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東京地方裁判所 昭和42年(行ク)33号 決定 1967年9月26日

申立人 白順玉 外二名

被申立人 東京入国管理事務所主任審査官

主文

被申立人が申立人らに対する昭和四二年五月九日付第一五九号、第一六〇号、第一六一号退去強制令書に基づく執行はいずれも当裁判所昭和四二年(行ウ)第一二一号退去強制令書発布処分取消訴訟の判決の確定に至るまで、これを停止する。

申立費用は、被申立人の負担とする。

理由

一  申立人らの申立ての趣旨および理由は、別紙一のとおりであり、被申立人の意見は、別紙二のとおりである。

二  本件疎明資料によれば、申立人白順玉は現在満二八才の朝鮮人主婦であり、また、申立人梁京愛(昭和三六年五月二二日生)、申立人梁京賢(昭和三九年九月三日生)はいずれも申立人白順玉の子供で現在満六才と満三才の幼児であること、申立人白順玉は、昭和一三年一二月一六日大阪市東成区北中本町一ノ三九において父白相淑、母宗己貞の長女として出生し、じ来昭和二一年まで日本国内に居住していたが、同年秋頃、母および兄白永千、妹白順姫とともに韓国に帰国し、以後昭和二九年四月上旬までの約八年間同国に在住していたこと、その後昭和二五年初め頃兄は日本国に入国し父とともに生活していたところ(その後父は病気になつたためやむなく兄白栄千を残して帰国した。)、申立人白順玉は、昭和二九年四月二六日頃兄を頼つて単身韓国釜山から四国に上陸して日本国に不法入国し、その後昭和三五年三月二五日梁吉守と婚姻し同人の母とともに肩書住所に居住して、その間、申立人梁京愛および申立人梁京賢が生れ、夫婦親子仲睦まじく家庭生活を営んできたものであること、申立人らの夫であり父である梁吉守は、父梁成生と母泰郷姫との間の長男として昭和七年九月一一日大阪市東淀川区で大日本帝国臣民の一員として出生し(申立人白順玉と婚姻当時東京理科大学在学中)引き続き今日まで日本国で居住生活しているもので、日本国における永住許可申請の有資格者であること、申立人白順玉は、申立人梁京愛の学齢期が近づいたので、昭和四一年六月九日、東京入国管理事務所長に対して右不法入国の事実を申告したこと、昭和四二年二月二八日、東京入国管理事務所入国審査官が右事実について申立人白順玉を取調べのうえ同申立人を出入国管理令二四条一号(ただし、申立人梁京愛および申立人梁京賢については出入国管理令二四条七号に該当するものと認定したので、同申立人らにおいて、口頭審理の請求をなし、さらに同事務所特別審理官の右請求に対する判定に対して異議の申出を行なつたところ、同年四月二五日法務大臣によつて右異議申出は理由がない旨の裁決がなされ、その結果同年五月九日ついに申立人らに対する退去強制令書が発布されるに至つたこと、これより先、同年二月九日、申立人らを東京入国管理事務所に収容する手続がとられたが、申立人白順玉が急性肝炎ならびに低色素性貧血症を患い療養中であつたので、被申立人は、同日直ちに同申立人に対して仮放免を許可し、同申立人らは現に仮放免中のものであること、申立人白順玉は昭和四二年五月二二日前記病名により東京都足立区本木町一〇九八本木病院に入院加療し、同年九月九日退院し肩書住所地において現在自宅療養中であること、申立人白順玉は特別在留の不許可と収容送還を苦にして不安と絶望の状態にあり一種のノイローゼ的症状を呈していることがそれぞれ認められる。

以上の事実によると、本件各退去強制令書に基づく執行は、送還についてはもちろんのこと、収容についてもそれらによつて申立人らに回復の困難な損害を生じ、これを避けるため緊急の必要がある場合であると認めるを相当とする。

