東京地方裁判所 昭和42年(ワ)884号 判決 1972年3月11日
原告 株式会社コンソルシオム・ド・ヴァント・エンテルナショナル「コヴェンテール」
右代表者代表取締役 リュシアン・ダンブロ
右訴訟代理人弁護士 中野善敦
同 斎藤直一
被告 ベニス株式会社(旧商号 吉秀株式会社)
右代表者代表取締役 吉田治昌
右訴訟代理人弁護士 中垣内論
同 中垣内映子
主文
一 被告は原告に対し、米貨一五、五二九ドル四三セントおよびこれに対する昭和四二年二月一一日以降右完済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決の主文第一項は仮りに執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し米貨二七、五七〇ドル(以下「ドル」はすべて米貨による)およびこれに対する昭和四二年二月一一日以降右完済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(第一次主張)―債務不履行
(一) 原告はフランスにおいて文房具、事務用品等の輸入販売を営む会社であり、被告は日本において右商品等の製造販売ならびに輸出入を業とする会社である。
(二) 原告は、昭和四一年(一九六六年)二月五日被告との間で、大日本文具株式会社の登録商標を付した真正の「ペンテル」印万年筆型水絵具サインペン(以下ペンテル・サインペンという)一七、四〇〇ダース(一箱一二〇ダース入りで一四五箱)を代金額はマルセイユ渡C・I・F一ダースあたり八一セント(邦貨二九一円六〇銭、但し当時の平価、以下同じ)、総額一四、〇九四ドル(五、〇七三、八四〇円)で買受け、その支払は取消不能の信用状をもってなす旨の売買契約(以下本件売買契約という)を締結した。そして原告は、右代金決済のため、パリのエルヴェ銀行に対し、被告を受益者とする二四、〇九四ドルの取消不能信用状の開設を依頼し、同銀行は右依頼に基づき、同年二月一一日アメリカ銀行を通知銀行とする信用状(以下本件信用状という)を開設した。
(三) 被告は、本件売買契約にもとづいて目的商品一七、四〇〇ダース(一四五箱)を横浜港より船積みし、同年四月二二日マルセイユにおいてこれを原告に引渡した。しかるに、右商品は商標権者である訴外大日本文具株式会社から製造を依頼されていない者の製造にかかる偽造のペンテル・サインペン商標を付した偽造商品であることがその後になって判明した。
一方原告は、目的商品が右のように偽造商品であることを知らず、フランス国内において八七、八四〇本(七、三二〇ダース、六一箱相当分)を販売したところ、右ペンテル・サインペンのフランスにおける商標権者である大日本文具の知るところとなり、同年五月、フランス刑法四二二条三項(偽造商標を付してある製品の販売を禁止した規定)の違反を理由として原告に対する告訴ならびに附帯私訴が提起されるに至った。そこで原告は、右両事件につき、同年七月二八日ル・タルネック弁護士を代理人として大日本文具との間で左記内容の示談をした。
(1) 原告は大日本文具に対し未販売の八〇箱(一箱一二〇ダース入り)を引渡し、両当事者立会のうえこれを廃業すること。
(2) 原告は大日本文具に対し示談金として仏貨一七、五六八フラン(以下「フラン」はすべて仏貨による)を支払うこと。
(3) 右示談の内容は、これをフランス国内における業界紙三紙および日刊新聞二紙に掲載し、この掲載料合計二、九〇〇フランは原告の負担とすること。
(四) 以上のとおり本件売買契約に基いて被告が原告に引渡した商品が偽造商品であったことにより、原告は次の損害を蒙った。
(1) 一一、八六九ドル
前記示談契約が完全に履行されたことによる廃棄商品の代金相当額七、七七六ドル、示談金一七、五六八フランおよび広告掲載料二、九〇〇フランの合計額。但し、フランのドルへの換算は、当時の平価一ドル=五フランによる。
(2) 六〇〇ドル
原告が前記事件処理のため、同年六月四日ル・タルネック弁護士に支払った報酬三、〇〇〇フランを右平価によって換算したもの。
(3) 七、二四三ドル
原告が前記商品全部につき支払った関税その他の諸税、運送費(マルセイユ―パリ間)その他の経費合計三六、二一七フラン九九サンチームを前記平価によって換算したもの。
(4) 七、八五八ドル
原告会社は、同じく輸出入業を営み資産二六万フランを保有するプュレロール社と同系の会社(原告代表者リュシアン・ダンブロは同社の副社長)で、資本金は一二万フランに及び、フランス国の内外で活溌な営業活動を行なっている。そして取引銀行の信用度も極めて厚く、年間一二万ドルという異例な無担保貸付の枠が許与されている。しかるに、大日本文具から申立てられた前記告訴等によって原告は信用ないし名声の毀損による重大な損害を蒙った。その慰藉料としては五万ドルが相当であるが、原告は標記金額をその内金として請求する。
