東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)176号 判決 1970年12月25日
東京都世田谷区太子堂四丁目二三番一三号
原告
羽島鉄義
右訴訟代理人弁護士
今川一雄
太田惺
田辺勲
東京都世田谷区若林四丁目二二番一四号
被告
世田谷税務署長
松村宗雄
右訴訟代理人弁護士
玉重一之
右指定代理人
岡崎栄
西園陸俊
高林進
大沢秀行
右当事者間の課税処分取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立
(原告)
「被告が原告に対し昭和四一年三月一二日付でした昭和三六年分所得税の更正のうち修正申告額をこえる部分及び重加算税の賦課決定のうち審査裁決により維持された部分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
(被告)
主文と同旨の判決
第二原告主張の請求原因
被告は原告に対し昭和四一年三月一二日付で、原告の昭和三六年分所得税につき総所得金額を九三三万二、九三〇円、税額を三五一万六、五九〇円と更正し、重加算税額一五七万一、〇〇〇円を賦課決定したが、そのうち重加算税額一五七万一、〇〇〇円は審査裁決によつて一部取り消され、一五二万九、〇〇〇円となつた。
しかし、右処分には左記のような違法の瑕疵があるので、同処分は取り消されるべきである。すなわち、
原告は、昭和三六年一月一〇日その所有に係る東京都世田谷区太子堂三七七番地所在の木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟四二・九七平方メートル(一三坪)及びその借地権六九・四二平方メートル(二一坪)を西松建設株式会社に代金一、四八〇万円で売り渡した。これに先だち、昭和三五年一二月一八日金子慎吾からその所有に係る東京都世田谷区三軒茶屋一五〇番地所在の木造瓦葺平家建居宅一棟一七九・六〇平方メートル(五四・三三坪)及びその借地権五九二・二六平方メートル(一七九・一六坪)を代金一、六一二万四四〇円で買い受けたが、右建物の所有権及び借地権は右代金の支払いと引換えに昭和三六年九月一一日に移転するとの約定であつた。原告が金子から右建物と借地権とを買い受けたのは、借地権の取得が目的であつて、建物は朽廃していて使用することができなかつたが、地主に対する関係上かかる売買の形式をとつたものであり、したがつて建物は金子において取りこわし、借地権だけが原告に引き渡された。原告は、昭和三七年一月から右借地上に地上四階、地下一階の延床面積一、九七七・三三平方メートルの鉄筋建てのビルの建築に着手し、同年九月初めに完成した。ところで、原告は、昭和三五年一月から昭和三八年二月まで東京都世田谷区野沢一丁目九二番地にも居住していたが、同時に前記西松建設株式会社に売り渡した建物にも居住していた。同建物は同時に原告が代表取締役をしている遊楽商事株式会社の事業用にも供されていたが、このことと原告の居住の用に供することとは両立しうるものである。そして前記鉄筋のビルが完成する以前である昭和三七年五月から原告は同ビルの三階をその居住用として使用し、完成後はその余を遊楽商事株式会社に賃貸し、同会社がその事業の用に供している。したがつて、原告がその所有する建物と借地権を西松建設株式会社に売り渡し、金子から借地権を買い受けたのは居住用財産の買換えであり、旧租税特別措置法(昭和三七年法律第四六号による改正以前のもの、以下「旧措置法」という。)三五条の適用を受け、譲渡に係る建物と借地権の譲渡による収入金額を取得に係る借地権の取得価額が上回るものであるから、譲渡所得の金額は零となる。そこで、原告は、昭和三六年分所得税の確定申告をなすに際し、所轄の世田谷税務署に出頭し、その資産税課係員の指導を受けたうえ、旧措置法三五条の適用を申請した。なお、その後の昭和三七年五月二日及び同月二二日の両日同税務署の所部職員が前記建築中のビルの原告の居室である三階を訪れて調査をしている。しかるに、被告は、旧措置法三五条の適用がないとして前記更正をなし、さらに、以上のとおりであつて原告にはなんら仮装若しくは隠ぺいの事実がないにもかかわらず重加算税を賦課規定したものであつて違法たるを免がれない。
