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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)14304号 判決 1973年4月10日

原告

土井好澄

被告

萩野作次郎

ほか二名

主文

一  被告萩野作次郎は原告に対し金七二万一、九七八円および内金六五万一、九七八円に対する昭和四五年一月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、被告東邦交通株式会社・同東興自動車交通株式会社は各自原告に対し金一二六万一、八三八円および内金一一五万一、八三八円に対する昭和四五年一月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、被告萩野作次郎との間に生じたものは、これを五分し、その一を原告の、その余を被告萩野作次郎の各負担とし、被告東邦交通株式会社・同東興自動車交通株式会社との間に生じたものは、これを八分しその七を原告の、その余を被告東邦交通株式会社・同東興自動車交通株式会社の負担とする。

四  本判決は主文第一項に限り仮りにこれを執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

「(一)被告萩野作次郎は原告に対し金八六万八、六三〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四五年一月三一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。(二)被告らは各自原告に対し金九四八万〇、六三九円および内金八五八万〇、六三九円に対する本件訴状送達の日の翌日以降である昭和四五年一月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(三)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  事故の発生

1 第一事故

原告は、昭和四一年一二月二八日午前一一時頃、東京都世田谷区船橋町一丁目一一七番地先路上において、普通乗用自動車(品五ひ六三―九八号、以下「乙車」という。)を運転中、訴外永井松男運転の小型貨物自動車(多摩四ふ六三―五六号、以下「甲車」という。)に追突され、頸椎症候群の傷害を蒙つた。

2 第二事故

さらに、原告の同乗し、訴外松岡道昭の運転に係る営業用普通乗用自動車(品五い三六―一六号、以下「丙車」という。)が、昭和四二年六月二七日午後七時三五分頃、東京都世田谷区三宿一丁目三〇番地先交差点において、訴外森真男運転の営業用普通乗用自動車(品五う一五―五四号、以下「丁車」という。)と出合頭に衝突し、右事故により原告は、第一事故による頸椎症候群の傷害が悪化した。

3 治療経過

右事故による傷害のため、原告は、昭和四二年一月四日から昭和四四年一二月一六日まで東京医科歯科大学附属病院、西山病院(後に報徳診療所と改名)等へ通院し、またこの間、昭和四二年四月二六日から同年五月一八日まで西山病院に、同年九月五日から同年一〇月二〇日まで小倉病院に入院して各治療を受けた。

(二)  責任原因

被告萩野作次郎(以下単に「被告萩野」という。)は、甲車を、被告東邦交通株式会社(以下単に「被告東邦交通」という。)は、丁車を、被告東興自動車交通株式会社(以下被告「東興自動車」という。)は、丙車をそれぞれ所有し、かついずれも自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件事故による損害を賠償する義務がある。

(三)  損害

Ⅰ 第一事故のみによるもの

1 積極的損害 三四万八、六三〇円

(イ) 治療費二〇万一、三七〇円、(ロ)通院交通費八万九、一四〇円、(ハ)薬代二、三二〇円、(ニ)付添費用五万五、八〇〇円

2 休業損害 五二万円

昭和四一年一二月二八日から昭和四二年六月二七日までの六ケ月間休業したことによる一ケ月七万円宛の給与相当分と賞与一〇万円の合計

3 慰藉料 五〇万円

Ⅱ 第一および第二事故によるもの

1 積極的損害 一四七万〇、八八九円

(イ)治療費九一万五、一一九円、(ロ)通院交通費五一万八、八七〇円、(ハ)薬代三万六、九〇〇円

2 休業損害 二六〇万円

昭和四二年六月二八日から昭和四四年一二月二七日までの三〇ケ月休業したことによる一ケ月七万円宛の給与相当分と賞与五〇万円の合計

3 逸失利益 四五〇万九、七五〇円

原告の年収を一〇五万円(月七万円および賞与二一万円)、労働能力喪失率を五〇パーセント、喪失期間を六五才までの一一年として年五分の割合による中間利息をホフマン式により控除して算定した原告の労働能力喪失による逸失利益の現価額

