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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)13959号 判決 1975年1月20日

原告

荒井潤一

右法定代理人親権者父

荒井輝雄

同母

荒井けさみ

原告

荒井輝雄

原告

荒井けさみ

右原告三名訴訟代理人弁護士

山内堅史

被告

東京都

右代表者知事

美濃部亮吉

右指定代理人

大川之

津田俊一

主文

一  被告は、原告荒井潤一に対し金一、一七三万円、原告荒井輝雄に対し金八五六万円、原告荒井けさみに対し金二〇〇万円およびこれらに対する昭和四五年一月七日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  申立

(原告ら)

「被告は、原告荒井潤一に対し金一〇〇九万円、原告荒井輝雄に対し金一一五六万円、原告荒井けさみに対し金五〇〇万円及びそれぞれに対する昭和四二年一月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二  主張

(原告ら)

請求原因

一  原告荒井潤一の出生

原告荒井潤一(以下原告潤一という)は、原告荒井輝雄(以下原告輝雄という)、原告荒井けさみ(以下原告けさみという)間の長男として、昭和四一年一二月二四日午前九時七分、被告の開設、維持管理する東京都立台東産院(以下台東産院という)で出生した。

二  債務不履行責任(主位的主張)

(一) 診療契約の締結

原告輝雄、同けさみ両名は、被告との間に、昭和四一年一二月二三日、原告けさみが台東産院に入院の際、生まれる子供にもし病的異常があればその医学的解明を求め、これに対する治療方法があるなら、その治療行為を求める旨の診療契約を、さらに原告潤一出生の際、同人の法定代理人として、同人にもし病的異常があればその医学的解明を求め、これに対する治療方法があるなら、その治療行為を求める旨の診療契約を、それぞれ締結した。

(二) 原告潤一の症状と診療の経過

1 原告潤一の出生は満期正常分娩で、出生当初母子ともに何らの異常なく、出生時の原告潤一の体重は三、〇九五グラムであつた。

2 台東産院における原告潤一の担当医は、同産院勤務の佐藤和也医師(以下佐藤医師という)であり、同医師が出勤しない場合は同産院産料医長植村一郎医師その他の医師(以下担当医という)が原告潤一を診察した。

3 一般に、新生児の生理的黄だんは、生後二、三日以降出現するものであるが、原告潤一は早くも出生翌日の一二月二五日から、いわゆる早発黄だん症状を示し、このため同産院では出生二四時間経過後は母子同室制を採つているにもかかわらず、暫らく様子を見るとの理由から原告潤一は以後も引き続き原告けさみの病室へ移されなかつた。

4 原告潤一の黄だんは、その後もますます強くなり、新生児室へ原告潤一を見に行つた原告輝雄の素人目にも明らかに生理的黄だんとはいえない異常な様子が感じられた。ところで、原告輝雄の血液型はAB型、原告けさみのそれは0型、原告潤一のそれはA型であつたので、原告輝雄、同けさみ両名は、原告潤一の右黄だんがかねてから新聞、テレビ等で喧伝されていたABO血液型不適合によるものではないかと心配になり、佐藤医師に対し「母子血液型不適合ではないか」、「交換輸血の必要はないか」等真剣に聞き質したが、同医師は、「様子を見ているから心配ない、医師を信頼して欲しい」と答えるのみであつた。

5 台東産院では新生児の黄だん度を測定するためにイクテロメーター(黄だん計)を用いていたが、前記のとおり原告潤一に早発黄だんが出現した二五日のイクテロメーター値(以下イ値という)は二を示し、以後二六日には三、二七日には四まで上昇し、以後三〇日まで四日間イ値四が続いた。

6 原告潤一の一般症状も、右黄だんの出現上昇と並行してはつきり悪化し、出生後一両日は哺乳力も極めて悪く、嘔吐もあり、体重も生後四日間で生理的限度を超えて異常な減少を示したばかりでなく、二八日以降は連日三八度以上の発熱が続いた。

7 さらに、原告潤一は二九日にはけいれん様発作および筋肉の軽度硬直症状を示し、年を起した昭和四二年一月三日には落陽現象を示した。

8 しかるに佐藤医師その他の担当医師は、原告潤一の右症状に対し、当時においてもその効果の有無につき甚だ疑問視されていた葉剤アクスZを投与した以外には何ら積極的かつ適切な治療措置を講じないまま放置した。

9 台東産院院長は、一月七日突然原告潤一を国立小児病院へ転院させる旨、原告輝雄、同けさみ両名に通告し、原告潤一は同日同産院を退院し、国立小児病院へ入院した。

(三) 国立小児病院における経過

原告潤一は国立小児病院で、ABO血液型不適合による核黄だんの疑いが強いとの診断をうけたが、既に症状が進展して手遅れであつたため、同病院でも如何ともなし難く、三月二五日同病院を退院した。

(四) 原告潤一の現在の状態とその原因

原告潤一は、現在運動機能が全くなく、寝たきりの状態で坐ることさえできず、日常の起居動作は全く不可能であり、さらに知能はやつと両親を識別できる程度、言語能力もわずかに音を発する程度である。これは核黄だんによる脳性麻痺後遺症に起因するものである。

(五) 被告の不完全履行

1 核黄だん発生の機序に関する細部の点については現在においても必らずしも明らかでないが、核黄だんの大多数は新生児血中内の間接ビリルビン濃度と関連し、間接ビリルビンが一定濃度以上に達すると(高ビリルビン血症)、これが脳細胞に沈着して核黄だんを起す危険があるといわれている。そして原告潤一出生当時の医学界では、右間接ビリルビンの一定濃度は、成熱児の場合血清ビリルビン値(以下血清ビ値という)一八ないし二〇mg/dlをもつて、後記臨床症状の如何にかかわらず核黄だん発生の危険限界値とするのが定説であつた。そして血清ビ値が右限界値を超えない以前に交換輸血を行なえば核黄だんの発生を防止でき、したがつて前記後遺症を残さずに済むことも学理上、臨床上両面より確認されていた。

2 核黄だんには、大別してRHマイナスあるいはABO等の母子血液型不適合に伴う新生児溶血性疾患によるものと、血液型不適合に無関係な特発性高ビリルビン血症(又は新生児高ビリルビン血症)によるものの二つがあり、黄だん出現の時期において、総じて前者は後者よりも早く(生後二四時間ないし三六時間の早発黄だん)、かつ黄だん増強の程度も急速であり、また以下に述べる臨床症状の発現も早いのが特徴である。

