大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)3629号 判決

原告 加藤トミノ

右代理人弁護士 八田三郎

被告 液化炭酸株式会社

右代表取締役 後藤武夫

被告 佐藤敬治

右代理人弁護士 江副達或

第一主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二本訴請求

「被告らは原告に対し、連帯して金一、一七九、六九八円および訴状送達の翌日(昭和四三年四月一七日)から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。」との判決ならびに仮執行宣言。

第三争いのない事実

一、本件傷害自動車事故発生

とき   昭和四二年一二月二三日午前一〇時三〇分頃

ところ  東京都北区東十条二―五―九先路上

事故車  被告会社所有の貨物自動車、練四な六六七二号

右運転者 被告佐藤

受傷者  原告(歩行横断中)

態様   被告佐藤は事故車を運転して西行、現場にさしかかった際、道路北側から南側に向って横断歩行中の原告に接触、ために原告は受傷した。

二、責任原因

被告会社は本件事故車の運行供用者である。

三、損害ならびに損害の填補について

(一) 原告は右受傷により同日から翌年二月一七日まで八木病院に入院した。

(二) 被告らの損害額支払

1 入院費として 金一八〇、〇〇〇円

2 付添家政婦費として 金三〇、〇〇〇円

3 コルセット代金として 金七、五〇〇円

4 雑費、慰藉料として 金二五、〇〇〇円

四、示談書の作成について

本件事故について昭和四三年一月九日付で示談書が作成され、原告の印影が押捺されている。

第四争点

一、原告の主張

(一) 自動車事故による賠償責任追求

1 責任原因

本件事故は被告佐藤が前方側方に対する注意を怠った過失により生じたものである。すなわち信号まちしていた被告対向車の数台の自動車のうちの一台の運転手が通行を促すよう手をあげて合図したのでこれに従ってその車前を横断しようとした原告をその直近にいたるまで気づかなかった被告佐藤の過失はおおうべくもない。

従って被告佐藤は不法行為者として、被告会社はもとより運行供用者として原告に生じた損害の賠償の責に任じなければならない。

2 損害の発生

(1) 傷害の内容

第五 腰椎辷り症

(2) 損害の数額

前掲第三の三の(二)により填補を受けた損害の外に左記損害を蒙った。

(イ) 付添費 金三五、〇〇〇円

入院中家政婦解雇後三五日間原告の長女加藤泰子がその業務を休んで付添ったので、一日金一、〇〇〇円あて右金員の負担となった。

(ロ) 退院後三ヶ月間の治療費 金一五、〇〇〇円

(一五回通院、一回金一、〇〇〇円)

(ハ) 通院交通費 金三、〇〇〇円

(一回金二〇〇円、一五回)

(ニ) 逸失利益 金四七六、六九八円

原告は三〇年以前夫泰三戦死後一男一女を育て、近年は毎年四月初から九月末までは本籍地秋田県雄勝郡雄勝町泉沢字古城下五五番地にてメロン、トマト、西瓜洋菜類などを栽培し、一ヶ月平均一万円、六ヶ月六万円の収益をあげていたが本件受傷によりその栽培収益が不可能となった。原告は事故時五〇才で健康体であったからなお十年は労働可能であった筈で、その間の得べかりし利益の現価の総計を年五分の利息控除によるホフマン式計算によって算出すると、右金額になる。

(ホ) 慰藉料 金五〇〇、〇〇〇円

本件受傷により長期の療養を要し、またそのため婚期に達した二児の婚姻にも差支え、精神的衝撃は甚大で、控め目にみてもこれを慰藉すべく、右金員が相当である。

(ヘ) 弁護士費用 金一五〇、〇〇〇円

(二) 示談の無効

かりに被告主張のように本件事故について示談が成立しているとしても、法律行為の要素に錯誤があり無効である。

すなわち本件示談書の作成については被告会社側の求めに応じ、当時正月休みで、岩手県から上京してたまたま原告の受傷を知った原告の長男加藤俊雄が原告を代行して交渉に当ったものである。ところでその際被告会社側の説明は被告佐藤の刑事責任を軽くする趣旨のものであって慰藉料の賠償問題はふくまれないものとしていたので原告側はその作成に応じたものである。

ところが本件示談書には、慰藉料ならびに雑費として金二五、〇〇〇円の支払義務をうたっている。しかしながらこの文言の作成はすべて被告会社側が当り原告らの関知するところでなく、そもそも入院約二ヶ月通院二ヶ月を経過するもなお、完治の見込のない重傷に対する慰藉料が入院中の雑費をふくめて僅かに二万五千円とはまさに常識を逸する低額である。これをもってしても慰藉料が双方の交渉で検討されなかったことを示してあまりあるであろう。

原告は慰藉料の問題が入っていれば本件示談書の内容のような示談を結ばなかった筈であり、慰藉料の支払義務の処理その債務額の多少に関する錯誤はまさに法律行為の要素に錯誤あるものというべく、本件示談契約は無効である。

二、被告らの主張

(一) 示談の成立

本件事故に関する紛争については昭和四三年一月六日から九日頃原告と被告らとの間で示談が成立しているから原告の損害賠償請求はいわれがない。

仮に右示談に関する原告の意思表示に要素の錯誤があったとしても、原告に左の諸点のような重大な過失があるから無効を主張し得ない。

イ 原被告ら間で取交した本件示談書ならびに原告が捺印した領収書には明かに「慰藉料」という文言が記載されている。

ロ 本件示談書は原告の長男および長女に示され、これを検討するため十分時間が与えられていた。

ハ 交通事故の示談においては被害者が加害者に対し、例外なく慰藉料を請求するのが常であり、しかも原告が以前にもオートバイに衝突して長期入院通院した交通事故の経験者であることからして、慰藉料の文言、さらにその請求権自体の処理をみすごす筈がない。

