東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)55号 判決 1972年10月31日
原告 織笠清禧 ほか一名
被告 岩手県厚生部保険課長
訴訟代理人 山田二郎 ほか四名
主文
被告が昭和四〇年一二月一七日訴外織笠六之助所有の第一〇明神丸(総トン数三九・八九トン)を随意契約により売却した処分はこれを取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一申立て
一 原告ら
主文同旨
二 被告
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
第二主張
一 原告らの請求原因
(一) 被告は、昭和三九年八月一日、訴外織笠六之助の滞納船員保険料七〇八、九四六円および延滞金一九二、四〇〇円合計九〇一、三四六円を徴収するため、同人所有の第一〇明神丸(総トン数三九・八九トン)を差し押えた。
(二) 被告は、昭和四〇年一二月一七日、船員保険法一二条ノ二、国税徴収法一〇九条にもとづき右第一〇明神丸を訴外長谷川昭二に随意契約により売却した(以下、本件売却処分という。)。
(三) 本件売却処分には次のような違法がある。
(1) 国税徴収法一〇九条、九六条によれば、随意契約により売却するに際しては売却する日の七日前までに所定の通知書を滞納者へ発しなければならないのに、被告は本件売却処分をするに際し、織笠六之助に右通知書を発しなかつた。よつて、本件売却処分は違法である。
(2) 本件売却処分は船員保険法一二条ノ二、国税徴収法一〇九条一項三号前段にもとずきなされたものであるが、同号前段による売却は有効、適正な公売手続に付しても入札等がないときにはじめてなしうるものである。ところで、同法九八条、九九条によれば、公売手続を実施するに際しては目的物件の見積価額を決定し、これを公告すべきものとしているが、その趣旨は、公売手続の公正を担保するとともに入札等をしようとする者の利益をはかることにあるから、これを欠く公売手続は不適法、無効と解すべきである。被告は、本件売却処分に先だち公売手続を三回実施したが、いずれも目的物件たる第一〇明神丸の見積価額の決定、公告をしていなかつたので、右公売手続は不適法、無効である。したがつて、本件売却処分はその前提たる適法、有効な公売手続を欠くことになるから、無効である。
(四) 織笠六之助は、昭和四一年一月一〇日本件売部処分がなされたことを知つたので、同年二月二四日付をもつて社会保険審査会に審査請求をしたが、同審査会はこれを棄却し、その裁決書の謄本は昭和四二年一二月二四日原告織笠清禧へ到達した。
(五) 織笠六之助は昭和四二年一〇月三日死亡し、原告らはその相続人である。
(六) そこで、原告らは本件売卸処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する被告の答弁
請求原因(一)および(二)の各事実は認める。同(三)の(1) の事実のうち、被告が原告ら主張の通知書を発しなかつたことは認める。同(四)の事実のうち、原告ら主張の審査請求がなされて棄却されたことおよび裁決書の謄本が原告ら主張の日に到達したことは認めるが、その余の事実は知らない。同(五)の事実は知らない。
三 被告の主張
(一) 本件売却処分が違法であるとして取り消されたとしても、滞納処分による差押まで取り消されてしまうものではなく、差押を前提として換価手続が繰り返されることになるだけのことである。本件の場合、換価手続を繰り返すことによつて原告らに不利にこそなれ、利益をもたらすような事情は何らうかがうことができない。すなわち、目的物件である第一〇明神丸は昭和四五年二月ごろより青森県八戸市沼舘四ノ一、八戸漁業協同組合連合会の船揚げ場に上架されたままになつていて、出漁に必要な装置はすべて取り除かれ、廃船同様になつており、現在では無価値に近いのである。したがつて、原告らが本件売却処分の取消しを求める法律上の利益は乏しいということができる。
