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東京地方裁判所 昭和42年(むのイ)463号 決定 1967年8月05日

主文

原裁判を取消す。

検察官の鑑定留置の請求を却下する。

理由

第一本件申立の趣旨およびその理由は、別紙弁護人作成の「準抗告の申立」と題する書面写記載のとおりである。

第二取寄せた本件捜査記録および証拠物を総合すれば、被疑者が本件各罪を犯したと疑うにたりる相当な理由がある。

第三留置の必要性の有無について

一、右記録によれば、

(1)  被疑者が昭和四二年七月二二日(同月二一日請求)に本件被疑事実について東京地方裁判所裁判官の発した勾留状により勾留され、以後身柄拘束のまま同月二九日まで捜査官の取調を受けたこと

(2)  検察官が同月二八日に医師Yに対し被疑者の犯行時等の精神状態の鑑定を嘱託したこと

(3)  東京地方裁判所裁判官は、同月二九日に検察官の請求に基き右鑑定のため必要ありとして被疑者に対し鑑定留置状を発し、被疑者は以後精神病院であるS保養院内に留置されていることが明らかである。

二、そこで、起訴前に裁判官が、検察官等の請求により、鑑定留置の処分を行うにあたり、審査すべき対象について、一言すると、もとより鑑定そのものは、捜査の必要に応じ行われるものであるから、これがいわゆる任意捜査としてなされる限り、裁判官(所)の容喙すべきことではない。その意味において、鑑定留置の裁判を行うにあたつても、その審査の対象となるのは、あくまで留置の必要性ということでなければならない。しかし鑑定留置が刑事手続における身体の拘禁の一種であることはいうまでもないから、人権の保障という見地より、これに対する司法的抑制を全うするためには、これから生じる人身の自由の侵害とこれによつて得られる捜査上の利益(実体的真実発見の要請)とを比較考量し後者の利益が前者の侵害を正当化できるようなものであるかどうかを探究しなければならないことも当然である。従つて、留置を伴う鑑定については、その留置が、ただ鑑定目的を達するために必要であるというだけでは、いまだその留置の必要性を肯定することができず、当該場合に、被疑者の身体を拘束(しかもかなりの長期間)してまで当該鑑定を行うことの必要性ないしその正当性が肯定されなければ、被疑者の留置を認めることが許さないものと解するのが相当である。いいかえれば、その事案において、健全な常識に従つて何人もなんら異常を発見できず、鑑定そのものが全く必要のないことが明らかな場合とか鑑定の方法を若干工夫することにより、留置を伴わないで、容易に、同様の鑑定目的が達成されると認められるような場合等においては、仮に検察官等が現に行わしめようとしている鑑定には、留置が必要であるとしても、なお留置の必要性が否定されるべきである。

三、以上の前提に立ち、本件について検討すると、本件捜査記録および証拠物によれば、被疑者の本件犯行の態様、方法、動機等にはやや常軌を逸した点が認められるから、被疑者の学歴、経歴、生活環境等と対比して、検察官が被疑者の精神状態にかなりの疑念を抱くに至つたことは納得できる。すなわち、一方において、本件のように長期の身柄拘禁を伴う鑑定を行う前に、検察官としては、あらかじめ専門医をして被疑者の予備的な診断をなさしめ、あるいは、被疑者やその家族らにその精神状態を知る手掛りとなる事項について質問を行う等、右疑念を明確ならしめるための捜査を行うことが望ましかつたということもできる反面、さればとて、検察官のなした前記鑑定の嘱託がその全くの独断に基く不必要なことの明白であつたものとはいいえない。してみれば、原裁判官が右鑑定のために被疑者を鑑定人の所属する精神病院内に留置したのも、右疑念の存在を前提とする限り、違法なものではなかつたということができる。(なお、精神鑑定のため一定期間の入院留置が必要なことは経験則上明らかなことである。)

四、しかし、更に進んで、本件準抗告申立について決定するために当裁判所で行つた事実の取調の結果によれば、

(1)  Y医師がわずか約一週間被疑者を診察した結果によつても、「いまだ断定はできないにせよ、被疑者に狭義の精神病の存在はほとんど疑われず、刑事責任に影響を及ぼすような異常性が発見されるような可能性もない」という意見に到達していること。

(2)  Y医師においては今後なお一ケ月間位の留置を必要とすると考えているが、その留置はは被疑者の知能テスト、心理テストその他の諸検査および被疑者の家族等からの事情聴取のために必要となるものであること。

(3)  一方、被疑者は、本件鑑定留置の裁判に対し著しい不満を持ち、医師の行う諸テスト、検査等には一切応じない態度を示していること。

などが認められる。

そして、右事実の取調の結果を前記捜査資料と総合して判断すれば、現時点においては、被疑者の本件犯行時における精神状態について疑念をさしはさむ余地のほとんどないことが客観的に明白であり、その意味において、被疑者の精神鑑定そのものがほとんど全く必要のないものであつたことも明白になつたとしなければならない。更に、仮に本件鑑定を続行させるとしても、被疑者の右のような態度からすれば諸テスト、検査を受けしめるために留置を続けるということは無意味であり(鑑定人が家族等から事情を聴取する間、被疑者を留置するということは、鑑定留置の目的の外にある。)、結局、留置の必要性は存在しなくなつたものと認められる。

第四以上のように、原裁判当時には一応留置の必要性が認められたにせよ、その後の事情を考慮して判断すればこれが全く消滅しており、もはや鑑定のための留置を継続することが許されなくなつたものと認められる以上は、原裁判そのものが失当であつたに帰し、これが取消を免れないものというべきである。

よつて、弁護人の本件準抗告の申立は結局理由があるから、刑事訴訟法第四三二条、第四二六条第二項により、原裁判を取消したうえ、検察官の本件鑑定留置の請求を却下することとし、主文のとおり決定する。(竜岡資久 松本時夫 吉本徹也)

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