東京地方裁判所 昭和42年(ワ)14106号 判決 1970年2月28日
原告
大塚俶代
代理人
藤平国数
復代理人
浜崎千恵子
被告
有賀弘毅
代理人
小田切秀
小山田純一
戸張義生
主文
被告は原告に対し金七〇〇、〇〇〇円、およびこれに対する昭和四三年三月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は主文第一項に限り、仮りに執行することができる。
第一、当事者の求める裁判
原告
「被告は原告に対し金二、〇二七、四二〇円、およびこれに対する昭和四三年三月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、および仮執行の宣言。
被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。
第二、原告の請求原因、
(一) 昭和四一年三月一五日午後八時頃、原告が国鉄線高田馬場駅において西武新宿線に乗換えるため、国鉄線と西武新宿線との間の連絡跨線橋上にある改札口を通り、西武新宿線高田馬場駅構内に入り、進行方向右側にある西武新宿線プラットホームへの階段降り口に向つて歩いていたところ、突然被告が反対方向から疾走して来て、原告に正面衝突し、その際被告が手で原告を突飛ばしたため、原告は二メートル余り突飛ばされたうえ、跨線橋路面に激しく叩きつけられるように転倒し、これによつて右大腿頸部骨折の傷害を受けた。右事故が被告の少くとも過失によつて発生したことは明らかである。
(二) 右事故によつて原告は次のとおりの財産上の損害を蒙つた。
(1)、入院治療費合計五八、四二〇円
(イ)、事故直後から昭和四一年三月一七日まで大同病院に入院、治療を受け、その費用として三、八〇〇円を支払つた。
(ロ)、同年三月一七日から同年九月一八日まで佐々木病院に入院、治療を受け、その費用として五四、六二〇円を支払つた。
(2)、附添看護婦費一八〇、〇〇〇円
原告は佐々木病院に入院していた昭和四一年三月一七日から同年九月一八日までの間、原告の妹の附添看護を受けたのであり、その費用として、一日について一、〇〇〇円、合計一八〇、〇〇〇円を必要とした。
(3)逸失利益七八九、〇〇〇円、
(イ)、原告は前記事故発生まで、昼間は自宅において洋裁業に従事して一箇月一五、〇〇〇円、日曜日を除いては毎日午後四時らか午後九時まで政府登録国際観光旅館森田館にパートタイムの女中として勤務し、一時間について一〇〇円、一箇月平均一五、〇〇〇円合計一箇月三〇、〇〇〇円の収入を得ていたが、前記事故による受傷のため、昭和四一年三月一六日から昭和四二年六月末日までの一五箇月半の間、右の仕事を全くすることができず、合計四六五、〇〇〇円の収入を得ることができなかつた。
(ロ)、昭和四二年七月はじめから、原告は東京都港区芝琴平町所在の洋裁店新田ドレス店に勤務し、一日七時間労働で、一時間について一二〇円、一箇月平均二一、〇〇〇円の収入を得ているが、前記の傷害が一応全治したとはいつても、足の痛みが消えないため、受傷前のような夜間の旅館勤めには体力的に到底耐えることができないので、これをやめており、したがつて、事故前に比べて一箇月九、〇〇〇円の減収となつている。このような状態は少くとも三箇年は続くと予測されるので、これによる減収総額は三二四、〇〇〇円となる。
(二)、原告が被告の不法行為である前記の事故によつて受けた精神的損害に対する慰藉料としては、原告が前記のとおりの傷害を受け、その後一応仕事ができるようになるまでに一五箇月半を要したことを考えると、少くとも、一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
(三)、よつて、原告は被告に対して、前記不法行為に因る損害の賠償として、前記の財産上の損害に対する賠償一、〇二七、四二〇円と慰藉料一、〇〇〇、〇〇〇円の合計二、〇二七、四二〇円、およびこれに対する本件訴状が被告に送達された翌日である昭和四三年三月一九日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割による遅延損害金の支払いを求める。
第三、原告の請求原因に対する被告の答弁
(一)、請求原因(一)の事実中、原告主張の日時、場所において原告が転倒したことは認めるが、被告が反対方向から疾走して来て、原告に正面衝突し、その際手で原告を突飛ばしたということ、原告が二メートル余り突飛ばされて、跨線橋路面に激しく叩きつけられるように転倒したということは否認する。その余の事実は知らない。
