東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12351号 判決 1979年7月18日
原告 甲野二郎
右訴訟代理人弁護士 川上三郎
被告 九段製本有限会社
右代表者代表取締役 浅川熊雄
<ほか四名>
右五名訴訟代理人弁護士 小笠原市男
同 上野修
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、連帯して金五七二一万四六八〇円及びこれに対する昭和五二年一一月五日から右支払済みまで各年三割の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨の判決。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 訴外和田豊三郎(以下「和田」という。)は、昭和四四年一〇月六日、次のとおり、被告らに対し、連帯して金員を貸渡した(以下「本件消費貸借契約」又は「本件貸付金」という。)。
(一) 金額 金七四五万円、ただし、同日から同年一一月四日まで三〇日分の利息として金五二万一五〇〇円を天引し、金六九二万八五〇〇円を交付したが、右天引額中、利息制限法二条に従い、同法一条所定の制限利息を超過する部分の金四三万六〇八一円は元本の支払にあてたものとみなされるので、残元本(以下「本件元本」という。)は金七〇一万三九一九円となる。
(二) 弁済期 昭和四四年一一月四日
(三) 利息 月七分
(四) 遅延損害金 月七分
2 原告は、同年一〇月六日、被告らから本件貸付金返還債務について連帯保証人になることの委託を受けてこれを承諾し(以下「本件保証委託契約」という。)、同日、右約旨に基づき、和田に対し、被告らと連帯して右貸付金返還債務を保証する旨を約した(以下「本件保証契約」という。)。
3 しかるに、被告らは、弁済期が経過するも、和田に対し、本件貸付金の返済をしない。
4 そこで、和田は被告らに対し、別紙法定重利計算表番号1ないし8記載のとおり、八回にわたり、同表通知日欄記載の日ころ到達した内容証明郵便をもって同表損害金欄記載の遅延損害金の支払を催告するとともに、その支払がないときは、その遅延損害金を元本(組入権行使前のもの)に順次組入れる旨の意思を表示した。その結果、昭和五二年一一月五日以降の本件貸付金の元本は金五七二一万四六八〇円である。
5 よって、原告は被告らに対し、主債務者の委託を受けた保証人の求償権の事前行使として前記元本金五七二一万四六八〇円及びこれに対する弁済期経過後である昭和五二年一一月五日から支払済みまで利息制限法所定の制限の範囲内である年三割の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1(一)ないし(四)の事実は否認する。
被告らは、和田から、原告主張の金員を受取ったことはない。もっとも、被告九段製本有限会社(以下「被告九段製本」という。)、同日東建物株式会社(以下「被告日東建物」という。)及び同小野竹之助(以下「被告小野」という。)の三名(以下「被告九段製本ら三名」という。)を債権者とし、訴外田治直康(以下「田治」という。)を債務者とする右当事者間の東京地方裁判所昭和四四年(ヨ)第八一六二号不動産仮処分事件(以下「本件仮処分事件」という。)についての保証金は、債権者である右被告九段製本ら三名ではなく、第三者である和田が昭和四四年一〇月六日東京法務局に供託した(被告九段製本関係につき同法務局昭和四四年度金第九二九四一号、被告日東建物関係につき同第九二九四二号、被告小野関係につき同第九二九四三号。以下、一括して「本件供託」という。)が、右の如き第三者供託された金員については、被告らが和田から、貸付金として受取ったものであるとはいえない。また、仮に被告らが和田から一定の金員を借受けたとしてもそれは本件供託金の六六〇万円にとどまるものである。
2 同2の事実は否認する。
3 同3の事実は否認する。
4 同4のうち前段の事実は認めるが、後段の事実は否認する。
5 同5の主張は争う。
三 抗弁
被告は、以下の抗弁を選択的に主張する。
1 仮に被告らが和田から本件貸付金を借受けたものであり、かつ、被告らが右貸付金について、原告に対して保証人になるように委託したとしても、被告らの右保証委託申込の意思表示には、次のとおりその重要な部分に錯誤があり、無効である。すなわち、
(一) 別紙物件目録記載(一)、(二)の土地建物(以下「本件土地建物(一)、(二)」という。)は元来被告九段製本の、同目録記載(三)の建物(以下「本件建物(三)」という。)は元来被告日東建物の、同目録記載(四)、(五)の土地建物(以下「本件土地建物(四)、(五)」という。)は元来被告小野の各所有に属するものである。右被告九段製本ら三名は、昭和四四年九月五日、田治と話合いのうえ、当時経営状態が悪化し資金繰りが極めて逼迫していた被告日東開発株式会社(以下「被告日東開発」という。)のため、同被告が被告九段製本ら三名所有の前記各不動産(以下、一括して「本件不動産」という。)を担保にして訴外協和信用組合(以下「協和信用組合」という。)から田治の名義で融資を受けることを承諾し、その手段として、田治に対し、いすれも同月三日売買を原因とする東京法務局文京出張所同月五日受付第一六五六〇号(本件建物(三)につき)、第一六五六一号(本件土地建物(一)、(二)につき)及び第一六五六二号(本件土地建物(四)、(五)につき)の各所有権移転登記をした。しかるに、田治は協和信用組合から融資を受けることができず、そのうち、被告九段製本ら三名に無断で本件土地建物(一)、(二)及び(四)、(五)について、訴外鈴木一男(以下「鈴木」という。)のため、同月一〇日の継続的金銭消費貸借の同日設定契約を原因とする同法務局出張所同月一一日受付第一六九七四号の根抵当権設定仮登記、同月一〇日停止条件付代物弁済契約を原因とする同法務局出張所同月一一日受付第一六九七五号の停止条件付所有権移転仮登記及び同月一〇日停止条件付設定契約を原因とする同法務局出張所同月一一日受付第一六九七六号の停止条件付賃借権設定仮登記をした。
