大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)14203号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(一) 亡剛の得べかりし利益の喪失による損害

(1) <証拠>を総合すると、亡剛は幼時より舞踊の道を志し、爾来ジョー堀にタップダンスを、中川三郎にダンスを、佐伯譲(本名大垣次男)にモダンダンスを、岡本八重子にアクロバットおよびアダジオダンスをそれぞれ師事して習つてきたが、昭和三八年亡剛の一八才の頃独立して、三人の女性ダンサーと共にアサミダンサーズという舞踊団を結成して出演するようになり、さらに昭和四一年二二才の頃には舞踊家石川花子と組んでアダジオダンサーズを結成し、ルビーペアーという名の下にクラブ、キャバレー、ホテルおよび劇場等に月平均二五日位出演して、約二五万円の月収をあげ、経費および石川花子の給与を控除すると、亡剛として月間八万円を下らない純収益をあげていたこと、しかし、昭和四二年暮頃石川花子が病気で休むようになつてからは、亡剛は他のダンサーと組んで出演したり、振付けをしたり、新しいダンスの研究をしたりしていたこと、原告辰男は、本件事故の直前ころ、同原告らの住居地に七階建のビルを建築し、その三階を亡剛の舞踊研究所にあてることを計画し、亡剛も将来そこに舞踊学校を創設するとともに、これを本拠にしてゆくゆくは一流の大きな舞踊団を創りたいと考えていたことを認めることができる。<証拠判断・略>

ところで、<証拠>によると、亡剛は本件事故当時二四才五か月余の未婚の男子であつたことが認められるところ、厚生省発表の第一二回生命表によると、満二五才の男子の平均余命年数が四五、五四年であることは公知の事実であるから、亡剛も本件事故がなければ爾後四五年間生存しえたものと推認することができる。そして以上認定の諸事実および<証拠>を総合すると、原告は本件事故に遭遇しなければ、舞踊家ないし振付師(或いは舞踊教師)として満六〇才に至るまで三五年間稼動し、その間九六万円を下らない年収(月収八万円)をあげえたものと予測することができる。(亡剛については、その経歴、職種等からみて将来職業、収入が変動することが予想されなくないが、同人の従前の収入、才能、環境等に鑑み、平均して少くとも右程度の収入を取得しうるものと推測することができ、右は、昭和四五年度の男子労働者の平均給与が月額約八万五五〇〇円<労働大臣官房労働統計調査部「昭和四五年における賃金構造の概要について」参照>であることに照らして控え目な算定にもとるものではない。)他方、<証拠>によると、亡剛は職業柄生活が派手であるうえ、交際費なども相当かかるので、貯金もしていなかつたことが認められるから、右の事実に統計上明らかな一般男子の生活費、平均的家族構成における各家族員の消費単位指数などを勘案すると、亡剛の生活費は、満六〇才までの期間を通じて平均すれば、収入の六割と認めるのが相当である。してみると、亡剛の生活費を控除した後の年間の純収益は、計算上三八万四〇〇〇円となり、結局、亡剛は、本件事故により、右の年間仮収益を三五年間にわたつて喪失したことになる。

そこで、右の逸失利益が本件事故の時点において一時に支払われるものとして、その現在価をホフマン複式(年別)計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除して算定すると(小数点五位以下切捨)、七六四万八二八一円となる。

(その算式384000×19.9174=7648281.6)

(加藤和夫)

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