核黄だんの臨床症状は、それが必ずしも全部出揃うものではないが、まず哺乳力減退、嘔吐、不元気、嗜眠、筋緊張の低下等を示し、(第一期症状)、次いでけいれん等の痙性症状、発熱、後弓反射、筋硬直、落陽現象等を示す(第二期症状)。そして、この第二期症状出現以降は、脳組織の障害は不可逆性となり、たとえ交換輪血により救命し得ても、恒久的な脳障害後遺症、すなわち脳性麻痺を残す可能性が多いことも知られていた。

3 右によれば、原告潤一が台東産院入院中の生後数日間に示した前記各症状は、典型的なABO血液型不適合による新生児溶血性疾患のそれであることは明らかであるから、担当医師としては、核黄だん発生の危険を予測し、二六日原告潤一のイ値が三を越えた頃(イクテロメーター値は必らずしも正確に血清ビ値を示すものではなく、本来多くの新生児中より重症黄だん児を選別する限度で使用されるべきものであるが、当時までの臨床テストの結果等よりイ値三に相応する血清ビ値は平均値10.03mg/dl、標準偏差値14.58mg/dlとみなされていた)ないし同日アクスZ投与を開始した頃からイ値四(血清ビ値の平均値15.73mg/dl、標準偏差値21.8mg/dl)に到達したまでの間、もしくは遅くとも二九日原告潤一がけいれん様発作、軽度筋肉硬直を示す前のいわゆる第一期症状がみられた段階において、血清ビ値の測定、抗体の有無を知るための血液形態学的諸検査、(就中、血清ビ値の測定は不可欠である)を行ない、必要とあれば交換輸血をなすべき注意義務があつた。なお原告潤一の黄だんが仮にABO血液型不適合による溶血性疾患ではなく、特発性高ビリルビン血症であつたとしても、その治療方法(交換輪血)は同一共通であるから担当医師の注意義務において異なるところはない。

然るに、担当医師は、原告潤一の黄だんに関する綿密な観察、管理を怠つた結果、核黄だん発生の危険を看過し、前記交換輸血の時期を失したものであるから、原告潤一の脳性麻痺は被告の診療契約上の債務不履行に基づくものである。よつて、被告は右債務不履行に基づき、生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  不法行為責任(予備的主張)

原告潤一の担当医であつた佐藤医師その他原告潤一を診察した医師の過失ならびにこれと原告潤一の核黄だん後遺症との因果関係の内容は請求原因二(二)ないし(五)に記載のとおりであり、同医師らはいずれも被告の公務員として台東産院に勤務していた。よつて被告は民法七一五条に基づき後記損害を賠償すべき義務がある。

四  損害

(一) 原告潤一の得べかりし利益

原告潤一、右の如き重度の脳性麻痺後遺症により労働能力の一〇〇パーアセントを喪失し、高校卒業後の満一九才から六〇までの四二年間(稼働可能期間)の労働により得べかりし利益の現価一、〇〇九万円を失つた。

(二) 原告潤一の慰謝料

原告潤一は、その一生を治癒不能の重症心身障害者として生きなければならず、その苦痛は図り知れない。右苦痛を慰謝するに足る慰謝料としては少なくとも一、〇〇〇万円が必要である。

(三) 原告輝雄の監護費用

前記のような状態にある原告潤一は日常生活においても常時誰かの介助、付添を必要とするから、原告潤一の扶養義務者である原告輝雄がその監護費用を負担しなければならないのは明らかである。右費用は毎月最低二万円を要するから、原告輝雄が今後少なくとも原告潤一の前記稼働可能期間中に支出を要する監護費用総額の現価は六五六万円であり原告輝雄は右同額の損害を被つたものということができる。

(四) 原告輝雄、同けさみの慰謝料

重症心身障害児を抱えた両親の苦しみがどれ程のものであるかは今更喋々するまでもないが、右に加えて長女千明の将来の縁談に対する不安、世間のいわれなき偏見とのたたかいなど、原告輝雄、同けさみ両名は正に死亡にも比肩すべき精神的苦痛を蒙つている。そして右苦痛を慰謝するに足る慰謝料としては少なくとも右両名につき各五〇〇万円が必要である。

五  結論

よつて、被告に対し、原告潤一は二、〇〇九万円、原告輝雄は一、一五六万円、原告けさみは五〇〇万円およびこれらに対する前記債務不履行もしくは不法行為の後である昭和四二年一月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

(被告)

請求原因に対する答弁

A  請求原因の認否

一 請求原因一は認める。

二(一)1 同二、(二)1および2は認める。

2 同二、(二)3のうち、原告潤一が二五日より早発黄だん症状を示したことは否認し、台東産院で生後二四時間後原則として母子同室制をとつていること、および原告潤一が二四時間経過後も原告けさみの病室へ移されなかつたことは認める。

なお、これは原告潤一に嘔吐が認められたからである。

3 同二、(二)4のうち原告らの血液型は認め、その余は否認する。

4 同二、(二)5は認める。

5 同二、(二)6は争う。原告主張の如き原告潤一の症状はいずれも新生児にありがちな一過性のものであり、黄だんとは関係がない。

6 同二、(二)7は否認する。

7 同二(二)8のうち、アクスZを投与したことは認めるが、その余は争う。

8 同二(二)9は認める。しかし右転院措置は、一月七日に至り、原告潤一には灰白色の便が出、かつ四〇度以上の発熱を示したので、先天的胆道閉塞もしくは乳児肝炎の疑いが生じ、これらの疾患は小児科を有しない台東産院では十分な治療を尽くせない慮れがあつたため、とられた措置である。

(二) 同二、(三)は不知。

(三) 同二、(四)のうち、原告潤一の現状の状態は不知、原告主張の後遺症状が核黄だんに起因することは否認する。

(四)1 同二(五)1は争う。

核黄だんは単に高ビリルビン血症のみに起因するのではなく、薪生児の未熟性、低酸素症、低血糖症、アチドージス、低アルブミン血症その他種々の因子が加わつて発生するものであり、血清ビ値と並んで臨床症状も核黄だん発生の危険予測上重要視されるゆえんである。なお、原告潤一出生当時、交換輸血適応基準としての血清ビ値に関しては、必ずしも一致して二〇mg/dl説が支持されていたわけではなく、二五mg/dl説を唱える学者も少なからずあつた。現に、その後の研究により、血清ビ値二五mg/dl以下では、核黄だんが殆んど発生しないことが確認され、二五mg/dl説の正しいことを裏付けている。

