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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7079号 判決 1973年9月26日

原告

相橋潔

<ほか五名>

右原告ら六名訴訟代理人

池留三

菅沼隆志

被告

藤代忠敬

被告

西川裕

右両名訴訟代理人

高田利広

右訴訟復代理人

小海正勝

主文

1  被告らは各自、原告相橋潔に対し金二四七万一二五四円原告相橋一範、同相橋りつ子、同相橋陽三に対しそれぞれ金一三四万七五〇二円、原告相橋晃、同相橋みに対しそれぞれ金五〇万円および右各金員に対する昭和四二年七月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

4  この判決は、各被告に対しそれぞれ、原告相橋潔において金五〇万円宛、原告相橋一範、同相橋りつ子、同相橋陽三において共同で金三〇万円宛、その余の原告らにおいて共同で金一〇万円宛の各担保を供するときは、第一項にかぎり、その被告に対し、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1(二)の被告らの地位については、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証によれば同1(一)の事実(原告らの身分関係)を認めることができる。

二陽子の本件出産の経過

1  請求原因2(事件の概要)は、被告藤代の定期診断の事実、陽子の入院時刻および分娩時の出血量の点を除いて当事者間に争いがない。

入院時刻および分娩時の出血量については、<証拠>によれば陽子は昭和四二年六月七日午後八時ころふじしろ医院に入院したものであり、分娩時の出血量は約四〇〇gであつたものと認められる。

2  <証拠>を総合すれば、陽子の本件出産の経過とふじしろ医院における措置は次のとおりであつたことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  陽子は本件妊娠にあたつて、昭和四二年一月一三日、ふじしろ医院を訪れ被告西川の診察を受けたが、右初診時の所見は、妊娠五か月、子宮腟部糜爛、ワツセルマン反応陰性、血圧一一八〜六〇であつた。以後陽子は一か月に一回位の割合で定期的に通院し、被告西川の診察を受けていたが、血圧、尿蛋白などに異常は認められず、子宮腟部糜爛の点も同年三月ころからは特記を要しない程度に寛解し、同年五月ころには児頭もほぼ固定し、まず正常な分娩を期待しうることとなつた。

(二)  陽子は、同年六月七日昼ころ、被告西川に対し産徴がある旨電話で連絡し、本件出産のための入院について打合わせたうえ、同日午後八時ころ原告潔に附添われ同医院に入院した。

(三)  右入院時に被告西川が診察したところ、陽子は全身状態には全く異常がなく、内診によれば子宮口が三ないし四センチメートル開大しており、分娩過程の約三分の一程度を経過した状態にあつたので、被告西川は、陣痛促進剤を注射すれば短時間で分娩を終わらすことができるものと判断し、浣腸を施したうえ、分娩室に移し、酸素吸入を行いつつ、同日午後八時一五分ないし二〇分ころから陣痛促進剤として五%ブドウ糖三〇〇CC+オキシトシンS五単位を注射した。

(四)  間もなく、同八時三〇分ころから初発収縮が始まり、同九時二三分ころの自然破水に引続き同九時二五分に男児(原告陽三)を分娩し、同九時四〇分に胎盤が娩出して分娩の全部を終了した。

(五)  分娩直後はほとんど出血がなかつたが、胎盤娩出後に断続的な出血が認められたので、被告西川は二〇%ブドウ糖二〇CC+カルジアゾール一アンプル、ケーワン二アンプル、スパチーム一アンプルの静脈注射を行い、腹部氷罨法を施したうえ、腟鏡その他を用いて産道を検診し、出血部位を探索したところ、頸管の右側に裂創を認めた。被告西川は右裂創は深さが三ないし四センチある相当大きな裂創であることを看取したが、前記断続的出血がこの裂創に因るものであるかどうかについて確定的所見を得ないまま、腸線(カットグット)二針、絹糸四針を用いて右裂創を縫合した。分娩時から右縫合時までの全出血量は前記のとおり約四〇〇gであつた。

(六)  右縫合を終了すると同時に断続的な出血が止んだのでそのまま被告西川は分娩室で約四〇分ないし一時間経過観察を続けたが、同一一時三〇分過ぎ血圧一〇六〜五四、体温三六度二分、脈博七二位を示度し、その後出血はなく、全身状態にも異常がないことを確認し、陽子を分娩室から二階病室に移した。なお以上の分娩経過を通じて看護助手金谷とら子および当直看護助手雲瀬晴世が被告西川を介助していた。

(七)  被告西川は陽子を病室に移してから前記雲瀬晴世に対し定期的に悪露交換をすることおよび陽子に異状があつたときは直ちに連絡することを指示して自らは同医院敷地内の自室に引き上げた。