4 慰藉料 一〇〇万円

5 弁護士費用 九〇万円

手数料 五万円、謝金八五万円の合計

Ⅲ 損害の填補

原告は、自賠責保険から第一事故につき五〇万円、第二事故につき一〇〇万円を受領した。

(四)  結論

ところで、右各損害のうち、第一事故によるものについては被告萩野が単独で、第一および第二事故によるものについては、民法七一九条一項の適用ないし準用により、被告らが連帯して責任を負うべきであるから、原告は、被告らに対し請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因事実に対する被告らの答弁

(一)  被告萩野

1 原告主張の請求原因事実中、原告主張の日時・場所において、訴外永井運転の甲車が原告運転に係る乙車に接触したこと、被告萩野が甲車の運行供用者であること、原告が自賠責保険金一五〇万円を受給したことは認めるが、第一事故によつて原告が負傷したとの事実は否認し、その余の事実はすべて不知。

2 第一事故は、時速約二〇キロメートルの遅い速度で走行していた甲車の先行車であつた乙車が左折しながら急停止したため、訴外永井が右に転把するとともに急ブレーキをかけたが間に合わず、甲車の左横助手席下部のステツプ部分が、乙車の後部バンバー右上部分をかすつたもので、極めて軽微な接触事故にすぎず、右事故によつて原告主張のごとき傷害が発生するはずはない。

なお、原告は、第一事故の前である昭和四一年七月二二日に追突事故による頸椎症候群の傷害を受けており、原告主張の傷害は、右事故によるものと考えられる。

(二)  被告東邦交通

1 原告主張の請求原因事実中、原告主張のごとき第二事故が発生したこと、被告東邦交通が丁車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことおよび原告が自賠責保険から合計一五〇万円を受領した事実は認め、その余の事実は不知。

2 原告は第二事故に遇う以前にも、第一事故およびその前の昭和四一年七月二二日の二回の事故に遭遇しており、第二事故当時未だ右二回の事故による傷害が残存していた。従つて、本件第二事故以後の損害のうち右二回の事故によるものは、第二事故と因果関係がないというべきである。

3 ところで、原告の症状は、愁訴によるもののみで、他覚的所見もなく、入院中も外出・外泊、はては帰郷までするなどその治療内容には不自然な点が多く、原告主張のごとき長期にわたる治療の必要性については多大の疑問があるから、本件第二事故による治療として相当性のある範囲は一部に限定さるべきである。また、以上の事情によると、はたして原告が主張のとおり休業したか疑問であるし、仮りに休業したとしても、そのような長期にわたる休業は本件事故と相当因果関係がない。しかも、原告が得ていた金員は、役員報酬であつて現実の労働の対価ではないので、同人が報酬を得られなかつたとしても、これは、本件事故と因果関係はない。

(三)  被告東興自動車

原告主張の請求原因事実中、原告主張のごとき第一、第二事故が発生したこと、被告東興自動車が丙車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたことおよび原告が自賠責保険から合計一五〇万円を受領したことは認め、第二事故により傷害が悪化したとの事実は否認、その余の事実は不知。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

原告が昭和四一年一二月二八日午前一一時頃、東京都世田谷区船橋町一丁目一一七番地先路上において、乙車を運転中、訴外永井松男運転の甲車と接触した(第一事故)ことは、被告萩野・同東興自動車との間では争いがなく、また、被告東邦交通との間では、〔証拠略〕によつてこれを認めることができ、また、原告の同乗し、訴外松岡の運転する丙車が昭和四二年六月二七日午後七時三五分頃、東京都世田谷区三宿一丁目三〇番地先交差点において、訴外森真男運転の丁車と出合頭に衝突したことは、被告東邦交通・同東興自動車との間では争いがなく、被告萩野との間では、〔証拠略〕によつてこれを認めることができる。

二  責任原因

被告萩野が甲車の、被告東邦交通が丁車の、被告東興自動車が丙車の所有者であり、かつ、いずれもこれを自己のために運行の用に供していたものであることは、各被告において認めて争わないところである。

