大判例

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東京地方裁判所 昭和41年(刑わ)1983号・昭41年(刑わ)283号・昭41年(刑わ)1984号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決要旨〕刑法六〇条・六二条一項

〔判決理由〕 (事実)第一、被告人安炳建は昭和四十一年一月二十五日午後十時頃被告人徳光勇、増山年定、吉田勇吉と共に東京都台東区浅草千束町二丁目二百四十七番地伊藤建設飯場前にさしかかつた際、増山において同飯場内に入つてセメント袋入り白米を窃取し「米だ米だ」等といつて立戻つて来たところから、右増山、吉田と共謀のうえ、さらに右飯場内から金品を窃取しようと企て、同人等と共に同飯場内に立入り、五十嵐栄吉地二名所有のオーバー(ネズミ色)一着ほか背広、ズボン、腕時計等二十二点(時価合計十万六千二百十円相当)を窃取し

第二、被告人徳光勇は被告人安炳建、増山年定、吉田勇吉が共謀のうえ判示第一記載の日時場所で窃盗をなした際、同飯場前道路で見張りをし被告人安等の右犯行を容易にしてこれを幇助したものである。

(証拠の標目)(省略)

被告人徳光の判示第二の所為につき、検察官はこれを被告人安等の判示第一の窃盗の犯行との共謀共同正犯であるとし、被告人徳光の弁護人は、同被告人は被告人安等が飯場内から立戻るまで単に表通りに留つていたに止り、同人等の窃盗行為を幇助する意思もなかつた旨それぞれ主張するのであるが、証人増山年定、同吉田勇吉、被告人安および被告人徳光の各当公廷の供述によれば、まず増山が単独で飯場に入り、出てきた際「米だ米だ」といつてセメント袋を持つて来ていてそれを表通りの被告人徳光の足下においたこと、続いて被告人安、吉田が飯場に入り、増山も再び入つて行つたこと、従つて被告人徳光は増山がセメント袋入り米包みを持ち出した時以後増山等三人が窃盗行為をするものであることを認識していたこと、被告人徳光はその後も右セメント袋包みの附近に留つて被告人安等が衣類等を窃取して立ち戻つて来るまで待つていたこと、それから数十米離れたところで四人で自動車に乗り吉田方居室に赴き翌日にでも入質換金し四人でこれを分ける考えで、取敢えず賍品のズボンにあつた現金千円で四人で飲酒したこと等の事実を認めることができ、なお被告人徳光の司法警察員に対する供述調書によれば、前記自動車に乗るとき、吉田から米があるなら持つて来いといわれたが面倒臭いので取りに行かなかつた旨の供述記載があるから、これを綜合すると被告人徳光は被告人安等三名が飯場から出て集るまでセメント袋附近で被告人安等の窃盗行為を容認し賍物である同袋入り米包みを監視し、見張つていたと推認するのが相当である。しかし右証拠によれば、増山が右袋入り米包みを持ち出して来た後同人を被告人安、吉田との間に窃盗行為についての特段の謀議があつたわけではなく、まして被告人徳光は被告人安等とは数米離れていたうえ、被告人安等のその後の窃取行為も個々になされているばかりでなく、被告人安等が立ち戻るまでの時間は数分に過ぎなかつたのであるから、被告人徳光は前示のように被告人安等の窃取行為を認識しこれを容認したとはいつても、進んで被告人安等と一体となつて窃盗行為をするものであり、その全体の行動の一部として積極的に見張行為を分担するまでの意思の連絡があつたとは認め難く、単に被告人安等のために窃盗行為を容易にするための幇助行為に止つたものと認めるのが相当である。(千葉和郎)

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