(八)  右雲瀬晴世は、その後夜半に一回血圧および脈博を測定し、おおむね二時間に一回位悪露交換を行つたが、交換用脱脂綿に附着した血液量は、該綿三枚程度に侵誘する量であつて、概ね正常経過の産婦の浸透量と同程度であり、特に異常出血とは認められなかつた。

(九)  陽子は、翌八日午前一時ころリンゴ一個を食べ、同七時半ないし八時ころにほぼ朝食全量を食べた。同午前八時過ぎ、前記雲瀬が陽子の病室に赴いた際に、陽子が「何かあつたかいものが出てきたようだけどちよつと見て下さい。」と訴えたので、雲瀬が下腹部を調べたところ、悪露交換用の五枚重ねの脱脂綿の表面にまで滲出した出血を発見したのでそのままの状態で直ちに被告西川に急報した。

(一〇)  間もなく被告西川が陽子を診察したところ、凝血を含む相当量の出血があり、血圧は最高値七〇程度の著しい貧血症状を呈していたので直ちに同被告はメテルギン二アンプル、二〇%ブドウ糖二〇CC五本+セシラニッド一アンプルを静脈注射した。同被告は陽子の右症状から重症にあると判断し、同医院の院長である被告藤代に事態を報告するとともに附近の産婦人科医に応援を求め、さらにフイブリノーゲン一g、マクロデックス五〇〇mlを点滴静注した。

同八時三〇分ころ、原告潔が来院し、そのころ、原告潔、被告西川の妻、助産婦磯谷よりそれぞれ二〇〇CC、一〇〇CC、八〇CCの血液を採取して直ちに陽子に輸血し、プラスマネート五%一〇〇ml三本を補液し、さらに保存血液八〇〇CCを輸血した。同時に止血処置として子宮収縮剤、血液凝固剤を注射し、心臓保護と輸液のため種々の薬剤の注射をした。

そして、応援にかけつけた附近の産婦人科医師郡某の協力を得て午前九時ころ酸素吸入を行つたうえ、子宮頸および腟内を滅菌ガーゼで固く充填する止血法である強腟タンポンの処置を行い、酸素人工呼吸を施した。これら一連の処置には被告らの主張1(五)掲記の各薬剤を用いた。

(一一)  右一連の処置によつても陽子の血圧同日午前八時過ぎに出血をみて以後最高値七〇より上昇せず、同日午前一一時三〇分陽子は同医院で死亡した。

三陽子の死因

<証拠>によれば、右斉藤が実施した陽子の死体解剖に際し、次の所見が得られたことが認められる。

(一)  頭皮、顔面部、頸部、胸腹部、上肢、下肢等をはじめ全身の皮膚の色は一般に蒼白であり、口腔、咽頭、食道、喉頭等の粘膜もおおむね蒼白であるなど皮膚および粘膜の色が蒼白で貧血性であること。

(二)  項部、背部、上腕後側、大腿後側、下腿上半部後側等に暗紫赤色の死斑が見られるが、その発現程度は弱いこと。

(三)  心臓、肺臓、肝臓、腎臓などの諸臓器の含有血量が少いこと。

(四)  右(一)ないし(三)の所見はいずれも失血死体に顕著に見られる所見であること。

(五)  子宮頸腟部右側から腟円蓋部右側にわたる部分に左右径3.5センチメートルの裂創が存在し、左端部は子宮頸管内に達し、右半部は後腹膜右側に穿孔しており、右裂創内には暗赤色軟凝性血液が充満していること。

(六)  右後腹膜に存する穿孔部に連なる後腹膜組織間(主として右側)に手掌面大の極めて厚層の暗赤色の出血が存在していること。

(七)  子宮腔内および腟内にいずれも暗赤色軟凝性血液中等量の貯溜が認められること。

(八)  頭部、頸部、胸腹部、背部、腸、胸腔および腹腔内の諸臓器等にいずれも損傷異状はなく、前記子宮頸腟部右側から腟円蓋部右側にわたる部分に存する裂創以外には他に死因となるべき損傷病変は認められないこと。

以上(一)ないし(八)の事実に、前記二で認定した陽子の出産の経過をあわせ考えると、陽子の死因は主として子宮頸腟部および腟円蓋部の破裂による失血であり、右破裂は分娩の際胎児の通過により惹起されたものと推認することができる。

