東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9100号 判決
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〔判決理由〕一、責任原因
(1) <証拠>を総合すると、次のとおり認められ、<証拠判断略>。
(イ) 本件事故発生現場は、南東方竜ケ崎市砂町方面から北西方通称駅前交差点を経て同市川原代方面へ通じる幅約8.5米の県道上の同市米町四五六四番地附近で該交差点に向つて左側の下水溝から約1.45米右寄りの地点であること、該県道は両側に幅四五糎の有蓋下水溝を隔てて、櫛比する住宅や商店舗に接し、歩車道の区別のない直線平坦なアスファルト舗装路でみとおしは良好であるが、市街地を貫通する主要県道で交通頻繁なところから、指定最高時速三五粁等の規制がなされていること、接触地点の北西方約一五米先に信号機の設置されている前記駅前交差点があるが、そこからやや右方に分岐し竜ケ崎駅に至る道路と、かなり大きく左方に屈折し(従つて現場から川原代方面へのみとおしは全くきかない)川原代方面に通じる本件道路とが、一見三差状を呈し、いずれも人車の交通輻輳するので、接触現場から交差点を通過して川原代に赴く自動車運転者は、信号機の現示と他の車の交通状況とにやや複雑な配意を要すること、被告車は車長4.5米余、車幅1.5米余の四一年型ニツサンセドリツクであり、原告車は二六インチ角ハンドルの男子用中古足踏自転車で後写鏡等後方の交通状況確認のための設備はつけていなかつたこと。
(ロ) 昭和四一年一一月二〇日午前九時頃、被告久枝は(四六才)は夫である柏木貞光(当六六才)とその妹母娘を同乗させた被告車を運転して浦和市を出発し、茨城県土浦市を経て新利根川に赴き、一時間位魚釣りをした後、午過ぎ同所を出発し、竜ケ崎市内の砂町、川原代を経て国道六号線に向つたが、竜ケ崎市の市街地に入つてからは、人車の交通輻輳していたので時速二五粁位に減速し、前車と一〇米位の距離を保ち、道路左側部分の中央部のやや右寄り(車体左側面と下水溝との間に一米六、七〇糎の余地を残す。)を直進するうち、午後二時三〇分頃前記駅前交差点の四〇米位手前に至つた際、前方の信号機は青色信号を現示していたものの、前車によって前方の視界の一部が遮ぎられていたので、信号の変化と前車の状況とに注意力を奪われ、左側方および左前方の交通状況については全く配意したまま進行を続けるうち、僅かに左方に斜行したとき、原告車と軽く接触したが、これに気づかず、ついでやや右に斜行し従前の進路に復したとき運転席左側に同乗していた貞光から、停車を命じられたので、一米余前進して停車したこと、貞光も接触するまで、左前方を先行していた原告車に気づかなかつたこと、前記母娘は後部座席にあつてともに仮眠中であつたこと。
(ハ) 原告(当五七才)は、当日農耕を休み、数日後に控えた次男の結婚式案内のため親戚廻わりをすべく、午後二時頃自宅を出、手土産用に購つたバナナ一房の風呂敷包みを左手にもち、右手で原告車をいわゆる片手運転し、下水溝から一米位の余地を保ち、普通の車速で本件道路を北西進し、事故発生現場にさしかかつたところ、左手にこわれやすい荷物をさげ、右手による片手運転のためやや右に斜行するに至つたか、または僅かに身体車体の安定を失い、右側方に傾くに至つたためかにより、被告車と接触したこと、その後路上に転倒しながらも、左手の風呂敷包をかばつていたこと、事故発生に至るまで原告は殆んど他車の交通状況に配意していなかつたこと。
右事実によれば、本件交通事故は、被告久枝と原告との各過失が競合して発生したものと認めるべく、各過失の割合は概ね五割宛であると解する。
(2) 原告主張の請求原因(二)の事実は当事者間に争がないから、以上各事実によれば被告らは原告の蒙つた損害につき賠償責任を負担する筋合である。
二、和解契約成立の抗弁についての判断
