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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1302号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(責任原因と被害者の過失)

<証拠>によれば、本件事故現場付近の道路状況は、七軒町方面(ほぼ東方)から一丁目方面(ほぼ西方)に通ずる幅員4.7米の道路と八幡町方面(ほぼ南方)から鍛治町方面(ほぼ北方)へ通じる幅員5.4米の道路とが直角に交差しており、いずれも歩車道の区別はなく、アスファルト舗装で路面は平坦であつて、道路両側には商店・人家が建つているが交通量は自動車・通行人とも閑散であり、駐停車禁止区域であつて速度制限は時速三五粁であること、被告は時速約四〇粁で七軒町方面から一丁目方面に向つて進行中、交差点の手前約一二米の地点において前方約二五米の道路南側から道路中央へ出た満三歳の原告を発見し、軽くブレーキをかけ、約13.4米進行して交差点へ進入した際、発見のときより約6.65米東方へ進んだ地点に原告を認めて急ブレーキをかけたが間に合わず加害車の前照灯左側付近が原告に衝突し、原告は衝突地点より約五米西方の地点に転倒したことが認められる。

以上の事実によれば、原告は速度制限に違反し、しかも監護者が付き添わない幼児を認めながら一時停止又は徐行をし幼児の通行を妨げないようにする義務を怠つた過失が認められる。

ところで、<証拠>によれば、原告は昭和三七年一〇月一二日生であることが認められ、本件事故当時満三歳四月であつたことになる。被告は、幼児は事理弁識能力を有しないから、幼児については過失相殺すべきではない旨主張するのであるが、過失相殺は、損害の公平な分担という見地から妥当な損害額を定めるための調整的機能を有する制度であり、民法七二二条二項にいわゆる「被害者の過失」は加害者側の賠償額を軽減させる一標識として理解するのが相当である。したがつて、「過失相殺における過失」は非難可能性を意味する伝統的構成による「過失」ではなく、客観的注意義務違反として、その概念の外延を広く解すべきであり、責任能力は固より事理弁識能力もない幼児あるいは精神病者の行為についても、右行為が事故発生に有因的に作用している場合には、端的に幼児あるいは精神病者の過失として斟酌しうるものと解すべきである。けだし、監督義務者が幼児を放置したことを以て過失と解する立場を貫くと、事故時点における幼児の行為態様の如何は賠償損害額算定に際して斟酌されず、むしろ事故時以前の加害者には関係のないところでなされた監護義務違反の行為態様が斟酌されるべきことになつて、損害の公平な分坦という制度目的に副わない結果となるからである。

また、抽象的に被監護者を危険圏内においたことを以て監護義務違反とする立場は、現実には被監護者の行為態様を斟酌することになるのであつて、然りとすれば、抽象的な監護義務ではなく、端的に被監護者の所為を問題とすべきである。

更に、過失相殺の類型化・定型化を推進するためには、事故における加害者・被害者の行為態様から定型的に過失の有無と程度とを判断する必要があり、そのためには過失相殺に関しては事理弁識能力のない幼児あるいは精神病者の行為を端的に過失として斟酌し、被害者が幼児、精神病者あるいは老人であることは、道路交通法七一条二号の趣旨に照らし、過失割合の修正要素として考慮すべきものと解するのが相当である。

そこで、本件の原告の所為について按ずるに、原告は接近して来る加害車を避けることなく、むしろ加害車に向つて進行したことが認められ、これを被告の前記過失と対比すると、両者の過失割合は、原告二対被告八を以て相当と認める。(篠田省二)

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