もつとも、被告らは陽子の死因は分娩から約一一時間後に発生した子宮弛緩出血であると主張し、<証拠>にも、陽子の死因は右裂創による出血と遅発性の子宮弛緩出血との合併症である可能性もあると指摘する部分もあるが、右資料とても、先に陽子の死因として述べた認定判断を覆すに足りるものとは評し得ず、他に前記認定を左右するに足りる証拠は存しない。

四頸管裂創縫合後の陽子の病状に対する監視の状況

<証拠>によれば、頸管裂創縫合後の陽子の病状に対する監視の状況につき次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  被告西川は前同月七日前記頸管裂創の縫合を終了した後午後一一時三〇分ころまで約四〇分ないし一時間経過観察を続けてから、当直看護助手の雲瀬に異状があつたら直ちに連絡するように指示して医院敷地内のに引きあげたが、その後は翌八日朝、雲瀬から大出血の連絡を受けるまで自らは陽子を全く診察しておらず、他の医師も診察していないこと。

(二)  同夜の当直は右雲瀬一名であり同人は看護婦の資格を有しないいわゆる見習看護婦であつて、同医院で約三年半稼動していたものの、看護学校等で正規の教育を受けたことはなく、同医院では新生児の沐浴・体重・体温・血圧・脈博測定・悪露交換等の比較的単純な業務に従事していただけで、分娩の介助や注射等の熟練を要する任務は一切担当しておらず、陽子のような重症の頸管裂創縫合後の患者を看護した経験は全くなかつたこと。

(三)  被告西川は雲瀬に前記指示を与えた際、陽子が頸管裂創縫合後の患者であることに鑑み特に注意を払うべき点について格別の指示を与えなかつたこと。

(四)  従つて、雲瀬も約二時間に一回程度悪露交換を行い、夜半に一回血圧および脈博を測定しただけで、他の点については格別検査や観察をせず、正常出産後の産婦に対するのと同様の取扱しかしなかつたこと。

五被告らの責任

<証拠>を総合すれば、

(一)  本件の頸管裂創は、子宮旁結合織に出血が浸潤し一部後腹膜に穿孔していたという前記三掲記の解剖所見から推して、右出血や穿孔が一次的に発生したものであれ他の原因の共働により二次的に発生したものであれいずれにしてもかなり重症の頸管裂創と考えられること。

(二)  頸管裂創とは、子宮腟部から子宮頸にかけて概ね子宮頸管の側壁を縦走する裂創であるが、高度のものは上方は子宮頸管を超えて子宮体下部に達し、下方は腟壁に延長して子宮旁結合織に及び時には腹膜をも破つて腹腔に穿孔することがあること。

(三)  頸管裂創に対する適切な処置としては、まず頸部鉗子により子宮頸を牽出して裂創部を縫合し、これにより止血することであるが、分娩直後の軟産道は処々に挫滅創があつたり、子宮口唇が著しく柔軟開大変形しているので出血部位の精細な状態が把握し難いため止血に手間取つて意外な出血量をみることがありこの様な場合には速やかにガーゼで弾圧タンポンを腟内に挿入し一時的に圧迫止血を試みるか、あるいは子宮頸部を側方から止血鉗子で子宮旁結合織と共に子宮動脈を挾圧して一時的止血を試みるべきであるが、出血がやや高度の場合には一時出血が減少してもこれのみでは不十分であつて必ず縫合が必要であり、以上の処置をもつてしても止血しえない場合には、子宮摘出の措置を要する場合もあること。

(四)  後腹膜への穿孔が判明した場合あるいは強く疑われた場合には、出血が少なく自然治療の期待できる特殊例を除いては、全身状態が手術可能である限り、感染予防に留意しつつ、開腹したうえ、直接穿孔部位や出血を確認しながら縫合処置を行うべきであること。

(五)  裂創が腟円蓋部にまで達しているかどうかは分娩直後の内診ではほぼ見当がつくが、分娩の際には治療を要しない程度の挫滅創を多く生ずるため子宮口の回りにはかすり傷や裂傷等が多数存在し、出血もにじんだりするため大変見にくいものであること。

(六)  裂創が後腹膜へ穿孔しているかどうかは局所所見および腹膜症状等より診断するが、臨床症状の現われない場合にはその発見は困難であること。

(七)  後腹膜に厚層の出血があつた場合、外出血があれば悪露交換の際に発見できるものの、内出血の場合には悪露交換のみでは不明であること。

(八)  右のとおり、裂創が後腹膜に及んでいるか否か等は部位が深いので判明し難く見逃す場合が十分ありうるから、臨床的には、まず縫合により止血を試み、縫合により十分止血しないときにはさらに深部の裂傷等を疑つて出来る限り精査すべきであるが、縫合により止血すれば積極的な処置は一応打切り、その後数時間ないし半日位の間出血状況、呼吸、脈博、血圧、腹部の膨脹感の有無などの全身状態を観察し、もしこの間に何らかの出血徴候すなわち外出血の徴候としては腟からの出血増加、内出血の徴候としては外出血を伴わない貧血症状の増加、腹膜症状等の事態が疑われたならば再度局所の点検をなすべきであること。