(二) 国税徴収法九六条による公売の通知は、公売の基本的要素ではなく、たんに滞納者に対し公売に先だち警告を与え自発的な納税を督促する意味を有するにすぎないものであるから、公売の通知を欠いても公売処分の取消事由となるものではない。ましてや公売ではなくこれに代えてなされた随意契約による売却においては、売却の通知を欠いても随意契約による売卸が取り消されるべきものではない。
(三) 一般に行政処分の取消しは、当該処分が法律の定める要件を具備するかどうかという行政処分そのものの立場のみから判断してなされるべきものではなく、それに加えて、瑕疵ある行政処分を取り消すことが具体的な法律関保にどういう影響をもたらすかを考え、相手方の信頼の保護とか、法律生活の保護とか、その他個人的、社会的諸利益を比較衡量したうえでなされなければならない。
ところで、国税徴収法九六条による滞納者に対する公売の通知はたんに滞納者に対し公売に先だち警告を与え自発的な納税を督促する意味を有するにすぎないことは前述したとおりであるが、仮にそうではなく右通知が滞納者の権利保護のためにあるとしても、その権利保護とは具体的には滞納者が滞納船員保険料を自ら納付しまたは代納して換価を回避する機会を与えられるとか、あるいは不服申立てをする機会を与えられることとかを指すものと思われる。しかるに、被告は、本件売却処分に先だち昭和三九年一一月五日、昭和四〇年三月二九日、同年一一月二七日の三回にわたり第一〇明神丸の公売を実施し、右各公売期日に先だちその都度織笠六之助に対し公売の通知をしたが、同人からは滞納船員保険料を納付する意思が表示されたことはなく、また、正式の異議の申立てもなかつた。のみならず、被告は、本件売却処分に至るまで二年余にわたりほとんど毎月織笠六之助宅に臨み、月々発生した滞納船員保険料の納付方を督促し、その督促の回数は延二〇数回にも及んでいるのであるが、同人は違約を重ねるのみでまつたく誠意がなかつた。すなわち、同人には滞納船員保険料を納付する意思も能力もなかつたのである。このような状況の下では、仮に本件売却処分に際し売却の通知を発したとしても、織笠六之助自らが滞納船員保険料を納付したり、あるいは何らかの不服申立てをして換価を回避するであろうことは想定できないのであるから、売却の通知を欠いても、同人の権利を侵害したことにはならない。のみならず、本件売却処分に先だつ公売においては、前述のとおりその都度通知をしており、とくに第三回目の公売期日の際には出頭してきた織笠六之助に対し滞納船員保険料の納入がない場合には近日中に第一〇明神丸を売却するほかないと告げており、これらの事実からしても、同人が何も知らないまま突然に売却されたものではなく、当然売却を予期しえた状態にあつたのであるから、実質的には通知があつた場合と同様の状態にあつたと解するのが相当である。すなわち、本件売却処分に通知を欠く違法があつたとしても、それはきわめて軽徴なものといわなければならない、他方、本件売却処分からはすでに七年も経過し、第一〇明神丸は買受人の手により管理されてきているので、本件売却処分が取り消されるとすれば、買受人の既存の権利、利益を侵害する結果となるのに対し、前述のとおり右取消しにより原告らが利益となるような事情は何ら存在しないのである。これを要するに、本件売却処分に通知を欠く違法があつたとしても、それは取消事由にあたらないと解すべきである。
(四) 次に、公売を行なうに際し見積価額の公告がなされていなかつたとしても、それはただちに当該公売を違法ならしめるものではなく、見積価額の公告がなかつたことがひいて公売価額を不当に低廉にさせてしまつた場合にだけ違法となるにすぎないのである。本件売却処分に先だつ公売においては入札等がなくその目的を達していないのであるから、見積価額の公告のなされなかつたことは公売の効力に何ら影響を及ぼすものではなく、したがつて、本件売却処分を無効にするものではない。