(二) かくして、被告九段製本ら三名と田治、鈴木との間に本件不動産上の前記各登記をめぐる紛争が発生するに至り、そのため、同被告らは当時弁護士であった原告に対し、本件不動産について田治及び鈴木のためにされた前記各登記を抹消し、登記簿上の所有名義を同被告らに回復、取戻すことを依頼した。右依頼に基づき、原告は、同年一〇月三日、被告九段製本ら三名の代理人として、東京地方裁判所に本件仮処分の申請をした。
(三) 東京地方裁判所が右事件につき仮処分決定を発する前提として予め立てることを命じた保証金は、被告九段製本につき二〇〇万円、被告日東建物につき二五〇万円及び被告小野につき二一〇万円(合計六六〇万円)であったが、右保証金はその後、第三者である和田の名前で供託がなされた。しかるのち、同月六日、田治に対し、本件不動産について、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分を禁ずる旨の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)が発せられた。仮に、被告らが原告主張のように和田から本件貸付金を借受け、同貸付金について原告に対し保証人になるように委託の申込をしたとすれば、前記のとおり、裁判所から前記保証金の供託を命ぜられた際、被告らには右保証金を直ちに調える余裕がなかったところ、原告から、「それでは自分の顧問先の金融業者から借りてやる、金利は月七分だが、この事件は一週間か一〇日間位で解決できる。」旨告げられ、原告の紹介で和田から本件貸付金を借受け、右貸付金について原告に対し保証人になることを委託したものであった。
(四) ところで、原告は、以上のとおり被告九段製本ら三名から、本件不動産についての田治、鈴木を相手とする前示紛争の解決を依頼され、同被告らの代理人として本件仮処分を申請し、また、被告らの本件貸付金について保証人になることを受託した当時弁護士であったものの、それより相当以前に破産法違反及び業務上横領の嫌疑で起訴されて被告人になり、すでに第一審の東京地方裁判所(同庁昭和三九年(わ)第一七七〇号事件)及び控訴審の東京高等裁判所(同庁昭和四一年(う)第一〇九三号事件)で有罪判決の言渡を受け(控訴審の宣告刑は懲役一年六月、執行猶予三年であった。)、原告より最高裁判所に上告中(同庁昭和四三年(あ)第四七二号事件)の身で、同裁判所の判決あり次第、早晩、弁護士資格を喪失するのが必至の状勢にあり(現に、右事件については、その後昭和四四年一〇月三一日上告棄却の判決が言渡され、同年一一月五日原告にその旨通知され、同判決の確定により弁護士資格を失った。)、本件仮処分事件を追行し、又はその本案訴訟を提起追行して前示紛争を解決することが時間的にみてできなかったのにかかわらず、それを秘して被告九段製本ら三名から右紛争の処理事務ないし本件仮処分申請を受任し、本件保証を受託したものである。なお、原告は、弁護士資格を失ったのちまもなく、被告九段製本ら三名に無断で、本件仮処分決定の執行解放を申立て、本件不動産に対する処分禁止仮処分の登記を所轄当局を通じ抹消させたうえ、前記保証金合計六六〇万円についても供託者和田豊三郎代理人原告名義で取戻しを受けて右被告らの利益に反する行動に及んだ。
(五) 被告らは、原告が右のような地位、身分にあることを知っていれば、かような人物は信用することができす、鈴木、田治との前示紛争を解決、処理することもできないことが明らかとなるから、原告に同紛争の解決処理を委任し、あるいは本件仮処分申請を委任したことはなく、また、本件貸付金について保証人となることを委託することもなかったものであり、このことは何人も同様と考えられる。したがって、被告らの本件保証委託申込の意思表示には、その重要な部分に錯誤があった。
2 被告らが和田から借受けた金員は六六〇万円であるところ、同人の代理人である原告は、昭和四四年一一月二五日、被告九段製本ら三名のした本件供託金の取戻しを受けたので、これにより、和田の本件貸付金債権は弁済され消滅した。
3 被告らは、本件貸付金を借受けた際、和田に対し、被告日東建物が和田宛に振出した額面金額七四五万円の約束手形及び被告九段製本が振出し、同日東建物、同日東開発が手形保証し、被告小野、被告渡辺ちよ(以下「被告渡辺」という。)が裏書した額面金額八五万円の約束手形各一通を、本件貸付金の支払いのため、それぞれ振出ないし裏書して差入れたが、和田は遅くとも昭和四四年一一月一三日までに前者の約束手形一通を訴外近藤新一に、また後者の約束手形一通を訴外田中裕雄に各裏書譲渡したものであり、これにより、和田は、右訴外人らに対し、右各約束手形債権の原因債権である本件貸付金債権を譲渡したものである。
4(一) 原告が和田の代理人としてでなく、自己のために本件供託金の還付を受けたものとすれば、原告は右供託金を取得すべき法律上の原因を欠き、同供託金相当額を不当に利得したことになる。
