大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)662号 判決 1969年11月08日

判決

原告

河野光代

原告

河野高雄

右法定代理人親権者母

河野光代

代理人

大野正男

大橋堅固

山川洋一郎

西垣道夫

被告

右代表者

法務大臣

西郷吉之助

指定代理人

小林定人

外四名

主文

被告は、原告両名に対し、それぞれ金一〇〇万円およびこれに対する昭和四三年三月二八日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

(原告ら)

主文と同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(被告)

原告両名の請求をいずれも棄却する、訴訟費用は、原告両名の負担とする、との判決を求める。

第二原告らの主張

(請求の原因)

一  原告らと柳文卿との関係

原告河野光代(以下「原告光代」という。)は、昭和三八年四月ころ、台湾から体育学の勉学のため来日していた柳文卿と知り合い、同人と交際を続けた後結婚することとなり、同三九年八月ごろから内縁関係に入つた。そして、同四二年一二月には二人の間に原告河野高雄(以下「原告高雄」という。)が出生し、翌四三年三月二七日柳文卿が後記のとおり台湾に強制送還されるまで原告らと柳文卿は、原告らの肩書地において平和な家庭生活を送つていた。

二  柳文卿の経歴と事実の経過

柳文卿は、昭和一〇年一月一八日台湾に生まれ、台湾師範大学を卒業後、昭和三七年体育学の勉学のため、わが国に正規のパスポートを所持して入国、同年四月東京教育大学に入学し、勉学を続けて、同四二年三月修士課程を了した者である。柳文卿の右パスポートは昭和四〇年四月に有効期限が切れたが、同人は、後述の政治的理由によりその更新を求めず、昭和四三年三月二六日にいたつたが、同日午後四時ごろ仮放免更新手続のため東京入国管理事務所に出頭した同人に対し、同所長猿渡孝は退去強制令書を発付し、飯塚警守長は、直ちにこれを執行して、柳文卿を横浜入国者収容所に収容したうえ、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せて同人を台湾へ強制送還した。

三  柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行の違法性

1 退去強制令書発付処分の違法性

柳文卿に対する退去強制令書発付処分は「政治犯罪人不引渡の原則」に違反する。

(一) 台湾の政治的・社会的状況

蒋介石政権による台湾統治は、一九四五年八月、日本が降伏し、同年一〇月連合国最高司令官マッカーサーの命令で中華民国政府が台湾を接収したときにはじまる。そして、一九四九年七月、中国本土において、当時の中共との内戦に敗れたため、国民党蒋介石政権は、台湾にのがれ、以来、蒋介石政権の台湾支配は台湾とその周辺諸島に限定されつつも、「反共 大陸反攻」を国是として、戒厳令のもと戦時体制をしいて現在にいたつている。

蒋介石政権の統治機構は、建前としては、国民政府が中国本土の支配権を有していた一九四六年一一月制定になる中華民国憲法に依拠している。同憲法は、中華民国は、三民主義に基づく民有、民治、民享の民主共和国だとし、主権在民を明らかにし、行政、立法、司法、考試(国家考試の最高機関、公務員の試験任用等をつかさどる。)、監察(国家監察の最高機関として人事に関する同意弾劾、会計審査等を行なう。)の五院を設置し、この五院の調整統合機関として総統をおき、総統は国家元首の地位を占めるものとされている。

しかしながら、蒋介石政権の統治下において、右のような民主的制度は以下に述べる如く、機能を停止し、これにかわつて独裁的な専制政治が行なわれている。

(1) 選挙の行なわれていないこと

憲法上、総統およびこれを選任する国民大会代表の任期は六年、立法院委員の任期は三年であるが、これらの選挙は一九四七年以来、一度も行なわれていない。このため台湾の人口約一、二〇〇万人のうち一、〇〇〇万人とその大多数を占める台湾人(あとの二〇〇万人は蒋介石と共に中国本土から移つてきた軍人、官吏とその家族の中国人である。)は、この二〇年間選挙を通じて国政に参加する機会を全く奪われている。

(2) 総統の絶対専制

総統は、憲法上は前述した五権の調整統合機関にすぎないが、現実には行政府の長として行政権を行使し総統府に設けられた国防会議は、憲法上、法律上なんらの根拠もない機関であるにもかかわらず、国家のあらゆる重要事項を扱い、行政のみでなく、立法権をも行使している。また蒋介石政権は国共内戦の現時期を動員戡乱時期(戡は乱を収めること。)と定め、この間、総統は、「動員戡乱時期臨時条款」により、国家の緊急時には司法、立法、行政などの各分野にわたつて、絶対の権限を行使できる「緊急大権」を有している。これによると、総統は、国家もしくは人民の緊急危難遭遇を避け、財政経済の重大な変動に対処するため叛乱の鎮圧に必要な兵役、労役、物資等の動員、徴用、一切の労働争議の禁止、処罰、叛乱を扇動する集会、言論等の処罰をなすことができ、この権限の広範な恣意的発動は、台湾住民の権利と自由の大幅な侵害をもたらしている。

(3) 国政からの台湾人の排除

上記(1)で述べた如く、台湾人は選挙によつて国政に参加する途を奪われているばかりでなく、蒋介石政権は、台湾人が国政の主要な部門に参加する途をほとんどとざしている。すなわち台湾人は総統を選任する国民代表については、総数一、四〇〇名中二七名、監察委員については、七〇名中四名のわずかを占めるにすぎない。総統府、行政院、司法院等の国家機関においても高級公職についている台湾人は極端に少なく軍隊においても現役軍人五〇万人のうち七〇パーセントが台湾人といわれながら、将校は全体の三分の一ぐらいにすぎず、大尉以上は、ほとんどいず、指揮系統には台湾人は皆無に近い、警察においてもほぼ同様である。したがつて台湾人の、中国からの移住者に対する不満は非常に強く、叛乱も起こつた。蒋介石政権は、そのため、政権に反対する運動を厳しく取り締り、処罰してきたのである。

(4) 人権保障の欠落

以上に述べた点からも明らかであるが、近代民主主義政治存立の基盤である国民の基本的人権の保障についてみれば、それはほとんど無視ないし、剥奪されている。

(イ) 軍事裁判の存在

中華民国憲法によれば、国民は現役の軍人を除いて、軍事裁判を受けない権利を有するにもかかわらず、戒厳令下にあることを理由に、軍法機関は、戒厳法により、通常裁判所が行なうべき事件の裁判を行なつている。現在、軍法会議の管轄は軍人の犯罪ばかりでなく、刑事事件のうちでも、共産党関係の犯罪、匪賊、叛乱、強盗、軍人と非軍人が共犯となつている密輸犯罪、公共危険および治安妨害等の犯罪で治安に重大な危害を及ぼすものにまで及び、後述する懲治叛乱条例等の規定する政治犯罪は専ら、軍法会議の管轄である。

軍法裁判は、一、二の例外を除いて公開されたことはなく、したがつて台湾住民は、どのような嫌疑でどのような裁判が行なわれたかを知ることはできない。裁判に先立つ逮捕等の身柄拘束は令状なしで行なわれ、近代民主主義国家における裁判の手続的保障も全くない。

司法裁判所は重大な犯罪についての裁判権をほとんど奪われ、台湾住民は、公正な裁判所における公正な裁判を受ける権利をほとんど与えられていない。

(ロ) 尨大な秘密警察

前述した如く、蒋介石政権は台湾人の民主的意思に存立の基盤を有していないため、民衆の不満や批判、反政府運動を警戒弾圧し、厳しく治安を維持するため、尨大な治安維持機構(秘密警察)を保持することを迫られている。

台湾における治安維持機関は尨大かつ複雑で、さまざまの系統にわかれ、国防会議、国家安全局所属警備総司令部、国家安全局国防部情報局、司法行政部調査局といつた機関が数多く並存し、特務総数は一説によれば、パートタイムの通報員を含めると五〇万人にものぼるといわれ、これらがすべて蒋介石政権に対する批判や政治活動や言論を監視し、取り締つている。これらの中でも最高の治安機関は警備総司令部であり、台湾島内の反国府分子に対する弾圧と粛清を最も重要な仕事としている。前述した司法院とは別個に非公開の軍事裁判を行なう軍法処を有し、政治犯を処刑し、収容する強制収容施設を有するのもこれである。警備総司令部が逮捕や判決を公表することは少なく、やみからやみへ処断されることが極めて多い。台湾人の行方不明が数万にのぼるといわれるのはこれによるものといわれている。また、理由も容疑事実も不明のまま逮捕され、正式裁判をうけることもなく、数年もの長きにわたつて政治犯監獄に抑留された事例は数多い(劉家順、許肇峰のケース)。

このような治安機関の権限の前に本来の警察はその権限を奪われ、実質的には警備総司令部に従属しているが、その中で台湾住民の基本的人権をはなはだしく侵害するものに戸口査察と浮浪者の取締りがある。警官は、各戸を訪問して戸口査察を行ない、その際台湾住民がいつも所持していなければならない国民身分証をあらためる。これを持たないで外出すると、いつでも拘留されて、始末書をとられ、その家長が身分証を持つて本人を引取りに行かねばならない。また、浮浪者の取締りのために、住民は、旅行、移動をする際には、いちいち警察に登記することを要求されるし、警察は、浮浪者や犯罪者の取締りに名をかりて、反国府的要注意人物を「外島管訓」として島送りにし、また、誤つて無辜の市民を逮捕することも多い。このようにして、警察は、住民の生活のすみずみにまで監視の目をはりめぐらせて、反政府的言動に警戒の目を光らせている。これらによる人権侵犯事件はひん発している。

(二) 台湾における政治犯の処罰

前述の如く、蒋介石政権は、二〇年余も選挙を行なわず、したがつて台湾住民多数の支持を得ているとはいえず、特に大多数をしめる台湾人を国政から排除しているため、その政府批判や反政府的言動には極めて敏感とならざるを得ない。そのため、これらを広範に取り締るための苛酷な特別法が制定され、極めて恣意的な運用がなされている。

特に、一九四七年に制定施行された懲治叛乱条例二条一項は、刑法一〇〇条の規定する内乱罪に対する刑(有期徒刑七年以上、首謀者は無期徒刑)を重くして、これをすべて死刑に処するとともに、四条七号は、叛徒を包疵し、蔵匿した者は死刑または無期徒刑または一〇年以上の有期徒刑に処する、五条は、叛乱組織または集会に参加した者は無期徒刑または一〇年以上の有期徒刑に処する、七条は、文字、図書、演説でもつて叛徒に有利なる宣伝をした者は七年以上の有期徒刑に処する等規定して、「叛徒」「叛乱組織または集会」「叛徒に有利なる宣伝」などというあいまいな不明確な構成要件をもつて、すべての反政府的言動を取り締ることを目的としている。そして、軍法会議は、これらの規定を恣意的に拡張解釈し、蒋介石政権に少しでも不利な言動をすべて政治犯として厳罰に処してきた。

すなわち、政府を批判する政党、反政党はすべて「叛徒」とされ、反政府的意見や政府の政策批判が表明される組織や会合は、共産党の組織や会合ばかりでなく、すべて「叛乱組織又は集会」とされ、また、現在国府は中共と戦争状態にあるので、国府に対する批判、攻撃は自動的に「叛徒に有利なる宣伝」というふうにされるのである。

軍事法廷は、極く少数の例外をのぞいて、その審理や判決を公表しないが、公表されたものの中から、いくつかの実例をあげると、つぎのようなケースがある。

(ⅰ) 雑誌「自由中国」を通じ、国民党の専制に反対して、有力な反対党の育成をはかり、台湾政治の民主化と法治を主張した雷震が叛乱煽動罪で懲役一〇年に処せられた(一九六〇年)。

(ⅱ) 台湾の独立を主張する宣言を起草、所持していた台湾大学政治学校教授彭明敏ほか二名が、「非法な方法でもつて国憲を変更し、政府を転覆しようとする予備をなした」として懲治叛乱条例二条三項違反で起訴され、懲役一〇年に処せられた(一九六五年)。

(ⅲ) 一九五五年大学生時代に演劇活動を行なつた蔡徳本が「演劇活動を行ない穏やかならぬ書物を読んだ故に、或る思想傾向が無きにしも非ず」として、裁判は無罪となりながら二年間拘禁され、洗脳を強いられた。

