東京地方裁判所 昭和43年(ワ)13288号 1978年4月12日
原告
日向昭次
右訴訟代理人弁護士
小島茂一
(ほか二〇名)
右訴訟復代理人弁護士
伊志嶺善三
被告
株式会社北辰電機製作所
右代表者代表取締役
清水正博
右訴訟代理人弁護士
所沢道夫
(ほか四名)
右訴訟復代理人弁護士
中村誠一
右当事者間の地位確認請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 原告が被告会社のデイジタル技術製造部門(組立)に勤務する従業員としての権利を有することを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨。
第二請求の原因(原告)
一 当事者
1 被告会社は、工業計器・精密機器の製造・販売を主たる業務とする株式会社である。
2 原告は、昭和三四年七月、被告会社と労働契約を締結し、昭和三八年一二月から被告会社のデイジタル組立部門に勤務していた従業員である。
二 配転命令
1 被告会社は、昭和四三年二月一日付をもって、原告に対し、デイジタル組立部門(但し、同月八日付で、「デイジタル技術製造部門」と改称された。)の勤務を解き、東京営業所(化学1)の勤務を命じた(この配転を、以下「第一次配転」と略称する。)。
2 更に、被告会社は、昭和四八年五月一日付をもって、原告に対し、東京支店(但し、前記東京営業所の名称が変更されたもの。)から、舶用機器組立部門への配転命令を発した(この配転を、以下「第二次配転」と略称する。)。
《以下事実略》
理由
一 請求原因一及び二の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、まず、第一次配転命令について考察する。
1 最初に、第一次配転命令の発令前後の経緯について検討すると、次のとおりである。
(一) 請求の原因三の1の冒頭の事実及び同(一)の事実、被告会社が配転命令を発するに当り組合に対してデイジタル機器関係部門の赤字と人員の縮小を強調したこと、被告会社が電算機本体の研究・開発・生産を中止してこれを日本電気株式会社等から仕入れる方針を示したこと、被告会社の第三九期決算で経常収支が黒字に転化したこと、被告会社が昭和四四年三月にHOC七〇〇の生産・販売を発表したこと、原告が第一次配転命令の発令前にGπコアの検査・調整の業務を担当していたことは、いずれも当事者間に争いがない。
(二) そして、争いのない右事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和三四年七月一六日に臨時従業員として被告会社に採用されてから第一営業部代理店課に勤務し、翌三五年四月一日に本採用となり、三か月の試用期間を終えたうえ、引き続き右代理店課に勤務し、昭和三八年一二月二二日に第一製造部第二製品課(その後、同課は、被告会社の組織変更により、デイジタル組立部門ユニット検査グループとなった。)へ配置転換され、スキャンナーの組立等の作業に従事し、昭和四二年秋頃からは主としてGπコアの検査・調整の業務を担当していた。
Gπコアの検査・調整の業務は、繊維原料糸製造機械の温度自動調節装置であるグループ型πラインの磁性材料に、チェッカーを用いて電流を通し、チェッカーのオシロスコープに現れる波形を見て合否を決定し、合格した製品を抵抗値に応じて更に分類する作業であった。そして、これは、手順書に従って行えば、比較的容易に、しかも機械的に処理することができる作業であって、そのために特別な知識や技能を要するものではなかった。
なお、原告は、右業務のほかに、静電気リレーやプリント基板の検査等の業務に就いたこともあるが、これらも格別困難な業務ではなかった。
(2) 被告会社は、航空機・船舶その他に使用する電算機等の工業機器に関する技術開発・製造・販売(営業)を三本柱とする会社であるが、従来のアナログ式工業機器に加えて、工場オートメーションのためのコンピューターとその周辺装置のデイジタル式工業機器の将来性に着目し、その需要の高まることを予想して、早くからその研究・開発に乗り出していた。しかし、デイジタル式の工業機器は、その研究・開発に膨大な資金を必要としたため、昭和三九年度までに約二億円、昭和四〇・四一年度には合計約三億円の赤字を出して、それまでの累積赤字が約五億円に上り、昭和四二年度末には新たに約二億六〇〇〇万円もの赤字が見込まれ、このまま推移すれば、被告会社の経営基礎をも揺がしかねない危惧が出てきた。
そこで、被告会社は、昭和四二年三月一〇日、まず、それまでいくつかに分れていたデイジタル機器関係の各部門を統合して、一つにまとまったデイジタル機器関係部門を新設し、同部門の総括として一人の責任者を置き、その縦断的指揮命令のもとに、デイジタル技術部門・同設計部門・同組立部門・同インダストリー部門を置き、次に、電算機本体の研究・開発・生産は原則として中止し、これを他から仕入れ(そのため、同年一〇月一日、日本電気株式会社との間でオートメーションシステムについての業務協力契約を結んだ。)、更にデイジタル機器関係部門の人員を削減して、固定費を軽減し、赤字の減少を図る、という方針を立てた。因に、デイジタル機器関係部門の人員は、昭和四一年三月には一六二名、昭和四二年三月には一四五名であったが、これを一〇〇名程度にまで縮小することが望ましかった。そして、被告会社の清水正博社長は、昭和四二年四月五日、全従業員に対し、「新体制発足に際して」と題する書面をもって、第一に、採算主義の徹底、第二に、計画的運営の実践、第三に、公正な人事(適材適所主義)と信賞必罰の励行を強調した。また、デイジタル機器関係部門の総括に就任した常務取締役の宮内鉄也も、同部門の従業員に対して、同部門が赤字だからといって廃止するわけではない、一歩後退二歩前進の精神で行く、という基本方針を説明した。
しかし、当時は、それ以前に出荷したデイジタル機器にいくつかのトラブルがあって、その工事にかなりの人員を必要としていたので、短期間に人員を大幅に削減することは困難であり、従って、これを漸次削減して行くほかなかった。
(3) 被告会社には、労使会議があり、会社側からは重役が、組合側からは三役・執行委員が出席した。その出席者は団体交渉の場合と同じ顔触れであるが、特定の要求事項についての交渉を行うものではなく、労使間の意思の疎通を図るためのもので、主として会社の業績報告や経営方針の説明等を行うのにあてられていた。
