大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8597号 判決 1971年5月20日

原告 株式会社松村薬品商会

右代表者代表取締役 松村豊

右訴訟代理人弁護士 谷川哲也

同 伊豆鉄次郎

被告 財団法人日本性病予防協会

右代表者理事 高橋明

右訴訟代理人弁護士 太田常雄

同 佐々木務

同 安澤昭二郎

主文

被告は原告に対し金七〇二万〇七七二円およびこれに対する昭和四二年三月一六日より支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

原告は「被告は原告に対し金一二二二万五四七九円および内金一二〇〇万円に対する昭和四〇年四月一日から右支払済に至るまで日歩二銭五厘の割合による金員、残金二二万五四七九円に対する昭和四三年八月一四日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二  原告は本訴請求の原因として次のとおり陳述した。

一(一)  原告は昭和四〇年二月一九日被告から被告所有の別紙目録記載の建物(以下本件建物という)の一階のうち一四三・八三平方米の部分(以下本件貸室という)を賃料月額金一九万五八〇〇円、毎月末翌月分持参支払、期間同日より一五年間の約で賃借し、即日右賃貸借契約から生ずる原告の債務一切を保証するための保証金として金一〇〇〇万円、敷金として金一九五万八〇〇〇円および約定賃料の支払として金一一万七四七九円以上合計金一二〇七万五四七九円を支払った。

(二)  しかし、右賃貸借は次の理由により無効である。

原告は医薬品等の販売を主たる業務とする株式会社であるが、被告の勧めにより薬局を開設することを主たる目的として右賃貸借契約を締結したものであるところ、薬局の開設については東京都条例五六号「薬局等の配置の基準を定める条例」により既存の薬局との距離が一二〇米なければ開設の許可が得られないので、原告代表者は被告の事務局長とともに目測し右被告の事務局長も本件建物と既存薬局との距離が一二〇米はあるというので右のとおり契約締結したのである。ところが、その後の実測によれば、九六米の距離しかなかったため、結局原告は薬局開設の許可を得られず右契約の目的は達せられなかった。

以上の理由により本件契約は原始的に不能であったから無効である。

仮にそうではないとしても、右契約は被告のすすめにより薬局開設の目的で締結したものであるところ、右のとおり行政上の制限のためにその目的を達し得られないものであったから、法律行為の要素に錯誤があり無効とすべきものである。

(三)  したがって、被告が本件契約に基き支払を受けた前記金一二〇七万五四七九円は法律上の原因なくして利得したものであり、原告はこれにより同額の損害を蒙っているから、被告は原告に対し右金員を返還すべきである。そして、原告は昭和四〇年三月一五日被告に対し本件賃貸借が右事由により無効である旨を述べ支払った金員の返還を求めているから、被告は少くとも右の事実を知った日の後である昭和四〇年四月一日からは悪意の受益者であるところ、原告は前記金員支出のために訴外第一銀行から日歩二銭五厘の利息で金一二〇〇万円を借入れているのであるから、被告は原告に対し右金員に対する日歩二銭五厘の割合による損害金を支払うべきである。

二  また、被告は昭和四〇年三月一六日原告に対し、被告の責任において本件薬局開設の許可を得させることを約し、原告において薬剤師を雇い入れるように申入れてきたので、原告は訴外小野愛治を雇い入れ昭和四〇年三月から同年七月まで五ヶ月分の給料として同人に合計金一五万円を支払った。しかるに、被告は右約定に反し原告に右許可を得させることができなかったから、原告に対し右債務不履行に基く損害賠償として金一五万円を支払うべきである。

三  よって、原告は被告に対し以上合計金一二二二万五四七九円および内金一二〇〇万円に対する昭和四〇年四月一日から支払済に至るまで日歩金二銭五厘の割合による金員、残金二二万五四七九円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四三年八月一四日より支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  仮りに本件賃貸借が有効であるとしても、被告は原告に対して、前記保証金、敷金に年六分の遅延損害金を附して返還を支払うべきである。即ち

(一)  本件賃貸借契約にあっては、やむを得ぬ理由あるときは賃貸借期間内であっても、原告または被告が六ヶ月前の予告をして解約することができ、この場合原告が貸室明渡後被告において右貸室を第三者に賃貸したときは直ちに保証金全額を返還すべきものとされている(本件賃貸借契約書第四条第四項)ところ、原告は昭和四〇年三月中旬頃被告の代理人である訴外武井広吉(株式会社月ヶ瀬の専務)に解約の申入れをなしたから、右申入後六ヶ月を経過した後である同年九月中旬頃には右契約は終了した。

