東京地方裁判所 昭和42年(ワ)4032号 判決
原告
X1・X2・X3
代理人
中村亀雄
外一名
被告
Y
代理人
江口保夫
外四名
第一、主文
一、被告は原告X1に対し金二九三、四〇〇円およびこれに対する昭和四二年五月二日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二、原告X1のその余の請求、原告X2、同X3の全請求を棄却する。
三、訴訟費用は原告X2・X3の請求については全部原告X2・X3の負担とし、原告X1の請求についてはこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告X1の負担とする。
四、この判決一項はかりに執行することができる。
第二、本訴請求の趣旨
被告は
原告X1に対して金四、八八〇、〇〇〇円、
原告X2に対して金四〇〇、〇〇〇円、
原告X3に対して金一〇〇、〇〇〇円、および右それぞれに対する訴状送達の翌日である昭和四二年五月二日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。との判決ならびに仮執行宣言
第三、争いない事実
一、傷害自動車事故発生
とき 昭和四〇年一〇月二二日午後四時頃
ところ 東京都大田区雪谷町一先交差点
事故車 軽四輪乗用車マツダキヤロル八品川う六七四号
運転者 被告、昭和二一年ニ月三日生
受傷者 原告X1(軽三輪貨物自動車マツダ、三横浜す四〇一号運転中)、大正八年二月七日生
態様 原告車に事故車が追突、ために原告X1が受傷した。
二、責任原因
被告は本件事故を運行の用に供する者である。
三、損害の填補 計六七五、〇〇〇円
原告X1は強制保険六四〇、〇〇〇円のほか、被告から金三五、〇〇〇円の支払を受け、いずれも本件事故による損害に填補した。
四、身分関係
原告X2は受傷者X1の妻、原告X3はその両名の長男である。
第四、争点
一、原告らの主張
(一) 責任原因
本件事故は、原告X1が停止信号待ちで停車したところ、前方注視を欠いた被告の過失により追突、発生したもので、被告は物損につき民法七〇九条により、人損につき、自賠法三条により、本件事故により生じた原告らの損害を賠償しなければならない。
(二) 原告X1の損害
1 傷害の内容
頸椎捻挫・外傷性頸髄症、また視力・聴力がいちじるしく減退し、労働災害補償保険法所定の障害等級九級一号に該当する後遺症を残している。
2 損害の数額
(イ) 逸失利益 計金四、九八〇、〇〇〇円
事故前鶏肉仲介業を営み、月平均六万円の収入があつたところ、本件事故により視力が減退し、右業務に必須な自動車運転が不可能となつたため、右業務を廃せざるを得なくなり、事故時から七カ月間収入皆無となつたので昭和四一年六月三日より川崎市から月平均二万二千円の生活保護ならびに医療保護を受ける身となつた。
事故後約七カ月間は収入皆無であつたから四二〇、〇〇〇円の収入損となる。
また昭和四一年六月当時四七才であつたからその約二四年を下らない平均余命があり、少なくとも二〇年間は就労可能だつた筈であり、本件事故なかりせば月平均六万円の収入があつた筈であるから、生活保護による収入月平均二二、〇〇〇円を差引き、月三八、〇〇〇円あての収入減となり、その逸失利益の減価の総計をホフマン式計算(年五分)により算出すると四、五六〇、〇〇〇円となる。
(ロ) 医療関係費
A、洗足池病院 七〇、〇〇〇円
B、大脇病院 五〇、〇〇〇円
C、辻沢眼科医院 五、〇〇〇円
D、関東労災・東京労災・内田耳鼻科医院 五、〇〇〇円
E、付添婦料 一一、〇〇〇円
洗足池病院一日七〇〇円、一四日間と交通費二、〇〇〇円の合計額
(ハ) 慰藉料 金八〇〇、〇〇〇円
原告は洗足池病院に入院二一日、通院一四日、引きつづいて大脇病院に一六日入院、十日間通院したほか、辻沢眼科医院、内田耳鼻科医院、東横第三病院などに通院して治療を受けるも、はかばかしくなく、頭痛、健忘症、吐気、耳鳴り、精神的不安、焦操感、不眠になやまされている。そして視力は減退する一方で、両眼とも現在0.5以下となつて矯正不能となり、せつかく順調にすべりだした家業を廃業さざるを得なくなり、その心身の苦痛の程度を考慮しなければならない。
(ニ) 車損 金二二、〇〇〇円
本件事故により視力が減退し、自動車運転が不可能となつたので売却せざるを得ず、事故当時二五、〇〇〇円と評価されたものが昭和四二年三月売却した時は二、五〇〇円であつたから、その差額二二、〇〇〇円が本件事故による損害となる。
(三) 原告X2の損害慰藉料金四〇〇、〇〇〇円