(九)  本件程度の裂創が存する場合いには六時間ないし一二時間位は右のような監視を続けるべきであること。

(一〇)  頸管裂創による出血を伴う出産は異常出産の一種であり、分娩後の出血は極めて危険なものであつて、これによる死亡は、一九六四年における我国の統計では分娩総数の0.032%、全産婦死亡数の三五%を占めており、妊娠中毒症に次ぐ重大死因であること。

以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の各事実に前記認定の陽子の出産経過をあわせ考えると、本件は、後産終了直後に約四〇〇gの出血をみたかなり重症の頸管裂創を伴う異常出産であり、本件のような分娩後の出血は、全産婦死亡数の三五パーセントを占める極めて危険な事態であるうえ、裂創部分の縫合処置により一応止血状態に達したとしても、裂創が後腹膜に及んでいるか等裂創の深部の状態についてはその把握が困難でこれを見逃し易く完全に裂創を縫合しえないことも十分ありうるのであるから(鑑定証人織田は本件について、後腹膜組織間に極めて厚層の出血が存したという前記斉藤による解剖所見から判断して、裂創の縫合が十分でなかつた可能性があると証言している。)本件のような頸管裂創による出血に伴う異常分娩の事後措置にあたる医師としては、縫合終了後少くとも半日位は、子宮の収縮状況に注意を払いつつ裂創部分からの出血に十分留意するとともに、呼吸、脈博、体温、血圧、腹部の膨脹感の有無など患者の全身状態を親察し、もしこの間に前記した何らかの出血の徴候を看取したときは直ちに縫合した裂創部分を再度点検する等十分な監視を継続すべき注意義務があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記二、四に認定の陽子の出産の経過および頸管裂創縫合後の病状に対する監視の状況によれば、被告西川は縫合終了後約一時間にわたつて陽子の症状を観察し、縫合部分からの出血がないことを視診により一応確認したのみで、同日午後一一時三〇分ころ、異常分娩についての知識、経験ともに乏しく見習看護婦に過ぎない前記雲瀬に後事を託して引きあげ、翌朝同人からの連絡に応じてかけつけるまで一度も医師又は熟練した看護婦による回診、看護はなされなかつたばかりか、被告西川は右雲瀬に対しても、頸管裂創縫合後の患者として特に留意すべき諸点について格別注意を与えず、被告西川の補助者である同人も約二時間に一回程度悪露交換を行い、夜半に一回血圧および脈博を測定しただけで、正常出産の産婦に対するのとほぼ同様の取扱をしたにすぎないというのであるから、結局前記日時に被告西川が立ち去つた後においては、陽子に対し、頸管裂創縫合後の患者に対するものとして観察すべき前記諸点につき十分監視は行われておらず、かつ、これを可能にするような人的態勢もとられていなかつたものといわざるを得ないから、被告西川には前示注意注意義務を怠つた過失があるものと断ぜざるを得ない。

そして、陽子の死因が前記裂創による失血であることはすでに三で認定したとおりであり、<証拠>によれば、縫合終了後も少量宛の出血が子宮旁結合織に浸潤していた可能性があり、かつ、死因をなした前同月八日朝の大出血も、何の前兆もなしに突然起つたものではなく、ある程度以前からじわじわとした出血ないしは出血を疑わせる徴候の存したことが窺われるので、被告西川が前記注意義務を尽して再出血の徴候を早期に発見し、すみやかに適切な処置を講じていたならば、陽子の一命を取り止めるに妨げなかつたものと言い得べく、従つて被告西川の前記過失と陽子の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

そして、被告藤代が被告西川の使用者であることは前記のとおり当事者間に争がなく、陽子の本件死亡事故が被用者である被告西川の業務の執行中その過失により惹起されたものであることは前段認定のとおりである。

そうすると、その余の判断を用いるまでもなく、被告西川は民法第七〇九条所定の直接の不法行為者として、また被告藤代は同法第七一五条所定の使用者として被告西川と連帯して、陽子の死亡に基づく後記の損害につきいずれもその賠償責任を負担することが明らかである。

