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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2040号 原因判決 1968年10月17日

原告 後藤運送株式会社 外三名

被告 近鉄大一トラツク株式会社

主文

本訴請求中、原因は一部理由がある。

事実

第一当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告後藤運送株式会社に対し金七六万七五五四円、原告佐藤茂吉、同佐藤ヨシに対し各金二七一万〇〇八七円、原告藤原アキに対し金五〇〇万〇三七六円および右各金員に対する昭和四二年三月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求の原因(損害の数額の点を除く。)

(一)  (事故の発生)

昭和四〇年三月二八日午前一時四〇分ごろ、訴外亡佐藤五郎(以下、五郎という。)が、助手席に藤原六郎(以下、六郎という。)を同乗させて普通貨物自動車(いすず六四年式)品一あ六九三七号(以下、原告車という。)を運転し、静岡県吉原市田中新田一八〇番地先国道一号線を沼津方面から静岡方面に向け進行中、対向進行してきた訴外真野康雄(以下、康雄という。)の運転する大型貨物自動車(日野六三年式)静一う六一八号(以下、被告車という。)と正面衝突し、五郎および六郎がともに頭蓋骨粉砕骨折により即時、同所において死亡し、原告車が破損した。

(二)  (責任原因)

1 被告は、自動車運送事業を営む株式会社であるが、被告は、被告車を所有して自己のためにそれを運行の用に供していた。

2 被告の従業員康雄は、右業務に従事中、後記過失により本件事故を惹起したものである。

3 康雄の過失は次のとおりである。

康雄は、被告車を運転して静岡方面から沼津方面に向け時速約五〇キロメートルで進行し、先行車を追い越そうとして対向進行してくる原告車の進路に進入して原告車と衝突したものであるから、車両通行帯の通行区分違反の過失がある。

仮にそうでないとしても、本件事故現場は幅員約九メートルの平担かつ直線のアスフアルト舗装道路であるが、現場付近の道路中央部分には電話の地下ケーブルが配線されたマンホールがあり、事故当時、同所付近の舗装工事が行われ、それに伴う右マンホールの嵩上げ工事のため夜間赤ランプが点灯し、右マンホールの沼津寄り十数メートルの地点にはA型の道路標識が置かれていた。康雄は、右標識の置かれている地点で道路左側部分に待機していた原告車のライトを少なくとも約二〇〇メートル前方で発見できるはずであるのにかかわらず、それに気付かずに進行し、約五〇メートルの至近距離に至るまで発見し得ずに原告車と衝突したものであるから、前方不注視の過失がある。

(三)  (結論)

したがつて、被告は、原告後藤運送株式会社(以下、原告会社という。)に対しては民法七一五条により、原告佐藤茂吉、同佐藤ヨシ、同藤原アキに対してはいずれも自賠法三条によりそれぞれその損害を賠償する責任がある。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因第一項について

認める。

2  同第二項1について

認める。

3  同第二項2について

康雄に過失があることは争う。その余の事実は認める。

4  同第二項3について

本件事故現場が幅員約九メートルの平担かつ直線のアスフアルト舗装道路であることは認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁

(一)  (運転者たる康雄の無過失)

康雄は、被告車を運転して前記国道の左側部分を時速四五ないし五〇キロメートルで静岡方面から沼津方面に向い進行し、本件事故現場手前約五〇メートルの地点に差し掛つたところ、前方に道路中心から右側に寄つて接近して来る原告車を発見し、危険を感じライトを点滅するとともに二回程警音器を吹鳴して原告車の運転者五郎の注意を喚起したが、五郎は、居眠り運転をしていてこれに気付かず、なおも右に寄つて被告車の進路に進入してくる気配であつたので、康雄は、急制動の措置を講ずると共に、原告車との正面衝突を避けるため右にハンドルを切つて避譲したが、至近距離のところ原告車が被告車の進路に闖入してきたため停車寸前に衝突したものである。一般に自動車運転者としては対向車もまた正常運転して来るものと信頼するのが当然で、対向車が右側に寄つて運転して来てもライトを点滅するとかクラクションを吹鳴する等して相手方に警告を与えれば対向車において進路を正常にもどし、しかして安全にすれ違うものと考えるのが通常であるから、康雄がライトを点滅し、警音器を吹鳴して対向車の注意を促した以上、なお居眠り運転の対向車が自己の進路に闖入してくることまで予見してそれに対応する運転をしなければならない注意義務はないというべく、また現実に自己の進路に進入してくるのを認めるや、康雄はただちに急制動の措置を講ずるとともにハンドルを右に切つて事故の発生を回避すべき義務を果しているから、康雄には本件事故発生について何らの過失もない。ちなみに、康雄がハンドルを右に切つたのは、被告車はいわゆる右ハンドルであるが、対向車が自己の方に向け接近してくれば運転者としては身の安全を図るためこれをよけようとする防衛本能が働き、右にハンドルを切るのは一種の条件反射とも目すべきものであるからむしろ自然の形と解すべきである。