(五) よって、原告は被告に対し、債務不履行に基く損害賠償として、前記損害金合計二七、五七〇ドルおよびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四二年二月一一日以降完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2(第二次主張)―不法行為
被告は、次に述べるとおり、その被用者の不法行為により、原告に対し前記1(四)記載の損害を蒙らせたものというべきであるから、民法七一五条に基きその賠償責任を負う。すなわち
(一) 被告の社員(すなわち被用者)である三井広美、本松久佳らは、すでに、昭和四一年一月初め頃、株式会社長嶋商店から本件のペンテル・サインペンの売りこみを受けたとき、それが前記のとおりの偽造品であることを知りながら、これを海外に輸出して利益をあげようと図り、在パリの原告に対し、右の事実を秘して真正な商品の見本を送り、あたかも右真正商品を売るかのように欺罔し、その旨誤信させ、よって原告をして本件売買契約を締結させ、代金の支払をなさしめたものである。
(二) かりに、前記被告社員において、当初本件商品が偽造品であることを知らず、したがってその点で原告を欺罔する意思がなかったとしても、本件売買契約成立後間もなくの昭和四一年二月七日頃本件商品が偽造品であることが判明したにもかかわらず、敢えて右商品を船積みし、さらに同年三月一八日付書面をもって、原告に対し、右船積商品が大日本文具の真正な商品であることを保証してこれを原告に引渡したものである。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1の(一)、(二)の各事実は認める。
2 同(三)の事実中、被告自身が原告主張の船積みをしたとの点は否認し、その余の事実は知らない。右船積みをしたのは、後記抗弁1記載のごとく被告より売主たる地位を譲受けた株式会社長嶋商店である。
3 同(四)の事実は知らない。かりに、原告がその主張するような示談のための出捐等をなしたとしても、右は原告が自ら犯した商標権侵害行為に基因する損害につき賠償したものにほかならないから、被告の行為とはなんら因果関係がない。なお、原告主張の当時における平価は、一ドル=四・九三フランである。
4 請求原因2(一)、(二)の事実中、長嶋商店が被告に本件商品を売りこみにきたこと、被告の社員である三井、本松らが右商品を原告へ輸出する仕事を担当し、原告に対して真正な商品の見本を送り、かつ原告主張のような書面を原告宛送付したことは認めるが、その余の事実は否認する。右社員らは、当初は、本件商品が大日本文具より正規に製造を依頼された下請工場で製造されたものと信用し切っていたのである。
三 抗弁
1(売主たる地位の譲渡)
被告は、以下述べるとおり、原告の承諾のもとに本件売買契約の売主たる地位を長嶋商店に譲渡したので、以後原告に対しては、右売買から生ずる契約上もしくは不法行為上のいかなる責任をも負わないことになった。すなわち、昭和四一年二月五日原被告間で本件売買契約が成立したのち、本件商品がいわゆる横流し品であることが判明したため、被告は本件取引から手を引くことに決め、同年二月一〇日被告社員の三井、本松および土屋は、当時来日していた原告代表者副社長ラストルジェを東京銀座の東急ホテルに訪ね、「社命によりこの取引を遂行できなくなった。ついては、本件信用状とともに被告の地位を長嶋商店に譲りたい。」と申出たところ、ラストルジェは異議なくこれを承諾した。そこで、被告社員らは長嶋商店の幹部社員である安井をラストルジェに正式に紹介したうえ、ラストルジェおよび安井と信用状譲渡につき話合った結果、被告が本件信用状を長嶋商店に完全譲渡すること、すなわち右取引から生ずる一切の責任が被告の手を離れ長嶋商店に移行する旨の合意が成立した。そしてその結果、ラストルジェによって本件信用状を譲渡可能に訂正する手続が行なわれたのである。
2(原告の悪意)
(一) 原被告間の本件取引は商標法違反の違法な取引である。すなわち、大日本文具は一九六五年四月二〇日セーヌ商事裁判所書記局に登録されその製品にペンテル・サインペンと押印してある万年筆の商標第八五三四一号、第八五三四二号および第八五三四三号のフランスにおける商標権者であるから、右商品をフランスの業者が買入れるには、その取引につき大日本文具の承諾があるか、もしくは右会社がフランスにおいて指定した特定業者から買入れるのでなければならず、これに違反して被告から偽造品もしくは横流し品を買入れる旨の本件取引は右会社の商標権を侵害する違法な取引であって許されない。そして、原告は本件取引が右のように違法な取引であることをその取引の当時知っていた。
