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東京地方裁判所 昭和41年(行ウ)4号 判決 1973年10月26日

横浜市鶴見区下末吉町五丁目八番三五号

原告

久保寺徳次

右訴訟代理人弁護士

安藤一二夫

岡田豊松

中井秀之

同市同区鶴見町一〇七一番地

鶴見税務署長

被告

椙崎彦太郎

右指定代理人

吉野衛

船津宏明

吉野定利

柴田定男

佐々木宏中

右当事者間の裁決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

一  被告が原告に対し昭和三九年一月二九日付をもつて原告の昭和三五年分および昭和三六年分の所得税についてした各決定(いずれも裁決および更正処分により減額されたもの)のうち、昭和三五年分については総所得金額五四九、七〇九円を超える部分を、昭和三六年分については総所得金額一、三四六、六九七円を超える部分をそれぞれ取り消す。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が原告に対し昭和三九年一月二九日付をもつて原告の昭和三五年分、昭和三六年分および昭和三七年分の所得税についてした各決定(昭和三五年分および昭和三六年分については裁決および更正処分により減額されたもの、昭和三七年分については裁決により減額されたもの)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

1  原告の請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

1  原告は貸金業を営むものであるが、被告は、原告に対し、昭和三九年一月二九日付をもつて原告の昭和三五年分、昭和三六年分および昭和三七年分の所得税について次のとおり各決定(以下、本件各決定という。)をした。

<省略>

(ただし、本件における総所得金額は事業所得のみである。以下、同じ。)

2  原告は、本件各決定を不服として同年二月二八日被告に対し異議申立てをしたが、同年九月一〇日被告からこれを棄却する旨の決定を受けたので、同年一〇月八日東京国税局長に対し審査請求をしたところ、同局長は、その一部を認容し、内容を次のとおりとする原処分の一部取消しの裁決をなし、原告は、昭和四〇年一〇月二八日右裁決書の送達を受けた。

<省略>

3  その後、被告は原告に対し、昭和四七年九月七日付をもつて、原告の昭和三五年分および昭和三六年分の所得税について次のとおり各更正処分をした。

<省略>

4  しかしながら、本件決定(昭和三五年分および昭和三六年分については右裁決および更正処分により減額されたもの)には原告の総所得金額を過大に認定した違法があるから、原告は、その取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1ないし3項記載の事実は認めるが、同4項記載の主張は争う。

三  被告の抗弁

本件各決定における総所得金額(ただし、いずれも前記裁決あるいは更正処分により減額されたもの)の認定は、以下に述べるとおり正当である。

1  本件各係争年分における原告の総所得金額(事業所得)の算出根拠は次のとおりである。

<省略>

2  右のうち、原告の争う総収入金額および貸倒損失の内訳は次のとおりである。

(一) 総収入金額の内訳

原告の本件各係争年分の総収入はいずれも利息収入であり、その収入金額の内訳は次のとおりである。

<省略>

右のうち、原告の争う収入金額についての貸付金額およびその利息金額の明細は別表一記載のとおりである(同表中の認否欄および原告の反論欄については、後記原告主張参照)。

なお、同表利率欄記載の利率が日歩〇・〇五四八、同〇・〇四九三および同〇・〇四一一となつている各貸付については、その約定利率がいずれも利息制限法一条一項所定の制限利率を超過しており(約定利率は日歩九銭ないし三〇銭)、かつ、当該年分において未収入であつたため、被告はこれを同法所定の制限利率で計算した利息金額をもつて原告の当該年分の収入金額として主張するものである。

(二) 貸倒損失額の内訳

貸倒損失額の内訳は次のとおりである。

<省略>

右のうち、貸倒損失の発生年度および貸倒損失額について原告の争う庄野一夫および吉田幸雄に対する各債権を昭和三六年分の、また、安藤成男に対する債権を昭和三七年分の貸倒損失と認めたのは次の理由による。すなわち、

不動産所得、事業所得または山林所得を生ずべき事業の遂行上生じた売掛金、貸付金、未収金、その他これに準ずる債権の貸倒れによる損失は、原則として、その貸倒れとなつた日の属する年分の当該事業に係る所得の計算上必要経費に算入される。そして、その貸倒発生時期は当該債権が回収不能の事実に基づき法律的に消滅したときを原則とするが、なお、事実上回収が不能のような事情、例えば、(1)債務者が破産、和議、強制執行または整理の手続に入り、あるいは解散または事業閉鎖を行なうに至つたため、(2)債権者の死亡、失そう、行方不明、刑の執行などのため、(3)債務者について債務超過の状態が相当期間継続し、事業再起の見とおしがないため、(4)債務者について天災事故、経済事情の急変等があつたため、(5)右(1)ないし(4)に準ずる事情があるため、それぞれ回収の見込みがないと認められる場合も右原則に準じて貸倒れとすることが許されるものというべきである。なお、右にいう債権の回収が不能とは、単に債務者が債務超過の状態にあるというだけでは足りず、債務者に支払い能力がないこと、すなわち、例えば債務超過の状態が相当期間継続し、とうてい再起の見とおしがたたず、事業閉鎖ないし廃止をして休業するに至つたとか、会社整理、破産、和議、強制執行、会社更正などの手続をとつてみたが、債権の支払いを受けられなかつたなど、債権の回収不能が客観的に確認できる場合をいうのである。

しかるところ、庄野一夫に対する債権は、同人ならびにその連帯債務者である庄野利子および山本清義が返済期限到来後も債務を履行しなかつたため、原告は昭和三五年一二月三日右債務者らに対しその有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三六年九月三〇日その売得金より配当金六五〇円を受領したので、被告は右配当金の受領を清算と認め、その時点において残余の債権は客観的に回収不能となつたものと判断してこれを昭和三六年分の貸倒損失と認めたものであり、吉田幸雄に対する債権は、同人が斉藤実とともに殺人事件に関係し、昭和三六年七月逮捕されたので、被告は右逮捕時に右債権は客観的に回収不能となつたものと判断してこれを昭和三六年分の貸倒損失と認めたものである。また、安藤成男に対する債権は、同人ならびにその連帯債務者である金寿道が返済期限到来後も債務を履行しなかつたため、原告は昭和三六年八月三一日右債務者らに対しその有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三七年六月五日その売得金より配当金八、五七〇円を受領したので、被告は右配当金の受領を清算と認め、その時点において残余の債権は客観的に回収不能となつたものと判断してこれを昭和三七年分の貸倒損失と認めたものである。

四  抗弁に対する原告の認否および反論

1(一)  抗弁1項のうち、本件各係争年分の一般経費額が被告主張のとおりでありことは認めるが、総収入金額および貸倒損失額はいずれも争う。

(二)  同2項(一)のうち、総収入金額の内訳表3秋元ふくの昭和三六年、三七年分、4荒又市太郎、5池田秀隆の各昭和三七年分、6伊地知季隆の昭和三五年分、8石幡友義の昭和三六、三七年分、9石原弥未吉の昭和三五年分、10大森節子の昭和三五ないし三七年分、11歌代昭夫の昭和三六、三七年分、12大石善男の昭和三六年分、13大営建設の昭和三五年分、15加山幸太郎、17金子馨の各昭和三六、三七年分、18北村忠、20興亜建築、田中伝次の各昭和三七年分、21斉藤実の昭和三六年分、22佐藤三郎の昭和三六、三七年分、27酒井勝次の昭和三六、三七年分、29庄野一夫、30相馬惣吉の各昭和三五年分、34寺田五郎の昭和三五および三七年分、35鄭、36東洋鉄工の各昭和三六年分、38中川の昭和三五、三六年分、39長坂秀雄の昭和三五年分、40名カ間の昭和三七年分、41新垣の昭和三五年分、43西川ペイントの昭和三五ないし三七年分、44藤本茂久の昭和三六年分、45福原久三の昭和三六、三七年分、46武甲工業の昭和三五年分、47本名の昭和三七年分、48松沢茂樹の昭和三五ないし三七年分、49松浦政助、50宮城工業、52宮川の各昭和三七年分、53柳沢、54山田利助の各昭和三六、三七年分、55吉田幸雄の昭和三五年分、56渡辺松造の昭和三七年分の各利息収入金額が被告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。また、被告主張の別表一については、同別表中の認否欄および原告の反論欄記載のとおりである(同別表認否欄の〇印は認める趣旨であり、空欄のものは争う趣旨である。

