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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)12876号 判決 1971年5月17日

原告(反訴被告) 鈴木栄一承継人

右訴訟代理人弁護士 松尾公善

右訴訟復代理人弁護士 松尾美根子

被告 野口三郎

右訴訟代理人弁護士 島田正雄

被告(反訴原告) 株式会社たつみ屋

右代表者清算人 伊藤信

右訴訟代理人弁護士 矢吹忠三

同 村田友常

同 菅沼政男

同 斉藤守一

主文

被告野口三郎は原告に対し、別紙目録第一の建物につき、所有権移転登記手続をせよ。

原告の被告野口三郎に対するその余の請求および被告株式会社たつみ屋に対する請求ならびに反訴原告の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告野口三郎との間に生じた分は全部被告野口三郎の負担とし、原告(反訴被告)と被告株式会社たつみ屋(反訴原告)との間に生じた分は、本訴に関する分を原告の負担、反訴に関する分を反訴原告の負担とする。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告という。)訴訟代理人は、本訴につき、「被告野口三郎は、原告に対し、別紙目録第一記載の建物(以下本件建物という。)について、別紙目録第二記載の登記の抹消登記手続をせよ。被告(反訴原告。以下単に被告という。)株式会社たつみ屋は原告に対し、別紙目録第三記載(一)ないし(五)の各登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一、本件建物は、訴外矢崎昌訓が建築所有し、同人は昭和三九年七月頃右建物を被告野口三郎に期限の定めなく一ヶ月三万円で賃貸していた。

二、原告鈴木栄一(以下、原告先代という。)は、昭和四〇年三月一日、被告野口の斡施により、訴外矢崎から本件建物(未登記)と右建物に隣接する建物(建坪一二坪)とを買い受けて所有権を取得し、同時に、被告野口に対し、本件建物賃貸人としての地位を承継した。

三、然るに、昭和四〇年四月二三日、被告野口は、本件建物を自己所有物として別紙目録第二の保存登記した上、被告会社に対し、別紙目録第三の(一)ないし(五)の各登記をした。

四、原告先代は昭和四〇年三月一日訴外矢崎から買い取った時同訴外人および被告野口から、本件建物は公有地上に建築されているため保存登記はできない。いずれ払下げになるのでその時に登記すればよいと言われ、これを信じて未登記のままだったのであるが、被告野口は、それから二ヶ月もたたぬ翌月二三日に前記各登記に及んだものである。

五、被告野口の所有権保存登記は実体なく無効であり、従って、これを前提とする被告会社の前記各登記も無効である。よって原告先代は、被告らに対しその抹消登記手続を求めて本訴を提起していたところ、昭和四二年三月一三日死亡したので原告において、訴訟を承継したものである。

と述べ、反訴につき、請求棄却・訴訟費用被告会社負担の判決を求め、請求原因事実を否認し(た。)立証≪省略≫

被告野口訴訟代理人は、請求棄却・訴訟費用原告負担との判決を求め、「請求原因第一項は認める。ただし、賃借は昭和三九年九月一日からで、貸主は合資会社綾瀬化学工業所であった。第二項は否認する。訴外矢崎から本件建物を買い受けたのは被告野口である。同被告は矢崎から昭和四〇年一月末頃本件建物(隣接建物を含む。ただし、隣接建物は矢崎所有名義のままである。)を一〇〇万円で買い受け、同年二月二〇日頃および同月末頃各二〇万円、同年三月初旬六〇万円をそれぞれ支払った。ただ、右一〇〇万円は当時原告先代から借用した関係上、矢崎に対する関係で形式的には原告先代所有名義にすることを同人と約したが、真の所有者は同被告なのである。第三項は、原告主張のような各登記のなされたことのみ認める。第四項は否認する。」と述べ(た。)立証≪省略≫