(二) これを裏付ける事情は次のとおりである。
(1) ペンテル・サンインペンのフランスにおける小売価格は昭和四〇年当時において一ダース三六フラン(二六二八円)―一本三フラン(二一九円)―であり、卸価格はその六割(一ダース一六〇〇円)位が相当であるのに、本件取引の価格は一ダース八一セント(二九二円)という不当に安いものであったこと。
(2) ラストルジェは、被告が本件信用状を長嶋商店に譲渡したいと申出たとき、「これは秘密の取引だからね。」と言って、被告が取引を中止したいきさつについては深く追及せず、信用状を譲渡することを快諾したこと。
(3) 原告はフランスの貿易商社であるから、当然本件ペンテル・サインペンの商標がフランスにおいても登録されていること、したがってフランスにおける指定業者を通じないで被告から不当に安い価格で買うからには、期件サインペンが偽造品もしくは横流し品であることを認識していたものと思われること。
(三) したがって、かりに本件売買の履行をなしたものが被告であり、かつ、原告においてその主張のような損害を蒙ったとしても、被告は原告が契約の当初から偽造品もしくは横流し品であることを了解していた目的物を引渡しただけであるから、なんらの債務不履行もしくは不法行為責任を負わない。のみならず、原告は当初から右損害賠償請求権を予め放棄していたものというべきである。
3(不法行為の主張に対して)
かりに、被告社員らに原告主張のような故意過失が認められるとしても、次の(一)もしくは(二)の理由により、被告について不法行為責任は成立しない。
(一) 前記1記載のとおり、被告社長吉田治昌は社員らに対し本件取引を禁止する旨命じ、右社員らはこれに従って本件取引から手を引いたのであるから、被告は使用者として監督上相当な注意をなしたものである。
(二) かりに右主張が認められないとしても、被告会社においては、偽造品もしくは横流し品の販売はもちろん禁じられており、これらの違法な取引をすることは被告社員らの職務権限内には属さないものである。しかるところ、原告は、前記2(一)記載のような事情からして、右の点を知りながら、もしくは当然知りうべきであるのに、重大な過失によってこれを知らずに、被告との間で敢えて本件の違法な取引をなしたものである。したがって、このような場合には、原告が被告に対し民法七一五条に基く損害賠償を請求することは許されない。
四 抗弁に対する答弁
1 抗弁1の事実中、原告副社長ラストルジェが被告の主張する日に被告社員と会談したこと、ラストルジェが本件信用状を被告の求めにより譲渡可能に訂正することを承諾し、これを実行したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告が右信用状の譲渡を承諾したのは、被告は大日本文具から信用取引で本件ペンテル・サインペンを仕入れることが不可能なので、右会社に原告開設の本件信用状を譲渡したい旨の被告の申入れに応じたものである。したがって、原告は、被告が本件取引から手を引いてその地位を長嶋商店へ譲る旨の話はなんら聞いていないし、右譲渡を承諾したこともない。なお信用状は、その発行の原因たる具体的売買関係から切り離された無因抽象的証券であるから、信用状を譲渡可能にしても、それによって当然に、原因たる売買契約上の売主たる地位が信用状の譲受人に移転するものではない。信用状を譲渡可能にするということは、いわば、指名債権である売買代金債権を一般第三者に譲渡することを予め債務者が承認することを意味するにすぎず、決して売主たる地位の移転を伴なうものではない。
2 同2(一)ないし(三)の事実中、大日本文具が被告主張のようにペンテル・サインペンのフランスにおける商標権者であること、ペンテル・サインペンのフランスにおける小売価格および本件取引価格が被告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。本件取引のようにフランスにおける商社が日本の商社とフランスにおける登録商標を付した真正商品の売買契約を結ぶことは、なんら法律の禁ずるところではないから、本件取引は被告主張のような違法取引ではない。けだし、真正商品の輸入は、内国に登録された商標権の侵害となるものではないからである。また、本件取引価格が安価に過ぎるとの点は、関税、運賃、手数料等を考慮に入れれば、被告主張のように不当に安い価格ではないし、日本の業者がこの種の商品を輸出するときは、国内の卸売価格よりむしろ安く売って、将来の販路を広めようとすることもまた我国における業者の実情である。かりに、ラストルジェが被告主張のような発言をしたとしても、それは、あらゆる商取引は競争相手に対して秘密にして行なうものであることを一般的に述べたにすぎない。