(二)  (運行供用者たる被告の無過失)

被告は、優秀な運転手に対しては表彰するなどして被用運転手の安全運転管理に努め、被告車の運転者康雄も、事故前だけで無事故および準無事故表彰を各一回を連続して受けており、被告の本社に所属する大型二種運転免許保有運転手七十余名中でも最も優秀な運転手に属し、運転技術も抜群である。したがつて、被告は、被告車の運行に関し注意を怠らなかつたものである。

(三)  (被害者ないし第三者たる五郎の過失)

本件事故は、五郎が、折柄時候もよくまた時間的に一番睡魔に襲われるときであり、しかも前日来の過労と睡眠不足から、仮睡しながら原告車を運転し、道路中央線を突破して被告の進路に闖入したため発生したものである。現に、事故当日の朝日新聞夕刊は「居眠り二人死亡」という大見出しで本件事故の状況を報じている。

(四)  (被告車の構造、機能の無欠陥)

被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

(五)  (結論)

以上のとおりであるから、被告は、自賠法三条但書により免責される。このことは、康雄が五郎、六郎の死亡、被告車に同乗していた訴外真野昭光(以下昭光という。)の傷害という大事故のため業務上過失致死傷の被疑者として警察、検察庁で厳重な取調べを受けたのに「嫌疑不十分」で不起訴処分になつたことや、五郎、六郎の遺族に対する自賠責保険給付が被害者の全面過失の場合にのみ適用される八〇%の制限給付であつたことに徴しても明らかである。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁第一項について

被告車が右ハンドルであつたことは認めるが、康雄が本件事故現場手前約五〇メートルの地点で前方に原告車を発見したこと、ライトを点滅しかつ警音器を吹鳴して原告車の注意を促したこと、五郎が居眠り運転したこと、原告車が被告車の進路に進入したことは否認する。康雄が原告車を発見したのは、前記のとおり原・被告車の距離が約五〇メートルに至つてであり、しかして、両車は時速約五-六〇キロメートルで進行していたから、僅か二秒程の間に康雄がライトを点滅したり警音器を吹鳴したりできるはずがない。康雄がハンドルを右に切つた心理に関する被告の主張は争う。

2  同第二項について

不知

3  同第三項について

被告主張の如き朝日新聞の報道があつたことは認めるが、その余の事実は否認する。右新聞報道は、記者の独自の判断に基づくものにすぎない。また五郎が原告車を居眠り運転していたというは被告の推測にすぎず、事実、五郎と六郎は、本件事故直前、事故現場より沼津寄りに約一六〇〇メートルのところにある同県富士市東柏原一の二三一所在丸善石油代理店植松商店において給油し、菓子を求めて食するなど、休憩の後出発しているのであつて、休養後僅か二分足らずの時間において居眠り運転するとは到底考えられない。なお、五郎および六郎は前日休養を十分とつていた。

4  同第四項について

不知

5  同第五項について

康雄が本件事故の刑事責任について嫌疑不十分で不起訴処分になつたことは認めるが、被告の免責の主張は争う。嫌疑不十分の裁定がなされたのは、吉原警察署が本件事故原因の捜査に際して初動捜査が遅れたこと、写真の撮影に失敗したこと、目撃証人などの捜査をしなかつたことなどによつて十分の成果を上げ得ず、結局、康雄の供述のみに頼らざるを得なかつたことに基づくものである。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因第一、第二項の事実については、康雄の過失の点を除き、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、康雄の過失の有無につき被告の免責の抗弁中のその点に対する判断をも合わせて検討することにする。