(二) そこで、被告らは原告に対し、昭和五三年三月九日の第四五回本件口頭弁論期日において、右不当利得返還請求権をもって、原告の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の冒頭の主張は争う。
(一) 同1(一)のうち、昭和四四年九月三日ころ、本件不動産が田治に譲渡され、被告ら主張の各所有権移転登記がされる前において、本件土地建物(一)、(二)がもと被告九段製本の、同じく本件建物(三)がもと被告日東建物の、同じく本件土地建物(四)、(五)がもと被告小野の所有であったこと、本件不動産について被告ら主張の田治、鈴木を権利者とする各登記がされたことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。
(二) 同1(二)の事実は認める。
(三) 同1(三)のうち、本件仮処分事件につき東京地方裁判所から供託を命ぜられた保証金は被告ら主張のとおりであること、本件供託が和田の名前でされたこと、しかるのち、同月六日本件仮処分決定が発せられたこと、右保証金にあてた金員は被告らが和田から借受け、右貸付金について原告が被告らから保証人になることの委託の申込を受けこれを承諾したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(四) 同1(四)のうち、原告が、本件仮処分を申請し、本件保証を受託した当時、弁護士であったが、被告ら主張のとおりの刑事事件で起訴され、第一、二審で有罪判決の言渡を受け、上告中であったこと、なお、原告はその後被告ら主張のとおり上告棄却の判決言渡を受け、同判決の確定により弁護士資格を失ったこと、原告は被告九段製本ら三名から、田治、鈴木との間の紛争の解決を依頼され、本件仮処分を申請し、本件保証を受託した当時、前記のとおり刑事事件で起訴されていることを伝えたことはなかったこと、その後、本件供託金の取戻しを受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(五) 同1(五)の事実は否認する。
原告は、被告らに刑事事件で起訴され、第一、二審で有罪判決の言渡を受けていたことを伝えなかったが、右事件は当時原告より上告中で、原告は右の第一、二審の判決は違法なものとして破棄されると確信していたものであり、被告らが、原告の起訴されているのを知らずに、本件保証の委託をしたとしても、それは法律行為の動機に錯誤があるにすぎず、法律行為の要素に錯誤があるものとはいえない。また、原告は後記再抗弁1のとおり、弁護士資格を喪失する前の同年一〇月二八日には受任事務を成功裡に処理していたものであるから、原告が刑事被告人になっていたことは原告の受任事務の処理にはなんらの影響も与えていないものである。
2 同2のうち、原告が本件供託金の取戻しを受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3のうち、被告らが本件貸付金を借受けるに当たり、その主張の約束手形二通を和田に振出又は裏書譲渡したことは認めるが、これは右貸付金債権担保のため差入れたものであり、その余の事実は不知ないし否認する。
4(一) 同4(一)のうち、原告が本件供託金の還付を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同4(二)の事実は認める。
五 再抗弁
(抗弁4(一)に対し)
1(一) 仮に抗弁4(一)の事実が認められるとしても、原告は、昭和四四年九月二三日、被告らから、本件不動産についてされた抗弁1(一)掲記の各登記を抹消し、被告九段製本ら三名の所有名義を回復、取戻す件及び被告日東開発が倒産したことに伴う被告らの財産整理に関する件の事務処理の委任を受けた。
(二) 被告らは、同年一〇月一五日、原告に対し、右事務処理に対する報酬として東京弁護士会の定める報酬規定の最高額を支払う旨を約したが、右規定によれば、事件処理に必要な費用は概算払を受け又は必要の都度支払を受けること、民事事件について、目的物の価額が五〇〇〇万円を超えるものは、着手金の最高はその価額の八分、成功報酬の最高は同じく八分で、仮差押、仮処分事件の報酬は右の二分一とすること、着手金は事件受任と同時に、成功報酬は依頼の目的を達したときに支払を受けることと定められている。そして、本件受任事件の目的物の価額は、本件不動産その他の財産を含めると二億円を超える。
(三) 原告は、前記本件不動産について被告九段製本ら三名の所有名義を回復、取戻す件については、前示のとおり、同年一〇月三日本件仮処分を申請し、本件仮処分決定を得たのち、田治と交渉を重ねた。その結果同月二三日、原告は田治との間で、被告らが当時田治に対して負担していた貸金債務一三一六万円を弁済するか、又は分割して支払うこととしたうえ本件不動産に抵当権を設定することで、田治は、右不動産につき鈴木名義の各登記をも抹消のうえ、その所有名義を右被告らに戻すことで合意に達し、同月二八日に右取引を行うことと定めた。しかるに、被告らは、右取引日当日約定の場所に赴かず、そのため当日右取引は実行されなかったが、すでに田治との間で、前示内容にて紛争を解決することと定められていたものであるから、右は被告らの受領遅滞というべきであり、原告の事務処理は完了し、依頼の目的は達せられた。
また、原告は、同月三一日に開催予定の債権者会議に提出する被告らの財産整理に関する案を同月二五日に被告らに交付し、これにより被告らの財産整理に関して依頼された事務処理を終えた。