3 同3の事実は否認する。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一 原被告間の売買契約の成立
原被告がそれぞれ原告主張のような営業を営む会社であること、原告が昭和四一年(一九六六年)二月五日、被告との間で、訴外大日本文具株式会社(以下大日本文具という)の登録商標を付した真正のペンテル・サインペン(以下真正商品という)一七、四〇〇ダース(一箱一二〇ダース入りで一四五箱)を代金額はマルセイユ渡C・I・F一ダースあたり八一セント(邦貨二九一円六〇銭、但し当時の平価、以下同じ)、総額一四、〇九四ドル(五、〇七三、八四〇円)で買受け、その支払は取消不能の信用状をもってなす旨の本件売買契約を締結したこと、原告が右代金決済のため、パリのエルヴェ銀行に対し、原告主張のような信用状の開設を依頼し、同銀行が、右依頼に基づき、同年二月一一日、アメリカ銀行を通知銀行とする右信用状(右銀行が送状、保険証明書、船荷証券、梱包明細書等の船積書類の提示と引換えに送状に記載された金額の為替手形を引受けて支払うか、もしくはこれを買取る旨約束したもの)を開設したこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、アメリカ銀行が、被告に対し右同日付の書面をもって信用状の開設通知をなしたことは≪証拠省略≫によってこれを認めることができる。
二 被告の不完全履行責任について
(一) 争点
ところで、原告は、被告が売主として真正商品を引渡すべき義務に違背し、商標権者である大日本文具から製造を依頼されていない者の製造にかかる偽造のペンテル・サインペン商標を付したサインペン(以下偽造商品という)を船積みして、これを原告に引渡したので、被告は不完全履行責任を負う、と主張する。これに対し、被告は、本件売買契約成立後原告の承諾を得て売主たる地位を訴外株式会社長嶋商店(以下長嶋商店という)に譲渡したので、爾後原告に対しては、右売買から生ずる一切の契約上の責任を負わず、また、かりに本件売買の履行をなしたものが被告であり、原告においてその主張のような損害を蒙ったとしても、原告が当初から偽造品もしくは横流し品であることを了知していた商品を引渡しただけのことであるから、被告に損害賠償責任はない、と主張する。
(二) 取引の経過
そこでまず、本件取引の経過を証拠に照らして調べてみるに、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 訴外長嶋商店は、昭和四〇年の末頃、訴外株式会社大東ポリマ(代表者脇本某)に依頼して、大日本文具の偽造商標を付した偽造商品の製造を注文し、一方、同年一二月被告に対し右商品の売込みを図った。被告は、長嶋商店の代表者長嶋善郎の説明によって、右商品が実は真正商品ではなく、偽造品であることを諒解していたのではあるが、これを海外に輸出して利益をあげようと図り、長嶋商店から同商品を買入れることを約した。次いで被告は、従来原告とは取引がなかったが、昭和四一年一月一二日付の書状をもって、原告に対し、右の偽造商品とは異なる真正商品の見本を送付して、ペンテル・サインペンの売買を申込んだ。そこで原告は、送付された見本が真正商品であることを確認したので、被告と売買取引することに決め、同年二月上旬副社長のラストルジェを東京に派遣した。そしてラストルジェは、在京中、被告社員と売買価格等につき、種々交渉を遂げたうえ、同年二月五日、真正商品を目的とした前示の本件売買契約を締結し、直ちにパリに連絡して本件信用状の開設を指示した。
(2) ところが、右信用状の前示開設通知が被告に到達するのに先立ち、被告側では、右のような真正商品でないものを自己の名義で輸出し、被告が取引の前面に出ることは、被告の信用上も不利であり、また、同業者である大日本文具に対する関係上も穏当を欠くものと考え、その責任を回避する目的で第三者に信用状を譲渡し、その者の名義で右商品の船積みを行なうことにした。そして、当時被告は、前記大東ポリマに対する本件偽造品の製造資金の支払に窮していた長嶋商店から、その資金援助を求められており、また、被告としても、受注生産であった前記偽造品の納品を確保する必要があったので、信用状による金融の便宜を与える意味で、右長嶋商店に対して信用状を譲渡することとした。そこで同年二月一〇日被告会社貿易課の課長三井広美および同課員の本松久佳、土屋某は、東京銀座の東急ホテルで、長嶋商店の社員安井孝之を交えて、ラストルジェと話合い、本件信用状を譲渡可能にしたい旨話したところ、ラストルジェは、右信用状の譲受人を長嶋商店とするかはともかく、信用状を譲渡可能なもの(transferable)にする点の承諾を与えた。