これらはなんら実力行動に訴えたものではなく、いずれも言論にとどまるものであつたが、処罰の対象となつたのであつて、ここには言論の自由、政府批判の自由は一切その存在を許されあいないのである。

さらに蒋介石政権による右のような政治犯処罰の実情は、ますます悪化しているのであつて、このことはつぎのような最近の事例によつて容易に知ることができる。すなわち、

(ⅰ) 劉佳欽、顔尹謨両名の事例  劉佳欽、顔尹謨両名は、東京大学に留学していた台湾出身の研究生であつて、劉は農業経済を、顔は憲法を専攻していたものであるが、両名とも、東京大学留学中の一九六七年夏、中華民国留日同学会主催の同年度夏季帰国訪問団の一員として、台湾に帰国したまま、同年八月下旬ころから消息を断ち、予定期日になつても日本に帰らず、治安機関に身柄を拘束されていると伝えられるようになつた。しかし、その拘束の理由と場所は全く判らぬ状態にあつた。その後翌六八年になつて、ようやく右両名が台北市議員を含む七名と共に、陸海空軍刑法中の叛乱罪に関する法条により軍事法廷に起訴され、かつ、死刑を求刑された事実が判明した。右起訴にかかる犯罪事実は、劉、顔ら九名が「台湾青年独立連盟」と連絡をとりつつ台湾独立を企てたというものであつて、具体的には、日本における「台湾青年独立連盟」との接触(その起訴状には、同連盟委員長の辜寛敏および同連盟員である廖春栄の名前が登場している。)、同連盟の刊行物である「独立台湾」の配布をはじめとして、台湾独立の反対者および政府首脳の暗殺計画、高雄練油敝および重要橋梁の爆破計画、台湾独立運動の宣伝パンフレット、ビラ、機関誌等の作成および配布、独立運動のための組織「台湾青年団結促進会」の結成等を内容としている。

(ⅱ) 陳玉璽事件  陳玉璽は、台北大学で経済学を学んだ後、一九六四年よりハワイ大学に留学していた台湾出身の学生であつて、成績優秀のため一九六六年から一年間同大学経済学部の助手を勤め、翌六七年三月には、さらに同大学より大学院博士課程進学が認められていたものであるが、本国台湾の政府が、同人がハワイにおいてベトナム反戦活動をしているアメリカ人と接触したためか、ハワイ滞在を認めなかつたため、やむなく勉学を中断してハワイを離れ、その帰路の途中日本に立ち寄ることとなり、同年八月一七日観光ビザ(二か月間の期限)により日本に入国した。陳玉璽は、日本入国後しばらく観光旅行をしていたが、ハワイで中断した勉学の意欲が再び燃えあがり、それを日本において続けようと考え、在留期間を更新し、法政大学大学院入学を目指して勉強を開始した。同人が日本で勉強を続けることを希望したのはひとつには前記の如きハワイでの交友関係のため、帰国すれば相当の処罰を受けるであろうことを恐れたためである。そして、陳玉璽の在留期間は同年一二月一五日までであり、同月一六日からは不法残留となつたため、その違反調査が開始されたが、翌六八年一月二三日には、収容令書発付、執行後、直ちに陳玉璽は仮放免となつた。しかし、その仮放免の喜びも束の間、仮放免後二週間余りしか経たぬ翌二月の八日、東京入国管理事務所に出頭した陳玉璽に対し、法務大臣に対する異議申出を棄却する旨の裁決の告知がなされると共に、主任審査官より退去強制令書が発付され、直ちに身柄を拘束収容され、翌九日午前九時半ころ、特務機関の待つ台湾に向けて送還されるにいたつた。この突然の退去強制は、陳玉璽の日本における関係者、知人はもちろんのこと、本人すら夢にも思わなかつたものであつて、しかも同年二月八日午後に、右令書を発付し、陳玉璽を直ちに収容し、翌九日午前九時半ころには右令書の執行を完了したというように、異例の速さで行なわれたものであつた。陳玉璽の「突然の帰国」に驚いた関係者が、台湾にいる父親の陳欽に連絡をとつたところ、右父親すら陳玉璽がまだ日本に滞在しているものと思つていた状態であり、陳玉璽の行方は全く不明であつた。そこで、父親の奔走が始まり、一か月後にやつと陳が軍法処(軍事法廷)の留置所に拘束されていることが判明した。同人は強制送還後、直ちに身柄を拘束されていたわけである。そして陳は、同年六月一八日、政府顛覆を企て、それを着手実行したとして、懲治叛乱条例第二条第一項(同条の法定刑は死刑のみである)に該当するものとして、軍事法廷に起訴され、死刑および財産の没収の求刑を受けた。右起訴にかかる犯罪事実は、陳がハワイ留学中に中共の出版物を読み、思想的に中共に傾いたうえ、日本において、中国大陸に渡ることを企てたり、中共系出版社「大地報」に勤務し、その出版物「大地報」に叛徒に有利な宣伝文章を書いたというものである。陳は、特務機関による取調べの際、拷問をうけ、自供書の作成を強制されたが、軍事法廷においては、提出された自供書は拷問により作成されたものである旨を述べて犯罪事実を否認した。右の事実がようやく日本、アメリカの知人に伝わるや陳の救命のため多くの知識人が蒋政府にアッピールをするとともに、わが国入管当局の非人道的な強制送還の方法に対し、遺憾の意が表せられ、国際的な問題になつた。そして、結局、同年八月一〇日、陳は懲治叛乱条例第七条により「文字でもつて叛徒に有利な宣伝をなしたもの」として徒刑(禁固)七年の判決を受けた。

右の二つの最近の事例からしても、台湾においては政治犯の処罰は過酷であつて、しかも手続的保障に欠けており、懲治叛乱条例等の治安法令は、その構成要件の曖昧さのため極めて恣意的に運用され、さらに特務機関が暗躍することにより、蒋介石政権反対者は秘密裡に葬り去られていることは明らかである。

(三) 台湾独立運動と台湾青年独立連盟

以上に述べたように、蒋介石政権は大多数を占める台湾人の意思を無視して、民主主義の基本原理を否定した独裁的な専制政治を行なつている。台湾青年独立連盟等がめざす台湾独立運動は、一言でいえば、このような外来の独裁権力の正統性を否認して台湾人の独立と自由を求めるものである。

(1) 台湾独立運動の系譜

このような台湾独立運動は一九四七年のいわゆる二・二八叛乱のあと、香港へ逃げのびた知識人や指導者達によつて、一九四八年結成された「台湾再解放連盟」を源流とする。現在、台湾独立運動は、台湾においては、蒋介石政権の弾圧が前述のごとく余りに厳しいため、存在できず、海外でつづけられている。東京には、廖文毅を指導者として「台湾共和国臨時政府」の看板をかかげた一団があり、アメリカにおいては留学生がU・F・I(United Formosans For Independ-ence)を組織し、アメリカ世論および国連に対する台湾独立のアピールを行なつた。その後、アメリカ各地、カナダ等への台湾留学生により台湾独立運動を目ざす団体が次々と結成され、一九六五年、これらのすべてが統合してU・F・A・I(United Formosans in America For Independence)をつくり、運動をつづけている。なお、ヨーロッパにも同様の台湾独立をめざす運動が組織されている。

(2) 台湾青年独立連盟の活動

日本における留学生で台湾独立を目ざす者が、一九六〇年二月、みずからの組織をつくつたのが台湾青年独立連盟の前身である台湾青年社である。台湾青年社は王育徳(弘文堂出版「台湾」の著者)を代表者とし、機関紙「台湾青年」を発行して、台湾独立を訴え、一九六二年には国連などの場での国際宣伝にも力を入れるため、英文機関紙Formosan Quar-terly(後にIndependent Formosaと改称)を創刊し、同年八月ころには台湾島内の組織活動にも着手した。一九六三年五月には組織拡充にともない最高決議機関として中央委員会を設け、同時に台湾青年会と改称した。中央委員会の下には組織部、広報部、国際部、資金部、総務部が設けられ、このころになると会の組織力は在日留学生の間にくまなく滲透していた。一九六五年九月には再度台湾青年独立連盟と改称し、連盟綱領を改めて公表し、連盟の独立運動の理念を明確にし、同年一二月には、中央委員会において、対台湾島内工作に重点を置く旨の決議がなされて、対島内工作に力が入れられるようになつた。

台湾青年独立連盟の現在における活動は右に述べたごとく、台湾島内、日本、海外等における機関紙やパンフレットによる宣伝、啓蒙活動、組織工作、台湾における政治犯の救出活動等多岐にわたつているが、日本における活動はデモ等を中心とする宣伝、啓蒙活動、組織強化活動等の合法活動に限定されている。

(3) 台湾独立運動に対する評価

前述のごとく、中国人である蒋介石政権が戦時体制の下、台湾人の意思を無視した非民主的圧制を行なつているという事実をふまえて、日本やアメリカの有力なジャーナリスト、学者の間には、台湾の進むべき道は民族自決の原則に立つて台湾人の意思で決めるべきだとする見解が強い。この見解は台湾人が熱心に独立を望んでいるという事実に立つて台湾独立運動の正当性を認めるものである。台湾青年独立連盟の運動もそのようなものとしての一定の評価を受けているものであり、また、わが国治安当局も、同連盟を称して「……中華民国政府をてん覆し、台湾に革命政権を打ち樹て、台湾の独立を図ろうとする団体で……きわめて秘密結社的性格の強い政治活動団体であり……」といい、同連盟の行なわんとした○経国来日反対のデモを許可することは、「外国の内乱を醸成する行動が組織されることを阻止すべき国家の義務に反する」とまでいつている。

(四) 柳文卿のわが国における政治活動

柳文卿は、前記のような「蒋介石政権により踏みにじられてきた台湾人の主権と自由を回復するために国府政権を打倒し、台湾に住むすべての人々の差別なき真の自由と平等とを確立し、平和にして民主的な近代国家を建設するために組織された全国民的革命団体である」と規定した台湾青年独立連盟に加入し、昭和三九年には中央委員兼情報部長となつて、台湾人や日本国内の共鳴者と連絡をとりつつ、台湾独立と国府政権の圧制を訴える政治運動に積極的に参加してきた。

送還前は準中央委員として、もつぱら右連盟の組織拡大につとめ、秘密盟員の勧誘をはかり、在台湾の秘密盟員を通じて台湾における独立運動の指導連絡に当ると共に、同連盟が度々行なつた台湾独立、国府政権打倒のためのデモ行進やハンストにも加わつた。最近では昭和四〇年二月二八日の二・二八虐殺記念抗議デモ、同年七月五日のラスク米国務長官来日に際してのアメリカの国府支持政策反対デモ、昭和四二年八月二六日からの同連盟員張栄魁、林啓旭両名強制送還反対抗議ハンスト、同年一一月一八、二四、二八日の○経国来日反対デモ等へ参加した。柳が前述のごとくパスポートの期限の更新の請求をしなかつたのも、蒋介石政権の台湾支配の正当性を認めない意思の表明としてなされたものであつた。

このように柳は台湾青年独立連盟の盟員として国府政権打倒の積極的運動を行なつてきたものである。

(五) 柳文卿は政治犯罪人である

以上の諸点からみると、柳文卿の台湾独立運動は、前記の蒋介石政権下の政治犯の取締り体制と処罰の実情からして、叛乱罪に該当することは明白であるから、柳文卿が台湾へ送還された今日、いつ、何時、懲治叛乱条例により極刑をもつて処罰されるやも測られず、台湾政府駐日大使館の出した政治的儀礼文書であるところのいわゆるギャランティ・レターなるものは、なんら柳文卿の生命、身体の自由を保障するものでないことは明らかである。現に前記劉、顔の事例にみられるように、その起訴事実中には「台湾青年独立連盟」およびその指導者との接触が含まれており、柳文卿も強制送還された後、数週間にわたり拘禁されたが、わが国世論の入管当局の措置に対する厳しい批判があつたため、一時処罰が見送られているものの、国民政府の厳重な監督下にあり、決して自由ではないと伝えられている。