ところで、被告会社は、昭和四三年一月一七日に開かれた労使会議で、前記の方針を発表した。そして、同会議における会社側の説明と質問に対する応答の内容は、概要次のとおりであった。即ち、被告会社は、デイジタル機器関係部門を縮小する考えであるが、廃止するわけではない。縮小の方法としては、デイジタルインダストリー部門から二名、同設計部門から二名、同技術部門から三名、同組立部門から八名の合計一五名の従業員を、二月一日付の予定で、他部門へ配転する。この配転やその他の諸条件を加味して考えると、昭和四三年は若干の赤字、昭和四四年は収支トントンの見込みである。配転先は、航空部門へ四名、営業部門へ二名、アナログ技術部門へ二名、その他航海、ドラム関係部門、地方等を考えている。採算面からすれば、一五名以上の配転が必要であるが、これを一五名にしぼった。過去の製品について生じたトラブルの後始末は来期までかかる見込みであるが、これは収束の方向に向っている。赤字幅を小さくすることと、トラブル解消のために販売に注ぐべき力が削られたこととが重なって受注減となったが、今後の運営によって、これをよい方向へもっていくつもりである。さしあたって、HOC三〇、HOC三〇〇等を販売し、昭和四三年秋頃からは他社製の電算機本体を使ったシステム受注をも軌道に乗せたい。人員減と配転を機に、デイジタル機器関係部門のうち技術と設計とを統合してシステム技術部を設け、技術部門の連絡を密にする。電算機本体の製造中止と生産技術の向上を図ることで、人員減は補えると考える。会社側の説明等の内容は、以上のようなものであった。
そして、被告会社は、昭和四三年一月一八日付の「北辰ジャーナル」の号外版で従業員に対し、また、組合は、同日付の経営問題調査会作成名義の「労使会議報告」で組合員に対し、それぞれ右労使会議の結果を報告した。
(4) 被告会社は、右労使会議に先立つ昭和四三年初頭に、デイジタル機器関係部門から従業員一五名を削減して、これを他部門へ配転することを決め、総務部門総括の常務取締役所沢作治がその人選に当った。同人は、デイジタル機器関係部門の人員を削減して固定費の削減を図ると同時に、この人員を他の部門においても有効に活用しなければならないと考え、デイジタル機器関係部門にとって必要不可欠の人材は配転の対象とせず、これを除いて残った者の中から配転の予定者を選び出すことにした。当時、被告会社では、アナログ式計器、航海・航空計器等の受注が伸びていて、これらの部門では技術者が不足していたので、まずこれらの部門の開発要員としての能力を有する者五名(Aクラス)を選び、その余の一〇名は通常の能力を有する者五名(Bクラス)とそれ以外の者五名(Cクラス)とに分けて選ぶこととし、Cクラスに属する者については、デイジタル機器関係部門の内部で自由に選ばせることにした。人選はこの基準に従って行われ、デイジタル組立部門からはBクラスの者三名、Cクラスの者五名を選ぶことになったが、その八名の人選は、同部門の総括宮内鉄也を通じて、担当補佐大坪敬彦に一任された。大坪は、同部門の従業員全員の自己申告書の控を持っていたので、これを調べたところ、当時積極的に配転を希望していた者は高田健二の一人だけで、同人は、家庭の事情から広島へ移りたいというのであった。そこで、まず同人を選んだ。次いで、同部門を構成する五グループからなるべく均等に選ぶことに決め、高田を含めて、調整・手配・組立の各グループからそれぞれ二名、検査・管理の各グループから各一名を選び出すことにした。
ところで、原告は、デイジタル組立部門にとって必要不可欠な技術者には当らず、また、その担当していた作業の内容は単純で代替性があり、更に、当時は同じ仕事に長期間従事することから生じる作業能率の低下も見られたことから、Aクラスには勿論Bクラスにも該当しないと考えられた。そして、大坪は、自己に一任されたのは配転の人選だけで、配転者をどの部門に配置するかということまでも決める立場にはなかったが、原告がかつて営業部門にいたこともある関係から、再び営業部門へ廻る可能性のあることをも考えて、原告を選んだ。
そして、所沢は、偶々デイジタル部門と同一敷地内にある東京営業所に欠員があったので、原告を同営業所(化学1)へ配置することとし、同営業所総括の荒井常務の了承を取り付けた。
(5) 原告は、一月一七日の労使会議が終了した後、組合の書記長からの電話で、労使会議の内容を知った。そこで、原告の職場では、翌一八日の昼休みに、職場代議員会(代議員と専門部員が合同したもの。)を開いて協議した結果、その詳細を大坪担当補佐から直接説明して貰うことにした。
同月一九日、デイジタル機器関係部門では、それぞれの担当補佐が、当該部門の従業員を集めて、デイジタル機器関係部門を縮小する必要性について説明したが、デイジタル組立部門においても、大坪担当補佐が、同日午前一一時頃から約一時間にわたって、同部門の従業員約六〇名に対して、同じ説明を行うとともに、従業員からの質問に答えた。そして、同人は、このとき、赤字額を公表することはできないが、億単位であると述べた。
大坪は、同日午後三時頃から、配転予定者を個別に呼んで配転を内示した。原告は、午後四時三〇分頃、最後に呼ばれて、東京営業所(化学1)への配転を内示された。その際、大坪は、「君は、以前に、営業にいたので、もう一度行って貰いたい。」という言い方をした。そこで、原告は、右内示に対して、第一に、「現在、現場で働く意思を固めているので、このまま続けたい。自己申告書にも、そう書いた。自分は、営業に向いていない。」第二に、「配転の対象になっているのは、組合活動をしている者が多い。これは、不当配転である。」、第三に、「出たいと言っている者もいるので、皆に希望を聞いてみればよいではないか。いやがる者を強引に出すべきでない。」という理由を挙げて、反対の意思を表明した。しかし、大坪は、希望者だけを配転するということになると、希望者は一名しかいない、と答えて、原告の希望を拒否する態度を示した。
なお、配転の内示を受けた一五名の従業員のうち、六名は即座に配転を承諾したが、原告を含む九名がこれに応じようとしなかった。
(6) 原告は、一月二二日、職場代議員会を開き、そこにおいて、第一に、被告会社は、原告らを配転しなければならない事情を、組合に十分に説明していないので、労使会議を再度開くこと、第二に、配転に反対している者を支援すること、第三に、配転予定者は、被告会社から配転理由を十分に説明されていないので、今後被告会社が説明をしないまま個人折衝等を行おうとしても、これには応じないことを決め、翌二三日、このことを組合の執行委員会に伝えた。
(7) そこで、一月二五日に再び労使会議が開かれた。組合は、この席上、配転を了承しない九名については、苦情処理委員会を開催して、これに諮るよう提案した。
原告は、同月二六日、組合から、前日の労使会議の結果について報告を受けたが、その内容は、基本的には同月一七日の労使会議の結果と変らないということであった。そして、組合から苦情処理を申し立てるように勧められたので、それに従った。なお、配転を了承しなかった九名は、すべて苦情処理の申立てをした。