(二)、請求原因(二)の事実は知らない。同(三)は争う。
(三)、原告主張の事故が発生した時には、跨線橋上は乗換客で非常に混雑しており、被告が疾走できるような状態ではなかつた。右跨線橋上は左側通行と定められているので、被告は西武新宿線から国鉄線に乗換えるため、跨線橋上にある改札口に向つて、左側を歩いて行つたところ、改札口附近は被告と同様の乗換客のため特に混雑していて、長蛇の列をなしていたので、被告もその列に入つて歩いていたところ、突然、原告が被告の右側から右の列の中へ押し入るように入つて来て、被告の肩に触れて転倒したのである。したがつて、原告の転倒は全く原告の過失によるものである。
第四、被告の抗弁
原告主張の事故の発生について、仮に被告に過失があつたとしても、前記答弁の(三)のとおり、原告が被告の並んでいた列に割り込んで来たのであるから、原告主張の事故の発生については、原告に重大な過失があつた。したがつて被告の損害賠償額を定めるについて右の過失が斟酌されるべきである。
第五、証拠関係<略>
理由
(一)、昭和四一年三月一五日午後八時頃、国鉄線高田馬場駅と西武新宿線高田馬場駅間にある国鉄線と西武新宿線の連絡跨線橋上の、西武新宿線高田馬場駅構内において、原告が転倒したということは当事者間に争いがない。
<証拠>を合わせて考えると、次の事実が認められる。
原告は国鉄線電車から西武新宿線下り電車に乗換えるため、右跨線橋上の目白駅側(北側)にある改札口を通つて西武新宿線高田馬場駅構内に入り、右折して西武新宿線下り線プラットホームの新宿駅側(南側)階段降りロへ向つて歩行し、右階段降り口近くに至つた際、西武新宿線上り電車から国鉄線電車に乗換えるために、右跨線橋上の新宿駅側(南側)にあたる改札口へ向つて走つた来た被告が、原告の左側面に衝突したため、原告はその右側面を跨線橋路面に打ちつけるようにして転倒し、これによつて、右大腿頸部骨折の傷害を受けた(以下「本件事故」という)。
右のように認められる。前掲記の乙第一号証(被告からその訴訟代理人戸張義生弁護士宛ての書信)には、当時前記跨線橋上は、西武新宿線、国鉄線相互間の乗換客で非常に混雑していて、走ることはできない状態にあり、殊に西武新宿線から国鉄線への乗換えのための改札口には、被告と同じ電車から国鉄線電車への乗換客多数が行列をつくつていたので、被告も右行列に入つて改札口に向い歩いていたところ、原告が右行列を横断するように割込んで来て、みずから被告にぶつかつて転倒した旨の記載があるが、右記載内容は、前記認定にそう原告本人の供述、および証人斎藤伊太郎の、本件事故直後、西武新宿線高田馬場駅駅長事務室に救護された原告に同行して来た被告に対して、右証人が、駅構内、跨線橋上を走ることは事故を発生させるので、走らないよう注意し、また原告と話合つてその治療費の負担をするよう述べたのに対して、被告は何らの反論をしなかった旨の証言に照らして考えると、たやすく信用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。原告は、被告が疾走して来て、原告に衝突した際、手で原告を突飛ばしたので、原告は二メートル余り突飛ばされたうえ、跨線橋路面に激しく叩きつけられるように転倒したと主張し、原告本人の供述のうちには、原告が国鉄線ホームから跨線橋への階段を昇り終つた直後に、被告が西武新宿線上り線ホームから跨線橋への階段から跨線橋上へ走り上つて来たのを見た旨の供述があるが、右供述は本件事故発生の場所と右両階段の位置関係に照らすと到底信用できず、他に、被告が疾走といえる程の速さで走つて来たこと、原告に衝突した際、原告を手で突飛ばしたということを認めるに足りる証拠はない。
前記認定事実によると、本件事故の発生については、被告に過失があつたということができる。
(二)、そこで、本件事故によつて原告が蒙つた財産上の損害について判断する。
(1)、<証拠>によると、原告は本件事故による前記傷害治療のため、本件事故直後から昭和四一年三月一七日まで大同病院に、同日から同年九月一八日まで佐々木病院に入院して治療を受け、治療費、診断書料等として大同病院に対して三、八〇〇円、佐々木病院に対して五四、六二〇円、合計五八、四二〇円を支払つたことが認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。
