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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9507号 判決 1971年4月22日

原告 塩沢ぬい

右訴訟代理人弁護士 村田寿男

被告 東徳三郎

右訴訟代理人弁護士 市来八郎

主文

被告は原告に対し、原告が別紙物件目録記載第二の建物を、賃料一か月一万六〇〇〇円、賃貸期間二年との約定で被告に賃貸の提供をなし、かつ右建物を引渡すことを条件として、別紙物件目録第一の建物を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決はかりに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一、原告

主文同旨の判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする

との判決。

第二当事者の主張

一、請求の原因

(一)  原告は昭和一〇年頃被告に対し、原告所有の別紙物件目録記載第一の建物(以下本件建物という)を賃貸し、昭和三七年四月一日右賃貸借につき次のとおり約定して更新した。

1 賃料 月額四〇〇〇円。

2 賃料支払日 毎月二八日。

3 期間 向う三か年。

(二)  ところで、本件建物は原告の先代が昭和の初め頃建築したものであるため、老朽化が進み、朽廃の状態と言えないまでも、それに近い状態に達している。

すなわち、本件建物の土台は、昔式の置石に柱を乗せてあるだけなので、腐蝕の進行が早く、その土台柱を指で押すと何センチも突きささるほどになっており、既に腐蝕してなくなっているところもあって、その部分に被告がセメントを塗っているが、いつ建物がくずれるかわからない状態である。また、本件建物の内部は、雨もりの跡が天井から壁全体にひろがっているので、天井裏の腐蝕も相当程度進行しているとみられ上敷居(はり)が下がり、建具もしまらない状況である。

(三)  従って、原告としては、本件建物を建物として維持していくには、少くとも建物の重要構成部分を取りかえる大修理を加える必要がある。原告は本件建物のほか、相隣接した敷地に同一年代に建築された同一構造の木造建物四棟を所有しているところ、右四棟の建物については、既に建物を持ち上げて土台を取りかえ、屋根、床、柱などの重要構造部分の大修理を完了しているのであり、本件建物だけが修理未了となっている。

もし、本件建物を大修理を加えないで放置しておいた場合、本件建物が早晩朽廃に達して滅失するに至るのみでなく、本件建物の敷地が借地であるところから地主から借地権消滅を理由に土地明渡等の請求を受けることとなって、原告は先代から受けた財産を失い甚大な損失を蒙るに至ることが明らかである。

(四)  以上のような次第で、原告は被告に対し、しばしば口頭をもって、本件建物に大修理を加えるからその修理を終えた前記四棟の建物のうち一棟に移転して貰いたい旨交渉したが、被告はこれに応じようとせず、次いでその解決のため原告が昭和四一年に中野簡易裁判所に調停の申立てをしたが、被告が応じないため不調となった。

そこで、原告に対し、改めて昭和四二年八月一八日付同月一九日到着の内容証明郵便をもって、大修理の必要性のあることを理由に、被告の転居先として原告所有にかかる別紙物件目録記載第二建物を、賃料月額一万六〇〇〇円、期間向う二か年との条件で賃貸提供しその引渡しをすることを条件として、本件建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(五)  ところで、原告が被告に転居先として提供することを申入れた右代替建物は、大修理を終えた前記四棟の建物のうちの一棟であって、本件建物の二軒隣りに位置し、その敷地、建物の構造その他庭囲いの生垣に至るまでほとんど同一であり、現在空屋にしているものである。右代替建物は原告が合計八二万二四二〇円の費用を投じて前記修理改造を加えたものであって、これを新たに賃貸する場合の適正価額が月額三万円を下らないものであり、近隣の建物の賃料と比較しても、原告が被告に賃貸条件として示した右賃料額一万六〇〇〇円は格安であることが明らかである。もっとも、本件建物の賃料は、本件建物が地代家賃統制令の適用を受ける建物である関係があり且つ昭和三六年以来増額していないところから、現在月額四〇〇〇円となっているのであるが、右法令自体現下の社会情勢において実情に副わない不合理なものであるうえ、諸物価が昭和三六年頃に比べて二倍乃至四倍程度上昇していることを考慮すれば、本件建物の賃料額は、原告の提示した右代替建物の賃料額の相当性を否定する根拠とならないものであるというべきである。