従つて、被告らは、いずれも自賠法三条により、原告が蒙つた損害につき、後記の各範囲内で賠償する義務があるというべきである。

三  原告の第一事故後の傷害の程度および因果関係

(一)  まず、第一事故の態様の点から検討するのに、〔証拠略〕によれば、時速約二〇キロメートルの速度で走行していた乙車に、車間僅か三メートルの距離で追従していた甲車の運転者たる訴外永井は、漫然と車間距離を保たず、しかも、前方注視不十分のまま進行したため、左折すべく停止した乙車を、僅か約三メートルの至近距離にはじめて発見し、急ブレーキの措置をとつたが間に合わず、乙車右後部バンバーの上に、甲車運転席左側下のステツプ部分を接触させ、その状態で両車は停止したが、その際乙車のバンバー部分に擦過痕を与えたほか、左後部ボンネツト部分にも卵大の凹損を与えたこと、その際甲車のステツプも変形したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、右認定の両車の衝突部位および損傷程度によると、両車の接触の衝撃は、さほど強いものであつたと認めることはできないけれども、時速二〇キロメートルの速度で走行する車両が制動をかけた場合の空走距離が概ね四メートルであることは公知の事実であるから、毎時約二〇キロメートルの速度で進行していた甲車は、制動のかからない状態で乙車と接触停止したものと推認され、そうであれば、この接触の衝撃も軽くないものであることも明らかで、そのため原告が、その頭部ないし頸部に小さくない衝撃を受けたことも容易に推認される。

(二)  ところが、〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四一年七月二二日午後一〇時頃、東京都世田谷区若林町六一四番地附近の通称環状七号線道路において、普通乗用車を運転中、後続してきた訴外服部繁運転の小型貨物自動車(品川四ふ四〇―八八号)に追突され、そのため頭部および頸部等を運転席シートに打ちつけ、一時意識混濁状態に陥つたが、間もなく覚醒し、格別受傷の自覚はなかつたが、翌日以降、頭・頸部の痛みと両肩胛部の倦怠感を覚えるようになり、その頃から本件第一事故に至るまで、いわゆる鞭打ち病(頸推挫傷症候群)の診断名の下に、森住外科医院、国立東京第二病院、東京医科歯科大学附属病院、柳沢医院等に、平均週二回以上通院し、アリナミン等の注射内服薬の投与、湿布、頸部のギブス固定等の治療を受けていたこと、その間、同人の症状には他覚的所見は殆んどなかつたが、自覚症状は頸部痛が最も顕著で、枕を使用すると激痛を覚えるため、就床には特別の工夫を要したほか、頭重感、両肩胛部の肩引痛や、嘔吐、眩暈感が消失せず、さらに記憶力の低下や全身脱力感も続き、少なくとも受傷当日から昭和四一年一一月下旬頃までの症状はかなり重篤で療養を要する状態であつたが、昭和四一年一二月に入つてからは症状は軽快し、軽労働およびやゝ複雑な事務にも堪え得る程度に回復していたところ、本件第一事故に遭遇していたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の諸事実によると、原告は、昭和四一年七月二二日受傷した鞭打ち症が、軽快しつつあつたものの、なお治療を要する状態にあつた同年一二月二八日に本件第一事故に遭遇したことが明らかである。

(三)  そこで、次に、第一事故受傷後の原告の症状について検討するのに、被告萩野との間では成立に争いがなく、被告東邦交通、同東興自動車との間では〔証拠略〕によれば、第一事故に遭遇して原告のこれまで軽快しつつあつた症状が再び増強し、原告は、頭部・頸部痛、肩緊迫感、上下肢しびれ感、発熱、四肢末端発汗、耳鳴、眼精疲労、記銘力低下、言語機能障害等の症状を訴え、昭和四四年一月四日頃から第二事故頃までの間に、大田区上池上町所在の西山医院(後に川崎市明津へ移転し、報徳診療所と改名)に、概ね三八日、東京医科歯科大学附属病院に二八日、森住外科医院に八日、各通院して治療を受けたが症状は好転せず、昭和四二年四月下旬には悪天候が続いたため症状が悪化し、本人の希望で右西山医院に同年四月二六日から同年五月一三日までの間約一五日間入院したりしたが、症状は一進一退をくり返し、治癒に至らないうちに、本件第二事故に遭遇したこと、第一事故後第二事故までの期間中の原告の症状は、他覚的所見に乏しいものの、その愁訴は重いものであつたが、しかし、休んだりしながら稼働することもできるような状態であつたことが認められ、右認定に反する証人工藤スミエの供述部分は信用できず、その他、これを覆えすに足りる証拠はない。