三  被申立人は、本件各申立ては「本案について理由がないとみえるとき」に該当するから却下されるべきである、と主張するが、しかし、申立人らが本案の理由として主張するところは、(一)本件各退去強制令書発付処分の先行行為である前記各裁決には裁量権の乱用ないし逸脱の違法がある。従つて、その後行行為である本件各退去強制令書発付処分も違法である、すなわち、法務大臣の右裁決にあたつての裁量は自由裁量ではなく、いわば先例法となつている従来の行政先例ないしは実例に拘束されるべきものであるが、従来の行政先例ないしは実例によれば、日韓条約締結前においては、本件のように不法入国者であつても日本国で嘗て居住し、日本国に住居をする肉親を頼つて入国した者あるいは日本国に居住権を有する者と夫婦または親子の関係にある者に対しては特別在留許可が与えられるのが圧倒的な行政処理の仕方であつたのであるから、日韓条約締結後においても右先例法を踏襲しこれを尊重すべきであるにかかわらず右裁決にあたり、法務大臣は上記の先例法に示された裁量基準を無視し、申立人らの異議申立てを棄却したのである、(二)右の各処分は、難民の地位に関する条約および国際赤十字の第一九回国際会議で採択された離散家族を再会させる決議等確立した国際法ならびに憲法九八条二項に違反し違法である、というにあつて、これを前記認定の事実に照して考えれば、本案が「理由がないとみえるとき」に該当するとは認められない。

四  よつて、本件各執行停止申立はいずれもこれを認容し、申立費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 杉本良吉 中平健吉 岩井俊)

(別紙)

執行停止申請書

申立の趣旨

被申立人が、昭和四二年四月二五日付で、申立人三名に対しなした各退去強制令書発布処分に基づく執行は、本案判決確定に至るまでこれを停止する。

との裁判を求める。

申立の原因

第一、本件各処分行為がなされた経緯

申立人白順玉は、昭和一三年一二月一六日生れで現在満二八才の朝鮮人主婦、申立人梁京愛(昭和三六年五月二二日生)、同梁京賢(昭和三九年九月三日生)はそれぞれ申立人白順玉の子供で現在満六才と二才の幼児である。

申立人白順玉は、昭和二九年四月二五日本邦に旅券なしで入国し、昭和三五年三月二五日現在の夫梁吉守と婚姻し、申立人京愛、同京賢を出生した。その後、昭和四一年六月八日被申立人東京入国管理事務所に自首したところ、申立人三名は不法入国ないし不法在留者として取調べをうけ、本年四月二五日付で法務大臣により出入国管理令第四九条の異議申立を棄却する旨の各裁決処分をうけ、併せて同日、被申立人主任審査官から各退去強制令書発布処分を受け、五月二日その旨の告知を受けたものである。

白順玉は、急性肝炎並びに低色素性貧血のため入院加療中であることから仮放免中の身であるが、京愛、京賢ともどもいつにても本邦からの退去を強制される得る立場におかれている。

第二、申立人等の経歴と家族関係

一、申立人白順玉は、昭和一三年、父白相淑、母宋已貞の間の長女として大阪市東成区北中之町で出生した。

父は、明治四〇年一〇月三日生で日本名を梁瀬永一と称し、大正の初め、一三才で本邦に働きに来て以来本邦で居住生活してきたもので、又母も幼少時本邦に来て生活しているうちに、一八才の時大阪で父と結婚し夫婦となつた。

右夫婦間には、他に長男として白永千(当三四才)、二女として白順姫(当二六才)があり、戦前は申立人白順玉ともども日本国民として本邦で居住生活してきたものである。

昭和二一年秋、小学校一年生のとき、申立人白順玉は、母につれられて、兄、妹と共に郷里(朝鮮済州道南済州郡大静邑新桃里一三九五番地)に帰国したが、父は商売の関係もあり(ヤスリ工場経営)引続いて本邦で居住生活を続けた。

その後、昭和二五年初頃、兄は生活苦と日本にいる父恋しさから本邦に入国し、父と共に生活していたが、父はその後病気になつたため止むなく一時、兄を残して帰国した。

白順玉は、昭和二一年秋帰国して以来、母、妹と生活していたが、頼りにしていた兄も日本に戻つてしまい、又、その後帰国した父も病気の上仕事にも失敗し生活に窮したこともあつて、当時中学生であつた白順玉は日本でひとり生活している兄を頼つて昭和二九年単身本邦に入国したものである。