なお、仮に原告の事務処理が以上をもってしては依頼の目的を達したものといえないとしても、原告が被告らに対し、前記事件を受任したことによる着手金請求権を有することは明らかである。
2 そこで、原告は被告らに対し、同年一二月一日、前記報酬請求権をもって被告ら主張の不当利得返還請求権とその対当額において相殺する旨の意思表示をし、同意思表示はそのころ被告らに到達した。
六 再抗弁に対する認否
1(一) 再抗弁1(一)のうち、被告九段製本ら三名が、原告主張のころ、原告に対し、本件不動産についてされた抗弁1(一)掲記の各登記を抹消し、同被告らの所有名義を回復、取戻すことを依頼したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同1(二)の事実は不知ないし否認する。
(三) 同1(三)のうち、原告が、その主張の日に、被告九段製本ら三名の代理人として本件仮処分を申請し、その後本件仮処分決定が発せられた事実は認めるが、その余の事実は否認する。
2 同2の事実は認める。
第三証拠《省略》
理由
一 本件不動産が昭和四四年九月三日ころ田治に譲渡されたか否かはしばらく措き、本件土地建物(一)、(二)がもと被告九段製本の所有であり、本件建物(三)が同じくもと被告日東建物の所有であり、本件土地建物(四)、(五)が同じくもと被告小野の所有であったこと、本件不動産について、同月五日、田治のため同月三日売買を原因とする抗弁1(一)掲記の本件各所有権移転登記がされたこと、本件土地建物(一)、(二)及び(四)、(五)について、同月一一日、鈴木のため、同月一〇日の継続的金銭消費貸借契約の同日設定契約等を原因とする抗弁1(一)掲記の本件根抵当権設定仮登記等がされたこと、被告九段製本ら三名はその後、当時弁護士であった原告に対し、本件不動産についてされた田治、鈴木を権利者とする右各登記を抹消し被告九段製本ら三名がそれぞれ登記簿上の所有名義を回復、取戻すことを依頼し、原告はこれを受任したこと、原告は現在も弁護士であるが、右事件受任後一定期間弁護士資格を喪失していたこと、原告は同年一〇月三日被告九段製本ら三名の代理人として本件仮処分の申請をしたこと、右仮処分事件について東京地方裁判所が前同日供託を命じた保証金は、被告九段製本につき金二〇〇万円、同日東建物につき金二五〇万円、同小野につき金二一〇万円(合計金六六〇万円)で、右保証金に関する本件供託は、被告九段製本ら三名についていずれも第三者である和田名義をもってされたこと、その後同月六日、同裁判所から、田治に対し本件不動産の一切の処分を禁ずる旨の本件仮処分決定が発せられたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 請求の原因1、2の事実について判断する。
前示当事者間に争いのない事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》すなわち、
1 被告九段製本は製本業を目的とし、昭和三一年被告渡辺が出資の大部分を負担して設立した会社である。右会社は、当初訴外長谷川某が代表取締役をしたのち、被告渡辺が昭和四四年五月ころまで代表取締役をし、同年六月ころから現在まで同被告は専務取締役に退き、その義兄に当たる訴外浅川熊雄が代表取締役に就任していたが、同人は茨城県水戸市内で他の業務に従事して被告九段製本の運営にはほとんど関与せす、実際の運営は被告渡辺及び小野の両名が共同でこれを行っている。被告日東建物は貸室業を目的とし、昭和三五年ころ被告渡辺、同小野及び訴外橋本重行の三名が出資して設立した会社で、昭和四〇年ころから右橋本が代表取締役に就任し、被告渡辺が専務取締役になっているが、橋本は同会社の運営には一切関与せす、名目上の代表取締役であるにすぎなく、同会社の実際の運営は被告渡辺及び小野の両名が共同でこれを行っている。被告日東開発は土木基礎工事業を目的とし、昭和三七、八年ころ当時日本大学教授でコンクリート工学の研究者である被告小野らが出資して設立した会社で、昭和四〇年ころから同四四年五月ころまで被告渡辺が代表取締役をしたのち、同年六月から現在まで被告小野が代表取締役に就任しているが、被告渡辺も経理を担当し、同会社の実際の運営は被告小野及び渡辺の両名が共同でこれを行っている。
2 元来、本件土地建物(一)、(二)は被告九段製本の、本件建物(三)は被告日東建物の、本件土地建物(四)、(五)は被告小野のそれぞれ所有であるところ、昭和四四年九月五日、本件不動産について、田治のための本件各所有権移転登記がされ、同月一一日、本件土地建物(一)、(二)及び(四)、(五)について、鈴木のための本件根抵当権設定仮登記等がされたが、右各登記がされるに至った経緯は次のとおりであった。被告小野及び渡辺の両名が共同して運営していた被告日東開発は、昭和四四年春ころから資金繰りが極めて悪化し、同年八月二五日ころには不渡手形を出すに至った。そこで、被告渡辺が、そのころかねて同被告のかかりつけの医師であった田治に右の窮状を打明けて相談したところ、同人より取引先の協和信用組合から本件不動産及びその他の物件を担保にして必要な三〇〇〇万円程度の資金の融通を受け得る旨の返答を得たので、被告渡辺は、この言を信じ、同人を通じ、協和信用組合に右融資の申込をすることとした。