東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)145号 判決 1974年9月25日
原告 大田正夫
被告 荒川税務署長
訴訟代理人 武田正彦 外四名
主文
被告が、昭和四一年二月一〇日付で、原告の昭和三七年分及び同三九年分の所得税についてした更正及び過少申告加算税の賦課決定、同三八年分所得税についてした更正のうち所得税額三六〇円をこえる部分及び過少申告加算税の賦課決定、同四一年五月一〇日付で原告の同四〇年分所得税についてした更正及び過少申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判<省略>
第二原告の請求原因<省略>
第三請求の原因に対する被告の認否及び主張
一 請求の原因に対する認否<省略>
二 被告の主張
1 被告が調査に基づいて本件各更正を行つたことは、後記4の(一)記載のとおりである。
2 被告が原告を調査対象として選定したのは、原告の昭和三七年から同三九年までの各年分の確定申告書に記載された各所得金額が、他の同規模同業者の所得金額に比して著しく過少であると認められたこと、右各確定申告書の所得金額の内訳欄には、昭和三八年分を除き、いずれも所得金額と専従者控除額が記載されていたのみで、収入金額、必要経費の記載がなかつたこと、原告に対しては相当長期間調査を行つていなかつたことから右各申告の適否を判断する必要があつたためであつて、右調査は原告が荒川民主商工会の会員であることとは全く関係がなく、まして荒川民主商工会の組織破壊を企図したものでないことは明らかである。また、税務署員は、質問検査権の行使にあたつて、納税者に対し調査の具体的理由を開示する法的義務を負うものではない。
3 所得税法は、青色申告の更正の場合を除き、課税庁が更正を行うに際し理由の附記を要する旨の規定を設けていないから、本件各更正に理由が附されていないからといつて、本件処分が違法となるものではない。
4 課税の根拠
原告の昭和三七年から同四〇年までの各年分の総所得金額は、それぞれ七四万二四四〇円、八六万一八九〇円、八六万七九四〇円、八七万〇四四〇円であるから、いずれもその範囲内でされた被告の本件各更正に違法はない。
(一) 被告は、原告の食料品店経営による昭和三七年から同三九年までの各年分の事業所得につき、昭和四〇年一二月一四日以降数回にわたり原告宅に係官を派遣して調査したところ、右各年分の帳簿書類は全く保存されておらず、昭和四〇年分について売上帳、仕入伝票及び経費関係の領収書が呈示されたにすぎなかつた。そこで右帳簿書類の記帳内容の信憑性ないし保存状況等について検討を行つたところ、右帳簿等の正確性を裏付ける現金出納帳の備付けはなく、売上帳にあつては、これを裏付ける売上伝票等の原始記録の保存がなく、右は日計式に記帳されているが毎日継続して記帳したものでなく、一見して一括して記帳したものと認められ、また原告の長男太田芳昭が引売りをしているにもかかわらず、その分の売上げが同帳簿から脱漏していると認められる等信憑性がないと考えられた。仕入伝票にあつては、被告係官の取引先四店に対する反面調査の結果からみて、取引の全部について完全に保存されているとはとうてい認められず、経費関係についても当然存在しなければならない原始記録の保存がされていなかつたことから、原告の昭和四〇年所得金額についても、これを右帳簿書類に基づき実額によつて計算することは不可能であつた。そこで、被告はやむなく、原告の本件係争各年分の所得金額を次のとおりいずれも推計により算定せざるを得なかつた。
(二) 本件調査によつて被告が得ることのできた資料のうち確実と認められたのは、原告の事業従事員数のみであつた。そこで、被告はやむなく、次に説明するとおり、原告と同規模の同業者を選定し、その従事員一人当たりの売上金額を算出したうえ、これに原告の従事員数を乗じて原告の売上金額を算出し、更に右売上金額を基礎とし、同業者比率等を使用して原告の各年分所得金額を算定したものである。
なお、本件において被告が係争各年ごとに比準者として選定した同業者は、被告管内において、昭和三七年一月}日から同四〇年一二月三一日現在まで継続して食料品の小売を専業としている青色申告者のうちから、右期間中個人から法人組織に変更した者、換算従事員数が二入未満五入以上の事業規模の者及び売上金額が一二〇〇万円をこえる者を除いた八業者である。