なお、利率欄中、日歩〇・〇五四八、同〇・〇四九三および同〇・〇四一一について「認める」とは、その約定利率が利息制限法一条一項所定の制限利率を超過しており、かつ、当該年分において未収であつたことを認める趣旨である。)。

なお、前記総収入金額の内訳表1の安藤茂男なるものは知らない。被告の主張は2の安藤成男に対する貸付関係と混同したものと考えられる。また、同表7の石田陸次は5の池田秀隆の債務を保証したものに過ぎない。同表19の米屋は48の松沢茂樹と同一人であり、米屋についての被告主張の貸付関係は松沢についての貸付関係と重複している。同表23の佐藤弘は24の佐藤弘行のことであり、佐藤弘行に対する貸付関係は別表二の同人関係欄記載のとおりである。また、同表25の佐藤の貸付関係は22の佐藤三郎および23、24の佐藤弘行の貸付関係と重複している。同表28の酒井は27の酒井勝次と同一人であり、28の酒井についての被告主張の貸付関係は酒井勝次についての貸付関係と重複している。同表31の田中茂男は20の興亜建築、田中伝次と同一人であり、田中茂男についての被告主張の貸付関係は興亜建築、田中伝次についての貸付関係と重複している。同表32の田沼吉男は46の武甲工業株式会社の代表取締役であり、田沼についての被告主張の貸付関係は武甲工業についての貸付関係と重複している。同表37の中川義昭は38の中川と同一人であり、中川義昭についての被告主張の貸付関係は38中川の貸付関係と重複している。同表42の西川貞雄は43の西川ペイント株式会社の代表取締役であり、西川貞雄についての被告主張の貸付関係は西川ペイントについての貸付関係と重複している。同表51の幹は26の沢田幹之助と同一人であり、幹についての被告主張の貸付関係は沢田幹之助貸付関係と重複している。

(三)  同2項(二)のうち、伊地知季隆に対する被告主張の債権三六、六五六円が昭和三五年中に、また、斉藤実に対する被告主張の債権一三四、〇〇〇円が昭和三六年中にそれぞれ貸倒れになつたこと、庄野一夫ならびにその連帯債務者である庄野利子および山本清義が返済期限到来後も債務を履行しなかつたため、原告が昭和三五年一二月三日右債務者らに対しその有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三六年九月三〇日その売得金から配当金六五〇円を受領したこと、安藤成男ならびにその連帯債務者である金寿道が返済期限到来後も債務の履行をしなかつたため、原告が昭和三六年八月三一日右債務者らに対しその有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三七年六月五日その売得金より配当金八、五七〇円を受領したことはいずれも認めるが、その余は争う。庄野一夫および吉田幸雄は昭和三五年中に、また、安藤成男は昭和三六年中にそれぞれ行方不明となつたのであるから、庄野および吉田に対する各債権については昭和三五年に、また安藤に対する債権については昭和三六年にそれぞれ貸倒れになつたものというべきである。そして、その場合における庄野についての貸倒損失額は一七〇、二二五円(被告主張の貸付元金一一〇、〇〇〇円に昭和三五年分の利息六〇、二二五円を加算したもの)、吉田についての貸倒損失額は一九五、一七四円(被告主張の貸付元金一二六、〇〇〇円に昭和三五年分の利息六九、一七四円を加算したもの)、安藤についての貸倒損失額は二〇二、八三〇円(貸付元金二〇〇、〇〇〇円および昭和三六年七月六日以降同年八月三一日までの一日当り二〇〇円の割合による利息額一一、四〇〇円の合計二一一、四〇〇円から配当金八、五七〇円を差し引いたもの)である。

なお、貸倒判定基準についての被告の見解は、人的物的担保もなく、単に高利の約定によつてのみ間接的に貸付金の早期回収を図つている原告のような街の金融業者に対し過酷な結果を押しつけるものであり、妥当とはいえない。

2  本件各係争年中に貸倒れとなつた貸付債権は、被告主張のほかに次のものがある。

(一) 昭和三五年分

(1) 奥川一夫、沢田幹之助に対する債権(二三、一〇八円)

右債務者両名は資産もないまま昭和三五年末までに行方不明になつたので、右債務者両名に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金二一、八〇〇円と昭和三五年分の利息一、三〇八円の合計二三、一〇八円である。

(2) 沢田幹之助に対する債権(四二四、〇〇〇円)

右債務者が前記のとおり行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金四〇〇、〇〇〇円と昭和三五年分の利息二四、〇〇〇円の合計四二四、〇〇〇円である。

(3) 長坂秀雄に対する債権(七七、〇〇〇円)

右債務者は資産もないまま昭和三五年一二月中旬ごろ行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金五〇、〇〇〇円と昭和三五年分の利息二七、〇〇〇円である。

(二) 昭和三六年分

(1) 大石善男に対する債権(一〇〇、八〇〇円)

右債務者は資産もないまま昭和三六年末行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金七二、〇〇〇円と昭和三六年分の利息二八、八〇〇円の合計一〇〇、八〇〇円である。

(2) 東洋鉄工株式会社に対する債権(二、八二二、一三八円)

右会社は昭和三六年中に支払能力を喪失したので、右会社に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は同年八月二九日における貸付元金残高二、八二二、一三八円である。

かりに、右貸倒れの主張が認められないとしても、右会社は昭和三七年一月一日不渡り手形を出して倒産したから、右会社に対する債権はそれ以後回収不能になつたものというべきである。そして、その場合の貸倒債権額は昭和三七年一月四日における貸付元金残高二、九〇二、一三八円と昭和三六年八月二九日以降の昭和三六年分および昭和三七年分の利息五九六、七三五円の合計三、四九八、八七三円である。

(3) 中川に対する債権(一三四、〇〇〇円)

右債務者は資産もないまま昭和三六年中に行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金一〇〇、〇〇〇円と昭和三五年分および昭和三六年分の利息三四、〇〇〇円の合計一三四、〇〇〇円である。

(三) 昭和三七年分

(1) 池田秀隆に対する債権(二九六、八七五円)

右債務者は資産もないまま昭和三七年八月末ごろ行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金二五〇、〇〇〇円と昭和三七年分の利息四六、八七五円の合計二九六、八七五円である。

(2) 金子馨に対する債権(四四一、八九五円)

右債務者は資産もないまま昭和三七年一一月一五日以後行方不明になつたので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金二九二、五〇〇円と昭和三六年一一月二四日以降の昭和三六年分および昭和三七年分の利息一五六、三一八円の合計四四八、八一五円から配当金六、九二三円を控除した四四一、八九五円である。