しかし、被告日東開発がすでに不渡手形を出していたので、円滑に融資を受けるために被告らに代って田治が借主となって融資の申込をすることとし、それがため担保に供される本件不動産等の登記簿上の所有名義人を田治にする必要があるとの田治の言により、協和信用組合から融資を受けるための手段として、本件不動産等の登記簿上の所有名義を田治に移転することにし、前記のとおり田治名義に本件各所有権移転登記をした。しかし、田治は、未だ協和信用組合からの融資が決定しないうち、被告らに無断で、同組合から融資を受けるまでのつなぎのためと称し、高利貸の鈴木から一〇〇〇万円を借受けたうえ、その全部又は一部を被告らに貸渡す一方、同月一一日、本件土地建物(一)、(二)及び(四)、(五)について、前記のとおり鈴木に対し同月一〇日設定契約を原因とする本件根抵当権設定仮登記をした。かくして、本件不動産等を担保に協和信用組合から融資を受けるべき当初のもくろみは、右のとおりその融資決定前に鈴木のため先順位の根抵当権設定仮登記がされたため、不成功におわった。
3 そこで、被告らは、田治に対し本件不動産についてされた本件各所有権移転登記等を抹消して、登記簿上の所有名義を被告九段製本ら三名に戻すように求めたが、同人が応じなかったため、同人との間に本件紛争が発生した。そうして、被告らは、同月二三日、知人の紹介で知った弁護士の原告に対し、右紛争を解決し本件不動産に対する田治の本件各所有権移転登記及び鈴木の本件根抵当権設定仮登記を抹消したうえ、被告九段製本ら三名において同不動産に対する登記簿上の所有名義を回復、取戻すことを依頼した。右依頼に基づき、原告は、田治と交渉をした結果、被告らに対する前記貸金の返済を受けるまでは本件各所有権移転登記を抹消しないとの田治の言動から、田治に対し本件不動産の処分を禁ずる旨の仮処分を申請する必要があると考えた。そして、原告は、被告渡辺に対し、右仮処分命令の発令を得るためには数百万円程度の保証金を供託する必要がある旨の予測を述べて右金員を用意することができるかどうかを打診したところ、同被告より困難である旨の返事を得た。そこで、原告は右資金調達のため、被告渡辺に対してかねて原告が法律顧問をしている金融業者の訴外会社を紹介することにし、同被告を同会社に案内し、同被告から同会社に金融を申込んだが、被告小野にも面談をしたい旨要求され、後日改めて同被告を同道することとなった。
4 原告は、同年一〇月三日、債権者の被告九段製本ら三名の委任を受けた代理人として、東京地方裁判所に本件仮処分の申請をした。同日、同裁判所から供託を命ぜられた保証金は、被告九段製本につき二〇〇万円、被告日東建物につき二五〇万円、被告小野につき二一〇万円であり、右保証金の供託に関しては、債権者の被告九段製本ら三名に代えて第三者の和田豊三郎名義で供託することについての許可も得たが、この第三者供託の許可を得たのは原告自身の考えに基づくものであり、右仮処分申請をする段階において、被告九段製本ら三名にその旨を告げてその了解を得たとまで認めるに足りる証拠はない。
5 被告小野及び渡辺の両名は、同月三日、本件仮処分申請について保証金の供託命令を受けたのち、これに充てるべき金員を借用するため、原告と一緒に訴外会社に赴き被告らのために金融を求めたところ、同会社係員から、現在手持資金が不足していて貸付することができないが、同月六日には同社のいわゆるスポンサーもしくは資金提供者のうちから必要な資金の貸付を受けられるよう斡旋するので同日再び来社するように言われたのでこれを了承するとともに、その際、右貸付金の利息は月七分、弁済期は一か月後とすることを一応内諾した。またその際、訴外会社より、右貸付金については原告が連帯保証人になることを求められたので、原告は、その場で、被告小野が連帯債務者として署名した連帯借用証書に連帯保証人として署名し、これを貸主に差入れるべく、訴外会社係員に預け渡した。そして、同日夜、被告らは、右のとおり訴外会社の斡旋で他から借受ける金員の返済に関しては被告らが一切始末し、連帯保証人の原告には迷惑をかけないと記載した誓約書を原告に差入れ、原告との間において、本件貸付金についての本件保証委託契約を締結した。
6 被告小野及び渡辺の両名は、同月六日再び訴外会社に赴き、応対に出た同会社係員から、金員を貸渡す貸主が知田豊三郎なる人物であることを示す同人の住所氏名を書きしるしたメモ及び貸付金額七四五万円、弁済期同年一一月四日、利息月七分、利息五二万一五〇〇円天引、差引交付額六九二万八五〇〇円であることを示す文言、数字を書きしるしたメモを交付され、本件貸付金の貸主が和田なる人物であり、金七四五万円を、弁済期は同年一一月四日、利息は月七分の約定で、利息として五二万一五〇〇円を天引し、手取り額を六九二万八五〇〇円として(ただし、これから更に印紙代として一〇〇〇円を差引く。)貸付を受けるものであることを知らされ、その旨了知した。しかし、その場では被告小野及び渡辺の両名には現金は交付されす、同被告ら両名は、その後、現金を所持した同会社係員の訴外渡部西二ともども同会社を出たのち原告と落ち合い、四名一緒になって所轄供託所の東京法務局に行った。
7 そうして、本件供託は、被告九段製本ら三名の代理人である原告が、和田豊三郎の代理人と称してなし、供託金合計六六〇万円は、同道していた訴外会社の渡部西二が右法務局の担当係員に直接手渡し、被告小野及び渡辺の両名は右金員を手にせず、同人らが手渡を受けたのは、供託したのちの残金三二万七五〇〇円のみであった。右供託は、被告九段製本ら三名が債権者として田治を相手にして申請した本件仮処分の保証としてされたもので、和田豊三郎による第三者供託が許可されるに至った経緯は前示のとおりであり、右供託がされる際、被告小野及び渡辺の両名は、原告から和田豊三郎名義で第三者供託することを告げられたが、同人らはこれに対しなんら異議を申し述べることをしなかった。