六損害

そこで、陽子の死亡による損害額について判断する。

1  逸失利益

(一)  <証拠>によれば陽子は昭和一一年一月二三日生れで死亡当時満三一才で健康な女子であつたことが認められ、厚生省第一二回生命表上満三一才の女子の平均余命が44.3年とされていることは当裁判所に顕著であるところ、<証拠>によれば、陽子は短大卒の学歴を有し、本件事故当時、ともに原告である父晃および夫潔(両名は養親子関係でもある)が中心となつて経営するメリヤス機械器具製作等を業とする合名会社三星製作所に勤務し、親族の一員として信頼されて経理事務を担当していたとが認められるから、陽子は少くとも満六〇年に達するまでの今後二九年間は引続き同社で稼働可能であつたものと推認するのが相当である。

(二)  ところで、<証拠>によれば陽子は本件死亡当時少くとも年間三六万五五二円の収入を得ていたことおよびその生活費は年間を通じ収入の四割をこえないと認められるから、両者の差額である二一万六三三一円(円未満切捨)が陽子の年間純収入というべく、この金額と前記稼働可能年数とを基礎としてホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して(二九年に対応する単利年金現価係数は17.6293)陽子の死亡時における逸失利益の現価を求めると三八一万三七六四円(円未満切捨)に上ること計数上明らかである。

(三)  一に認定のとおり原告潔は陽子の夫、原告一範はその長男、原告りつ子はその長女、原告陽三はその二男であり、原告潔本人尋問の結果によれば右四名のほかには陽子の相続人はいないことが認められるので、法定相続分に従い、原告潔は右逸失利益の三分の一に相当する一二七万一二五四円(円未満切捨)、原告一範、同りつ子、同陽三はいずれも九分の二に相当する八四万七五〇二円(円未満切捨)の請求権をそれぞれ相続により取得したことになる。

2  葬儀費用

<証拠>によれば、原告潔は陽子の死亡による葬儀費用として諸雑費を含め三〇万円を上廻る支出をしたことおよび原告潔は陽子の死亡当時合名会社三星製作所の社員であり、資本金一〇〇〇万円の株式会社三星製作所の取締役をも兼ね昭和四二年度には年収四二七万一五〇〇円を得ていたことが認められるから、原告潔の右社会的地位および生活程度ならびに前認定の陽子の年令、社会的地位等に鑑み、右のうち金二〇万円を陽子の死亡と相当因果関係にたつ損害とするのが相当である。

3  慰藉料

(一)  原告潔

原告潔は昭和三三年から八年間にわたり苦楽をともにし、その間に三子までもうけた妻である陽子を本件事故により失い(右事実は<証拠>により認める)、同時に乳児を含む三名の幼少の子をあとに残されたものであつて、夫として、また幼少の未成年の子の父としての悲痛は甚大であると考えられ、ほかに被告らの施した処置および過失の態様等を併せ考慮し右苦痛に対する慰藉料は一〇〇万円をもつて相当とする。

(二)  原告一範、同りつ子、同陽三

本件事故当時原告一範は満七才、同りつ子は満五才、同陽三は〇才(本件出産により誕生した)であつて(右事実は<証拠>により認める。)、いずれも母親の愛情を最も必要とする乳児期又は幼児期にその監護、教育を受ける機会を永遠に奪われたものであつて、将来にわたつて受けるであろう精神的苦痛は計り知れないものがあり、右苦痛に対する慰謝料は各五〇万円が相当である。

(三)  原告晃、同とみ

<証拠>によれば、原告晃は明治四〇年生、同とみは、同四四年生で、ともに本件事故当時、その一人娘である陽子および陽子の夫で右両名の養子でもある原告潔の一家と同居し漸く老境に際し陽子の孝養を切実に亨けていたことが認められるところ、本件事故により最愛の一人娘でかつ家族の一員でもある陽子を失つたものであるからその精神的打撃の著るしいことは見易いところであり、<証拠>によつて認められる両名の社会的地位等を併せ考慮し、右苦痛に対する慰謝料は各五〇万円をもつて相当とする。

七結論

以上によれば、被告らは各自原告潔に対し六1(三)の逸失利益の相続分同2の葬儀費用同3(一)の慰謝料合計金二四七万一二五四円、原告一範、同りつ子、同陽三に対しそれぞれ六1(三)の逸失利益の各相続分同3(二)の慰謝料合計金一三四万七五〇二円、原告晃、同とみに対しそれぞれ六3(三)の慰謝料金五〇万および右各金員に対する本件不法行為後の昭和四二年七月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

よつて、原告らの本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(鈴木潔 薦田茂正 柳田幸三)

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