(3) 北村忠に対する債権(六三、三三〇円)

右債務者は昭和三七年一二月末には支払能力を喪失したので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金六〇、〇〇〇円と昭和三七年分の利息三、三三〇円の合計六三、三三〇円である。

なお、右債務者は昭和三八年春に鉄道自殺したのであるから、被告の後記主張のように右債務者と昭和三八年以降も取引をしていた事実はありうべくもない。

(4) 興亜建築、田中伝次に対する債権(一七一、六〇〇円)

右債務者は昭和三七年末倒産したので、右債務者に対する債権は回収不能となつた。そして、その貸倒債権額は貸付元金一一〇、〇〇〇円と昭和三七年五月二二日以降の同年分の利息六一、六〇〇円の合計一七一、六〇〇円である。

五  原告の反論に対する被告の再反論

貸倒損失についての原告の主張(前記四2)はいずれも失当である。

1  昭和三五年について

(一) 奥川一夫、択田幹之助に対する債権について

原告は、右債務者は両名とも資産もないまま行方不明になつた旨主張するが、沢田幹之助は昭和三七年末まで引続き横浜市鶴見区鶴見町二八九番地で生花業とレストランを経営していたし、その後も東京都港区南佐久間の虎の門ビルでレストランを経営していたのであるから、原告の右主張は理由がない。

(二) 沢田幹之助に対する債権について

前記のとおり、右債務者は係争年中に行方不明にはなつていない。

(三) 長坂秀雄に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三五年一二月行方不明となり、右債務者に対する債権は回収不能となった旨主張するが、右債務者およびその妻に対して昭和三八年八月二二日と昭和四〇年九月四日にそれぞれ債務の履行について催告状を発送し、その後も督促していることからみて、原告の右主張は理由がない。

2  昭和三六年分について

(一) 大石善男に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三六年行方不明となり、右債務者に対する債権は回収不可能となつた旨主張するが、右債権者は他の二名の連帯債務者によつて担保されており、これらの者からの回収の可能性がある以上、右債務者が行方不明になつたからといつて直ちに右債権が貸倒れとなつたものということはできない。

(二) 東洋鉄工に対する債権について

原告は、右会社は昭和三六年中に支払能力を喪失し、昭和三七年一月一八日には倒産し、右債権は遅くとも右倒産の時点において回収不能となった旨主張するが、右債権は松葉清外一名の連帯債務者および連帯保証人によつて担保されており、これらの者からの回収の可能性がある以上、右倒産により直ちに貸倒れと認めることはできない。のみならず、原告は、昭和三七年三月一〇日開催の右会社の第五回債権者委員会において右債権を放棄しない旨述べており、現に右会社の債権者会は、右債権者委員会の決定に基づき昭和三八年一一月三日付で原告に対し右債権の七パーセントの金額を支払う旨通知しているのであるから、右債権が係争年中に貸倒れとならなかつたことは明らかである。

(三) 中川に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三六年中に行方不明になつた旨主張するが、原告は、右債務者に対し昭和三八年四月二三日一〇〇、〇〇〇円を貸付け、また、同年五月二二日には同人から利息分を含めた一〇八、〇〇〇円の返済を受けているのであるから、原告の右主張はあたらない。

3  昭和三七年分について

(一) 池田秀隆に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三七年八月末ごろ行方不明になつた旨主張するが、原告は、右債務者から同年九月一〇日に二五〇、〇〇〇円、同月一八日二〇〇、〇〇〇円返済を受けており、また、右債務者は、死亡した昭和四〇年四月まで引続き国電鶴見駅西口において麻雀屋を経営していたのであるから、原告の右主張はあたらない。

(二) 金子馨に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三七年一一月一五日以後行方不明になつた旨主張するが、原告は、右債務者から昭和三八年二月に八〇、〇〇〇円の返済を受けているのであるから、原告の右主張はあたらない。

(三) 北村忠に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三七年一二月末には支払能力を喪失し、右債権は回収不能となつた旨主張するが、原告は、右債務者と昭和三八年以降も引続き金員の貸付け、返済の取引をしていたのであるから、原告の右主張はあたらない。

なお、同人が死亡したのは昭和三九年四月一七日である。

(四) 興亜建築、田中伝次に対する債権について

原告は、右債務者は昭和三七年末に倒産し、右債権は回収不能となつた旨主張するが、右債務者が係争年中に倒産した事実はないから、原告の右主張はあたらない。

第三証拠

一  原告

1  甲第一、第二号証の各一ないし七、第三号証の一ないし六、第四ないし第八号証の各一、二、第九、第一〇号証、第一一号証の一ないし六、第一二ないし第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証の一ないし三、第一九号証、第二〇号証の一ないし三を提出。

2  証人松葉清、同西川貞雄、同樺沢佶の各証言および原告本人尋問の結果(第一、二回)を援用。

3  乙第一号証の三、第二号証、第四ないし第六号証、第九号証の二および五、第一〇号証、第一二号証、第一四ないし第一六号証、第一九号証、第二一、第二二号証、第二六、第二七号証、第二八号証の一ないし四、第三二ないし第三四号証、第三七号証の一、二、第三八号証の一ないし三、第三九号証、第四一号証の一ないし三、第四三号証の成立はいずれも認めるが、その余の乙号各証の成立は不知。

二  被告

1  乙第一号証の一ないし五、第二ないし第八号証、第九号証の一ないし五、第一〇ないし第二七号証、第二八号証の一ないし四、第二九ないし第三六号証、第三七号証の一、二、第三八号証の一ないし三、第三九、第四〇号証、第四一、第四二号証の各一ないし三、第四三号証を提出。

2  証人尾崎城平、同得丸大典、同吉野定利の各証言を援用。

3  甲第一、第二号証の各一ないし七、第三号証の一ないし五、第九、第一〇号証、第一二ないし第一六号証、第一八号証の一、二、同号証の三の欄外記載部分を除くその余の部分、第一九号証、第二〇号証の一ないし三の成立(第一二号証については原本の存在ならびに成立)はいずれも認めるが、その余の甲号各証(第一八号証の三の欄外記載部分を含めて)の成立は不知。

理由

一  請求原因1ないし3項記載の事実は、いずれも当事者間に争いがない。原告は、本件各決定(昭和三五年分および昭和三六年分については前記裁決および更正処分により減額されたもの、昭和三七年分については、裁決により減額されたもの)には原告の総所得金額を過大に認定した違法がある旨主張するので、以下、この点について判断する。

二  まず、本件各係争年分における原告の総収入金額について検討する。

1  原告に次表記載のとおり利息収入があつたことは当事者間に争いがない。

<省略>

2  次に、以上のほかにも原告に被告主張の利息収入があつたか否かについて順次判断する。

ところで、一般に、金銭消費貸借上の利息・損害金債権については、その履行期が到来すれば、現実にはなお未収の状態にあるとしても、本件に適用されるべき昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(昭和二二年法律第二七号、以下、旧所得税法という。)一〇条一項にいう「収入すべき金額」にあたるものとして、課税の対象となるべき所得を構成するものと解されるが、利息制限法による制限超過の利息・損害金は、その約定の履行期が到来しても、なお未収であるかぎり、右条項にいう「収入すべき金額」に該当せず、課税の対象となるべき所得を構成しないというべきである(最高裁判所第三小法廷昭和四六年一一月九日判決、民集二五巻八号一一二〇頁参照)。