しかるのち、前同日午後、裁判所より本件仮処分決定が発せられ、後日、本件不動産の登記簿上にその旨の登記がされ、同命令が執行された。
以上認定の事実によれば、和田と称する人物は、昭和四四年一〇月六日、被告らに対し、金七四五万円を、弁済期同年一一月四日、利息月七分の約定で、右弁済期までの利息として五二万一五〇〇円を天引したうえ(したがって、利息制限法二条、一条によると、その所定の制限超過分が元本の支払にあてたものとみなされたのちの残元本は金七〇一万三九一九円になる。)、これを貸渡したものであり、また、被告らは、原告に対し、右貸付金についての連帯保証人になることを委託したものであると認めることができる。
三 そこで、本件保証委託申込の意思表示には、その要素に錯誤があり、無効である旨の被告らの主張(抗弁1)について判断する。
1 抗弁1(四)のうち、原告が本件仮処分申請をし、本件保証委託の申込を承諾した当時、弁護士であったが、被告ら主張のとおり、刑事事件で起訴され、すでに第一、二審で懲役刑に処するとの有罪判決の言渡を受け、原告から上告中の身であり、その後、上告棄却の判決言渡を受け、同判決の確定により弁護士資格を失うに至った(ただし、現在は、再びその資格を回復している。)こと、原告は、被告九段製本ら三名から、本件不動産についてされた田治の本件各所有権移転登記及び鈴木の本件根抵当権設定仮登記等を抹消し、同被告らの所有名義を回復、取戻すことを依頼され、右依頼に基づき田治を相手にして本件仮処分申請をし、被告らからの本件保証委託を受託した当時、右のとおり刑事事件で起訴されている身分状態にあることを被告らに対し告げなかったこと、その後、本件供託金の取戻しがされ原告がこれを受領したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。
2 右1及び前示一の当事者間に争いのない事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 原告は、昭和三〇年三月弁護士登録を了え、東京弁護士会に所属して弁護士業務に従事していたものであるが、被告九段製本ら三名から田治及び鈴木との間における本件紛争の解決、処理を依頼される五年余り前の昭和三九年五月四日、東京地方検察庁から刑事事件で東京地方裁判所に起訴された(同裁判所昭和三九年(わ)第一七七〇号事件)。原告に対する公訴事実の骨子は次のとおりである。訴外○○株式会社は、昭和三五年三月に破産宣告を受け確定したが、原告は、右訴外会社の代表取締役であった実兄の訴外(相被告人)甲野一郎らと共謀のうえ、同会社が昭和三四年一二月銀行取引停止になったのち、自己の利益を図り、同会社の一般債権者に損害を加える目的で、あるいは権利行使に仮託して差押、競売の方法により、将来同会社の破産財団に属すべき機械、工具、什器等計約一六〇万円相当を他に搬入隠匿し、あるいは債権譲渡を仮装して売掛代金債権四三万円余りをひそかに取立て、将来同会社の破産財団に属すべき右債権を同会社の一般債権者に不利益に処分した。また原告は、弁護士として他人より依頼を受けて訴訟等に従事するほか、事件関係者より事件関係の金員を預りこれを委託の趣旨に従って処理する業務に従事していたものであるが、前記破産会社所有の約束手形一七通及び小切手一通(金額合計二四四万円余り)を同会社のため業務上保管中、昭和三五年二月から同年四月ころまでの間、十数回にわたり自己の開設した他人名義の普通預金口座に入金して着服横領するとともに将来同社の破産財団に属する財産を隠匿したというものであり、罪名は前二者が破産法違反(破産法三七六条前段、三七四条一号)、後者が業務上横領(刑法二五三条)及び破産法違反(破産法三七八条、三七四条一号)であった。
(二) 右刑事事件について、原告は、昭和四一年三月三一日、東京地方裁判所より公訴事実の全部を有罪とする旨の懲役一年六月の実刑判決の言渡を受け、その後、原告からの控訴申立を受けた東京高等裁判所(同庁昭和四一年(う)第一〇九三号事件)よりも、昭和四二年一二月二八日、原判決の事実認定に誤認はないけれども、原判決の量刑は、現時点では重きにすぎるという理由で、原判決破棄、懲役一年六月、三年間執行猶予付の判決言渡を受けた。原告は、右控訴審判決に対し最高裁判所に上告し(同庁昭和四三年(あ)第四七二号事件)、原告が被告九段製本ら三名の代理人として本件仮処分申請手続をとったり、被告らの本件貸付金について連帯保証人になることを受託した当時は、右事件が最高裁判所に係属中であったが、その後、昭和四四年一〇月三一日、最高裁判所より上告棄却の決定がなされた。その結果、前記有罪判決の確定により原告には弁護士資格の欠格事由を生じ(弁護士法六条一号)、原告の弁護士登録は同年一一月六日ころ日本弁護士連合会により取消され、原告は弁護士資格を失うに至った。
(三) 被告らが原告に対し、本件保証委託をするに至った経緯は、前示のとおり、被告九段製本ら三名において、田治及び鈴木の両名との間で本件不動産に関して生じた本件紛争の解決処理を弁護士の原告に依頼したことが発端となり、その後、右紛争を解決するため、田治を相手にして申請した本件仮処分申請を原告に委任したのち、同事件において裁判所から立てるように命ぜられた本件保証金に充てるべき金員の融通を受ける貸主を求めて原告より金融業者の訴外会社の紹介を受けるなどしたことを機縁とするものである。そして、被告らは、原告に本件保証委託をした当時、同人が前示のとおり刑事事件で起訴され、すでに第一、二審において懲役刑に処する旨の有罪判決の言渡を受けて上告中の身であることを同人より告げられず、そのため、原告のかような身分状態を知らず、原告に対し、被告九段製本ら三名において前記事件処理及び本件仮処分申請を委任し、被告らにおいて本件貸付金について連帯保証人になることを委託したものであった。
