東京地方裁判所 昭和42年(ワ)2699号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、訴外Oが婦人生活社の編集部員であつて、昭和四一年四月頃被告会社の社会部皇室担当記者であつた被告Hに対して天皇に関する書物の執筆をすすめたこと、同被告が同年七月頃Oより再度勧誘を受けてその意を決し、夏休みを利用して書き上げることとし、七月末から執筆にとりかかつたことは、当事者間に争いがない。
二、原告は、被告HがOに対して、その著作物につき原告会社と出版に関する契約を締結する代理権を与えたと主張する。
まず、証人O、Cの各証言を総合すれば、次の事実が認められる。
Oは、昭和四〇年夏ないし秋の頃、原告会社と縁故がありまたOの知人であつたMの仲介で原告会社の専務取締役Kおよび編集長Cに会い、両名より、これから原告会社が出版事業を行なつてゆくについて良い企画があつたら斡旋してほしいとの依頼を受けた。そこで、この依頼に応じて、原告会社に対し訴外Kの著作した「女性への愛のカルテ」と題する著作物の出版を斡旋し、その謝礼としてプロモート料の名目で金一〇万円を原告会社から受け取つた。Oは昭和四一年七月頃前記依頼に応ずる趣旨で本件著作物出版の企画を原告会社に持ち込んだ。原告会社は同年八月下旬Oからその原稿のうち最初の部分約一〇〇枚を見せられ、これを読んだだけで出版を決意し、同年八月三一日Oに対して本件著作物の原稿が未完成でまだ全部の引渡しを受けておらず、しかも、著作者の氏名もまだ知らされていないにもかかわらず、プロモート料として金一五万円を支払つた。
また、証人Oの証言および被告H本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。
Oは被告Hが雑誌「婦人生活」に前後約一〇回にわたり皇室に関する記事を寄稿したことから一〇数年来の知合いであり、同被告に対して天皇に関する単行本の著述を勧めた際、出版社を選択して出版を斡旋しようと申し入れ、その了承を得た。もともと、Oはその斡旋をすることによつて出版社および著作者の双方から手数料をもらおうと思つていたのであり、被告Hが書き上げた原稿約五五〇枚を原告会社に引き渡した時期においても、まだ被告Hに出版社の名称すら告げていなかつた。
以上に認定した事実からすれば、Oは出版社たる原告会社と著作者たる被告Hとの間を仲介して本件著作物の出版を斡旋するものであつて、被告Hから出版に関する代理権を与えられたものではないとみるのが相当である。
もつとも、証人Cの証言によれば、同人はOから、本件著作物の出版についてその著作者から全部任されているから絶対大丈夫である旨を告げられた事実を認めることができる。しかしながら、さきに認定したOの立場を考えるとき、Oのこの発言は、同人の斡旋する出版社であれば、著作者は必ずそれと出版の契約を締結するであろうと保証する趣旨のものと理解するのが相当である。
三、また、原告はOとの間に原告主張の出版契約が締結されたと主張し、証人C、Oの各証言を総合すれば、昭和四一年九月一六日前後に、同人等の間において本件著作物の定価、発行部数、版型、体裁、印税の額および支払方法等に関して話合いが行われた事実を認めることができる。しかしながら、同人等の証言によれば、当時本件著作物の原稿は出来上つておらず、Oが被告Hから残りの原稿約四五〇枚を受け取つたのが同月二五日頃であり、OがCにこれを渡したのが同月末日頃であつたことが明らかである。このこととさきに認定した事実特にOが仲介人の立場にあつたことを考えあわせると、前記の話合は将来原告会社と被告Hとの間において締結されるべき契約の内容を予め協議することにより、その契約の成立を円滑ならしめようとしたものにすぎなかつたと認めるのが相当である。
四 してみれば、Oを代理人として被告Hと原告会社との間に本件著作物の出版に関する契約が成立したとする原告の主張は、これを容認するわけにはいかない。したがつて、それを前提とする原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから棄却……。(古関敏正 水田耕一 牧野利秋)