二、入国してからは、大阪市城東区で兄と共に生活し、近くの工場で働いていたが、その後、昭和三五年梁吉守と婚姻(正式屈出済み)した。

結婚後、夫とその母と共に東京で居住生活してき、その間、昭和三六年に長女として申立人京愛(現在幼稚園児)が、昭和三九年に長男として申立人京賢が生れ、夫婦、親子仲睦まじい家庭生活を営んできたものである。申立人白順玉が、不法入国の点を除き、善良な市民として生活してきたことはいうまでもない。

三、右のように、申立人白順玉は既に本邦で引続いて十三年居住し、家庭を築いて生活してきたが、不法入国の事実をいつまでもかくしておくことは良心の呵責もあつて続けられず、又、申立人京愛が学令に近づいていることもあり、昭和四一年六月、東京入国管理事務所に自首したものである。

外国人登録法違反で罰金を納付しあとは、従来の例からみても当然許可されるはずの本邦での在留特別許可を待ちわびて出入国管理令による法定手続をとつて今日に至つたところ、本年五月二日、突如、申立人三名の異議申立が棄却され同時に退去強制令書が発布されたことを告知されたものである。

四、申立人三名に対する退去強制令書の執行により、申立人一家の平穏な家庭生活が根底からくつがえされてしまうことは明らかである。

申立人等の夫であり父である梁吉守は、父梁成生の母泰郷姫との間の長男として昭和七年一一日大阪市東淀川区で大日本帝国臣民の一員として出生し、以来今日まで三五年間、終始一貫本邦で居住生活して今日に至つており、本邦における永住申請有資格者である。

梁吉守の母は、既に老令病弱にして生活能力がなく、長男である梁吉守夫婦の扶養扶助のもとに生活している身であり、又長女梅子(当二七才)、次男梁吉弘(当二五才)ともども本邦にて居住生活してゆくべき立場にある。特に、次男梁吉弘は、昭和三六年六月、日本人である折橋一子と婚姻し、その間には長女梁京子(当四才)、長男梁京孝(当二才)が生れており、今午とも本邦で居住生活してゆかなければならない立場であり、同じく本邦における永住申請有資格者である。

このようにして、申立人等の夫であり父である梁吉守は本人の肉親との関係で本邦から離れることが不可能であるばかりか、もともと本邦で永住居住でき又その意思のある者である。従つて、若し、申立人三名が強制送還されるときは、申立人等一家は夫と妻、父と子が生き別れの状態に陥り、その家庭生活が根底から破壊されてしまうことは明らかである。

更に又、若年の主婦白順玉が、幼児である申立人京愛、乳呑児である申立人京賢を抱いて強制送還されたとき、失業者が泥乱し経済的に極度のひつ迫状態にある韓国において、全く生活の道を絶たれ絶望的な生活に陥ることは明らかである。白順玉の父は既に死亡し、妹は他家に嫁ぎ、南朝鮮には年老いた母が本邦からの申立人夫婦の仕送りで辛うじて生活している状態なのである。強制送還処分は、申立人等一家を生き別れの悲惨な状態におくばかりでなく、申立人三名の生存すら危やふい状態に追いやるものである。

第三、本件退去強制令書発布処分及び異議申立棄却の裁決処分は以下の理由により、いずれも違法な行為であるから取消さるべきである。

一、裁量権の乱用ないし逸脱による違法

(1) 出入国管理令第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については、第五章に規定する手続により本邦からの退去を強制することができる」と定め、その第一号には、旅券なしに本邦に入つた者が規定されている。

こゝで注意すべき点は、「退去を強制しなければならない」と定めずに、「退去を強制することができる」としていることである。

その法意は、要するに出入国の問題は政治的、歴史的諸事件のからみあつた渉外問題にかかわる関係から、形は退去強制事由に該当しても一律に退去を強制することが不合理な場合が多く、事情によつては、退去強制すべきでない事例が多々存することが予想されたので、退去強制するかしないかの裁量の余地をもうけたものである。

管理令第五〇条もこれを受けて、かりに不法入国その他管理令第二四条各号に該当する事情が明らかな場合でも、「左の各号の一に該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる」として