(四) 一方、原告が被告九段製本ら三名から本件紛争解決の依頼を受けた当時には、前記刑事事件は上告後すでに一年九か月を経過し、早晩上告審の結論が出されると予測しうる状況にあった。それ故、上告を棄却する旨の結論が下されたときには、その裁判の確定により弁護士資格を失うことになるため、原告は前記紛争の早期解決を期し、本件仮処分申請手続をとる前にも田治と面談して交渉したほか、右仮処分申請をしたのちも同人と幾度か面談折衝を重ね、昭和四四年一〇月一八日には警視庁刑事部捜査四課を訪ね係員に対応策の教示を受けるなどした。その結果、同月二三日ころには、被告らが、田治から借受けた前記貸付金の返済として金一三〇〇万円を返済するか、又は即時に支払うことができない場合には分割払を約定のうえ、田治のために本件不動産上に担保権を設定すれば、その代りとして、田治は本件不動産についてした本件各所有権移転登記を抹消して被告九段製本ら三名に登記簿上の所有名義を返すこととする旨の大筋の取り決めが原告と田治との間で了解され、そのための取引を同月二八日警視庁において行うことが約された。しかし、前示のとおり本件不動産の所有名義が被告九段製本ら三名から田治に移転されたのは、同被告らが、田治の名義で協和信用組合から融資を受けるための手段として仮装譲渡したことによるものであるにすぎず、被告らが田治から借受けた前記貸付金の担保の目的でされたものではなかったうえ、田治、被告ら間の貸付金額については、田治は一三〇〇万円余りと主張するのに対し、被告らは八〇〇万円にすぎない旨を主張し、双方には相当の対立、くい違いが存在しているにもかかわらず、原告と田治間で了解された前記取り決めは、田治の言い分を鵜飲みにし、被告らの事前の了解もなく、独断専行のうえ取り決めたものであったから、被告小野及び渡辺の両名が、原告と田治との約束どおり同月二八日警視庁に赴き田治と協議をしたとしても、同人との間で協議がまとまり紛争が解決できることが見込まれる状況ではとうていなかった。
(五) 他方、被告小野及び渡辺の両名は、同月二八日、本件仮処分事件の係属する東京地方裁判所民事第九部に係書記官を訪ね、右仮処分事件について代理人の原告を解任する旨の被告九段製本ら三名の届出書を提出した。右被告らが右のような挙に出るに至ったのは、同月二三日ころ原告より前示田治との話合いの経過について報告を受けた際、同人から、それまで同人に委任していなかった被告日東開発の財産整理に関し、「日東開発株式会社の倒産に伴う私共の財産整理に関する一切の件」を委任事項とする委任状に被告らの署名(ただし、被告九段製本ら三名については、原告が予め代署してあった。)捺印をするように求められたのに対し、右委任事項の内容が極めて包括的であって、現在の時点では原告にそのような事務処理を委任する必要はないと考え、被告小野及び渡辺の両名は右委任状に一旦は署名したものの、その場に居合せた訴外増富雅昭の助言もあり、押印するのを断わったところ、原告が突然怒り出し、「一文も金(弁護士報酬のこと)を出さないで勝手なことを言う。俺は面倒みきれないからやめる。田治と組んでお前の財産を皆喰ってしまう。」などと暴言を吐いたため、原告の行動に不安を覚え、信頼することができなくなったので、原告の所属する東京弁護士会を訪ね、事務責任者に原告に対する取扱を相談したところ、裁判所に解任届を提出することの教示を受け、前記のとおり処置したものである。
(六) ところで、原告に対する弁護士報酬について、被告小野は、本件仮処分申請手続がされたのち原告の解任届を提出するまでの間の一〇月一五日、原告から東京弁護士会所定の報酬規定を示されその内容を知ったが、その際、同被告が原告に対し、規定の最高額の報酬を支払う旨を約したことはなかった。また、被告らは、原告の解任届を提出するまでに手数料(着手金)の名目で原告に対し金員を授与したことはなかったが、和田なる人物から本件貸付金を借受け、東京法務局で本件保証金を供託した際、供託したのち被告小野及び渡辺の手許に残った金員のうちから金三〇万円を、費用の名目で原告に授与した。そのうえ、原告はこれまでに被告九段製本ら三名から依頼された本件不動産についてされた田治及び鈴木名義の各登記を抹消して同被告らの所有名義を回復、取戻すとの事務処理を完遂し同被告らの依頼の目的を達成した訳ではないのに、前記暴言を吐いたすぐあとの同月二五日、被告九段製本ら三名から解任されることあるのを予期し、被告小野に対し内容証明郵便をもって、本件仮処分申請手続の件及びその他の件の手数料(着手金)及び謝金(成功報酬)としてそれぞれ金五二五万円(合計金一〇五〇万円)もの法外な支払を請求した。
(七) そして、原告は、その後まもなく、前示のとおり、登録取消により弁護士資格を失い、前記刑事事件の確定後少くとも執行猶予期間の三か年間は、他からの委任に基づき訴訟代理人となって訴訟活動をすることができなくなった。