一片の政治的儀礼書であるギャランテイ・レターを信じて、それに従つて一人の人間の生命、自由の根源にかかわる判断をくだすことがいかに危険であるかは歴史の教えるところである。それは政治的社会に通用する論理であろうとも、人権擁護の最後の砦である裁判所に通用する論理であつてはならない。裁判所こそは、ブラック判事の言葉を借りれば、「助けなく、弱く、少数であるために、あるいは偏見と社会的興奮の犠牲に供される反逆者であるために、これがなければ苦しむであろう人たちを吹きすさぶ風から護るべき、憩いの港」なのである。

(六) 政治犯罪人不引渡の原則

およそ、政治犯罪人ないし政治難民を迫害を受けるおそれのある本国に送還してはならないことは確立された国際慣習法であるし、また、「人権に関する世界宣言」一四条一項が明文をもつて規定しているところである。そして、わが国憲法九八条二項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守することを必要とする」と定めており、政治犯罪人ないし政治難民を迫害の予想される本国へ送還しないことはわが国の国際法上並びに憲法上の義務である。

のみならず、逃亡犯罪人引渡法二条は「左の各号の一に該当する場合には逃亡犯罪人を引渡してはならない」とし、その一号は「引渡犯罪が政治犯罪であるとき」と定めている。同法条は、直接には請求国から引渡し要求があつた場合の規定であるが、その趣旨は、近時の世界の文明国における政治犯罪人保護の趨勢にかんがみ、本国に送還されるならば政治犯罪人として処罰されることが明らかな者を人道上の立場から保護することにあるのであるから、たまたま本国から正規の引渡し請求を受けていないからといつて、本国へ送還されれば処刑されることが確実な政治犯罪人を本国へ強制送還することも許されないことは当然である。

もとより、政治犯罪人の引渡しと退去強制令書による退去強制とは法律上の概念を異にするけれども、政治犯罪人の引渡しの方法として退去強制を行なうこともありうるのであつて、法律上概念が別だからといつて、両者が全く無関係であるとか、さらには、退去強制である以上、政治犯罪人の引渡しにはならない、というのは間違つている。要するに、政治犯罪人不引渡の原則は、政治的理由により迫害が加えられるおそれが客観的に存する国に、その者を送り返さないということであつて、それは相手国から引渡し要求があつた場合に限られるわけではない。たとえ、その引渡しの手続が、退去強制の形式をとつていようとも、その実質が政治犯罪人の引渡しである以上、政治犯罪人不引渡の原則に反するものであることは疑いがない。

(七) 柳文卿に対する退去強制令書の発付処分は、政治犯罪人不引渡の原則に違反する。

以上のところによれば、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分は、確立された国際慣習法である政治犯罪人不引渡の原則に違反するものであることは明らかである。

のみならず、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分は、国民政府よりする政治犯罪人引渡し要求に対する応諾としてなされたものであつて、その実質において逃亡犯罪人引渡法二条一号の趣旨に反するものである。

よつて、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分は違法である。

2 退去強制令書の執行の違法性

前述のとおり、東京入国管理事務所主任審査官が柳文卿に対して、退去強制令書を発付して後約一七時間後に、入管当局は、同人を台湾へ強制送還したのであるが、右令書の執行は、以下に述べるとおり、右退去強制処分に対し執行停止命令が東京地裁においてなされることを回避すべくなされたもので柳文卿の裁判を受ける権利の侵害であり、右権利侵害がなければ執行停止決定等の司法的救済により、少なくとも本案判決確定までは原告らは柳文卿と離別せずに済んだという点において、右令書の執行は違法である。

(一) 前述したとおり、柳文卿が退去強制令書の発付を受けて収容されたのは昭和四三年三月二六日午後四時ごろであるが、このことが同人の保証人である辜寛敏(台湾青年独立連盟委員長)に通知されたのは同日午後六時過ぎであり、柳文卿は同人を通じて弁護士大野正男、山川洋一郎らに右退去強制令書発付処分の取消しの訴えの提起とこれに基づく執行停止申請を委任した。

右代理人らは、夜を徹してこの準備に当たり、翌二七日午前八時に東京地方裁判所に本案訴訟および執行停止申請を提起し、直ちに法務省入国管理局長中川進、同局次長笛吹亨三および同省訟務局長に対し電話でその旨を伝えて裁判所の執行停止についての判断がなされるまで、送還を待つてほしい旨要請し、同九時過ぎころには、事件が係属した東京地方裁判所民事第二部書記官からも、その旨が東京入国管理事務所総務課長に伝えられたのである。

それにもかかわらず、入国管理局側は、これを無視し、同九時四〇分柳文卿を羽田空港から強制送還してしまつた。

(二) ところで、近時、送還されると政治犯罪人として処罰されるおそれがあることを理由に強制送還の執行停止申請をなした場合、裁判所がこれを認容する事例が数多く存在し(申立人尹秀吉についての東京地方裁判所昭和三八年一月一九日決定、同林啓旭、張栄魁についての東京地方裁判所昭和四二年八月三一日決定、申立人金栄河についての東京地方裁判所昭和四三年三月一五日決定等。特に、林啓旭、張栄魁は、柳文卿同様台湾青年独立連盟の団員で、同人らが政治犯罪人または政治難民にあたるとして退去強制処分の執行停止申請をなしたところ、東京地裁はこれを認容して執行停止決定を行なつたものであり、本件と法律上全く同一の内容を有するものである。)。したがつて、入国管理局においては、柳文卿に執行停止申請をなす時間的余裕を与えた場合には、裁判所の執行停止決定が出て、送還が本案判決確定まで不可能となることが十分予見されたので、同人に司法的救済をうるいとまを与えず、裁判所による司法判断を回避し執行終了という既成事実をつくるため、本件のごとき強制処分の執行を行なつたのである。

(三) なるほど、現に裁判所から執行停止決定が出されていない以上、形式的にはその処分の執行を延期すべき義務は行政庁にはないであろう。しかしながら、国家機関たる行政庁は、法の執行に当たつては、憲法に定められた基本的権利を侵害しないよう最大の配慮をなすべき義務がある(憲法九九条)。本件の執行は形式的には合法を装つているようにみえながら、その実質においては、前記のとおり、柳文卿が退去強制令書の発付処分の違法を裁判所に訴え、その救済を受ける機会をことさら奪うためになされたものであり、退去強制処分は人間の最も基本的な生命、身体の自由を制約する処分であり、しかも執行が終了してしまえば、絶対に救済手段があり得ない種類の処分であつて、本来行政庁としてはその執行に当たつては慎重の上にも慎重を期すべき性質のものであるにもかかわらず、散えてかかる執行方法をとつたことは、まことに法治国の国家機関として恥ずべきものであり、法的良心に重大なショックを与えるものである。かかる法の執行は、その実質において憲法三一条、三二条に反するものであり、違法であること論をまたない。

四  故意または過失の存在

柳文卿に対する退去強制令書の発付処分とその執行が違法であることは、以上に述べたとおりであり、以上に述べた本件の経過自体が東京入国管理事務所主任審査官らおよび入管当局に、この点につき故意少なくとも重大な過失があつたことを示している。

五  原告らの損害

1 原告らは、その夫であり父である柳文卿を、以上に述べたような東京入国管理事務所主任審査官らの違法な退去強制令書の発付処分による台湾への強制送還によつて奪われた。しかも、柳文卿は、政治犯として処罰されるおそれがあるため、羽田空港で航空機に搭乗させられる寸前、舌を噛み切つて自殺を図つたほどに恐怖を抱いている台湾へ連れ去られたのである。

原告らは、ある日突然に最後の面会もできないまま、夫を連れ去られ父を奪われたのであり、生後三か月の幼な子である原告高雄は、もはや父親の膝に抱かれ、愛を受けることはできないのである。原告らの家庭生活はその中心を失い決定的に破壊された。原告らの悲しみは極めて大きい。

しかも、国家権力は、柳文卿に対し、裁判所の判断を受けさせないようにして退去強制の執行を行なつて同人の「裁判を受ける権利」を侵害し、その結果、執行停止決定等の司法的救済により完全にあるいは少なくも本案判決確定まで柳文卿との離別を免れ得たはずの同人を原告らから即時かつ決定的に引き離してしまつたのである。

原告らは、本来、夫であり、父である柳文卿と日本において平和にして恐怖のない生活を共にし得たはずであり、このような生命自由および幸福追求の権利は、国政の上で最大の尊重を必要とされている最も基本的な人権(憲法一三条)であるが、国の行政機関によつて、不法にこれを侵害されたのである。

かくして、原告らの受けた精神的苦痛は極めて大きいといわざるを得ず、これを金銭に見積るとそれぞれ優に金一〇〇万円を下らないというべきである。

2 もとより、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行の違法性は、柳文卿に対する関係で生ずるものであるが、その違法行為の結果、原告光代、同高雄の権利を直接的に侵害した以上、被告は柳文卿に対してはもちろん、原告光代、同高雄に対しても損害賠償をすべき義務を負うものである。すなわち、違法行為による直接の被害者以外の者が、不法行為による精神的損害の賠償を請求しうる法理はわが国において認められているところである。

たとえば、民法七一一条は他人の生命という一身専属の権利を侵害した者は、被害者の父母、配偶者および子に対して精神的損害の賠償義務を負うべきことを定めているが、これは、家族の一構成員の生命が奪われることによつてその家族全体(家団)が崩壊ないし重大な損傷をうけることに着目し、家族の他の構成員について固有の精神的損害賠償請求権を認めたものにほかならない。さればこそ、判例も次第にこの理論を広く適用し、家族構成員の死亡の場合のみならず、重大な身体損傷の場合にも近親者たる他の構成員に精神的損害賠償請求権を認めているのである(最高三小昭三三・八・五判決集一二巻一二号一九〇一頁、福岡高裁昭二七・四・九判決下民集三巻四八九頁、東京高裁昭三〇・一一・二六判決下民集六巻二四七九頁)。

およそ、人間が夫婦、親子として自由にかつ平穏に共同生活を営むことは、まさに人たるに値する本質的権利であり、日本国憲法一三条が保障する「自由および幸福追求の権利」の重要な内容をなすものであること論をまたない。これはおよそ世界に広く認められた法理念であり、たとえば人権に関する世界宣言第一六条三項は「家庭は、社会の自然なしかも基本的な集団単位であつて、社会および国の保護を受ける権利を有する」とのべている。

しかるに、本件において、行政庁の故意又は過夫により違法に、夫であり父である柳文卿が迫害の予想される台湾へ文字どおり強制的に送還され、妻である原告光代、長男である同高雄から引き離されるにいたつたのである。ここにおいて、原告らと柳文卿の三名がわが国においてその自由な意思に基づいて平穏に営んできた家族生活は、その根本において崩壊したのである。子を誘拐されたときに父母に精神的損害の賠償が認められるべきことは、何びともこれを是認するであろう。本件は、まさに一家の支柱が公権力によつて誘拐されたともいえる事件である。すなわち、適正手続の保障に反する違法な退去強制の執行によつて(これは違法の次元)、柳文卿がわが国に滞在しうる権利を侵害すると共に、原告らと柳文卿の三名の家族生活を破壊した(権利侵害の次元)のである。柳文卿の妻である原告光代、その子である原告高雄がこの不法行為に対し、精神的損害賠償請求権をもつのは当然である。

六  被告の責任

東京入国管理事務所主任富査官らが、国家公務員であつて、その職務の執行について柳文卿に対する退去強制令書の発付処分およびその執行をなし、これが違法であり、かつ、同人らには故意又は少なくとも過失があつたこと、この違法な処分によつて原告らが重大な損害を受けたことはいずれも上記のとおりであるから、被告は、国家賠償法一条により、原告らの損害について賠償責任を免れないものである。

よつて、原告らは、それぞれ、被告に対し、金一〇〇万円およびこれに対する不法行為後の昭和四三年三月二八日以降右完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三被告の主張

(請求の原因に対する答弁)