第一号「永住許可を受けているとき」

第二号「かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき」

第三号「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」

と定め、管理令施行規則第三五条も「令第四九条第一項の期定による異議の申立は、………異議申立書に左の各号の一に該当する不服の理由を示す資料を添付したものを提出することによつて行わなければならない」として、「四号―退去強制が甚だしく不当であることを理由として申出るときは、審査、口頭審理及び証拠に現われている事実で退去強制が甚だしく不当であることを信ずるに足りるもの」

と定めているのである。

法務大臣の本件裁決及びこれを先行行為としてなされる被申立人主任審査官の本件退去強制令書発布処分が、前記裁量の範囲をこえ又はその乱用があつた場合に、違法なものとして取消さるべき行為となることは明らかである。

(2) そして、従来から、管理令五〇条の特別在留許可制度についてはおびただしい行政実例が集積されてきており、入管行政にタツチしている人間はもとより、いわばこれに関心のある者の間では、かくなるときはかくなるべし、という行政先例法ないし、非常に強固な行政基準が刑成されているのである。

そして、右の不法入国者というのもそのほどんど全部が朝鮮から玄海灘を越えてきた朝鮮人である。そこで形成された特別在留許可の基準は、本邦に居住する両親、兄弟、姉妹、親類を頼つて入国してきた者に対しては在留を許可する、というものであり、特に、本邦に居住する者が両親、兄弟、姉妹子供である場合、更にはその両親、兄弟、姉妹が戦前から引続いて日本に居住している場合には、ほとんど例外なく在留許可を与えているのである。又日本人と結婚したり、戦前から居住している在日朝鮮人と結婚したような場合、その配偶者、子供に特別在留許可を与えているのである。その上本邦にいる肉親以外には頼る者がいないとき、入国者が学生又は若年者乃至婦女子である場合等の条件が加われば、特別在留疑いなし、というのが永年の行政実例の集積から生み出された極めて明確な基準なのであつて、入管職員はおろか、在日朝鮮人社会での法的確信にまで至つているのである。

いわば右の如く日本にいる肉親を頼つて入国してきた者や、本邦におけるしつかりした居住権を有する者と夫婦、親子の関係に立つ者に対しては特別在留許可を与えるのが圧倒的な行政処理の仕方であり、むしろ、朝鮮人以外の一般外国人の場合は退去強制するのを原則とし、特別在留許可を与えるのは例外であるのに、朝鮮人入国者の場合には原則と例外が完全に逆転して特別在留を与えるのが原則となつているのである。

この意味で、管理令五〇条は、数ある管理令の条文の中でも実際の機能の重要さにおいて比を見ない極めて重要な条文となつており、その条文の運用については確固たる先例法が形づくられているのであり、条文の文理解釈から単なる自由裁量規定と速断するのは大きな誤りである。

そして、何故に、実際機能において、管理令五〇条が、朝鮮人入国者に在留許可を与えるための法条となり、確固なる行政先例法を形づくつたかというと、それは日本と朝鮮との間の過去の歴史的特殊事情の反映にほかならない。周知のとおり、日本政府も最高裁判所も、サンフランシスコ条約が発効した昭和二七年四月二八日迄は朝鮮人就中在日朝鮮人は日本国民であつたとしている。戦前は朝鮮人もれきつとした日本国民の一員とされており、申立人もその一家も朝鮮人固有の姓名を禁じられて、戸籍上も日本名を使用し、日本人になりきるための生活を何十年にもわたつて続けてきた。

それが、サンフランシスコ条約により、自動的に、一律に日本国籍を離れ外国人である朝鮮国民になつてしまつた。通常、このような場合、従来の日本国籍を保留するか、或いは、元の朝鮮国籍に戻るかの選択権を与えるのが一般国際社会での慣行であつたが、在日朝鮮人の場合にはその選択の余地なく、一挙に「外国人」とされてしまつた。しかし、形は「外国人」となつたところで、数十年にわたる日本での生活の実積と、それによつて築きあげられた日本社会での定着の事実をくつがえすわけにはいかない。日本国憲法の基本的人権の尊重の立場、居住権の保障、それになによりも在日朝鮮人が日本と朝鮮との過去の痛ましい関係の歴史的遺産であることを考えると、「これからは外国人だから国外追放」ということは正義と公平の観点から到底容認できないところであつて、いわば日本人に準じた立場が暗黙のうちに認められて今日まで居住生活してきたものである。

