東京地方裁判所 昭和44年(ワ)10669号 判決
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〔判決理由〕(二) 休業損害
四〇万八八九七円
<証拠>によると、原告は昭和一三年日本生命保険相互会社に入社し、昭和四〇年停年になるまで永年勤続し、その後も同社の特別外務嘱託として引き続き稼働してきたものであるところ、本件事故に遭遇したため、昭和四三年一一月二七日から同四四年三月二日までの入院期間中のみならず同年三月三日から同年七月一〇日までの通院期間中も顧客に対する電話連絡程度の仕事を除き、その他の仕事は殆んどできなかつたことが認められる。<証拠判断・略>
ところで、<証拠>によると、日本生命保険相互会社の特別外務嘱託の給与は主に特嘱手当甲・乙、特嘱加俸、成績手当、募集旅費などから成つていること、そのうち特嘱手当甲は勤務年数に応じて金額が定められているが、特嘱手当乙は、直前三か月間の効率成積に対応して、また特嘱加俸は前月の効率成績に対応して、さらに、最も重要な成績手当はその月の効率成績に対応して、それぞれ額が決定されているところ、その効率成績なるものは保険契約上保険料の支払が一時払(年払)のときは契約成立時に正保険金(養老保険金がそのままこれに該当するが、例えばこども保険では満期保険金の一三割がこれに該当するものとされる。)の一〇割を基礎にして算定されるが、保険料が半年払のときには初回に修正保険金の五割、第二回目入金時に残りの五割をそれぞれ基礎にして算定され、保険料が月払のときには第一、第三、第六、第九、第一二月目の入金時に修正保険金の各二割づつを基礎にして算定されるという複雑な評価方法をとつているため特別外務嘱託の月給は月によつて著しく変動しうるばかりでなく、当該月の稼動状況とも全く対応せず、例えば半年払とか月払の契約を成立させたときには半年後とか何か月後になつてその働きに対する給与分が支給されるという仕組みになつていることが認められる。<証拠判断・略>現に<証拠>を総合すると、原告は昭和四一年中には二〇〇万〇七八一円、同四二年中には一七七万六五一九円、同四三年中には二〇五万七一一九円の各給与所得をあげていたが、本件事故直後で入院中の昭和四三年一二月には賞与を含めてではあるが三四万八六四一円という高額の所得をあげており、また半年近く休業した昭和四四年度にも二四二万一八三五円という高い年間給与所得をあげたことが認められる。<証拠判断・略>
しかしながら、<証拠>によると、日本生命保険相互会社が昭和四四年七月に創立八〇周年記念を迎えるに当たり、昭和四三年四月から同四四年一月までの間に七億円の契約高を達成した者に対して論功行賞することを定めたので、原告はその賞を獲得するために一生懸命働いたため、同四三年一一月中にはこの目標額を達成したが、さらに上位で賞をとるべく鋭意努力していた矢先に本件事故に遭遇したこと、また、原告は事故による受傷の回復後はさらに一層努力したばかりでなく、原告の休業に同情して加入してくれた顧客もあつたことが認められる。<証拠判断・略>したがつて、右の事実に、前記認定のとおり、特別外務嘱託の給与が稼働の時点からはずれて後に支給される仕組みになつていることを併せ考えると、原告の給与所得が本件事故前よりその後に増加したとの一事をもつて、原告に得べかりし利益の喪失がなかつたものと断ずることはできず、むしろ休業に対応してその後にさらに増加すべき収入分が得られなかつたとみるのが経験則上相当というべきである。しかし前記のように、複雑な給与算定方法がとられているため得べかりし給与の正確な算定が極めて困難であること、また原告が休業中も電話連絡などは行つていたこと、さらには原告の休業に同情して加入した顧客もあつたことなどを勘案すると、原告の休業による損害は、控え目に算定するほかなく、前記認定の事実を総合すると、原告は、昭和四一年から同四四年までの給与所得から算出される平均日額給与五六五四円の八割程度の日収(原告が休業中も電話連絡などしていたことおよび顧客の同情による加入のあつたことならびに傷害の程度などを考えて八割とした。)を昭和四三年一一月二七日から同四四年七月一〇日までの二二六日間にわたり合計一〇二万二二四三円喪失したものと認めるのが相当であり、<証拠>によると、原告の前記給与所得をあげるために支出する経費は同所得のほぼ六割であることが認められるから、結局原告が休業により喪失した純収益は四〇万八八九七円と算定される。<証拠判断・略>
(加藤和夫)