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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)6434号 判決 1974年7月29日

原告 石山鐘煥

右訴訟代理人弁護士 吉田士郎

右訴訟復代理人弁護士 山代積

被告 株式会社平和相互銀行

右代表者代表取締役 稲井田隆

右訴訟代理人弁護士 中嶋正起

右同 小堺堅吾

右同 八掛俊彦

右同 藤木賞之

右同 村上愛三

右訴訟復代理人弁護士 佐々木敏行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し金五〇〇万円およびこれに対する昭和四二年二月一五日から同年八月一五日まで年五分一厘の、同年八月一六日から昭和四三年六月一九日まで年二分五厘の、同年六月二〇日から完済に至るまで年六分の各割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和四二年二月一五日勧業信用組合(同組合は昭和四六年一〇月五日福徳信用組合に合併され、次いで被告がこれを昭和四九年五月三一日に合併し、以上の各組合の権利義務一切を承継した。以下単に、被告と略す)尾久駅支店において、被告との間で、被告に対し金五〇〇万円を、期日昭和四二年八月二五日、期間六か月、利率年五分一厘の約定にて、無記名の定期預金をする旨の契約を締結し、引換えに無記名定期預金証書の交付を受けた。

2  原告は、右期日経過後、定期預金証書と所定の印鑑を提示して預金の支払を請求したが、被告はこれを拒否した。

3  よって原告は、被告に対し金五〇〇万円とこれに対する預金日たる昭和四二年二月一五日から満期日の同年八月一五日まで約定による年五分一厘の割合による利息、満期日の翌日である同年八月一六日から本訴状送達の日である昭和四三年六月一九日まで満期日後に付せられる通常預金と同率の年二分五厘の割合による利息、および本訴状送達の日の翌日たる同年六月二〇日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  請求の原因1のうち、勧業信用組合が昭和四六年一〇月五日福徳信用組合に合併され、次いで被告がこれを昭和四九年五月三一日に合併し、結局右二つの組合の権利義務一切を承継したことは認めるが、その余は否認する。

本件の預金者は、原告ではなく訴外中村忠夫である。すなわち、従前から被告と取引関係にあった中村は、尾久駅支店に対し近々金一〇〇〇万円程度の預金をする旨話していたところ、昭和四二年二月一五日に至って、中村から同支店に対し、預金をしたいが自分は行かれぬからおじをやるのでよろしくと電話で連絡して来た後、同日原告が中村のおじであると称して来店し、「中村」と刻した印鑑を持参、これを使用して本件の無記名定期預金契約をしたものである。したがって、本件預金者は、中村である。

もし、中村が預金者でないとしても、原告もまた本件の預金者ではない。

2  同2は否認する。

3  同3は争う。

三  抗弁

1  本件預金がなされた後、昭和四二年四月八日頃中村は、赤羽警察署発行の遺失物届出証明書を持参し、本件の無記名定期預金証書を紛失したとの理由で証書の再発行を尾久駅支店に要求したので、同支店においては、前述したとおり(答弁1)中村を本件預金者と認識していたうえ、中村が所持していた印鑑による印影が本件預金の預入れの際に使用された印鑑の印影と照合の結果一致し、かつ、右証明書に記載されている紛失した預金証書の証書番号、預金額および預金日時等がさきに同支店の発行した本件の無記名定期預金証書のそれといずれも同一であり、しかも中村のおじにあたる江川俊三が証書再発行に関しその保証人となる旨確約したなどの事情から、昭和四五年五月一八日金五〇〇万円の無記名定期預金証書を再発行し、次いで同年五月二二日中村に対する貸付金の担保とするため、中村との間で本件無記名定期預金契約を解約したうえ、あらためて同日付で中村との間に金五〇〇万円の記名式定期預金契約を締結して同人名義の証書を発行し、これを担保の一部として金七〇〇万円を中村に貸与した。そして昭和四二年七月一〇日右貸金の弁済があったので、中村に対する同定期預金契約を解約して、金五〇〇万円を中村に払戻した。

2  本件無記名定期預金契約には、被告が印鑑照合によって届出印鑑と所持印鑑が相違ないと認めた場合には一切の責任を負担しない旨の免責約款があるところ、仮に原告が本件預金者であったとしても、前述の事情から、特に本件預金当時の届出印鑑と証書再発行および預金払戻時に中村が使用した印鑑は、金融機関として相当の注意をもってしても両者異なるものとは到底認められず、全く同一のものとしか認められないので、被告の印鑑照合にも手落はなかったといえるから、被告は本件免責約款によって免責されるというべきである。