2 同二、(五)2は認める。

3 同二、(五)3は争う。

イクテロメーター値三あるいは四に対応する血清ビ値は、原告主張の如く核黄だん発生の危険が予測されるような高い値ではない。イクテロメーター値三に対応する血清ビ値は、原告主張でも最大一五mg/dl前後で、生理的黄だんの上限値ともいうべきものであり、(イクテロメーター値三に対応する血清ビ値は10.36mg/dlという報告例もある)、またイクテロメーター値四に対応する血清ビ値も原告主張でも最大二〇mg/dl前後(13.73mg/dlという報告例もある)であるから、生理的黄だんの範囲をやや越えたものとはいえるものの、前記交換輸血適応基準に関する二五mg/dl説の立場からは、いずれも核黄だん発生の危険限界値をはるかに下廻るものである。しかも、原告潤一の担当医師はイクテロメーター値ならびにビリルビン値のみに注目していたのではなく、原告潤一の一般状態についても入念な観察を行ない、原告主張の如き早発黄だんあるいは核黄だん臨床症状を認めるに至らなかつたのである。

したがつて、原告潤一がABO血液型不適合による溶血性疾患もしくは、特発性高ビリルビン血症でないことは明らかであり、担当医師が原告潤一に核黄だん発生の危険はないものと判断し、原告主張の如き諸検査或いは交換輪血を行なわなかつたとしても何ら過失はなく、被告に債務不履行責任はない。

三 同三のうち、佐藤医師らが台東産院に勤務していたことを認め、その余は争う。

四 同四はすべて争う。

B  被告の主張

一 イクテロメーターの使用

イクテロメーターは、多くの厳重な臨床追試がなされた結果必要とされる血清ビ値の測定に充分な精度を有するものであることが承認されており、従来とかく経験と勘に頼つてきた黄だんの強さの判定に客観的な基準を取り入れた意味において画期的なものである。しかも台東産院においては、当時から慶応大学の島田博士の考案したイクテログラム(イ値の変化を出生後の日数との関係でグラフに表わし、同時に新生児黄だんの診療に必要な各種臨床事項をも記入できるように作成されたカルテの一種)を採用し、新生児の黄だんと一般状態とを有機的に結びつけながら観察する方針をとつていたが、当時新生児の黄だん管理に関してここまでの体制を備えていたところは、研究という目的をもつた大学の付属病院は別として、それ程多くはなかつた。原告潤一の担当医師は、右イクテログラムを利用して原告潤一の黄だんを入念に観察し、さらにイ値四に達するまでは血清ビ値測定の必要なしとする当時の一般的見解に拠りつつ診療を行なつたものであり、仮に原告潤一に核黄だんが発生したとしても、原告潤一の特異体質(肝機能の未熟等)によるものと考える他はなく、被告には債務の不履行も過失もない。

二 アクス療法

被告も、核黄だんの治療、予防手段としての交換輪血の意義を否定するものではないが、原告主張の如く交換輸血が唯一絶対の治療法とする考え方は極端に過ぎ、一般産科医療機関の水準としても期待されうるものではない。のみならず、交換輸血それ自体、必らずしも安全容易な手術ではなく、種々の重大な副作用を伴なうことも指摘されており、安易に濫用されてはならない。その意味において、アクス療法はアクスZが血清ビ値の上昇を抑制する作用のあることが確認されたことから、危険のない黄だん治療法として当時一般に承認されていたのである。現在では、アクス療法に対し批判のあることは事実だが、これも黄だんの発生機序や治療法に関する研究がまだ充分に確定されていないことの反映であり、当時と現在ではその評価に違いが生ずるのは当然である。そして、台東産院の担当医師はイ値四に達したらアクス療法を行なうとする当時一般に承認されていた診療基準によりつつ、なお大事をとつてイ値三に達したときアクスZの投与を開始しているのであるから、原告潤一の黄だん治療法としては最善をつくしたのであり、被告には債務の不履行も過失もない。

第三  証拠<略>

理由

(証拠の引用、略称について)

以下において、証拠は認定事実の末尾括弧内に引用する。

なお、書証については、とくに断わらない限りいずれも成立に争いないものであるから単に書証番号のみを掲記する。証言についても、単に証人の姓のみを記し、例えば証人佐藤和也の証言は佐藤証言の如く掲記する。本人尋問の結果についても、単に本人尋問とのみ記し、例えば原告輝雄本人尋問の結果は原告輝雄本人尋問の如く掲記する。鑑定結果についても、単に鑑定人の姓のみ記すが、鑑定結果中、書面による意見は鑑定書面として、口頭による意見は鑑定供述として、例えば鑑定人安達寿夫の鑑定結果中、書面によるものは安達鑑定書面、口頭によるものは安達鑑定供述の如く掲記する。

一診療契約の締結等

請求原因一の事実は当事者間に争いがなく、また、同二、(一)の事実については被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

原告らと被告との間の右各契約は、新生児期に特有な病的異常症状を医学的に解明し、その原因ないし病名を適確に診断したうえ、その症状に応じた適切な治療行為を行なうことを内容とするものであつて、このような医療を目的とする契約の性質については議論の存するところではあるが、これを準委任契約であると解するのが相当である。

二台東産院における原告潤一の症状の経過等

(一)  原告けさみが、昭和四一年一二月二四日に台東産院で原告潤一を出産したことは当事者間に争いがない。

(二)  原告潤一に対しては出生二四時間経過後の翌二五日糖水による授乳が開始されたが(第一回同日午前九時三〇分二〇CC、第二回同日午後一二時三〇分二〇CC、合計四〇CC)、同日午後三時三〇分嘔吐し、二六日にも糖水三〇CCが与えられたが、これも嘔吐した。二七日には糖水の他に始めてミルク四〇CCが与えられたが、やはり若干嘔吐が認められた。しかし、二八日以降は哺乳力は幾分良好となつた<証拠略>、

原告潤一の体重は、出生時三、〇九五gで、その後二六日には二、七四〇g、二八日には二、六〇〇gと減少し、三〇日には最低値の二、五七〇gを記録したが、一月六日(国立小児病院へ転院する前日)には二、六七五gまで回復した<証拠略>。

体温は出生日と翌二五日は三六度前後であつたが、二六日には37.5度に上昇し、二七日には一旦三六度まで下つたものの、二八日、38.4度、二九日三八度、三〇日三九度、と高熱が続き、その後も三一日三七度一分、一月二日、五日にはいずれも37.2度を記録し、七日には41.4度の高熱となつた<証拠略>。

なお、台東産院新生児室担当の看護婦は、原告潤一に一二月二九日「けいれん様の発作」および「筋肉の軽度硬直」を、一月三日に「落陽現象」(眼は普通に開いたままで瞳孔部だけが下向し一定時間固定される状態)を認めている<証拠略>。