(五) さらに、見積価額の公告はもつぱら多くの入札を誘引しまた不当に低い価額による売却を防止するためのものであるから、入札等がなく結局のところ公売による売却がなされなかつた本件の場合においては、原告らが見積価額の公告の瑕疵をとりあげるのは自己の法律上の利益とまつたく関係のないことを理由として取消しを求めるものであつて、許されないことである。
四 被告の主張に対する原告らの答弁および反論
(一) 被告の主張事実はすべて争う。もつとも、同(三)の事実のうち、被告主張の三回の各期日に第一〇明神丸の公売が実施されたことおよびその実施に先だちその都度織笠六之助に対し公売の通知がなされたことは認める。
(二) 国税徴収法一〇九条一項三号前段にもとづき随意契約による売却がなされる場合には、つねに右売却に先だつ公売手続において売却の通知がなされているにもかかわらず、なお同条四項により改めて売却の通知を要するとされているのであつて、公売手続における公売の通知により滞納者が売却を予期しえた状態にあつたことを理由に、本件売卸処分につき通知を欠いた違法を正当化することは許されない。
(三)本件売却処分に際し売却の通知がなされなかつた結果織笠六之助は、換価回避、不服申立の機会を失い、多大の損害を被つた。
(1) 織笠六之助は昭和三三年二月から昭和三五年一月までの船員保険料等四〇二、四八四円を滞納したため、被告は昭和三五年三月一七日織笠六之助所有の第五明神丸を差し押えた。その後、同人は昭和三六年七月一二日右差押にかかる船員保険料等の全額を納付した。しかるに、同年三月三一日に発生した岩手県庁舎の火災事故のため、被告はその保管にかかる右差押の関係書類を焼失しており、その事後処理が不十分であつたところから、右差押の解除手続を看過し、これを放置した。
(2) そのため、織笠六之助は、右差押がその後の滞納船員保険料等のために存続しているものと考え、昭和三七年五月一七日第五明神丸を訴外鈴木喜三郎に売り渡すに際し、売買代金中その時点での滞納船員保険料等四四六、八一〇円に相当する部分を同人において直接被告に納付することを約束し、被告の同意をえて鈴木は右支払のため右金額と同額の約束手形一通を振り出し、被告はこれを受領した。そこで、織笠六之助は、その余の代金の支払をえたうえ第五明神丸を鈴木に引き渡し、船籍移転の手続をした。
(3) しかるに、被告は、鈴木より一たん受領した右約束手形をその後同人に返戻し、織笠六之助に対し右滞納船員保険料等の請求をなすに至つた。なお、被告は昭和三八年二月一六日に至り鈴木より一〇万円の納付を受けた。
(4) 被告は、右滞納船員保険料等四四六、八一〇円につき第三者である鈴木からの納付を承諾し、同人から右約束手形を受領したのであるが、仮に右承諾が債務免除的効力をもたないとしても、少なくとも被告は右約束手形により滞納船員保険料等の納付をえられたにもかかわらず漫然これを鈴木に返戻してしまつたのである。織笠六之助は右滞納船員保険料等の督促を受けてはじめて右事実を知り、これを不当として再三被告に説明を求め、その間船員保険料等の納付を留保していたところ、納得のいく説明をえられないまま売却の通知なしに本件売却処分を受けたものである。そのため、織笠六之助は換価回避の機会を失う等多大の損害を被つた。
(5) さらに、織笠六之助は、昭和三九年三月一〇日訴外上野保雄に第一〇明神丸を代金二五〇万円で売り渡し、同人は昭和四〇年八月一九日長谷川昭二にこれを代金四三〇万円で売り渡していたところ、上野はほしいままに長谷川名義にて本件売却処分を受けるに至つたものである。そして、上野は長谷川からは同人との売買契約にもとづき前示代金を収受しながら、一方、原告に対しては本件売却処分の結果第一〇明神丸の所有権を取得しえなかつたことを理由にその残代金の支払を拒んだばかりか、既払代金の返還を請求するに至つた。ところで、織笠六之助において第一〇明神丸が九〇万円の見積価額で随意契約により売却されることを事前に知つていれば、右に述べたような損失を回避するに十分な方法を講ずることができたにもかかわらず、売却の通知なしに本件売却処分がなされてしまつたため、織笠六之助は損失回避の機会を失い、そのため多大の損害を被つた。
