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東京地方裁判所 昭和43年(特わ)647号 判決 1969年12月18日

本籍 東京都目黒区洗足一二九六番地

住居 同都渋谷区広尾三丁目一二番二五号

団体役員 坂田輝昭

昭和三年六月一四日生

<ほか一名>

昭和二五年東京都条例第四四号、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反被告事件

主文

被告人両名は、いずれも、無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、被告人両名は、日本中国友好協会関係者ら約三〇〇名が、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ごろから同三時五分ごろまでの間、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルディング内、国際線出発ロビーに集合し、東京都公安委員会の許可を受けないで、「佐藤首相の訪米阻止。」「蒋経国の来日阻止。」などのシュプレヒコールを行なうなどして気勢をあげたうえ、約五列になってスクラムを組み、「わっしょい、わっしょい。」とかけ声をかけながら、駆け足行進をして集団示威運動を行なった際、ほか数名と共謀のうえ、被告人両名において、それぞれ、集団中央部の台上から右シュプレヒコールの音どをとり、かつ、扇動演説を行ない、さらに、被告人坂田において、同集団に相対して右手をあげ、「ただいまから行動を開始する。」と指示し、スクラムを組ませて行進を開始させ、もって右無許可の集団示威運動を指導した、というのである。

二、警察官や空港ビル会社職員など数人の目撃者の証言、多数の現場写真、被告人らが関係する団体の機関紙類、当日の行動に参加した者の証言や被告人ら自身の当公判廷における供述など、当裁判所において取り調べた各証拠を総合すると、本件の概況として、つぎのような事実が認められる。

(一)  被告人坂田は、日本中国友好協会(正統)中央本部(以下単に日中正統と略称)の常任理事、教宣委員長をしていた者、被告人山本は、日本国際貿易促進協会(以下単に国貿促と略称)の関西本部友好商社部会副委員長をしていた者であるが、右の両団体は、昭和四二年一一月一二日佐藤首相が米国首脳と会談のため訪米することになったことについて、これは日本と中国との友好関係をそこなうものだとして、反対の態度をとり、機関紙などを通して、首相の訪米阻止のため、当日羽田空港に参集するように、広く両団体の関係者に呼びかけていた。

(二)  被告人坂田は、同日午後二時四〇分ごろ、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルディング(以下単に空港ビルと略称)二階にある国際線出発ロビー内に、すでに日中正統や国貿促の関係者がかなり多数参集したものと判断し、右ロビーの北西寄りにある高さ約一メートルたらずの大理石製のたばこの吸いがら入れのうえに立ちあがり、「佐藤訪米阻止の目的で来た人は集まってください。」と呼びかけたところ、約三〇〇名の者が、これに応じて同被告人を中心にしてその周囲に集合した。そこで、被告人坂田は、これらの者に対し、まず、みずから、「首相の訪米を断固阻止しよう。」という趣旨の演説をしたのち、司会者役となって、集合した人たちに対し、最初に日中正統の会長として黒田寿男を、ついで関西の代表として被告人山本を、最後に青年代表として森川忍を、順次紹介し、これらの者が次々に右たばこの吸いがら入れのうえにのぼって、「首相の訪米を阻止する。」とか「蒋経国の来日に反対する。」などという趣旨の演説を行なったが、被告人坂田は、それぞれの演説が終わるたびに、右吸いがら入れのうえに立って、こぶしを高く突きあげながら、「佐藤訪米反対。」「蒋経国来日反対。」「毛沢東思想万才。」などという趣旨のシュプレヒコールの音どをとり、被告人山本も、自分の演説のあと同様の音どをとって、そのつど、集まった者一同に唱和させた。

(三)  このようにして、森川の演説のあと、最後のシュプレヒコールを終えた被告人坂田は、同日午後三時四分ごろ、右吸いがら入れのうえから、参集者一同に向かって、「これから行動を開始する。」と宣言し、これに呼応して、右のうち一部の者が、ロビー北側中央案内所のまえ付近で、西方を向きながら、横に五、六列、縦に一〇数列に並び、先頭部分の者はスクラムを組んで、ただちに走り出し、すぐ左に向きを変えてロビーを半周するような形で、ロビーの南東角にある職員通路の方へ向かい、その他の者も大半がこれに続き、その際、「わっしょい、わっしょい。」とか、「訪米阻止。」などとかけ声をかける者もあった。そして一団は、あっという間に右職員通路を駆けぬけ、途中の階段を降りて、一階階段わきにあるレストラン「オアシス」まえ付近にいたったところ、そこに待機していた警官隊に行く手をはばまれ、しばらくこれと相対じして小ぜりあいをくり返すなどしたが、結局、規制され、それ以上の行動に出ることができなかった。