(三)  原告潤一の黄だんは出生当日には認められず、翌二五日看護婦のイクテロメーター(新生児黄だん計)による測定では二であつた。二六日、原告潤一の担当医である佐藤医師(この点は争いがない)の測定では、イクテロメーター値は三、(同日の看護婦測定は二)となり、翌二七日には四に上昇し(同日の看護婦測定は二)、以後二八、二九日、三〇日と続けて四であつた(右三日間のイクテロメーター値は看護婦測定もいずれも四)。その後、イクテロメーター値は、佐藤医師と看護婦の各測定値間に若干の違いはみられたが、いずれも下降し、国立小児病院へ転院する直前の一月六日には一(佐藤医師測定値)ないし二(看護婦測定値)となつた<証拠略>。

ところで、台東産院では、生後二四時間経過後には新生児を母親のベットヘ移す母子同室制をとつているにもかかわらず(この点は争いがない)、原告潤一は出生翌日の二五日になつても依然新生児室に残されたままであつた。同日は日曜日で、佐藤医師は出勤していなかつたが、看護婦は、原告潤一が母親の病室へ移されない理由を尋ねた原告けさみに対して、「黄だんが強いので少し様子を見ている」旨答えた。翌二六日午前中回診の際、原告けさみは佐藤医師より父母両名の血液型をきかれ、自分がO型であることは判つていたので、その場で答え(原告けさみの血液型がO型であることは、その後の佐藤医師の検査により確認された)、父親である原告輝雄の血液型についてはAB型と記憶していたが、確信が持てなかつたので、早速原告輝雄に連絡し、輝雄は直ちにかかりつけの大島医院で検査を受けたところやはりAB型との判定を得たので、右血液型の証明書を同日中に佐藤医師のところへ持参した(原告らの血液型については争いがない)。なお原告輝雄、同けさみの両名は、原告潤一の出生以前から当時新聞、テレビ等により、母子血液型不適合に基づく重症黄だんにより新生児が脳性麻痺になることがあるということを見聞し、さらにこれに関する一般向けの啓蒙書等にも目を通しており、或る程度母子血液型不適合に関する知識を持ち合せていたので、原告輝雄、同けさみの両名は同日佐藤医師に対してこもごも交換輸血その他然るべき処置をして欲しい旨かなり執拗に要請したところ、佐藤医師は「その必要はないと思うが一応注意しておく。医師を信頼して欲しい」旨答えた<証拠略>。

佐藤医師は、原告潤一のイクテロメーター値が三に達した二六日午前より、原告潤一の黄だん度の上昇をおさえる目的で、原告潤一に対しアクスZの投与を開始し、以後二九日までの四日間毎日午前、午後各一回宛一〇mg(合計二〇mg)の投与を続けた。しかし、佐藤医師は、原告潤一の黄だんは正常な新生児に比べて若干黄だん度は強いもののなお重症(異常)黄だんではないと考えており、原告潤一の前記一般状態からも必らずしも核黄だん(後述)の危険はないとの同医師の判断に基づき、核黄だん発生の危険或いは溶血性疾患の有無を調べるための諸検査(血清ビリルビン値、抗体価等の測定、その他の血液形態学的検査)は原告潤一の台東産院在院中は行なわれなかつた<証拠略>。

(四)  原告潤一は、一月五日に至り灰白色ないし帯黄灰白色の便が出始め、これが一月七日まで続き、なお一月七日には体温も41.4度と急激に上昇したため、佐藤医師は原告潤一には先天性胆道閉塞症もしくは乳児肝炎の疑いがあるものと診断し、植村医長と相談のうえ、原告潤一の処置については既に産婦人科での治療の限界を越えているものとして、急拠、国立小児病院への転院措置を決定し、原告潤一は同日午後一時三〇分台東産院を退院し、そのまま国立小児病院へ入院した<証拠略>。

三国立小児病院における原告潤一の症状

原告潤一は、国立小児病院へ入院した際に高ビリルビン血症の診断を受け、その後数日間に血清ビ値、直接ビ値、末梢血液、尿、便、頭部X線、トキソプラズマ反応、肝機能等の諸検査を受け、結局台東産院側でその発病を疑つた先天性胆道閉塞症、乳児肝炎等は明白に否定された。

なお原告潤一は、同病院入院中、屡々落陽現象、四肢筋硬直、後弓反射等を示し、担当医は原告潤一がABO血液型不適合による新生児溶血性疾患に基づく核黄だんに罹患している疑いがあると判断したが、台東産院入院当時の原告潤一の症状を直接診察していないこと、原告潤一に追視反応がみられること等の理由から、確定診断は避け、その旨カルテにも記載された。そして原告潤一は右以外には特に疾患も認められず体重も徐々に増加したので三月二五日同病院を退院した<証拠略>。

四原告潤一の現在の状態

(一)  現在、原告潤一は、全身にわたつて運動機能が全くなく、寝たきりで、食事、排泄などの日常の起居動作についても常時家人による介助、付添が必要な状態にあり、知能程度も家族の識別はできるが、重度の言語障害により排便、排尿を満足に知らせることもできない。原告輝雄、同けさみ両名は、これまでに二、三ケ所の施設で原告潤一に身体機能回復訓練を受けさせたが、その効果は、はかばかしくなく、現在は江東区所在の重症心身障害児訓練施設「青い鳥ホーム」に保育と機能回復訓練を兼ねて通わせているが、ここでも特に目立つた回復は認められない<証拠>。

(二)  原告潤一にみられる右の心身障害は、脳性麻痺に起因するもので、生涯治癒する見込はない<証拠略>。

五核黄だんについて

(一)  一般的成因

核黄だんは、間接(もしくは非抱合)ビリルビン(体内の赤血球が崩壊ないし死滅する際遊離されるヘモグロビンの代謝産物とみなすべき黄色の物質で、通常の場合肝臓に吸収され一定の処理を経て水溶性の直接ビリルビンとなり、胆汁中に分泌される)が、主として大脳基底核、海馬回転小脳歯状核等の中枢神経細胞に付着して黄染した状態をいい、神経細胞の代謝を阻害するため死亡率も高く、幸い存命し得ても不可逆的な脳損傷をうけるため治ゆ不能の脳性麻痺症を残す危険性の多い疾患とされている。そして、核黄だんは、その発生原因が血中における前記間接ビリルビンの増大、すなわち高ビリルビン血症にあることから、一九〇〇年ラントシュタイナーのRH因子の発見による新生児溶血性疾患(胎児の赤血球が母体を免疫する可能性のある血液型の組み合わせであるいわゆる不適合妊娠により、胎児の赤血球が胎盤を通して母体に移行し母体内で胎児の赤血球に対する免疫抗体が得られると、これが逆に胎児に移行して抗原抗体反応により胎児の赤血球を破壊(溶血)して、前記間接ビリルビンを胎児血中内に大量に放出させる疾患をいう)の発生機序解明以後、一時は新生児溶血性疾患にのみ特有的に合併するものと考えられたこともあつた。しかし、その後血液型不適合を認めない新生児にも核黄だんを伴う場合のあることが判明するに至り、右の考えは放棄され、現在では、血液型不適合とは無関係に高ビリルビン血症を呈するものは、新生児溶血性疾患と区別されて、一般に特発性高ビリルビン血症または新生児高ビリルビン血症と呼ばれている。