以下、右の見解に立つて、各貸付先毎に原告の利息収入額を判断する(なお、以下において原告の利息収入額について認定した別表三の利率欄記載の利率が日歩〇・〇五四八、同〇・〇四九三および同〇・〇四一一となつている各貸付については、貸付の際の約定利率が利息制限法一条一項所定の制限利率を超過しており、かつ、当該年分において未収であると認められるため、同法所定の制限利率により計算した利息金額をもつて原告の当該年分の収入金額と認定したことを示す。)。

(一)  前記番号1安藤茂男分

証人得丸大典の証言により成立の認められる乙第一号証の五と原告本人尋問の結果(第一回)から深町輝明が作成したことの明らかな乙第一号証の二によれば、原告は別表三の1記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告は、乙第一号証の二は本件各決定に対する異議申立て後に作成されたものであるうえ、その作成にあたつては原告の横浜信用金庫末吉町支店当座預金元帳等が若干参考に供されたとはいえ、その大部分は深町輝明の想像によつて作成されたものであり、その記載内容は事実に反するから、証拠価値はない旨主張する。しかし、前掲乙第一号証の五、証人得丸大典の証言により成立の認められる乙第一号証の四および原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、乙第一号証の二の書面は、原告が本件異議申立ての資料としての被告に提出するため手持の借用証書、貸付関係を記載した帳面および原告の横浜信用金庫末吉町支店当座預金元帳の写し等を会計コンサルタントの深町に手渡して提出資料の作成を依頼し、同人が右資料を基に作成したものであることおよび原告の代理人金田幸三が右書面を被告に提出するにあたつて、原告はそれに目を通し、その提出につき承諾を与えていることが認められ、また、同書面の記載内容についてみても原告がその貸付関係を認めるものが多数存在するのであつて、これらの事実よりすれば、乙第一号証の二の記載内容は十分信用に値いするものというべきである(もつとも、原告本人尋問の結果(第一、二回)中には右書面は深町の想像により作成されたもので、事実と著しく相違する旨の供述部分もあるが、同供述を裏付けるに足りる客観的は証拠はないので、これをたやすく採用することはできない。)。そして、右書面の作成経緯および記載内容が右のとおりである以上、同書面が本件異議申立て後に作成されたものであるからといつて、その証拠価値になんら消長をきたすものでないことも明らかであるから、原告の右主張は採用の限りでない。

原告は、また、安藤茂男なるものは知らず、したがつて、被告の主張は前記番号2の安藤成男に対する貸付関係と混同している旨主張するが、前掲乙第一号証の二および後記認定の右安藤成男に対する貸付関係を併せ考慮すると、被告の主張が安藤茂男に対する貸付関係と安藤成男に対するそれとを混同しているとは認められない。

(二)  同番号2安藤成男分

成立に争いのない甲第二号証の一、原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨によれば、原告は安藤成男分として別表三の2記載のとおり金員を貸付け(甲第二号証の一には貸付元本が二二〇、〇〇〇円である旨の記載があるが、右甲第四号証のその余の記載部分、原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨により、そのうちの二〇、〇〇〇円は利息分であり、真実の貸付元本は二〇〇、〇〇〇円であることが明らかである。)、その利息収入を得たことが認められ、乙第二号証中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比してにわかに信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  同番号7石田陸次分

被告は原告が石田陸次に対し昭和三六年六月に利息一二、〇〇〇円を天引きして五〇、〇〇〇を貸付けた旨主張する。なるほど、証人尾崎城平の証言によつて成立の認められる乙第三号証には右主張に副うようにもみえる記載部分がないではないが、右乙号証の全体の記載からは原告が池田秀隆に対し昭和三六年六月に石田陸次を保証人として五〇、〇〇〇円を貸付けたことが認められるに止まり、右乙号証によつてはそれを超えて被告の主張事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  同番号11歌代昭夫分

当事者間に争いのない事実に前掲乙第金号証の二を総合すると、原告は歌代昭夫分として別表三の3記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(五)  同番号12大石善男分

成立に争いのない甲第二号証の六(乙第三二号証と同じ。)および弁論の全趣旨によれば、原告は大石善男分として別表三の4記載のとおり金員を貸付けたことが認められ、後記認定のとおり右債権は係争年中に貸倒れにはなつていないから、原告は同表三の4記載のとおり利息収入を得たものというべきである。

(六)  同番号14奥川一夫、沢田幹之助分

貸付元金二一、八〇〇円が昭和三五年一月一日以降に繰越されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の二(乙第一〇号証と同じ。)によれば、右貸付元金の弁済期日は昭和三四年七月一五日であること、期限到来後の遅延損害金については日歩一〇銭の約定のあつたことが認められ、また、後記認定のとおり右債権は係争年中に貸倒れにはなつていないから、原告は別表三の5記載のとおり遅延損害金を得たものというべきである。

(七)  同番号16樺沢佶分

当事者間に争いのない事実に成立に争いのない乙第一二号証、同第一四、第一五号証、証人樺沢佶の証言および弁論の全趣旨を総合すると、原告は樺沢佶分として別表三の6記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められる。ところで、被告主張の事実中右に認定した以外の点については、乙第四号証、第九号証の一、第一一号証、第一三号証(乙第四号証は成立に争いがなく、その余の乙号各証は証人尾崎城平の証言によつて成立が認められる。)に右主張に副う(あるいは、副うようにもみえる)部分があるが、まず、乙第四号証の右部分は昭和四〇年五月二一日当時における原告の樺沢に対する貸付残高が四八〇、〇〇〇円ある旨の原告の申述記載に過ぎないから、樺沢に対する具体的な貸付関係の証明力に乏しく、また、乙第九号証の一の右部分は、当時東京国税局協議団体本部の係官であつた尾崎城平(このことは同人の証言により認める。)の「樺沢佶には昭和三五年一月一日現在で二〇〇、〇〇〇円貸付金があり、昭和三五年一二月末二〇〇、〇〇〇円貸付をなし、合計四〇〇、〇〇〇円となり…‥ますが、どうですか。」との質問に対し、原告の義弟である川崎孟雄が単に「貸付金が四〇〇、〇〇〇円あつた事は事実と思います。」と答えている申述記載に過ぎないから、川崎の右供述から直ちに被告主張のように原告の樺沢に対する昭和三五年一月一日における貸付残高が二〇〇、〇〇〇円であることおよび原告が同人に対し同年一二月末に二〇〇、〇〇〇円貸付けたことを認定することは困難であるといわなければならない。次に、乙第一一号証と乙第一三号証の証明力につき検討するに、証人尾崎城平の証言によれば、乙第一一号証(樺沢の利息計算表)は、尾崎が原告と樺沢との貸付関係の調査に樺沢宅に赴いた際に樺沢から提示を受けた前掲乙第一二号証、第一四号証および第一五号証の借用証書とその際に作成された乙第一三号証の樺沢の意見聴取書に別紙として添付の計算表に基づいて尾崎が作成したものであることが認められるところ、証人樺沢の証言によれば、右計算表は、乙第一二号証、第一四号証および第一五号証の借用証書に基づいて作成された部分のほかは、すべて尾崎と樺沢との約一時間程度の面会の間に約三年ないし五年も以前(面会日は昭和四〇年四月二一日)の継続的な貸付関係について樺沢のその場限りでの記憶に基づく即答によって作成されたに過ぎないことが認められるから、右計算表のうち、乙第一二号証、第一四号証および第一五号証の借用証書に基づかないで作成された部分、すなわち被告主張の樺沢に対する貸付関係中別表三の6に認定した以外の点に副う部分はその証明力が乏しいといわざるをえず、したがつて、乙第一一号証についても同様のことがいえる。そうすると、被告主張の樺沢に対する貸付関係中別表三の6に認定した以外の点については乙第四号証、第九号証の一、第一一号証、第一三号証をもつてしてもいまだこれを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(八)  同番号19米屋分