(3) そこで、原告は、本件信用状が開設されて一週間後の同年二月一八日、開設銀行であるエルヴェ銀行に対して本件信用状を譲渡可能なものとする旨の依頼をなし、これに基き、右信用状の訂正手続が行なわれた。そして通知銀行であるアメリカ銀行は、本件信用状の原受益者である被告に対しては、同年二月二一日付の書面で、また、被告の指定にかかる譲受人(第二受益者)たる長嶋商店に対しては同年二月二五日付の書面で、それぞれ信用状譲渡通知をした。
(4) このようにして本件信用状の新たな受益者となった長嶋商店は、同年三月七日所定の船積書類を作成のうえ、信用状に指定された為替手形を振出し、次いで同年三月九日輸出申告その他の通関手続を行ない、同年三月一二日前記売買契約で約定した数量のペンテル・サインペン(実は偽造品)を横浜港より船積みした。そして同商店は、同月中に右手形を福岡銀行東京支店に買取らせ、もって代金相当額の手形金を受領した。もっとも、長嶋商店の社員が右のような荷為替の取組や通関手続に通暁していなかったため、これらの手続は被告社員において一切これを行なった。
(5) 他方、横浜から船積みされた右商品は、同年四月二二日、マルセイユに到着し、同年四月二六日頃、パリで原告に引渡された。
以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫
(三) 信用状の譲渡について
さて、問題となるのは、本件売買契約が締結された後に、本件信用状が被告より長嶋商店に譲渡されたことにより、売主たる地位が被告から譲受人である長嶋商店に移転し、被告が本件売買契約から生ずる一切の権利義務を免れるかどうかである。
思うに、信用状は、その性質上対価関係たる受益者(売主)と開設依頼人(買主)との間の売買契約に基いて、開設されるものではあるが、開設された信用状に基づく当事者間(開設依頼人、開設銀行、通知銀行、受益者等)の法律関係は信用授受の特種の法律関係を構成し、いわゆる信用状の譲渡は、売主・買主・譲受人の三者間で特別の合意をしない限り、信用状の開設により受益者が開設銀行に対して取得した代金決済に関する特別の権利が、受益者から譲受人に承継されるにすぎず、これによって、受益者は、売買契約における売主たる地位から脱退するものではない。したがって、本件取引の場合のように、信用状の譲受人において債務の本旨にしたがわない不完全給付をした場合には、受益者はあたかも履行補助者が不完全給付をした場合と同様に、売主としての責任が具体的に発生するものと解するのを相当とする。そしてこのことは、信用状の譲渡が一部につきなされた場合たると、本件のように全部譲渡がなされた場合たるとにより、その理を異にしない。しかるに、本件においては、原告・被告・長嶋商店間において、被告が売主たる地位から脱退する旨の合意がなされたことについては、なんらの証拠がないから、この点に関する被告の抗弁は採用できない。
(四) 原告が悪意であるという主張について
(1) 次に、もし、原告が、被告主張のように、本件売買契約によって、被告から給付される商品が真正のペンテル・サインペンではなく、偽造商品であることを契約当初から知っていたものとすれば、偽造商品の給付を受けたことによる原告主張の損害については、原告自らその発生の可能性を予知していたものであり、また、大日本文具が保有する商標権の侵害行為に自ら加担していたことにもなるから、原告が本件取引によって蒙った損害を被告に賠償請求できないことは、民法七〇八条等の法意に照らして理の当然である。
そこで、この点につき検討するに、証人長嶋善郎は、原告が大日本文具のフランスにおける代理店を経由せず、ことさら副社長のラストリジェを東京まで派遣して、本件売買契約を締結したことを根拠として、原告が被告から給付される商品が偽造品であることを当初から知っていた旨の推定的な証言をしているが、右証言は、前後の応答からして、あくまで同証人の想像の域を出ないものであると考えられるので、心証上特別の価値はなく、他に被告主張の点を裏付けるに足りる資料はない。むしろ、前認定の取引の経過ならびに、≪証拠省略≫を総合すれば、原告としては、被告が昭和四一年三月下旬頃原告に宛てた、「一七、四〇〇ダースのペンは原物と異なる。それ故内部カートリッジの品質不良のため、インク洩れ、インク乾きの苦情が客から出るおそれがある。売止めせられたい云々」との記載がある電報(原文は英語であるが、これを邦訳したもの)を受領するまでは、送付される商品が前記のように偽造のものであることは知らなかったものと推認するのを相当とする。