(二)  しかるところ、原告は当初より本件貸室の引渡を受けておらず、被告は昭和四二年三月一三日本件建物を新たに第三者に賃貸したから、保証金については昭和四二年三月一四日から、敷金については昭和四〇年一月一日から法定遅延損害金を附加して返還支払うべきである。

(三)  仮りに右解約申入れの事実が認められないとしても、原告は昭和四〇年九月三日同日付文書をもって被告に対し解約の申入れをしたので、右申入後六ヶ月を経過した昭和四一年三月三日には本件契約は終了した。

(四)  さらに、原告は右のとおり本件貸室の引渡を受けていないのであるから右契約に基く賃料支払義務はないところ、原告は前述のとおり昭和四〇年三月分賃料として金一一万七四七九円を支払っているから、右は法律上の原因なくして被告が不当に利得したもので、右は原告に返還すべきものである。

(五)  ところで、被告は本件貸室を営業として賃貸したものであるから、右遅延損害金は商法所定の年六分の割合によるべきである。

第三  被告は、本訴請求原因に対する答弁として次のとおり陳述した。

一  請求原因一の(一)の事実は認める。(二)の事実中原告が原告主張の業務を営む会社であることは認めるが、本件建物と既存薬局間の実測距離が九六米しかなく、原告が本件建物においての薬局開設につき許可が得られなかったことは不知であり、その余の事実は否認する。

同(三)の事実は否認する。

二  請求原因二の事実中原告が訴外小野愛治を雇い入れ同人に対し、給料を支払ったことは不知、その余の事実は否認する。

三  請求原因四の(一)の事実中やむを得ぬ理由ある場合原被告とも六ヶ月前に予告して本件契約を解約できるものとされていることは認めるも、原告主張の解的申入れのあった事実は否認する。

同(二)(三)の事実中原告が契約当初より本件貸室の引渡を受けておらず、被告がこれを後に第三者に賃貸したことは認めるが、右賃貸の日は昭和四二年三月一五日であり、原告主張の昭和四〇年九月三日付文書も被告に到達しているけれども、右書面による通知が解約の申入れとみられないこと後述のとおりであり、その余の原告主張事実は否認する。

第四  被告は主張ならびに抗弁として次のとおり述べた。

一(一)  本件賃貸借契約は店舗および事務所として使用することを目的とするものであって、その用途を特定していたのではなく、原告も薬局のほかに会計事務所喫茶店としても利用する目的をもっていたのであるから、本件契約が原始的に不能というべきものではない。

(二)  原告は薬品販売を業とする会社であり、その代表者も本郷地区の薬局に勤務していたことがあって、本件建物周辺の地理に詳しく、薬局開設の要件も充分承知しておったのみならず、本件建物と他の既存薬局との距離がやや不足していることも承知していたのであるからこの点に錯誤はない。

(三)  仮りに原告において本件建物と既存薬局との距離について錯誤があったとしても、原告は右距離を単に目測で調査して本件契約を締結したというのであるから重大な過失あるものである。

二(一)  原告代表者は昭和四〇年四月頃訴外武井広吉に対し、薬局開設許可申請につき協力方を依頼し、その際薬剤師の履歴書、免許証を預けており、原告主張によれば薬剤師に同年七月分までの給料を支払っているというのであるから、これよりさきの昭和四〇年三月中旬頃に原告が本件賃貸借解約の申入れをする筈がない。

(二)  被告が原告より昭和四〇年九月三日付文書を受領していること前述のとおりであるが、原告はその頃より被告に対し「保証金・敷金全額・支払済の賃料一一万七四七九円を返還せよ。さらに、原告が銀行に対し支払う借入金利も全額負担せよ。また原告が雇った薬剤師の給料・本件建物につき原告の支払った造作着手代も支払え。」という要求を重ねてきているのであって、かかる不当な要求を伴った解約申入れでは賃貸人である被告としては社会通念上安心して新たな賃借人を探すことはできないのであるから、右文書による通知は信義則上適法な解約申入れとはみられない。

なお、被告は昭和四一年暮原告から金三〇〇万円の融通を依頼されたので、右融資金調達のため原告との条件よりは不利な条件(月額賃料は坪当り五〇〇円高いが、保証金は坪当り一八万四〇〇〇円も安い)で昭和四二年三月一五日本件貸室を他に賃貸したのである。