ところが、在日朝鮮人六〇万人には、朝鮮に親、兄弟、子供親類のいる人が沢山いる。戦争中、親は日本で徴用で働き、妻子は空襲をさけるため朝鮮に疎開させたまま生き別れてしまつた場合とか、終戦直後家屋の一部が様子をみに帰国し、そのうち入国禁止命令で生き別れてしまつた場合とか、いろいろあるが、玄海灘を堺にして家族がバラバラになつてしまつたケースが非常に沢山ある。朝鮮人の不法入国者の多いことは、こうして生き別れの肉親が再会し生活を共にする切実な要求に基づくものが圧倒的に多数なのである。

このような、歴史的特殊事情が、条理に裏打ちされて、朝鮮人不法入国者就中日本にいる家族を頼つて入国してきた入国者とか、日本に戦前から居住していて今午も永く生活してゆくべき人間と婚姻したり、その子供として出生した者などの場合には在留資格を与えて一家そろつて生活できるようにしよう、という無数の行政実例となつてあらわれてきたものであり、そこには、「自由裁量だから退去強制することもできるのだが、可愛想だから裁量権を行使して救つてやろう」というようなものではなく、将に在留を認めることが当然であり、条理に合致することであり、在留を認めないことは不正義である、との法的確信が存したのである。

ここで附言しておきたいことは、申立人等の在留の可否の問題は、一人申立人のみの問題ではなく、それと不可否の関係で申立人の家族の居住権にかかつてくることである。既に明らかとなつているように、申立人等の父であり夫である梁吉守は戦前から終始一貫本邦で居住生活しており、日韓条約の法的地位協定で永住資格を有しており、ここに永住する権利があるが、それは単に「自分だけ日本にいられればよい」というものではなく「人間らしい家庭生活を営んで居住する」ことであり、愛する妻や子にあたる申立人等が独り強制送還され、愛する妻子と別離の生活を続けるとするなら、父であり夫である者の居住権の実質は奪われてしまうことになる。申立人等を国外追放することは申立人等の夫であり父である梁吉守の本邦での生活を破壊することにもなるのである。日本にいる家族が昭和二七年法律第一二六号該当者即ち戦前から引続いて本邦に居住してきている者の場合、その親族に当る不法入国者がほとんど例外なく在留許可を与えられているのは、このような家族の場合生活の中心は本邦にあり、本邦で家族全員がそろつて居住生活できることを保障することが正義と公平、人道と人権ひいては日本国憲法に合致するとの判断がなされてきたことによる。

(3) 昭和四〇年六月二三日付法務大臣の声明も、従来のこうした先例法を踏襲し、これを確認するものといつてよい。

昭和四一年一月一七日施行された「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」によれば、「日本国及び大韓民国は多年の間日本国に居住して居る大韓民国国民が日本国の社会と特別な関係を有するに至つていることを考慮し」(前文)て、その第一条第一項は(A)戦前から引続いて日本に居住している者、(B)終戦後(A)の子として出生し引続いて居住している者には日本国での永住権を与える旨定めている。

梁吉守は右(A)該当として永住権申請資格があり、原告白順玉も帰国さえしなければ、当然永住権を付与されるべき立場にあつた。そして、一時帰国したとしても、同条項(B)該当者とほぼ同じか或いはそれ以上の待遇を与えられてしかるべき立場にある。

現に、法務大臣は、右法的地位協定調印にあたり、戦後入国者の取扱いに関し、次のとおり声明を発表している(昭和四〇年六月二三日付朝日新聞朝刊)。

即ち

「終戦前から日本国に在留していた大韓民国国民であつても終戦後平和条約発効までの期間に一時帰国したことのある者は「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する協定」第一条の対象とはならないが、これらの人々については現在までに既に、相当長期にわたり本邦に生活の根拠を築いている事情も考慮し、協定発効後は我国に於けるその在留を安定させるため好意的な取扱いをすることとし、本大臣において特別に在留を許可するとともに、さらに申請があつた場合にはその在留状況等を考慮して可能な限り出入国管理令による永住を許可する方針をとることとした。