(6) 織笠六之助、ひいて原告らは、本件売却処分につき売却の通知を受けなかつた結果、右に述べたように多大の損害を被つたものであるから、長谷川昭二の既存の権利を保護するために本件売却処分の効力を維持することは不当であり、本件売却処分は取り消されるべきである。
五 原告らの反論に対する被告の答弁
原告らの反論(三)の(1) の事実は認める。もつとも、第五明神丸の差押債権である滞納船員保険料は昭和三三年一〇月分の残額以降の分であり、織笠六之助は滞納船員保険料等を一括納付したものではなく、昭和三五年三月二九日から昭和三六年七月一二日までの間四回にわたり分割納付したものである。同(三)の(2) の事実のうち、織笠六之助が昭和三七年五月ごろ第五明神丸を鈴木喜三郎に売り渡したこと、被告が鈴木喜三郎より金額四四六、八一〇円の約束手形一通(支払期日昭和三七年一〇月三一日、支払場所千葉県長狭信用組合)を受領したこと、原告ら主張の船籍移転手続がなされたこと(もつとも、船籍移転手続をした日の翌日に鈴木は約束手形を振り出したものである。)は認めるが被告が第三者納付に同意したことは否認し、その余の事実は知らない。同(三)の(3) の事実は認める。被告が鈴木喜三郎から一〇万円の納付を受けたのは昭和三八年二月一三日である。同(三)の(4) の事実のうち本件売却処分をするにあたり売却の通知をしなかつたことは認めるが、織笠六之助が滞納船員保険料等の督促を受けてはじめて鈴木へ約束手形が返戻されている事実を知つたかどうかは知らない、その余の事実は争う。被告が滞納船員保険料等四四六、八一〇円につき鈴木喜三郎より約束手形を受領したのは、第三者納付によるものではなく、納付委託によるものであつた(第三者納付とは納付義務者以外の者が自己の名において納付義務者に代わつて納付することをいうものであるが、約束手形は歳入納付ニ使用スル証券ニ関スル件〔大正五年勅令第二五六号〕一条一項により歳入納付に使用することのできない証券であるから、約束手形の授受をもつて第三者納付があつたものとみることはできない。)。ところで、右約束手形の支払場所は千葉県安房郡鴨川町という被告からみてきわめて遠隔地にあり、しかも支払場所である長狭信用組合は手形交換所に加盟せず、したがつて、被告が再委託した興産相互銀行本店を通じて取り立てることができなかつたものであり、かつ、その支払がとくに確実であると認められるような特段の事情もないうえに支払期日までの期間が相当長期にわたるものであつたから、とうてい納付委託を受けるに適しない証券であることが判明するに至つた。そこで、被告は、右約束手形をその支払期日前に鈴木喜三郎へ返戻したのであるが、この返戻により右に述べた納付委託は解約されたものである。そして、被告は、織笠六之助に対し繰り返し右事実および鈴木より一〇万円の納付があつた事実を説明し、滞納船員保険料等の納付義務者が織笠六之助自身であることを説明していたものである。原告らの反論(三)の(5) および(6) の各事実は争う。
第三証拠関係<省略>
理由
一 請求原因(一)および(二)の各事実たらびに織笠六之助が本件売却処分に対し昭和四一年二月二四日付をもつて社会保険審査会に審査請求をしたが、同審査会はこれを棄却し、その裁決書の謄本が昭和四二年一二月二四日原告織笠清禧に到達した事実は当事者間に争いがない。成立に争いがない<証拠省略>によれば、織笠六之助は昭和四一年一月一〇日に本件売却処分がなされたことを知つたことが認められる。次に、弁論の全趣旨によれば請求原因(五)の事実を認めることができる。
二 そこで、まず本件売却処分の取消しを求める訴えの利益の有無について考えるに、<証拠省略>によれば、現在第一〇明神丸は八戸漁業協同組合の船揚げ場に上架されていることが認められるけれども、それが無価値の状態になつていることを認めるに足りる証拠はない(右<証拠省略>は現在五〇万円の値段であると証言している。)。してみれば、本件の場合は、船舶が沈没するなど滅失した場合と同視することは許されず、本件売却処分の取消しを求める訴えの利益がないとはいえない。
