東京地方裁判所 昭和43年(ワ)8784号 判決 1974年3月25日
原告
石村金蔵
右訴訟代理人
長塚安幸
外四名
被告
国
右代表者
法務大臣
中村梅吉
右指定代理人
田代暉
外三名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 申立
一 原告
1 被告は原告に対し、金五〇〇万円およびこれに対する昭和四三年二月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告
1 主文一、二と同旨
2 仮執行免脱宣言
<以下省略>
理由
一請求原因事実のうち、原告が昭和三九年一二月一日早朝交差点において、自転車に乗つていた鈴木信子が転倒して死亡した事故につき、原告がオートバイを運転して後方から進行中、同女に接触したことが原因であるとの嫌疑によつて業務上過失致死事件の被疑者として福島県警察本部浪江警察署において、同署に勤務する警部補菅野幸七巡査橋本宗秀、同橋本勇らの取調を受け、福島地方検察庁平支部から昭和四〇年一一月三〇日、福島地方裁判所平支部に対して別紙起訴状記載のとおりの公訴事実(但し、右公訴事実中「自己の右ハンドルから」とあるは「自己の左ハンドルから」の誤記と認められる。)により、業務上過失致死罪で公訴を提起され、審理のうえ、昭和四一年四月二八日、別紙第一審判決のとおりの有罪判決を受けた。
原告は右判決に対し控訴した結果、仙台高等裁判所第二刑事部において昭和四二年一二月二一日、「原判決を破棄する。被告人は無罪。」との判決がなされ、同判決は確定した。以上の事実については当事者間に争いがない。
二警察官の行為について
原告は、右事件の捜査を担当した前示警察官らに捜査遂行上の違法行為があるとして国家賠償法に基づき被告国に対し損害賠償を求めると主張するのであるけれども、右主張は次に述べる理由により国を被告とする点においてそれ自体失当であると判断する。すなわち、
1 原告は、地方公務員たる福島県警察所属警察官らの行つた司法警察事務はその作用および組織からみて、国から都道府県警察(本件においては福島県警察)に機関委任された事務であり、又仮にこれを機関委任事務ということができないとしても、国の事務たる側面を否定できないものであるから、被告国は国家賠償法第一条により責任を負担すべきであると主張する。
しかしながら、司法警察事務を含めて警察法第二条第一項所定の警察事務が都道府県の団体事務であることは地方自治法上明確されているところであり(同法第二条第二、三項、第六項第二号)、その具体的内容は警察法に規定されている。すなわち、都道府県に、その区域内において前記の警察事務を実施させるため、知事の所轄下にある都道府県公安委員会の管理のもとに都道府県警察を設置し(同法第三六条第一、二項、第三八条第一項、第三項)、警視庁ないし道府県警察本部を頂点とするその内部組織は同法の定めるほか都道府県条例、都道府県公安委員会規則により定められる(同法第五八条)。又、都道府県警察に要する経費は原則として当該都道府県が支弁する(同法第三七条第二項、地方財政法第九条)。更に地方公務員である地方警察職員について、その任免は都道府県公安委員会の管理に服する都道府県警察の職員である(警察法第四八条第二項、第五五条第一、二項)各警察本部長(都警察については警視総監、以下同じ)が行い(同法第五五条第三項)、その人事管理、定員に関しては地方公務員法の定めるほか都道府県条例、又は人事委員会規則で定められ(警察法第五六、五七条各第二項)、その業務の執行については都道府県警察本部長を頂点とする上官の指揮監督を受ける(同法第四八条第二項、第五一ないし五三条の各第三項、第六三条)ものである。
もつとも、警察事務の国家的性格に照らして、国の機関の関与がある程度は認められている。すなわち、中央警察機構として、内閣総理大臣の所轄のもとに国家公安委員会を置いて警察庁を管理させ、これに所定の事務を行わせる(同法第四、五条、警察庁の所掌事務は国の公安にかかる事案についての警察運営、及び緊急事態の計画実施のほか、一般に警察活動の能率的水準を全国的に維持向上させるために必要な事項に限られている。)。警察庁長官は同庁の所掌事務について都道府県警察を指揮監督し(同法第一六条第二項)、緊急事態の布告が発せられたときは内閣総理大臣の指揮監督のもとに警察庁長官を頂点として全国の警察機構が一元化される(同法第七一ないし七五条)。又、都道府県警察本部長以下の地方警察官は一般職の国家公務員として、国家公安委員会の任免するところである(但し、都道府県公安委員会はこれに同意権を有し、更にその懲戒罷免につき必要な勧告をすることができる。同法第四九、五〇条各第一、二項、第五一条第四項、第五五条第三、四項)。更に司法警察事務がその作用からみて国家機関である検察官が独占行使する公訴の提起とその追行維持の前提をなすものであるところから、刑事訴訟法において検察官と司法警察職員との関係を規定して原則として両者の関係を協力関係とし(同法第一九二条)、更に一定の限度で検察官の司法警察職員に対する指示ないし指揮権を認めて調整をはかつているものである。(同法第一九三条)。
ところで、警察庁長官が前示した場合以外に司法警察事務を含めて一般的に都道府県警察を指揮監督する立場にないことは明白であり、又、都道府県警察本部長以下の地方警務官が国家公務員であり、地方警察職員を指揮監督しているとはいつても、もとより国の機関としてではなく、都道府県警察の職員としてこれをなすものであるから、これによつて地方警察職員の職権行使が国の事務となるものではなく、検察官の指示ないし指揮が行われるとしても、これにより地方警察職員の行う事務が国の事務となるものとも解せられない。すなわち、その事務処理が国家的性格を持つからといつて(原告の主張する国の事務たる側面とはこれをいう趣旨と解される。)その事務主体が必然的に国でなければならないいわれはなく、それは個々の法律に定めるところにより分配されるものというべきである。