一方、被告会社は、右労使会議の結果に関連して、被告会社の考え方を、同月二七日付の「北辰ジャーナル」の号外版に敷衍して発表したが、それは次のとおりであった。即ち、デイジタル機器関係部門の縮小は経営上の急務であること、しかし、デイジタルをやめるものではないこと、デイジタルの将来は、外界の情況と被告会社の体力とに合せて考えること、配転後のデイジタル機器関係部門の仕事は過重にならぬ見込みであること、配転は業務上の必要に基づくものであること、自己申告書は十分参考にすること(「今回の配転に当っても各人の提出した自己申告書は十分参考にしている。ただ一五名の配転の必要がある時、一五名の配転希望者があれば問題はないであろう。しかし配転希望者が少い場合は、会社としては、本人に事情を説明して納得して貰う以外にない。このことをもって自己申告書を無視したというのは当らないであろう。自己申告書の内容が必ず実現すると考えている人はいない筈であり、ましてこれを盾にとって配転に応じなくてもよいという理屈は成り立たない筈である。」)、配転は組合活動には関係がないこと(「今回の配転の対象者の中には組合活動家が多いから不当配転だという批難があるときいているが、会社は別段そのような意図をもって人選したものではない。誰が活動家であるかなどについて会社は知らないし、もし対象者の中に活動家が多かったとしてもそれは偶然の結果に過ぎない。いわゆる『活動家』の範囲を組合のビラのいうように拡大するならば、従業員の殆んどがこれに該当し配転などは全くできなくなって、経営活動そのものが不可能になる。まして今回は、地方配転を希望していた一人を除いて全部本社内での異動であるから組合活動に支障が起るなどとは予想もしていない。」)、しかし、業務上の必要の許す範囲内で個人的事情や組合関係の事情をも考慮すること、政策の決定・実施については、被告会社の指示に従い、全従業員が協力するように求めること、苦情があれば考慮するが、原則は変えられないこと(「今回の配転の当事者で特別の事情ある者についてはこれを聴取し正当な理由ならば考慮するにやぶさかでない。苦情処理委員会を開いてもよいが、単にいやだとか、他に人を募ってほしいというような理由では原則を変えることはできない。発令は二月一日を期している。それまでに本人が納得するよう、会社として努力を重ねたい。」)というものであった。
(8) 一月三〇日に苦情処理委員会が開かれた。同委員会には、従来、被告会社側からは人事担当補佐と係長職が出席し、組合側からも書記長以下二、三名が出席していたが、この日は、配転の責任者である所沢総務部門総括も特に出席した。
森伸二書記長は、九名の配転反対の理由を具体的に説明した。そして、原告については、「五年前に営業の代理店課から出された時、係長から、現場へ行って進歩して来いと言われた。今更営業に戻っても、プラスにはならない。」という趣旨の説明をした。
これに対して、所沢総括は、デイジタル機器関係部門の巨額の赤字を解消するためには、人員削減を伴う同部門の縮小を行う業務上の必要のあることを強調するとともに、配転に反対する各人の理由には、業務上の必要を上廻るものがないと答えた。
結局、同委員会では、双方の言い分が平行線を辿り、物別れに終った。
原告は、同日夕方、組合から同委員会の結果について、報告を受けた。その報告の内容は、同委員会では、被告会社が配転計画を撤回せず、二月一日付で発令する態度と思われるので、組合にこれ以上期待されては困るということであった。そこで、原告は、組合の執行委員会に対し、第一に、本人が納得しないのに配転を強行するという前提では、今後被告会社の説得には応じられないこと、第二に、納得した場合でも、発令は、納得した時点で行うべきこと、第三に、被告会社の説得に応じなければならない場合には、組合の代表者(書記長)に立ち会って貰いたいことを申し入れた。
(9) 被告会社は、一月三一日及び二月一日の二日にわたり、九名に対する個別的説得を行った。そして、原告に対しては、一月三一日、所沢総括と松原主任が、組合の要望による書記長の立会いのもとに、説得に当った。これに対し、原告は、営業の代理店課から現場へ配転された際の経過を説明して、今更営業へ戻りたくないと述べ、今回の配転予定者は組合活動をした者で大半を占めている、また、他に配転希望者がいるにも拘らず、被告会社が一方的に配転予定者を決めるのは不当である、何故に原告が一五名の中に入っているかを理解することができない等と反論した。
しかし、所沢は、デイジタル機器関係部門の縮小の必要とこれまでの経緯とを説明し、原告個人が納得できないというだけでは、反対の理由にはならない、余程の理由がない限り、業務上の必要が優先するので、協力して貰いたいと説き、他に理由があるならば、それを申し述べるように、また、営業以外に希望部門があるならば聞かせてほしいとも言った。
約一時間程、このようなことを繰り返したが、原告が依然として現在の職場を動きたくない、何故に自分が選ばれたかが納得できないと言うだけなので、所沢は、遂に、原告を説得することを諦めた。
なお、この個別的説得の結果、九名のうち六名の者が配転を承諾し、三名だけが反対の態度を維持した。その三名は、原告のほか、デイジタル組立部門組立グループから航空計器組立部門への配転を内示された小野沢勇と、デイジタル組立部門手配グループからパネル計器組立部門への配転を内示された小野昭明であった。そして、小野が反対する理由は、原告とほぼ同様であり、また、小野沢の反対理由は、当時同人が組合の常代議長(常任代議員会議長の略称。)をしていた関係上、個人的には配転に応ずる意思があるものの、組合との関係で問題があるので、被告会社と組合とで話し合って貰い、その結果に従いたいというものであった。
(10) 二月二日に再び苦情処理委員会が開かれ、その席上、被告会社は、前記の個別的説得の結果を報告した。これに対し、組合は、小野沢の配転問題だけを取り上げて、反対した。その理由は、代議員は各職場から選出されるものであって、配転により職場を移ると、選出母体が変ることにより、代議員を辞めなければならない結果になりかねない、このことは、被告会社の配転命令によって組合の常代議長を解任することになり、ひいては被告会社が組合の運営に介入することを認めることになる、というものであった。被告会社は、小野沢の配転によって、必ずしも組合活動に支障を来すとは考えなかったものの、その配転によって組合活動を妨げる意図は全くなかったので、組合の反対の趣旨を尊重し、小野沢の常代議長解任の可能性を回避するための妥協案として、同人は一応航空計器組立部門へ配転するけれども、常代議長の任期中はデイジタル組立部門への出向を命ずることにして、現実には職場を動かさないということではどうかと提案した。しかし、組合はこれに応じなかった。そして、同委員会は、書記長から、今後この問題を労使会議にかけるかどうかを検討したいとの発言があって、終了した。(なお、小野沢の配転問題は、被告会社が後日、右妥協案のとおりに発令し、それに対して組合からも強い反対は出なかったので、そのままになってしまった。)
しかし、右委員会においては、原告及び小野の配転に関する問題は、格別議題に上らなかった。
なお、組合は、その後二月五日付の機関紙「いずみ」の第九五号において、「執行委員会は、<1>この問題は特に会社の経営方針の変更から発したものとしてとらえ、充分な話合いを尽して処理する方向をとった。<2>納得のいかないケースには原則的には本人の意向を支持する態勢をとる。<3>更に今回の配転者の中には常代議長が含まれて居り、組合の組織運営上かなりの支障があるので強く撤回を要請する。」と発表した。
(11) 被告会社は、二月五日、人事発令通知書の掲示をもって、一五名全員の配転を、内示したとおり、同月一日付で、発令した。(なお、被告会社には、人事異動の発令に当って、辞令という書面を交付する制度はなく、すべて人事発令通知書の掲示によって行っている。)