また前記の事実からすると、中村は、取引通念上債権の準占有者といえるところ、被告は、中村が本件預金者と信じ、かつ、証書再発行から預金払戻に至る諸手続において注意義務を十分につくし、右のように信じるにつき過失はなかったから、中村との間でした本件無記名預金契約の解約もしくは中村に対する払戻による本件無記名債権の消滅を、民法第四七八条の推類適用によって、原告に対抗できる。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1は知らない。

2  同2のうち、本件無記名定期預金契約には原告主張の約款が付されていることは認めるが、その余は否認する。

無記名定期預金証書と届出印鑑の所持者ならば、その者が無権利者でも債権の準占有者といえるが、本件のように単に届出印鑑と類似する印鑑のみを所持するにすぎぬ中村は、客観的にみて債権の準占有者に該らないし、また、本件の免責約款によって免責されるためには、無記名定期預金証書の存在が前提であって、そもそも本件のようにそれがない場合には、免責の効力は生じないうえ、被告には、中村を預金者と信じたことおよび印鑑照合の点につき、重大な過失があるから、いずれにしろ被告の抗弁は失当である。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求の原因のうち、勧業信用組合が昭和四六年一〇月五日福徳信用組合に合併され、同組合が勧業信用組合の権利義務一切を承継し、次いで被告が昭和四九年五月三一日福徳信用組合と合併し、その権利義務一切を承継したことは、当事者間に争いがない。

ところで、≪証拠省略≫によれば、原告が昭和四二年二月一五日自ら被告(当時の勧業信用組合)の尾久駅支店に赴き、被告に対し金五〇〇万円を、期日昭和四二年八月一五日、期間六か月、利率年五分一厘の約定で無記名にて定期預金する旨約し、自己の出損にかかる金五〇〇万円を同支店で預金したことが認められる。

≪証拠判断省略≫

そうだとすると、当該預金の出損者をもって無記名定期預金契約の預金者と解すべきであるから、原告が本件無記名定期預金契約における預金者であることが明らかである。

二  そこで以下、被告の抗弁を考える。

≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実が認められる。

1  副島忠弘は、昭和四二年二月一二日頃中村忠夫から、同人が被告(当時、勧業信用組合)の融資を受けるためその信用を高める等の目的で、被告の尾久駅支店に無記名で金五〇〇万円を定期預金してくれる人を捜してほしい、もしそのような人を紹介してくれたならば謝礼として金二〇万円を支払う、と依頼されたので、その頃この話を臼倉基成にもちかけ、臼倉には金一五万円を謝礼に支払う旨伝えた。そこで臼倉は、古くからの知人である原告に頼んだところ、当初原告は、これをことわったものの、臼倉に執拗に頼み込まれたために結局承諾した。

かくして原告は、昭和四二年二月一五日午後一時頃、臼倉と一緒に、途中東海銀行飯田橋支店に立寄って自己の金五〇〇万円を引きおろしてこれを持参し、臼倉があらかじめ副島と連絡していた尾久駅支店の前で副島および中村と落ち合った(しかしこの時、原告は副島と中村に紹介されていないし、中村とも全く面識がなかった)。それよりさき、副島は、同所で中村から謝礼金二〇万円と中村が所持して来た「中村」と刻印してある印鑑(以下、これを甲印という)を受取っていたので、その場で臼倉に対し金一五万円を謝礼として支払い、かつ、甲印を手渡して、この印鑑を使用してほしいことおよび尾久駅支店の者に対しては中村のおじであると答えてほしい旨依頼した。そこで臼倉は、その旨原告に伝えたところ原告は少しおかしいとは感じたが、深く考えずにこれを了承して甲印を受け取り、一人尾久駅支店に赴き、同支店で甲印を使用してその職員から定期貯金申込書を作成してもらう一方、同支店では甲印を用いて所定の手続をえたうえ、証書番号四三一四の本件無記名定期貯金証書(甲第一号証)および定期預金元帳を作成し、右証書と甲印を原告に交付および返還した(以後、原告はこの証書と印鑑を金庫に保管し、昭和四二年一一月右預金の払戻しを同支店に対し請求したときまで、右証書および印鑑を他人に貸す等のことはしていなかった)。