(2) なお被告は、原告の悪意を推認させる間接事実として三つの点(事実欄第二の三2(二)参照)を掲げているのでこの点につき附言する。
(イ) まず、被告は本件契約における原告の買入価格が不当に安いことを指摘しているが、≪証拠省略≫に徴すれば、本件取引における一ダース八一セントという値段は不当に安いともいえないことが分るので、この点は理由とならない。
(ロ) 次に、被告は、被告が本件信用状を長嶋商店に譲渡したいとラストルジェに申出たとき、同人は、「これは秘密の取引だからね。」と言って、被告が取引を中止した経緯については深く追及せず、信用状を譲渡することを快諾した、と主張し、≪証拠省略≫のなかには、これに照応する部分もあるが、右証言部分は、≪証拠省略≫に照らして、にわかに措信し難い(証人ラストルジェ・ダニエルは、東急ホテルの会談の際、本件信用状の譲受人を長嶋商店にする旨の話は出なかった、自分としては、大日本文具に譲渡するものと思っていた、と証言している)。
(ハ) 最後に、被告は、原告はフランスの貿易商社であるから、本件ペンテル・サインペンの商標がフランスにおいても登録されていること、したがって、フランスにおいては、指定代理店を通じないで被告から不当に安い価格で買うからには、本件サインペンが偽造品もしくは横流し品であることを認識していたものと思われる、と主張している。このうち、後段の買入れ価格が安いという点については、(イ)で説明したとおりである。そこで、前段の主張について考えるのに、≪証拠省略≫によれば、ペンテル・サインペンのフランスにおける輸入販売は、大日本文具との取決めにより、パリのセロタック・フランス社において一手に行なわれることとされ、同社は本件取引前の数年来多くの広告をなしてきたことが認められ、ラストルジェ自身が事務用品の輸入、卸につきすでに一〇年の取引経験があったこと、ペンテル・サインペンは、フランスにおいて著名な商品であることは証人ラストルジェ・ダニエルの証言によって認められるが、他方、同人の証言によれば、フランスの文房具業界では、ペンテル・サインペンを、セロタック社を通さずに、日本から直接に、或はイタリア、ドイツ等を経由して輸入する事例もかなりあり、セロタック社が右のように一手販売権を有するとの認識は、業界においても必らずしも徹底していなかったこと、同業者間での競争はかなり激しく、本件のように海外に赴いて直接取引することも稀ではないことが認められる。このような事実を彼比考え合わせれば、被告の右主張は、一個の想像にすぎないものと考えられる。
(五) 以上の考察によれば、被告の主張はいずれも理由がなく、したがって被告は、偽造商品という不完全な給付をなしたのであるから、右給付によって生じた原告の損害を賠償する義務があるものといわなければならない。
三 原告の蒙った損害
(一) 損害発生の経過
≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 原告は右商品の引渡を受けて後、フランス国内においてその一部を販売したところ、その後右商品販売につき次の(2)記載の刑事事件および民事事件が提起されるに至って、同商品が大日本文具から製造を依頼されていない者の製造にかかる偽造のペンテル・サインペン商標を付した偽造商品であることが判明し、かつまた、被告からも売止めされたい旨の連絡があったため、残余商品の販売を中止した。
(2) 右のようにフランス国内において偽造商品が出まわっている事実は、右ペンテル・サインペンのフランスにおける商標権者でもある大日本文具(なお、同社が一九六五年四月二〇日セーヌ商事裁判所書記局に登録され、その製品にペンテル・サインペンと押印してある万年筆の商標第八五三四一号、第八五三四二号および第八五三四三号の権利者であることは当事者間に争いがない。)の知るところとなり、同会社は、同年四月フランス刑法四二二条三項(偽造商標を付してある製品の販売を禁止した規定)の違反を理由として、原告を告訴し、同時に原告を相手方として附帯私訴を提起した。
(3) その後、同年五月一一日セーヌ地方裁判所より原告が保有する残商品につき販売禁止命令が出され、次いで同年六月四日同裁判所予審判事発布の令状に基づき右残商品は差押えられた。そして同年七月一一日右物件はパリ警察によって押収された。
(4) そこで原告は、パリのル・タルネック弁護士に前記事件解決を委任して(同年六月四日に原告より報酬三、〇〇〇フランが同弁護士に支払われた)、大日本文具との間で種々示談交渉を進めた末、同年七月二八日同社との間で左記内容の示談契約の成立をみるに至った。
