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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)136号 判決 1974年11月07日

原告 伊藤兼平

被告 本所税務署長

代理人 押切瞳 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告が原告に対し昭和四一年九月一七日付をもつてした昭和四〇年分の所得税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張(省略)

第三証拠(省略)

理由

一  請求原因1ないし5の事実並びに原告が昭和四〇年当時東京都墨田区内において既製服、オーバー類の縫製業を営んでいたいわゆる白色申告者であることは当事者間に争いがない。

二  原告は、被告がした本件調査及び更正処分は原告の民商活動を嫌悪しこれを破壊する目的をもつてなされたものであると主張し、原告が墨田民商の会員であることについては、被告もこれを明らかに争わないのでこれを自白したものとみなされる。

一般に、居住者は課税期間中の所得が法定の課税最低限をこえることによりその年分の所得税を納付する義務が生ずる(所得税法二条一項三号、五条)のであつて、この点では原告ら民商の会員といえどもなんら差異はないはずであるから、本件のごとく課税処分における税額の多寡が争われている場合は、課税処分の違法性の有無は右処分において認定された課税標準または税額が客観的に正当とされる数額をこえているか否かによつてのみ決せられるべきものであり、同処分が原告主張の意図によるものであるというようないわゆる他事考慮に基づくか否かは本来右処分の違法性とは無関係な事柄というべきである(なお、(証拠省略)によれば、同人らが本所税務署職員として本件調査に従事した際は、原告が墨田民商の会員であることを別段意識してその調査を行なつたものではないことが認められ、(証拠省略)中、本件更正処分が墨田民商の建直しに努力した原告に対する報復として、延いては同民商組織に打撃を与える手段として課税されたものである旨の供述並びに原告本人尋問の結果中被告係官高橋勝芳が調査の際「伊藤さん民商に入つているんですか」と原告に尋ねた旨の供述は、前示各証言に照らしてにわかに信用できないし、他に原告の右主張を肯認せしめるに足りる証拠もない。)。

三  原告は、本件調査は確定申告書提出以前に行なわれたいわゆる事前調査であるから違法であると主張する。

原告が本件係争年分の所得税確定申告書を提出したのは昭四一年三月三日であるところ、被告係官伊藤士郎がその以前である同年二月八日原告宅を訪れ、帳簿その他の資料提出を求め、昭和四〇年分の収入金額を尋ねるなどの調査をしたことは当事者間に争いがない。そして、(証拠省略)に弁論の全趣旨を総合すると、右調査は主として白色申告者を対象に帳簿類の備付状況などを調査し、兼ねてその整備や申告方法等につき指導を行なういわゆる実態調査に属するものであつたこと、右係官はその数日後原告宅に二、三回電話をかけて収支関係書類を提出するよう督促し(いずれの場合も原告は不在で妻が電話にでた。)、さらに原告の取引先である株式会社ムサシに照会して収入金額を確認したこと、その時期は必ずしも判然としないけれども、上司に対する推計報告書を提出したのが同年二月末頃であることが認められるから、少なくとも同月二〇日頃には伊藤係官は株式会社ムサシに対する反面調査を遂げ、原告の昭和四〇年分の収入金額を把握しえたものと推認されること、以上の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

右認定事実に照らすと、前記調査が確定申告書提出前に行なわれたいわゆる事前調査に当ることは明らかである。

ところで、税務職員は一般的に所得税法二三四条に規定する質問検査権を有しており、同法条によれば質問検査権は「所得税に関する調査について必要があるとき」に行使しうるものと規定され、その範囲、程度、時期、場所等については実定法上なんらの制限も設けられていないのであるから、それは適正な課税標準ないし税額の確定をするため合理的必要性の認められるかぎり、広くその行使が許されるものと解すべきである。したがつて、課税暦年の終了以前または決定の申告期間経過以前における質問検査権の行使、すなわち事前調査が法律上許されないとされる根拠はない。実際にも、例えば納税者の帳簿書類の作成、保存が期待できないため申告期限後ではその所得の把握が困難となる場合、あるいは季節的営業とか現金取引を主とする営業において、その取引当時の現況を調査しておかないとその営業の実体や帳簿書類の正確性を把握しえない場合もあり、申告前の質問検査権の行使(事前調査)が必要とされる場合もありうるから、これを一概に禁止することは前記法の趣旨にも反する結果となるのである。