(三)  仮りに、原告主張の解約申入れが有効になされたとしても、本件賃貸借契約においては、原告主張の保証金は、五ヶ年据置き以後一〇年間に均等割にて年賦返済するものとし(契約書第四条第二項)、やむを得ぬ事由により六ヶ月前に予告して解約するときは、右申入れが据置期間内であれば解約手数料として保証金(敷金も含む)の二割を取得できるものとされている(同第四条第三項2)から、契約終了時までの約定賃料とその遅延損害金および右保証金敷金の二割相当の手数料債権をもって本訴において対等額をもって相殺する。

また、本件賃貸借契約書第四条第四項には原告主張の約定文言が記載されているけれども、右は誤記で削除されるべきものであるのみならず、しからずとしても、同条項にいう「乙が貸室明渡後甲が同室を新たに賃貸した場合」とは乙の貸室明渡と甲が新たに賃貸した時期とが接着しており、かつ、新賃貸条件と従前の賃貸条件とが社会通念上同一程度のもので賃貸人に不利益の存しない場合をいうものと解すべきところ、前述のとおり原告の解約申入時より遙か後に不利な条件で他の第三者に被告は賃貸したのであるから、右約定の場合に該当するものではない。しかも、原告は前述のとおり、被告が新賃借人と契約を締結するより一年六月余も以前から不当な要求を重ね、たまたま被告が他に賃貸したからといって保証金等の即時全額返還を求めることは信義則に反する。

第五  証拠≪省略≫

理由

第一不当利得返還請求について

一  原告が、昭和四〇年二月一九日被告からその所有の本件建物の一隔のうち原告主張の本件貸室を借受けることとし、同日被告に対し原告主張のとおり保証金・敷金賃料合計金一二〇七万五四七九円を支払ったことは当事者間に争いない。

二  しかるところ、原告は右賃貸借契約は原始的に不能であるという。そして、原告が調剤薬局の開設を主たる目的として本件貸室を借受けたものであることは≪証拠省略≫により認め得るのであるが、本件賃貸借にあって原告が薬局を開設することをもって原被告間において賃貸借の条件とされていたこと、換言すれば、原告の契約締結の動機はともあれ、被告も本件貸室の用途を特定し、右主たる目的にそう利用方法がとられることを前提とし、これに相応する貸室提供の債務を負担して賃貸する趣旨で賃貸したことを認めるべき証拠はないから、本件建物において薬局開設の許可が得られないといって契約がその目的において原始的不能であるというには当らない。原告のこの点の主張は採用できない。

三  さらに、原告は本件賃貸借は要素の錯誤により無効であると主張するので次にこの点について判断する。

≪証拠省略≫によれば、

原告の社員である筧勝夫は、被告の事務局長である若江勝之助から「被告はビルを新築中だが、そのビルでは被告は血液検査と診療所を経営するだけで上しか使わない。原告がこのビルで調剤薬局を開設してはどうか。そうすれば、東大病院の皮膚科、被告の診療所の調剤を原告にまかせられるし、順天堂病院の方にも口をきいてやる。」旨勧められ、原告代表者らにおいてこの話を検討した結果この勧めに応ずることとした。そして調剤薬局としては八坪ないし一〇坪あれば足りたのであるが、間仕切りの関係もあったので、一部は喫茶店、事務所として転貸する予定で前述のとおり本件建物を賃借した。ところで、東京都条例により薬局の開設は既存の薬局より一二〇米の距離あることを要件とされていたので、原告代表者は前記若江勝之助とともに右賃貸借契約締結前に本件建物の屋上から最も近い距離にある山崎薬局との距離を目測し、これによって直線距離にして一二〇米はあり右の要件を満すものと考え、賃借後直ちに開設の許可を申請したが、実測したところ道路に従って測っても九六米しか離れておらず、許可を得られなかった。

以上のとおり認められ(る。)≪証拠判断省略≫

もっとも、後に認定するように原告は右許可申請によって許可が得られなかった後も区会議員などに働きかけ他の名義をもって許可を得ようとしているのであるが、原告が当初から許可の要件に欠けるところがあることを知りながら右のような方法のあることを期待して敢えて本件賃貸借契約締結にふみ切らなければならなかったとみるべき事情の認められない本件においては右認定の事実も前記認定の妨げとなる資料とはならない。