仮りに右が認められないとしても、被告が原告の昭和三六年分所得税の更正をなしうるのは、昭和三七年三月一五日から三年を経過した日である昭和四〇年三月一五日までであつて、それ以後は許されないものであるところ、被告が右更正をなしたのは昭和四一年三月一二日付であるから、この点においても右更正は違法たるを免がれない。
第三被告の答弁及び主張
請求原因事実のうち、課税処分の経緯、原告がその主張のように建物と借地権とを譲渡し、また買い受けたこと、原告がその主張のビルを建築したこと、原告が買い受けた借地権について旧措置法三五条の適用を申請したこと、世田谷税務署所部職員がビルの建築工事中に調査したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。
被告が旧措置法三五条の適用を認めなかつたのは、次の理由によるものであつて、もとより適法である。すなわち、
原告とその扶養する親族(妻、長男、二男)は、昭和三五年一月から昭和三八年二月まで東京都世田谷区野沢一丁目九二番地に居住していて、西松建設株式会社に譲渡した建物は遊楽商事株式会社の事業の用に供されていたものであつて、原告らの居住用財産とは認めることができない。また、原告は、金子から昭和三五年一二月一八日建物と借地権を取得しているが、同建物には金子が昭和三六年七月三〇日ころまで居住しており、同年八月ころには同建物が取りこわされているので、原告がこれに居住したこともその見込みもなかつた。なお、原告の建築したビルが買替資産に当たらないことはいうまでもないところである。
被告が原告に対し重加算税を賦課決定し、昭和四〇年三月一五日を経過して後に更正をしたことが適法であることは、次の理由により明らかである。すなわち、
原告は、昭和三六年分所得税の確定申告に際し、世田谷税務署の所部職員に対し住民票を示したうえで、原告の住所となつている東京都世田谷区太子堂四三七番地(新表示同町四丁目二三番一三号)に所在する建物は、遊楽商事株式会社の事業の用に供し狭隘となり、これに居住することが不適当となつたため東京都世田谷区三軒茶屋一五〇番地に地上四階地下一階延床面積一、九七七・三三平方メートルのビルを建築し、同ビルの三階を居宅とする計画であるから、旧措置法三五条所定の居住用財産として認めて欲しい旨申し出たが、原告が実際に居住していたのは、昭和三五年一月一〇日から昭和三八年一二月一九日までは東京都世田谷区野沢町一丁目九二番地(新表示野沢二丁目一四番二五号)所在の建物であり、昭和三八年一二月二〇日以後は東京都世田谷区上馬三丁目八九一番地(新表示駒沢一丁目六番九号)所在の建物にその妻、長男及び二男の家族全員と起居を共にしていたのである。しかるに、原告は、原告のみ住所を昭和三五年二月八日野沢町一丁目九二番地から太子堂四三七番地に移して居住の事実を偽つて確定申告をしたものである。なお、原告が確定申告書を提出した昭和三七年三月一四日当時、すでに買替資産のうち建物を取りこわしてビルの建築に着手していたので、到底居住用財産とは認めることができないにもかかわらず、原告はこれを昭和三五年一二月一八日から居住の用に供しているので居住用財産であると称して旧措置法三五条の適用を申請している。このように原告は居住の事実を仮装隠ぺいし、買替資産又はビルの一部が居住用財産であると称して旧措置法三五条の適用を申請して虚偽の確定申告書を提出し、正当に納付すべき税額を免かれたものであつて、旧所得税法(昭和三七年法律第六七号による削除以前のもの、以下同じ)五七条一項、国税通則法七〇条二項四号に該当する。よつて、原告に対する重加算税の賦課決定及び昭和四〇年三月一五日を経過して後の更正はいずれも適法である。
(原告)
甲第一ないし第六号証を提出し、証人細川武雄、島津昌郎、中島健次郎、鶴巻稔の各証言並びに原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立は認める。
(被告)
乙第一号証の一ないし三、第二、第三号証、第四ないし第六号証の各一ないし三、第七、第八号証を提出し、甲号証の成立は認める。
理由
本件課税処分の経緯が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。
原告は、本件につき旧措置法三五条の適用があると主張するので、まずこの点について判断する。
