全部出発し終るまでには三時間を要するという前提で許可されたことが認められるから、前記学生らの出発は右予定時間内であること、その後の行進の経路も殆んど同じであること(許可申請書によれば永田町小学校裏を通る予定のところ、学生らのてい団は同小学校前を通っているが、一一・一一事件でも同様の進路を通っている。)からすれば学生らの行動も形式的には許可の範囲内の行動である。(単に予定時間より遅れたにすぎないならばそれは本条例第二条の規定による記載事項違反である。)なるほど都学連系の学生は事実上全国実行委員会の統制から離れ独自の集会を続けたためにすでに出発した同委員会の集団行動と実態上は同一性がないと判断すべき余地がないとはいえない。すなわち両集団がいずれも無許可の集団行動をする場合であれば右の考えも妥当するといわなければならない。しかし本件の如く事前の一個の許可処分の効力の範囲に属していた場合に、実態上の分離から直ちに手続上もその効力の範囲から除外されるとは解されない。そして右都学連系の学生らが集団行動を続行しようというのに許可処分の利益だけを放棄したものと認めることは不合理である。証人谷木寛作の証言によると、学生らには必ずしもその都度具体的な集団行動の予定が直接積極的に知らされていない様子がうかがわれ、本件においては学生らの半数以上が集会に遅れたこと、したがってこれを待っていたのもやむを得ないところがあり、機動隊は東京家庭裁判所角付近に待機しており、実際の警備上は支障はなく、ことに被告人山崎が条件違反の集団行進の指導者として現行犯逮捕されていることをみると、前記全国実行委員会の集団行進と同一の行動であると解すべき状況があったことがうかがわれる。検察官は証人岩川藤吉郎(第一四回)の被告人山崎が前記学生独自の集会において「きょうは無届の集会デモとして国会へ向う云云」と演説した旨の供述を一つの理由としてあげるが、なるほど右証言が虚偽であるという証拠はないが、しかし、右が警察官の「無許可の集会である。」旨の誤った判断による警告に基くものであれば、何らその主張を理由づける事情とはならない。

以上の説明のとおり、本件は許可された集団行進の一部であって、無許可の集団示威運動であるという主たる訴因は認められない。

(二) 被告人山崎に対する予備的な訴因には前記有罪と認めた部分以外にも、(1)前記学生らの第一てい団が西幸門から大蔵省裏交差点に至る道路上で日韓粉砕のかけ声をかけ気勢を示しつつ、(2)ことさらなかけ足行進をした際これを指揮し、もって許可条件に違反した集団行進を指導したものであるというのであるが、右(1)の行為についてはそれが違反したとされる「かけ声等示威にわたる言動を行わないこと。」という条件が前記のとおり違法で無効であるので、右行為は罪にならず、(2)の行為については学生第一てい団がことさらなかけ足行進をしたと認めるに足りる証拠がない。なるほどかけ声をかけながらかけ足行進をしていた旨の証言もあるけれども、前記証拠の標目一一・一二事件挙示の各写真撮影報告書の写真によると、右学生第一てい団の先頭部分の学生には通常の徒歩とやや異なる状況は認められるが、しかし、歩幅は狭く、両足とも着地しているものが多く、しかも両側を進行中の私服警察官、および機動隊はいずれも徒歩で、一時的な速歩の状態が認められるにすぎないし、さらに右第一てい団は通産省横で後続の第二てい団に追越されており、その後は、機動隊の両側併進規制を受けている状況が認められるので、右第一てい団がことさらなかけ足行進をしたものと断定することはできない。したがって被告人山崎がこれを指導したものといえないことも明らかである。

以上のうち一〇・一五昼事件の無罪部分は一個の条件違反の集団示威運動の指導行為の一部であり、その余の事件についての無罪の部分はいずれも前判示認定事実と包括一罪の関係にあるものとして起訴されたものであるから、これらの点につき、被告人らに対し特に主文において無罪の言渡をしない。

なお、付言するに、およそ民主制社会においても、時として、多数者の専制が存在しうるものであり、このことは、自由に対する危険ともなりうる。被告人らを含む学生らが国会の日韓条約批准をもって、多数党の専制によるものだと思料し、これを阻止すべく本件各行動に出たものとすれば、これら各行動も、純粋な青年達の多数者の専制に対する強い憤まんの表われとして理解しえないわけではない。殊に、青年期は、いわば疾風怒濤の時代であり、その抗議、憤まんの表現は、とかく理性を失って感情的となり過激に走りがちである。とはいえ、その表現としての集団行進は、あくまでも法と秩序にしたがって平和裡に行わるべきものである。吾人としても、平穏にして誠実な抗議は、尊重するのにやぶさかではないし、また、国家権力にしても、かかる抗議の表現を抑圧するほど狭量であってはならない。否、反って、このような抗議の表現をむしろ保護するほどの寛容さが望まれるところである。しかし、法と秩序を乱すような暴力的な過激な表現の方法は、厳に禁止さるべきは当然である。このようにしてこそ、平和が確保され、また、平和こそあらゆる自由を永続させるための条件であることを銘記すべきである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 草野隆一 裁判官 福嶋登 裁判官坂井智は転任につき署名押印できない 裁判長裁判官 草野隆一)

<以下省略>

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