これに対して、同日夕刻、組合は、執行委員長名をもって、被告会社に対し、「デイジタル縮小にともなう配転問題について」と題する書面を提出した。その中には、「配転されたくないという人を本日強行(二月一日付)したことは、覚書と覚書きを交わした経過を含めて考えてみるに円滑公正な人事管理とは考えられない。なぜなら、デイジタル縮小は以前から問題になっていたことであり、配転が行われることは充分に予想のつくところである。だとすると一〇日や半月の間に決定として押しつけずに、デイジタル関係の全員の意志を聞き、配転者を決定するということが出来たはずであり、強行発令というような事態をさけられたかもしれない。会社側の反省を求めると共に、強行発令したことにより今後問題が生じることが考えられるが、全てその責任は会社側にあることを通告しておきます。また配転者の中に常代議長の配転については、『議長であることを知らなかった』ことであり、ただちに撤回し、どうしても必要なら、他の人を配転するよう要求する。(配転を発令し、しばらく出向などという不明確な方法でなく)」と記載されていた。
また、組合は、二月七日、書記長名をもって、組合員に対し、「デイジタル縮小と配転問題について」と題する文書を配布した。そして、その中には、「一五名中九名から配転に関して苦情が出ました。一五名の配転者の決定までには職場の人たちの希望はほとんど考慮されず(自己申告はみたと思うが)、一五名の配転者を決めてから各人の意見を聞くというものでありました。意見を聞くといってみても、それはただ聞くということであって、会社の都合、会社の配転理由を上廻る理由には当らないということで全てがわがままであるとし、会社としての説得に終始したといえます。とくに会社が配転者を決定し、それをくつがえす場合の例として取り上げられた理由(母子二人暮しでしかも母が病気で動かせないのに地方に配転する)からにしても明らかなごとく、覚書等にある十分に本人の意見(経歴、希望、家庭環境)を聞くということからほど遠く、会社の決定には従えということであり、これでは円滑公正な人事管理とはいえないでしょう。少なくとも本人を説得することはできないでしょう。そこで執行委員会としては次の三点を確認し、今後の運動を展開してゆきます。一、会社に対して組合の態度を明らかにする。二、あくまで反対する人の希望意見を尊重して、組合としてできうる限りの支授をする。三、常代議長の配転については取消を要求する。」と記載されていた。
(12) ところで、原告と小野昭明は、右発令後も、大坪担当補佐から指示された業務の引継ぎを行わず、二月六日にも、再び同人から業務の引継ぎを命ぜられたにも拘らず、「辞令を寄越せ。」、「組合と相談する。」等と言って従わず、同月七日は休暇をとった。原告は、同月八日も、引き続き休暇をとったが、小野は、同日、大坪から引継ぎを命ぜられて、これに従った。なお、原告と小野は、両名連署のうえ、同月八日付で、被告会社に対し、「一、今般会社は、私達二人に対し配置転換するよう一方的に命令をしてきました。その間私達は、その理由等について説明を求めてきました。しかるに会社は、極めてあいまいな説明に終始しているばかりでなく、総務担当や職制の発言の中から明らかに、私達の職場に於ける正当な組合活動をきらっての不当配転の意図があることが次第に明らかになってきました。二、従って、かかる不当配転については、全く承諾できるものではありません。三、しかし、この不当配転について会社が業務命令により実施するならば、業務命令は不当でありますが、これを拒否する意志はありません。その場合でも、不当配転に反対する意志はいささかも変わらず、あくまでも原職復帰を要求し続けます。四、会社の不当配転については適切な方法で救済を求める所存です。」と記載した内容証明郵便を送った。
しかし、原告は、その後二月一〇日にも、大坪から業務の引継ぎを命ぜられたので、配転を認めるわけではないが、業務命令には従うと述べて、同月一二日から東京営業所での勤務に就いた。
(13) なお、第一次配転命令発令後の出来事は、次のとおりである。
(ア) 被告会社は、二月八日、デイジタル機器関係部門の組織を更に変更し、総括(宮内鉄也)のもとに、システム技術部門、(インダストリーマネジメント・プロダクトマネジメント・システムエンジニアリング・プログラミング各グループ)とデイジタル技術製造部門(生活設計・組立・調整・手配・生産技術・管理の各グループ)に分けることにした。
(イ) 二月二〇日に開催された労使会議において、組合は、常代議長の配転についてはその撤回を求めたにも拘らず、原告の配転については全く触れなかった。なお、同年の春闘時をも含めて、その後、組合は、被告会社に対し原告の配転については何らの申入れもしなかった。
(ウ) デイジタル機器関係部門の人員は、昭和四三年三月には一一四名、同年九月には一〇八名となった。この結果、デイジタル機器関係部門の同年三月から九月まで(被告会社の第三九期決算)の経常収支は、黒字になった。
(エ) 原告が本訴を提起するに際し、組合の執行委員会は、これを支援するかどうかを代議員会に諮ったが、その過半数の賛成が得られなかった。
(オ) なお、日本電気株式会社との業務提携の問題については、競争会社である山武ハネウエルとの関係があって、米国ハネウエル社から電算機本体の仕入れをすることができなくなったので、被告会社は、従来手がけていた小型コンピューターのHOC一〇を改良して、これに中型コンピューターとしての機能をもたせた新機種HOC七〇〇の製造・販売を、昭和四四年三月に発表し、その販売に力を入れることにした。そして、これは好評であった。
以上の事実が認められる。なお、(人証略)のうちそれぞれ右認定に反する部分は、その余の前掲各証拠と対比して、採用することができない。
2 そこで、更に第一次配転命令の効力について検討する。
(一) 一般に、労働者と労働契約を締結した使用者は、労働者の職務内容や勤務場所等を限定する明示又は黙示の合意のない限り、その労働契約によって、労働者の提供する労働力を使用者の業務活動上の必要に応じて計画的に利用し得る権限を包括的に委ねられたものと解すべきであるから、使用者は、その業務活動上の必要がある場合には、法令、労働協約又は就業規則等に抵触するとか、権利の濫用、信義則違反又は不当労働行為等に該当するとかの特別の事情の生じない限り、労働者の個別的な承諾又は同意を得ないでも、その職務内容や勤務場所等を一方的に変更する配転命令を発し得る権利を有するものというべきである。反面、職務内容や勤務場所等を限定しない包括的な労働契約を締結した労働者は、右に述べたような特別の事情の生じない限り、使用者が業務活動上の必要に応じて発する配転命令に従う労働契約上の義務を負うものといわなければならない。
そして、本件においては、原告と被告会社との間に締結された労働契約について、原告の職務内容や勤務場所等を限定する明示又は黙示の合意があった旨の主張、立証は全くないし、また、前記の1で認定した事実関係からすれば、被告会社が原告に対し第一次配転命令を発するに当っては、被告会社に業務活動上の必要があったものと認めるに十分である。