前掲乙第一号証の二、原告本人尋問の結果(第一回)および弁論の全趣旨を総合すると、米屋分についての被告主張の利息収入は前記番号48の松沢茂樹分の利息収入として計上済のものであることが認められるから、米屋分についての被告の主張は採用できない。

(九)  同番号20興亜建築、田中伝次分

原告が興亜建築、田中伝次分として別表三の7記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことは当事者間に争いがない。

被告は右のほかに原告が昭和三六年七月一四日に一五〇、〇〇〇円を貸付けた旨主張し、成立に争いのない甲第二号証の五(乙第三四号証と同じ。)を一見すると、被告の右主張事実が認められるもののようにみえないではない。しかし、右甲号証の記載内容全体、ことに貸付金の償還期限に関する記載をみると、貸付日として記載されている昭和三六年七月一四日より前の同年六月五日を償還期限の始期としていることならびに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三六年七月一四日、別表三の7で認定した同年六月五日貸付の一三七、〇〇〇円とそれに対する利息一三、三五七円を併せて一五〇、〇〇〇円として、これを消費貸借の目的とする準消費貸借を締結し、これを証するために甲第二号証の五を作成したものであることが認められるから、右甲号証をもつて直ちに被告主張の右事実を認めることはできず、また、乙第二号証、第一七号証中被告の右主張に副う部分も右認定事実に照らしてにわかに信用し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(一〇)  同番号23佐藤弘分

前掲乙第一号証の二および弁論の全趣旨によれば、佐藤弘は原告主張のとおり前記番号24の佐藤弘行と同一人と認められるので、被告主張の佐藤弘に対する貸付関係と佐藤弘行に対するそれとを一括して判断するに、右乙第一号証の二および弁論の全趣旨によれば、原告が佐藤弘行分として別表三の8記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められるが、被告主張の事実中右に認定した以外の点(前記番号24佐藤弘行についての貸付関係)については、乙第一八号証をもつてしてもいまだ認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(一一)  同番号25佐藤分

前掲乙第一号証の二によれば、原告は佐藤分として別表三の9記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、被告主張の佐藤に対する貸付関係は前記番号22の佐藤三郎に対する貸付関係および同番号23、24の佐藤弘行に対するそれと重複している旨主張するが、成立に争いのない乙第二号証および弁論の全趣旨によれば、被告主張の佐藤三郎分の利息収入(これは前示のとおり当事者間に争いがない。)は昭和三六年五月貸付の貸付元本五〇、〇〇〇円に対する利息収入であることが認められるから、前記番号25の佐藤に対する貸付関係が佐藤三郎に対するそれと重複していないことは明らかというべきである。また、前掲乙第一号証の二によれば、同号証の書面に「佐藤弘」と表示された者(佐藤弘行のことであることは前認定のとおりである。)に対する貸付関係と単に「佐藤」と表示された者に対するそれとが截然と区別されて経理されていることが認められ、そして被告は右「佐藤」と表示された者に対する貸付関係を前記番号25の佐藤分として主張していることが明らかであるから、右佐藤に対する貸付関係が佐藤弘行に対するそれと重複していないことも明らかというべきであり、したがつて、原告の右主張は採用できない。

(一二)  同番号26沢田幹之助分

貸付元金四〇〇、〇〇〇円が昭和三五年一月一日以降に繰越されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の三(乙第一九号証と同じ。)によれば、右貸付元金の弁済方法について、昭和三四年一〇月一五日より昭和三五年七月一五日まで毎月一五日限り毎回四〇、〇〇〇円宛支払うべきこと、右分割弁済を一回でも怠つたときは直ちに期限の利益を失い残余の全額を支払うべき旨の約定があつたことが認められるから、右貸付元金四〇〇、〇〇〇円について債務者は昭和三五年一月一日当時履行遅滞になつていたというべきところ、右証拠によれば期限到来後の遅延損害金については日歩九銭の約定のあつたことが認められ、また、後記認定のとおり右債権は係争年中に貸倒れにはなつていないから、原告は沢田幹之助分として別表三の10記載のとおり遅延損害金を得たものというべきである。

(一三)  同番号28酒井分

前掲乙第一号証の二によれば、原告は酒井分として別表三の11記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、被告主張の酒井に対する貸付関係は前記番号27の酒井勝次に対する貸付関係と重複している旨主張するが、成立に争いのない乙第二号証および弁論の全趣旨によれば、被告主張の酒井勝次分の利息収入(これは前示のとおり当事者間に争いがない。)は昭和三六年四月貸付の貸付元本二〇、〇〇〇円に対する利息収入であることが認められるから、前記番号28の酒井に対する貸付関係が酒井勝次に対するそれと重複していないことは明らかというべきであり、原告の右主張は採用できない。

(一四)  同番号29庄野一夫分

成立に争いのない乙第二一、二二号証および弁論の全趣旨によれば、原告の庄野一夫に対する貸付元本の昭和三五年一月一日当時における繰越残高が一一〇、〇〇〇円あつたことが認められ、後記認定のとおり、右債権は昭和三五年中には貸倒れにはならず、昭和三六年九月三〇日をもつて貸倒れになつたものというべきであるから、右の乙号各証および弁論の全趣旨により右残高は同年一月一日以降に繰越されて原告は別表三の12記載のとおり利息収入を得たものと認定するのが相当である。

(一五)  同番号30相馬惣吉分

当事者間に争いのない事実に前掲乙第一号証の二および弁論の全趣旨を総合すると、原告は相馬惣吉分として別表三の13記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、乙第二号証中右認定に反する部分は前掲乙第一号証の二に照らしてにわかに採用し難く、また、乙第二三号証、第四二号証の一中右認定に反する部分も、前掲乙第一号証の二と対比すると、右乙号各証はその全体としての記載内容の正確性に疑問がもたれるので、にわかに採用し難く、他に右認定を妨げるに足りる証拠はない。

(一六)  同番号31田中茂男分

前掲乙第二号証、同甲第二号証の五(乙第三四号証と同じ。)、証人尾崎城平の証言によつて成立の認められる乙第一七号証および弁論の全趣旨によれば、被告主張の田中茂男分の利息収入(昭和三六年七月貸付の貸付元本一五〇、〇〇〇円に対する利息収入を主張する趣旨であることは、右乙第二号証および弁論の全趣旨により理解される。)は、前記番号20の興亜建築、田中伝次分についての被告主張の利息収入(昭和三六年七月一四日貸付の貸付元本一五〇、〇〇〇円に対する利息収入)と重複して計上のうえ主張されていることが認められるから、右田中茂男分の利息収入の有無については、前記(九)興亜建築、田中伝次分の項において既にその認められないことが判示済であるというべきである。

(一七)  同番号32田沼吉男分

前掲乙第一号証の二によれば、原告は註沼吉男分として別表三の14記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、被告主張の事実中右に認定した以外の点については、乙第二号証中右主張に副う部分は前掲乙第一号証の二と対比してにわかに採用し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