右に伴い前段に該当しない大韓民国国民である戦後入国者についても平和条約発効日以前から本邦に在留していたことが確証される場合には情状によりこれに準ずる措置を講ずることとしたい」と。

既に述べてきたとおり、申立人等の強制退去されるときは、申立人等と父であり夫である梁吉守との平和な家庭生活が根底から破壊され、夫婦、親子がバラバラの生活という参状を呈することはもとより、韓国に送還されるにおいては申立人等の生存自体が重大な危険にさらされることも明らかである。

本件の如き事例こそまさに裁量権を適切に行使してこれを保護すべき適例といわなければならない。

法務大臣の本件裁決が裁量権を逸脱し、これを乱用したものであることは以上によつて明らかである。

従つて又これが後行行為となる被申立人主任審査官の本件退去強制令書発布処分も違法な行為として取消さるべきものである。

二、本件各処分は、確立された国際法ならびに憲法九八条二項に違反する違法な処分である。

(1) 離散家族を保護し、さらに、離散家族を生じさせないようにすることは現代のすべての国家の義務であり、国際法の命ずるところである。一九五一年一一月インドのニユーデリーで開かれた国際赤字の第一九回国際会議で離散家族を再会させる決議が満場一致で採択された。この決議自体は、戦争内乱その他の政治的紛争で生じた離散家族を再会させるために必要な保護を講ずることを決議したものであるが、世界人権宣言ならびに国連憲章の精神に照らしてみるならば、国際法は、すべての現代国家に、離散家族を保護し、さらに離散家族を生じないようにすることを命じていると解されるのである。

そこで、申立人等が退去を強制されるならば、申立人等家族が、事実上再会することの不可能な離散の憂き目に会うことは必至であり、しかも、そのような悲惨な運命に見舞われなければならないということも、もとをたどれば、日本の戦前三六年間の朝鮮に対する植民地支配という過去の日本と朝鮮との痛ましい関係に基因したものであるから、申立人等に対する本件各処分は、まさに、右に述べた国際法の命ずるところに反するものといわなければならない。

(2) 一九五一年七月スイスのジユネーブにおいて成立した「難民の地位に関する条約」は、その第一章第一〇項で、「第二次大戦中強制的に移住をさせられた場合、あるいは条約国に来てそこで滞在を強制させられた結果当地の住民となつた者はその領土における合法的居住者とみなされる。」

と規定し、さらに、その第五章第三二項では、その(1)で、「条約国は国家保安、又は公共秩序の理由を除いては、その国土から難民を合法的に退去させることはできない。」と定めている。

右の条約の法意は、一国の世界政策、戦争政策の結果その領土への移住あるいは、滞在を強制されることになつた者に対しては、その国は、合法的居住者として、他の一般外国人に対するよりも手厚い保護を与える義務を有し、また退去―国外追放も制限されなければならないというものである。

申立人白順玉も、もとはといえば戦前大日本帝国臣民として生きることを余儀なくされ、「日本人」として日本で居住生活してきたものであり、偶々母につれられて戦後一時帰郷したものの、そうでなければ日本で引続き居住生活してきたはずであり、又、日本に来たのも住みなれた第二の故郷ともいうべき日本にいる兄(この兄が日本にいる父を頼つて入国したものであることは前述した)を頼つて来、そこで同じく戦前日本国民として生活し、戦前戦後を通じて三十数年間の日本での生活により日本にすつかり定着してしまつた梁吉守と相知るに及び結婚生活に入つたものである。又、申立人京愛、京賢はそうした両組の間の子供として本邦で出生し本邦で育つてきたものであり、当然父、母とともに生活しなければ生きてゆけない立場にある。

このように申立人等一家の日本における居住も、やはり遠くさかのぼれば日本の朝鮮に対する植民地支配によつてもたらされたものであるから、申立人等は「難民」あるいはこれに準ずるものとして、右の条約に照らして保護をされなければならない。

しかるに、本件各処分行為は、右の点について何ら顧慮することなくなされたものであるから、右の確立した国際条約に反し、したがつて又、確立された国際法の遵守を命じている憲法第九八条二項に違反する違法な処分といわなければならない。