一  請求の原因第一項の事実は不知。

二  同第二項の事実のうち、柳文卿がパスポートの期限の延長申請の手続をとらなかつた理由の点を除き、その余の事実は認める。

三  同第三項1の(一)の事実は不知。同項1の(二)の事実のうち、劉佳欽が昭和四二年四月四日国費外国人留学生としてわが国に入国し、東京大学大学院農学系研究科農業経済学専攻の研究生となつたが、同年六月台湾向け再入国許可を受けて同月一三日出国したこと、顔尹謨が昭和四一年一二月四日私費留学生としてわが国に入国し、東京大学法学部の研究生となつたが、昭和四二年六月台湾向け再入国許可を受けて同年七月一日出国したこと、右両名がいずれもわが国に再び入国しなかつたこと、陳玉爾が昭和四二年八月一七日わが国に入国し(在留資格は出入国管理令四条一項四号の「観光客」である。)、同年一〇月六日法政大学にて日本経済を研究中であることを理由に在留期間の更新を申請したところ、同年一一月二一日、期間内に出国することを条件として更新許可を受け、その際在留期間の更新許可は今回に限る旨伝えられたが、同人は、同年一一月一五日を経過するも出国せず、わが国は不法に残留したので(在留期間更新の許可申請もせず)、同月一八日より違反調査が開始され、昭和四三年一月二三日収容令書が発されたところ、同日自費出国許可を受け、翌日午前九時三五分羽田発CAL八〇一便で台北向け出国したことは認めるが、その余の事実は不知。同項1の(三)の事実は不知。同項1の(四)の事実のうち、柳文卿が台湾青年独立連盟に加入していたことは認めるが、その余の事実は不知。同項1の(五)の主張は争う。同項1の(六)の政治犯罪人ないし政治難民を本国へ送還しないことが国際法上ならびに憲法上の義務であるとの主張は争う。同項1の(七)の主張は争う。

四  同第三項2の柳文卿に対する退去強制令書の執行が執行停止命令を回避すべくなされたものであるとの主張は争う。同項2の(一)の事実のうち、柳文卿が辜寛敏を通じて大野、山川両弁護士らに退去強制令書発付処分の取消しの訴えの提起と執行停止の申請を委任したとの点は不知、その余の事実は認める。なお、入国管理局次長はその際、裁判所の執行停止決定がない限り送還を待つことはできない旨を回答した。東京地方裁判所書記官から、東京入国管理事務所総務課長に対し、柳文卿が退去強制令書発付処分取消請求と執行停止を申し立てが、ついては、同人の身柄はどうなつているか、という趣旨の電話があつた。同項2の(二)の事実のうち、原告ら主張の三件の執行停止申請事件について、いずれも東京地方裁判所においてその主張の日に執行停止決定がなされたことは認める。ただし、申立人林啓旭、同張栄魁、同金栄河については、いずれも各退去強制令書の執行のうち、送還の部分のみ停止されたものである。入国管理局が柳文卿に司法的救済をうるいとまを与えず、裁判所による判断を回避し、執行終了という既成事実をつくるため、退去強制令書の執行をなしたとの主張は争う。同項2の(三)の主張は争う。

五  同第四、五項の主張は争う。

六  同第六項の主張は争う。

(主張)

一  柳文卿に対する退去強制令書発付処分の適法性

1 政治犯罪人不引渡の原則は確立された国際慣習法ではない。

(一) 前世紀の後半以来二国間で締結される逃亡犯罪人引渡しに関する条約に政治犯罪人を引渡しの対象から除外する旨の規定をおくことが多く、また、条約に基づかずして法律や具体的措置により国際礼譲として、逃亡犯罪人を引き渡す場合においても、政治犯罪人は引き渡さない事実が多いということはできるであろう。しかしそれは、条約上の個別的な規範または事実としての一般的現象的傾向にすぎないのであつて、政治犯罪人を引き渡してはならないという国際法上の一般的な規範(国際慣習法)が確立し、それに拘束された結果ではない。

元来、外国人の出入国の規律に関しては、国際法上国家の自由(権能)に属し、逃亡犯罪人引渡条約の政治犯罪人不引渡条項は、条約による前記権能に対する制約の解除(除外)を意味するにすぎず、これにより政治犯罪人不引渡しの義務を負うのではない(締約国が相手国に対してかかる義務を負うということは、事柄の性質上無意味である。)。条約に基づいて、あるいは基づかずして、政治犯罪人を引き渡さない例が多いというのは、国家が自国の政治体制の維持等政治的利益あるいは人道主義的要請への配慮からする前記権能の行使の結果の事実的一致にすぎないのであつて、政治犯罪人を引き渡さないことが、国際的法則として諸国を拘束し、これに従わないことが国際法違反と考えられる程度に国際的法意識によつて支持されているということはできない。

また、政治犯罪人不引渡しに関する国際法上の義務の有無は、国家間についてのみ論ぜられる問題であつて、政治犯罪人自身が、国際法上の主体として不引渡しを請求する権利を有しないことはいうまでもない。政治犯罪人について一般慣習法上かかる権利が認められていないことについては、異説をみない。

(二) 一九世紀末ころ以降逃亡犯罪人の引渡しに関する二国間条約では、ただ一つの例外(一八八九年のロシヤ・スペイン間の条約)を除くすべての条約で引渡犯罪に政治犯罪を含まず、かつ、政治犯罪人は、引き渡さない旨の規定をおいていること、政治犯罪人不引渡しを規定する条約の大部分は義務的命令的な形で規定し、ごく少数のものが権能的許容的な形で規定し、諸国の国内法でも義務的命令的な形で政治犯罪人の不引渡しが定められている場合の多いこと、憲法上政治犯罪人不引渡しの規定を持つ国が多くなつてきていること、ここ一世紀来具体的実行においても政治犯罪人の引渡しを拒絶していることについては、被告もこれらの事実を争うものではない。問題は、以上のような諸事実が事実的一致にとどまらず、法的拘束力を有する国際慣習法となつているかどうか、いいかえれば、国際法の主体としての国家に対してなんらかのサンクションを支えられるかどうか、すなわち、これに従わないことが国際法規違反と考えられる程度に国際法意識によつて支持されているかどうかである。

この点に関し、多くの条約や憲法その他の国内法令で政治犯罪人不引渡しを義務的命令的な形で規定していることをもつて、国際慣習法の成立を認める見解がある。この考え方は、政治犯罪人不引渡しが単なる国家の機能の発動にすぎないならば、国家に不引渡しの義務を負わせる規定を設ける必要ないしは意味がないというものであろう。しかしながら、一般に憲法その他の国内法令において、国際法上は国家の義務でないことを国家の義務として規定することは、ままあることであつて、国内法令の規定から直ちに国際慣習法の成立を認めることはできない。また、条約についてみても、二国間の条約で一方の当事国の負う義務は、他の当事国に対するものであるべきところ、逃亡犯罪人の引渡請求に応じないという義務を被請求国が請求国に対して負うということの無意味であることは、すでに述べたとおりである。したがつて、二国間の条約で政治犯罪人不引渡しを義務的な形で定めてあつても、その意味は、不引渡しの義務を定めたものと解することはできない。この点について当該犯罪人が請求国の国民ではなく、第三国が外交保護権を有する場合もあり、不引渡しの義務を定めることは、無意味ではないとする考え方がある。しかし、二国間の条約で政治犯罪人不引渡し義務を定めるのが無意味であるというのは、引渡しを請求する国に対してその請求を拒否する義務を負うのは、論理的に無意味であるというのであつて、外交保護権を有する国が引渡しを請求するということによるものではないから、このような考え方は誤つている。

以上の次第で、二国間の条約において不引渡しが義務的命令的な形で定められているからといつて、条約上不引渡しの義務が定められていると解し、これを根拠として不引渡しを義務とする国際慣習法が成立しているということはできない。せいぜい、二国間条約という性質上それは、政治犯罪人が引渡しの対象とならないことを明確にし、強調した趣旨のものにすぎないと解するのが相当であろう。

さらに、少数ではあるにせよ、許容的な形で規定した条約のあることは、不引渡しが一般的な義務であるという慣習法の成立を妨げるものである。許容的な規定のもとでは、引渡ししをすることも可能なのであつて、そうなれば、不引渡しが義務であることと矛盾することとなる。逃亡犯罪人引渡条約で政治犯罪人不引渡しを規定するのは、引渡義務の対象から政治犯罪人を除くためであるから、許容的な形での規定のあることが不引渡しの義務があるとの認定の妨げにならないとの議論があるが、もしこれが正しいならば、同様に義務的命令的な形での規定のあることも不引渡しの義務の存在を認定する根拠にならないということになろう。

以上のように政治犯罪人不引渡しに関する規定が大部分の条約や国内立法で義務的命令的な形で規定されているということは、不引渡しを義務づける国際慣習法の成立を認定する根拠にはならないと解すべきである。

(三) 政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることも、不引渡しを義務とする国際慣習法の成立の根拠にはならない。すなわち、原則と称されていることから、当然に規範性を有することになるかどうかについても問題があろうが、仮に政治犯罪人不引渡の原則が規範性を有するとしても、それは、政治犯罪人の不引渡しが、逃亡犯罪人引渡条約中に政治犯罪人不引渡しの規定がない場合でも、条約上の義務違反にはならない。あるいは条約のない場合にも国際礼譲に反しないという内容の慣習法であると考えることも可能であつて、政治犯罪人不引渡しが「原則」と称されていることは、不引渡しが義務となつていると認定する根拠にはならない。

(四) さらにまた、国際法が人権の尊重に重点を置くようになるに従い、どうみても純粋な政治犯罪とみえるものにいては、人権尊重の立場から、国家は、政治的便宜の考慮を押えて、不引渡しが「原則」として法的な意味をもつことになつた、と解するのは根拠のあることであるとする見解がある。しかし、歴史的に見るならば、政治犯罪人不引渡しの慣行の成立には、単なる人道上の立場だけではなく、逃亡政治犯罪人を保護することが自国の政治的立場上有利であるという配慮が強くはたらいていたことは否定し難いところである。いいかえれば、政治的便宜と人道主義の二つが政治犯罪人不引渡しの慣行が国際社会で行なわれるようになつた実質的理由であると考えられる。このような歴史的事情からみると、政治犯罪人不引渡の原則は、少なくともその成立の当初には国家の政治的便宜を押えて不引渡しの義務を課するものではなかつたと解されよう。ただ、その後国際社会において人権尊重を重視する傾向が強まつてきてはいるけれども、国家があらゆる政治的便宜を排して人権を尊重すべきことが一般的な国際法として認められるまでにはいたつていないこと(人権に関する世界宣言は、国際法としての効力をもつものではない。)から考えてみれば、政治犯罪人不引渡の原則が、たとえ、どうみても純粋な政治犯罪とみえるものについてであつても、政治的便宜を押えてまで不引渡しを義務づけるものに変つていると解すべき根拠は乏しいと考える。

(五) 元来、国家は、逃亡犯罪人を引き渡しまたは引き渡さない自由をもつているのであるが、逃亡犯罪人を引き渡すことが国際間の慣例ないし礼譲となり、政治犯罪人不引渡しは、この慣行ないし礼譲の例外として認められるにいたつたものである。このような政治犯罪人不引渡の原則の性格からみるときは、政治犯罪人不引渡の原則だけをとりだして、不引渡しが法的に義務づけられているという意味での国際慣習法になつていると考えるのは、はなはだ根拠に乏しいものである。

さらに政治犯罪の概念の多義的不確実であること、すなわち、相対的な政治犯罪はもとより、純粋の政治犯罪についてもその意義は、複雑多義で、いまだ一致した解釈は見出されていないことも、国際慣習法の成立を妨げている大きな理由となつているのである。

また、「どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当たるもの」、「請求国における処罰が客観的に確実であること」、あるいは、「政治犯罪人であるか否かの一次的判断は被請求国にあること」などによつて、不引渡しが法的に義務づけられる政治犯罪人を実体的にも手続的にも確定しうるとする見解もあるがそうではない。なんとならば、どうみても純粋な政治犯罪であるという概念の曖昧さは、しばらくおくとしても、請求国における処罰の確実性についても、有罪判決を受けているとか、起訴もしくは逮捕状が出ている等の事実の確認できる場合はともかく、これと同視しうる場合をも含めるとすれば、――国際慣習法の成立の認定にあたつてはその要件は厳格に解すべきであつて、かかる不確定な要件をもつて足りるとする根拠は存しないのであるが――その概念の周辺は曖昧になり、結局は主観的判断によらざるをえなくなる(例えば、請求国の政治的取締法令に該当することを要するのは当然であるが、そのほか、これら法令により処罰された者が多いとか、請求国の国内においてこれら取締法令を厳重に適用して逮捕者を多数出しているとか、その他請求国政府、関係機関の些細な措置によりその意向を忖度する等、直接当該犯罪人についてではなく、請求国に関する各種の事情をよせ集め揣摩臆測するのほかはない。)。さらにまた、被請求国の第一次的判断権を重視すれば、結局許容的な形の不引渡し規定と同一に帰し、慣習法の成立を認めることと論理的に矛盾する結果とならざるをえないのである。