被告会社訴訟代理人は、本訴につき請求棄却・訴訟費用原告負担との判決を求め、「請求原因第一項は不知。第二項は否認する。第三項中、原告主張のような各登記のなされたことは認めるが、その余は否認する。第四項は不知。」と答え被告野口の訴外矢崎からの本件建物買受けについては被告野口と同様の主張をした上、「被告野口は原告先代から借り受けた金銭債務の担保に本件建物を供することとし、足立簡易裁判所での昭和四〇年七月の即決和解では原告先代が直接矢崎から買い受けたかのような調書が作成されたが、これは真実に反するもので従って同裁判所での昭和四一年一月三一日の二度目の即決和解では、被告野口が一三〇万円を支払って本件建物を買い取ることができる旨、また東京地方裁判所での昭和四一年四月二五日の和解では、被告野口が一八〇万円を支払えば本件建物の所有権および敷地の借地権を譲渡する旨の各条項があるが、これらは、被告野口が借用金を弁済すれば建物の担保を解くという趣旨である。かりに原告が矢崎から買い受けたことがあるとしても、それは昭和四〇年三月一日であるところ、被告野口が矢崎から買い受けたのは同年一月末日であるし、原告は、本件建物につき所有権保存登記も移転登記も有しないので、被告らに所有権を以て対抗できない。」と述べ、反訴につき「原告は被告に対し、別紙目録第一の建物の明渡および昭和四一年九月二日以降明渡済みまで月三万円による割合の金員の支払をせよ。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として「被告会社は、本件建物を前所有者である被告野口から昭和四一年四月一六日代物弁済で取得し、同日その登記を了したものであるところ、原告らは、正当な権限なしに本件建物を不法に占有しているので、その明渡および反訴状送達の翌日である昭和四一年九月二日以降明渡済みまで月三万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。」と述べ(た。)立証≪省略≫

理由

一、原告鈴木栄一の承継人について

本件訴訟中、昭和四二年三月一三日、原告鈴木栄一が死亡したことは、原告代理人が昭和四三年一二月一八日提出した「訴訟手続承継の申立書」と題する書面に添付された戸籍謄本によって明らかである。

ところで、本件請求における原告鈴木栄一の主張は、端的に本件建物に関する同人個人の所有権を云々するわけではなく、「十日会」という団体の代表者としての地位において十日会に帰属する所有権を云々しているのであることは、弁論の全趣旨から明らかに窺えるところであるから、承継人が誰になるかは、通常の個人死亡による承継の場合と異なって然るべきである。≪証拠省略≫によれば、「十日会というのは、昭和三五年前後頃創立された、足立区柳原町の原告先代の近所の十数軒の家族の親睦団体で、毎月の顔合せのほか、小遣いを日掛で一〇円、五〇円、一〇〇円と資力に応じ積み立て毎月十の日ごとに集金して足立信用金庫旭町支店に預金しておいて、右の会合の費用支弁に充てるばかりでなく、会員に必要に応じて月一分の利息で貸し出していた。その限度は自己の積立額までが建前となっていた。構成員は当時二〇家族前後で、夫婦が原則であったが、出資の主体も顔合せに出席するのも、女の方が多かった。成文の規約の定めはなく、役員は二名とされていたが、実際は原告先代が全員一致で代表者に推され、私宅を事務所として会の運営に当っていた。ただし、同人が全権を有するわけではなく、預金されている資金の大口の利用等については会の全員に相談して決定したもので、本件建物の購入もその一つであった。現在の構成員は一二家族。代表者は原告先代死亡後定まっていない。」という事実を認定することができ、これによれば、「十日会」は、明文の規約を缺く等やや社団としてのまとまりに缺けるものの、いわゆる「権利能力なき社団」に準ずる社会的存在として、民事訴訟法第四六条の準用も考えられるのであるが、本件のように登記請求をする以上、法人格のない「十日会」名義より代表者である原告先代の個人の名義を利用する方が便宜であるとして(後に判示するように、従前の即決和解申立等も原告先代名義を用いた等の経緯もあって)、原告先代が原告となって訴を提起したものと認められる。

このような事案で、その代表者が死亡した場合には、その代表者の相続人である妻子が当然に訴訟を承継するのではなく、十日会内部で選任された次の代表者が――いわば隠れた選定当事者の事案で選定当事者が死亡した場合の新当事者の選定のように――新たに原告として先代の訴訟を承継し手続を続行してゆくべきものと解されるのであるが、現在その新代表者はまだ定められていないので、単に「原告鈴木栄一承継人」と表示した次第である。ちなみに、訴訟代理人が存在する以上、手続の中断が生じていないことは言うまでもない。(なお、鈴木タツは、今後新代表者に選任されて原告として関与する可能性があるだけで、現実に原告として扱うべきものではなかったが、既に原告本人として当事者訊問したので、以下その供述に言及する場合には「原告タツ本人の供述」と表示した。)

二、本訴について

(1)  ≪証拠省略≫によると、矢崎は別紙図面A・B・Cの三棟の建物を有し、そのうちBとCとは接着させられて一棟のような外観を呈しているが、Cが訴外関戸総一郎の私有地上にあるのに反し、B・Aは都有地上にあり、本件建物は、このBとA(別紙目録第一の附属建物の方がA)にあたると認められる。