また、被告はその一生ともいえる期間、本件建物に安価な賃料で居住し、停年まで富士銀行に勤務して相当な地位にあって退職し、現在信用金庫に勤務し、長男は中央大学を卒業して他に家を構えてデパートに勤務、長女は慶応義塾大学を卒業して会社に勤務(原告の前記解約申入当時)、二男は早稲田大学に通学(同じく解約申入当時)している情況にあり、その生活の程度、内容からして、被告は一戸建の庭のついた門構えのある右代替建物の賃料として月額一万六〇〇〇円程度の出費をなし得ないということはなく、原告の請求が被告の苦痛のみをはかろうとするものでないこと明白である。

(六)  以上のとおり、原告の被告に対する前記賃貸借の解約申入れには、正当の事由のあることが明らかであって、本件賃貸借は、右解約申入後六か月の法定期間を経過した昭和四三年二月一九日をもって終了したものというべきである。

よって、原告は被告に対し、請求の趣旨記載の条件をもって本件建物の明渡を求める。

二、被告の答弁および主張

(一)  請求原因(一)項は認める。

但し、被告が本件建物を賃借したのは昭和九年九月頃である。

(二)  同(二)項中、原告の先代が昭和の初め頃、本件建物を建築したものであることは認めるが、その余は否認する。

本件建物は全体的に観察してみて、到底朽廃に達しようとする程度の危険な状態にあるということはできないし、かりに、僅少の部分的個所にいたんでいるところがあるとしても、被告一家が住居しながらも充分補修できる程度のものである。

(三)  同(三)項中、本件建物の敷地が借地であることは認めるが、本件建物が大修繕を必要とするとの点、本件建物が滅失した場合原告の借地権が消滅するとの点はいずれも否認する。

すなわち、原告は本件建物の敷地およびこれに隣接する原告所有の四棟の建物の各敷地と合わせた一六〇坪を一括して地主から賃借しているのであるから、本件建物が朽廃により消滅したとしても、本件建物の敷地部分のみについて借地権を失うということはあり得ないし、かりに、本件建物の敷地部分のみについて別個に賃借権が設定されたとしても、地主との間で昭和四年に期間二〇年と定めて賃借したものであれば、昭和四四年に法定更新になり、さらに同年から二〇年間の賃借期間が存続することが明らかである。

(四)  同(四)項は認める。

(五)  同(五)項中、原告主張の代替建物が本件建物の二軒隣りに位置しその敷地、建物の構造、庭囲いの生垣が本件建物とほとんど同一であって、現在空家となっていることおよび被告の職業および家族関係が原告主張のとおりであることは認めるが、代替建物の改修費用の点は不知、その余はすべて否認する。

すなわち、被告は何らの資産のないサラリーマンであり、昭和三六年九月従来勤務していた銀行を退職し、その後別会社に勤めているが、生活に苦しく二男の教育費も思うにまかせない状況であり、しかも、将来子供らが全部独立した後は仕送り等生活の援助を受ける見込も全くないから、本件建物から追い出されて、より高額な賃料の建物に移転することとなることは、被告一家の生活の破滅を意味するものである。

(六)  同(六)項は争う。

(七)  原告主張の賃貸借解約の申入れには正当事由がない。すなわち、

1 被告は本件建物を昭和九年九月頃、原告の母塩沢栄から賃料二〇円で賃借し、その後その賃料を昭和二九年頃に一七〇〇円、昭和三一年に二三〇〇円に増額され現在に至っているのであるが、その間被告は原告側の右賃料増額の申入れに対して一度も異議を言うこともなくそのまま同意してきたものである。

2 本件建物は、終戦後原告が全く修繕をしないので、被告側において丹念な手入れをしてきたものであり、現在においても原告が主張するような著しい腐朽個所も破損個所もなく、今後一〇年以上は確実に居住可能である。

3、本件建物がかりに朽廃により滅失するようなことがあったとしても、原告主張のように、その敷地部分の借地権が消滅するものでないことは前記のとおりである。

4、被告の生活内容が前記のとおりであるのに比し、原告はクリーニング店を営み、本件建物のほかに隣接して貸家四戸を所有し、さらに練馬にアパートを経営しているものである。

以上を綜合すれば、原告が本件建物の賃貸借を解約しなければならない正当な理由の存しないことは明らかであり、おそらく、原告の意図は、本件建物が地代家賃統制令の適用のある建物であるところから、これに改造を加えることにより、右法令の適用をはずすことにあると推測されるのであるが、原告がそのような経済的利益を図ることを目的として、被告の生活を脅かし、被告の有する借家権を侵害することは許されないというべきである。