旧措置法三五条に定める居住用財産の買換えの場合の譲渡所得金額計算の特例は、同条および同法施行令二四条(昭和三七年政令第一〇二号による改正前のもの)によれば、個人が居住用財産を譲渡し、当該譲渡の日前一年又は同日から一年以内にその者の居住の用に供する財産(右期間内に二つ以上の居住用財産を取得した場合には、当該個人又はその者の扶養親族の居住の用に供しているもののうち、主としてその用に供していると認められるもの)を取得し、その取得の日から一年以内にその者の居住の用に供した場合に、居住用財産を譲渡した日の属する年分の確定申告書に譲渡財産及び取得財産に関し必要な事項を記載した場合に適用があるものというべきところ、原告が西松建設株式会社に対し昭和三六年一月一〇日、その所有に係る東京都世田谷区太子堂三七七番地所在の木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟四二・九七平方メートル(一三坪)及びその借地権六九・四二平方メートル(二一坪)を代金一、四八〇万円で売り渡したこと、原告が金子慎吾から昭和三五年一二月一八日、同人所有の東京都世田谷区三軒茶屋一五〇番地所在の木造瓦葺平家建居宅一棟一七九・六〇平方メートル(五四・三三坪)及びその借地権五九二・二六平方メートル(一七九・一六坪)を代金一、六一二万四四〇円で買い受けたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一ないし第三号証、同第五号証、乙第一号証の一ないし三、同第二、第三号証、同第五ないし第六号証の各一ないし三、同第七、第八号証、証人島津昌郎、細川武雄、中橋健次郎、鶴巻稔の各証言並びに原告本人尋問の結果(但し、証人鶴巻稔、原告本人の各供述中、後記の信用しない部分を除く。)によれば、前記原告が金子から買い受けた建物と借地権は昭和三六年九月一一日までに明け渡す約定であつたが、金子は同年七月三〇日にこれを明け渡したこと、前記原告が西松建設株式会社に売り渡した建物と借地権は昭和三六年三月末日までに明け渡す約定であつたこと、右二つの売買契約書(甲第一、第二号証)に記載された原告の住所は「世田谷区太子堂町四三七番地」であること、原告が金子から建物と借地権を買い受けたのは、同建物に居住するのが目的ではなく、同建物を取りこわしてその借地上にビルを建築する目的であつたので、原告は、金子から同建物と借地権の明渡しを受けて直ちに同建物これを取りこわし、同建物につき所有権移転登記手続をせず、またこれに一度も居住しなかつたこと、原告は、同借地上に昭和三七年一月からビルの建築に着手し、同年一二月二五日にこれが完成したとして、昭和四一年一〇月一一日付で原告のため所有権保存登記を了しているが、そのビルの種類は店舗兼寄宿舎、原告の住所は「世田谷区太子堂四丁目二三番一三号」(旧表示世田谷区太子堂四三七番地)となつていること(原告が同ビルを建築したことは、当事者間に争いがない。)、原告は、同ビルの建築に際し、その三階部分の建築を急がせ、昭和三七年五月ころには同部分が殆んど完成していたこと、原告の戸籍の附票(乙第三号証)には、原告及びその家族(妻、長男及び二男)の住所は、昭和二一年五月一日以降は世田谷区太子堂四三七番地であり、昭和三五年一月一〇日以降は同区野沢町一丁目九二番地に移転し、その直後の昭和三五年二月八日以降原告だけが再び右同区太子堂四三七番地に戻り、原告を除くその余の家族が昭和三八年一二月二〇日以降同区上馬町三丁目八九一番地(新表示同区駒沢一丁目六番九号)に移転している旨の記載があること、原告がした昭和三七年三月一四日にした本件係争年分の所得税確定申告書(乙第一号証の一)に記載された原告の住所は「世田谷区太子堂町四三七」となつており、同時に提出された個人の再評価税申告書兼譲渡山林所得計算書(乙第一号証の二)に記載された原告の住所は「太子堂町四三七」が抹消されて「三軒茶屋一五〇」となつており、さらに原告が同年五月二六日にした本件係争年分の所得税修正申告書(乙第一号証の三)に記載された原告の住所は「太子堂町四三七」となつていること、原告は、世田谷区太子堂四三七番に所在する「遊楽パチンコ」店を中心としていくつかのパチンコ店を経営しているが、その事務所を同所に所在する建物の二階においていること、しかし、原告及びその家族が同所に居住したことは一度もなく、同人らは世田谷区太子堂三七三番地