夫である原告X1の不慮の事故により、生涯附添つて介抱と慰撫にあけくれ、しかも子どもをかかえて一家の柱として生計を負つてゆかなければならなくなつた。その苦痛を思うとき右金員が相当である。
(四) 原告X3の損害慰藉料金一〇〇、〇〇〇円
本件受傷により、かけがえのない父親を失つたと同然な、その苦痛を思うとき右金員が相当である。
二、被告の主張
(一) 損害について
原告の主張は過大である。本件追突による事故車の破損部分はフロント・ボンネット前方部分約三センチ平方にすぎず、修理代金も一、〇〇〇円程度であつたから、いわば軽い接触程度であつて、その直後約六〇〇メートル原告車を運転し徒歩で洗足池病院に出向いているもので原告主張のような労働能力喪失にいたるような症状が発現するものとは到底認められない。かりに視力減退などの症状があるとしても心因性にもとずくものであり、本件事故との因果関係が疑われる、そして原告は自発的な意思で廃業したもので逸失利益の主張も当を得ないものである。
(二)被告の弁済
医療関係費について被告は左のとおり弁済ずみである。
1洗足池病院 六三、二九〇円
2大脇病院 四八、四〇〇円
第五、争点に対する判断
一、責任原因
原告ら主張のとおり認められる。<第四の一の(一))
《証拠》
二、原告X1の損害
(一) 傷害
頸椎捻挫、外傷性頸髄症
(二) 損害の数額
左の限度で認定できる。
(イ) 逸失利益 金一、〇〇〇円
事故当時、鶏肉仲介業を営み、月平均六万円の収入があつたところ、本件事故受傷により、事故時から一カ年間休業をやむなくされ、その間右平均の月収を失つた。しかしながら八カ月目から月平均二万二千円の生活保護による給付を受けていることは原告の自陳するところであり、これを差引くと、あとの五カ月月三万八千円の休業損となる。そうすると、計右金額となる。
(ロ) 医療関係費計五八、四〇〇円
大脇病院 四八、四〇〇円、
辻沢眼科・労災病院・内田医院 一〇、〇〇〇円
(ハ) 慰藉料 三〇〇、〇〇〇円
洗足池病院に受傷日から翌月一一日まで二一日間、大脇病院に同年一一月二六日から翌月一日まで一六日間各入院、その後右病院のほか辻沢眼科医院・内田耳鼻科医院・東横第三病院などに二年余にわたつて通院して治療ならびに検査経過観察を要した点を考慮した。
《証拠》
原告は障害等級九級一号に該当する後遺症が存在すると主張し、視力・聴力の減退による将来にわたる逸失利益を主張しており、その主張にそうかにみえる《証拠》(東京労災病院A医師作成の意見書、原告X1本人によりその成立が認められる)の記載があるが、前掲各鑑定嘱託の結果によると、俄かに採用しがたく、原告の症状は、事故後、二次的にひきおこされた神経症状との疑いが十分認められる。従つて右認定をこえる逸失利益、慰藉料は肯定できない。また右をこえる医療関係費については得心させる立証がなく、車両損害についても、《証拠》のみを以てしては本件事故による損害としてにわかに認定しがたいものである。
(三) 未済損害額 二九三、四〇〇円
そうすると本件事故による損害は合計九六八、四〇〇円となり、これから争いない填補額六七五、〇〇〇円を差引くと、なお被告に請求できる未済額は右のとおりとなる。
三、原告X2・X3
本件受傷の程度では妻・子の近親者としての慰藉料請求権はいまだ発生しないものというべく、認められない。
四、被告の弁済の主張忙ついて
立証がなく認定しがたい。
五、結論
そうすると本訴請求は原告X1につき、主文の限度で認容すべきである。
訴訟費用につき民訴法第八九条・九二条・九三条を、仮執行宣言につき同第一九六条を適用した。 (舟本信光)
<参考> 鑑定書(編注、原文は横書き)
X1
Y
上記、当事者間の貴裁判所、昭和四二年(ワ)第四〇三二号損害賠償事件に関する原告の頸椎捻挫及外傷頸椎症の有無、程度及びその原因(特に詐称検査法による)について鑑定を委託された結果につき、下記の如く報告する。
記
X1
病名 外傷後神経症の疑い
主訴 頭痛及視力減退
一、整形外科学的診察及検査について
類椎捻挫及外傷性頸椎症の有無及び程度については、整形外科的診察や検査を先行すべきであるが、本例の受傷後の経過(すでに昭和四〇年一〇月以後四年間を経ている)の慢性と、大脇病院(昭和四〇年一一月二九日)、東横第三病院整形外科(昭和四二年一月)による頸椎レ線写所見などから改めて整形外科的診断を依頼しなかつた。何故ならば外傷性頚椎症のこの種の慢性例では、確実な整形外科的所見は把握し難い場合が多く、むしろ精神神経学的診断の対象となることが多いからである。おそらくそれ故にこそ直接精神科による鑑定が依頼されたものと考える。しかし、もし必要と判断されるならば、頸椎捻挫及外傷性頸椎症について整形外科による鑑定を改めて依頼すべきであり、当方は主として詐称乃至詐病、外傷後神経症状態の精神科学的診断に重点をおいた。