なお、原告は、前記賃貸借解約の正当事由を補助するため、被告に対し代替建物の賃貸提供をしているのであるが、前記のとおり解約の主なる事由が全く存在しないものである限り、解約の正当事由が満たされたと言うことはできないし、また、右代替建物の賃貸提供のみではその正当事由が存在したことにならないことが明白である。

よって、原告の本訴請求は失当である。

第三証拠≪省略≫

理由

原告が被告に対し、昭和九年九月頃(右賃貸年月日は≪証拠省略≫により認める)以来、原告所有の本件建物を賃貸していること、右賃貸借の賃料が昭和三六年四月一日以降月額四〇〇〇円であること、原告が被告に対し、昭和四二年八月一八日付同月一九日到達の内容証明郵便をもって、本件建物を大修繕する必要のあることを理由として、原告主張の代替建物を賃料月額一万六〇〇〇円、期間二か年の約定で賃貸提供することを条件に右賃貸借契約を解約する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

そこで、以下原告の右賃貸借契約の解約申入れに正当事由があるか否かについて判断する。

≪証拠省略≫によると、本件建物は、土台および土台に接する柱の一部が腐蝕し、建物の柱が若干傾斜してふすまを閉めると上部に二七・八ミリの隙間が生じているところがあるほか、壁に亀裂の生じているところ、壁と柱との間に若干の隙間の生じているところ、さらに床の間の天井に雨もりの跡が見受けられるが、軒も傾いておらずまた床が下っている個所もなく、全体的にみて建物がしっかりした構えを保っていることが認められ、さらに≪証拠省略≫によれば、被告方において、これまでの間に、本件建物の土台およびこれに接する柱の腐蝕部分にセメントを塗り固めて補強したり大工に依頼してその一部を取り替え修理したりし、また屋根にはトタンを差し込んで雨もり防止の補修をしたことがあるが、本件建物は現在のところ居住生活に何ら支障のない状態にあることが認められる。右の事実を総合すると、本件建物が、原告の主張するような朽廃に近い危険な状態にまでには達していないことが明らかである。

しかし、本件建物が昭和の初め頃建築された相当古い建物であることは当事者間に争いがなく、朽廃に近い状態に達していないとは言え、土台に接する柱などが腐蝕しはじめていることが外部からも容易に観察することができ、現に被告において応急的に補強手入れを加えてきていることから推して、本件建物につきなお長期の期間耐用命数を保たせようとするためには、相応の修理を施す必要のあることが容易に肯認でき、そして常識的にみても、建物が朽廃状態に達してしまってから補修するのでは、技術的にも困難な面が生じまた新築するに等しい多額の工事費用を要することとなるも当然予想されることを考えると、原告が建物の耐用命数を保ってその財産を確保するため、現時点において本件建物を修築しようとすることは、建物の前記状態に照らしみて、早期に過ぎ且つ不要のものということはできない。

ところで、≪証拠省略≫によると原告は訴外松本国蔵から賃借する約一六〇坪の地上に、本件建物のほか同一年代に建築された建物四戸を所有しているところ、右四戸の建物については、いづれも相当の費用を投じ、建物を持ち上げて土台石(大谷石)を撤去してコンクリート土台にし且つ腐蝕する柱を取りかえ、また屋根のふきかえ、壁の塗りかえなどして修築を完了していること、原告は本件建物についても、右同様の修築を施すこととしているのであるが、右修築工事を施すには本件建物に被告が居住したままでは困難であることが認められ、右認定に反する証拠がない。この点について、被告は、本件建物は原告が意図するような大修繕を施す必要がなく、被告が居住しながらもできる程度の修繕を加えることで充分である旨主張し、≪証拠省略≫も右主張に副う証言をしているのであるが、古くなった建物を最少限度の修築にとどめることも可能であっても、根本的な大修築を施せばそれだけ耐用命数も長くなりまた将来における部分的な修理等の必要がなくなることで得策な場合もあるのであるから、その所有者である原告が後者の方途を選ぶこととしたからと言って、ただちに不当なものということはできない。特に本件においては、≪証拠省略≫によると、本件建物の基礎工事が、土台として大谷石をならべただけの昔式の方法によったものであるところから、原告は建物の長期保全をはかるため、右土台を耐用性の強いコンクリート土台にさしかえることを必要としたものであることが認められ、右認定に反する証拠がない。なお、原告は、本件建物に大修理を施すことを必要とする理由として、その敷地が借地であるところから、本件建物が朽廃により滅失するに至った場合、地主から原告の借地権消滅を理由に土地明渡等の請求を受ける虞れのあることを挙げているところ、本件建物の朽廃による滅失により直ちに原告が右借地権を失うに至るかはたやすく断定できないが、≪証拠省略≫によると、原告は本件建物に隣接する前記建物の四戸を改修するに際しては、地主からそれぞれ各建物につきその敷地部分に相当する土地の契約更新料を請求され、その支払をしていることが認められることに照らすと、本件建物が滅失した場合、原告は地主から本件建物の敷地部分について明渡を求められるか、或いは少くとも多額の更新料の請求を受ける虞れのあることが推認でき、その場合、原告が法律上理由がないとしてこれを拒めば、地主との間に紛争が生じ、その紛争が解決にならない限り、事実上右敷地に建物を建築できない状態となることも予想されることであるから、原告の前記主張も全く根拠のないものでないというべきである。