(2)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認定できる。

矢崎昌訓は、別紙目録第一の建物を含む別紙図面A・B・Cの建物を所有し、昭和三九年九月からB・C建物(前記のとおり外観上一棟)を野口に一ヶ月三万円で賃貸していたが、自分の工場が経営不振となり、金繰りのため右建物の買主を探すことになった。B・C建物の借家人であった野口が、一〇〇万円でこれを買うことになったが(同人はA・B・C建物全部を一〇〇万円で買ったようにいうが、採用しない。)、同人には十分な資力なく、そこで同人も構成員の一人であった十日会の責任者である鈴木栄一に相談した。その際、同人は、A・B・C建物全部を矢崎から入手する資金であるように鈴木に説明した。当時A建物には別の借家人が居住していたが、B・Cの建物の公道への通路が南側(≪証拠省略≫では西側)すなわちA建物側にあり、矢崎方での作業所としての使用はA・B・C一体であったので、野口としてはA建物も入手する予定であったからであると考えられる。

野口は当時既に十日会から約六〇万円(丙第一号証の和解条項一による)借金していたが、鈴木は、会員の一人原田竜述にあらかじめ相談し、更に全員にはかった上、これを購入することとした(波多野証人は、売買の対象は借地権のみであって建物に及ばなかったかのように供述するが、採用できない。≪証拠省略≫の記載もこれを裏付けるかに見えるが、建物と敷地賃借権を一体として売買したものを右のように表現したに過ぎないと解される)。

矢崎が売る相手方は野口であったのであるが、野口は鈴木への借金申込みに際して右購入物件の所有権を十日会代表者としての鈴木に移転する旨を申し出た(野口本人の無担保との供述は、措信できない)。これが、買戻約款附の売買であったのか、譲渡担保であったのかは、明文の証拠が不足し確実な心証を得難いが、後者としても、単なる清算型の譲渡担保でなく、少なくともいわゆる流担保型であったと考えられる。

このことは矢崎も了解していたため、売買に伴う矢崎からの名義譲渡の相手方は、野口を省略して直接に鈴木とすることが、三者間に了解されていた。そこで鈴木は、十日会のメンバーにはかる際には、十日会の財産として購入する旨の説明をしたのであったが、野口との間では、債権担保としての所有権移転であるから、借金を返済すれば名義を野口に返すこと、それまでは、従前矢崎に支払っていたとおりの月三万円の家賃を支払うこと(B・CのほかAが加わっても、この額を増すことは問題にならなかったようである。)が合意された。

鈴木は、二〇万円、二〇万円、六〇万円と三回(最初の二〇万円は昭和四〇年二月一一日、六〇万円は同年三月一日)にわたって計一〇〇万円を野口を通じて矢崎に支払ったが(原田証人の供述中、十日会の支払額が七〇万円であったとの部分は、採用できない。)、登記については、当時私有地上のC建物は他に抵当権が設定してあったので、その抵当権登記を抹消してから名義を移転するよう合意し、また、A・B建物は都有地上に建っている関係で未登記のまま置くしかない旨の野口の説明を十日会側では信じていた(野口本人自身は、単に保存登記が遅れたのみのように供述するが、原田証人の供述等を参酌し右のように認められる)。

B・C建物の売買に関する合意成立後間もなく(昭和四〇年二月中、すなわちB・C建物の代金の三回目の支払がなされる以前と認められる。この点は、野口本人の供述中、A建物の居住者に二ヶ月後立ち退いて貰った旨および自分自身のA建物使用開始は四月中である旨の部分を総合して推認する。)、矢崎は野口に対し更にA建物をも譲渡することとし、その代金三〇万円は野口の義兄の手から矢崎に支払われた(野口本人の供述中、右三〇万円の支払が無用であったようにいう部分は採用しない)。そこで昭和四〇年二月二五日には、C建物敷地の地主関戸により借地権譲渡承諾書が作成され、同年三月一日(前記六〇万円の支払日)には、関戸と鈴木間の新規の借地契約書も作成されたにもかかわらず、野口は、A・B・C建物は自己の所有であるとの意識で行動した。

すなわち、昭和四〇年四月には、野口は、A・B・C建物を全部自分で使用するようになったが、同月二三日、A・B建物を自己の所有名義で保存登記し、同年五月一二日にはこれを担保として被告会社からの借財をし、別紙目録第三の停止条件附所有権移転仮登記や抵当権設定登記がなされるに至った。