以上のとおりで、ある程度の国家機関の関与が認められているとはいつても、本件のごとき一般の司法警察事務はあくまで都道府県の事務であつて、国から都道府県に機関委任されたものということはできず、又、国家的性格を持つからといつて、国の事務ということもできないのである。
よつて、原告の右の主張は採用することができない。
2 次に、原告は、国は国家公務員である地方警察官を通じて地方警察職員を指揮している監督者であり、又都道府県警察の経費の一部を負担している費用負担者であるから、国家賠償法第三条により責任を負うべきであると主張する。
しかし、地方警察職員が国家公務員である地方警務官の指揮を受けるとはいつても、国家機関としてではなく、都道府県警察の職員としての立場に基づく指揮であることは前示したとおりであるから、これをもつて国が監督者といい得ないことは明白である。又、都道府県警察に要する経費は原則として当該都道府県自らが支弁するものであることは既に説示したとおりであり、国が都道府県警察の経費を負担するのは警察法第三七条第一項各号、同法施行令第二条の規定するものに限られているところ(これらは、主に警察庁の所掌事務に関するものである。)。本件の警察官らの行つたような一般的捜査の費用はこれに含まれていないから、同規定を根拠に国を費用負担者ということはできない。もつとも警察法第三七条第三項、同法施行令第三条によると、国は一般的に都道府県警察の経費の一部について一定の基準のもとに補助するものとされているが、同規定による国の支出は地方財政法第一六条による補助金に過ぎず、これをもつて前記法条所定の費用負担ということはできない。
よつて、原告の右主張も採用することはできない。
三検察官の本件公訴の提起追行についての有責、違法性の有無
1 本件公訴の提起について
検察官の公訴提起行為が国家賠償法上有責違法であるか否かは、検察官が警察からの送致記録や自らの捜査の結果を総合評価し、これら手持の資料及び将来確実に入手することが期待される資料をもつてすれば有罪の判決を受けることが十分可能であるとの心証を得たと判断し、かつその判断が客観的にみて合理性を有すると評価できるか否かにかかつていることは原告の主張するとおりであつて、かかる合理性を欠く心証形成に基づいて公訴を提起した場合にかぎり、右公訴提起は少くとも過失ある違法行為にあたると解するのが相当である。
(一) ところで、本件において検察官が公訴提起の際、請求原因二2(二)(1)の証拠を有していたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すると、本件公訴提起当時、検察官が有していた証拠のうち、オートバイと自転車の接触および原告の業務上の過失の有無の判断にとつて重要な証拠は、原告の司法警察員に対する供述調書<証拠略>、同じく検察官に対する供述調書<証拠略>、遠藤修の司法警察員に対する供述調書<証拠略>、高野兼明の検察官に対する供述調書<証拠略>、司法警察員作成の実況見分調書<証拠略>、医師半谷広男作成の診断書<証拠略>、医師阿部新平作成の死亡診断書<証拠略>であつたものと認められる。
(二) そこで、右の証拠に基づいて検察官が本件公訴を提起したことの当否について前示観点から検討する。
(1) オートバイと自転車との接触の有無について
(イ) 右接触の事実の存在を認定させる積極的証拠は次のとおりである。すなわち、
<証拠略>によると、鈴木の死因は自転車運転中交差点において転倒し、後頭部を強打したことによる脳挫傷と認められる<証拠判断略>ところ、自転車の腰掛台というような近い位置からの転倒によつて後頭部に死の起因となるほどの強打を受けるということは極めて異常な事態であり、このような転倒をするについては何らかの外的要因に基づくものと推測することがむしろ自然である。<証拠略>の各証拠は、そのいずれもが、オートバイと自転車の接触については、その内容において積極証拠としても証明力の強弱があるが原告のオートバイが前記の外的要因となつたかのような状況の存在を、程度の差こそあれ示しているということができる。
そして、これらの証拠を更に個別にみてみると、先ず<証拠略>(実況見分調書)には、
「(二) 現場の模様
なお、自転車の前輪ゴムタイヤの右側面に強く物体をこすりつけたような真新しい異状痕跡が認められた。その痕跡を実測したところ、長さ二センチメートルであつた。」
との記載があり、これによると自転車の前輪ゴムタイヤ右側面の異常痕跡の存在を認めるのは困難ではない。
右<証拠略>のその余の部分、特にそのうち、前記部分に続く
「試みに第二種原付自転車(加害車)を右自転車の異状痕跡か所に復原押しつけてみるに、後部荷台に積載してあつた乾燥魚在中の木箱の下箱の下部と高さが合致し、その高さは地上から0.63メートルであつた。この状況は現場写真七・八のとおりである。」との記載と右の写真、
<証拠略>(遠藤修の司法警察員に対する供述調書)のうち、
「五 そのバイクの人は大体道路の中央線のあたりを行き、私は左の方を行つたのであります。
そのうち、郡山方面より出る下条の町道のあたりより女の人が自転車に乗り出て来たので、私はその女の人の出た方に曲がるのでスピードをゆるめたので、別のバイクの人とは7.8メーター位の間かくが出たのであります。
六 そのうち、下条の方より出て来た女の自転車に乗つた人が国道を西の方に中央線まで出たので、私は自転車の女の人はバイクより早く国道を横断したと思つたしゆんかんに
「パタン」
と首がしたとき自転車の女の人が国道にたをれたので私は思わづ衝突したなと思つてすぐ自分のバイクを止めて女の人のそばに行つたのであります。」との記載