(二) ところで、原告は、第一次配転命令は労働協約に違反するものであって無効であると主張する。
そこで、検討するに、原告主張のような覚書及び同付属書があり、それらに原告主張のような文言の記載があること、被告会社に原告主張のような自己申告制度があり、原告が四回にわたってその主張のとおりの自己申告書を提出してきたことは、当事者間に争いがない。
そして、争いのない右事実に、(証拠略)によれば、以上のほかに、被告会社の代表者(総務部長が代理。)と組合の執行委員長との間に取り交された昭和三六年七月七日付の覚書があり、それには、「今後、組合活動をやったがために、当人に不利益な取扱い(例えば本人に不利な配置転換等)はやらない。」旨の文言があること、被告会社の総務部長と組合の書記長との間に取り交された原告主張の昭和三八年四月一六日付覚書の前文には、「昭和三八年三月一日付組合要求書第三項(配置転換)について、会社が団体交渉の席上説明した事項に関し念のため覚書を交換する。」とあって、その第一項に、原告主張のとおりの文言があること、被告会社の総務部長から組合の書記長に宛てた原告主張の覚書附属書の前文には、「昭和三八年四月一六日付覚書に関し、四月二二日付で組合側から補足および確認事項の提出があったので、配置転換について下記のとおり運用する方針であることを通知する。」としたうえ、原告主張の文言があり、その文言に続けて、「配転について苦情あるときは、苦情処理委員会で処理し、もし解決のつかない場合は労使懇談会(名称改訂後は新名称に従う)において処理する。」との文言があるほか、「配転のための準備期間は、原則として……本社内の場合は一週間あるよう取扱う。」との文言もあること、更に、被告会社の代表者と組合の執行委員長との間に取り交わされた昭和三八年四月二七日付の協定書があり、その第五項の「配置転換」の項には、「別紙覚書のとおりとする。」旨の文言もあることがそれぞれ認められる。
右に認定した事実に基づいて考えるに、原告主張の覚書等が果して労働協約に当るかどうかの判断は暫らく措き、仮にそれが厳格な意味での労働協約には当らないとしても、この覚書が被告会社の代表者と組合の執行委員長との間に取り交わされた昭和三八年四月二七日付協定書の中にも盛り込まれている以上、この覚書は、労使間の協定事項として、被告会社がこれを尊重しなければならず、これを無視したときは労働協約に違反した場合と同視し得る効果が生じるものというべきであり、また、その内容は、被告会社が従業員の配転を円滑に行うためには、会社に業務活動上の必要がなければならないことは勿論、当該従業員の個人的事情をも配慮しなければならないという配転問題に関する当然の事理を明らかにしたものであるというべきである。しかし、その趣旨は、もとより被告会社が従業員の意見を単に聞くだけでよいといった消極的なものではないが、だからといって、従業員の承諾又は同意のあることを配転命令の効力要件とまでしたという積極的なものではないと解すべきである。そして、このことは、(証拠略)によれば、被告会社が昭和四〇年六月一八日付で行った組合の要求に対する回答の中に、「配転の本人同意について」として、「昭和三八年四月一六日付覚書で支障があったとは思われないので、改訂の必要を認めない。」との文言があること、組合が同年九月一八日付で被告会社宛に出した要求書の中に、「組合員の配置転換(職務異動)に際しては、事前に組合と協議しその同意を得たのちに実施するよう要求する。」との文言があること、更に、組合が昭和四一年九月一日付で出した労使会議の報告の中にも、「部門間配転は従来通り、労働協約に基き、一週間前に本人に通達し、基本的には本人の諒承を得るべきである。」等の記載のあることが認められ、従って、組合が、原告主張の覚書の成立後も、被告会社に対し従業員本人あるいは組合の同意のあることを配転の要件とするように要求し続けているが、未だにその要求の実現していないことが推測されることから見ても、明らかである。
ところで被告会社総務部門総括の所沢作治が、第一次配転を行うに当り、右覚書等の存在を失念していたことは、証人所沢作治の証言からも窺えるところであって、そのようなことは、人事を担当する者の態度としてまことに疎漏であるとの譏りを免れない。
しかしながら、前記の認定事実からすれば、被告会社は、従業員の提出した自己申告書による配転の希望や意見をも参酌するとともに、労使会議・苦情処理委員会や個別的面接を重ねて、配転予定者に対し、被告会社に業務活動上の必要のあることを説き、配転者各自の個人的事情をも聞いたうえ、総合的に判断して配転命令を出していることが認められるのであるから、結果的に見れば、形式においても、実質においても、被告会社が右覚書等の趣旨を無視して第一次配転命令を出したものと見ることはできない。そして、この結論は、最終的には原告らの自己申告書等による希望や意見が容れられなかったとしても、変りがない。
従って、原告の前記主張は、採用することができない。
(三) また、原告は、種々の理由を挙げて、第一次配転命令は人事権を濫用してなされたものであるから無効であると主張するので、その主張の当否について判断する。
(1) まず、原告は、第一次配転命令は原告が自己申告書の提出等によって明らかにした原告の意思を無視したものであると主張する。そして、被告会社に原告の主張するとおりの自己申告制度があり、原告が第一次配転命令の発令の前に四回にわたってその主張のような自己申告書を被告会社に提出してきたこと、原告が第一次配転の内示を受けた後もその配転を希望しない旨を被告会社に繰り返し述べてきたことは、当事者間に争いがない。
しかしながら、まず、原告と被告会社との間に締結された労働契約について、原告の職務内容や勤務場所等を限定する明示又は黙示の合意がなかったこと、及び被告会社が原告に対して第一次配転命令を発するに当り、被告会社に業務活動上の必要があったことは、前に判示したとおりであるから、被告会社は、特別の事情の生じない限り、原告の承諾又は同意を得ないでも、第一次配転命令を発し得る権利を有したものというべきである。
そこで、被告会社における従業員の自己申告制度の性格等について見るに、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。即ち、被告会社における従業員の自己申告制度は昭和三八年から採用されているものであるが、被告会社がこのような制度を採用した目的は、これによって、従業員の人事異動の円滑化、従業員の潜在能力の開発、人員の適性配置等を図るとともに、併せて従業員の自己啓発の促進、従業員に関する教育実施資料の獲得、従業員の不満の解消等をも図らんとすることにあった。そして、この制度は、あくまでも、従業員の人事異動の立案及び実施の一参考資料としての性格を有するに過ぎないものであって 人事異動の実施に当り従業員の希望を必ず実現することまでを約束するものではなかった。そこで、被告会社は、従業員に自己申告をさせるに当り、「この調査に希望を述べたからといって必ずしもそのとおりになるということは保証できません。資料として将来の配転において参考としたいということですから、念のため申し添えます。」(昭和三八年七月三一日付)、「希望については全部そのとおりに容れられることは保証できませんので、予めご了承下さい。」(昭和四〇年一月一八日付)等と付言していた。以上の事実が認められる。