(2)、原告は、昭和四一年三月一七日から同年九月一八日まで原告が佐々木病院に入院していた間、原告の妹の附添看護を受けたので、その費用として一日について一、〇〇〇円、合計一八〇、〇〇〇円を要したと主張し、原告本人の供述のうちには、原告の妹大塚小春に対して右入院期間の附添料として一日について一三〇〇円を基準として、甲第三号証の記載のとおり二五〇、〇〇〇円を支払つた旨の供述があり、甲第三号証には、大塚小春が附添料として昭和四一年三月二九日に一五〇、〇〇〇円、同年七月三日に一〇〇、〇〇〇円、合計二五〇、〇〇〇円を受領した旨の記載がある。しかしながら、原告本人の、入院中の附添は兄と妹に半分づつしてもらつた、妹が来たのは三分の一位であつた、妹が病院に来たときに、病院にいる時間は一時間か三〇分位のものであつた旨の各供述、右甲第三号証の記載によると、原告は妹大塚小春に対して、昭和四一年三月二九日に三箇月分以上の附添料を、さらに同年七月三日に二箇月分以上の附添料をそれぞれ先払いしたことになることなどに照らして考えると、原告本人の前記の趣旨の供述、甲第三号証の記載内容は、いずれも到底信用できず、他に、原告が入院中の附添看護費として何程の支払いをしたかを認めるに足りる証拠はない。不法行為の被害者が附添看護を必要とした場合に、附添人を雇わず、親族等が附添看護に当つたために、現実に附添看護料として金員の支払いがなされなかつた場合においても、加害者は、被害者が附添看護を客観的に必要とした期間、附添人を雇つた場合に支払うことを要したであろう報酬相当額の賠償義務を負うと解するのが、公平に遵い相当である。そして、原告が前記認定のとおりの傷害を受け、前記認定のとおりの期間入院治療を受けたということからすれば、入院期間中に、附添看護を客観的に必要とした期間があつたであろうということは容易に推認し得るし、原告本人の供述によつて、当時附添人を雇つた場合には一日について一、三〇〇円の報酬を支払うことを要したことが認められるけれども、原告が、前記の病院から給付される看護のみでは足りず、客観的に附添看護を必要とした期間が何程であつたかは、これを認めるに足りる証拠がない。
(3) 、原告本人の供述によつていずれも真正に作成されたと認められる甲第四、五号証、および原告本人尋問の結果、ならびに弁論の全趣旨を合わせて考えると、原告は本件事故の数年前から自宅において洋裁業に従事し、本件事故当時においては、主として小島佳代子の注文による仕事を行い、月額一二、〇〇〇円ないし一五、〇〇〇円位の収入を得ていたほか、昭和四〇年五月頃からは、千代田区神田三崎町所在の旅館森田館に、日曜日を除く毎日午後四時から午後九時頃までのパートタイムの女中として勤務し、これによつて、昭和四〇年一一月から昭和四一年二月までの四箇月間において一箇月平均一四、二〇〇円の収入を得ていたこと、本件事故による受傷のため、前記のとおり入院し、退院後も自宅において療養を続け、少くとも昭和四二年三月末までは、全く収入を得ることができなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によると、原告は本件事故当時少くとも一箇月平均二六、〇〇〇円の収入を得ていたものであり、本件事故による受傷のため少くとも昭和四二年三月末までの一二箇月半の間稼働することができなかつたことにより、少くとも三二五、〇〇〇円の収入を得ることができなかつたということができる。
原告は、本件事故当時原告は平均一箇月三〇、〇〇〇円の収入を得ていたと主張するが、二六、〇〇〇円を起える額については、これを認めるに足りる証拠はない。また、原告は、昭和四二年六月末まで全く収入を得ることができなかつたと主張するが、昭和四二年四月以降六月末までの間も原告が収入を得ることができなかつたということを認めるに足りる証拠はない。さらに、原告は、昭和四二年七月以降の原告の収入は平均一箇月二一、〇〇〇円で、本件事故前より減収となつており、これは、本件事故による受傷によつて体力が減退したためであり、かつこの状態が少くとも三年間は続くと予測されると主張し、真正に作成されたことに争いのない甲第六号証、および原告本人の供述によると、原告は昭和四二年四、五月頃から港区芝琴平町所在の新田ドレス株式会社に勤務して、一時間について一二〇円の賃金で平均一箇月二一、〇〇〇円位の収入を得ていること、昭和四四年二月当時、正座することが困難であり、冬期には受傷部に痛みを感ずる等の後遺症が残つていることが認められるけれども、前記認定の本件事故前の原告の平均月収と右認定の平均月収の差額が、本件事故による原告の労働力の減退によるものであること、および労働力の減退の継続期間が何程と推定されるかを認めるに足りる証拠はない。