<証拠略>(原告の司法警察員に対する供述調書)のうち、
「(実況見分調書添付の現場略図を示されて)
一四 この図面は今朝お巡りさんに現場で説明し作つてもらつたものに相違ありません。私は第二種バイクを運転南方富岡方面に向つてコンクリート舗装路を進んで行きました。図面①地点に差しかかつたころです。左斜め前方地点に自転車に乗つて西進して来る女の人を発見しました。その時のお互いの距離は35.6メートル位でありました。それから20.7メートル進んだ②地点まで行つたときです。この女の人は地点まで来ておりました。その時私としましてはの女の人は態度や姿勢からして新国道へ入ると同時に左の方(南の方)に曲るものとばかり思つていました。この状態から見れば私は真すぐ進んで行つても大丈夫だろうと判断したのです。
それでも私としましては相手は女の自転車だからもしやのことがあると困ると思いましたのでバイクのハンドルを僅かに右の方に切り道路中央の方によつて行つたのです。
私のバイクが③地点に差しかかつたころです。左の方に曲るものとばかり思つていた女の自転車が私の進路の道路中央辺まで入つて来たのであります。その時の女の自転車の位置は地点でありました。この時これは危いと感じました。
このときあまりにもトッサのことで当時自分としてはブレーキをかけたかどうかよく記憶にないのですがハンドルだけは右に切りながら自転車との衝突を避けようとしましたが遅く地点でバイクの左側部分又は荷台に積んでいた箱の辺を自転車の前車輪辺にぶつつけてしまいました。このとき女の人はどんな格好になつて倒れたのか判りません。私は衝突の反動で右斜めに進んで行き④地点に停車し、一方自転車は地点に右横だおしに倒れ地点の中間辺に女の人があおむけに北東を頭にして倒れていたように記憶しております。」
との記載
以上の証拠のうち<証拠略>は原告の供述内容を録取し、刑事訴訟法所定の手続等を履践したうえで作成されたものであることが<証拠略>により認められるから、任意性に欠ける点はないものというべきであり(<排斥証拠、略>)、又、右調書中の記載は原告が信用性ありと主張する<証拠略>(原告の検察官に対する供述調書)と比較してみても接触に関する点を除けは大筋は同趣旨であつて、実況見分調書添付図面に沿つた距離関係に関する供述が走行中のオートバイ上での瞬時の記憶に基づくものであることを考慮にいれてもなお信用性を欠くということはできない。<証拠略>は本件事故に関しては直接の利害関係を有しない第三者の供述調書であり、本件事故を現場から近接した地点で経験した者の供述であることからみて、その信用性は高いということができる。もつとも右供述によれば接触の事実そのものを直接目撃したものではないが、接触の可能性を強く示唆するものとして評価できるものである。なお、原告は<証拠略>中の遠藤修及び原告の事故発生当時の模様に関する指示説明の内容を非難するが、これらは繁簡の差はあつても実質的にはそれぞれ<証拠略>の内容とほぼ同趣旨と認められるうえ、右指示説明部分は刑事訴訟法上、その内容の真実性を立証するものとしての証拠能力を有するものではないから、検察官は本件公訴提起の当否を判断するのについては当然これらを資料から排除したものと推察される。
(ロ) 以上の各証拠に対し、いわば消極的証拠というべきものが存在する。すなわち、<証拠略>(実況見分調書)、<証拠略>(原告の司法警察員に対する供述調書)によれば、自転車はハンドルが僅か左の方に曲つており、前照灯のガラス蓋がはずれ、前輪泥除けの止め鋲がはずれる等の損傷があつたことが認められるところ、右事実については接触自体により生じた可能性と転倒の衝撃によつて生じた可能性と両様の可能性が考えられるが、むしろ後者の可能性がより高いと考えるのが相当である。
<証拠略>(原告の検察官に対する供述調書)によれば原告は接触の点を否認する旨の供述をしている。
(ハ) なお、<証拠略>は本件事故を約八〇メートル離れた地点から見た者の供述調書であつて、しかも鈴木の転倒の瞬間及びその直前のことは直視していなかつたというのであるから接触の事実認定についての積極的な証拠とはいい難いが、それでも前記外的要因の存在については一般的な証明力を有するものである。
(ニ) 以上、接触の事実の存否の認定に関しては、積極消極の証拠が対立するのであるけれども、そのいずれかを、一方的に措信すべきものと判断できる程度に他方が内容的にみて不合理なものとはいい難いことは前示によつて明らかというべきであるから、前示積極証拠を信用し、消極証拠を排斥することは証拠の取拾選択の一方法として許される範囲内のことといわざるを得ない。
してみれば、右の積極的証拠を採つて、前示異状痕跡がオートバイ後部荷台積載の木箱下部と自転車前輪タイヤ右側面の接触により生じたものであつて、鈴木がこれにより転倒、死亡したものと認定することは十分に可能であり、これが経験則、物理法則に違反する不合理なものということはできない。
(ホ) 原告は補充捜査も行わないで<証拠略>の前示記載のみから異状痕跡の存在について心証を得ることは不合理であること、<証拠略>におけるオートバイと自転車の接触の可能性についての比較方法は両者の走行状態を無視したものであること、オートバイが当時左傾したことはないこと、新国道がコンクリート舗装の平坦な道路であることからオートバイの上下震動の可能性のないこと等を指摘して検察官の判断を非難する。又第二審裁判所は、同判決<証拠略>の示すとおり原告の右の指摘のほか(但し、異状痕跡の存在自体については除く。)、自転車タイヤの異状痕跡も接触によるものでなく転倒の際道路との摩擦により生じた可能性も否定できないことをも疑問点としている。たしかにこれらの事由が接触の事実の存在について疑いをいたかせる事情となり得ることは否定できないところである。