他方、被告の尾久駅支店は、かねてから中村との間で取引があったところ、右同日の原告が同支店に赴く以前に、中村から預金をしたいが自分は行かれぬからおじを代りにやるのでよろしく頼む、との電話連絡を受けていた。そして、同支店の職員が右預入れ手続中、原告に対し中村のおじかという趣旨のことを問いたずねたのに対して、原告は曖昧にうなずく程度ににごし、別段積極的に肯定も否定もしなかった。

2  ところがその後、昭和四二年四月六日になって、中村は、同年四月三日に本件無記名定期貯金証書を紛失したと称し、その旨赤羽警察署に同年四月四日届出たことを証する同署長名義の証明書を尾久駅支店に提出し、証書の再発行を求めた。ところが、右証明書に記載されている紛失したという証書の番号が、さきに同支店が発行した本件無記名預金の証書番号と同一であったし(その他、金額、期日および期間も同じ)、中村が所持していた「中村」と刻印されている印鑑(以下、乙印という。サイズ、型および材質は甲印と全く同一で、ただ甲印は乙印より古い)を押捺して提出した紛失届並に再発行申請書(乙第五号証)の印影も、照合の結果さきに原告が届出た甲印の印影と同一であると同支店では認識したうえ中村のおじと中村は称していたが、実際は中村の妻の実父である江川俊三が証書の再発行につき保証人となった等の事情から、同支店では、中村が本件無記名定期預金の預金者に間違いないと判断して、同年五月一八日中村に対し本件無記名定期預金につき再び四七三七の証書番号でさきの証書と同一の内容の証書(乙第三号証)を乙印を押捺して発行しこれを交付した。

そしてその後、同年五月二二日中村は右預金を担保に融資を依頼して来たが、無記名定期預金では担保になしえなかったから、同日中村は、尾久駅支店との間で本件無記名定期預金契約を解約したうえ、金五〇〇万円を中村名義で記名式の定期預金契約に変更し(期日昭和四二年一一月二二日、期間六か月、利率年五分一厘の約)、次いで、同年七月一〇日同支店は、中村との間で右定期預金契約を解約し、中村に対し金五〇〇万円を払戻して決済した。

以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。右の事実によると、尾久駅支店においては、原告が本件無記名定期預金契約の際に使用し同支店に届出た印影(甲印による印影)と、後に中村が証書再発行の際に使用した印影(乙印による印影)とが同一であると誤認したというのであるが、このことは、両印が第三者に対し安易に鑑別させない程功妙に作られているとの鑑定人大西芳雄の鑑定結果(また、実際の甲印、乙印を資料とせず、甲印を押捺した甲第一号証の印影と乙印をそれぞれ押捺した乙第三号、同第五号証および同第六号証の各印影のみを対比し、その異同を鑑定したことが記録上明らかな鑑定人長野勝弘の鑑定の結果によれば、右印影はいずれも同一と推定されるという)からして、十分に首肯でき、同支店に印影照合につき落度があったとは到底解しがたいうえ、確かに、中村が真実の本件無記名定期貯金証書を所持していなかったとはいうものの、前記紛失届出証明書の記載内容から中村がその証書をかって所持していたとみられる外形をそなえているし、本件預金の際の中村の言動、特に原告の挙動にも、同支店をして中村が本件無記名定期預金契約の真実の預金者と誤認させるものがみられることにかんがみると、他に特段の事情も見当らない本件の場合、同支店においてはその相当の注意義務をつくして、本件無記名定期預金契約の預金者が中村であると認定したものと解することができる。そして、同支店は、その後中村との間で本件無記名定期預金契約をその期日たる昭和四二年八月一五日より以前の同年五月二二日に解約しあらためて同日中村と記名式の定期預金契約を締結しているのであるが、右解約および契約締結は、実質的に右無記名定期預金の期限前払戻しと同視できるところ、前記証書再発行時から右解約に至るまでの間に、中村を預金者と認めることのできない何らかの事情が介在するならともかく、そのような事情も見当らないから、被告は、民法第四七八条の類推適用により、右解約および新契約の締結をもって真実の預金者である原告に対抗できるといわなければならない。

そうだとすると、被告のその余の主張を判断するまでもなく、被告は、原告に対し本件預金を支払う義務がないことが明らかである。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 大澤巌)

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