(二) 損害賠償請求債権について

1 被告らの無責

被告佐藤に過失はない。被告佐藤は本件現場手前の東十条二丁目五番地交差点で一旦停車し、左方より右方に進行する車両二、三台の通過を待ったのち発進して西行東十条駅方面に向い時速二五キロ位で現場にさしかかったところ、原告が左右の車両に十分注意をはらわず信号待ちしていた時間(東行)車両の間から突然被告佐藤の運転する事故車の右直前にとび出したため被告車の右側バックミラーの前に接触し、ボンネットの上に手をつき路上に倒れたものである。従って全く原告の過失によって発生した事故というべきである。

本件事故車に構造上の欠陥、機能の障害はなかった。被告会社は正規の車体検査のみならず常に整備、点検を行い運行に関して絶えず注意を怠っていなかった。

従って被告らに不法行為ないし運行供用者としての賠償責任を生ずるいわれがない。

2 過失相殺

かりに被告らに何らかの賠償責任があるとしても、右述した事故態様からして原告の過失は重大で、まさに過失相殺が適用されねばならない事案である。

第五争点に対する判断

一、示談の成否、ならびに要素の錯誤の有無について

本件事故に関する原、被告ら間の紛争については両当事者間納得の上に昭和四三年一月六日前後頃示談契約が成立して被告らはこれを誠実に履行しており、要素の錯誤があったものとは認められない。

先ず少くともつぎのような事実が認められる。

(イ) 原告の傷害は第五腰椎辷り症で、受傷した一二月二三日から翌年二月一七日まで入院、以後約一ヶ月間軽作業は可能であるも週一回程度の通院を要する経過であった。

(ロ) 原告が入院中、先ず昭和四三年一月五日頃示談のため被告側から被告佐藤と被告会社営業二課長の檜山正夫が病院をたずね、原告を代行した長男加藤俊雄と病院附近の喫茶店で基本的な話合をし、さらに三名病院に戻って担当医師に原告の病状を問い正した。

(ハ) 翌日六日頃、被告側はさらに総務担当の仲洋行を加えた三名で原告のアパートをたずね、長男俊雄、長女泰子と五名で検討した結果本件示談書を作成した。右示談書には左のような趣旨の文言がある。

A 被告側は、原告の入院中の治療費、付添人費、通院治療費(医療費と交通費をふくむ趣旨とみられる)を一切支払う。

B 慰藉料、雑費として被告側は原告に対し金二五、〇〇〇円を支払う。

C 原告の後遺症が東京都北区所在八木病院の診断で認められたときは被告側はその治療費を支払う責に任じ、その損害額については強制保険金の査定によるものとする。

D 右条項以外本件事項に関し債権債務関係を生じない。

なお、右Cの後遺症の条項については原告側の希望に基いて挿入されたものである。なお本文欄の被告側当事者名は被告佐藤、署名欄の被告側当事者名は被告会社となっているが、文面全体から、被告ら両名を被告側当事者と解して差支えない。

(ニ) 右作成後原告方の俊雄が直ちにあずかっていた原告の印を押そうとしたが被告側から一応本人の意向を確めてからにするよう注意があったので、それから五名で病院に赴き、原告の病室に俊雄、泰子がとどまって原告と相当時間経過してから押印して示談書を被告方に手交している。

(ホ) 被告側は見舞、治療費の支払など誠実に履行しており、同年一月一六日原告が受領した二万五千円の領収書にも慰藉料、雑費としての内容明記がある。

(ヘ) 当時、原告の意識は明瞭であった。また原告は戦死した亡夫の遺族扶助料の支給を受け、長男俊男(昭和一二年生)長女泰子(昭和一三年生)もそれぞれ勤め人として四万円前後の給料収入があり、原告方が特に経済的に急迫して示談を急がねばならなかったような事情もない。

(ト) 本件事故については、交差点から発進後、対向車が連続している巾員約六メートルの道路を走行する時の前側方注視が十分でなかった被告加藤の過失も認められるが、原告側にも信号機のある交差点の横断歩道に約一五メートルの近さにありながら横断歩道外をしかも信号待ちのため連続停車している車両と車両の間から車両通行の頻繁な本件道路を横断しようとした過失が認められ、歩行者事故としてはかなりきびしい過失相殺が見込まれる事案である。

≪証拠省略≫

右各事実を総合すると、示談契約の内容については原告から長男俊雄をはじめとして長女泰子も加わり被告側と十分検討、納得づくの上まとめられたものであり、原告もこれを了承して契約に及んだものである。そして被告の負担額も過失相殺を考える時相当であって、特に寡少にすぎるということもない。慰藉料額が雑費とふくめて二万五千円ということも、右前提にたって治療費その他の負担と合計の上検討すると本件事故の程度として必ずしも不相当とはいえない。

従って本件示談契約は有効であって、原告に契約締結に当って要素の錯誤があったとは到底みとめられないところである。

二、結論

そうすると、示談契約の履行を求めての各費目ならばともかく、その主張のない本訴請求は示談の抗弁が認められるのでその余の判断におよぶまでもなく理由がなく、棄却されねばならない。訴訟費用は敗訴者である原告の負担とした。

(裁判官 舟本信光)

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