しかしながら、自転車タイヤの異状痕跡についての<証拠略>の前記記載が(更に補充捜査を行いその存否が明確に証拠化されることが望ましいことはいうまでもないが、それは捜査の裁量性の問題である。)、それのみで異状痕跡の存在自体についての必要最低限度の証明力すら有していないとは到底いい得ないし、又異状痕跡が接触ではなく転倒に伴う道路との摩擦により生じたとの可能性もあくまでも可能性に止まり、必ずしもオートバイとの接触によつて生じた可能性に比べて明らかに大きいと断ずることもできず(前示したようなハンドルとか前照灯とかの突起物でないだけにその可能性は低いと考えることも可能である。)、その何れを採用すべきかは判断がわかれて然るべきところであつて、まさに検察官の自由心証の範囲に属するというべきである。次に<証拠略>におけるオートバイと自転車の接触の可能性についての比較方法も、走行中の状態での比較でないことは明らかであつて、正確性を欠くとの批判も一応あたらないわけではないが、後輪と異り自転車前輪の位置関係は走行中と大差ないものとみうるし、オートバイの体勢も一般的な走行に際してとりうる傾きの範囲内とみうるから(具体的走行としての左傾の可能性は次段に述べる。)、その限度においては接触の可能性について必要最少限の証明力すら具有していないということはできない。又、<証拠略>によると、原告の供述を基礎とすれば、自転車とのもつれあいに際して原告は右にハンドルを切つたというのであるから、オートバイは右傾するはずであつて左傾する余地はなく、従つてオートバイの荷台左側は垂直時より上昇し、自転車との接触の余地はなくなるということになる。しかしながら、接触し得べき位置に異状痕跡が存在するという認定が一応可能である場合、これに反する供述証拠を措信しないということも全く許されないわけではない。とくに本件のように荷台に相当重量の積荷を積載しかつ、自転車の予想外の進行に驚愕した(この点は後に判示する。)運転者の場合安定を失い、全体的には右側に進行したとしても一時的に左傾することもありうると考えることは全く不合理ということはできない。そうとすればオートバイが左傾したと認定することについて経験則違反があるということはできないこととなる。オートバイが上下動する可能性がないとの点についても、<証拠略>により認めることができる原告のハンドル操作の急激さと、オートバイ自体の緩衝装置等の作用をあわせ考慮すると右の可能性が全くないということはできず(なお、この上下動はそれだけで独立に接触を可能にするほどの大きな落差を生ずるものである必要はないことはいうまでもない。)、<証拠略>により認められるように新国道が平坦なコンクリート舗装であつたとしても、その可能性を認めることが経験則に反するとはいい得ないと考えられる。
右のとおりであるから、原告が挙げる前示の各問題点は、検察官においてオートバイと自転車とが接触したとの心証を形成したことに、経験則等に反する不合理性は認められないとする前示判断に消長をきたすものではないというべきである。
(2) 原告の過失の有無について
(イ) 検察官は、前示のごとく、原告がオートバイの後部荷台に荷物を積載して、時速三七、八キロメートルで交差点にさしかかり、原告に気付いた様子のない鈴木が自転車で交差点を左折しはじめたことを認識していたことを前提として、同人の右方を追い越そうとした原告の注意義務として、「警音器を鳴らし警告を与え、同人の挙動を注視しながら同人と十分間隔を取つて追い越し、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務」ありとし、原告が右義務を怠り、自己の左ハンドルから鈴木まで約二、三〇センチメートルの間隔を取つたのみで漫然その右方を追い越したとして、これを前記接触の原因となる過失としたものであることは別紙起訴状記載のとおりである。
そして、<証拠略>によると原告のオートバイが時速約三七、八キロメートルで交差点にさしかかつたこと(原告が減速したか否かについては起訴当時としては的確な証拠がない。)、<証拠略>によると、原告はオートバイの後部荷台に乾燥魚の入つたダンボール箱二つ、木箱四つ合計66.75キログラムの積荷を載せていたことがそれぞれ認められる。又鈴木の挙動についての原告の認識に関する証拠は次に示すとおりであつたことが認められる。すなわち、「それでも私としましては相手は女の自転車だからもしやのことがあると困ると思いましたので、バイクのハンドルを僅かに右の方に切り道路中央の方によつて行つたのです。」、「この女の人は何にかせわしく自転車を運転して来たように見えた。」<証拠略>、「五<略>それは交差点のだいぶ手前で自転車に乗つた女の人を左前方約三五、六米に認め、両方とも交差点に向つて進行を続け、私は時速三七、八キロで進行したのでありますが、だんだん接近して行くうち女の人が下向きかげんになり前を見ないで運転していることが判りました。」「六 女の人がどう進行するのか合図も何もしていませんでしたし、いぜんうつ向きかげんでありましたから私は女の人によく注意しておりました。私が交差点入口から一〇米から一一米の地点に達した時女の人が国道の舗装部分に入つて来たのでありますが、その女の人は左の方に曲りはじめたのであります。普通よりは急ぎかげんの速度で新国道と左方道路との交差点の中心近くを左折したのであります。そしてセンターラインをそれほど離れない部分のセンターラインの左側を平市方面に向つて進行したのであります。私は女の人が交差点中心附近を左折し、センターラインの方に寄つて平市方面に向い進行するので、私も少し右に寄りぎみになりました。女の人が平市方面に向うことが判つたのは私が女の人の後方四、五米に接近した時でありましたが、女の人が平方面に向つて進行すると判つたのでその右方を追い抜いても危険がないと思いました。間もなく私は女の人の直ぐ右後方に追い着きました。そして私の握挙から握挙の数にすれば二つか三つ位の間隔を開けて女の人の右側を追抜こうとしたのであります。」<証拠略>
