東京地方裁判所 昭和44年(ワ)14343号 判決 1970年10月28日
原告 滝口誠
右訴訟代理人弁護士 小長井良浩
同 小泉征一郎
被告 日本国有鉄道
右代表者総裁 磯崎叡
右訴訟代理人弁護士 鵜沢勝義
右訴訟復代理人弁護士 鵜沢秀行
右訴訟代理人 久保木義夫
<ほか一名>
主文
1 原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有することを確認する。
2 被告は原告に対し、金一〇六万四、六〇六円および昭和四五年九月一日からこの判決が確定するに至るまで毎月二〇日限り金三万五、四〇〇円づつを支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 この判決の第二項は、仮りに執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、原告が昭和三八年三月被告に臨時雇員として雇用され、同三九年一一月七日から機関助士となり、新小岩機関区に勤務していたこと、被告総裁が同四三年一一月一日原告に対し、国鉄法第三一条により本件懲戒免職をしたことは当事者間に争いがない。
二、よって、本件懲戒免職の効力について判断する。
(一) 先ず、被告主張の懲戒免職事由の有無について検討する。
(1) 原告が昭和四三年九月一八日被告主張の勤務を指定され、山口祐司機関士と共に第一〇七三列車に乗務し、その主張のように旭屋食堂(被告主張の「朝日屋」は「旭屋」の誤りと認める。)で、山口と一緒に夕食をとったことおよび夕食後被告主張の第一八八三列車に乗務したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。
原告は、昭和四三年九月一八日第五〇六仕業の勤務を指定され、機関助士として、山口祐司機関士と共に貨物列車に乗務した。第五〇六仕業は新小岩―小名木川間一往復と、新小岩―越中島間二往復とが組み合わされて一仕業となっているもので、その乗務時間は一〇時三〇分から二二時四七分までとなっていた。原告と山口機関士は、新小岩―小名木川間および新小岩―越中島間の各一往復の列車運転を終え、一六時五八分定刻どおり新小岩操駅に到着して入庫し、一七時二五分ごろ夕食をとるべく、新小岩機関区の近くにある旭屋食堂へ赴いた。
そして原告らは、夕食の注文をしたが、その際原告はビール一本をも注文し、このビールを原告はコップに約一杯、山口機関士はコップに約三杯を飲んだ。原告および山口は夕食を済ませたうえ、機関区に戻り、一九時五五分三〇秒発の第一八八三列車に乗務して、新小岩―越中島間一往復の列車運転に従事した。
≪証拠判断省略≫
(2) 原告が昭和四三年九月七日予備勤務を指定され、その勤務時間は一二時から二〇時までとなっていたところ、原告は一三時三〇分ごろに出勤して遅刻したことは当事者間に争いがない。
前記争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
前記「予備勤務」は、「出勤予備」あるいは「庫出」とも呼ばれ、機関区において列車に乗務すべく割当てられていた職員が、病気その他の理由で乗務できなくなるような事態の発生に予め備え、その交替要員として機関区で待機する勤務を指すものであるが、その出勤、退庁は勤務の性質上それほど厳格に行われていなかった。
原告の前示九月七日の出勤予備は当初は出勤八時三〇分、退庁一六時三〇分と指定されていた。しかるところ、原告はその前日の六日屋代助役に対し胃が悪いので医者に行きたいとの理由をあげて、九月七日は少し遅刻することになる旨を述べ、遅刻について事前の了解を求めたところ、同助役において一旦これを拒否したが、結局原告の同日の勤務を、いわゆる「庫二」と呼ばれている出勤一二時三〇分、退庁二〇時の勤務に変更する旨を告げた。原告はそれでもなお少し遅刻することになる旨を述べ、遅刻につき事前の了解を求めたが、同助役はこれを断った。しかるところ、原告は翌七日午前中、千葉鉄道管理局において行われた動労千葉地方本部と当局との団体交渉の傍聴に参加したのち、前示のとおり一三時三〇分ごろ出勤し、定刻より約一時間三〇分遅刻した。
また、原告は同日一六時三〇分ごろに至り、山田助役に対し、身体の具合が悪いことを理由に早退を申し出で、同助役から、「身体が悪いように見えない。悪いのなら、診断書を出すように。」と言われたが、診断書を提出せず、かつ、同助役の承認を得ることなく一七時三〇分ごろ退庁した、以上の事実を認めることができる。
(3) 原告が昭和四三年九月八日第五〇一仕業の勤務を指定されていたこと、原告は同日一一時ごろ鳥飼助役に対しその主張のように勤務変更の申出をしたところ、これを拒否されたことおよび原告がその後に至り医師の診断書の日付を書き直して中村助役に提出したことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。