他方、原告は右法条において質問検査権の行使の対象となる者を「納税義務がある者」、「納税義務があると認められる者」と定めていることを根拠に申告期限前の質問検査権の行使は許されないと主張するけれども、右に「納税義務がある者」とは、現に納税義務を負担しながら未納付の者または既に課税期間内の所得が同法の課税最低限をこえることによりその年分の所得税の納付義務を将来負担するにいたるべき者をさし、また、「納税義務があると認められる者」とは右の意味における納税義務がある者と合理的に推認されるような者を指称するものと解されるから、この文言の故に原告主張のように解するのは相当ではない。

以上のとおり原告の前記主張は失当というべきである。

四  そこで、本件更正処分の適否について判断する。

1  推計課税によつたことについて

本件係争年当時、原告が墨田区内で既製服、オーバー類の縫製業を営む白色申告者であつたことは前記認定のとおりであり、その工賃収入はすべて株式会社ムサシとの取引によるものであつて、昭和四〇年分の収入金額が一、五一二、一九〇円であつたこと、同年分の一般経費及び外注工賃の算出につき被告はその主張のいわゆる同業者率によりこれを推計したことは当事者間に争いがない。

ところで、更正処分は実額課税を原則とし、推計課税は帳簿類の備付けがないかあるいは納税者の非協力等のため所得の実額を把握しえない例外的場合にかぎり許されるものであることは、原告指摘のとおりであるが、本件において推計により更正処分がなされた経緯は以下のとおりである。すなわち、被告係官が昭和二一年二月八日原告宅に臨店し、同人に対し昭和四〇年分の所得に関し帳簿その他の証拠資料の提出を求めたところ、原告は帳簿類を備え付けておらず、ただ電気料、水道料等の領収証類を提出しただけであることは当事者間に争いがなく、右日時の調査は本所税務署係官伊藤士郎が行なつたものであつて、白色申告者を対象に行なわれるいわゆる実態調査(帳簿類備付けの状況調査と申告指導を兼ねて行なうもの)と呼ばれるものであつたことは前記認定のとおりである。

そして、(証拠省略)を総合すると、次の事実が認められる。

前記係官伊藤士郎は、前記調査当日原告宅に午前一〇時頃行つたが、来客中のためあらためて午後に出直す旨を告げて辞去し、午後一時頃再び原告宅を訪ねた。原告は、右調査に対し帳簿類はつけていないが領収証類は保存している旨述べて、電気料、水道料等の領収証三、四〇枚とその他の伝票類が雑然と入れてあるワイシヤツ箱一箇を提示し、唯一の発注先が株式会社ムサシであること、家賃支払が月額八、〇〇〇円であること並びに息子が専従者であることなどを答えた。しかし、伊藤係官は右のみではまだ収支計算を行なうことは不可能であると思料し、原告に対し右書類を整理して近日中に来署するように頼んで別れた。その数日後、同係官より原告宅に二、三回電話をかけたところ、いずれも原告は不在で、その妻が応待に出たので、早く前記書類を整理して持参するよう督促したが、原告はこれに応じなかつた。伊藤係官は、前記認定のごとく同月二〇日頃には株社会社ムサシへの照会によつて原告の昭和四〇年の収入金額を把握することはできたが、原告に対し同年三月七日、同一三日と再度にわたり納税相談日にも当つているから来署するようにと通知したけれども、同人はついに出頭しなかつた。

次に、前記係官高橋勝芳は、上司の命により同年八月二三日午後一時頃本件係争年分の所得調査のため原告宅に臨店し、玄関先で来意を告げ、収支計算を明らかにする帳簿その他の証拠書類の提示を求めたところ、原告は三時頃出かけるので忙しいと述べるので相手にならなかつた。そこで、高橋係官は、二、三日中に収支計算書類を送付するか、原告の都合のよい日を連絡するように頼んで別れたが、原告からはその後なんらの反応もなかつた。