(四)  右のようなロビー内外での集団行動については、東京都公安委員会に許可の申請はなされておらず、したがって同委員会の許可もなかった。

三、このように、当日空港ロビーに集まって来た多数の者は、首相の訪米を阻止しようという呼びかけに応じて参集した人たちであって、訪米反対の意思をなんらかの形で表明する目的をもっていたことは明らかであり、これらの人びとをその場に一団として集合させたうえ、その集団に向かって演説をしたり、また、シュプレヒコールの音どをとったり、あるいはまた、行動開始を宣言して行進に移らせたりすることについて、被告人両名が積極的に行動したことは前記のとおりであるが、当日の集団行動の実体を、その意図・目的ないしはその態様・規模・状態などに照らして、さらに詳しく検討してみることにする。

(1)  両団体の関係者は、その日、昼ごろから、三々五々、空港ビルに集まって来て、かなりの数になったが、他の多くの一般乗客と入り混じった状態であったので、被告人坂田としては、参集者を一団としてロビー内の一か所にまとめる必要を感じて、まず、参集した人たちに対して自分の近くに集まるよう呼びかけ、同被告人を中心にしてその周囲に集合させたわけである。したがって、ロビー内における参集者の集合とそれに続く演説、シュプレヒコールなどの一連の行動は、参集した者たちお互いどうしの間で、その集団の一員であることを確認しあい、共通の気持ちや意思を相互間で鼓舞・激励しあうことにその主たる目的と意義があったものと考えなければならない。もとより、公共の場所でのこのような行動が、その性質上、付随的に、集団の構成員以外の他の一般乗客などに対して、集団示威的な作用を営むことは当然考えられるところであり、被告人らもそのことは認識していたものと思われるのであるが、当日の集団行動は、少なくともロビー内での動きに関するかぎり、集団以外の他の一般乗客などを主たる対象とし、それに対する示威を主要な目的として行なわれたものとは、その具体的情況からしても、認めにくいところである。また、被告人坂田が、その前日清水谷公園で開かれた、同じような団体による佐藤訪米反対の集会やそれに引き続くデモ行進については、正規の手続きにより公安委員会の許可を受けて実行しているにもかかわらず、本件ロビー内の行動については、許可申請につき全く無関心とも思われる態度であったこと、集会の終わりごろ、参集者一同に対して「これから行動を開始する。」と宣言して集団の移動を開始させたことなどからみても、同被告人としては、一般公衆に対する首相訪米反対のデモ行為は一応前日をもって終了し、当日は首相やその一行に対する直接的な訴えに重点をおいた集団行動を考えて、そのため、まず人びとをロビー内の一か所に集合させたものと認めるのが相当であると思われる。そして、このロビー内における集会が、ことがらの性質上、たまたまそこにいあわせた一般公衆に対して若干集団示威的な性格を帯びた集団行動としての意味も兼ね備えることになったとしても、本件では、被告人らが特にそのことを意図し、それを目的としてロビー内でその行動に出たと認めるにたる証拠はないのである。

(もとより、本件のロビー内での行動に続く次の段階の集団行動としては、首相やその一行、ばあいによっては、他の一般公衆に対する集団示威運動が予定されていたものと推認しなければならない。そして、そのような行動を公安委員会の許可なくして行なうことが許されないことはいうまでもないが、本件では、そのような行動に出るまえに、警察官によって制止され、未発に終わったのであって、このことは、前記認定のとおりであり、それらの点については、さらに若干、あとで補足して説明する。)

(2)  空港ロビー内での日中正統や国貿促関係者の集団行動の態様・規模・状態など、外形的な面から観察しても、三、四名の者が演説をしたり、あるいはシュプレヒコールをくり返している段階では、それが、空港ビル側の業務の遂行にとってある程度じゃまになったとしても、まだ、ひどくけん騒をきわめたり、いちじるくし常軌を逸したりするような状態にはいたっておらず、空港の出発ロビーという場所がらからして、一応、それほど極端に非常識だともいえない程度のやりかたとそうぞうしさで、事態は進行・推移して行ったのであって、このことは、現場近くで警戒にあたっていた警察官が、特に警告を発したり、行為を制止したりなどしていない事実からもうかがえるところである。また、参集者のなかに、旗・プラカード・のぼり・マイクなどを持参したり、腕章・たすきなどをつけたりしている者がほとんど見あたらなかったこと、ロビーにおける集団行動そのものはわずか二〇分間あまりの短時間で終わり、集団はあっという間にロビーから出て行ってしまったこと、ロビー内にいた集団以外の一〇〇名くらいの一般公衆を特に対象にして、集団の思想内容や政治的主張を訴えるような言動や情況はなにもなかったことなどを考えると、空港ロビー内でのこの集団行動は、空港ビル側の業務の遂行にひどく迷惑をかけるようなものに発展していたわけでもなく、また、集団以外の一般公衆に対して集団としての意思表示をすることを直接の目的とした示威的行動としての色彩も、この段階ではまだ、きわめて薄いものであったといわなければならないのである。