三 次に、本件売卸処分の適否について考えるに、被告が本件売却処分をするにあたり船員保険法一二条ノ二、国税徴収法一〇九条四項、九六条により要求されている通知書を織笠六之助に発しなかつた事実は当事者間に争いがない。
右各条項が差押財産の随意契約により売却する場合には売却をする日の七日前までに所定の通知書を滞納者へ発しなければならないとしている趣旨は、右通知により滞納者をして滞納にかかる船員保険料等を納付させ差押財産の換価を回避する機会を与えるとともに、不服申立ての機会を与えることにあり、右通知書の送付は、これが規定されていなかつた旧国税徴収法(明治三〇年法律第一二号)の下における場合とは異なり、現行法においては随意契約による売却の要件とされているものと解すべきである。そして、右通知書の送付は、随意契約による売却が直前の公売期日から一〇日以内に行なわれるときはこれをする必要はないが(国税徴収法一〇九条四項、一〇七条三項)、それ以外の場合にはつねにこれを必要とするのであつて、滞納者が滞納にかかる船員保険料等を納付する意思や能力を有しない場合であつても、また、滞納者が随意契約による売卸を予期できるような状態にある場合であつても、これを省略することは許されず、これを欠いてした随意契約による売却は違法として取消しを免れないものと解すべきである。
ところで、被告は、本件の場合には売却の通知を欠く違法があつてもそれは取消事由にあたらないと主張するので考えるに、<証拠省略>に前記第一項の当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。
織笠六之助は昭和三三年一〇月分残額から昭和三五年一月分までの船員保険料や延滞金合計四〇二、四八四円を滞納していたため、被告は同年三月一七日織笠六之助所有の第五明神丸を差し押えた。同人はその後数回にわたり船員保険料等を納付し、昭和三六年七月一二日にも納付した結果、右差押にかかる四〇二、四八四円は完納されるに至つた。そこで、被告は第五明神丸の差押を解除すべきであつたにもかかわらず、それより前である同年三月三一日に発生した岩手県庁舎の火災事故のため右差押の関係書類を焼失し、その事後処理が不十分であつたところから、右差押の解除手続を看過し、これを放置していた(以上の事実は、第五明神丸の差押にかかる船員保険料の始期の点および織笠六之助が右差押にかかる船員保険料四〇二、四八四円を数回にわたり納付したとの点を除き、当事者間に争いがない。)。織笠六之助は昭和三六年七月一二日現在すでに新たに四七七、六四二円の船員保険料等を滞納しており、その後同年一一月二九日までに三回これを納付し、同日現在三八一、三九八円(昭和三五年一一月分残額以降の船員保険料および延滞金)を滞納していた。被告の担当係員は同年一二月以降ほとんど毎月一回位の割合で織笠六之助宅を訪問し、滞納船員保険料等の納付方を督促したが、同人はこれを納付せず、一定期日までにこれを納付すると約束した場合もあるが履行しなかつた。ところで、織笠六之助は昭和三七年五月ごろ鈴木喜三郎に第五明神丸を代金二七〇万円で売り渡した(この売買の事実は、代金の点を除き、当事者間に争いがない。)。鈴木喜三郎が右代金のうち二四〇万円を支払い終つた段階で、第五明神丸がまだ被告により差し押えられているということが明らかになつた。そこで、鈴木喜三郎は数回岩手県厚生部保険課へ電話し、昭和三七年六月二〇日には同課へ赴き、直接被告の担当係員に会つて第五明神丸の差押を第一〇明神丸の方へきりかえてくれるよう(すなわち、第五明神丸に対する差押を解除し、新たに第一〇明神丸を差し押えるよう)頼んだが、右係員はこれに応ぜず、その当時の織笠六之助の滞納船員保険料等四四六、八一〇円を納付しないかぎり第五明神丸に対する差押は理解できない旨回答した。鈴木喜三郎は、右織笠六之助の滞納船員保険料等四四六、八一〇円を負担するとすれば、当初の契約による売買代金二七〇万円よりも一四六、八一〇円ほど余分に支出しなければならなくなるため、右四四六、八一〇円のうち一部でも第一〇明神丸の方へきりかえてくれるよう(すなわち、右四四六、八一〇円の全額を支払わなくても第五明神丸に対する差押を解除してくれるよう)再三頼んだが、被告の担当係員はこれにも応じなかつた。