① 原告は偽造商品八〇箱(一箱一二〇ダース入り)を保有していることを認め、これを大日本文具側に引渡し、両当事者立会のうえ廃棄する。
② 原告は既に偽造商品八七、八四〇本(七、三二〇ダース、六一箱相当分)を売却したことを認める。
③ 原告は大日本文具に対し示談金として一七、五六八フランを支払う。
④ 大日本文具は原告に対する告訴ならびに附帯私訴を取下げる。
⑤ 右示談の内容は、これをフランス国内における業界紙三紙および日刊新聞紙二紙に掲載し、その掲載料合計二、九〇〇フランは原告の負担とする。
(5) そして右示談の内容は、いずれも完全に履行された。以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(二) 被告に賠償責任を認めるべき損害
(1) 一般論
売主が債務の本旨にしたがわない不完全な給付をした場合の買主の権利について考えるに、(ⅰ)追完可能のときは、買主はさらに完全な給付を求める権利(追完請求権)を有し(此の場合には売主に履行遅滞の責任が生ずることが屡々ある)、(ⅱ)追完不能(たとえ再度の履行をしても、買主が契約をした目的を達し得ない場合も含む)のときは履行不能の場合に準じて、買主は履行に代わるべき利益の賠償(填補賠償)を請求でき、右二つの場合を通じて、買主は既に給付された物を売主に返還する義務があり、また不完全な給付をされたことに基因して蒙った損害の賠償を請求できるとする(このような損害を招来する不完全履行が、講学上のいわゆる積極的債権侵害ないし加害的履行である。)のが確定した考え方である。
そして本件の場合は、弁論の全趣旨からして、被告が改めて債務の本旨にしたがった履行をしても、買主である原告として、すでに商標を失して契約の目的を達し得ない場合と認められるから、原告は履行に代るべき利益の賠償請求権を有するものと考えることができる。
(2) 以上の見地に立って原告主張の損害につき検討するに、原告が大日本文具との間の示談契約に基き、大日本文具に支払った金一七、五六八フラン、広告の掲載料として支払った二、九〇〇フラン、また原告が示談解決等のため弁護士に支払った三、〇〇〇フランは、被告が不完全履行をしたために生じた損害で右不完全履行と相当因果関係に立つものと認めうるから、これらについて被告に賠償義務のあることは明らかである。そして、これらの金額を損害発生当時における平価一ドル=四・九三七〇六フランによって換算すると、右金額の合計額は四、七五三ドル四三セントとなる。そこでつぎに問題となる損害につき順次考える。
(3) 原告が廃棄したサインペン八〇箱について
被告は前記示談契約に基き、被告から履行されたサインペンのうち八〇箱(九、六〇〇ダース)を廃棄したから、右廃棄に基き契約代金のうち、八〇箱相当部分である七、七七六ドルを損害として請求しているが、前説示のように本来原告は、引渡しを受けた商品を返還して填補賠償請求権を有するに過ぎず、填補賠償を求めるためには、引渡しを受けた商品を返還せねばならないのであり、右のように廃棄したこと自体は原告の損害ではないから、これを理由としては賠償を求めることはできない筋合である。ただ前認定事実によれば、原告としては、填補賠償を求めるにしても、八〇箱分については、大日本文具の要求により示談契約の結果、止むなく廃棄したのであるから、いわば原告の責めに帰すべからざる事由によって返還不能となったものといえる。したがって、原告は、廃棄した八〇箱分について現品を返還することなく八〇箱分の填補賠償を求めうる立場にあるものといえる。以上のように考えるときは、原告が八〇箱分について損害を求める法的理由として述べるところは理論的ではないが、その主張し、かつ認められる具体的事実関係からすれば、八〇箱分についてその契約代金相当額である七、七七六ドルを損害賠償として求める原告の請求は結局認容すべきものと解する(ちなみに、填補賠償として求めうる価額は一般には、契約された商品の履行地における履行時期の時価相当額に転売による得べかりし利益を加算した額によるべきものであるが、本件の契約代金は弁論の全趣旨から右時価相当額より安いものと考えられる)。
(4) マルセイユ到着後の諸経費について