いずれにしても、核黄だん発生の最大要因が血中内の間接ビリルビンの増加であることは異論のないところであるが、なお核黄だん発生を助長する因子として肝機能低下、低血糖、ビタミンK、サルフア剤等の薬物投与、脳の低酸素症、血清蛋白濃度、感染等も指摘されている<証拠略>。

(二)  核黄だんの症状

1  黄だんの発現時期

その発生原因によつて異なる。新生児溶血性疾患の場合は、一般に生後二四時間以内に既に黄だんが出現し、(早発黄だん)、急速に高度となるのに対し、特発性高ビリルビン血症の場合は、一般に黄だんの出現が遅れ、最高になるのは生後四日から七日後であるとされる<証拠略>。

2  臨床症状

プラハは、核黄だんの臨床症状を、その程度によつて次の四期に分類し、最も簡明なものとして一般に認められている(もつとも、核黄だんのすべてに左記症状が発現するものではなく、その発現の時期も必らずしも絶対的ではない)。なお、臨床症状の発現時期も、新生児溶血性疾患の方が早く生後三日ないし四日後から現れ、特発性高ビリルビン血症の場合は生後六日前後から現れるものが多いが、臨床症状そのものに相違はない。

第一期  筋緊張の低下、吸啜反射の微弱化、嗜眠、モロー反射の消失、哺乳力の減退等。おおむね発病後一両日に見られる。

第二期  けいれん、筋強直、後弓反射、発熱等。おおむね発病後一、二週間に見られる。

第三期  けいれん、筋強直等中枢神経症状の消退期。

第四期  恒久的な脳中枢神経障害(錐体外路症状)の発現。新生児期を過ぎてから見られる。

なお、プラハは触れていないが、核黄だんに特異的な初期臨床症状(多くは第二期前後に見られる)として、落陽現象(眼は普通に開いたまま瞳孔部だけが下向し、一定時間固定される状態)を示すことが指摘されている<証拠略>。

(三)  核黄だんの予防、治療法と交換輸血の適応基準

核黄だんの予防、治療対策としては、従来から種々の薬物療法も試みられていたが、原告潤一出生当時はもちろん、現在においても交換輸血が最も根本的、かつ確実な治療法であることが認められている。

交換輸血は、新生児溶血性疾患の場合は、(イ)母体から移行した不適合抗体およびこれの付着した新生児赤血球を除去して抗体と反応しない血液で置換することにより、新生児体内における抗原抗体反応、すなわち過度の溶血の進展を防止すること、および(ロ)既に血中に蓄積している間接ビリルビンを一挙に除去すること、の二つを目的とし、特発性高ビリルビン血症の場合は、もつぱら(ロ)を目的として行われる<証拠略>。

交換輸血の具体的な手技に関しては、一九四六年ワレルシュタインが始めてその手術に成功して以来、幾多の改良された術式が考案され、原告潤一出生当時のわが国では臍静脈を使用して瀉血と輸血を交互に反復して行なうダイアモンド法およびその改良方式であるビンクス法が主として用いられていた<証拠略>。なお、交換輸血に伴なう事故や副作用としては、血管破損、空気または凝血による栓塞、細菌感染、敗血症、急性心不全、血清肝炎等があるが、いずれも或る程度習熟し、かつ慎重に施行すれば完全に防止できるものであり、手術としてはむしろ容易な部類に属する<証拠略>。

そして、前記のとおり、核黄だん発生の主因をなすものが血中の間接ビリルビンであり、かつ間接ビリルビンの濃度(血清ビリルビン値。以下血清ビ値という。)と核黄だんの発生とが或る程度相関関係を有することから、交換輸血の適応基準としては血清ビ値が最も重要な指標とされており、原告潤一出生当時においては、血清ビ値が二〇mg/dl以上を示した場合には、核黄だん発生の危険が高いものとして、他の臨床症状の如何にかかわらず、交換輸血を行うべきであるとの考え方が新生児学界においては支配的であつた<証拠略>。

もつとも、当時わが国および外国の学者の一部には、交換輸血適応基準としての血清ビ値は二五mg/dl或いは二〇mg/dlないし三〇mg/dlと比較的高値にとり、前記核黄だんの臨床症状の発現をまつて交換輸血をするとの見解も唱えられていたが<証拠略>、これに対しては、血清ビ値が二〇mg/dl以下でも核黄だんの発生した事例が少なからず報告されており<証拠略>、臨床症状はむしろ血清ビ値二〇mg/dl以下で交換輸血に踏み切るべき場合の指標とするのが妥当であるとの反論があり、とくに交換輸血の設備を有しない医院、病院が大部分を占めるわが国の当時の状況では、臨床症状の発現後即刻交換輸血をすることは多くの場合期待できないこと(明確な臨床症状、とくに第二期症状が発現してからの交換輸血は既に手遅れの可能性が大きい。土屋、奥山各証言)、第一期症状は非特異的であり、それが核黄だんの臨床症状かどうかの判定が極めて困難であることや、更に、交換輸血の副作用と交換輸血を行なわれなかつたために核黄だんが発生した場合の結果の重大性との比較衡量等の実践的根拠からいつて、右の基準値を高くとる見解には必らずしも賛同者は多くなかつた<証拠略>。なお、現在では、重症黄だん児の予後追跡事例のデーター集積等から二五mg/dl説が増加してきている<証拠略>。

六原告潤一の脳性麻痺の原因

(一)  核黄だんの確定診断を下すためには、解剖により脳細胞各部に間接ビリルビンが沈着しているか否かを確認する他はない<証拠略>。

従つて、厳密な科学的証明という観点からは、原告潤一の脳性麻痺の原因を確定し得ないこととなるが、訴訟における証明にあつては、そのような意味での科学的証明まで要求されるわけではなく、諸般の証拠からみて、合理的な疑いを残さない程度の蓋然性が得られれば足りるというべきところ、本件において原告潤一の前記脳性麻痺が核黄だんに起因するものであることは、次の諸点より充分認定することができる。