(3)  この集団が、被告人坂田の行動開始の宣言に呼応して、いわゆる行進を始めた際にも、先頭付近を除いては、必ずしも整然とした隊列が組まれていたとは認めがたいし、行進に要した時間は全部で、せいぜい一分くらいのものであり、走った速度は、あとから追いかけた警察官が集団の姿を一たん見失うほど速く、走った場所は、大半が職員専用の狭い通路で、そこでは示威の目的は全く達せられないようなところであったことなどに徴すると、その間の行進は、その情況上、要するに、単なる急速な場所的移動としての性格が濃い行動であったといわなければならない。

(4)  以上に述べたように、当日の集団行動については、少なくともそれまでの段階では、いかなる観点から見ても、集団示威運動としての特徴がそれほど顕著だとはいえないのである。では一体、この集団行動に続く次の段階としては、どのような行動が予定されていたのであろうか。集団がロビーを出たのち、それが向かった方向や時間から考え、それは、首相が空港に到着する時刻をねらい、その通る道筋へおもむいたうえ、集団で首相の自動車を取り囲むなどしてその運行を妨げ、あるいは、滑走路などになだれこんで飛行機の発進に支障を生じさせるなど、集団の実力による首相一行の出発阻止を意図していたのではなかろうかという疑いがないわけではないが、当日の羽田空港内外における警察側の厳重な警戒態勢からみて、このような実力阻止の行動をとることは、まず、不可能に近かったと思われるのであって、この点からすると、被告人らを含む一団の人びとは、言葉のうえでは首相の訪米阻止ということを表明していたにしても、文字どおりに、物理的な実力で首相の出発を阻止するという具体的意図をもって行動したわけではなく、むしろ、首相の一行にもっと近い場所に移動し、認識の射程距離内で、首相やその一行に対し、直接、訪米反対の気勢をあげ、抗議の意思を伝える程度の集団示威運動を企てていたにすぎなかったとも思われるのである。そして、実際には、そのことすらも、警戒態勢をとっていた警察官にはばまれたため、果たせなかったことは前示のとおりである。これを要するに、空港ビル内での集団の動きは、あとに予定された別の場所での集団示威運動に突き進む手まえの予備的段階における勢ぞろい的な行動にすぎなかったといわなければならない。

四、ところで、日中正統ならびに国貿促の関係者が、当日、行なおうとしていた集団行動は、未発の段階で阻止されたとはいえ、条例のうえでは、ともかく主催者側から公安委員会に許可の申請をしなければならない筋合いのものであり、また、空港ロビー内での行動にしても、予備的とはいえ、それ自体、ある程度の示威的要素を具備しており、また、事実、周囲の人びとに対して若干の示威的効果をあげたであろうことも否定できないところであると思われる。しかしながら、それだからといって、東京都条例がその指導者などを体刑を含む重い刑罰で処罰することによって禁圧しようとしている無許可の集団示威運動のなかに、本件のような予備的な行動までも含ましめ、罰則を適用することについては、大きな疑問があるといわなければならない。そもそも、貴重な表現の自由を犠牲にしてまで、刑罰をもって集団示威運動を取り締まらなければならないおもな理由の一つは、それが「暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」からである。言いかえれば、それは、その集団に属している者だけにとどまらず、その周囲の者までが、示威運動に伴う刺激・興奮のため容易に暴徒化するおそれがある、ということであろう。本件のように、示威的色彩がまだ比較的希薄な予備的段階における集団の行為については、その危険は、それだけ少ないわけである。また、本件のばあい、その集団の行動が勢いのおもむくところ、暴力的な行動にまで発展する具体的な危険性を帯有したものであったとは、証拠上、断定しがたいところである。そしてまた、その集団の行動が空港ビル側や一般公衆などに対し、許される限度をこえて、不当な妨害や迷惑を与えたと認むべき証拠も不十分である。したがって、当日のロビー内における集団の行動は、それ自体としては、まだ、都条例が刑罰による規制の対象として予想している集団示威運動の定型行為に合致した行動にまで進展していなかったとみるほかはないのである。とすれば、被告人両名が、前示認定のように、空港ロビー内に参集した多数の者に対し、これを指揮・誘導するような行動に出たとしても、その行為をとらえて被告人らの刑責を問うことはできないわけである。このように、本件では、空港ロビー内の集団行動を集団示威運動として評価させるにたる明確な証拠が十分でないといわざるをえないのであるから、結局、被告人両名については、犯罪の証明がないことに帰着し、刑事訴訟法三三六条により無罪の言い渡しをする。

(裁判長裁判官 小松正富 裁判官 本郷元 裁判官 中川武隆)

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