右は前記裁量権の乱用ないし著しい逸脱の一理由として当然考慮されるべきものである。

第四、因つて、申立人三名は、被申立人並びに法務大臣を被告として昭和四二年八月一日、御庁に対し本件退去強制令書発布処分並びに本件異議申立棄却の裁決処分の各取消請求訴訟を提起したが、右訴訟の判決がなされるまでには相当長日月を要することが予想される。その間、被申立人が退去強制令書を執行するときは、本案訴訟で勝訴しても権利の実現は不可能となるばかりか、訴訟の遂行そのものすら不可能乃至極めて困難になつてしまうし、又、前述のとおり、申立人三名の生命、身体に対し、回復し難い重大な損害を蒙るおそれも充分ある。

このことは、退去強制令書の内、強制送還部分について言えるばかりか、収容部分についても同様である。申立人白順玉は、急性肝炎及び低色素性貧血でこゝ数ケ月間足立区本木町一ノ一〇九八番地本木病院に入院治療中の身であり、なお、今後数ケ月間の安静加療を要する身であり、被申立人が仮放免許可を取消したり八月二六日の仮放免期限が到来すると同時に収容されるべき状態にあるが、現在の収容所の処遇状況からみて白順玉の生命、身体に重大な損害を蒙るおそれがあり、又、このことは六才と二才の幼児である申立人梁京愛、梁京賢についても全く同様である。

もともと、収容処分は、強制送還処分の単なる附随的処分として強制送還を予定してはじめて存在意義を有するものであるから、強制送還処分が執行停止される以上、収容処分そのものをこれと切りはなし独自にこれが執行を継続する理由も必要もなく、又、申立人等の如く二八才の病気の主婦と幼児二名である本件においては、身柄確保の処置を講ずる必要性も認められないのである。収容処分は、身体の自由の全面的剥奪でありいわば人身の自由に対する断行処分の性質をもつもので、それ自体既に重大な結果を怠起し、事柄の性質上原状回復の不可能な損害を生ずしめるものである。

以上のとおり、本案判決確定に至るまで本件退去強制令書の執行停止を求める緊急の必要があるので本申立に及んだ次第である。

(疏明方法省略)

執行停止申請補充書

一、本件退去強制令書発布処分及び異議申立棄却の裁決処分には、裁量権の乱用ないし逸脱による違法があるとの主張の補充。

(1) 申立人白順玉は、現在二八才であるが、同人の二八年間の生活歴、住居歴の内、約二〇年間は、わが国に在つたものである。前半の約八年間は、戦争中であり同人は、「日本国籍」を有し、日本生れの日本育ちであつたことは明らかであり、後半、再入国後の約十二年間は、良好な在留状況であり、犯罪を犯したことは全くなく、洋裁の技術を身につけており結婚して健全な生活を営んできたものである。

(2) 戦後入国者について法務大臣声明(四〇年六月二三日)は、終戦前の在留のない者についてすら、特別在留許可の道をひらいている。申立人白順玉の場合、戦前の在留が八年間もあるのであるから、大臣声明の趣旨からいつても、保護救済の対象として予測されるべき事例に当るといわねばならない。平和条約発効日を基準にするのは一応の目安であつて、形式的杓子定規的に解すべき理由は全くない。

同人の入国は、大臣声明でふれた右戦後入国者の入国より、情状において遙かに有利に保護すべき場合に該当するものである。

(3) 従来の特別在留許可率をみてみると、不法入国者の中、法務大臣まで救済を求めた者の中の意外に多くが適切な裁量権行使により救われていることが分る。すなわち、

一九六三年 一、二二四人の中、九一〇人(七四%)

一九六四年 一、二九六人の中、九一四人(七一%)

が、特別在留許可を受けている。(池上努著、「法的地位二〇〇の質問」一四八頁参照)

本件の申立人らに対し、特別在留の許可が与えられなかつたということは全く理解に苦しむものである。

(4) 以上の諸事情を合せ考えても、本件退去強制令書発布処分等が、裁量権の乱用ないし逸脱の違法を犯していることは明らかというべきである。本件事案こそ、特別在留許可を与えるべき最も適切妥当な場合であつたといわねばならない。