1  核黄だんによる脳障害後遺症の徴候としては、(イ)アテトーゼ様の不随意運動 (ロ)凝視麻痺 (ハ)乳歯の琺瑯質異形成もしくは乳歯の黄色化 (ニ)聴力障害が指摘されているが<証拠略>、このうち(イ)および(ハ)について原告潤一にその徴候の現存することが確認されている<証拠略>。

2  原告潤一は、核黄だんの臨床症状中特異的なものとされている前記落陽現象を示している<証拠略>。

3  原告潤一は、核黄だんの臨床症状の一つとされている筋緊張および後弓反射を示している<証拠略>。

4  イ値が四に達し、しかも右値が四日間続いている<証拠略>。

5  原告潤一の脳性麻痺の原因として具体的に考えられるものが、核黄だん以外にはさしあたつて指摘できるものが存在しない<証拠略>。

もつとも、原告潤一には追視反応が見られること<証拠略>、落陽現象、後弓反射等は前記のとおり、第二期に発現する症状であつて、核黄だんがさらに進展して第三期に移行すれば消退するとされているにもかかわらず、これらの症状が生後一カ月を経過してからも屡々発現していること<証拠略>は、若干不可解ともいえるが、前記のとおり核黄だんの臨床症状は必らずしもその発現時期が絶対的ではない<証拠略>ことを考慮すれば、右の点は未だ前記認定を動かすに足るものとはいえない。

(二)  次に、原告らは、第一次的に、原告潤一の核黄だんがABO母子血液型不適合による新生児溶血性疾患に基づくものであると主張し、仮にそうでないとしても特発性高ビリルビン血症に基づくものと主張するところ、仮に原告潤一の核黄だんの原因が血液型不適合とは無関係の特発性高ビリルビン血症であつたとしても(その場合は、原告けさみ、同潤一間の血液型不適合の組み合わせは偶然の一致ということになる)、その予防、治療法においては基本的には何ら異なるところはないのであるから<証拠略>、そのいずれかを確定することは、本件判断に直接必要なことではないが、そのいずれであるかにより、医師の具体的にとるべき対応措置になんらかの差を生ぜしめる可能性がまつたくないわけではないと考えられるので、以下の判断に先立ち、この点について検討しておく。

ひとしく血液型不適合による新生児溶血性疾患といつても、その診断の基準はRHマイナス不適合の場合とABO不適合の場合とではかなり異なつている。前者の場合は、母体より新生児体内に移行した抗体の有無を検査するため用いられる直接クームス試験において殆んど陽性を示すため、その診断は極めて容易といえるが、後者の場合は母親の抗A或いは抗B抗体が自然抗体として広く存在するため直接クームス試験も殆んどすべてが陰性か、極めて微弱な反応しか示さず、結局血清学検査を診断の決め手とすることができない(直接クームス試験もその方法に改良が加えられれば信頼できるとする見解も一部には存在する。<証拠略>。)

このため、ABO血液型不適合による新生児溶血性疾患の診断基準としては、血清ビ値の高さ、臨床症状としての早発黄だんの他に、赤血球数、赤芽球数(赤血球になる前段階の血球であり、これが増加していることは溶血の結果生ずる貧血を代償するためその生成が活溌化していることを示す。このことより、新生児溶血性疾患は、以前は新生児赤芽球症と呼ばれたこともあつた。甲第四八号証)および網球数、血色素(ヘモグロビン値)等の血液形態学的検査(いずれも溶血の有無を知る手がかりとなる)が重視されている<証拠略>。ただし、これらの検査は、現実問題としてすべての新生児に行なえるものではないので、臨床的には二四時間以内の早発黄だんのみをもつて診断基準とするものも止むを得ないとの見解もある<証拠略>。

本件の場合、前記のとおり、血清ビ値の測定、血液形態学的諸検査のいずれもがなされていないので、ABO血液型不適合による新生児溶血性疾患の確定診断を下すことはできない<証拠略>。しかし、原告潤一は、出生翌日の一二月二五日にイ値二、翌翌日の二六日にイ値三が記録されており(台東産院では、看護婦のイ値測定は午前九時から一〇時頃までの間に行なわれ、担当医のそれも午前一〇時頃には行なわれる。佐藤、植村各証言)、ABO不適合の場合は、早発黄だんといつてもRHマイナスの場合よりは若干発現が遅く、かつ上昇速度も純い<証拠略>ことを考慮すれば、少なくとも臨床的にはABO血液型不適合による新生児溶血性疾患を疑わせる材料は多いといわなければならない。なお、イ値二は可視黄だんの最低値であり<証拠略>、生後二四時間以内に少なくとも血清ビ値一〇mg/dl程度(イ値平均値三)は示さなければ早発黄だんとはいえないとの見解もあるが<証拠略>、一般には早発黄だんの概念は可視黄だんの意味に解されている<証拠略>。

しかし、反面、その理由は明らかでないが、母親と不適合な血液型を有する第一子がある場合には、第二子に新生児溶血性疾患の発生する率は非常に少ないとの報告も見られ<証拠略>、原告輝雄、同けさみ両名間には既に原告潤一の姉千明(昭和三九年二月生)があり、同女には全く異常が認められないこと<証拠略>、またABO血液型不適合児全体中での核黄だん発生頻度は、RHマイナス不適合の場合よりも著しく低位であること<証拠略>等ABO不適合による新生児溶血性疾患を否定する材料もあり、結局原告潤一がABO血液型不適合による新生児溶血性疾患と特発性高ビリルビン血症のいずれであつたかははつきりしない。

七被告の債務不履行

(一)  新生児重症黄だんなる用語は多義的であり、新生児学界においても必らずしも統一された定義は与えられていないが、一般には新生児生理黄だんの程度を超えて血清ビ値が上昇するもの(すなわち高ビリルビン血症)を指称するとされる<証拠略>。そして、両者の限界を画する血清ビ値としては、大別して一二mg/dl説、一五mg/dl説、二〇mg/dl説の諸説があるが<証拠略>、原告潤一出生当時は、成熟児の場合、黄だんの発現が生後二四時間以後で血清ビ値の最高値一二mg/dl以下、一日の血清ビ値の上昇速度五mg/dl以下であるものを生理的黄だんとし、右の基準を超えるものを重症黄だんとしてその後の経過に充分注意を要するとの見解が支配的であつた<証拠略>。

(二)  イクテロメーターによる黄だん度の測定値は、後記のとおり必らずしも正確なものとはいい難いが、イ値と血清ビ値との間には或る程度の相関関係のあることが認められており、原告潤一出生当時はゴセットの示した別紙相関関係表がわが国においても広く用いられていた<証拠略>。