しかるに、その後、原告は、本件不動産についてされた田治及び鈴木の前記各登記は未だ抹消されずに残存していたものであるため、本件仮処分申請を取下げることのできるような状況ではなかったのにかかわらず、同年一〇月ころ、被告九段製本ら三名から解任される前に予め徴取していた受任者欄白地の本件仮処分申請取下のための委任状を使用し、原告において、被告らに無断で弁護士の訴外乙山月夫及び丙川春夫の両名を受任者に選任したうえ、同年一一月一〇日、右乙山月夫弁護士をして、本件仮処分申請の取下及び本件仮処分決定の執行申立の取下をさせるとともに本件保証金についての担保取消を裁判所に求めた。そして、右取下により、本件仮処分の登記はその後まもなく抹消されるに至り、また、本件保証金の担保については、債務者である田治の同意により同月二五日に取消決定がなされたのち、原告は、和田豊三郎の代理人であると称し本件供託金の取戻を受けたが、右金員を被告らに引渡さず、被告らに対するその返還債務は前示請求にかかる弁護士報酬金内金の請求権とが対当額において相殺により消滅している旨主張している。
(八) 一方、被告らは、前示のとおり裁判所に原告の解任届を提出したのち、その後の処置を本件訴訟代理人の小笠原市男弁護士に相談した。そして、被告らは、同年一一月下旬に至り、同弁護士の調査の結果、本件仮処分申請が取下げられ、本件仮処分登記が抹消されていることを初めて知り、同月二七日、急拠同弁護士を代理人として、前同様、田治に対し、本件不動産について譲渡その他一切の処分を禁ずる旨の仮処分を東京地方裁判所に申請し(同庁昭和四四年(ヨ)第九七四〇号事件)、同月二九日その旨の仮処分決定を得たものであり、右仮処分の登記は同日中になされた。また、右仮処分事件の本案訴訟は、昭和四五年一月一五日、小笠原弁護士が被告九段製本ら三名の訴訟代理人となって、田治及び鈴木を被告として東京地方裁判所に提起されたが(同庁昭和四五年(ワ)第二九二号事件)、田治及び鈴木との間の本件紛争が解決し、本件不動産についてされた本件各所有権移転登記及び根抵当権設定仮登記等を抹消のうえ、被告九段製本ら三名がそれぞれの所有名義を回復、取戻したのは、右事件において昭和四五年八月二日成立した裁判上の和解によってであった。
(九) そうして、被告らは、前示のとおり原告が刑事事件で起訴され、すでに第一、二審において懲役刑の有罪判決の言渡を受けて上告中であったのを知らず、原告がかような身分状態にないものと考えて田治及び鈴木の両名との間の本件紛争の解決、本件仮処分申請を委任し、本件保証委託の申込をしたものであるところ、その当時、原告が右のような身分状態にあることを知っていたときには、弁護士であるとはいえ、人間的信頼に不安が感ぜられ、また、時間的にみても本件紛争の解決を図り、依頼の目的を遂げることは著しく困難と思料されるので、原告に対し、右紛争の解決や仮処分申請を委任したりする意思はなく、したがってまた、右各行為と連鎖的な一環をなす行為としてされた本件貸付金についての連帯保証人になることの委託申込をする意思もなかった。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
3 以上認定の事実によれば、被告らの原告に対する本件保証委託の申込は、本件保証金に充てるべき金員を調達するために本件貸付金を借受けることに伴うもので、被告九段製本ら三名が原告に依頼した本件不動産についてされた田治の本件各所有権移転登記及び鈴木の本件根抵当権設定仮登記等を抹消し同被告らの登記簿上の所有名義を回復、取戻すための本件仮処分申請に基づく一連の連鎖的行為の一環としてされたものといえる。しかるところ、被告らは、原告が弁護士としての職務を遂行するにふさわしい品性、信頼性に欠けるところなく、田治及び鈴木との間の本件紛争が解決するまで弁護士資格を保持して必要な訴訟活動に当たるものとして、原告に右紛争の解決、処理及び本件仮処分申請を依頼したうえ、本件貸付金についても連帯保証人になることの委託をしたものであり、当時、原告が刑事犯により起訴され、すでに第一、二審で、執行猶予付とはいえ、懲役刑に処する旨の判決を言渡され、上告中であることを知っていれば右のような依頼及び委託をする意思はなかったものであった。したがって、被告らの本件保証委託申込の意思表示にはその点において錯誤があったものである。そうして、保証人は、主債務の履行がない場合にこれに代って履行する責に任ずるものであり、そのため、保証人の資格や身分に関する事項は、債権者保証人間の保証契約においては一般に重要な意義を有しているのに対し、主債務者保証人間で締結される保証委託契約においては一般に必ずしも重要な意義があるということはできないけれども、本件の前記認定した事実関係のもとにおいては、被告らと原告間の本件保証委託契約は、受任者の資格、身分が重要視される弁護士たる原告に対する本件紛争の解決処理及び本件仮処分申請の委任という行為と極めて密接な関連をもち、それらと不即不離の関係のもとに締結されたものであるから、右委任契約におけると同様、原告の資格、身分に関する錯誤は、重要な錯誤として、法律行為の要素の錯誤に当たるものと解するのが相当である。
したがって、被告らの本件保証委託申込の意思表示は、無効というべきである。
四 以上の次第であるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく全部失当であるからこれをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宇野栄一郎 裁判官 榎本克巳 裁判官島本誠三は職務代行を解かれたため署名捺印することができない。裁判長裁判官 宇野栄一郎)
<以下省略>