(六) 以上述べたところで明らかなように、逃亡犯罪人引渡条約の政治犯罪人不引渡条項は、国家の外国人の出入国に関する権能に対する条約による制約を解除するものにすぎず、条約に基づいてあるいは基づかずして行なわれる政治犯罪人不引渡しの事例は、国家の政治的あるいは人道的配慮からする前記機能の行使の事実的一致にすぎないのであつて、政治犯罪人不引渡しの原則が国家を拘束する国際慣習法にまで高められたということはできないのである。

2 退去強制処分には、政治犯罪人不引渡の原則は適用されない。

政治犯罪人不引渡の原則は、仮に国際慣習法たる性質を有するものがあるにしても、その内容は、現実に国際社会で行なわれている慣行、すなわち、本国から逃亡した犯罪人について本国から引渡しの要求があつた場合に、逃亡先の国家がその者の犯罪を政治犯罪と認めれば引き渡さないという慣行の範囲内のみ認められるというにとどまるべきものである。一般に慣習法は、現実の慣習の範囲内でのみ成立すべく、特に国内社会と異なつて法的な統制力の弱い国際社会においては、この点が厳格に解釈されなければならない。

そもそも、犯罪人引渡しは、犯罪人の行為が自国の領域内で行なわれたものでもなく、犯行によつて自国の安寧秩序が乱されたというのでもなく、また、自国民の利益が害されたわけでもない。つまり、自国にとつて利害関係のない行為をした者を、他国の刑罰権を実現させるために、わざわざ逮捕して他国に送り届けるという労をとることであり、したがつて他国に対するサービスにほかならない。これに反し、退去強制は、出入国管理令二四条各号の一に該当する外国人の本邦からの退去強制することをいい、直接に当該外国人の身体に強制力を加えて国外に退去させるものであつて、犯罪人引渡しのごとく請求国の官憲に引き渡すものではない。この点において逃亡犯罪人引渡しと退去強制処分とはその性質を全く異にするのである。なお、この点につき、一八九二年国際法協会がジュネーブにおいて採択した「外国人の入国許可および退去強制に関する国際規則」は、その第一五条に「退去強制と犯罪人引渡とは、それぞれ別個の独立した処分である。犯罪人引渡の拒否は、退去強制権の放棄を含むものではない。」(高梨正夫著密航者法論九頁)と規定しており国際法上においても、退去強制と犯罪人引渡しは、全く別個の独立した処分として明確に区別しているのである。

退去強制令書を発付されても退去しない者に対しては強制的に国外に退去させることが必要となるが、どのような措置により強制力を加えるか、また、その際どの程度の強制力を加えるのを妥当とするかは、送還の方法の点で考慮さるべき問題である。退去強制は、外国人を国外に退去させる措置である以上、外国人を領域外に追放すればその目的は達せられる。しかし、国境が陸続きの場合には右のような方法で退去強制を行なえるが、わが国では四囲を海洋に囲まれて、海の国境しか存しないのであるから、退去強制を領域外への追放をもつて足りるとすることはできない。そこで、わが国から退去強制される外国人は、自己の費用で退去するか(出入国管理令五二条四項)、その乗つてきた船舶もしくは航空機の長またはその船舶もしくは航空機を運航する運送業者の責任で退去させるか(出入国管理令五九条、五二条三項)、わが国の費用で送還されるか、または退去強制される外国人の本国の費用で退去するといつた形態で退去強制をしているのであつて、その実態は、たとえば昭和四三年を例にとれば、退去強制を受けた外国人の約四四パーセントは自費で退去しており、これに運送業者の責任で退去したものを加えると、実に七二パーセントに及ぶのである。したがつて、これらの外国人が自費等でわが国の領域外に出れば、そのときに退去強制処分の目的は達せられるのであつて、指定された送還先へ到着したか否かを問うものではない。ただ、退去強制を受ける者の多い韓国向けの場合に限つてとくにわが国の費用で送還船を傭いあげ、主任審査官の依頼により海上保安官が釜山まで集団的に護送しているのであるが、これとても犯罪人引渡しとその性質、手続の異なることはいうまでもない。

したがつて、退去強制令書の執行は、送還先へ送還してなされるものであり、その実質は、本国への引渡しとなんら異なるところがないから、政治犯罪人不引渡の原則は退去強制処分にも適用されるということはできない。

3 柳文卿は、政治犯罪人不引渡の原則にいう政治犯罪人に該当しない。

柳文卿がわが国に在留中に原告らの主張されるような政治活動をしたかどうか、また、それらの行為が、原告らの主張される中華民国の政治的取締法令に該当するかどうかはともかくとして、柳文卿は、中華民国へ送還後も何ら処罰を受けていないし、また受ける可能性も存しないのである。すなわち、このことは、中華民国政府は、処罰しないと文書(乙第三号証の一、二)をもつて言明しているところであり、現に送還に際しては、台北飛行場で両親の出迎えを受け、その後故郷において父の経営する旅館の仕事を手伝つて愉快な日を送つており、自由の空気を吸い、天倫の楽しみを満喫する平穏な生活をしているのである。

政治犯罪人不引渡の原則が妥当するのは、単に当該本人が政治犯罪人であるというだけではなく、本国においても不当な迫害を受けるおそれのある場合に人道主義的見地からこれを防止しようとすることにある以上、送還後本国においてなんらの迫害を受けることなく、自由に、無事平穏に生活している者に対する退去強制処分が、政治犯罪人不引渡の原則に違反し、あるいは、人権に関する世界宣言等に反するということができないことについては多言を要しないところと考える。

もつとも柳文卿のように本国において迫害を受けると主張する者に対する退去強制処分にあたつては、入国管理局としては、この点に最も深い関心を払い、単に先きに送還した郭錫麟(台湾独立運動の幹部)が本国において処罰されることなく平穏に暮しているという事実に安心することなく、かかる者の送還後の生命身体の安全保障につき入国管理局の担当官が駐日中国大使館の担当官と折衝し、さらに昭和四三年二月七日付大使館よりの文書(乙第三号証の一、二)により処罰しない旨の言明もあつたので、柳文卿の送還後の生命身体の安全はもとより、なんらの迫害を受けるおそれのないことについて確信をもつにいたつてはじめて柳文卿に対する処分がなされたのである。

4 政治難民を保護すべき国際慣習法はない。

難民の地位に関する条約の加盟国がその条約上の義務を負担していることは別として、わが国を含む未加盟国が難民を本人の意思に反して本国へ送還してはならないという一般的な国際慣習法上の義務を負うものではない。一般国際法上は、難民を保護するか否かは、所在国の自由な措置に委ねられ、本国(迫害国)への追放も国際慣習上基本的にはなお国家の自由に属すると考えられている。すなわち、難民の保護を一種の努力目標とすることは格別、現在の国際法上、いまだ国家の一般的義務として確立されていないというべきである。

5 柳文卿に対する処分は、逃亡犯罪人引渡法に違反しない。

逃亡犯罪人引渡法は、政治犯罪人を引渡請求に基づき請求国に引き渡してはならない旨を規定する。しかし、柳文卿は、すでに述べたように政治犯罪人ではない。柳文卿は、不法残留者として出入国管理令により退去強制令書の発付を受け、本国へ送還されたものである。したがつて、柳文卿に対する処分は、逃亡犯罪人引渡法に違反するものではない。

6 以上述べたところで明らかなように、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分が国際法上、国内法上の義務に違反するものであるという原告らの主張は全く理由のないものである。

二  柳文卿に対する退去強制令書の執行の適法性

1 柳文卿に対する退去強制令書の執行は、東京地方裁判所において執行停止命令がなされることを回避する意図のもとに、同人の裁判を受ける権利を奪うためになされたものではない(もつとも、裁判を受ける権利は一身専属の権利であるから、柳文卿の裁判を受ける権利の侵害により原告らに主張されるごとき慰藉料請求権の生ずるいわれのない点は、しばらくおく。)。柳文卿の退去強制令書の執行にあたつて入国管理当局が、まず考慮したことは、東京入国管理事務所での坐り込みや、ハンスト等による同所の業務遂行の妨害を避けることもさることながら、まず、収容所の中の柳文卿の自損行為の防止等、その生命身体の安全をはかることであつた。

すなわち、台湾屏東県でレンゲタイル工場を経営していた中国人呂伝信は昭和三六年一二月二七日タイル製造機械購入のため、在留資格四―一―一六―三、期間九〇日を与えられて入国し、在留期間更新を一回許可されたが、当初の入国目的に合致した活動を行なわず、パチンコ店の店員などをして、第二回目の在留期間更新許可申請をすることなく在留期間満了日である昭和三七年六月二五日をこえてわが国に不法残留するにいたり、退去強制手続を受けた結果、昭和四一年二月二二日付東京入国管理事務所主任審査官より退去強制令書を発付されて同所に収容され、翌二三日横浜入国者収容所に収容された。その間、同収容所当局は再三、再四本邦在留は望みのないことを告げ、本邦外への出国を促していたが、これを肯じなかつたものである。ところが、昭和四二年三月三日午前四時四五分ごろ、同収容所において動哨勤務中の入国警備官は、呂伝信が自室の鉄格子にビニール紐をかけて縊首しているのを発見、直ちに引きおろして応急手当をする一方、救急車の出動を要請して横浜本牧病院に入院させたが、ついに蘇生するにいたらなかつたのである。

また、昭和四二年八月二五日東京入国管理事務所主任審査官より退去強制令書を発付された中国人張栄魁および林啓旭の両名が横浜入国者収容所においてハンガー・ストライキを行ない両名の身体の衰弱が認められたので、同年九月二日武蔵野日赤病院に入院せしめ、同年九月四日仮放免したのである。

これらの事故を防止するため種々検討した結果、収容所における収容の期間をできるかぎり短くして、直ちに送還する以外の方法は見出せなかつた。したがつて、入管当局としては、柳文卿の生命の安全をはかり、無事送還するには、この方法によらざるをえなかつたのである。

よつて右方針に基づいて送還のスケジュールを樹立した。すなわち、当時柳文卿は、法務大臣の裁決の告知あるまでの間仮放免となり、毎月一回、指定された期日に東京入国管理事務所に身柄確認のため出頭義務を課せられていたのであるが、昭和四三年二月一二日になされた法務大臣の棄却裁決をその直近の出頭日である同月二六日に告知して退去強制令書を発付し、翌二七日に執行するには、それまでに受入国との交渉が成立する見込みがなかつたので、やむなく、裁決の告知およびそれにつづく前記諸手続とそのつぎの出頭日である三月二六日に、退去強制令書の執行を翌二七日と決定した。右決定に基づき三月二六日午後四時柳文卿が東京入国管理事務所に出頭したので担当官より法務大臣の異議申出が理由がないとの裁決を告知するとともに退去強制令書を示して執行し、直ちに横浜入国者収容所に収容し、習二七日午前九時四〇分羽田発CAL八〇一便(台北行)に塔乗せしめて送還したのである。

原告らは、その際、柳文卿は舌を噛み切つて自殺を図つたほどに恐怖を抱いている台湾へ連れ去られたと主張しておられるが、これは、三月二七日CAL八〇一便で柳文卿および経世平を送還するため同人らを乗せた横浜入国者収容所の護送車が同日午前九時二五、六分ごろ羽田空港二五番スポットに駐機中のCAL八〇一便の前部タラップより約五メートルのところに停車し、柳文卿は自ら自動車を降り徒歩で護送官に護られて乗機しようとしたところ、第一フィンガー方向より台湾青年独立連盟員黄昭堂ら日本人一名を含む一〇名が駈けつけ柳の乗機を阻止せんとして同人に抱きつきつぎつぎに同人におおいかぶさるにいたり、同人をとり返さんとして護送中の入国警備官に対し体当りをする等の行動に出たため、入国警備官との間に約一〇分間はげしいもみあいがつづいたが、そのトラブルの際、大勢の下敷になつた柳文卿が口唇に少量の出血をみたのであつて、出血は直ぐ止り、乗機時にはなんら異常は認めなかつたものである。