(イ) 原告は、前示のとおり昭和四三年九月八日第五一〇仕業(一六時五五分から翌九日八時一分まで)の勤務を指定されていたが、同日一一時ごろ鳥飼助役に対し、身体の具合が悪いとの理由で、第五一〇仕業の乗務から出勤予備に勤務の変更方を申し出でたところ、同助役において身体が悪い者を出勤予備にすることはできないとして右申出を認めなかったので、少し休んだうえ第五一〇仕業に乗務するといって乗務員詰所で休息していた。ところが、鳥飼助役は、一一時三〇分ごろ原告が身体の具合が悪い以上、第五一〇仕業に乗務させることはできないと判断し、当日出勤予備に指定されていた機関助士山田吉計に対し、原告に代って第五一〇仕業に乗務すべきことを命じたうえ、職員の勤務配置を示す名札掲示板の第五一〇仕業欄に山田吉計の名札を掲出し、原告の名札を第五一〇仕業欄から外したが、出勤予備欄には掲出せず、一応空白欄に掲出する取扱をした。
原告は、鳥飼助役の右措置を知り、第五一〇仕業の勤務が山田吉計に指定された以上、原告の当日の勤務は出勤予備に振り替えられるべきであるとし、同助役に対し、再三にわたり、原告の勤務を出勤予備に変更するよう要求したが、同助役は、「身体が悪い者を出勤予備にさせるわけにはいかない、診断書を持ってくれば、病気欠勤にするから休め。」と言って診断書を出すことを求め、右勤務変更の要求には応じなかった。しかし原告は診断書の提出をせず、出勤予備をつとめると言って、退庁することなく、以後二〇時まで機関区に滞留していた。
(ロ) 原告は昭和四三年九月二一日の朝、中村助役に対し、医師宮崎亮の作成した同年九月九日付の診断書を提出して九月八日を病気欠勤の取扱にして貰いたい旨の申出をし、九月八日は日曜日であったので、翌九日に医者へ行って右診断書を貰ってきた旨を説明した。しかし、同助役から九月八日を病気欠勤にするのであれば、九月八日付の診断書でなければならないとして右診断書を返却されたので、原告はすぐその場で、右診断書の作成日付を九月八日と訂正の上、その受領を求めたが、同助役は医師の訂正印が押してなければいけないといって、受領を拒否した。そこで、原告は、その後、医師宮崎亮の了解を得ることなく、右診断書の前記訂正部分に「宮崎」と刻した印章を押捺し、同日一三時三〇分頃これを中村助役に提出した。
≪証拠判断省略≫
(4) 原告が昭和四三年九月一二日諸機掛代務として勤務し、その間一五時と一五時一五分になすべき汽笛の吹鳴を怠ったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、原告は同日の一三時から一六時四〇分までの間、新小岩機関区据付気缶室を離れ他区乗務員休憩室に滞在していたことを認めることができ、この認定に反する証拠はない。
そうして、≪証拠省略≫を総合すると、諸機掛の職務は据付気缶室でボイラーを焚くこと、浴場の湯を沸かすこと、貯水槽の水量を点検すること、汽笛の吹鳴をすることなどであり、諸機掛代務は正規の諸機掛が欠勤した場合などに、機関助士が諸機掛に代って勤務するもので、機関助士は年一、二回代務として勤務していたこと、諸機掛代務として勤務する場合、代務者は、据付気缶室に椅子が一脚あるだけで休憩などの設備がないため、その勤務時間中は必ずしも気缶室に常駐しているということはなく、所定の作業をするとき以外は乗務員詰所で適宜休憩するということが慣行となっていたこと、汽笛の吹鳴は作業の開始や休憩時間を知らせるため一日七回行うものであり、前示二回の不吹鳴は原告の失念に因るものであること、以上の事実を一応認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
(二) ≪証拠省略≫によれば、被告の就業規則第六六条には、懲戒事由として、「日本国有鉄道に関する法規、令達に違反したとき」(一号)、「上司の命令に服従しないとき」(三号)、「故なく職場を離れ、又は職務につかないとき」(六号)、「職務上の規律をみだす行いのあったとき」(一五号)、「職員としての品位を傷つけ、又は信用を失うべき非行のあったとき」(一六号)と定め、同規則第六七条には懲戒処分として、免職、停職、減給、戒告の四種を定めていること、同規則第五条には、「職員はみだりに欠勤、遅刻あるいは早退し、又は所属上長の許可を得ないで職務上の居住地又は執務場所を離れ、若しくは執務時間を変更し、職務を交換してはならない。」と定められ、第一二条第一項には「職員が遅刻、早退及び欠勤する場合は、所属長に予めその理由を具して届出でその承認を得なければならない。但し、病気その他の事故によりやむを得ず予め届出ることができなかったときは、事後速やかに届出てその承認をうけなければならない。」と定められていること、および≪証拠省略≫によれば、被告の「安全の確保に関する規程」(昭和三九年四月一日総裁達第一五一号)の第一三条には、「従事員は酒気を帯びて勤務し、又は勤務中酒を飲んではならない。」と定められていることが、それぞれ明かである。
(三) そこで、右(一)の(1)ないし(4)で認定した事実に基づき、就業規則の適用につき考察する。