原告は、被告主張の田沼吉男に対する貸付関係は前記番号46の武甲工業に対する貸付関係と重複している旨主張するが、前掲乙第一号証の二によれば、田沼吉男に対する貸付関係と武甲工業に対するそれとが截然と区別されて経理されていることが認められるうえ、右に認定した田沼吉男分の利息収入は昭和三七年分であるところ、被告は武甲工業分の利息収入として昭和三七年分は主張していないから、被告主張の両者に対する貸付関係が重複していないことは明らかであり、原告の右主張は採用できない。

(一八)  同番号33竹石武雄分

当事者間に争いのない事実に成立に争いのない乙第四三号証、証人尾崎城平の証言によつて成立の認められる乙第二四号証(ただし、後記信用しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、原告は竹石武雄分として別表三の15記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められるが、被告主張の事実中右に認定した以外の点については、乙第二四号証のうち右主張に副う部分は前掲乙第四三号証および弁論の全趣旨に照らしてにわかに信用し難く、また、乙第九号証の一のうち右主張に副う部分もとうてい信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(一九)  同番号36東洋鉄工分

当事者間に争いのない事実に前掲乙第一号証の二を総合すると、原告は東洋鉄工分として別表三の16記載のとおり金員を貸付けたことが認められ、右認定に反するようにもみえる甲第三号証の一、二は、証人松葉清の証言によれば、原告の東洋鉄工に対する従来の小口の貸金債権をまとめて昭和三六年八月一七日に一、五〇〇、〇〇〇円と一、〇〇〇、〇〇〇円の二口を貸付けたことにして、その旨の公証を得るために昭和三七年一月一四日に作成された公正証書であることが認められるから、右甲号各証も右認定を妨げるに足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、後記認定のとおり右債権は係争年中は貸倒れにはなつていないから、原告は同表三の16記載のとおり利息収入を得たものというべきである。

被告は昭和三五年一月一日当時原告の東洋鉄工に対する貸付元本の繰越残高が二、五〇〇、〇〇〇円あつた旨主張するが、右主張に副う乙第九号証の一および三は成立に争いのない甲第九号証、前掲乙第一号証の二および証人松葉清に照らしてたやすく信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(二〇)  同番号37中川義昭分

成立に争いのない甲第二号証の七(乙第三三号証と同じ。)、前掲乙第一号証の二および弁論の全趣旨を総合すると、中川義昭分についての被告主張の利息収入は前記番号38の中川分の利息収入として計上済のものであることが認められるから、中川義昭分についての被告の主張は採用できない。

(二一)  同番号39長坂秀雄分

当事者間に争いのない事実に成立に争いのない乙第二六、第二七号証を総合すると、原告は長坂秀雄分として別表三の17記載のとおり金員を貸付けたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右債権は後記認定のとおり係争年中には貸倒れにはなつていないから、原告は同表三の17記載のとおりで利息収入を得たものというべきである。

(二二)  同番号42西川貞雄分

前掲乙第一号証の二、成立に争いのない同第二八号証の一、二および証人西川貞雄の証言によれば、原告は西川貞雄分として別表三18記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、被告主張の西川貞雄に対する貸付関係は前記番号43の西川ペイントに対する貸付関係と重複している旨主張するが、前掲乙第二八号証の一、二、成立に争いのない同号証の三、四および証人西川貞雄の証言によれば、西川貞雄は原告主張のように右西川ペイント株式会社の代表取締役ではあるが、同人は係争年中原告から西川ペイントの会社名義で金員を借受けるとともに、西川個人の名義でも継続的に金員を借受けていたことが認められ、また、被告主張の西川貞雄に対する貸付関係と利息収入金額の点において原告の争わない被告主張の西川ペイントに対する貸付関係の内容を対比してみれば、相互の主張内容自体において重複し合つていないことは明らかであつて、これらの事実よりすれば、被告主張の西川貞雄に対する貸付関係は西川ペイントに対する貸付関係と重複していないというべきであり、原告の主張は採用できない。

(二三)  同番号46武甲工業分

当事者間に争いのない事実に前掲乙第一号証の二を総合すると、原告は別表三の19記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二四)  同番号49松浦政助分

原告が松浦政助分として別表三の20記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことは当事者間に争いがない。

被告は右のほかに原告が昭和三六年八月一日に一〇、〇〇〇円、同年九月一〇日に一五、二〇〇円の各利息収入を得た旨主張するが、右主張内容自体からも右各利息収入のもととなつた貸付関係の具体的内容が明確でないうえ、乙第二五号証中右主張に副う部分も単に利息計算表の利息欄に被告主張の利息金額が記載されているのみで、それによつてもいかなる貸付関係に基づく利息収入であるのかなんら判然とするところがない(もつとも、乙第二号証の記載内容全体からみると、被告主張の一〇、〇〇〇円と一五、二〇〇円の各利息収入は昭和三六年七月一六日、同月三〇日および同年八月三〇日に各貸付けの各一〇〇、〇〇〇円に対する利息収入と考えられなくもないが、右各貸付金に対する利息収入が別表三の20記載のとおりであることは当事者間に争いがないので、そのようには認定し難い。)。そうすると、乙第二五号証中被被告の右主張に副う部分はにわかに信用し難いといわざるをえず、他に被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(二五)  同番号51幹分

前掲乙第一号証の二によれば、原告は幹分として別表三の21記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、幹は前記番号26の沢田幹之助と同一人であり、被告主張の幹に対する貸付関係は沢田幹之助に対する貸付関係と重複している旨主張するが、仮に幹と沢田幹之助が同一人であるとしても、前認定の沢田幹之助に対する貸付関係と右に認定した幹に対する貸付関係を対比すれば、両者の貸付関係が重複していないことは明らかであり、原告の右主張は採用できない。

(二六)  同番号55吉田幸雄分

成立に争いのない甲第一号証の一および弁論の全趣旨によれば、原告は吉田幸雄分として別表三の22記載のとおり金員を貸付けたことが認められ、後記認定のとおり右債権は昭和三六年七月に至るまで貸倒れにならなかったから、原告は同表三の22記載のとおり利息収入を得たも、のというべきである。

(二七)  同番号56渡辺松造分

前掲乙第二号証および弁論の全趣旨によれば、原告は渡辺松造分として別表三の23記載のとおり金員を貸付け、その利息収入を得たことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、以上によれば、別表三の1安藤茂男の昭和三五および三七年分、5奥川一夫、沢田幹之助、10沢田幹之助の各昭和三五ないし三七年分、12庄野一夫の昭和三六年分、14田沼吉男、16東洋鉄工、18西川貞雄の各昭和三七年分、21幹、22吉田幸雄の各昭和三六年分の各利息収入については、各貸付先毎の利息収入についての当裁判所の認定額(係争年分毎の合計額)が被告の主張額を上回つていることが明らかであるが、原告の総収入金額を算定するうえにおいて、それらについては弁論主義の原則上被告の主張額によらざるをえない。

このような見解に立つて、本件各係争年分における原告の総収入金額を算出すると、以上により、昭和三五年分は七五四、三六五円、昭和三六年分は二、〇三六、七二一円、昭和三七年分は一、七三五、四六七円となることが計算上明らかである。

三  次に、本件各係争年分における必要経費について検討する。

1  一般経費について

一般経費が昭和三五年分は一六八、〇〇〇円、昭和三六年分は一七三、〇〇〇円、昭和三七年分は三三六、〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。

2  貸倒損失について

原告の伊地知季隆に対する貸付債権(利息債権を含む。以下、同じ。)三六、六五六円が昭和三五年中に、また、斉藤実に対する貸付債権一三四、〇〇〇円が昭和三六年中にそれぞれ貸倒れになつたことは当事者間に争いがない。