以上の経過よりして、もし柳文卿が裁判所に執行停止の申立てをする意思を有していたとしても、塔乗した航空機が羽田飛行場を離陸するまでの間に(このときをもつて退去強制令書の執行は終了するものと考える。)、裁判所の決定をうることは、時間的に困難と考えられるが、前述のごとく、柳文卿の生命身体の安全をはかるためにやむをえずとられたものであつて、裁判を回避するためにとられたものではない。

2 右に関連してここで強調したいことは、柳文卿は退去強制処分に対して取消請求訴訟ならびに執行停止申立てをする意思を有していなかつたし、また、現実に訴訟提起ならびに申立てをしなかつたことである。このことは同人が「声明人柳文卿は委任状に署名押印して東京地方裁判所に対する強制送還の停止訴訟をいかなる弁護士に対しても委任したことは決してなく、また、大野正男、山川洋一郎などという弁護士も識つていません。特に此に声明する。」と記載した声明書(乙第一号証)、昭和四三年一〇月一五日付で同人が「前略、帰国してから生活は安定で家で商売を経営しております。貴国の入国管理局を控告したことはございません。さして私の名を借りて入国管理局を控告することは反対致します。」と記載してある杉本裁判長あての書簡(乙第五号証の一、二)、同年同月二一日付で同人が「前略、帰国してから安定で家で商売の手伝いをしております。貴国の入国管理局を控告することはありません。また私の名を借りて入国管理局を控告することは反対致します。」と記載してある杉本裁判長あての書簡(乙第六号証の一、二)および同人が「一、私は何回も手紙で申上げたとおり訴訟を提起する意志はなく、したがつて訴訟について弁護人を依頼したこともありません。二、若し仮りに私が訴訟を提起したと解せられ、裁判が行なわれているのであれば、訴訟を取り下げますから私の意志によらない裁判はやめて下さい。」と記載してある杉本裁判長あての書簡(乙第七号証の一、二)により明らかであるが、さらに、同人が横浜入国者収容所に収容されてから、羽田で航空機に搭乗するまでの間一度も送還を忌避するような申立てはもちろん訴訟提起に関して申し述べたことがなかつたことが、同人が訴え提起の意思を有しなかつたことを雄弁に物語るものといえよう。もし、事前に訴訟提起を依頼しておいたものとすれば、当然自署した委任状を用意するはずであると考えるのが常識といえよう。

3 以上のとおり、柳文卿に対する退去強制令書の執行の手続は、柳文卿の裁判を受ける権利を侵害する意図のものになされたものではなく、同人の生命身体の安全をはかるためやむをえずとられたものでありまた、同人は、その処分に関して訴訟を提起する意思を有せず、また現実に訴訟を提起しなかつたのであるから、右執行により同人の裁判を受ける権利を侵害することはありえないのである。

三  原告らには、なんら損害は生じていない。

1 原告らは、その固有の損害として、内縁の夫である柳文卿が、送還されたことにより、ともに家庭を営むという人間の本質的権利を侵害されたことに対し、精神的損害賠償を請求する権利を有すると主張される。仮に原告らの主張されるとおり柳文卿が政治犯罪人に該当するとしても、わが国に亡命を請求する権利を有せず、わが国も亡命を許すべき国際法上、国内法上の義務を負うものでない。のみならず、柳文卿は不法残留者として、所詮、わが国に在留することは許されなかつたのである。よつて、原告らは、もともと、わが国においては、柳文卿と生活をともにすることはできなかつたのである。なお、同人は、その退去強制手続の各段階において、原告ら内妻のいることについて一度も供述しておらないのであり、仮に原告らがその主張のごとく同人の内妻であつたとしても、入国管理当局はその事実を認識しておらず、同人を送還したことをもつて、入国管理当局に原告らの主張されるがごとき故意ないしは過失があるともいえない。

2 原告らは、被告の違法行為として退去強制処分の違法とならんで、柳文卿の裁判を受ける権利の侵害を主張される。

(一) もし、柳文卿の裁判を受ける権利の侵害により、前述のわが国において生活をともにすることができなくなつた損害が生じたと主張される趣旨であるならば、右裁判を受ける権利の侵害と原告らに生じた損害との間には因果関係は存しない。裁判を受ける権利は、具体的事件について勝訴の裁判を受ける権利(あるいは執行停止決定を受ける権利)まで保障されたものでないことは、いうまでもないところであり、また、以前に同じく台湾青年独立連盟に属する者について執行停止決定がなされた事例があるからといつて、事案の内容を異にする柳文卿がその退去強制令書発付処分の執行停止の申立てをしても、申立てどおりの決定がなされる蓋然性があるともいえないのである。

(二) もし、柳文卿の裁判を受ける権利の侵害により、原告らに前述の損害以外に別個の損害が生じたと主張される趣旨であるならば、裁判を受ける権利は、一身専属の権利であり、右権利の侵害により柳文卿自身が「精神的打撃」による慰藉料請求権を取得するかどうかはともかくとして(もつとも前述の如く、同人は、本件処分取消訴訟および執行停止の申立てをする意思を有しなかつたのであるから、かかる請求権を取得するいわれはないのであるが。)、内妻および未認知の子である原告らに慰藉料請求権の生ずる余地はない。原告らの主張される民法七一一条の適用についても、判例、学説は、生命侵害のほか、これと同視しうべき身体傷害に限定すべきこととしているのである(最高裁判所昭和四三年九月一日第一小法廷判決、民集二二巻九号一九二三頁は、不法行為により年令八年二月の男児が頭蓋骨骨折などの傷害を受けて約二週間意識不明の状態になり、その父母も受傷後四日間にわたり不眠不休の看病を続け、四日目にはその死を覚悟するなどのことがあつても、そのことから、直ちに父母は自己の権利として慰藉料を請求できないとしており、そのほか、昭和三三年八月五日第三小法廷判決、民集一二巻一二号一九〇一頁、昭和四二年一月三一日第三小法廷判決、民集二一巻一号六一頁、同年六月一三日第三小法廷判決、民集二一巻六号一四四七頁等同趣旨の最高裁判所判決は多い)。

第四  証拠関係<留>

理由

第一原告らと柳文卿との関係および柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行

一原告光代本人尋問の結果によれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれに反する証拠はない。

原告光代は、昭和二四年東京都足立区立第一五中学校を卒業して後家事手伝いをしていたが、その後約二年間日本冷蔵株式会社等に勤めて後岩本和裁学院に通学していた昭和三八年四月ごろ、台湾から勉学のため来日し東京教育大学に学んでいた柳文卿と知り合い、同人と交際を続け、昭和三九年夏ごろ両親の承諾を得て結婚することとなり、同年秋ごろから内縁関係に入つた。その婚姻届は柳文卿が台湾人であることと同人が後に述べるように台湾青年独立連盟に加盟し、その運動に従事していたことからこれをなし得なかつた。同原告は、その後の昭和四二年六月には柳文卿の姉に連れられて台湾を訪れ、柳文卿の両親をはじめその親族らに会い、柳文卿の妻として遇された。そして、昭和四二年一二月二〇日には二人の間に原告高雄が出生したが、生後間もないことから柳文卿の認知を受けるにいたらなかつた。このようにして、原告らと柳文卿は、同人が昭和四三年三月二七日、後に述べるように、台湾に強制送還されるまで、原告らの肩書地等において、夫婦親子として愛情のある平和な家庭生活を送つていた。

二柳文卿は、昭和一〇年一月一八日台湾に生まれ、台湾師範大学を卒業後、昭和三七年、体育学の勉学のため、わが国に正規のパスポートを所持して入国、同年四月東京教育大学に入学し、勉学を続けて、同四二年三月修士課程を了したものである。柳文卿の右パスポートは昭和四〇年四月に有効期限が切れたが、同人はその更新を求めず、昭和四三年三月二六日にいたつたが、同日午後四時ごろ仮放免更新手続のため東京入国管理事務所に出頭した同人に対し、同所長猿渡孝は、退去強制令書を発付し、飯塚警守長は、直ちにこれを執行して、柳文卿を横浜入国者収容所に収容したうえ、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せ、同人を台湾へ強制送還した。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

第二柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行の違法性の有無

一政治犯罪人不引渡の原則に違反し、違法であるとの主張について

1  原告は、政治犯罪人不引渡の原則は国際慣習法であると主張し、被告は、これを争うので、まず、この点を検討する。

(一)  <証拠>によれば、つぎのことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

およそ、国際法上、外国人の出入国は原則として国家の自由な規律に任せられている。外国人の出国についていえば、外国人をその意思に反して出国させること、たとえば、追放あるいは強制出国(退去強制)について、国家はそれをしてはならないという拘束を受けることはないし、また、それをしなければならないという拘束を受けることもない。これを逃亡犯罪人についていえば、外国において犯罪を行なつた者が逃亡してきて、その引渡しをその外国から要求された場合、国家は、一般国際法のもとにおいては、その要求に応じてもよいし、応じなくてもよい。応ずる(引渡し)義務もなければ、応じてはならない(不引渡し)義務もない。もつとも、条約で相手国民の引渡しを承諾しておれば、その限りで国家はこれを引き渡す義務を負うことはいうまでもない。その典型が逃亡犯罪人引渡条約である。

ところで、世界の主要国家を含む多数の国家は、外国との間にそれぞれ条約を結び、逃亡犯罪人の引渡しを約している。この場合は、条約の定める範囲内で、逃亡犯罪人の引渡しは、その国の国際法上の義務となる。このような逃亡犯罪人引渡条約は、わが国において、アメリカとの間に締結されているにすぎない。このように条約がある場合には、その定める限度で、逃亡犯罪人の引渡しは、国家の国際法上の義務となるが、それ以外の場合には、逃亡犯罪人の引渡しは、一般的に国家の自由に属し、逃亡犯罪人の引渡しの請求を受けても、請求国に引き渡さず、自国に滞在を認めることがある。この場合、領土主権の効果として、相手国は、これ以上逃亡犯罪人の追及をすることはできない。その結果、逃亡犯罪人は、その国において自己の犯罪について保護を受けることになるが、このような国家の権利を庇護権(Right of asylum)といい、これは国家の国際法上の権利であつて、逃亡犯罪人がその国家に対して有する権利ではない。もっとも、犯罪が国際化し、犯罪人の国外逃亡が容易になると共に、逃亡犯罪人の引渡しは、国際協力として一般に望ましいことと考えられ、条約上義務的な規定がない場合にも、国際礼譲として、国内の法律または行政措置により、逃亡犯罪人の引渡しがしばしば行なわれている。以上が外国人の出入国、特に逃亡犯罪人の取扱いに関する国際法上の一般原則である。

逃亡犯罪人の中でも政治犯罪人については特別の取扱いがなされてきた。すなわち、逃亡犯罪人の引渡しに関する多くの条約は、引渡犯罪を刑法上の普通犯罪に属する一定のものに限定し、いわゆる政治犯罪はこれから除外し、政治犯罪人不引渡の原則を採用している。ことに一八六七年に、それまでこの原則の採用にさからつてきたロシアがこの原則を採用して以来、一八八八年のロシア、スペイン間の逃亡犯罪人引渡条約を除き、それ以外のすべての逃亡犯罪人引渡条約は、条約上の引渡犯罪に政治犯罪を含まず、かつ、政治犯罪人は引き渡さない旨の規定をおいている。

そして、政治犯罪人不引渡しを規定する条約の多くは、政治犯罪人は「引き渡すことができない」、あるいは「引き渡してはならない」と義務的命令的(Mamdatory)な形で規定している。ごく少数のものが、例外的に政治犯罪人は「引き渡さないことができる」、あるいは「引き渡しを拒むことができる」と権能的許容的(Pernissive)な形で規定している(ちなみに、日米犯罪人引渡条約も、その四条において、「政治犯罪人は、これを引渡してはならない。」と義務的命令的に規定している。)。また、逃亡犯罪人の引渡しに関する諸国の国内法においても、義務的命令的な形で、政治犯罪人の不引渡が定められている場合が多い(ちなみに、わが国の逃亡犯罪人引渡法も、その二条において政治犯罪につき、「引渡してはならない」と規定している。)。