してみると、原告が本件賃貸借契約締結の意思決定をしたのは、本件建物と既存の薬局との距離が都条例所定の一二〇米あるものと考えたからであり、右意思決定の動機は右契約時において被告にも表示せられていたとみるを相当とするところ、右のとおり実測の結果九六米しかなく薬局開設の許可は得られなかったのであるから、原告の本件賃貸借契約締結の意思表示には要素に錯誤あるものというべきである。

しかしながら、前認定の事実によれば、原告は本件建物と山崎薬局との距離が一二〇米はなければならないことが、薬局開設の許可を得るための重大な要件であることを知悉していたに拘わらず、単に目測のみに頼って右の要件を満すと考え、他にも容易に測定し得る方法があるに拘らずその方法をとらなかったのであって、いかに薬局の開設許可を得るには人に先んじて申請する必要があり、そのためには申請の準備を秘密裡に行わなければならないからといって極めて不正確な目測のみに頼るというごときは重大な過失あるものといわねばならない。このことは、原告代表者が若江事務局長からも一二〇米の距離はあるといわれたからといって判断を異にするものではない。

しからば、この点において本件契約が要素の錯誤により無効であるとする原告の主張は理由がない。

四  よって、本件賃貸借契約が当初より無効であるとの原告の主張は採用しがたく、原告の不当利得返還の請求は理由がない。

第二損害賠償請求について

原告は、被告がその責任において被告に薬局開設の許可を得させることを約したと主張し、これを前提として損害賠償の請求をする。そして、≪証拠省略≫によれば、原告代表者は若江事務局長に対し昭和四〇年三月中旬頃薬局開設の許可がとれないから本件賃貸借契約を断りたい旨を申し入れたところ、右若江から名義を代えて申請してみてはどうかと助言され、本件建物の工事代金の支払いや入居者の世話などをしていた訴外株式会社月ヶ瀬の専務武井広吉からも薬事審議会の会長をしている区会議員にも働きけてやるといわれて、右若江を通じて右武井に開設許可申請に必要な書類を預けていたことが認められるのであるが、このことから、被告においてその責任において許可を得させる約束をしたとみることはできず、他に被告がかかる約束をしたとみるべき証拠はない。

しからば、原告の主張はその前提事実が認められないのであるからその余の点の判断を要せず採用することはできない。

第三本件賃貸借解約に基づく保証金等の返還請求について

一  原告は昭和四〇年三月中旬本件賃貸借解約の申入れをしたと主張する。

そして、昭和四〇年三月中旬頃原告代表者が被告の事務局長に契約を断りたい旨の申入れをしていること前述のとおりであるが、その際、右事務局長から助言されて、本件建物において薬局開設の許可申請手続を訴外武井広吉に依頼していることもさきに認定したところであって、このことをも考慮すれば、原告の前記申入れは解約したいという意向を示したにとどまり確定的な解約申入れということはできず(右の意向すら直ちに飜意撤回したものとみられる)、しかも、成立に争いない甲第一号証によれば本件賃貸借にあっては解約申入れは文書をもってなすことを要するものとされていることが認められる(文書をもってすべきものとすることが形式的なもので口頭をもってすることも妨げないと解すべき理由はない)ところ、右の申入れは文書をもってなされているのではないことも弁論の全趣旨により明らかであるから、この点においても右の申入れによっては解約の効果が生じたとはいえない。

二  しかるところ、原告はさらに昭和四〇年九月三日に解約の申入れをしたと主張する。

そして、≪証拠省略≫によると、原告は前述のとおり薬局開設の許可を得べく、武井広吉らに尽力をして貰らっていたが、やはり許可を得る見込はないのでさきに預けておいた書類を返還して貰い、昭和四〇年九月三日付文書をもって「本件賃貸借契約後本件貸室未使用のまま半年を経過し、保証金・敷金調達のための借入金に苦慮しているから円満な解決を望む。」旨被告に申入れをしたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

右の事実によれば、原告が本件貸室を借受け使用する意思のないことを文書をもって明示したのであるから、右は解約の申入れとみるべきである。

もっとも、≪証拠省略≫によると、原告は右文書による通知をした当時も本件契約は無効であると考えていたことは明らかであるから、右通知にいう「円満な解決」も契約無効であることを前提とするものというべきであるが、原告は薬局開設ができないが故に本件貸室を使用する意思のないことを明らかにしたものであることは明白なのであるから、本件賃貸借が原告の見解に反し有効とせられるときは解約申入れをなす趣旨であることを包含するものと解するのが相当であり、被告としても右のように解せられる筈である。