二、神経学的診察及検査
イ、神経学的診察では軽度の左半身知覚鈍麻がみられるが、一般に心因性乃至神経症性(ヒステリー性)に生じうるもので、その他に特記すべき他覚的所見は認められない。検査時暗示性に富み、しかも不安定である。
ロ、脳波、超音波診断、頭部レ綿撮影では特記すべき所見は認められない。
ハ、上記の主訴の原因となるような頸部外傷性の器質的障害は認め難い。
三、精神科学的診察及検査
イ、精神科学的診察によれば
(イ) 主訴及び記銘力減退、計算力減退、全身倦怠感、易疲労感などがしきりに訴えられ、同時に自信欠乏、勤労意欲減退などの精神状態がみられ、心気・神経衰弱様の状態にあると判断される。
(ロ) それと同時にこれらの訴えがかなり誇大的、演劇的色彩によつて心因性(特にヒステリー性)に加工され、交通事故後の賠償問題、加害者との関係、裁判問題などに関する感情と結びついていて、より強調された形で訴えられるという印象が強い。
ロ、知能、作業能率、記銘力検査
(イ) 知能検査ではI・Q(知能指数)一一一で平均知上の知能を示しているが、作業能力の低下がみられる。また検査中“馬鹿になつたからわからない”“頭が痛い”などと訴え、不安を示すが、作為的に検査成績を悪くしようとする詐病的傾向はみられない。
(ロ) クレペリン精神作業検査では、作業能率が極めて低く、休憩効果も認められない。即ち、仕事に対する頑張り、持久力は障害されている。
(ハ) 記銘力、対語テストも客観的には、有関係対語優秀、無関係対語普通で特別な減退は認められないが、本人の主観としては、“わからない”“ダメ”とひどく混乱し自信がない。
以上の所見は、頭部外傷又は外傷頸、椎症後の心気、神経衰弱様状態(外傷後神経症状態)にしばしばみられるもので本人の意図的、作為的な詐病乃称傾向というよりむしろ本人の主観的な不安とヒステリーの自己暗示によるものと判断される。
ハ、質問紙法及投影法検査
(イ) コーネル、メデイカル、インデックスの深町式判別法ではⅡ領域(準正常)矢田部ギルフォード性格検査では右下り亜型で、いづれも正常範囲にあり、神経症とは診断しがたい。
(ロ) 投影法検査(ロールシャッハ検査)及び文章完成検査では、次のような精神状態が観察される。
① 不安で混乱し易い精神状態にあるが、神経症とは診断しがたい。
② 自信がなく、気が弱く、感情や不安を統制する力が弱く、しかも努力しないで積極性を放棄してしまう人格状態が示されている。
③ 現実逃避傾向が強く、依存的で勤労意欲を失つている。
ニ、調査面接
二回にわたる本人の調査面接及び一回の妻との調査面接によれば
(イ) 交通事故、加害者に対する怒り、賠償問題、受傷による症状のこと以外には社会的関心が減退している。
(ロ) 特に加害者の賠償に対する誠意のなさに強い怒りを訴え、意地になつている面も認めている。
(ハ) 事故、受傷の結果、現在のような勤労困難な状態に陥つていると信じこんでおり、全面的に加害者の責任であると考えている。
(ニ) 社会人としての独立した生活目標や人生の設計を欠き、賠償金をもらつてのんびり暮したい、早く裁判から解放されて自由になりたいと、それのみを願っている。
(ホ) しかし面接中の所見と、気分のムラ、昂奮し易さ、が目立ち、作為的、意図的に自己をコントロールしているとは考え難い。
四、まとめ
以上、その経過、大脇病院、東横第三病院入院時の所見、慈恵医大眼科の鑑定及び今回の精神科的診断などを統合すると本例は頭部外傷又は外傷性頸椎症による器質的障害のみによるとは診断し難い。
一般にこれらの症状は、その初期においては受傷による外傷性の器質的損瘍にもとづくものであつても、心因(心的状況)によつて増強し、固執的になる可能性があり、特に交通事故後の加害者との感情のもつれ、賠償問題などとからみ合つて、慢性化する場合があり、精神医学的にはこの機序を心因的加重(Psychogenic overlay)又は神経症的(ヒステリー的)加重とよぶが、本例の場合にもこの疑いが極めて濃厚である。但し、この状態は本人の意図的、作為的な詐病又は詐称とは一応区別すべきもので本人自身も自覚しない、自己暗示、主観的不安、感情のもつれなどによつて二次的にひきおこされる外傷後神経症的(ヒステリー的)状態にあると診断し得るであろう。
附記 尚、本例の精神医学的治療上、可及的速かな本裁判の終結、賠償問題の解決が極めて重要な意義をもつ事実を強調しておきたい。
昭和四四年七月一四日
慶応義塾大学医学部附属病院
(精神神経科)医師 小此木啓吾