ところで、<証拠略>によると本件交差点付近の状況は次のとおりである。
「五 実況見分のてん末
(一) 現場及び附近の一般的状況
本件事故現場の位置はやや正確を欠くも南北に通ずる浜通り新国道と東西に通ずる町道が交さする十字路交さ点なり。
右十字路の南北に通ずる新国道は歩車道の区別ない幅員七、五五メートルのコンクリート舗装路にして両側各一メートルは舗装されていない。
この十字路以東に通ずる道路は幅員四、五メートル、以西に通ずる道路は幅員四、九メートルで何れも歩車道の区別なく舗装されていない。<略>
この交差点の北西角には<略>笠原喜一方の居宅、南西角には泉田高代方の居宅が存在しているがいずれも交差点よりわずかにずれたところに建つている。<略>
この交差点の見とおしを検するに被疑者(車)の進路南進中から見ると道路左側(東側)は相当見とおし良く、右側(西側)は笠原喜一方の納屋などのため見とおし悪い。
この事故現場の一般的状況は別添図面第二のとおりである。<略>」
また原告はこの交差点について「一九 いまになつてこの事故を反省してみますと事故があつた場所は十字路交差点になつていたのですが、私としてはいままで何回も通つていますがよく存じませんでした。ただ女の自転車が出て来たところの道は薄々知つていました。その反対側に通ずる道路はないものとばかり思つていました。」
<証拠略>と供述している。
(ロ) 前示認定のとおり原告が鈴木に接触したとの心証形成を前提として以上の証拠((一)において引用したものを含む。)によると、検察官が原告に前示のごとき過失があるとの判断に達したことについては不合理とは認め難いものがあるというべきである。
(ハ) もつとも、第二審判決は、大略前示と同様の証拠関係のもとで、鈴木は道路交通法第三六条第二、三項により徐行したうえ、原告のオートバイ進行を妨げてはならない義務を負担しているにも拘らず、これに違反した進行方法をとつたものとし、一方前記現場の状況下では、原告において鈴木が左折するにとどまるものと判断してセンターライン付近にオートバイを寄せたまま進行し、追い越しにかかつたことには注意義務違反はなく、鈴木が交通法規を遵守せずに進行したことについて原告には予見義務はないものとして原告の過失を否定している。
ところで、右はいわゆる「信頼の原則」を前提としたもの(オートバイと自転車の接触を認定していないので直接の適用の問題ではないが)と考えられるが、「信頼の額則」なるものは、約言すると交通関与者は他の交通関与者が交通秩序に従つた適切な行動をとるであろうことを信頼するに足りる状況のもとにおいては、交通法規の要求する作為、不作為義務以上に刑法上の注意義務を要求されることはなく、このような場合にたとえ他の交通関与者の不適切な行動によつて結果が発生したとしても、これに対して責任を問われない、とする原則であるといわれている。第二審裁判所は、現場の状況に照らし、鈴木の行動を考慮しても、原告が西側町道の存在を知らなかつたこと及び鈴木が左折するに止まるものと認識したことは相当であり、「信頼の原則」適用の前提を満たすものとしたものと解される。しかし、「信頼の原則」は、前示したところからも明らかなように、本来その適用の前提、すなわち当該状況下での信頼の相当性についての判断を必要とするものであるから、具体的事件において右原則を適用するか否かについては判断者によつてある程度の結論の差異を生ずることは避け難いものである。従つて、本件において、新国道をしばしば通行している者に要求される客観的注意義務に照らして、原告の西側町道についての認識の欠如を相当視できないものとし、かつ鈴木が優先通行権を有する新国道進行者(原告)に対する無関心等その進行の態度からみて、交通秩序に従つた適切な行動に出ることを信頼するに足りる状況があつたということはできず、「信頼の原則」適用の前提を欠くものとして前示のごとき注意義務ありと判断することもあながら不当視し得ないというべきであろう。しかも、相当性の判断は右のようにそもそも一義的には決し得ないうえ、まして本件公訴の提起当時は未だ拠るべき確たる判例もなかつた(ちなみに、昭和四一年一二月二〇日最高裁判所第三小法廷判決、刑集二〇巻一〇号一二一三頁は本件第一審判決と第二審判決の中間に存する。)ことを考慮すると、前示のごとき鈴木の行動に対して、相当重量の積荷をして運転する原告が鈴木の左折を信じたにもせよ、センターラインに寄つて進行したのみで、警告も与えず、時速三七、八キロメートルで(起訴当時、減速したことを認めるに足る的確な証拠は存在しない。)、同人から手挙二つか三つの間隔で追越しをはかつたために、西側町道へ入ろうとして新国道を横断するという同人の予想外の行動に対応できず接触事故を発生させたとして、原告に前示のような注意義務に反した過失があるとした検察官の判断は不合理なものとはいい得ないことは明らかと考える。
(3) 以上のとおり、検察官の行つた事実認定、注意義務の判断には不合理な点がみるとはいえないものというべきである。
2 本件公訴の追行について
<証拠略>によると、一審第三回公判期日において、検察官は、原告の司法警察員に対する供述調書<証拠略>、司法警察員作成の実況見分調書(乙第六号証)、司法警察員作成の前記追送写真<証拠略>の証拠調を請求し、その証拠調が行れたことが認められる。