さらに、第一次世界大戦後は、憲法において政治犯罪人不引渡しを規定する国が現われ、ことに第二次世界大戦後は、東欧諸国および共産主義国家をも含めて、このような憲法規定を持つ国が多くなつてきた。のみならず、具体的実行においても、ここ一世紀来、逃亡犯罪人を政治犯罪と認めて引渡しを拒む事例、あるいは強引な連行に抗議する事例(昭和四二年七月西ドイツ留学中の韓国人学生の強制連行に対し西ドイツ政府が韓国政府に対して行なつた強硬な抗議はその一例である。)は数多くあつたが、逃亡犯罪人を政治犯罪人と認めたうえ、あえてこれを引き渡した事例はまずなかつたということができる。

(二)  以上のとおり、歴史的にここ一世紀来、国際社会の具体的実行において、政治犯罪人は引き渡さないということが国際慣習になつているという実証的事実があること、本来、国家は外国人の出入国を自由に規律しうる、という国際法上争いのない基本的原則の中で、とくに政治犯罪人につき、本来自由であるべき不引渡しを、広く学説が「不引渡の原則」としてとらえ、ここ一世紀来の逃亡犯罪人引渡条約が政治犯罪人を引渡犯罪から除外して不引渡しを規定し、しかもその圧倒的多数がこれを義務的命令的に規定し、また、多くの国が憲法その他の国内法令で、例外なく政治犯罪人は「引き渡してはならない」と義務的命令的な形で規定していることにかんがみ、いまや、政治犯罪人不引渡しは、国際社会において、法規範として定着してきたということができる。

政治犯罪人の引渡し、不引渡しには、国の政治的利害がからむことが多く、国としては一般に不引渡しに拘束されることを好まず、これを政治的便宜の問題として保留しておきたがることは理解できるが、しかし、他面、道義的または社会的に非難さるべき普通犯罪をともなわない純粋な政治犯罪とみられるものについては、政治的処罰のために引き渡さるべきでないという実質的意識が政治思想や人道主義の基礎のうえに、ここ一世紀ほどの間に固まつていることも認めなければならないし、特に、第二次世界大戦後において、国際連合憲章の制定、同連合による「人権の世界宣言」の採択、さらにこれに具体的法規としての拘束力を付与した人権規約の制定等により、国は内外人を問わずその人権を尊重すべきことが強調されるにいたり、かくして、国際法が人権の尊重に重点をおくようになるに従い、どうみても純粋な政治犯罪とみるものについては、人権尊重の立場から、国家は政治的便宜の考慮を押えて、不引渡しが「原則」として法的な意味をもつことになつた、と解するのは根拠があるというべきである。

このような見地からすれば、政治犯罪が本国内において行なわれたとその他の国において行なわれたとを問わないわけであつて、本国以外の国において行なわれた政治犯罪が、本国法の規定により、処罰を受けるものである限り、この原則の適用を受けることになんらの妨げはないといわなければならない。

条約の中には、例外的に、政治犯罪人の不引渡しを、「引き渡さなくてもよい」と許容的に規定するものがあるが、不引渡の規定は、引渡義務の例外規定としておかれ、引渡義務の否定がその主眼である。そのことは、「引渡しも不引渡しも自由」ということになるが、不引渡しの自由をもつものが同時に不引渡しを義務とする約束をもつことも論理的に不可能ではない。不引渡しが義務であるということは、不引渡しの自由を完全に行使することでもある。国家に認められた自由あるいは権能を、条約上あるいは一般国際法上特定の目的のためにもつぱら行使するように拘束されることはめずらしいことではない。したがつて、許容的な規定の条約の存在は、不引渡の原則を義務的なものと考える妨げにはならない。

政治犯罪人不引渡しを国の義務と解するときは、これに対応する国際法上の権利国がなければならないが、これを発見することができない以上、これを義務と解することは不可能である、との見解がある。確かに、引渡請求国が不引渡義務に対応する権利国ということは無意味であり、国際法発達の現段階においては、

個人を国際法の主体と解することにはなお無理な点がないでもない。しかし、国際法の場合、義務国に対応し、必ず権利国が存在しなければならない、という論理的必然性はないのであつて、真の権利者は人類全体や社会一般という場合もありうるのである。条約において国内事項、たとえば、国内の労働者の権利を保障する内容のごときを定めた各種の国際労働条約の場合、国際法上それが国の義務であることは明らかであるのに、これに対応する権利国は存在しないのである。このような例は、他にも少数民族保護条約、ヨーロッパ人権条約、国際人権規約、婦人参政権条約等にみられ、さらに国際司法裁判所も一九五一年五月二八日のジエノサイド条約に対する留保についての勧告的意見の中で、このことを認めている。

政治犯の概念が、多義的、不確定的であることが国際慣習法の成立を妨げているといわれ、事実、この概念は多義的、不確定的であるが、前述のように、政治犯罪人不引渡の原則が国際慣習として成立しているのは、どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当たるものに限られ、これを確定することは、さして困難でないのみならず、さらに手続的にも、請求国から政治犯罪処罰のため引渡請求があるか、あるいは政治犯罪について有罪判決を受けるか、または起訴されるか、逮捕状が出ているか、少なくも被請求国において客観的にこれらと同視しうる程度に処罰の確実性があると認めうる事情がある等請求国における処罰が客観的に確実であることを要し、単に政治犯罪人が主観的に処罰の確実性を信じているというだけでは十分でなく、また、政治犯罪人であるか否かの一次的判断権は、被請求国にあることなどによつて、政治犯罪人不引渡の原則の適用のある政治犯罪人は厳格に限定されるのであつて、実体的にも手続的にもこれを確定することはさして困難ではない。したがつて、国家が無限定の義務を負うことになるとの非難は当らない。

なお、不引渡の原則は決して庇護権を与えることと同じではない。また、国が不引渡しの政治犯罪人に国の権利として庇護権を与えることは、もとより自由であるが、不引渡しとは単に本国には引き渡さない、というにすぎないのであつて、不引渡しの政治犯罪人を他の国へ任意出国させることも退去強制することも国は自由なのである。すなわち、政治犯罪人不引渡の原則の適用は退去強制そのものの抛棄を意味しない。この点からも国は、不引渡しを認めたからといつて、無限定の義務を負うものではない。

(三)  以上の検討の結果を総合すると、政治犯罪人不引渡の原則は、一定の限定のもとにおいて、確立された国際慣習法である。すなわち、純粋の政治犯罪(ただし本国において行なわれたものであると本国以外の国において行なわれたものであるとを問わない。)につき、しかも手続的要件として、本国から政治犯罪処罰のための引渡し請求があるか、あるいは政治犯罪につき有罪判決を受けるか、起訴されるか、逮捕状が出ているか、少なくとも客観的にこれらと同視すべき程度に処罰の確実性があると認められる事情がある等本国における処罰が客観的に確実である場合に限り、政治犯罪人不引渡の原則は、確立された国際慣習法であると解するを相当とする。

2  本件について、これをみる。

(一) <証拠>によれば、請求の原因第三項1の(一)台湾の政治的・社会的状況、同項(二)台湾における政治犯の処罰(ただし、劉佳欽が昭和四二年四月四日国費外国人留学生としてわが国に入国し、東京大学大学院農学系研究科農業経済学専攻の研究生となつたが、同年六月台湾向け再入国許可を受けて同月一三日出国したこと、顔尹謨が昭和四一年一二月四日私費留学生としてわが国に入国し、東京大学法学部の研究生となつたが昭和四二年六月台湾向け再入国許可を受けて同年七月一日出国したこと、右両名がいずれもわが国に再び入国しなかつたこと、陳玉璽が昭和四二年八月一七日わが国に入国し(在留資格は出入国管理令四条一項四号の「観光客」である。)、同年一〇月六日、法政大学にて日本経済を研究中であることを理由に在留期間の更新を申請したところ、同年一一月二一日その許可を受けたが、その後在留期間が過ぎたため、昭和四三年一月二三日収容令書が発付されたことは当事者間に争いがない。)、同項(三)台湾独立運動と台湾青年独立連盟の各事実を認めることができる。<反証―排斥>

(二) <証拠>によれば、つぎのような事実を認めることができ、<反証>は、右の各証拠と対比してたやすく信用することができず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

柳文卿は、昭和三八年に台湾青年独立連盟に加盟し(同人が同連盟に加盟していたことは当事者間に争いがない。)、昭和四〇年には同連盟の中央委員兼情報部長という重要なポストにつき、台湾独立と蒋介石政権の圧制を訴える政治運動に積極的に参加してきた。同人は、本件強制送還前は同連盟の準中央委員として秘密盟員との連絡を担当すると共に、同連盟が度々行なつた台湾独立、国府打倒のためのデモ行進やハンストにはほとんど参加していた。最近では、昭和四〇年二月二八日の二・二八虐殺記念抗議デモ、同年七月五日のラスク米国務長官来日に際してのアメリカの国府支持政策反対デモ、昭和四二年八月二六日からの同連盟員張栄魁、林啓旭両名強制送還反対抗議ハンスト、同年一一月一八、二四、二八日の蒋経国来日反対デモ等に参加した。このように、柳文卿は、日本において台湾青年独立連盟の盟員として国府政権打倒の積極的運動を行なつてきたものである。

(三) 以上の事実と<証拠>とを総合して考えると、柳文卿の行なつた上記の台湾独立運動は、蒋介石政権下の台湾における政治犯罪人の取締り体制と処罰の実情からみて、懲治叛乱条例二条一項に該当し(中華民国刑法一〇〇条一項所定の内乱罪に該当する。)、重刑に処せらるべきものと認めるを相当とし、したがつて、同人は純粋な政治犯罪人として処罪されることが確実であると認むべきである。このことは、<証拠>により、一介の台湾青年にすぎない柳文卿が送還された際、台北空港において駐日国府大使がこれを出迎えたことが認められること(この認定に反する証拠はない。)からも首肯されるところである。<反証―排斥>

3  したがつて、柳文卿は、国際慣習法たる政治犯罪人不引渡の原則の適用を受ける政治犯罪人であるというべきであるから、同人に対する退去強制令書発付処分ならびにその執行は、政治犯罪人不引渡の原則に違反するものといわなければならない。けだし、同人に対する退去強制令書発付処分ならびにその執行は、送還先を台湾と指定した退去強制であつて形式上は前説示の本国(台湾)への引渡しそのものではないが、右退去強制令書の執行は送還先に送還してなされるものであり(出入国管理令五二条三項)、その実質は本国(台湾)への引渡しとなんら異なるところはないから、政治犯罪人不引渡の原則は、本件のごとき退去強制にも適用されるものと解すべきであるからである。ところで、確立された国際法規を遵守すべきことは憲法九八条二項に定めるところであり、同条項の趣旨とするところは、確立された国際法規の国内法的効力を認めるというにあるものと解すべきである。したがつて、柳文卿に対する上記退去強制令書の発付処分ならびにその執行は、違法であるといわざるを得ない。

二逃亡犯罪人引渡法二条一号・二号違反の主張について

逃亡犯罪人引渡法(昭和三九年法律第八六号による改正後のもの)は、その二条一号・二号において、条約の締結国のみならず、いかなる国からの引渡請求に対しても、政治犯罪人を引き渡してはならない旨を規定していると解すべきところ、柳文卿が政治犯罪人であることは上記認定のとおりであり、また<証拠>によれば、昭和四二年秋、わが国の法務大臣、法務省入国管理局長らが台湾を訪問した際、同局長から台湾の国民政府の要職者に対し、従来同政府がわが国から台湾へ送還すべき刑事犯罪人の引取りを拒否していたため、その引取り方を要求したところ、同政府の要職者からわが国において台湾独立運動を行なつている者の強制送還を要求されたこと、当時、わが国の法務省入国管理局としては、国民政府から右のように刑事犯罪人の引取りを拒否されてこれら犯罪人の送還事務の遂行が困難な問題となつていた矢先でもあり、また、国民政府との友好上からも同政府要職者からの要求を拒否することができず、これを受け容れたことおよびそれまではわが国において台湾独立運動をしていた者を送還したことは全くなかつたのであるが、その後において右の者らを送還するにいたり、柳文卿もその一人であることを認めることができ、<反証>は、前示各証拠と対比するとたやすく信用することができず、他に右の認定を左右するに足る証拠はない。