(1) 売上金額
係争各年ごとに、前記同業者の青色申告決算書(修正申告、更正決定したものは、修正決算書、更正等決算書)に基づき、各業者の売上金額の合計額を、各業者の従事員数合計で除して、従事員一人当たりの売上金額(一〇〇円未満切捨)を算出し、当該金額に原告の従事員数二・五人(原告本人、長男芳昭各一人、妻〇・五人)を乗じて算出したものであり、右各数値を各年ごとに示せば次表のとおりである。
各事業者の売上
金額合計(円)
従業員数合計
従業員一人当たりの
売上金額(円)
原告の売上金額(円)
昭和三七年
五〇一九万二二七二
二〇・八
二四一万三〇〇〇
六〇三万二五〇〇
同 三八年
五五三〇万八〇六三
二〇・四
二七一万一〇〇〇
六七七万七五〇〇
同 三九年
五六〇四万二一七九
二〇・五
二七三万三〇〇〇
六八三万二五〇〇
同 四〇年
六〇〇三万〇五六八
二〇・五
二九二万八〇〇〇
七三二万
(2) 仕入金額(売上原価)
前記同業者の各年ごとの売上金額の合計額に対する売上原価の合計額の比率を算出し、これをそれぞれ原告の前記各年分の売上金額に乗じて原告の各年分の売上原価を算出したものであり(一〇〇円未満切捨)、右各数値を各年ごとに示せば次表のとおりである。
<1>各業者の売
上金額合計
<2>各業者の売
上原価合計額(円)
<2>/<1>
原告の売上原価(円)
昭和三七年
(1)の表のとおり
四〇七二万五二〇一
〇・八一一四
四八九万四七〇〇
同 三八年
〃
四四五一万八一七七
〇・八〇五〇
五四五万五八〇〇
同 三九年
〃
四四八一万八三五一
〇・七九九八
五四六万四六〇〇
同 四〇年
〃
四八四七万八二六三
〇・八〇七六
五九一万一六〇〇
(3) 一般経費
前記同業者の各年ごとの売上金額の合計額の合計額に対する差益金額の合計額の比率(以下平均差益率という、)及び右売上金額の合計額に対する差引所得金額の合計額の比率(以下平均所得率という。)を算出し、前者から後者を控除した比率をそれぞれ原告の前記各年分の売上金額に乗じて算出したもので(一〇〇円未満切捨)、右各数値を各年ごとに示せば次表のとおりである。
<1>各業者の差益
金額の合計額(円)
<2>平均差益率
<3>各業者の差引所
得金額の合計額(円)
<4>平均所得率
<2>-<4>
原告の一般経費
(円)
昭和三七年
九四六万七〇七一
〇・一八八六
六八九万一三五九
〇・一三七二
〇・〇五一四
三一万
同 三八年
一〇七八万九八八六
〇・一九五〇
七七六万一七二九
〇・一四〇三
〇・〇五四七
三七万〇七〇〇
同 三九年
一一二二万三八二八
〇・二〇〇二
七九五万三八二〇
〇・一四一九
〇・〇五八三
三九万八三〇〇
同 四〇年
一一五五万二三〇五
〇・一九二四
八一七万八七五八
〇・一三六二
〇・〇五六二
四一万一三〇〇
(4) 家賃 一万五三六〇円(各年共通)
家賃については、家屋延面積一五・五坪に対する店舗占有面積五坪の割合を算出し、これを年間賃借料(各年共通)四万八〇〇〇円に乗じて算出すると一万五三六〇円となる。
(5) 専従者控除
本件係争各年分の専従者控除額は次のとおりである。
昭和三七年 七万円
同 三八年 七万三七五〇円
同 三九年 八万六三〇〇円
同 四〇年 一一万二五〇〇円
(6) 差引事業所得金額
以上によれば、原告の本件係争各年分の事業所得金額は次のとおりである。
昭和三七年 七四万二四四〇円
同 三八年 八六万一八九〇円
同 三九年 八六万七九四〇円
同 四〇年 八七万〇四四〇円
第四被告の課税根拠の主張に対する原告の認否及び反論
一 被告の主張に対する認否
被告主張第三4の(一)の事実のうち、被告係官が原告方に臨店したこと、昭和三七年から同三九年までの帳簿書類が存在しなかつたこと、原告が同四〇年分の売上帳、仕入伝票、経費関係の領収書を同係官に呈示したことは認めるが、その余の事実は争う。
被告主張4の(二)の事実のうち(5) の金額は認めるが、その余は争う。
二 被告の主張に対する原告の反論
1 原告の売上帳は日計式で記帳されているが、原告のように附近の住民のみを顧客とする零細な食品小売業者の場合、売上帳の他に売上伝票等の原始記録は存在しないのが通常であつてなんら怪しむべき点はなく、仕入伝票は完全に保存されているのであつて、少くとも昭和四〇年分所得金額はこれを実額によつて計算できたのに、被告がこれらの帳簿等を無視して推計課税を行つたのは違法である。