そこで、鈴木喜三郎は右四四六、八一〇円を昭和三七年一〇月末ごろ支払うことにし、その支払のために金額四四六、八一〇円、支払期日同月三一日、支払場所千葉県長狭信用組合なる約束手形一通を同年六月二〇日振り出し、被告の担当係員へ交付するとともに、織笠六之助との間では売買残代金三〇万円を支払わないことに決めた。被告は右約束手形を船員保険法一四条、国税通則法五五条による納付委託として受領するとともに(被告が右約束手形を受領したことは当事者間に争いがない。)織笠六之助に対しては換価の猶予通知書を交付した。なお、その当時、織笠六之助および鈴木喜三郎は第五明神丸に対する差押が右四四六、八一〇円のためにもなされているものと誤解していた。被告は鈴木喜三郎から一たん受領した右約束手形をその支払期日前に同人へ返戻し、織笠六之助に対し右四四六、八一〇円を含めて滞納船員保険料等を請求するに至つた(この事実は、約束手形返戻の時期を除き、当事者間に争いがない。)。もつとも、右約束手形返戻の事実については被告保管の書類に記録されておらず、返戻の具体的な日時や返戻の理由は明らかでない。その後、被告の担当係員は昭和三八年二月一六日に至り鈴木喜三郎より一〇万円の納付を受け(この事実は当事者間に争いがない。)、被告はこれを織笠六之助の滞納船員保険料等へ充当した。織笠六之助は被告の担当係員の度重なる督促にもかかわらず滞納船員保険料等を納付しなかつたため、被告は昭和三九年八月一日滞納船員保険料七〇八、九四六円および延滞金一九二、四〇〇円合計九〇一、三四六円につき第一〇明神丸を差し押えた(第一〇明神丸差押の事実は、第一項において述べたとおり、当事者間に争いがない。)。そして、被告は、同年一一月五日、昭和四〇年三月二九日および同年一一月二七日の三回にわたり第一〇明神丸の公売を実施したが(この事実は当事者間に争いがない。)、いずれも入札がなかつた。右各公売期日についてはいずれもこれに先だちその都度織笠六之助に通知がなされたところ(この事実は当事者間に争いがない。)、第一回の公売期日には織笠六之助の息子である原告織笠清禧と岩手県漁業信用基金協会の参事をしている畑中得三が岩手県厚生部保険課を訪れ、被告の担当係員に対し、原告織笠清禧が第三者と共同で有している鮭鱒のはえ縄漁業権を処分した代金中から滞納船員保険料等を支払う予定である旨述べるとともに、第五明神丸の買主である鈴木喜三郎が納付することを約していた分については同人より徴収し、この問題をまず解決すべきである旨申し入れた。第二回の公売期日には織笠六之助や原告らは出頭しなかつたが、第三回の公売期日には原告織笠清禧が後に述べるように第一〇明神丸を買い受けていた長谷川昭二とともに岩手県厚生部保険課へ出頭し、被告の担当係員に対し、鈴木喜三郎が納付することを約した分については織笠六之助に納付義務がないので、鈴木喜三郎よりまず徴収すべきである旨申し入れた。これに対し、被告の担当係員は滞納者である織笠六之助自身に滞納保険料等全額の納付義務があることを強調し、もしこれを納付しなければ近日中に第一〇明神丸を売ることになるであろうと説明した。しかし、織笠六之助からの納付はなされなかつた。ところで、これより先、同人は昭和三九年三月一〇日に第一〇明神丸を上野保雄,に代金二五〇万円で売り渡し、同人はさらに昭和四〇年八月一九日長谷川昭二に第一〇明神丸にエンジンをつけて代金四三〇万円で売り渡していた。上野保雄はその妻養子と相談のうえ第一〇明神丸を随意契約により長谷川昭二名義で買い受けることにし、昭和四〇年一二月一七日第一〇明神丸を九〇二、〇〇〇円で随意契約により買い受ける旨の長谷川昭二名義の買受価額見積書を被告へ提出し、その結果本件売卸処分がなされるに至つた(本件売却処分がなされたことは、第一項において述べたとおり、当事者間に争いがない。)。