したがつて、柳文卿に対する上記退去強制令書発付処分ならびにその執行は、逃亡犯罪人引渡法二条一・二号にいう政治犯罪を犯した同人を、本国(台湾)政府の引渡し要求に応じて引き渡す目的をもつてなされたものであると認むべき、右法条にも違反し、違法であるといわざるを得ない。

三以上の次第で、柳文卿に対する上記退去強制令書発付処分ならびにその執行は、原告ら主張の爾余の違法事由について判断するまでもなく、違法であるといわなければならない。

第三柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行についての故意または過失の有無

一柳文卿が、昭和四三年三月二六日午後四時ごろ、仮放免更新手続のため東京入国管理事務所に出頭したところ、同所長猿渡孝が退去強制令書を発付し、飯塚警守長が直ちにこれに基づいて柳文卿を横浜入国者収容所に収容し、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機で同人を台湾へ強制送還したことは前示のとおりであり、弁護士大野正男、同山川洋一郎らが夜を徹して柳文卿に対する退去強制令書発付処分取消しの訴えとその執行停止申請をなすべく準備に当たり、昭和四三年三月二七日午前八時に当裁判所に右本案訴訟を提起し(当庁昭和四三年(行ウ)第五六号)、あわせて執行停止の申立てをなし(当庁昭和四三年(行ウ)第一七号)、直ちに法務省入国管理局長、同局次長および同省訟務局長に対し電話でその旨を伝え、裁判所の執行停止申立てについての判断が示されるまで、柳文卿の強制送還を待つて欲しい旨要請し、同日午前九時過ぎごろには、右事件の係属した当裁判所民事第二部書記官からも、右訴えの提起と執行停止の申立てがなされた旨、東京入国管理事務所総務課長に電話連絡がなされたことは当事者間に争いがない。

また、<証拠>によれば、台湾青年独立連盟は、昭和四二年八月末に同連盟員である林啓旭、張栄魁の両名が退去強制令書の発付を受けて退去強制を受けようとした際、右の弁護士らに同連盟として訴訟委任をし、当裁判所において同月三一日その送還部分の執行停止決定を受けている(この事実は当事者間に争いがない。)等のこともあつて、当時から柳文卿をはじめ数人の同連盟員がわが国に在留することのできる期間を徒過していたため、これらの者がいつ何時退去強制処分を受けるかも知れないと憂慮し、以来この問題につき同連盟において検討した結果、かかる場合においては同連盟において右弁護士大野正男、同山川洋一郎らに訴訟委任をなし、その手続は同連盟委員長辜寛敏がすることなど具体的な緊急対策を決定しており、このことは柳文卿も右検討に参加して十分に知悉しており、さらには、柳文卿は右辜寛敏に対し、個人的にもかかる緊急事態に立ちいたつた場合の処置を一切委任していたこと、しかるところ、柳文卿が上記の退去強制令書発付処分を受けたので、右の辜寛敏が弁護士大野正男、同山川洋一郎らに訴訟委任をなしたことを認めることができ、<反証>がたやすく採用し得ないものであることは前説示のとおりであり、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

さらに、<証拠>と弁論の全趣旨によれば、柳文卿は、前示のとおり、昭和四〇年四月にパスポートの有効期限が切れて後は仮放免の更新を繰り返すことによつてわが国に在留していたものであるが、法務省入国管理局としては、前記認定のような事実関係から、柳文卿を台湾(本国)に強制送還することとし、同人から法務大臣に出されていた異議の申出(特別在留許可申請)につき、昭和四三年二月一二日、同局内の裁決委員会において、同人がわが国に在留する目的はすでに達せられたとの理由でこれを棄却すべき旨決し、法務大臣も右同様の裁決をなしたが、従来の慣例と異なりこれを直ちに告知しなかつたこと、同月中旬ごろ同局幹部間において、前示のように柳文卿と同じく台湾青年独立連盟員であつた林啓旭、張栄魁を強制送還しようとした際、当裁判所において送還の執行停止決定がなされ、その目的を達し得なかつたので、柳文卿についてはかかることのないように、右裁決の告知をなした翌日直ちに柳文卿を送還することにする旨協議がなされていたが、具体的にその日時が決定していなかつたため、同月二六日柳文卿が仮放免の更新手続のため東京入国管理事務所に出頭した際には、右裁決の告知も柳文卿の収容もしなかつたこと、そして、翌三月一二、三日ごろにいたり、同局幹部間において、柳文卿が仮放免の更新手続のため入国管理事務所に出頭する予定の同月二六日に右裁決を告知し、直ちに同人を収容して、翌二七日午前九時四〇分羽田空港発の航空機に乗せて同人を台湾に強制送還する旨決し、これを駐日国府大使館に連絡する等その準備を進めていたが、従来の慣例と異なりそのことを柳文卿本人はもとより、東京入国管理事務所にも伝えず、同月二三日ごろになつてはじめて右入国管理事務所にその旨伝えるにいたつたこと、かくして、三月二六日午後四時ころ柳文卿が仮放免の更新手続のため東京入国管理事務所に出頭したところ、前記裁決を告知し、直ちに同人を収容して横浜入国者収容所に収容したが、その旨を柳文卿の保証人となつていた辜寛敏に連絡せず、同日午後六時過ぎころになつて連絡するにいたつたこと、右連絡を受けた台湾青年独立連盟の者らはいまだ柳文卿が翌二七日午前中に送還されるものとは知らずにいたものの、緊急事態を感知し、直ちに右処分に対して訴訟を提起するために弁護士に訴訟委任をする等の準備を進め、ことに辜寛敏は右連絡を受けて直ちに柳文卿との面会を求めたが、時間外であるとの理由でそれを拒否されたことから事態の異常なことを感じ、同日午後八時ごろ法務省入国管理局長宅を訪れ、同局長に対し、台湾における政治犯の処罰の実情等を強く訴えて、前示林啓旭、張栄魁の事件について裁判所の本案の判断が示されるまで柳文卿の送還を待つて欲しい旨懇願したが、同局長からこれを拒否されたため、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分につき裁判所にその執行停止の申立てをなすので、それについての裁判がなされるまでの間、一日だけでも送還を待つて欲しい旨さらに懇願したが、これも容れられなかつたこと、かくして、柳文卿は入国管理局の予定どおり収容後わずか約一七時間三〇分で台湾に強制送還されるにいたつたが、その強制送還については従来の慣行と異なりすべて入国管理局の指示によつてなされたことをそれぞれ認めることができ、これら認定に反する<反証>は前示各証拠と対比するとたやすく採用することができず、他に以上認定を左右するに足る証拠はない。

二ところで、憲法三二条によつて認められる裁判を受ける権利は、日本国民に対してだけ保障されているものではなく、わが国に在留する外国人に対しても保障されており、執行停止の裁判を求める権利もこれに含まれることはいうまでもない(最高裁昭二五・一二・二八判決、民集四―一二―六八二、なお、人権に関する世界宣言八条参照。)したがつて、本件において、わが国に在留していた外国人である柳文卿が同人に対してなされた退去強制令書発付処分の取消しの訴えを提起し、あわせてその執行停止の裁判を求める権利は憲法上基本的人権として同人に対しても保障されていたはずであるから、出入国の管理の事務に関与する国の公務員は、法の執行に当たつては、かかる基本的人権を侵害しないよう最大の配慮をなすべき職務上の注意義務があつたといわなければならない。

しかるに、上記認定の事実によれば、柳文卿に対する退去強制令書の発付処分ならびにその執行は、同人がその執行停止の申立てにつき裁判所の判断をうるに必要な時間的余裕を与えることなく、むしろ、そのため台湾青年独立連盟委員長辜寛敏らの懇願を無視し、さらには柳文卿が当裁判所に対して執行停止の申立てをなしたことをも知りながらあえてこれを避けるためになされたものであつて、たとえ行政の迅速処理その他の目的からの要請があつたとしても、はなはだしく基本的人権に対する配慮を欠いたものであつて、このため同人が退去強制令書発付処分の違法を裁判所に訴えその救済を受ける機会を奪うにいたつたことは、法治国の国家機関としてまことに遺憾な処置というほかなく、かかる法の執行をした法務省入国管理局担当官において故意もしくは重大な過失の責めを免れないといわざるを得ない。

第四原告らの損害

一上記の違法な退去強制令書発付処分および執行による被害者は柳文卿であり同人は中華民国の国籍を有する者であるから、国家賠償法六条の規定により、相互の保証があるときに限り同法の規定が適用されるが、中華民国の法律は国家賠償の原則を是認し、これを外国人に対しても認めているところである。そこで、国家賠償法を適用し、同法による原告らの損害を考えるに、原告らと柳文卿との関係は前記第一の一において認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、原告光代は、全く突然に、柳文卿と最後の言葉を交わすこともできずに、夫である柳文卿が台湾に強制送還され、再び同人と幸福な家庭生活を送る望みを断たれ、現在は肩書地において飲食店を営みながら、幼い原告高雄を女手一人で養育し、夫を奪われた苦痛にようやく耐えているものであること、原告高雄は、わずかの間ではあつたが柳文卿にその出生を祝福され、父の愛情を注がれていたが、いまは別離の悲運をになうものであつて、将来このことを知つた際の苦しみは察するに余りがあることをそれぞれ認めることができ、<反証>は前示各証拠と対比するとたやすく信用することができず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二ところで、民法七一一条は、規定の形式のうえでは生命侵害の場合に限つて近親者の固有の慰藉料請求権を認めるかのごとくではあるが、その趣旨とするところは、共同生活を営む家族の一員が生命の侵害を受けることによつて家族生活が崩壊しないしは重大な損傷を受けることに着目し、かかる場合にその家族の他の構成員である近親者に慰藉料請求権を認めようとするにあると解されるから、かかる趣旨にかんがみると、生命侵害以外の場合でも、生命侵害にも比肩しうべきあるいはこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を被つた近親者は、慰藉料を請求することができると解するを相当とし、また、同法条にいう近親者には、法律上の夫婦ではないが、実質上これと同一の生活関係を有する内縁関係にある者、法律上の父子関係はないが、真実父子関係にあつて法律上の父子と同一の生活を送つていた者もこれに含まれると解するを相当とするところ、本件において、前記認定の事実関係によれば、原告らは、柳文卿を同人に対する違法な退去強制令書の発付処分ならびにその執行によつて奪われ、同人とその妻あるいは子として幸福な家庭生活を送れる可能性はほとんどなくなり、柳文卿が生命の侵害を受けた場合にも比肩しうべきあるいはこれに比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を被つた近親者であると認められるから、柳文卿に対する上記違法な退去強制令書の発付処分ならびにその執行につき、いずれも慰藉料請求権があるというべきである。そして、その慰藉料の額は、上来述べてきた本件違法行為の態様、故意、過失の重大性、被侵害利益の性格、原告らが受けまたは受けるであろう精神的苦痛の程度その他本件に現れた一切の事情を斟酌し、原告らいずれにも金一〇〇万円をもつて相当であるというべきである。

第五被告の責任

そうすると、柳文卿に対する上記の退去強制令書発付処分ならびにその執行をなした東京入国管理事務所主任審査官および法務省入国管理局の担当官らが国の公権力の行使にあたる公務員であり、右の各処分がその職務の遂行としてなされたものであることは明らかであるから、被告は、国家賠償法一条、四条の規定に基づき、原告らに対し、原告らの前示損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

よつて、被告は、原告らに対し、それぞれ金一〇〇万円およびこれに対する昭和四三年三月二八日(柳文卿に対する違法な退去強制令書の執行の日の翌日)から右完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払いをなすべき義務があるものというべきであるから、原告らの本訴請求は理由があるのでいずれもこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、なお、仮執行の宣言はこれを付するのを不相当と認めるので付さないこととし、主文のとおり判決する。(杉本良吉 渡辺昭 岩井俊)

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