そこで次に、貸倒れの有無やその発生年度等について争いのある貸付債権について、各貸付先毎に検討する。

ところで、(旧)所得税法において、事業所得の算出上ある年度に債権の貸倒れが生じたとしてその額を当該年度の必要経費に算入することができる(旧所得税法一〇条二項参照)のは、債務者の行方不明、刑の執行、破産または和議手統の開始、事業の閉鎖、債務超過の状態が相当期間継続し、事業再起の見通しがないこと、その他これらに準じる事情が生じるなどして、債権の回収の見込みのないことがその年度中に確実となつた場合に限られると解すべきである。

以下、右の見解に立つて、本件につき判断する。

(一)  奥川一夫、沢田幹之助に対する債権

原告は、右債務者両名は資産もないまま昭和三五年末までに行方不明になつた旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、証人吉野定利の証言により成立の認められる乙第三五号証によれば、沢田幹之助は昭和三七年末まで横浜市鶴見区内において生花業とレストランを経営し、その後も昭和三八年夏ごろまで東京都港区内においてレストランを経営していたことが認められるから、右事実よりすれば、右債務者両名に対する債権は、係争年中は貸倒れにはならなかつたものと認定するのが相当である。

(二)  沢田幹之助に対する債権

前記(一)で述べたのと同じ理由により、右債務者に対する債権は係争年中は貸倒れにはならなかつたものと認められる。

(三)  庄野一夫に対する債権

原告は、右債務者は昭和三五年中に行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、原告が同人とその連帯債務者二名に対し昭和三五年一二月三日その有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三六年九月三〇日その売得金から配当金六五〇円を受領したことは当事者間に争いがない。ところで、強制執行はその売得金が執行費用を上回り配当金を得られる見込みがある場合に行なわれることが通常であることに鑑みれば、右認定の強制執行の結果がなんら効を奏しないことが昭和三五年中に明らかであつたことが証拠上認められない本件においては、仮に原告主張のように右債務者が昭和三五年中に行方不明になつたとしても、被告主張のとおり、原告が前記強制執行の結果配当金六五〇円を受領した昭和三六年九月三〇日をもつて残余の債権が貸倒れになつたものと認定するのが相当である。

よつて進んで、貸倒債権額について検討するに、被告は、貸付元本一一〇、〇〇〇円とそれに対する昭和三六年分の利息額一〇、三八四円の合計額から前記配当金六五〇円を差引いた一一九、七三四円をもつて貸倒債権額と主張するが、弁論の全趣旨によれば、右貸付元本に対する前認定の昭和三五年分の利息額六〇、二二五円は未収の利息債権であるが、旧所得税法のよつて立つ債権発生主義の原則により昭和三五年分の収入金額に計上されていることが認められるから、被告主張の貸倒債権額に右の未収利息債権六〇、二二五が貸倒債権額として加算されるべきである。そうすると、原告の庄野一夫に対する昭和三六年分の貸倒債権額は一七九、九五九円となることが計算上明らかである。

(四)  長坂秀雄に対する債権

原告は、右債務者が資産もないまま昭和三五年一二月中旬ごろ行方不明になつたので、同人に対する債権は昭和三五年中に貸倒れになつた旨主張するが、前認定のとおり原告は同人に対し昭和三六年中にも四回にわたつて金員を貸付けているうえ、前掲乙第二六、二七号証、いずれも成立に争いのない甲第一号証の七、乙第三八号証の一ないし三によれば、原告の右債権は二名の連帯債務者によつて担保されていることおよび原告は昭和三六年四月から昭和四〇年九月までの間数回にわたつて長坂秀雄とその連帯債務者二名に対し書面をもつてその債務の履行を催告していることが認められる。

右の認定事実によれば、原告の右債務者に対する債権は、係争年中は貸倒れと認めうる状態には至つていないと認定するのが相当である。

(五)  吉田幸雄に対する債権

原告は、右債務者は昭和三五年中に行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、これを認めうるに足りる的確な証拠はなく、一方、成立に争いのない乙第四号証および弁論の全趣旨によれば、原告は同人から昭和三六年二月一六日支払猶予を求める書面を受領していることおよび同人は昭和三六年七月殺人事件に関係して逮捕され、身柄を拘束されるに至つたことが認められるから、他に特段の事情を認めるに足りる証拠のない本件においては、原告の右債務者に対する債権は被告主張のとおり昭和三六年七月になつて初めて貸倒れと認めうる状態に至つたものと認定するのが相当である。

よつて進んで、貸倒債権額について検討するに、被告は、貸付元本一二六、〇〇〇円とそれに対する昭和三六年分の利息額七、八九一円の合計額一三三、八九一円をもつて貸倒債権額と主張するが、弁論の全趣旨によれば、右貸付元本に対する前認定の昭和三五年分の利息額六九、一七四円は未収の利息債権であるが、前示債権発生主義の原則により昭和三五年分の収入金額に計上されていることが認められるから、被告主張の貸倒債権額に右の未収利息債権六九、一七四円が貸倒債権額として加算されるべきである。そうすると、原告の吉田幸雄に対する昭和三六年分の貸倒債権額は二〇三、〇六五円となることが計算上明らかである。

(六)  安藤成男に対する債権

原告は、右債務者は昭和三六年中に行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、原告が同人とその連帯債務者に対し昭和三六年八月三一日その有体動産に対する強制執行の手続をとり、昭和三七年六月五日その売得金より配当金八、五七〇円を受領したことは当事者間に争いがない。ところで、前述のとおり強制執行はその売得金が執行費用を上回り配当金を得られる見込みがある場合に行なわれることが通常であることに鑑みれば、右認定の強制執行の結果がなんら効を奏しないことが昭和三六年中に明らかであつたことが証拠上認められない本件においては、仮に原告主張のように右債務者が昭和三六年中に行方不明になつたとしても、被告主張のとおり、原告が前記強制執行の結果配当金八、五七〇円を受領した昭和三七年六月五日をもつて、残余の債権が貸倒れになつたものと認定するのが相当である。

しかるところ、原告の右債務者に対する貸倒債権額は、別表三の2で認定した貸付元本二〇〇、〇〇〇円とそれに対する昭和三六年分の利息額一七、六四九円(これが未収利息債権であことは弁論の全趣旨から明らかである。)の合計額から前記配当金八、五七〇円を差し引いた二〇九、〇七九円であるというべきである。

(七)  大石善男に対する債権

原告は、右債務者は資産もないまま昭和三六年末行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、前掲甲第二号証の六(乙第三二号証と同じ。)によれば、同人に対する債権は二名の連帯債務者によつて担保されていることが認められるから、二名の連帯債務者からの回収が不可能であることを推測させる特段の事情を認めるに足りる証拠のない本件においては、仮に原告主張のように右債務者が昭和三六年中に行方不明となつたとしても、右債権は係争年中はいまだ貸倒れと認めうる状態には至つていないといわざるをえない。

(八)  東洋鉄工株式会社に対する債権

原告は、まず、右会社は昭和三六年中に支払能力を喪失したので、右会社に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、支払能力の喪失を推測させるに足りる事情についてなんら主張、立証がなく、一方、別表三の16で認定したとおり、右会社は昭和三六年中に八回にわたつて合計六六二、〇〇〇円を原告に返済していることが明らかであるから、原告の右会社に対する債権は昭和三六年中は貸倒れにはなつていないというべきである。