つぎに、原告は本件商品がマルセイユに到着した後に、本件全商品につき支払った諸税、運送賃その他の経費として合計三六、二一七フラン九九サンチームを不完全履行に基く損害(第二次的に不法行為による使用者責任に基く損害)であると主張してその賠償を求めているので、この点につき考えるに、なるほど、原告が右主張のような出費をしたことは≪証拠省略≫によってこれを認めることができる。しかしながら、原告は被告との間の本件売買契約を締結する際にこれらの出費の必要であることを予め計算に入れて買受代金をきめたものであり、かつ、それは本件の場合、被告が真正商品を給付した場合にも当然に必要な経費に属するものである。そして、原告は、前説示のように、契約に基き不完全履行を理由として履行に代わるべき填補賠償請求権(このなかには転売によるうべかりし利益も含まれること前示のとおりであり、現に本訴において、原告は八〇箱分についてはこれを行使したものと考える)を有するのであるから、右出費は不完全履行に基く損害賠償の対象とはなり得ない。またかりに、原告主張のように、本件取引につき被告に民法七一五条による使用者責任が認められると仮定しても、他面原告には、実体法上本件契約に基き前記の填補賠償請求権があり、前記出費はその性質上この権利によって補填されるから、この場合にも損害賠償の対象とはならない。ちなみに契約が原始的に無効であるにかかわらず、売主の過失によって成立した場合(いわゆる契約締結上の過失)や契約が売主またはその使用人の欺罔行為によって成立したが(本件の場合は一応この場合にあたる)、後に買主が欺罔されたことに気がつき契約を取消した場合における契約締結費用や買主が契約の無効事由ないしは自己が錯誤に陥しいれられたことを認識する以前に支出した費用については、買主は填補賠償の請求はできないが、不法行為ないしは使用者責任を理由とすれば、これにつき損害賠償の請求ができることは理の当然である。しかし、本件の場合は、売買契約は取消されずにその有効性を維持していることは弁論の全趣旨に徴して明らかである。以上の次第であるから、原告主張のマルセイユ到着後の出費についてはその賠償請求を認めることはできない。
(5) 名声・信用を毀損されたことによる損害
おわりに、原告は、本件取引によって、商社として名声ないしは信用を毀損されたことにより重大な損害を蒙り、その慰藉料としては五万ドルが相当であると主張し、本訴においてこのうち七、八五八ドルの賠償を請求している。よって、案ずるに、≪証拠省略≫によれば、原告会社は、ビュレロール社と同系の会社として、本件取引の直前である一九六六年(昭和四一年)二月に設立され(原告の社長リュシアン・ダンブロはビュレロール社の副社長であり、原告副社長のラストルジェはビュレロール社の社長を兼任している)、原告会社そのものは社員六名前後にすぎないが、ビュレロール社をあわせると社員五〇名前後に達する業界の中堅クラスの企業であること、右設立に際しては、エルヴェ銀行から六〇万フランの枠の便宜供与(手形割引、資金援助、税関に対する保証)を与えられていたのに、本件取引の行なわれた開業第一年度の営業実績は予想額をはるかに下廻わり、同年九月頃には、法人税等を納付しない欠損会社となり、右銀行の便宜供与の枠も二万ドルに減少されたことが認められる。そして、本件商品が偽造品であったことに端を発して、フランス国内において、原告の責任を追及する民事および刑事事件が発生し、示談の成立をみたとはいえ、その内容は、同国内の日刊新聞紙、業界紙に掲載されたことは前認定のとおりである。しかしながら、他方、前認定事実によれば、本件契約にかかるペンテル・サインペンは、大日本文具がフランスにおいて商標権を有し、パリのセロタック・フランス社がフランス領土内において一手販売権を有するものであることは、パリで文房具、事務用品を専門に取扱って来た原告(なお、副社長ラストルジェがすでに一〇年の取引経験を有していたことは、前記二の(四)(2)(ハ)記載のとおりである。)としても、当然熟知していたと思われるのに、原告は右セロタック社に問合わせなどせず、漫然日本の輸出業者である原告の売込に応じたものであるから(ラストルジェが東京に来た際、大日本文具に照会等をした事実は窺われない。)、原告はいわば危険な橋を自ら確めずに渡ったもので、商社としての取引態度につき慎重さを欠いたものといわなければならない。したがって、これらの点を考慮し、その他弁論に現われた一切の事情を考慮すれば、信用ないし名声の毀損に基づく慰藉料としては、金三、〇〇〇ドルをもって相当額であると判定する。
四 むすび
以上のとおり判断されるから、原告の本訴請求のうち、被告に対し、債務不履行に基く損害賠償として米貨一五、五二九ドル四三セントおよびこれに対する損害発生の後である昭和四二年二月一一日以降右完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当としてこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却する。よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊東秀郎 裁判官 小林啓二 篠原勝美)