しかるところ、被告は右の申入れは信義則上適法な解約申入れとはいえないという。そして≪証拠省略≫によると、右文書による申入れの頃、原告は被告に対し被告主張のごとき要求をなしていたことが認められるけれども、原告が本件貸室を使用する意思のないことは明確なのであり、本件契約の当初から本件貸室の引渡のなかったことも当事者間に争いないのであるから、右の要求が法律上理由なく被告の承認しがたいものであるからといって、被告として新たな賃借人を募ることが不安であるとはいえないから、被告のこの点の主張は採用しない。

三  しかして、本件賃貸借はやむを得ない理由あるときは賃借人において六ヶ月前に予告して解約することができるものとされていること当事者間に争いなく、右は六ヶ月の経過により契約終了の効果を生ぜしめる趣旨の特約と解すべきところ、薬局開設を目的として貸室を借受けた賃借人が開設の許可を得られないことはやむを得ぬ事由に当るこというまでもない。そして、前記昭和四〇年九月三日付書面は同月四日には到達したと推定するのが相当であるから、同日より六ヶ月を経過した昭和四一年三月四日をもって本件賃貸借は終了したものというべきである。

四  よって、被告は原告に対し前記保証金および敷金を返還すべき義務あるものというべきところ、被告は右保証金・敷金の二割の解約手数料・未払賃料債権およびその遅延損害金債権をもって相殺するという。

前掲甲第一号証によれば、本件賃貸借において授受せられる保証金は五ヶ年据置き以後一〇年間均等割の年賦をもって返還される約束である(契約書第四条第二項)が、もし右据置期間内に賃借人が解約するときは、保証金(敷金を含む)の二割を賃貸人が解約手数料として取得できる(同第四条第三項第二号)ものとされていること明らかである。もっとも、同号証によれば、賃借人の申入れにより解約がなされた場合でも賃貸人が貸室を新たに賃貸した場合は「前記保証金の返済方法によらず」賃貸人は「直ちに」賃借人に「全額返済するものとする」との約定があり(同第四条第四項)、被告が昭和四二年三月一五日(これより以前であることの証拠はない)本件貸室を新たに他に賃貸したことは被告の認めるところであるけれども、右約定にいう「全額」とは返還の義務を負う金員の全額であり、これを据置や年賦の方法によらずに直ちに返還すべきものとする趣旨に解するのが最も文理にも合致し、保証金返還による賃貸人の不利益を免れるため本来自由であるべき賃借人からの解約の申入れにも厳重な制約をしようとする本件賃貸借契約全体の趣旨にも適合する解釈であると考える。

なお、被告は賃貸借契約書第四条第四項は削除されるべきもので甲第一号証の記載は誤記であるといい乙第五号証を援用するが、同号証は被告のみの所持するもので右主張の証拠とするに足らずこの点の証人武井広吉の証言も採用しがたい。

しからば、原告は被告に対し解約手数料名義をもって、前記保証金・敷金の二割相当の金員金二三九万一六〇〇円の支払義務あるものというべきである。

次に原告が本件貸室を当初から引渡を受けていないこと前述のとおりであるが、原告は本件貸室の鍵を本件建物完成後当直員からいつでも引渡を受けてよい旨被告の若江事務局長から伝えられていること≪証拠省略≫により認められ、右認定に反する≪証拠省略≫は措信できないので、原告は本件貸室の約定賃料の支払義務を免れないものというべきである。

しからば、被告が原告に対して保証金・敷金を返還すべき昭和四二年三月一五日現在において、原告は被告に対し別紙計算書のとおり未払賃料金二三二万七三一三円とこれに対する年六分の割合による遅延損害金二一万八三一五円と解約手数料名義の金二三九万一六〇〇円以上合計金四九三万七二二八円の支払義務を有するものというべきである。

なお、被告が本件建物の大部分を他に賃貸する目的をもって建築し貸室をも業としていること弁論の全趣旨により明らかであるから、本件賃貸借は商行為と解すべきであり、遅延損害金は年六分の利率によるべきである。

五  しかして、被告が右債権をもって原告の本訴請求債権と対等額において相殺する旨昭和四五年一〇月七日の本件口頭弁論期日において意思表示をしたこと記録上明らかであるから、その限度において保証金・敷金は昭和四二年三月一五日に遡り消滅したものというべく、残金七〇二万〇七七二円およびこれに対する昭和四二年三月一六日以降右完済まで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において原告の本訴請求は正当として認容すべきも、その余は理由なく失当であるからこれを棄却し、民事訴訟法九二条第一九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例