以上に認定した自己申告制度の目的及び性格に照らして考えると、被告会社の発した第一次配転命令が、原告がその発令前に自己申告書の提出によって表明した希望に反するものであったとしても、そのことから直ちに、第一次配転命令が人事権の濫用によるものであるということはできない。そして、これは、第一次配転の内示後に原告がその配転を希望しない旨述べたにも拘らず、被告会社がこれを採用しなかったことについても、同様である。
もっとも、原則的には以上のとおりであるとしても、当該配転命令が、その発令の基礎となった使用者の業務活動上の必要性に比して異常に大きい不利益や不便を労働者に負わせるものであるとか、使用者が配転者の決定に当って用いた基準や手続等が、社会通念に照らし非常に不合理なものである等、その配転命令の発令について通常人の納得しがたいような特別の事情がある場合には、その配転命令は人事権の濫用によるものであると評価することができるであろう。しかしながら、本件について見れば、原告に対する第一次配転命令が被告会社の業務活動上の必要性に比して異常に大きい不利益や不便を原告に負わせるものであったといえないことは、次の(2)及び(3)において述べるとおりであるし、また、右転命令の発令の際における配転者の決定に関する基準や手続等が社会通念上格別不合理なものでなかったことは、前記二の1で認定した事実関係に照らして明らかである。そして、本件の全証拠を更に検討しても、その他に第一次配転命令の発令について通常人の納得しがたいような特別の事情があったとは認められない。のみならず、却って次のような事実関係が認められる。即ち、原告と同時に配転命令を受けた一五名の従業員のうち、六名は内示の直後に、またその余の六名は個別的説得の後にそれぞれ配転を承諾しており、その余の小野沢勇も個人的には配転に異議がなかったことは、前記二の1で認定したとおりであるし、また、(証拠略)によれば、原告とともに最後まで配転に反対した小野昭明も、異議を留めつつも配転命令に従った後は、配転先での業務について非常に満足し、その業務が自己の能力に合っているとして、これを将来も続けたい旨の自己申告書を提出していることが認められる。更に、原告に対する第一次配転命令自体についても、原告が異議を留めつつもその命令に従った後は、組合は被告会社に対してその命令の撤回を求める申入れ等は何らしていないし、また、原告からの本訴の提起に際し組合の執行委員会で取り上げたその訴を支援するかどうかの問題についても、代議員会で過半数の賛成が得られなかったことは、前記二の1において認定したところである。そこで、これらの事実関係を総合して判断すれば、原告に対する第一次配転命令の発令について通常人の納得しがたいような特別の事情があったと認めることは困難である。
なお、(証拠略)によれば、原告が昭和三八年一二月に第三営業部代理店課から第一製造部第二製品課(デイジタル組立部門)へ異動するに際しては、原告は、同年八月提出の自己申告書等により、右代理店課の職務に満足しており、将来もその職務を継続していきたい旨の希望を表明していたにも拘らず、突然被告会社から右第二製品課への配転を指示され、それに応じたくないとの意向を示したが、上司から、現場へ行って進歩して来いと言われたので、不承不承その配転に応じた経緯のあることが認められる。しかしながら、前記のとおり、労働契約上労働者の職務内容や勤務場所等を限定する合意のない限り、配転は、原則として、使用者の業務活動上の必要に応じてなされうるのであって、労働者の意思や希望のみに基づいてなされなければならないものではないから、原告のデイジタル組立部門への配転について右のような経緯があったとしても、その配転から四年余の期間を経過した後に被告会社の業務活動上の必要に基づいてなされた第一次配転命令が人事権の濫用に当るとはいえない。
また、原告本人尋問(第一回)の結果の中には、第一次配転命令の発令の当時、デイジタル組立部門の従業員の中には、他部門への配転を希望する者が何名かいたという部分がある。しかしながら、当時のデイジタル部門の従業員の中で、自己申己書等によって、積極的に他への配転を希望していた者は、前記認定のとおり、高田健二一名だけであって、同人以外の者が積極的に他部門への配転を希望していた事実を裏付けるに足りる確たる証拠はない。のみならず、仮に他部門への配転の希望者が何名かいたとしても、複数の従業員のうち、誰を配転させるかは原則として使用者の業務活動上の必要に応じて判断されるべきであるから、他への配転を希望している者を配転させず、それ以外の者を配転させたとしても、そのことだけで人事権の濫用となるものではない。
従って、以上の点に関する原告の主張は理由がない。
(2) 次に、原告は、第一次配転命令によって経済上及び生活上の不利益を蒙ったと主張する。
そして、請求の原因三の3(二)の事実のうち、原告が第一次配転によって実質的に経済上の不利益を蒙ったということ及び原告主張の出費が実質的に賃金の引下げになったということを除くその余の事実、同(三)の事実のうち、原告が右配転によって生活上の不利益を蒙ったということを除くその余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
ところで、原告に対する第一次配転は、勤務地を異にする配転ではなく、同一敷地内にある職場間の変更に過ぎなかったのであるから、通勤上の不便・不利益や転居に伴う原告本人及びその家族の不利益等を問題にする余地はなかった。ただ、原告の従事する職務の種類及び内容が変ったことによって原告の負担しなければならない衣服・靴等についての出費に多少の差異が生じたであろうことは、特別の立証を俟つまでもなく、十分に推認しうるところであり、また、(証拠略)によれば、組合が被告会社に出した昭和四四年三月一〇日付の要求書の中にも、「営業関係者の作業衣支給の件」として、「営業関係者の作業衣として年二着のワイシャツを現物支給とする。」という要求事項のあることが認められる。
しかし、第一次配転命令に伴って、原告が経済上又は生活上その主張するような不利益を受けたとしても、その不利益は極く僅少なものであったのみならず、これは営業関係の職場に勤務する従業員に共通する問題であって、社会通念上そのために第一次配転命令を無効としなければならない程のものではなかったといわざるを得ない。そして、本件の全証拠を検討しても、一般の従業員の間において、営業関係の業務がその他の業務に比べてより辛い不利益な業務であると評価されていたことを認めるべき証拠はない。