1  本件事故現場の道路・交通の状況

本件事故現場が幅員約九メートルの平坦かつ直線のアスフアルト舗装道路であることは当事者間に争いなく、証人藤家茂の証言ならびに原本の存在および成立に争いない甲第五号証の一・五ないし七、第一三号証の五・六、乙第一号証の三、第四号証、現場の写真であることに争いない甲第一二号証の一ないし六によれば、事故当時の現場およびその付近の道路・交通の状況は次のとおりである。

右道路には歩、車道の区別がなく、センターラインは設置されていない。道路の両外側にはともに幅数十センチメートルの無蓋の側溝がある。道路の北側、つまり被告車の進路左側は、人家が切れ、道路面より数十センチメートル下つて畑になつており、南側、つまり原告車の進路の左側は、道路に沿つて人家が建ち並んでいる。

天候は晴で、道路は乾燥しており、交通は閑散で、静岡方面に向つて道路の左側部分(以下、下り線という。)には原告車のほかに車はなく、沼津方面に向つて道路の左側部分(以下、上り線という。)にも被告車の前後には車はなかつた。

事故現場付近においては、数日来、日本電信電話公社がマンホールを路面に合わせる工事をしていたが、その工事も夜間は行なわれず、交通規制の標識も撤去されていて交通に支障をきたすようなものは道路上に置かれていなかつた。

右認定に反する甲第一〇号証の一ないし四、は採用できず、甲第五号証の六も右認定を覆すに足りない。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原、被告車の型式、寸法

原告車がいすず六四年式普通貨物自動車であり、被告車が日野六三年式大型貨物自動車であること、被告車がいわゆる右ハンドルであることについては当事者間に争いなく、原告ら主張の写真であることに争いない甲第六号証の一ないし六、第七号証の一・二、第八号証、事故車の写真であることに争いない甲第一一号証の一ないし九、成立に争いない甲第一五、第一六号証、乙第二号証の二、原本の存在・成立とも争いない乙第一号証の四ないし八によれば、原告車は二トン積みのキヤブオーバ、トラツクいすずニユーエルフであり、その車両全幅員は一・九九〇(この項における数字の単位はとくにことわらないかぎりメートルである。)、前輪の輪距は一・三八五、後輪のそれは一・三九五、ラジエーターグリルの地上高は約〇・八で運転席は運転台の進行方向に向つて右側にある。被告車は八トン積みのキヤブオーバ、トラツクTH型であり、その車両全幅員二・四九〇、前輪の輪距二・〇〇、後輪は、複輪で輪距は一・七七〇、フレーム上端の地上高は〇・八六、バンパー上端の地上高もそれにほぼ同じであることが認められる。

3  原、被告車の衝突前の行動

前記甲第五号証の一、原本の存在および成立に争いない甲第五号証の二、四、成立に争いない甲第一三号証の三・四、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一三号証の一によれば、五郎と六郎は、約一〇〇キログラムの機械部品を大阪まで運搬すべく、右部品を原告車後部荷台に積載して昭和四〇年三月二七日午後一〇時三〇分ごろ、五郎が原告車を運転し、交替運転手である六郎が運転助手として助手席に同乗して東京都港区にある原告会社を出発し、静岡県富士市東柏原一丁目二三一番地丸善石油代理店植松商店に立寄つて給油をすませたうえ菓子を買求め、引続き五郎が運転を担当して同所から約一六〇〇メートル西進して本件事故現場に達したものであり、他方、康雄と昭光は静岡県沼津市にある被告の本社に帰るべく、同日午後八時ごろ、昭光が被告車を運転して被告の名古屋営業所を出発し、途中、被告の静岡営業所で積荷を降ろし、そこからは康雄が被告車を運転して同月二八日午前〇時四〇分ごろ同所を立つて東進し、本件事故現場に到達したものであることを認めることができる。