以上の事実が認められる。<証拠省略>中、被告の担当係員が鈴木喜三郎に対し同人に対する織笠六之助の第五明神丸に関する売買代金債権を被告において差し押えるという方法をとる旨述べたとの部分は、<証拠省略>に照らしたやすく信用できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定の事実にもとづいて考えるに、織笠六之助は昭和三六年ごろ以降常時船員保険料等を滞納し、ほとんど毎月被告の担当係員の訪問を受けてその納付方を督促されていたにもかかわらず、これを納付しなかつたのであるから、その不誠実な態度は大いに責められるべきであり、織笠六之助には滞納船員保険料等を納付する意思や能力がなかつたと思われてもやむをえない面があることは否定できない。しかし、他方、被告の行為にもいくつかの指摘されるべき点がある。第一に、昭和三六年三月三一日に岩手県庁舎が火災にあい第五明神丸差押の関係書類が焼失したとはいえ、同年七月一二日には右差押にかかる滞納船員保険料等が完納されたのであるから、右差押を解除すべきであつたのに、被告はこれを怠り、昭和三七年六月二〇日ごろ第五明神丸を買い受けた鈴木喜三郎に対し当時織笠六之助が滞納していた船員保険料等四四六、八一〇円の納付がなければ第五明神丸の差押は解除しない旨述べ、鈴木をして全額四四六、八一〇円の約束手形一通を振り出させた点である。そして、第二に、被告は右約束手形をその支払期日前になぜか鈴木に返戻してしまい、右四四六、八一〇円を含めて滞納船員保険料等を織笠六之助に請求するに至つた点である。第五明神丸の差押の解除が看過され、四四六、八一〇円の滞納船員保険料等を納付しなければ右差押を解除しないと言われたため、織笠六之助は鈴木喜三郎より第五明神丸の売買代金二七〇万円のうち二四〇万円を受領し、残額は受領しないこととし、その代りに鈴木において右滞納船員保険料等を納付することにしたのであるが、同人は一〇万円を納付したのみで、その余の残額を納付しなかつた。もし、第五明神丸の差押が昭和三七年六月二〇日ごろまでに解除されていたとすれば、織笠六之助と鈴木喜三郎は右のような滞納船員保険料等の納付に関する約束をする必要はなかつたものと思われる。また、被告が鈴木喜三郎から約束手形を受領するに至つたのは第五明神丸の差押の解除を看過していたことに起因するともいえるのであるから、これを鈴木へ返戻するにあたつては織笠六之助の意向をも十分くむ必要があつたものと思われる。同人の息子にあたる原告織笠清禧が第一〇明神丸の第一回および第三回公売期日において鈴木喜三郎が納付を約した分をまず解決すべきである旨申し入れたことには無理からぬ事情もあつたものといわなければならない。すなわち、第一〇明神丸の公売が三回にわたり実施されたにもかかわらず、織笠六之助が滞納船員保険料等をまつたく納付しなかつたのは、あながち同人に納付の意思および能力がなかつたことによるものであるといいきれるものではなく、その原因の一端は被告の行為にもあるというべきである。このような事情の下において、第一〇明神丸を随意契約により売却にするにあたつては、やはり法定の通知書を織笠六之助に送付したうえで、これをすべきであつた。したがつて、右に述べたような事情をふまえて考えれば、本件売却処分にあたり通知書の送付を欠いた違法は決して軽微なものとはいいきれないのである。ところで、本件売却処分を取り消せば、その結果、第一〇明神丸の買受人の権利、利益を侵害することになるが、同人の権利、利益といえども一私人のそれにすぎず、織笠六之助、ひいては原告らの権利、利益と同質的なものであつて、後者の権利、利益にくらべて前者のそれを特別に尊重しなければならない理由は見出せない。
これを要するに、本件売却処分に通知書の送付を欠くという違法があつても、それは取消事由にあたらないとする被告の主張は理由がない。
四 してみれば、本件売却処分には法定の通知書を発しなかつたという違法があるから、その取消しを求める原告らの本訴請求は理由がある。よつて、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 高津還 上田豊三 横山匡輝)