原告は、また、右会社は昭和三七年一月一八日不渡手形を出して倒産したから、右会社に対する債権は遅くともそれ以後は貸倒れになつた旨主張する。なるほど、前掲乙第四号証および証人松葉清の証言によれば、右会社は昭和三七年一月中旬不渡り手形を出したことが認められるが、そのことから直ちに原告の右会社に対する債権の回収の見込みのないことが同年中に確実になつたと断定するのは早計である。前掲乙第四号証、成立に争いのない同第三九号証および証人尾崎城平の証言によつて成立の認められる同第四〇号証によれば、原告は、昭和三七年三月一〇日、東洋鉄工の債権・債務関係の整理を目的として右会社に対する債権者によつて構成された債権者委員会(第五回)の席上において、右会社に対する債権を放棄する意思がない旨陳述し、現に原告は、右会社の債権者会議から昭和三八年一一月三日付で原告の右会社に対する債権の七パーセントにあたる金額を支払う旨の通知を受けたことが認められる。

右の認定事実によれば、原告の右会社に対する債権は、右支払通知を受けた七パーセント分を除き昭和三八年中に貸倒れになつたということができるにしても、少くとも係争年中は貸倒れと認めうる状態には至つていないといわざるをえない。

(九)  中川に対する債権

原告は、右債務者は資産もないまま昭和三六年中に行方不明になつたので、同人に対する債権は貸倒れになつた旨主張するが、前掲乙第一号証の二によれば、原告は、同人に対し、昭和三八年四月二三日一〇〇、〇〇〇円を貸付け、同年五月二二日に同人から利息分を含めた一〇八、〇〇〇円の返済を受けていることが認められるから、原告の右債務者に対する債権は係争年中は貸倒れにはならなかつたというべきである。

(一〇)  池田秀隆に対する債権

原告は、右債務者は資産もないまま昭和三七年八月末ごろ行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、前掲乙第一号証の二および証人尾崎城平の証言によつて成立の認められる乙第三号証によれば、原告は同人から昭和三七年九月一〇日に二五〇、〇〇〇円、同月一八日に二〇〇、〇〇〇円の返済を受けていることおよび同人は、死亡した昭和四〇年三月まで横浜市の国電鶴見駅西口で麻雀屋を経営していたことが認められるら、原告の右債務者に対する債権は係争年中は貸倒れにはならなかつたというべきである。

(一一)  金子馨に対する債権

原告は、右債務者は資産もないまま昭和三七年一一月一五日以後行方不明になつたため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、前掲乙第一号証の二によれば、原告は同人から昭和三八年二月に八〇、〇〇〇円の返済を受けていることが認められるから、原告の右債務者に対する債権は係争年中は貸倒れにはならなかつたというべきである。

(一二)  北村忠に対する債権

原告は、右債務者は昭和三七年一二月末には支払能力を喪失したため、同人に対する債権は同年中に貸倒れになつた旨主張するが、前掲乙第一号証の二および証人吉野定利の証言によつて成立の認められる同第三六号証によれば、北村忠は昭和三九年四月一七日に死亡するに至るまで、横浜市鶴見区内において事務員を雇い、経営調査士の業務を営んでいたことおよび原告は昭和三八年中も北村に対し四回にわたつて一七五、八〇〇円を貸付け、三回にわたつて二五四、四〇〇円の返済(前年貸付分の返済を含む。)を受けていることが認められる。

右の認定事実によれば、原告の右債務者に対する債権は係争年中は貸倒れにはならなかつたというべきである。

(一三)  興亜建築、田中伝次に対する催権

原告は、右債務者は昭和三七年末倒産した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、前掲乙第四号証によれば、右債務者は昭和三八年三月一二日に至つて不渡手形を出していることが認められるから、右事実よりすれば、原告の右債務者に対する債権は、少くとも係争年中は貸倒れと認めうる状態には至つていないというべきである。

以上認定したところをまとめると、係争年中の貸倒損失は、昭和三五年分は伊地知季隆に対する債権三六、六五六円、昭和三六年分は斉藤実に対する債権一三四、〇〇〇円、庄野一夫に対する債権一七九、九五九円、吉田幸雄に対する債権二〇三、〇六五円の合計五一七、〇二四円、昭和三七年分は安藤成男に対する債権二〇九、〇七九円となる。

四  以上によれば、原告の係争年中の総所得金額(事業所得)は次のとおりとなる。

<省略>

そうすると、本件各決定(昭和三五年分および昭和三六年分については裁決および更正処分により減額されたもの、昭和三七年分については裁決により減額されたもの)のうち、昭和三五年分の所得税についての決定は、総所得金額五四九、七〇九円を超える限度で、また、昭和三六年分の所得税についての決定は、総所得金額一、三四六、六九七円を超える限度でそれぞれ総所得金額を過大に認定した違法があり、その限度において取消しを免れないが、昭和三七年分の所得税についての決定は、右に認定した総所得金額一、一九〇、三八八円が、右決定における認定総所得金額四六五、五三六円を上回るから、原告主張のような違法はなく、適法であるというべきである。

五  叙上の次第で、原告の本訴各請求は、そのうち昭和三五年分および昭和三六年分の所得税についての決定の取消しを求める部分については、右に述べた限度において理由があるから認容することとし、その余および昭和三七年分の所得税についての決定の取消しを求める部分はすべて理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につさ民事訴訟法九二条本文、八九条を適用のうえ 主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 裁判官 横山匡輝)

別表一

1.安藤茂男 (金額および日歩の単位は円)

<省略>

<省略>

2.安藤成男

<省略>

7.石田陸次

<省略>

11.歌代昭夫

<省略>

12.大石善男

<省略>

14.奥川一夫、沢田幹之助

<省略>

16.樺沢佶

<省略>

<省略>

19.米屋

<省略>

20.興亜建築、田中伝次

<省略>

23.佐藤弘

<省略>

24.佐藤弘行

<省略>

<省略>

25.佐藤

<省略>

26.沢田幹之助

<省略>

28.酒井

<省略>

29.庄野一夫

<省略>

30.相馬惣吉

<省略>

31.田中茂男

<省略>

32.田沼吉男

<省略>

33.竹石武雄

<省略>

<省略>

36.東洋鉄工

<省略>

<省略>

37.中川義昭

<省略>

39.長坂秀雄

<省略>

42.西川貞雄

<省略>

<省略>

<省略>

46.武甲工業

<省略>

49.松浦政助

<省略>

<省略>

51.幹

<省略>

55.吉田幸雄

<省略>

56.渡辺松造

<省略>

別表二

24.佐藤弘行 (金額の単位は円)

<省略>

33.竹石武雄

<省略>

<省略>

別表三

1.安藤茂男 (全額および日歩の単位は円)

<省略>

<省略>

2 安藤成男

<省略>

3 歌代昭夫

<省略>

4 大石善男

<省略>

5 奥川一夫、沢田幹之助

<省略>

6 樺沢佶

<省略>

<省略>

7 興亜建築、田中伝次

<省略>

8 佐藤弘行

<省略>

9 佐藤

<省略>

10 沢田幹之助

<省略>

11 酒井

<省略>

12 庄野一夫

<省略>

13 相馬惣吉

<省略>

14 田沼吉男

<省略>

15 竹石武雄

<省略>

16 東洋鉄工

<省略>

<省略>

17 長坂秀雄

<省略>

18 西川貞雄

<省略>

<省略>

<省略>

19 武甲工業

<省略>

20 松浦政助

<省略>

21 幹

<省略>

22 吉田幸雄

<省略>

23 渡辺松造

<省略>

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