原告は、右各書面の証拠調請求をもつて違法と主張するのであるけれども、前二者については、これに基づく起訴判断が不合理といえないことはすでに説示したとおりであるから、これを証拠として公判廷に提出することは検察官に許された当然の措置であつて、何らの違法もないことは明白である。又、後者についてみると、右書面は、<証拠略>(実況見分調書)の添付写真の拡大写真に説明を付加したものであつて、次の第一審裁判官の判断に関して説示するとおり、実況見分調書の記載内容と対比するとその証明力の判断には微妙なものがあり、慎重な検討を要するものではあるが、このような証拠であるがゆえに、かえつて原告にとつて有利な証拠と判断される余地もないわけではなく、従つて、右証拠の提出自体が検察官の義務違反として評価されるためには、同証拠が警察官らの故意又は過失により内容虚偽のものとして作成されていることを検察官において知り又は知ることを得べき場合であるにも拘らず提出した場合に限られるものと解すべきであるところ、右のような事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると、<証拠略>の提出自体は公訴官としての検察官の裁量の範囲内の事項と解するほかなく、違法ということはできない。
3 以上説示したとおりであるから、検察官の本件公訴の提起及び追行が有責、違法であるとの原告の主張は理由がない。
四第一審裁判官の判断の有責、違法性の有無
1 刑事裁判において事実認定の基礎となる証拠の証明力の評価は裁判官の自由な心証に委ねられており、証明力の評価には唯一絶対の判断基準があるわけのものでないことはいうまでもないから、裁判官のした判断が有責、違法というためには当該判断が、およそ裁判官として通常の注意義務をもつてすれば当然避けられるはずの論理則、経験則に合致しない不合理な証拠評価に基づいてなされた場合に限定されるものと解すべきであり、従つて、証拠の評価について裁判官によつて結論の相違を生ずることも止むを得ない場合であれは、一を合理的とし、他をもつて不合理ということはできないから、自由心証主義の許容する範囲内のこととして、国家賠償法上有責違法ということはできないものと解すべきである。
2 そこで、右の観点から第一審裁判官の判断について検討する。
第一審裁判所の有罪判決が別紙第一審判決に摘示されている各証拠によつたものであることは当事者間に争いがない。
(一) オートバイと自転車との接触の有無について
(1) 異状痕跡の存否
<証拠略>によつて自転車前輪右側面の異状痕跡の存在を認めることが不合理とはいえないことは前示したところであるのみならず、新たに一審公判廷において証拠調された成立に争いのない<証拠略>(証人橋本宗秀に対する証人尋問調書)、<証拠略>(証人橋本勇の公判廷における供述)、<証拠略>(証人菅野幸七に対する証人尋問調書)はいずれも右事実を積極に認めるに足りる証拠ということができる(この点は第二審判決も同様の認定をしている。)。
もつとも、<証拠略>(検証調書)によると、第一審裁判所における昭和四一年三月二二日の検証においては、本件自転車を検証の目的物としたにも拘らず異状痕跡に関する記載がないから、当時その存在は確認されなかつたものと推認するよりほかないが、右検証が事故後約四か月を経て施行されたものであることを考慮に容れると、前記各証拠による異状痕跡存在の事実の認定を左右するものとはいえないと評価することも可能であり、他に右の認定を左右する証拠も見あたらない。
(2) 接触の可能性
(イ) 鈴木の死因の前示のごとき異常さと当時の状況から判断して、同人の死因については何らか特段の外的要因が存したと考えられることは前示したとおり(但し、前示した証拠のうち、<証拠略>は第二審裁判所において始めて提出されたもの、<証拠略>は証拠調の請求が最後までされなかつたものであつて、いずれも第一審裁判官の判断の資料となつていない。)<証拠略>(証人阿部新平の公判廷における供述。第二審判決もこれを積極的に排斥しているわけではない。なお、第一審判決証拠摘示中「証人阿部進平」とあるのは、右「阿部新平」の誤記と認められる。)もこれを基礎づけているということができる。
そして、以上に加え<証拠略>を総合すると、第一審裁判官が別紙第一審判決に示すとおりオートバイの後部荷台上の木箱と自転車前輪右側とが本件交差点付近で接触し、これにより転倒した鈴木を脳挫傷により死に致したとの事実を認定したことは首肯できないわけのものではない。
すなわち、<証拠略>の記載内容については既に説示したとおりであつて、接触の点を認定するために必要な最少限度の証明力すら有していないということはできない。又、新たに接触の可能性を検分するために行なわれた前記検証において、オートバイの荷台に重量約六七キログラムの木箱およびダンボール箱を積載して自転車とともに平坦なコンクリート面に垂直に、かつ、それぞれ人を乗車させない状態で立て、オートバイ荷台最低部と自転車前輪タイヤの最高部を比較すると、荷台最低部がタイヤ最高部より高く、その間に接触の可能性はないが、オートバイをスタンドで支え(オートバイはやや左傾する。)、自転車を垂直に立てて前同様の比較をすると、接触の可能性のあることが確認され<証拠略>たのである。そして<証拠略>(第一審公判において<証拠略>に代えて証拠調されたもの。)によると、遠藤は接触を直接目撃したと供述しているものではないが(この点は<証拠略>と同じである。)、「ガチャン」という音がしたので前を見たら自転車が倒れていた、そのときオートバイは横すべりになつて自転車が倒れている側を二メートルか三メートル程先に進んでいた。」「オートバイ道路の内側に倒れるように横すべりなつて行つた。」との趣旨の供述をしているのであつて、右供述からオートバイが当時左傾した状態になつていたことを認めたとしても不合理ということはできない。<証拠略>を総合すると、このときオートバイの積載荷物をささえていたゴム紐が切れたことも認めることができるし、これが右接触衝撃に起因すると考えることも十分可能である。又、<証拠路>は前示したとおり<証拠略>(実況見分調書)添付写真を拡大し、これに実況見分調書には記載されていないいくつかの指示説明を加えたものであるが、これに<証拠略>を総合すると、オートバイの荷台に積載されていた木箱の端に長さ一〇センチメートル、幅五センチメートル位の三か月型に割れた新しい傷がみられ、他方交差点付近の鈴木の出した鼻血の血痕の残つていた箇所から三メートル程南の路上に木片が落ちていて、司法警察員が右木片を前記木箱の新しい傷に合わせてみるとぴつたり符合したことを認めることもあながち不合理と断定することはできない。