(四)  以上の諸事実によれば、昭和四一年七月に受けた鞭打ち症状は、同年一二月末頃には軽快しつつあつたところ、本件第一事故による頭部ないし頸部への衝撃により、同人の鞭打ち症状は、再び増悪化し、より密度の高い治療を要するような状況となつたものと認められ、第一事故の加害者たる被告萩野は、症状の増悪化した部分について責任を負わなければならないことが明らかである。そして、他覚的所見の少ない鞭打ち症状は、時間の経過につれ、漸次軽快していくものであることは公知の事実であるから、これと前記認定の治療経過および症状に鑑みると、本件第一事故以降本件第二事故までの損害のうち、本件第一事故に起因するものが略七割と認めるのが相当であつて、残りの略三割は昭和四一年七月の事故が影響を与えているものと認められ、これを第一事故の加害者たる被告萩野に負担させることはできないものというべきである。

四  原告の第二事故後の傷害の程度と因果関係

ところが、原告は、前記のとおり、第一事故後の治療中に、さらに、第二事故を受けるにいたつたので、それ以降の損害が、いずれの事故に起因するものかの検討を要することとなる。

(一)  そこでまず、第二事故の態様の点について検討するのに、〔証拠略〕によれば、本件事故現場は、南方玉川通り方面から北方多聞橋方面に向う、歩車道の区別のない幅員四・五メートルの一方通行道路と、西方太子堂方面から交る歩車道の区別のない幅員四・八メートルの道路と、東方池尻方面から交る、歩車道の区別のない幅員一〇・五メートルの道路との十字型交差点であつて、同交差点は、商店等のため左右の見通しは悪く、太子堂方面および池尻方面から本交差点に進入する車両には一時停止規制がされていたこと、ところで、原告を乗車させていた丙車の運転手訴外松岡は、自動車運転者として、同交差点に進入するにあたつては一時停止したうえ、左右の安全を確認して進行すべき注意義務があるのに、漫然、左右からの車両はないものと軽信して、交差点の手前において一時停止することなく、時速約二五キロメートルの速度で同交差点に進入しようとしたため、衝突地点の約四・五メートル手前の地点て右から走行してきた丁車を発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、丙車前部を丁車左側中央部に衝突させたこと、一方、丁車の運転手訴外森も、自動車運転者として、本件のように左右の見通しの悪い状況にある交差点に進入するにあたつては、徐行し、左右の安全を確認して進行すべき注意義務があつたのに、漫然、徐行することなく、時速約二〇キロメートルの速度で同交差点に進入しようとしたため、同交差点に進入した地点ではじめて丙車に気付き、急制動をとつたが間に合わず、丙車と衝突するに至つたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、右事実によれば、丙・丁車の衝突により、丙車に乗車していた原告が、その頭部ないし頸部に、小さくない衝撃を受けたことが明らかである。