(4)、右(1)ないし(3)のとおりであるから、原告は本件事故に因つて、支払つた治療費五八、四二〇円、得ることができなかつた収入三二五、〇〇〇円、合計三八三、四二〇円の財産上の損害を蒙つたということができる。
(三)、次に、被告の過失相殺の抗弁について判断する。
被告は、本件事故の発生については原告にも重大な過失があつたと主張するが、本件事故発生に至る経過は前記(一)に認定したとおりであり、被告が主張するような経過で発生したものではないから、本件事故の発生について、原告に重大な過失があつたという被告の主張は採用できない。しかしながら、前掲記の乙第一号証によると、国鉄線高田馬場駅において西武新宿線下り線に乗換える者が、右下り線プラットホームの新宿駅側(南側)階段を降りようとする場合には、その進路が、跨線橋上にある国鉄線から西武新宿線への乗換え改札口と西武新宿線から国鉄線への乗換え改札口の位置との関係から、西武新宿線から国鉄線へ乗換える者の進路と交錯することになること(国鉄線から西武新宿線下り線に乗換える者が、右下り線ブラットホームの国鉄線目白駅側(北側)階段を降りる場合には、右のような進路の交錯を起さないですむこと)が認められること、前記(一)認定のとおり原告は西武新宿線下り線プラットホームの新宿駅側(南側)階段を降りようとしたこと、原告本人の供述によると、原告は右認定のように西武新宿線から国鉄線へ乗換えようとする者との間に進路の交錯を生ずること、およびその交錯を避けることも可能であることを十分知つており、かつ本件事故発生の際、現に西武新宿線から国鉄線へ乗換えようとする相当多数の者が跨線橋上を進行して来ていることを知つていたと認められることからすれば、原告としては、右の西武新宿線から国鉄線へ乗換えようとする者との衝突等を避けるため、その動向に十分注意を払うべきであつたということができる。しかるに、<証拠>によると、原告は被告に衝突される直前まで、被告の接近に全く気付いていなかつたことが認められるから、本件事故発生については、原告にも過失があつたということができる。しかし、前記(一)のとおり原告は歩いていたのに対し被告は跨線橋上を走つて来たと認められること、弁論の全趣旨によると、当時原告は四七歳の女性であるのに対し被告は男性で大学生であつたことが認められることを考えると、本件事故の発生については被告の過失の方が原告の過失よりも相当大きいということができ、被告に前記認定の原告の財産上の損害額の八割弱に当る三〇〇、〇〇〇円について、その賠償義務を負わせるのが相当であると考える。
(四)、次に、原告に対する慰藉料額について考える。
前記(一)に認定した本件事故発生の経過、原告の受傷の程度、前記(二)の(1)、(3)に認定した原告が蒙つた財産上の損害、原告の受傷の後遺症の程度、前記(二)の(2)、(3)記載のとおり原告主張の損害の一部については、これを認めるに足りる証拠がないけれども、そのうちには本来その立証が困難なものがあること、右(三)に認定した原、被告双方の過失の程度、ならびに原告本人尋問の結果、および弁論の全趣旨によると、原告は自己の労働によつてその生計を維持しているものであり、被告は昭和四二年に大学を卒業し、肩書住所において日本カメラセンター株式会社に勤務していること、被告は本件事故後、原告が大同病院に入院するのに附添つて行つたほかは、原告に対する見舞等、加害者として通常なすべきことも何らしていないことが認められること等本件に顕れた諸般の事情を合わせ考えると、原告に対する慰藉料額としては、四〇〇、〇〇〇円が相当であると考える。
結論
以上のとおりであるから、原告の本件請求は、原告が蒙つた財産上の損害のうち被告が賠償責任を負う三〇〇、〇〇〇円、および慰藉料四〇〇、〇〇〇円、合計七〇〇、合計七〇〇、〇〇〇円、およびこれに対する本件訴状が被告に送達された翌日であることが本件記録上明らかな昭和四三年三月一九日から支払済みに至るまでの、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がないものといわなければならない。
よつて、原告の請求を右の理由のある限度において認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。(寺井忠)