右のとおり、被告は、原告が昭和四〇年分の所得につき収支計算を明らかにしうる帳簿その他の証拠資料も備えず、かつ、被告の調査に対しても若干の領収証類を提示したのみであり、これでは同年分の収支計算を行なうことは不可能と認められたにもかかわらずこれ以上原告の協力を得られないため、一般経費及び外注工賃につき被告主張のようないわゆる同業者比率を適用して原告の所得を推計したうえ、本件更正処分を行なつた。そして、これに対する審査請求の段階においても、当局係官よりの催促にもかかわらず原告はなんら証拠書類その他の資料を提出しなかつた。

原告本人尋問の結果中以上の認定に反する部分は前示各証拠に照らして信用できないし、他に同認定に反する証拠もない。

前記認定事実によると、原告が本件係争年分の所得に関し帳簿類を備え付けず、かつ、被告の調査にも非協力であつたためその収支計算を明らかにすることが不可能であつたものと認められるから、被告が推計により本件更正処分を行なつたこと自体是認されるのであつて、この点に違法はない。

2  推計方法の合理性について

(証拠省略)を総合すると、木村英一は同人が東京国税局直税部訟務官室に勤務中、本件の資料として、原告と立地条件並びに営業規模等の類似する同業者を抽出するため、原告住所地(当時)を管轄する本所税務署及びこれと隣接する向島、葛飾、足立の各税務署において保管する管内業者の索引簿より、原告と同じ既製服、オーバー類の縫製業を営む個人のうち昭和四〇年分収入金額が一〇〇万円から二三〇万円の範囲内の青色申告者を抽出したこと、その結果、被告主張のAないしGの七名が抽出され、その各昭和四〇年分所得税青色申告決算書の記載を基にして、収入金額、一般経費並びに外注費(その主なものは穴かがりとプレス加工の代金である。)の各金額とそれぞれの収入金額に対する比率を算出すると別紙記載のとおりであること、これによると右同業者の平均経費率(一般経費の収入金額に対する割合)は一七・九パーセント、外注費率(外注費の収入金額に対する割合)は一八・五パーセントであることが認められる。

ところで、一般的には、同業者比率による推計の合理性は、そこで用いられる比率の基礎となつた同業者の選択が合理的になされていることが不可欠の前提であつて、そのためには抽出された同業者の立地条件や営業規模など所得に影響を及ぼす諸条件が原告のそれと可及的に近似することが必要であるところ、前記認定事実によると、AないしGの同業者七名は、いずれも原告に比較的近隣の者であり、原告同様既製服、オーバー類の縫製業者である個人であつて、いずれも青色申告者であること、その必要経費及び外注費の内容、金額とも原告に類似するものと認められ、ことに青色申告者は帳簿等の備付義務などが課せられ、そのような義務のない白色申告者よりもその収支計算関係は精確さにおいてより信頼に値いするのが一般的である(証人木村英一の証言)ことが認められ、(証拠省略)によると、原告は生地、ボタン等の主材料は取引先より供給され、原告の負担するものは針、糸、糊等金額的には些少なものにすぎないことが認められるから、原告の本件所得を算出するにつき右同業者の平均率を推計の基礎資料としたことは相当であつて、かかる推計方法には合理性があるものというべきである(もつとも、右七名の個別的な経費率や外注費率相互の間には若干数値の差異が認められること原告指摘のとおりであるが、この程度の差異はその平均率を基礎として行なつた本件推計を不合理とするほどではない。)。