2 被告主張の推計方法は、次の点で合理性を欠くものである。
(一) 原告のような零細な食品小売業者の場合、被告主張の従事員数による推計方式は合理的でない。
(二) 被告は、その選定した同業者の実態を明らかにしていないから、これを原告と同規模の同業者と認定した根拠が明らかでなく、したがつて被告主張の推計方法も合理性がない。
(三) 原告の店舗面積は五坪にも足りず、また汐入地区と呼ばれる交通不便な地域にあつて商店街にも位置していない。このように原告の店舗の状況及び立地条件は劣悪であつて、他の同業者とはとうてい比較できない特殊事情がある。
(四) 原告方の従事員数は、原告と原告の長男の二人だけであり、原告の妻は従事していないのであつて、従事員数を二・五人として推計することは合理的でない。
3 原告の本件各年分の確定申告は、いずれも当該年分の売上張、仕入伝票その他経費関係の資料に基づき実額計算をして行つたものであつて正当である。
第五証拠関係<省略>
理由
一 請求原因一の事実(本件処分の経費等)は、当事者間に争いがない。
二 原告は、本件各更正のうち、各年の総所得金額が原告の確定申告に係る金額をこえる部分は、被告の過大認定であつて違法である旨主張するので、まずこの点について判断する。
1 <証拠省略>によると、次の事実を認めることができる。
被告係官蔵谷昭造は、原告の昭和三七年から同三九年までの各年分事業所得金額を調査するため、昭和四〇年一二月以降数回にわたり原告方に臨店したところ、右各年分の帳簿書類等は存在しなかつたこと、ただ昭和四〇年分の売上帳、仕入伝票、経費関係の領収書が存在し、その呈示を受けたこと(以上の事実は当事者間に争いがない。)、その後異議申立、審査請求の各審理過程においても右以外の帳簿書類の呈示はなかつたこと、もつとも審査請求の審理の段階において、原告のメモ<証拠省略>に基づいて作成されたとする昭和三七年から同三九年までの各年分につき売上金額等を記載した一覧表<証拠省略>が提出されたが、これを裏付ける帳簿書類等は何等提出されていないこと、右帳簿等のうち、売上帳については、その正確性を裏付ける原始記録ないし現金出納帳の備付けはなく、右は日計式に記帳されているが、その記載態様からみて毎日継続して記帳したものでなく、一括して記帳した形跡があり、また売上金額につき一〇〇円以下の端数の記載がないほか、異議申立の審理の際には、原告は原告の長男太田芳昭が引売りをしている事実を否定していたのに、審査の段階においては右引売りの事実を肯認したこと。
<証拠省略>のうら、右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定の事実によると、本件の場合、昭和三七年から同三九年までの各年分については、収支計算に必要な帳簿書類等の備付けが全くないのであるから、原告の所得金額を実額により算定することが不可能であつたことはもちろんであるのみならず、同四〇年分に関しても、少なくとも売上金額は、前記売上帳の記載を裏付ける現金出納帳等の帳簿がなく、また売上帳自体も必ずしも正確に記帳されているとは認め難いから、実額により算定することは不可能であつたといわなければならない。したがつて、被告が本件係争各年につき原告の各所得金額を推計により算定したこと自体には、何等違法はないといわなければならない。
2 しかし、推計課税が避けられないとしても、その推計課税が適法であるというためには、更に、採用された推計方法が、当該事案との関係で合理的なものでなければならないことはいうまでもなく、また、推計方法が合理的であるためには、当該事案において採用された推計方式自体が合理的であることと、推計の基礎資料の選択が合理的であることが必要であるといわなければならない。そこで本件において採用された推計方式の合理性の有無について検討を加えることとする。
(一) 昭和四〇年分所得金額の算定について
被告は、調査の結果得ることのできた資料のうち確実なものは原告方の事業従事員数のみであつたので、やむなく、原告と同規模の同業者を選定し、その従事員一人当たりの売上金額に原告の従事員数を乗じて原告の売上金額を算定するとともに、これを基礎に、更に同業者比率等を用いて原告の所得金額を算定したと主張する。