(二)  そして、第二事故後の原告の症状について検討するのに、〔証拠略〕によれば、原告は、第二事故に遭遇し、その二日後より発熱(三八・五度)・頭痛・頸部痛・手のふるえ等を強く訴える等、従前の症状が増悪化し、前記報徳診療所に昭和四四年一二月頃まで月平均七ないし九回通院して、アリナミン注射、内服薬の投与やマツサージ、超短波の治療を受けたほか、東京医科歯科大学附属病院に昭和四二年八月二四日頃までに約四回通院して内服薬の投与等の治療を受け、また、世田谷区玉川中町二丁目所在の小倉病院において、同年七月一九日から同年九月四日まで通院二一回、同月五日から同年一〇月二〇日まで入院、同年一〇月二一日から昭和四三年一月一八日まで通院二三回の治療を受け、さらに、台東区池ノ端一丁目所在の金井整形外科に昭和四三年一〇月四日から昭和四四年一月二三日までの間に八回にわたつて通院して治療を受け、昭和四四年六月一六日からは代々木病院にも通院して治療を愛けるようになり、同年一一月三〇日までに九日間通院したこと、その間原告は、昭和四四年一二月末に至るまで全く稼働しなかつたこと、しかしながら、以上のような治療にも拘らず、一部の症状(例えば握力・頸椎可動性)を除いてほとんど変化がなく一進一退をくり返し、昭和四三年六月頃に至つても、難聴、頸部痛、時々起る眩暈感、上肢しびれ感等が残つていたほか、不眠・発汗等自律神経失調症ないし神経衰弱的症状もみられるようになり、また、度重なる事故のシヨツクないしは原告自身の性格に基づく心因的要因も加わつて、前記各症状は、慢性的様子を呈するに至り、このため昭和四四年一月初めには、担当医師から就業するように強く説得されたりしたこと、原告は、昭和四一年七月と本件第一事故により蒙つた鞭打ち症治療中のところ、さらに本件第二事故に遭遇したため、症状が加増され、治療も長引いたが、遅くとも昭和四三年末頃までには症状は固定し、あとは心理的療法と特に本人の就業への意欲および訓化により、その労働能力の回復が期待できる段階に至つていたこと、右時点でも、原告には頸部疼痛、前頭部疼痛、上肢しびれ感等が残つていたため、右時点以降少なくとも三年間は労働能力を概ね一四パーセント喪失した状態で稼働を余儀なくされることが認められ、証人工藤スミエおよび原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  以上の諸事実によれば、原告の増悪化していた鞭打ち症状は、本件第二事故による頸部ないし頭部への衝撃により、増悪化し、さらに密度の高くより長期にわたる治療を要する状況になつたものと認められ、第二事故の加害者たる被告東邦交通、同東興自動車も、その増悪化に寄与した限度で責任を負わねばならないことが明らかである。そして、前記のごとき鞭打ち症状の一般的経過についての公知の事実に、前記認定の治療の経過および症状の変化に鑑みると、本件第二事故以降の損害のうち、略一割は昭和四一年七月の事故が、略二割は本件第一事故が、その余は本件第二事故が影響を与えていると認めるのが相当である。したがつて、被告らは、右寄与率に応じて、損害を分担するのが相当であるから、第二事故発生以降の損害については、被告東邦交通、同東興自動車が略七割を、被告萩野が略二割を負担すべきである。

なお、以上のごとく、原告は前後三回の交通事故に遭遇し、原告の前記症状には三回の事故が競合してその原因となつていると認められるけれども、各事故の時間的・場所的へだたりからして、それらが客観的に関連共同しているとは認められないから、互いに共同不法行為の関係にあるとする原告の主張は採用することができない。(但し、第二事故については、被告東邦交通と被告東興自動車が共同不法行為者として連帯責任を負う。ちなみに第二事故における両者の過失割合は、前記認定の事故態様に鑑みれば、前者が二五、後者が七五と認められる。)

五  損害

そこで、損害の額および被告らの負担額について判断する。

(一)  積極的損害

1  治療費

〔証拠略〕によれば原告は前記入・通院治療のための費用として第二事故以前に少なくとも原告主張の合計二〇万一、三七〇円、第二事故以後に少なくとも原告主張の合計九一万五、一一九円を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、前述した損害発生に対する被告らの寄与率に応じて各負担額を計算すると、右のうち被告萩野が三二万三、九八二円(円未満切捨、以下同じ。)、被告東邦交通・同東興自動車が六四万〇、五八三円となる。