なお、原告本人尋問の結果によると、原告は自己の受注分の約四割を西沢という者に一括下請けに出し、その下請けに出した分に対する収入の九〇パーセントを当該外注費として支払つていたほか、穴かがり、ボタン付け、袖まつり、プレス加工等についても部分下請けに出し、その下請けに出した分に対する収入の二〇パーセントを当該外注費として支払つていた旨の供述があるが、右本人尋問の全結果に弁論の全趣旨を総合すると、右西沢の実在性自体にも多分に疑問があり、また部分下請けに関してもなんらこれを裏付ける資料もなく、全く信用性に乏しいものと認められるから、右供述をもつて本件推計の合理性に消長をきたすものとすることはできない。

3  同業者の住所、氏名を秘匿した資料によることについて

被告が同業者の住所、氏名を秘匿し、ABCDEFGの符号で表示した者の作成にかかる資料(証拠省略)に基づき同業者比率を算出し、本件推計を行なつたことは当事者間に争いがない。

これにつき、原告は同業者比率の基礎とされた同業者の住所氏名を秘匿し、単にABC等で表示するときは、納税者たる原告側で有効適切な反対尋問権を行使することができず、納税者がその主張する所得額につき挙証責任を負うという不当な結果になると主張する。なるほど、同業者の氏名をABC等で表わし、その住所、氏名が明らかにされない場合は、そのために原告の立証技術上若干の不便を伴うであろうことは容易に推認できるが、元来納税者は自らの所得に関し、最もよく知るものであるから、立証技術の工夫によつて他に反証を挙げることもさして困難なことではないものと思料される。

他方、被告主張のごとく税務署職員等は国家公務員法、所得税法等により自己が職務上知りえた秘密を洩してはならない法律上の義務を負つており、本件では前記認定のごとく推計資料として同業者の青色申告決算書を使用しているから、その住所、氏名を明らかにするときは、同人の申告内容が一目瞭然となるので、かように申告書と名義人の結び付きのことはまさに右にいう職務上知りえた秘密に該当するものと認められるから、これはその申告者の承諾でもあれば格別、そうではないかぎり保持されなければならない。また、実質的にみても前記同業者はいずれも青色申告者であつて、その秘密が税務署の調査に非協力のため推計課税を受けた他人(原告)の納税訴訟上の便宜のため犠牲に供さなければならない理由もないのである。

してみれば、原告の右主張は採用できないというべきである。

4  本件係争年分の所得額について

本件係争年分の収入金額が一、五一二、一九〇円であること、これより控除されるべき支払家賃額が七六、八〇〇円、専従者控除額が一一二、五〇〇円であることについては、いずれも当事者間に争いがない。

そして、前記認定のごとく、本件では一般経費額と外注費額の実額が把握できないため同業者比率による推計によるほかはないところ、同業者の平均経費率は一七・九パーセント、同じく外注費率は一八・五パーセントであるから、これを右収入金額にそれぞれ乗ずると、

一般経費額(1,512,190×17.9/100) 二七〇、六八二円

外注費額 (1,512,190×18.5/100) 二七九、七五五円

となる。

したがつて、右収入金額一、五一二、一九〇円より一般経費額二七〇、六八二円、外注費額二七九、七五五円及び支払家賃額七六、八〇〇円をそれぞれ控除すると差引所得金額は八八四、九五二円となり、さらにこれより専従者控除額一一二、五〇〇円を差引くと本件所得額は七七二、四五三円となる。

5  以上のとおり、本件更正処分についてはその推計について原告主張の違法はなく、また、所得額の認定についても本件更正処分におけるそれは七七一、四〇七円であつて、当裁判所の前記認定額七七二、四五三円の範囲内であること明らかであるから、本件更正処分は適法である。

五  そこで、本件賦課決定処分の適否について案ずるに、被告が本件更正処分に当たり、適法に認定した本件係争年分の総所得金額は、七七一、四〇七円であること前記認定のとおりであるところ、原告が確定申告した同年分の所得金額が二四七、五〇〇円であることは当事者間に争いがなく、これが過少申告に当ることは明らかである。したがつて、これを理由としてなされた本件賦課決定処分は適法というべきである。

六  叙上の次第で、被告のなした本件更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分には原告主張の違法はなく、これが取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 牧山市治 横山匡輝)

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