二、本件執行停止の必要性

(1) 申立人白順玉が病気で入院加療中であることは申請書記載のとおりであるが、同人は生来癇の強い神経質なたちのため、心配事や不安があると直ちに不眠症と―いわゆるノイローゼの状況を呈して、食事すら進まなくなるのが常であつたところ、昨年、六月、本件不法入国を自首して、入国警備官の調査が開始された前後から、万一、特別在留許可が得られなければ二人の幼児を抱えて夫と生き別れになるのかという不安でひとり思いなやんで、不眠や食欲不振が続き、急に痩せてしまつて、遂に入院を要する病気をも引き起したものである。

特に今年四月一三日のことであるが、特別審査官の判定に対して異議の申出をなし、法務大臣の裁決が出されるであろうという本人にとつて極めて心配な精神的状況にあつた頃、万一退去命令という結論が出されたときのことを考え、二人の幼児と共にそのまゝ夫と長の生別れとなる悲痛さと不安にたえかねた結果、自首しなければよかつたなどと口ばしりながら、家をとび出し、国電日暮里駅ホームで電車に飛び込んで死のうとしたことがあつた。かけつけた夫梁否守の説得や、子供のことを考えて、軽卒な行動を思い止まつたのである。

以上のように、申立人は収容にたえうる健康状態に回復すれば収容されることにより、前記の如き体質ないし神経症から不眠や食欲不振を生じ、病気の再発若しくは、極度のノイローゼ状態に陥ることは明らかである。

とくに、退令発布による申立人の精神的衝撃は極めて大きく、その後は一種の精神錯乱的状態にあり、夫梁吉守としてもなすすべを知らぬ心理状況にあり、病気はさらに悪化進行するので、五月二三日、足立区の本木病院に入院、安静治療に努めて現在に至つている。家をとび出したり、電車にとび込んだりしかねない挙動が続くのでは、申立人白順玉を無理に送還帰国させるときには、途中船上で海中にとび込み、子供と心中するやもはかり難い危惧を抱かせるものがあり、周囲の者は、ただはらはらしていたものである。

(2) しかも、幼児二人を庇護せねばならないというのであれば、その心身の負担は一層大となつて、不測の結果を惹起しないとは決して言えない。六才と三才の幼児をかかえて、共に被収容生活をおくることは、実際上、大変なことであるし、二人の子供にとつても、余りに酷であるといわねばならない。

さらに、申立人白順玉は、病気が回復すれば、夫梁吉守と子供たちの世話はもちろん夫の母泰郷姫が、老令で病弱(神経痛で寝たりおきたりの状況)のため、長男の嫁として、同人の世話と面倒を看なければならない立場にある。

(3) 被申立人は意見書において「一且収容した後も、病状等必要に応じて再度仮放免の措置をとることとしている」と述べているが、仮放免をすべき病状等の必要度の判断は専ら入管当局にあり、再三の仮放免申請に抱らず却下を続け、病気が非常に悪化し、放置できなくなつて始めて仮放免許可をするという事例もいくつかある運用の実情にかんがみれば申立人らの生命、身体に償うこと能わざるに至る重大な損害を生ずる恐れの極めて大きい収容の措置は避けるべきが当然である。

本来、退令にもとづく収容手続の目的は、「身柄の確保」にあることはいうまでもない。幼児二人を抱えた病弱の主婦であり、且つ愛する夫があり、夫の母の看護世話をする立場にある申立人白順玉を、収用所に収容して、その身柄を確保しなければならない必要は全くない。

逃亡の恐れや所在不明となることはその立場から考えられないからである。むしろ本訴係属中は収容しないということを明らかに決定しておくことこそが、本件の場合は申立人らの「身柄の確保」に効果的であるとさえいえるし、そのことが基本的人権尊重の立場からも最も妥当である。

(4) 申立人白順玉は、入院による心身の安静と治療によつて、病気は快方に向い、今月(九月)中には、退院できるまでに回復しつつある。ところが、入管当局は、白順玉の退院はまだか、いつ退院するのかと、本木病院にしきりに問合せをし、退院したときは直ちに、収容するという態度に出ている。

従つて、本件執行停止は、収容部分を含めて、緊急な必要性があるものといわなければならない。

以上の事由から、収容部分を含めて本件執行停止の決定をすべき必要性は極めて大きいものである。

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