2  通院交通費

〔証拠略〕によれば、原告は、前記通院のためのタクシー代等として第二事故以前に合計八万九、一四〇円、それ以後に合計五一万八、八七〇円を支払つたことが認められるけれども、前述した傷害の部位・症状に照らすと、昭和四三年末まで一七三日間のタクシーでの通院は相当性があるが、その後は相当であつたとは認められない。しかしながら、前記各病院の所在地からしてタクシーを利用するとしても、全区間を利用する必要があつたとは認められないから、タクシー利用の相当の期間中で一日当り五〇〇円、それ以降の場合に一日当り二〇〇円程度の交通費が相当であり、前記通院実日数に相当する第二事故以前(七七日)が三万八、五〇〇円以後(二五四日但し、昭和四四年以降八一日)が一〇万二、七〇〇円の限度で本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。

従つて、右のうち被告萩野が四万七、四九〇円、被告東邦交通・同東興自動車が七万一、八九〇円を負担すべきである。

3  薬代

原告は、薬代として合計三万九、二二〇円を支出した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

4  付添費用

〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四二年一月から六月までの間付添婦を依頼し、その費用として合計五万五、八〇〇円を支出したことが認められるけれども、前記認定の原告の症状等に照らし、通院中はもとより入院中も付添看護を要する程の状態であつたとは認められず、右認定に反する前掲甲第一〇号証の一の一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

よつて、右支出は本件事故と相当因果関係はないというべきである。

(二)  逸失利益

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故当時、株式会社幸工務店の代表取締役として年間九四万二、〇五五円の給与および賞与を得ていたこと、そして本件第一事故以後は右給与等を受けていないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、前記認定の如く、原告は、本件各事故のため鞭打ち症候群の傷害を蒙り、各種症状を訴えて長期に亘り入・通院治療を続けたことが認められるけれども、前記症状は、事故直後の発熱等を除けば、原告自身の愁訴にもとづく自覚症状がほとんどで、特別の他覚的症状は認められないし、また、前認定の如く症状の要因には多分に心因的要素もかなり影響していることや、通院中は仕事に従事したり、入院中でも外泊したりしていることなど諸般の事情を総合すれば、事故と相当因果関係のある原告の労働能力喪失割合は、第一事故後第二事故までの間は六〇パーセント、第二事故後の半年間は一〇〇パーセント、その後の一年間は六〇パーセント、そして症状が固定したと認められる昭和四四年一月以降三年間は一四パーセントと認めるのが相当である。

従つて、原告の逸失利益は、第二事故以前については、二八万二、六一六円、第二事故以後については、年五分の割合による中間利息をライプニツツ方式により控除し、訴状送達時の現価額を算定すると一四一万三、三七九円となる。

よつて、右のうち、被告萩野が四八万〇、五〇六円、被告東邦交通・同東興自動車が九八万九、三六五円を負担すべきである。

(三)  慰藉料

前記認定の第一・第二事故の態様、原告の傷害の部位・程度、それに対する第一、第二事故の寄与度、入・通院の期間および原告の各症状には原告自身の性格によると思われる心因的要素も寄与している事実等本件に現われた諸般の事情を考慮すれば、原告が蒙つた精神的苦痛を慰藉すべきものは、第一事故による被告萩野において負担すべきものが三〇万円、第二事故による被告東興自動車・同東邦交通において負担すべきものが四五万円とするのが相当である。

(四)  損害の填補

原告が自賠責保険から第一事故について五〇万円、第二事故について一〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。

(五)  弁護士費用

〔証拠略〕によれば、原告は、訴訟代理人に対し本訴の提起を委任し、その際手数料および謝金として九〇万円を支払う旨約束したことが認められるけれども、本件審理の経過・各被告に対する認容額等に照らし、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は、被告萩野に対して七万円、被告東邦交通・同東興自動車に対して一一万円の限度で相当と認められる。

六  結論

よつて、原告の本訴請求のうち、被告萩野に対して金七二万一、九七八円および右から未払の弁護士費用分七万円を控除した内金六五万一、九七八円に対する本件訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和四五年一月三一日から支払済みに至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを、被告東邦交通・同東興自動車に対して各自金一二六万一、八三八円および右から未払の弁護士費用分一一万円を控除した内金一一五万一、八三八円に対する本件訴状送達の日の翌日以降である昭和四五年一月三一日から支払済みに至るまで右同様年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので、これを認容し、その余の請求部分は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条・九二条・九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 田中康久 大津千明)

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