更に、<証拠略>を総合すると、原告は本件事故の直後、鈴木の近親者らに対し、接触の事実を認める趣旨の発言をして遺憾の意を表し、和解を求める態度を示していることを認める<証拠略>は第二審において提出されたものであるのみならず、前掲各証拠に照らすと信用性は低いというべきである。)のは困難ではなく、右の事実によると<証拠略>(その内容については既に説示した。)の信用性を肯定したとしても不合理とはいえない。
(ロ) ところで、<証拠略>(証人半谷秀峰の証人尋問調書)によると原告は事故原因について医師半谷秀峰に対し、「(鈴木に)あたつたかどうかわからないが、行き過ぎて後を見たら倒れていた。バイクの直前を横断したからこうなつたのだ。」と述べたこととなつている。しかし、同証人は同時に「(原告は)バイクの事故だと言つていたが、当つたといつたかどうかはつきり記憶していない。」との趣旨の証言もしているのであつて、原告が半谷に対し事故原因につきいかに供述していたかは右証言のみでは俄に断定できないともいい得るし、又、仮に原告が当時半谷に対し接触したか否かわからないとの趣旨の発言をしていたとしても、右の事実のみをもつてしては<証拠略>と対比したとき、事故当時原告が接触の事実を明確に否認していたことを窺うには足りず、<証拠略>の信用性を左右するものではないと考えることもできるものというべきである。又、第二審判決は、<証拠略>により原告は転倒した鈴木の傍らに駆け付け、「どうした。どうした。」と声をかけたとの事実を認定し、これは転倒の原因を逆に相手に尋ねるような言辞であつて、原告が接触の点を認識していたことと相容れないとし、<証拠略>の信用性を肯認しない一理由としているのであるが、右のような発言の意味内容ないし心裡をどのように解するかはともかくとしても、<証拠略>によると、原告が同様の状況下で鈴木に対して「大丈夫か」との言葉をかけたというのであるから、当時の原告の発言がその何れであつたかは、右の各証拠の何れを採るかによつて決せられることであつて<証拠略>がそれ自体として信用性を欠くものと判断しなければ不合理というほどのものではないことはいうまでもない。更に、<証拠略>(証人半谷光子の証人尋問調書)によると、証人半谷光子は、半谷医院における担当警察官の会話として、一人が、「あれはバイクに触れないものなあ。」と言い、他がこれに合槌を打つていた旨供述しておりこれは担当警察官らがオートバイと自転車が実は接触していなかつたと認識していたことを当時告白したものととる余地があり、もしそうとすればすべての証拠の証明力ひいては証拠能力にも影響するものというべきであるが、右警察官らは右の発言を否定しており<証拠略>、又、同証人も自認するとおり右言葉はいかなる脈絡で発せられたか不明と認められるのであつて、そうである以上、その発言が真実なされたものであるか、同証人の記憶と一致しているか、言葉の意味を前示の趣旨に理解すべきものか等についてそれぞれ異別に解する余地もありうるところと考えられるから、右の証拠を採つて原告の有利に判断しなかつたからといつて不合理視できないというべきである。次に木片の存在について考えると、<証拠略>(追送写真)が本件公訴提起後作成されたものであること、<証拠略>(実況見分調書)にはその記載が全くなく、かえつて、「五 証拠資料 事故現場には証拠として特に留置すべきものはなかつた。」との記載があること、添付の写真自体についても特にそれを意識して被写体としたものではない関係上、木片や木箱の破損状況が一見明瞭とはいい難いことからすれば、木片の存在自体に疑問を懐く余地は十分存すところである。しかし木片の存在については他方において証人橋本勇、同菅野幸七がこれを肯定する証言をしている<証拠略>のであつて、これら積極証拠を採つても著しく背理とはいい得ないというべきである。のみならず、右各証拠には疑点が存するところではあるけれども、さりとてこれらを内容虚偽のものと断定すべきであるともいい難いのであり、結局、これらの証拠には信を措き難く彼此対比すれば木片が存在したか否かについては明確な心証を得難いというのが相当かとも解せられるのである。しかし、そうであるからといつて、接触に関する前示の積極的証拠のすべてがその証拠価値を直ちに失なうというものではなく、その間にはなお自由心証の働く場が残されていることはいうまでもないところである。<証拠略>の証明力については前示したとおりであり、原告の公判廷における供述<証拠略>についても同様のことがいえる。その他の点については検察官に関して説示したとおりである。
(ハ) ところで、第二審裁判所においては、遠藤修と担当捜査官である菅野幸七、橋本勇につき、それぞれ改めて証人尋問が行われ<証拠略>、その結果、第一審裁判所における同人らの供述及び<証拠略>の証明力がある程度減殺され、第二審裁判所の判断を形成する要因をなしたものと認められるけれども、前示のとおり法が自由心証主義を採用し、かつ三審制度をとつている以上、裁判官によつて見解の差異を生ずることは、むしろ制度上避け難い結果というべきことであつて、このことの故に第一審裁判官の前示判断が直ちに不合理となるものでないことはいうまでもないところである。
(3) 以上を要するに、接触の事実に関しては積極、消極両様の証拠が併存するところであるが、積極証拠を採用し、消極証拠を排斥することも、以上説示したとおり相応の理由が考えられるのであるから、第一審裁判官の前示認定をもつて自由心証主義の範囲を逸脱したものということはできないものといわなければならない。