4  事故直後の原、被告車の破損状況等

前掲甲第五号証の五・六、第六号証の一ないし六、第七号証の一、二、第八号証、第一一号証の一ないし四、乙第一号証の一・三・四ないし八、第二号証の二によれば、次の事実が認められる。

原告車は、同県富士市田中町一八二番地小川哲考方前の道路をへだてて前記畑の道路際にあるコンクリート電柱を基点としてほぼ西南西に約九・二メートル、道路北側線から垂線を下して約三・六メートルの上り線内に前部左角部があつて、前部をおおよそ南南東に向け、道路方向を基軸にして左まわりに六-七〇度の角度で停止しており、停車地点の東約二メートルのところから、東方に道路北側線とは約三・八メートルの間隔で平行に、原告車のものと認められる長さ約一〇・四メートルの一条の薄いスリツプ痕が道路面に印象されている。他方、被告車は、前部左角部が原告車の前面数十センチメートルの道路ほぼ中央に、右角部が下り線内にあつて、道路方向を軸として西南西方向に一三-四度の角度で停止し、後車輪から同方向に約一・五メートルの地点を終点として、道路方向を軸に約三度の角度で西方に被告車のものと認められる一二・二メートルのスリツプ痕二条が道路面に印象されている。

そして、原告車は、前部が全般的に数十センチメートル凹損し、ラジエーターグリルから右上部に向つての破損はとくにひどく原形を止めない状態であり、運転台そのものが全体として歪んでいる。これに対し、被告車は、フロントガラスが割れ、前部左下のバンパー、前照燈、フエンダーがへこみ、そこのフレームが後ろに曲つている。

また前記コンクリート電柱から西南西方向に約一〇・二五メートル、道路北側線から垂線を下して約四・三メートルの、原告車の右前部と被告車の前部左角部の間の道路上には、原、被告両車から落ちた塵埃、ガラスなどの破片などが散乱している。

以上の事実が認められる、もつとも、原告車の停止地点東の道路面に印象されていたスリツプ痕については甲第五号証の五、乙第一号証の一にそれが原告車によるものであるかどうか不明である旨の記載があるが、前掲甲第五号証の四・六によれば、右道路は昼夜を分たず交通の輻輳する幹線道路であることが認められるから、このような道路においては、スリツプ痕は比較的早期に抹消されるか、少なくともスリツプ痕上に後続車両の踏跡などが印象されていると思われるところ、右スリツプ痕は、痕跡の程度が薄いというだけで他にそのような形跡を窺わせるものは認められないし、右スリツプ痕と原告車との前記位置および距離関係などに照らすと、右記載はいまだ前記認定を左右するに足らず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  原、被告車の衝突地点および衝突時の状況

前に認定した事実に、証人真野康雄の証言(後記信用しない部分を除く。)および前掲甲第五号証の一、乙第一号証の一ならびに鑑定人樋口健治の鑑定の結果を総合すると、原、被告車の衝突地点および衝突時の状況は次のように推認される。

五郎は、原告車を運転して道路中央部分を時速四-五〇キロメートルで道路側線とほぼ平行して、つまり真直ぐに静岡方面に向つて進行し、康雄は、被告車を運転して上り線を道路の中央寄りに時速約五〇キロメートルで沼津方面に向つて進行していた。康雄は、五〇メートル以上前方に対向してくる原告車を発見したが、両車の間が約五〇メートルになつても原告車が道路中央部分を走行して接近してくるのを認め、衝突の危険を感じ、ブレーキを踏み前照燈の照射方向を上下に数回切り換えるとともに警音器を吹鳴して原告車の注意を喚起した。しかし、被告車は道路中央寄りに約三度の角度で約一二・二メートルスリツプして進行したため下り線内に進入し、正面衝突の危険を生じた。原、被告車間の距離が十数メートルとなるに至つて康雄は、衝突を避けようとして咄嗟にブレーキをゆるめ同時に右に約一〇度ハンドルを切つたが、その直後、道路のほぼ中央で、被告車の左前照燈やや右下のバンパーと原告車の前部中央のラジエータグリル付近が衝突した。両車は、互いにくい込むようになりながら接触部位を原告車は前部右半分を左から右に、被告者は前記バンパー部分から左前照燈、左フエンダー下部に移動させ、原告車は右接触部位を基点のようにして後部を六-七〇度左まわりに回転し、被告車は前部をわずかに右に移動させてそれぞれ停止した。

