大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1183号 判決 1970年5月27日

原告

田中敏夫

代理人

鍵尾丞治

被告

株式会社柴田組

代理人

小林蝶一

外四名

主文

被告は原告に対し、金八五万円およびこれに対する昭和四四年二月一五日から年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告のその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は四分し、その三を原告、その一を被告の各負担とする。

原告において、金八万円の担保を供するときは、主文第一項につき仮りに執行することができる。

事実

原告

一  請求の趣旨

被告は原告に対し、金三四〇万円およびこれに対する昭和四四年二月一五日から年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言を求める。

二  請求の原因

(一)  原告は別紙目録記載の土地・建物(以下「本件土地」「本件建物」という。)を所有し(もと原告の母スミの所有であつたがスミ死亡後原告が相続により所有権を取得した)階下の一部で田中工業所の商号でベークライト成形工場を経営し、二階を居宅とし、母親亡田中スミ、弟二名等とともに居住してきた。

階下の残部は、訴外錬光電機株式会社に賃貸し、同社は訴外有限会社光和電機工業に転貸し、右転借人が工場として使用している。

(二)  被告は土木建築請負工事施工を業とする会社であり、昭和四二年六月中旬から本件建物に隣接する土地に訴外株式会社利根ボーリング本社屋(地上七階、地下一階鉄筋コンクリート造)の新築請負工事を施行し、昭和四三年四月一九日頃右建物を竣工した。

(三)  被告の右工事期間中、原告方は工事の騒音、振動に昼夜をとわず悩まされ、かつ、原告方に二〇キログラムにおよぶ鉄のパイプが落下する等のこともあつた。

(四)  そのためは、原告一家は甚だしいノイローゼ状態に陥入り、原告は「高血圧症、眼底出血および悩出血のおそれあり」との診断を受け、昭和四三年二月以来通院を続け、その間二回にわたり約半月位入院をよぎなくされた。同居の弟田中博は「自律神経失調症」となり失明寸前となつたし、高血圧症も昂じた。また、母親(明治二七年生)は高血圧が昂じ、遂に昭和四二年一二月二六日死亡するにいたつた。

(五)  被告の工事により、本件土地は一方の地盤が一〇センチ以上も沈下し、本件建物は全体にわたり傾斜、歪みを生じ、壁面の亀裂、戸、障子の開閉不能、空隙の発生等著しい損傷を受けた。

(六)  よつて、原告は被告に対し、その工事によつて生じた損害のうち、本訴において、

(1)  建物の修理費として金一四〇万円

(2)  慰藉料(母親の死亡によつて受けた精神的苦痛に対する慰藉料を含め)として、金二〇〇万円の合計金三四〇万円の支払いとこれに対する本訴状送達の翌日から年五分の割合による損害金の支払いを求める。

三  答弁

(一)  騒音の発生期間は、三〇ないし四〇回あつた。転居費用二万円を受取つたことは認めるが、慰藉料の請求権を放棄したことはない。

(二)  被告が表面を糊塗する修理をしたことは認めるが、建物の傾斜をもどす修理を要求したところ拒絶されたのである。

被告

一  答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二  答弁

(一)  本件建物に原告およびその母が居住していたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二)  被告の請負工事をした建物は鉄骨鉄筋コンクリート造八階建(塔屋二階付設)であつて、地下室はない。また、右建物の基礎杭打工事および内装工事は他の業者が施行した。その余の事実は認める。

(三)  工事に不可避な騒音振動のあつたことは認めるが、工事に伴ない必然的に生ずる騒音、振動について被告としては相当の防止措置をとつた。このように相当の措置をとつても、なお生ずる騒音、振動に対しては、原告も受忍すべきである。

(四)  原告の母が死亡した事実は認めるが、その余の事実は不知。

(五)  昭和四二年八月頃本件建物に若干の傾斜と損傷が存したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(六)  争う。

三  被告の主張

(一)  昭和四二年九月下旬原告から騒音の発生する期間母親を転居させたい、との要望に応じ、被告は騒音発生の原因となる各階コンクリート流込工事の施行期間(三、四日づつ約一〇回)到来の都度被告所有の自動車を提供して、同女の転居を援助し、かつ、転居費用として同年一一月一日金二万円を支払つて、原告の受けた損害の補償をした。この際原告は被告に対して、騒音、振動に関しては一切受忍する旨を約束した。

(二)  被告は同年一二月下旬から昭和四三年五月上旬にかけて、外柵破損および外壁ひび割れ修理、全面がガン吹付、屋根堅樋修理、雨戸窓枠等建付修理、引戸鉄板貼替等原告の要求どおりの建物補修工事を行ない、本件建物復旧工事のうち入居者の都合で施行できなかつた内壁補修工事を除く大部分を完了した。

なお、内壁補修工事をしようとした被告に対し、金で解決をつけるといい出し、その工事を拒んで今日にいたつた。

証拠《略》

理由

一<証拠>によれば、本件建物はもと原告の母田中スミの所有であつたが、同人が昭和四二年一二月二六日死亡し、原告が相続によりその所有権を取得したことが認められ、本件建物と道路を隔てた場所に土木建築請負工事を業とする被告会社が昭和四二年六月中旬頃から訴外株式会社利根ボーリング本社社屋(鉄骨鉄筋コンクリート造り)の新築請負工事(基礎工事の点を除く)に着手し、昭和四三年四月頃右建物を竣工したことおよび右建築工事中本件建物には原告およびその母が居住していたこと(但し、母は前記死亡前まで)は、当事者間に争いがない。