本件事故により原告の蒙つた損害の填補につき、原告と被告久枝との間に交渉の末、原告が訴外石川病院に入院中の昭和四一年一二月二七日頃、同被告が原告に対し合計九万円を支払うことを約し、その頃原告はこれを受領したことは当事者間に争がない。被告らはその際原告との間に将来にわたつて本件交通事故に基づく一切の請求権を放棄する旨の和解契約が成立した旨主張するが、<証拠判断略>、他にこれを認めるにたりる証拠はなく、却つて前記争のない事実に、<証拠>、弁論の全趣旨を総合すると、本件事故発生当初は原、被告らとも比較的軽微な事故と思つていたところ、後記のとおり長期間加療を要するものであることが判明し、被告ら側は、いわゆる事故報告をしていず原告側に損害額の増大に次第に不安を覚えていた等ともに早期示談を切望する事情が伏在していたので、昭和四一年一一月二七日頃に至り、原告の局所の腫脹症状軽快し、疼痛も減弱し、担当医師石川清一からも同年内に退院可能の旨の診断を得たので、被告久枝と原告とは、受傷加療は同年末まであつて、翌年には完治するもので昭和四二年以降はもはや損害が発生しないものと互に思いこみ、結局本件事故により原告が蒙るべき損害の時的限界は、遅くとも昭和四一年末までであると考え、この間の総損害につき、入院治療費四万五〇〇〇円、休業補償金三万円(日額一〇〇〇円の割合による三〇日分)、留守居人手当一万五〇〇円(日額五〇〇円の割合による三〇日分)の合計九万円とし、原告において、その余の数額または費目の損害を請求しないことを約し、その頃右金銭を授受し、原告は同年一二月三一日頃石川病院を退院したことが認められる。すなわち、当事者間の前記合意は、本件事故発生当日から昭和四一年一二月末までの間原告において蒙り、または蒙るべき損害の填補についてなされた和解にすぎないと推認されるから、右和解の存在は昭和四二年以降原告の蒙つた損害につきなんらの消長を来たさないものと認める(地方原告もまた昭和四一年末までの損害については、右和解契約による拘束をうける筋合であるから、被告らに対し前記九万円を超えてこれが賠償を請求できないものといわなければならない)。
三、原告の蒙つた確認
(1) 原告の受傷の部位・程度および加療の経緯
<証拠>によると、本件事故発生当初、原告は額にすり傷、右膝に表皮剥離と僅少な内出血状態を呈したにすぎなかつたが、通行人に受診方をすすめられたため、被告久枝らに同道されながら自力で附近の通称西新道外科を訪れたところ、医師不在のため、看護婦から患部に赤チンキを塗り、湿布薬を貼つてもらつたりしたうえ、予定どおり親戚数軒に結婚式を触れ廻つて午後五時頃帰宅したが、格別痛みを覚えなかつたので、当夜入浴し、翌日も稼働、入浴したこと、ところが翌二二日頃から右膝部に痛味を覚えはじめたので、自宅附近の河内村診療所に三日間通院し外傷性膝滑液腫と診断されたが、二五日には結婚式のため奔走したこと、当夜頃から患部に疼痛を感じ、竜ケ崎市大徳町所在の石川病院を訪れたところ、右膝関節血腫により入院を要する旨診断されたので、同月二六日から入院のうえ、関節穿刺による血性粘液の排出、止血創、鎮痛創の投薬、冷湿布、ギプス固定レントゲン検査等の加療をうけたところ、同年一二月二七日頃に至つて症状軽快したため、石川医師は年末退院可能の旨を関係者に告げ、原告は同月三一日頃退院したこと、しかるに昭和四二年一月に至つて右膝部に激痛を覚え、歩行不能になつたので、前記石川病院を訪れたところ、外傷性関節炎を併発していることが判明したので、これが加療に、数年前から罹患していた胃潰瘍の治療も同時に受けることになり、同年一月一日から二月二六日頃まで五七日間にわたり同病院に再入院したが、右膝部の治療としてはこの間数度穿刺を行い、関節内への薬物の注入、冷湿布ギプス固定等をうけたこと、退院後しばらく自宅で療養し、時にリヤーカーに乗つて河内村診療所に通院したりしたが、屈曲時の疼痛は去らず、運動障害ものこるので、同年三月二四日頃から五月二二日頃まで七回にわたり、妻に付添われて、東京都千代田区内の駿河台日大病院に通院しその後は専ら自宅療養につとめた結果、同年六月末頃に至つて、ほぼ治癒したことが認められる。
(2) 昭和四二年一月一日以降原告が蒙つた損害
(イ) 入院治療費一〇万四四〇〇円