以上説明したとおり、原告に本件建物を改築する必要のあることが認められるのであるが、原告は、右賃貸借契約の解約に伴って生ずる被告の居住建物を失うことの不利益を補うため、被告に対し、その移転先として別紙目録第二記載の建物を原告主張の条件で賃貸提供する旨申出ているものであるところ、右代替建物は本件建物の二軒隣りに存し、その敷地の広さ、建物の構造その他庭囲いの生垣に至るまで本件建物とほとんど同一のものであること、右代替建物は現に空家になっていることは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によると、右代替建物は、原告が改修を終えた前記四戸の建物のうちの一戸であり、その改修には八〇万円余の費用を要したものであること、右代替建物は、昭和四四年二月現在における適正賃料額が月額四万円(敷金、権利金の授受のない場合)を相当とするものであることが認められ、右認定に反する証拠がない。ところで、本件建物が地代家賃統制令の適用のある建物であって、その賃料は現在月額四〇〇〇円であるから、被告が右代替建物を賃借した場合、被告は現在より高額の賃料の支払を余儀なくされることになり、その不利益は明らかであるが、前記のとおり右代替建物が原告が多額の費用を投じて改築を終えたものであり、且つ原告がその適正賃料額より相当安価な額の賃料を申出ていることからすれば、実質的に原告側においてもその損失の分担をなすことになるのであり、さらに原告が本件建物の改築をなし得ないで朽廃を早めることによる原告の不利益を考慮すれば、信義則ないし公平の観点からみて、被告に前記不利益の存すること自体は、原告の右解約申入れを不当とするほどの事由とならないというべきである。被告は、被告の生活状態に照らし、月額一万六〇〇〇円の出費は、被告の生活の破滅を導くことになる旨主張するが、右主張事実を推認させるに足りる証拠がない。かえって、原告は長年金融機関に勤務し、子供三名をいずれも大学まで進学させ、右賃貸借契約の解約申入れがあった当時、既に長男および長女は大学を卒業し職に就いていたことは当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告は中流程度の生活状態にあることを推認でき、また被告自身、本人尋問において、原告が提供を申出た代替建物に移転することを拒絶している理由は、家賃の点もあるが、荷物を移転するのが大変だからである旨供述していることに照しても、被告が右代替建物の賃貸提供に応じないのは、賃料の支払能力がないからでないことが明らかである。

なお、原告が被告に対し、数年前から、口頭により直接次いで裁判所に調停を申立てをして、代替建物の賃貸提供を条件として本件建物の明渡の交渉をしてきたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、被告は現在においても、本件建物の明渡しを前提とした原告のいかなる申入れにも応ずる意思のないことが認められる。また≪証拠省略≫によると、原告の夫利作がクリーニング業を営んでいた(同人の病気のため昭和四四年五月廃業)が、原告側においては、将来家賃収入と右利作の恩給が原告夫婦の生活費の収入源としようとしているものであることが認められる。

以上検討したところを総合すれば、原告が被告に対する前記内容の本件賃貸借契約の解約申入れには借家法所定の正当の事由が存するものと認めるのが相当であるから、原、被告間の右賃貸借契約は、右申入れから六か月を経過した昭和四三年二月一九日をもって終了するに至ったというべきである。

よって、原告の請求は理由があるので認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柿沼久)

<以下省略>

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