(三)  右相関関係表によれば、イ値3.5の場合の血清ビ値平均値は12.31mg/dl、標準偏差を考慮すると17.31mg/dl、同様にイ値四の場合の血清ビ値平均値は15.73mg/dl、標準偏差値は21.8mg/dlであるから(後記のとおり、イクテロメーターの信頼性からみて標準偏差値を重視するのが妥当であろう)、佐藤医師としては、原告潤一のイ値が四に達した一二月二七、二八日頃には前記早発黄だん現象をも考慮のうえ、一応ABO血液型不適合による新生児溶血性疾患を疑つてみるのが然るべきであり、仮に早発黄だんはないとの判断が正しいとしても、血清ビ値二〇mg/dlは核黄だん発生の危険限界値として当時一般に承認されていたのであるから、生理的黄だんの限界を超えた特発性高ビリルビン血症として核黄だん発生の危険を予測し、血液形態学的検査はともかくとして、少なくとも血清ビ値の測定はなすべきであり(<証拠略>なお、土屋証人はイ値3.5、奥山証人はイ値三をもつて血清ビ値測定が必要な値とする)、その結果によつては即刻交換輸血を施行すべきであつた解せられる。

この点につき、佐藤医師は原告潤一の一般状態から見て血清ビ値測定もしくは交換輸血の必要を認めなかつた旨述べるが<証拠略>、前記のとおり核黄だんの第一期症状は特異性に欠け、その判定が困難であることとも関連して、核黄だん発生の危険予測にとつては血清ビ値が最も重視すべき指標であることは否定できず<証拠略>、しかも原告潤一の一般状態も前記のとおり必らずしも良好とはいえなかつた(出生後一両日の哺乳力微弱、出生後二八日にかけての急激な体重減少、二六日、二八日ないし三〇日の発熱等)のであるから、右証言はたやすく採用することはできない。

さらに、二九日に、原田潤一がけいれん様発作、筋肉の軽度硬直を呈した旨看護婦が観察記録している点について、佐藤医師は翌三〇日再検したところ右症状を認めるに至らなかつた旨述べているが<証拠略>、同医師は二九日は年末休暇をとり台東産院には勤務していなかつたことが推認されるから<証拠略>、右症状は存在したものと認める他はない。そして、右症状は、それまでのイ値の上昇速度、その他の症状を考慮すれば核黄だんの第二期症状を疑わせる余地もないとはいえないから<証拠略>、佑藤医師もしくは同産院の担当医師としては、遅くとも右けいれん様症状の発現した時点において血清ビ値の測定をすべきであつたというべきであり、その結果によつては交換輸血が考慮されて然るべきであつたと解せられる。

もつとも、原告潤一出生当時、台東産院は血清ビ値の測定および交換輸血をなしうる施設ないし装置を備えていなかつたが、だからといつて右の措置をとらなかつたことを正当化しうるものではなく、他に十分な措置をとりうる病院があればそこに転院させる等の処置をとるべきであることはいうまでもなく、現に、同産院ではその必要を認めた場合にはこれらの施設を備えている慶応大学病院、東京都立母子保健院、国立小児病院等へ即時転院させる措置を講じていたのであるから<証拠略>、原告潤一についても当然この処置を講ずることを考慮すべきであつた。

しかるに、佐藤医師或いは同医師不在中の担当医が、原告潤一の黄だんについて核黄だん発生の危険はないものと即断して血清ビ値の測定もしくはこれに伴なう交換輸血のための転院措置をとらず、原告潤一の黄だんに対する処置としては前記のとおりアクスZを投与するに止まつたのであるから(アクスZ投与の当否については後に改めて判断する)、原告潤一の診療につき医師として充分な診療を尽さなかつたものと認めざるをえない。

したがつて、台東産院の維持管理者である被告は、同産院の勤務医で被告の履行補助者である佐藤医師その他の担当医らの前記契約上の債務の履行について債務の本旨に従わない不完全な履行をしたものというべきである。

八被告の主張について

(一)  イクテロメーターの使用

イクテロメーターは新生児において皮膚の黄染度と血清ビ値との間に或る程度の相関関係があることに着目して、英国のゴセットにより考案、作成された簡易な黄だん度測定器具(縦一五センチメートル、横三センチメートル、厚さ三ミリメートルのプラスチック製板に一定の間隔で帯状に一から五までの番号を付した標準黄色が塗布してあり、これで新生児の鼻の先端を圧迫した際の皮膚色と標準色とを比較する)であるが、なおその相関係数は0.6程度、標準偏差は1.95ないし3.2と実際の血清ビ値とのバラツキの度合は大きく<証拠略>、このことよリイクテロメーター値はあくまで数多くの新生児の中から重症黄だん児をスクリーニングする作用を営む限りにおいて有用なものであることが原告潤一出生当時においても一般に認められていた<証拠略>。しかも、黄だんの増強時は皮膚の黄染度、すなわちイ値は実際の血清ビ値よりも低目に出ることも指摘されていたのであるから<証拠略>、佐藤医師らが前認定の如き状態にある原告潤一の黄だん度を判定するためイクテロメーターの使用のみに終始し、血清ビ値を測定しなかつたことは原告潤一の黄だん管理として充分であつたとはいえない。

(二)  アクスZの投与

アクスZは副腎皮質系ホルモン薬剤であるが、昭和三七年英国のメリー・クロスが来日し、血液型不適合のない未熟児に出生直後よりこれを投与したところ血清ビ値の上昇を抑制する顕著な効果があり、交換輸血例が半減した旨講演したことがきつかけとなり、我が国でも注目されるようになり、幾人かの学者により臨床テストがなされた結果略々同様の効果のあることが確認された。しかし原告潤一出生当時は、アクスZが果して既に高ビリルビン血症を呈している成熟児や血液型不適合児にも効果があるか否かについては、その作用機序が明らかでないことともあいまつて<証拠略>、疑問を投ずる学者が多く<証拠略>、さらにシヨツク症状、感染に対する抵抗力の弱化等の副作用もあることが指摘されたため、アクス療法は核黄だんの予防、治癒にとつて交換輸血に代る程確実な方法ではなく、したがつて、アクス療法に頼りすぎ、交換輸血の時期を失することがないよう戒しめられていた<証拠略>。もつとも、その後の研究、臨床テスト等により、その作用機序もビリルビンの代謝過程に影響を与えるものらしいことが徐々に解明され、また成熟児や重症黄だん児に対しても血清ビ値を下げる効果のあることも報告されるに至つているが、現在においてもアクス療法が核黄だんの予防上確実、有効な方法であるとまではいえず、あくまで交換輸血の適応基準には達しないが、更に血清ビ値の上昇のおそれがある場合にこれを抑制する限度で使用すべき補助的療法としての評価しか与えられていないことには変りがない<証拠略>。したがつて、佐藤医師が、原告潤一の黄だんに対する治療としてアクスZの投与をしたことをもつて、被告の診療が充分であつたとするには足りないというべきである。