鈴木すなわち十日会側では、前記のように保存登記はできないと信じていたので、もっぱら家賃や占有の点に関心し、野口から家賃の支払も、いわんや金員の返済もないので、A・B・C建物の所有者としての立場を主張して、即決和解ないし訴訟において野口に支払ないし建物明渡を求めた。昭和四〇年七月一六日附申立書に基づく足立簡裁昭和四〇年(イ)第六九号即決和解事件の昭和四一年一月三一日附の和解調書では、野口は、同年三月末日までに一三〇万円を支払えばA・B・C建物を買い戻すことができる反面、右額を支払えなければ明け渡すこととされ、第三者から鈴木を被告として申し立てられた東京地裁昭和四一年(ワ)第三三一八号事件で訴外野口を利害関係人として参加せしめて成立した昭和四一年四月二五日附和解調書では、右がそれぞれ同年五月三一日限り、一八〇万円とされた。

野口は全然支払をしなかったので、鈴木は、右和解の効力によって野口から建物明渡を得、現在A・B・C建物いずれも他の者の占有するところとなっている。

昭和四一年六月になって、本件A・B建物の保存登記が既になされていたことが鈴木ないし十日会側に判明し(その前まで野口が右の事情を告げずにいたことは、丙第一、二号証物件目録に「未登記」とあることから推認できる。)、そこで鈴木が原告となって本件訴訟(本訴)が提起されるに至った。

(3)  事実の経過は右のように認められる。これを前提として考えるに、矢崎・野口・鈴木三者の話合いがなされた当時、A・B建物について保存登記が可能であることが鈴木に判明していたとすれば、保存登記が鈴木名義でなされるよう約定されたであろうことは、前後の経緯から当然推認しうるところであるから、野口の行為は、広義における約旨違反と言いうるものであるが、既に野口に所有権登記の存する状態から出発したとすれば、買戻附売買ないし譲渡担保としての性質上野口から鈴木に対し所有権移転登記がなされれば足りたのであるから、右のように、契約後に野口が保存登記をした場合の後始末としても、原告の求めるように保存登記の抹消まで認める必要はなく、移転登記を許せば足りると考えられる。そして、右は本来の訴旨に対してはいわゆる質的一部請求の認容となるものと言えるから、残余請求は失当である。

(4)  進んで被告会社に対する請求について判断するに、被告野口と被告会社との間に原告主張のような各登記の存することは争いがなく、≪証拠省略≫によれば、当時被告会社の代表取締役であった磯田は、権利証によって野口の所有権を確認した上、昭和四〇年五月一一日に四〇万円、同年九月三日に三〇万円を各貸し渡して、その担保として前各登記(ただし別紙目録第三の(五)の登記を除く。)をしたものであること、野口が右二口の債務を返済しなかったので、停止条件附代物弁済契約が効力を生じ、昭和四一年四月一六日に所有権を取得し、別紙目録第三の(五)の所有権移転登記をしたものであることが認められる。

(5)  もし原告の主張するように、原告が直接矢崎から買い受けたものであり、野口の保存登記が全くの無権利者の登記であるならば、右のような被告会社の登記があっても、原告はなお登記なしに被告会社に対しその抹消を求めることができよう。しかしながら、当裁判所は、前示のとおり、矢崎から買い受けたのは野口であり、原告は野口から買い受けた(買戻附売買にせよ、譲渡担保にせよ)と見るのであるから、事態を決するのはいわゆる二重譲渡の法理であって、野口が原告をだしぬいて保存登記し、それを原告に秘しつつ被告会社に対し本件各登記をしたことが、原告の野口に対する別途の請求を可能ならしめるか否かは格別、少なくとも右のことについて悪意であったとの証明もない被告会社に対しては、原告は登記なくして対抗しえない、と言うべきである。

よって、原告の被告会社に対する請求は失当である。(従ってまた、前(3)段で判示した被告野口に対する移転登記請求の認容も、不動産登記法四九条六号の適用上、実効を収められないこととなろう。)

三、反訴について

進んで、被告会社の反訴について考える。

右に判示したとおり、本件建物の所有権は現在被告会社に帰属するのであり、原告らにはこれに対抗しうる占有権限の主張もないのであるが、その占有関係を案じるに、原告タツ本人の供述にある現在A・B・C建物に入居している十日会関係と称する者の個々の氏名さえ明らかでなく(証人原田の供述によれば、その一人は平山であるが)、その占有が果して十日会の占有であるかどうかは、未だ十分に心証を惹き難い。そして、登記請求などのように、いわゆる「法人格なき社団」的立場から代表者の個人名義を借用せざるを得ない場合と異なり、明渡訴訟の場合には、むしろ個々の居住者を相手取って、その占有を問題にする方が正当と考えられる。結局原告の占有の証明なきに帰し、反訴請求も失当たるを免れない。

四、よって、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条但書に則り、主文のとおり判決した次第である。

(裁判官 倉田卓次)

<以下省略>

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