二右被告の建築工事中、工事に伴なう騒音、振動があつたことは、当事者間に争いがない。ところで、被告は高層建築物の建設には若干の騒音・振動の発生は不可避であり、工事請負人において相当の防止手段を講じてもなお発生する限り、近隣の居住者はこれを受忍する義務があると主張する。しかしながら、騒音・振動が近隣者の生活を侵害するものであることは明らかである以上、騒音・振動の発生の不可避な工事を行なう者は、近隣者の生活侵害に対して責任を負わなければならないというべきである。工事自体が適法であることは工事に伴ない発生する音響・振動を適法ならしめるものではない。音響を発すること自体が適法視される場合と区別して考えるべきである。工事の目的、被害発生の防止を含めた方法の当否等と発生被害の程度とを比較考量の上、ある程度の被害、特に一般人の受ける通常の精神的苦痛については、被害者に受忍の義務があり、工事に伴なう騒音・振動の違法性が阻却されることがあるということがいえるにすぎない。従つて、騒音・振動が原因となつて発病したり、あるいは病状が著しく悪化する等の被害や建物の損傷等の被害を生ぜしめたときは、騒音・振動が適法かつ適当な工事に必然的に伴なうものであり、かつ、実施可能な防止措置を講じたとしても、損害賠償の義務を免れることはできないといわなければならない。

三<証拠>を綜合すれば、原告の母田中スミ(当時七三才)は、当時高血圧で通院治療中であつたが、特に寝込むような病状ではなかつたのに、昭和四二年一二月一三日夕方突如意識混濁、発作性痙彎を起して倒れ、入院加療をしたが、同月二六日死亡するにいたつたことおよび原告本人も高血圧症が悪化し、昭和四三年二月入院加療をしたことならびにこれがいづれも被告会社の工事に伴なう騒音・振動を一原因としていることを認めることができる。(原告の同居の弟田中博の疾病については、その証明がない)。<証拠>によれば、高血圧症の多くは遺伝性のものであることが認められるとしても、病状の悪化、死期の促進の原因を与えた以上、原告の受けた精神的苦痛に対して被告は慰藉料を支払う義務があるというべきである。

被告は、原告の要望により騒音の著しい期間母親を転地させる費用として金二万円を支払つたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、その際原告は被告に対して「工事竣工にいたるまで一切騒音・振動による被害については苦情等申し上げない旨」確約したことが認められる。被告はこの事実をもつて、原告が騒音・振動による精神的苦痛に対する賠償請求権を一切放棄したものと主張する。しかし、右書証の内容および<証拠>によれば、右書証は病人である母親を転地させることができれば、著しい病状の悪化を避けることができるし、通常の健康人である原告およびその同居家族については、特段の被害は生じないとの予測のもとで作成したものと解するのが相当である。してみれば、母親の病状が急激に悪化し、死亡するにいたつたことや原告本人の高血圧症が急激に悪化する等の特別の事情を生じた本件においては、被告の抗弁を全面的に採用するということはできない。

そこで、本件においては前示諸般の事情を考慮した上で、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料の額としては、金五〇万円をもつて相当と認める。

四本件建物が昭和四二年八月一八日当時傾斜しており、壁面亀裂、戸、障子の開閉困難等の状況にあつたことは、当事者間に争いがない。そこで、このような建物の損傷の原因について判断する。

<証拠>を綜合すれば、次のとおりに認めることができる。すなわち、本件建物は昭和三九年一一月頃の建築にかかり、二階は居室、階下は工場となつており、四本の柱で二階を支えている。建物の敷地はもと田であつたため、比較的軟弱である。原告の隣家である早川栄太郎所有建物も本件工事に伴なつて、傾斜、壁面の亀裂等を生じているが、原告の建物に比べれば損傷は少ない。右早川の建物は一〇年前の建築にかかるが、一、二階とも居宅であり、基礎はしつかりしていた。以上の事実を認めることができる。右事実を基礎とすれば、本件建物の損傷の原因は、一応本件工事に伴なう振動によつて生じたものと認めることができる<反証排斥>。しかしながら、本件建物の損傷には、その建物の構造もまたあづかつていることも否定できない。

なお、前掲各証拠によれば、本件建物の損傷の原因となる振動は、主として基礎工事の段階において生じたことが認められ、被告は本件工事のうち、建物の基礎抗打工事は、他の業者が担当したもので、被告の請負つたのは基礎工事完了後の建物の構築等の部分であると主張する。証人山口陸雄は右主張にそう供述をしているが、<証拠>および当事者間に争いのない被告会社において本件建物につきある程度の修理を行なつている事実を綜合すれば、本件工事全般にわたつて被告が関与していたこと、従つてまた工事全般から生ずる家屋の損害について修復する約定をしていたことを認めることができる。

以上の事実によれば、被告は本件工事に伴なつて本件建物に生じた損害について、賠償する義務があるといわなければならない。

<証拠>によれば、本件建物を完全に旧に復するためには金一四〇万を要することが認められるが、前示諸般の事実を併せ考慮した上で、その四分の一に相当する金三五万円をもつて損害賠償をなすべき額と認める。

よつて、原告の本訴請求は、金八五万円および訴状送達の翌日である昭和四四年二月一五日(記録上明らかである)から年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当と認め、その余の請求は棄却するものとし、訴訟費用の負担、仮執行の宣言につき、それぞれ民事訴訟法第九二条、第一九六条を適用して、主文のとおりに判決する。(西村宏一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例