被告は、五郎が原告車を居眠り運転して被告車の進路に進入させたものである旨主張し、証人真野康雄の証言、甲第五号証の一、乙第一号証の一、第二号証の一・二にはこれに符合する供述ないし記載があるが、前に認定した事実、なかんずく原告車によるスリツプ痕が道路面に印象されていた事実に鑑み、右供述ないし記載は採用できないし(ちなみに、原告車が、夜間、センターラインが設置されておらず進路には人家が建ち並び道路左側部分の幅員が四、五メートルで交通が閑散であつた道路の中央部分を走行したこと自体を異常な運転態度として責めることはできない。)、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

6  康雄の過失

右事実によれば、被告車の進路左側には、制動当初一-二メートルの転進の余地があつたのであるから、康雄は、やや左に転進しながらブレーキを掛ければ、仮に原告車がそのまま道路中央部を進行したとしても、それとの接触を避け得たものと思われ、また中央寄りにスリツプをはじめた直後にブレーキをゆるめ直ちにハンドルを左に切つていれば、ここにおいても原告車との衝突を十分回避できたものと考えられる。それにもかかわらず康雄が漫然とブレーキを掛け道路中央寄りに被告車を進出させて下り線内に進入し、しかも原、被告車間の距離が十数メートルになるに至つてブレーキをゆるめるとともにハンドルをさらに右に切つたのは、被告車の進路の判断を誤まり適切な運転操作を怠つたものというべく、したがつて康雄には本件事故の発生について過失があるといわなければならない。

被告は、一般に自動車運転者は対向車が右に寄つて来た場合にはそれに対し警告を与えればよく、自己の進路に闖入してくることまで予想して運転しなければならない注意義務はないというべきところ、康雄は、右に寄つて対向してくる原告車に前照燈を点滅し、警音器を吹鳴して原告車の注意を喚起したのであるから、康雄には過失はない旨主張するが、前記のとおり康雄は道路中央部分を対向接近してくる原告車を認めながら被告車を却つて道路中央に寄せて進行させたものであるから、右主張は採用のかぎりでない。なお、康雄が本件事故の刑事責任について嫌疑不十分で不起訴になつたことは当事者間に争いなく、自賠責保険給付が八〇%に制限されたことは原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなされるところであるが、それらにおける判断の資料が当裁判所のそれと異なることは弁論の全趣旨により明らかであるから、かかる事実も康雄の過失に関する右判示を左右するに足るものではない。

三  被告の責任

以上のとおり、被告の従業員で被告車の運転者たる康雄には本件事故の発生について過失があるから、被告の免責の抗弁はその余の点を判断するまでもなく理由がなく、したがつて、被告は、原告会社に対しては康雄の使用者として、また原告佐藤茂吉、同佐藤ヨシ、同藤原アキに対しては被告車の運行供用者としてそれぞれその損害を賠償する義務がある。

四  過失相殺

損害賠償義務者が被害者側に過失ある事実を主張した場合には、賠償額を算定するにあたつてこれを斟酌すべきことを主張しなくても、裁判所はこれを斟酌できると解されるところ、原告車の運転者たる五郎には、前記のとおり、被告車の警告にもかかわらずわずかにブレーキをかけたのみで左側に転進の余地を残しながら漫然と道路中央部分を進行した過失があり、右過失は本件事故発生の一原因をなすものというべきであるから、五郎および五郎と同じく原告会社の従業員であり運転助手として助手席に同乗していた六郎の各賠償額の算定にあたつて斟酌されなければならない。そして、五郎の右過失と康雄の前記過失を対比すると、その割合はおよそ七対三と認めるのが相当である。

五  結論

よつて、原告らの本訴請求原因は、数額の確定は別とし、右に示した限度において理由があるから主文のとおり判決する。

(裁判官 倉田卓次 福永政彦 並木茂)

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