九被告の債務不履行と原告潤一の脳性麻痺との間の相当因果関係

原告潤一の出生当時、核黄だんの原因、症状、その予防、治療法等に関する知識が、わが国の平均的な産婦人科医の間に充分普及していたことはたやすく推認されるところであり<証拠略>、台東産院においても血清ビ値測定もしくは交換輸血のため他の病院へ転院措置を講じていたこと、慶応大学産婦人科教室で考案されたイクテログラム(イ値の変化を生後日数との関係で一目で判断できるように作成されたグラフで、グラフ下欄には血清ビ値の他血清学的、血液形態学的諸検査の結果および臨床症状等を記入する欄も設けてある)を採用、使用していたこと等より、佐藤医師らが右の知識を充分有していたことが明らかである。したがつて、同医師らには、原告潤一が前記各状態に在つた際核黄だんの発生ならびにその後遺症である脳性麻痺に対する予見が可能であつたこともまた明らかである。そして、前記のとおり、核黄だんについては、新生児溶血性疾患或いは特発性高ビリルビン血症のいずれの場合を問わず血清ビ値を測定し、それが一定値以上の時に交換輸血を施行し、または第一期症状を確実に認めた時期に交換輸血を施行すれば核黄だんによる後遺症を残さずに完治させることが可能であるが、これを放置して第二期以降に進展した場合には、脳の障害が既に不可逆的となつているため存命し得ても通常脳性麻痺後遺症を伴なうのであるから<証拠略>、被告の債務不履行と原告潤一の核黄だん後遺症としての脳性麻痺との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

なお、前記認定事実を総合すると、原告潤一の核黄だんは、国立小児病院へ転院した頃には既に第二期に移行していたことが推認され、同病院においても確定診断は下さなかつたものの核黄だんの疑いが濃厚として、この段階で交換輸血を施行しても手遅れであるとの判断から、核黄だんに対する格別の治療は講じていないのであるから<証拠略>、台東産院退院後の事情が原告潤一の核黄だんと被告の債務不履行との間の相当因果関係を中断するものではない。

一〇損害

(一)  原告潤一の逸失利益

前記のとおり、原告潤一は昭和四一年一二月二四日出生した男児であるが、原告潤一が台東産院入院中に核黄だんに罹患した当時における原告潤一と同年令者の平均余命は68.91年であるから(当裁判所に顕著な昭和四二年簡易生命表)、原告潤一は高校卒業後の満一九才に達する時から満六〇才に達するまでの四一年間は稼動が可能であると推認される。ところで原告潤一は当時未だ生後半月足らずの新生児であり、同人の将来の職業および収入を推定することは困難であるが、このような場合には信ずべき統計資料に基づきその収入を推定せざるを得ない。そして、昭和四二年当時における全産業常用男子労働者の月間固定的に支給を受ける現金給与額は五万七、〇〇〇円余であるから<証拠略>、その平均年間総収入は六八万四、〇〇〇円と算定される。そして原告潤一の労働能力喪失率は、前記原告潤一の後遺症の程度からみて一〇〇%と認めるのが相当であるから、右金額を基準として、年五分の中間利息の控除につきホフマン式計算法(年毎複式)により、原告潤一の推定稼働可能期間中の原告潤一が核黄だんに罹患した当時における逸失利益現価額を算出すると九七三万円(万円未満切り捨て)となる。

684,000円×(27.354−13.116)=

9,738,792円

したがつて、原告潤一は本件医療過誤により右同額の得べかりし利益を失なつたということができる。

(二)  原告潤一の慰藉料

原告潤一が治癒不能の脳性麻麻痺後遺症により生涯を通じて肉体的、精神的苦痛に苦しむであろうことは想像するに難くない。

右苦痛と本件債務不履行の経過、内容その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すれば、被告潤一に支払うべき慰藉料としては、二〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  原告輝雄の監護費用

前認定のとおり、原告潤一は日常の起居動作が全く不可能で、常時誰かの介助、付添を要する状態にあり、かつこの状態は将来に治癒、回復される見込みはないから、父親である原告輝雄が原告潤一の扶養義務者として、その監護費用を負担しなければならないことは明らかである。ところで、昭和四二年当時における全産業女子労働者の月間固定的に支給を受ける現金給与額は二万一、七〇〇円であり<証拠略>、また当時における付添家政婦を依頼する場合の市場価格は一、二〇〇円ないし一、五〇〇円程度であるから<証拠略>、少なくとも月間二万円(年間二四万円)は要するものと解するのが相当である。そして、原告潤一の右状態は、今後少なくとも原告潤一の稼働可能期間中は続くものであることも肯定されるから、右金額を基準として、年五分の中間利息の控除につきホフマン式計算法により原告潤一が核黄だんに罹患した当時における監護費用相当額の現価を算出すると六五六万円(万円未満切り捨て)となる。

240,000円×27.354=6,564,960円

したがつて、原告輝雄は本件医療過誤により原告潤一が常時介助を要する脳性麻痺となつたことにより右同額の損害を被つたものということができる。

(四)  原告輝雄、同けさみの慰藉料

原告輝雄、同けさみ両名は始めての男子出生の喜びも束の間、一転して治癒不能の重症心身障害児を抱えるに至つたのであるから、甚大な精神的苦痛を被つていることは想像に難くない。そして原告潤一の右後遺症の状態は、生命を害された場合に比肩しうる程度のものということができるから、民法七一一条の精神に照し、父母である原告輝雄、同けさみは本件診療契約の当事者として、右精神的苦痛に対する慰藉料を請求しうるものと解するところ、その慰藉料としては、原告両名の右精神的苦痛、本件債務不履行の経過、内容その他本件に顕れた一切の事情を斟酌して、原告輝雄、同けさみ各自につきそれぞれ二〇〇万円をもつて相当と認める。

一一結論

以上により、被告は原告潤一に対し一、一七三万円、原告輝雄に対し八五六万円、原告けさみに対し二〇〇万円の各支払義務があるところ、右各債務は本件訴状が被告に送達されたこと記録上明らかな昭和四五年一月六日の経過により遅滞におちいつたものと解するのが相当であるから、右各金員に対する右日時の翌日である同年同月七日以降支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金が支払われるべきである。

よつて、原告らの本訴請求は主文第一項掲記の限度で理由があるから認容し、その余の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(藤井俊彦 上谷清 大沼容之)

イクテロメーター値と血清ビリルビン値の相関関係表<略>

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