<証拠>によれば、前記のとおり原告が本件受傷加療のため五七日間にわたり石川病院に再入院治療費を負担したこと、そのうち四万余円を直接支払つたが、残額は未払であることが認められる。(全期間にわたつて毎日注射、湿布等をうけたことが明らかであるので、入院費、賄費についてもその全額を本件受傷と相当因果関係上の損害と解するが、他方この間入院の機会を利用し胃潰瘍の治療をもうけたことが認められるので、この点は後記慰謝料の算定にあたつて若干減額的事情として考慮することとする。)
(ロ) 通院治療費一万三五七〇円
<証拠>によれば、前記のとおり原告が日大病院に通院加療し、このため昭和四二年五月三一日同院に右額の治療費を支払つたことが認められる。
(ハ) 日大病院、石川病院その他の交通費二万三八〇円
<証拠>によると、原告は昭和四二年一月一日以降前記石川病院に入院中、家族の連絡交通費、日大病院への附添つきの通院交通費等として、少くとも合計二万三八〇円以上の出損をしたことが認められる。
(ニ) 附添人手当六万円
<証拠>と、弁論の全趣旨によれば、本件事故発生前原告方には、妻しげ(当六三才)のほか長男光雄(当三一才)とその妻三代(当三二才)、子らが同居し、三代は他に勤め少くとも日給五〇〇円以上稼働していたところ、原告の受傷加療中は、歩行不能または困難のため入院期間中はもちろん、通院もしくは自宅療養中も、右しげの附添介助を要したので三代をして勤めをやめ、家事に従事させざるを得ず、このため、昭和四二年一月一日から同年四月三〇日までの一二〇日間少くとも賃金相当額の日額五〇〇円の割合による金銭合計六万円を支払わざるを得なかつたことが認められる。
(ホ) 逸失利益
<証拠>を総合すると、本件事故発生前原告は、家族らと共同して田畑約2.8ヘクタールを耕作し、年間四八万円以上の農業所得を得ていたこと、昭和四二年一月一日から同年六月末頃までの約一八〇日間は、全く農業に従事できなかつたことが認められ、この間収入の減少を招来したことが一応推認されるところ、他方本件受傷加療期間中の約四〇日分を含む昭和四一年度分の農業所得額は四八万二五六〇円にすぎないのに、右加療期間中の約一八〇日間分を含む昭和四二年度分の農業所得額は却つて増収し六六万二〇八〇円に達することが認められるので、これらの事実によると結局原告の受傷による農業所得上の増収額を確定的に評価できないといわなければならない(その原由は、原告自身の就労を得ないで、単にその指揮・指図をうければたりる作柄に転換したか、もしくは他の家族労働を強化して原告の労働に代替したか、またはそもそも原告方の農業所得における原告自身の寄与率の点に存するのか、全く主張立証がない)ので、原告のいわゆる財産的損害としての逸失利益の主張は採用に由ない(尤も就労不能により一応減収を招来することは、さきに推認したところであるから、慰謝料の算定にあたつて、これを増額的要素として考慮することとする)。
(ヘ) 慰謝料五〇万円
叙上諸事実を総合すると、原告が本件受傷により蒙つた精神的苦痛は多大であると推認されるから、これが慰謝料としては五〇万円が相当である。
(3) 過失相殺
原告は以上(2)の(イ)ないし(ニ)および(ヘ)の合計六九万八三五〇円の損害を蒙つた次第であるが、前記一の(1)認定の原告の過失を斟酌すると、このうち被告らに対し、賠償を求めうるのは、三五万円である。(なお被告らは原告が入浴を厳禁されている打撲症であるのに、漫然入浴して病状を悪化させたから損害の拡大についても過失がある旨主張するが、なる程前記認定のとおり、原告が受傷当初入浴したこと、専門医の加療方法の一が冷湿布であつたことが認められるものの、医師の指示により入浴を禁じられたとの証拠はなく、受傷の程度は当初軽微に思われたため、やや不用意に入浴したにすぎないことが推認されるので、本件では入浴の事実を損害拡大上の過失として賠償額の算定にあたつて考慮するのは相当ではないから、被告らの右主張は採用しない。)
(4) 弁護士費用六万円
<証拠>によれば、原告は、昭和四二年一月以降の損害につき、被告久枝に賠償請求をしたところ、その代理人弁護士から拒まれたため、本訴の提起と追行方との手数料・実費として、昭和四二年八月八日原告訴訟代理人弁護士に八万円を支払つたことが認められるが、事案の難易・本訴の経過、前記認容額等を併考すると、そのうち六万円は、本件交通事故と相当因果関係にたつ損害にあたるものと解する。(薦田茂正)