却って、(人証略)によれば、東京営業所(東京支店)での業務は、被告会社にとって非常に重要性の高い業務であったのみならず、一般の従業員にとってもやり甲斐のある業務であって、原告が第一次配転前に勤務していたデイジタル組立部門の業務に比べて、いわゆる日陰の業務でないことは勿論、より社会的評価の低い業務でもなかったことが認められる。
従って、原告の右主張は理由がない。
(3) 更に、原告は、第一次配転命令の結果、原告に不向きな営業の業務に携わることを余儀なくされたことによって精神的苦痛を受けたと主張する。
そこで、判断するに、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。
(ア) 原告の東京営業所(東京支店)における勤務については、その勤務時間が午前八時三〇分から午後零時一〇分までと午後一時から午後五時一五分までと定められていたものの、常時営業活動としての客先の訪問があり、その訪問の都合では、朝出社せずに直接客先へ赴くこともあれば、客先の訪問が終った後一旦帰社することなくそのまま帰宅することもあったが、被告会社に対しその旨の連絡をしさえすれば、それが許されていた。そして、時には客先の都合で所定の終業時刻を過ぎても付き合わなければならないこともあったとはいえ、勤務時間の配分は比較的に融通が利いた。また、原告の職務上の訪問先は、都内が多かったが、それだけではなく、月二回程度は千葉県あたりまで出かけることもあったし、更に月一回程度は新潟県や石川県等への宿泊を伴う遠地出張をしなければならないこともあった。そして、遠地出張の場合には、旅費等は事前に支払われたが、近地出張の場合には、旅費等を本人が一時立て替えておいて、事後に精算するということになっていた。
しかし、その精算は月に二回行われ、その金額は多額の場合でも一回五〇〇〇円位に過ぎなかった。
(イ) 原告は、東京営業所での勤務中、営業活動に積極的に取り組み、上司からも営業所に向いているのではないかと言われた位で、その営業成績も通常であった。ただ、原告は製品知識が不十分であったにも拘らず、それを補うための講習会には、時間外手当が支給されないという理由で出席しなかった。また、営業所における事務処理についても、他の従業員が一か月に一〇時間から三〇時間程度残業をしていたのに比べて原告は一か月に四時間から六時間程度しか残業をしなかった。しかし、原告は、仕事についての苦情を上司に洩らしたことはなく、一度だけ、近地出張の旅費の立替えについて苦情めいたことを言ったことがあるに過ぎない。
(ウ) 原告は、東京営業所へ移ってからは自己申告書の提出をしなかったが、原告が第三営業部代理店課に勤務していた昭和三八年八月当時に提出した自己申告書には、当時の職務内容として、代理店バックアップ(代理店よりの問合せに対する調査回答、接待一般、納期調査回答)、販売業務一般(受注活動促進、仕様打合せ、見積り作成、販売資料提供)、事務整理(受注報告書作成、営業一般事務)と記載し、その職務に関する意見として、「満足している」、「職務は自分の能力に合っていて十分こなせる」、「現職務を継続したい」と回答している。更に、原告がデイジタル組立部門に勤務中の昭和四一年八月に提出した自己申告書の自己評価欄にも、実行力・積極性・責任感・協調性等について、自己が極めて優秀であると思う旨回答している。
以上に認定の事実関係に基づいて考えると、原告は、かつて営業部代理店課に勤務していた当時、その職務の種類及び内容が自己の性格に合っていると自ら評価し、その職務に意欲をもっていた程であって、原告の性格が営業に特に不向きであったとは考えられない。また、原告がデイジタル組立部門にいた四年有余の間に、その適応性が急激に変化したと見るべき証拠もない。のみならず、原告は、第一次配転命令後も、営業活動に積極的に取り組み、その業務を大過なく遂行していたことが認められる位である。従って、仮に原告が第一次配転後営業活動を行うことについてその主張するような苦痛を感じていたとすれば、それは営業という職務の種類及び内容から直接生じたものではなく、ただ配転に関して自己の希望が容れられなかったことに対する不満から生じたに過ぎないものといわざるを得ない。
そうすると、右の点に関する原告の主張も理由がないというべきである。
(4) 以上のとおりであって、第一次配転命令が人事権を濫用してなされたものであるから無効であるという原告の主張は採用することができない。
(四) 更に、原告は、第一次配転命令は不当労働行為に該当するから無効であると主張するので、その主張の当否について検討する。
(1) まず、原告が、被告会社に採用された後、組合に加入したこと、原告が、請求の原因三の4(一)の(1)、(3)及び(4)の期間、その主張するような組合役員を歴任し、同(2)の期間、常任代議員であったことは、当事者間に争いがなく、この事実に原告本人尋問(第一回)の結果を総合すると、次の事実が認められる。即ち、原告は、昭和三七年一月から同年八月まで代議員、昭和三九年九月から翌四〇年七月まで常任代議員・調査部員、同年八月から翌四一年七月まで執行委員(専従)・教宣部長、同年九月から翌四二年七月まで執行委員・渉外部長を歴任した。そして、その間、渉外関係で、大田区労働組合協議会(略称「大田区労協」)の副議長、大田区労協下丸子・馬込・調布地区連絡会議の議長(昭和四二年一〇月まで)、全金東京地方本部委員をも兼ねた。なお、昭和四二年八月から翌四三年七月まで渉外部員(その資格で職場代議員会の構成員にもなった。)、同年八月から昭和四六年九月まで教宣部員、同年一〇月から翌四七年二月まで渉外部員、組合の分裂した昭和四七年三月から同年九月まで執行委員、教宣副部長、同月から翌四八年九月まで執行委員・機関紙副部長を歴任した。そして、以上の間、原告は活発な組合活動を行ってきた。以上の事実が認められる。
しかしながら、原告が、右のとおり、組合の役員を歴任し、活発な組合活動を行ってきたとしても、前記認定のとおり、原告が被告会社との間に職務内容や勤務場所等を限定しない包括的な労働契約を締結している以上、被告会社がその労働契約に基づいて発する配転命令に従う義務を免れ得ないことはいうまでもない。そして、前記認定の事実関係からすれば、原告に対する第一次配転命令が労働組合法第七条第一号にいう不利益な取扱いに該当するということはできない。
(2) また、原告は、原告に対する第一次配転命令と同時になされたデイジタル組立部門の従業員の配転は同部門の職場から原告をはじめとする組合活動家を一掃するためになされたものであると主張し、原告本人尋問(第一回)の結果の中には、配転者の中には、小野沢勇、小野昭明、高田健二、林興和のような組合活動家が多かったという部分がある。そして、右の原告本人尋問の結果によれば、原告とともにデイジタル組立部門から配転された八名の従業員はすべて組合員であったことが認められる。