しかし、<証拠省略>によれば、原告方は、店舗面積がわずか五坪足らずで、住宅地域に位置して附近の主婦を顧客とし、実族のみが事業に従事する零細な食品小売業者であることが認められる。このような食品小売業者の場合、顧客層及び購買需要はおのずから限定され、従事員を増加したとしても、それに相応して新顧客層又は新需要が開拓されるわけではなく、とくに、家族従事員のみによる営業にあつては、従事員一人当たりの販売効率がかなり不均衝であるうえ、従事員の増加があつたとしても、それが業務量の増大を示す徴憑であるとは限らないことに経験則上明らかであるから、その売上金額が従事員数に比例して増減するものとは必ずしもいえない。したがつて、被告の主張する従事員数を基準として売上金額を推計する方式は、本件のような事例においては、必ずしも合理的なものとはいい難い。
被告は、調査の結果得ることのできた資料のうち、確実なものは原告の事業従事員数のみであつたと主張するけれども、果たしてそれのみが確実な資料であつたかどうかは疑問なしとしない。被告の係官であつた証人蔵谷昭造は、原告より昭和四〇年分の仕入伝票を預り仕入先を調査し、判明した仕入先五十数軒のうち、特に取引高の多い株式会社カネシン他三店に対し電話で照会した結果、原告との取引の状況からみて原告の仕入伝票の保管枚数が少ないことが判明した旨供述しているから、被告は、右蔵谷の調査結果に基づき仕入金額を実額で把握することは困難と判断し、売上金額については前認定のように、これを実額により算定することは困難であつたから、結局原告の事業従事員数のみが確実な資料であるとの判断に到達したものと推認することができる。
しかしながら、右程度の調査で仕入金額の実額の把握ができないと断定することは、いささか早計のそしりを免れないといわなければならない。すなわち、被告は、原告の仕入先を把握しているのであるから、仕入先について十分な調査を遂げたならば、原告の仕入額を把握できなかつたわけではないと考えられる。<証拠省略>は、株式会社カネシン他三店は、電話で尋ねたところ記録がないといわれたので臨店しなかつたと供述しているけれども、これらの取引先は、売上伝票を原告に交付しているのであるから、その控等の保存があることは通常考えられるところであり、これらの取引先及び他の仕入先について、なお調査をつくしたならば、原告の仕入金額の全部又は一部の把握が可能であつたかも知れないと考えられる。また前認定のように、蔵谷は、株式会社カネシン他三店の電話による回答に基づき原告の仕入伝票の保管枚数が少いと判断したものであるが、同人の証言によつても、右の回答は、店員の単なる記憶に基づく漠然としたものであることがうかがわれるから、右の回答から直ちに原告の仕入伝票の保存が不十分であると断定することは相当でないというべきであり、さらに調査を遂げたならば、右の仕入伝票が原告の仕入金額の実額を示す資料となることが判明したかも知れないというべきである。
そして、仕入金額が把握されるならば、合理的な方法で原告の所得金額を推計しえたということができる。
この点に関連して、<証拠省略>中、本件の異議申立ての審理を担当した係官である同証人は、原告の所得について、従事員数による推計のほかに資産増減法による推計をも行つた結果、両方法による所得認定額はほぼ一致した旨の供述があるが、同証人の行つたという資産増減法による算定の根拠が明らかでないから、右の供述だけで、被告の採用した推計方法の合理性を裏づけるには至らない。
したがつて、被告の採用した推計方法は合理性を欠くから、本件更正は、この点において違法といわなければならない。
(二) 昭和三七年から同三九年までの各年分所得金額の算定について
被告は、右各年分所得金額についても、前記従事員数を基準として売上金額を推計する方式により推計を行つたものであるが、これが合理性を欠くことは前認定のとおりである。そして、昭和四〇年分について原告の仕入金額が把握されるとするならば、その額を資料として、さらに原告の右各年分の仕入金額を算出し、次いで原告の右各年分の所得金額を推計することができるというべきである。
3 以上のとおり、被告の推計に基づく課税根拠は、その推計方法が合理性を欠くから、被告のした本件各更正及び本件各決定は、違法なものとしていずれも取消しを免れない。
三 そうすると、原告の本件各請求は、その余の争点につき判断するまでもなく、いずれも正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 杉山克彦 時岡泰 青柳馨)