(二) 原告の過失の有無について
(1) 注意義務判断の前提となる事実関係は、第一審における証拠調の結果から、変更ないし補充を要する次の点のほかは、検察官に関して前示したところと同じである。
交差点の状況については新たに検証が行われた<証拠略>が、その結果は<証拠略>(実況見分調書)によつて前示したところとほぼ同じ(<証拠略>によれば、この点は第二審で行われた検証の結果によつても同じ)である。
鈴木の交差点進入時の姿勢については、遠藤が普通の状態であつたと供述しているけれども、事故の性質に照らし、<証拠略>に関連して説示した鈴木の運行方法を左右するものとはいい難い。
又、<証拠略>によると、鈴木は新国道を左折するつもりはなく、新国道西側の町道へ向うつもりであつたこと、<証拠略>によると、原告は交差点にさしかかつた際時速三七、八キロメートルから三〇キロメートルぐらいに減速したことがそれぞれ認められる。
<証拠略>のうち原告が交差点に進入する鈴木に警告を与えるため警音器を鳴らしたとの部分は<証拠略>に全くその記載を欠いていることに照して措信する余地はない(この点は第二審で証拠調した<証拠略>によつても明白である。)。
(2) 右の事実関係のもとにおいて、第一審裁判官は、別紙第一審判決のとおり、原告には、オートバイの荷台に、積荷があり、かつ、鈴木が原告に気付かない様子であつたから、警音器を鳴らして警告を与え、同人の挙動を注視しながら減速し、場合によつては一旦停止し、同人と十分間隔を取つて通過するようにして、危険の発生を未然に防止すべき注意義務があるものとし、原告がこれらの措置を怠り、漫然その右方を通り抜けようとした過失があるとしたものである。
(3) 同裁判官の右の判断は、要求する注意義務の程度において公訴事実のそれよりも一段と重いものではあるが、右の差異は、公訴提起に関して前示したとおり鈴木の行動を「信頼」するに足りるかどうか、どの程度まで信頼できるか等についての判断者による避け難い評価の差異によるものと解せられ、前示事実関係を前提とすれば、第一審裁判官の右の判断をもつて不合理ということはできないものと考える。
(4) なお、原告は<証拠略>などにより、第一審において鈴木の自転車操縦技術の拙劣さを立証しようと意図しているようであるが右の拙劣さが外見上明白であればあるだけ、場合によつては「信頼の原則」の適用の前提を欠くことになりこそすれ、原告の注意義務を軽減させることにはならないものというべきであるから、第一審裁判官が右証拠を採用しなかつたとしても、原告の非難し得るところではない(付言すると、右証拠のみによつては、鈴木が何らの外的要因なしに、もつぱら操縦技術の未熟のために転倒したものとは認め難いものというべきである。)
3 してみれば、第一審裁判官が別紙第一審判決のとおり認定判断のうえ、原告に対し有罪判決をしたことをもつて有責、違法とはいい得ないから、この点についての原告の主張もまた理由がないといわざるを得ない。
五よつて、原告の本訴請求はその余の判断をするまでもなく失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(内藤正久 真栄田哲 田中壮太)
<別紙>起訴状<省略>
<別紙>刑事判決(福島地裁平支部昭和四〇年(わ)第一九二号、業務上過失致死被告事件、同四一年四月二八日判決)
【主文】 被告人を禁錮八月に処する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
【理由】(事実)
被告人は、福島県公安委員会より運転免許を受け原動機付自転車の運転に従事している者である、昭和三九年一二月一日午前六時四〇分頃、第二種原動機付自転車の後部荷台に、干魚等在中の木箱四個およびダンボール箱二個(重量約六五瓩)を積載してこれを運転し時速約三七、八粁で双葉郡浪江町方面から富岡町方面に向け進行中、同郡双葉町大字新山字下条八〇番地先の交通整理の行われていない十字路の交差点にさしかかつた際、自転車に乗車した鈴木信子(当三八才)が左方道路からうつ向きの姿勢で同交差点に進入して来たのを約一〇米前方に認め、その右方を通り抜けようとしたが、かような場合前記の通り荷台に積荷がありかつ同人が被告人に気付かない様子であつたから、警音器を鳴らして警告を与え、同人の挙動を注視しながら減速し、場合によつては一旦停止し、同人と十分間隔を取つて通過するようにして、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らずこれらの措置を怠り、漫然その右方を通り抜けようとした過失により、前記荷台に積載していた木箱を同人の自転車前輪右側に接触させて同人を路上に転倒させ、よつて同月二日午後九時一五分頃、内郷市御殿町久世原一六番地公立綜合磐城共立病院において脳挫傷により死に至らせたものである。
(証拠)<略>
なお、弁護人は本件バイク荷台に積載していた木箱と、鈴木信子運転の自転車の前輪とは、高さにおいて五、六センチの差があり、接触し得ないと主張するが、バイクは走行中いわゆる緩衝装置等の作用により上下に振動するのみならず、鈴木信子の運転する自転車側に多少傾斜していたことも考えられ、前記各検証調書ならびに実況見分調書添付の各写真と合せ考え、弁護人の右主張はこれを採用することができない。
(適条)
被告人の判示所為は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項に該当するところ、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を禁錮八月に処し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(高野明孝)