しかしながら、(人証略)によれば、右配転の当時、被告会社内の労働組合としては組合だけが存在し、その組織率も極めて高く、かつ、活発な組合活動を行っていたことが認められるのであるから、デイジタル組立部門から配転された者がすべて組合員であり、その中に組合活動家も含まれていたとしても、そのことだけから直ちに、被告会社に組合の活動を支配し、これに介入する等の意思があったものと速断することはできない。また、原告の主張する組合活動家の意味自体も必ずしも明確でないが、本件の証拠によるも、右配転の当時、原告の主張するような組合活動家が被告会社内及びデイジタル組立部門内にどの程度存在し、右配転の結果それらの組合活動家による組合活動の全体にどのような影響ないし支障を及ぼしたかは、明らかでない。しかも、前記認定の事実関係を通観すると、次のような事実が注目される。まず、デイジタル組立部門から他に配転された従業員八名のうち、高田健二を除く残余の八名は、いずれもデイジタル組立部門の職場と同一の敷地内にある職場に配転されたに過ぎないのであるから、その配転の組合活動に与える影響は、地理的に異なる勤務場所、特に地方への配転の場合に比し、非常に僅少というべきである。(なお、高田は、同人の家庭の都合で、自ら希望した広場の営業所に配転されたものである。)また、原告と同時に配転命令を受けた者の中で、最後まで配転に反対する態度を維持したのは、原告と小野昭明の二名に過ぎなかったし、組合が積極的に反対したのは、常代議長である小野沢勇の配転についてだけであった。しかも、被告会社は、小野沢の配転については、組合の反対の趣旨を尊重して、同人を一応航空計器組立部門へ配転するけれども、同人が常代議長である間はデイジタル組立部門への出向を命ずるという妥協策を講じ、その配転が組合活動に影響を及ぼさないように配慮しているのである。更に、原告の提起した本訴の支援の問題は、組合の代議員会で否決されている。以上の事実が注目されるほか、(人証略)によれば、小野は、右配転までの間、代議員・教宣部員を一年間だけ務めた活動経歴があるに過ぎないことが認められるし(なお、同人は、前記認定のとおり、配転命令に従った後は、配転先の業務に非常に満足し、将来もその業務を続けたい旨の自己申告をしている。)、また、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告とともにデイジタル組立部門から配転された者のうちで、昭和四七年三月に組合が北辰労組と組合とに分裂した後もなお組合の組合員として留っているのは、原告ひとりに過ぎない(但し、小野沢は、組合の分裂前に退職している。)ことが認められる。以上の事実から判断すると、原告に対する第一次配転命令と同時になされたデイジタル組立部門の従業員の配転が同部門の職場から組合活動家を一掃する意図のもとになされたものであると認めることは困難である。
なお、(証拠略)を総合すると、組合の内部には、早くから、被告会社に協調的な組合員とそれに批判的な組合員あるいは反全金派と全金支持派との対立があり、少なくとも昭和四六年ごろからその対立、抗争が顕著となり、昭和四七年三月には、全金からの脱退を支持する者が多数を制して、組合は北辰労組と組合とに分裂するに至り、その前後から、北辰労組員と組合員との間及び被告会社と組合ないし組合員との間にかなり険悪な対立、抗争関係の継続していることが認められる。しかしながら、これらの事実も、未だ前記の認定、判断を左右するに足りるものではない。
(3) 更に、原告は、原告の第一次配転先である東京営業所は組合活動の困難な場所であり、そのために原告の組合活動が制約されたと主張する。確かに、前記の認定事実からすれば、東京営業所での営業業務は営業所外に出かけて行われることが多く、時間も不規則になりがちであるから、デイジタル組立部門等の現場の業務に従事する場合に比べ、組合活動が行いにくい面のあったことも否定することができない。しかし、反面、東京営業所での勤務は、時間の配分についてかなり融通の利く面もあったのであるから、工夫次第では、原告の主張するような組合活動上の不利益を回避することも十分に可能であったと考えられる。また、原告本人尋問(第一回)の結果によれば、東京営業所においては、原告自身の行動が時間的、場所的に制約されるとともに同営業所に所属する他の従業員の行動も時間的、場所的に制約されているので、昼休み時間とか退勤後の時間に職場大会等を開こうとしても全員の出席することが困難であったという。しかしながら、このような制約は営業関係の業務に従事する従業員の多くに共通する制約であって、原告ひとりに対する制約ではないのみならず、業務の性質上やむを得ない制約であるというべきであるから、このような制約のある職場への配転をもって、にわかに不当労働行為であるといえないことはいうまでもない。(むしろ、組合活動の推進という観点からすれば、このような制約のある職場こそ、熱心な組合活動家の存在を一層必要とする職場であるというべきであろう。)
(4) そうすると、原告のいう不当労働行為の主張も理由がないといわなければならない。
(五) 以上に検討したところからすれば、第一次配転命令が無効であるという原告の主張はいずれも理由がない。従って、原告は、右配転命令の発令後は、それ以前の職場であるデイジタル技術製造部門(組立)に勤務する従業員としての権利を有しないものといわなければならない。
三 次に、第一次配転命令と第二次配転命令との関係について考察する。
請求の原因二の2及び同五の2の各事実は、当事者間に争いがない。
そして、原告の東京営業所における勤務状況については、前記認定のとおりであり、また、(人証略)を総合すると、被告会社では、同一職場に平均して五年位いると、一応異動の対象となり、かつ現実にもそのような異動の例があること、昭和四八年五月一日付で被告会社全体として約一五〇名に上る定期異動が行われ、東京営業所における異動も多かったこと、この時には、舶用機器部門からの人員要求もあるとともに、原告も第一次配転以来五年三か月間東京営業所で勤務したので、定期異動の対象になったものであることを認めることができる。因に、(人証略)によれば、同人らも平均して五年位で配転させられた経験を有していることが認められる。
右に認定の事実に照らして考えると、第二次配転命令は、その効力の有無についてはともかく、これを第一次配転命令の延長であるとか、あるいは、第一次配転命令と一体をなすものであると見ることは困難であって、第一次配転命令とは別個、独立の新たな配転命令であると見るべきである。
四 ところで、原告は、本訴において、第一次及び第二次の各配転命令の無効を主張して、それ以前の職場であるデイジタル技術製造部門に勤務する従業員としての権利を有することの確認を求めているのであるが、その第一次配転命令に無効事由がないこと、従って、原告が現在では右のような権利を有していないことは、既に説示したとおりである。そうである以上、原告が本訴において求める右権利の確認請求は、前記のとおり第一次配転命令とは別個、独立の命令である第二次配転命令の有効・無効によっては何らの影響をも受けるものではないから、その有効・無効の判断をするまでもなく、同請求は失当であるといわなければならない。
五 よって、原告の本訴請求は、その理由がないというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 富田郁郎 裁判官 石井宏治)