に居住しており、その後昭和三五年一月一〇日同区野沢町一丁目九二番地に移転したこと、右世田谷区太子堂三七三番地に所在する建物は、原告が昭和二三、四年ころ建てたものであるが、原告及びその家族が移転して後は一〇年近くもの間全く空家として放置し、留守番もおいていなかつたが、同建物は前記同区太子堂四三七番地にも近く原告の営業上相当に便利であつたこと、原告は、仕事の性質上夜遅くなることが多く、そのために家族のところに帰らず、その後買い求めた前記西松建設株式会社に売り渡した建物を利用し、また前記ビルの三階部分が完成して後は、その八畳敷部分及び同面積の隣室を利用することがあり、同所に一応原告の寝泊りに必要な物を置いていたこと、しかしながら同ビルは、原告が代表取締役をしている遊楽商事株式会社に賃貸され、その地階は駐車場、一階はパチンコ店、二階はレストラン、三階は同会社の女子社員寮等、屋場はゴルフ練習場として利用され、娯楽センター「橘」として同会社の事業の用に供され、同会社の賃料支払調書にも同ビルの全部を借り受けている旨記載されていること、原告は、本件係争年分の所得税確定申告をなすに際し、予め所轄の世田谷税務署に出頭して前記建物と借地権の売買について旧措置法三五条の適用の有無について尋ねたが、原告において前記西松建設株式会社に売り渡した建物に居住し、その後は前記ビルの三階に居住しているものと申述しただけで、他に世田谷区野沢町一丁目九二番地に住居のあること等を述べなかつたため、同署所部職員は当然原告の家族も原告と生活を一にしているものと考え同法条の適用がある旨回答したこと、このことは、その後昭和三七年五月に同署所部職員が同ビルに調査に赴いた際にも同様であつたこと、そこで原告は、本件係争年分の所得税確定申告をなすに際し、前記西松建設株式会社に売り渡した建物と借地権とを譲渡財産とし、金子から買い受けた建物と借地権とを取得財産として旧措置法三五条の適用を申請し、譲渡所得の金額を零として申告したこと(原告が同法条の適用を申請し、かかる確定申告をしたことは、当事者間に争いがない。)を認めることができ、以上の諸事実によれば、原告およびその家族は、原告が取得居住用財産として申告した金子から買い受けた建物に居住したことはなく、原告が建築したビルは、原告が帰宅の遅れたときに時折利用していたにすぎないので、旧措置法三五条所定の取得居住用財産ということはできず、原告及びその家族が主として居住の用に供していたのは、昭和三五年一月一〇日以降は世田谷区野沢一丁目九二番地所在の建物であり、昭和三八年一二月二〇日以降は同区上馬町三丁目八九一番地所在の建物であると認めるを相当とし、以上の認定に反する趣旨の証人鶴巻稔、原告本人の各供述部分は、前掲各証拠と対比してたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。よつて、原告の旧措置法三五条の適用があるとする前記主張は通用し難い。
次いで原告は、本件申告につき仮装、隠ぺいの事実がないから、本件重加算税の賦課決定および更正は許されない、と主張するので、この点について判断する。
前認定のように、原告及びその家族は金子から買い受けた建物を全く居住の用に供していなかつたにもかかわらず、これをその取得居住用財産であるとして申告したことは、原告がその所得税額の計算の基礎となるべき事実を隠ぺい又は仮装して申告し、偽りその他不正の行為により税額を免かれようとしたものであると認めるを相当とし、右認定に反する趣旨の甲第五、第六号証の各記載、証人鶴巻稔、原告本人の各供述部分は、当裁判所の採用しないところであり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。されば、被告は、旧所得税法五七条一項の規定により重加算税を賦課決定することができ、また国税通則法七〇条二項四号の規定により本件係争年分の所得税の法定申告規限である昭和三七年三月一五日から五年間更正をなしうるものというべきであるから、原告の前記主張も採用し難い。
以上説示のとおり、被告の本件処分には原告主張のごとき違法の瑕疵はなく、同処分は適法なものというべきであるから、原告の本訴請求は理由がなく、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 渡辺昭 裁判官 竹田穰)