(1) 原告の前記(1)の行為は、夕食に際してとはいえ勤務時間中にビールを飲んだものであるから、前示「安全の確保に関する規程」第一三条後段に違反し(原告の飲んだビールの量はコップに約一杯であったことと、その後に乗務した第一八八三列車の発車時刻との間に約二時間三〇分以上の時間があったことに鑑みれば、右列車の発車時刻当時に酒気が残っていたとは考えられないから、酒気を帯びて右列車に乗務したものとは認めがたい。)、前記就業規則第六六条第一号、第一五号に該当し、ひいては国鉄職員について懲戒事由を定めた国鉄法第三一条第一項第一号にいう「日本国有鉄道の定める業務上の規程に違反した場合」に該当するものというべきである。
(2) 原告の前記(2)の行為は、所属長の承認を得ないで遅刻および早退したものであるから、前記就業規則第五条、第一二条第一項に違反し、第六六条第一号に該当する。しかし、右無断早退をもって同規則第六六条第三号に該当するものと解することは相当ではない。
(3) 原告の前記(3)の行為について。
先ず、原告は、第五一〇仕業に乗務しなかったものであるが、担当助役において出勤予備の職員に対し、原告に代って第五一〇仕業に乗務することを命じたからといって、原告に対し出勤予備の右の命令がなされたことを認めるに足る疎明資料のない本件においては、当然には原告の当日の勤務が出勤予備に振り替えられたものとなすことはできないから、原告が出勤予備の勤務をするといって職場に滞留していたことをもって当日の勤務についたものということはできない。したがって、原告は昭和四三年九月八日は欠勤したものといわなければならない。
ところで、原告が第五一〇仕業勤務を出勤予備に振替を申し出るに当り、その理由として身体の具合の悪いことを挙げていたことは前示のとおりであるところ、≪証拠省略≫を総合すれば、原告は当日急性胃腸カタルに罹っていたことを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はないから、前記原告の勤務振替の申出は、虚偽の理由を構えてなされたものではなく、真実身体の具合が悪かったことによるものと認めることができる。それゆえ、原告の右申出が容れられなかったため前記認定のような経緯で欠勤したことをもって前示就業規則第五条にいう「みだりに欠勤」したことに該るものと認めることは相当ではない。また、原告が右勤務振替の申出をなしたのは、第五一〇仕業勤務の約七時間前であることは、前記認定の事実から明らかであるから、右欠勤については予め所属長にその理由を具しての届出がなされたものというべく、前記認定の担当助役において原告の右申出を拒否して他の予備勤務職員に原告に代って第五一〇仕業勤務を命じた事実に照せば、担当助役は原告の第五一〇仕業勤務を解き当日を欠勤扱にしたものと推認するに難くない。したがって原告の右欠勤は前示就業規則第一二条第一項にいう無断欠勤にも該らないものと解するを相当とする。
次に、原告が診断書の作成日付を勝手に書き直し、これを提出した行為は有印私文書の変造、同行使にあたるものと認められるけれども、前に認定した原告が右所為にでた経緯についての事実に鑑みれば、右所為をもって前記就業規則第六六条第一六号にいう「職員としての品位を傷つけ又は信用を失うべき非行」に該るものと解することは相当でない。
(4) 前記(4)の行為について。
原告は据付気缶室に常駐しないで、他区乗務員休憩室に滞在したものであるが、諸機掛代務の場合、所定の作業に従事するとき以外は乗務員詰所で休息していたというのが慣行である以上、原告が乗務員詰所に居たのであれば別として、これとは異る他区乗務員休憩室に約三時間四〇分にわたり滞在していたことは、右他区乗務員室に滞在することについて所属長の許可を得ていたこともしくは正当の事由のあったことについての主張、立証のない本件においては、前記就業規則第五条第六六条第六号に該当するものといわなければならない。
また、原告が二回にわたり汽笛の吹鳴を怠ったことは、過失によるものであるとはいえ、諸機掛代務としての職務の懈怠であるから前記就業規則第六六条第六号に該当するものと解される。
(四) よって、進んで本件懲戒免職は、原告主張のように解雇権の濫用にあたるか否かについて検討する。
先ず、前記(一)の(1)で認定した飲酒行為について。
原告がビールを飲んだのは、前記認定のように列車の待ち時間中の夕食時であるとはいえ勤務時間中であり、かつこれから列車に乗務しなければならない関係にあったのであるから、列車の安全輸送に従事する機関助士の職責から考えると、甚だ好ましくない行為というべきである。しかしながら、≪証拠省略≫を総合すると、原告がビールを注文した時、原告の直接の上長たる山口機関士は何んらこれを制止することなく、かえって原告と一緒にそのビールを飲んだものであることが認められ、また前記認定のように夕食時から列車乗務までは約二時間の間隔があり、原告が飲んだビールの量は僅かコップに一杯程度のものであるから、右乗務時には殆んど酒気を帯びていなかったものと推認されるし、≪証拠省略≫によると、山口機関士および原告は右夕食後新小岩―越中島一往復の乗務についたが、平常どおりに列車を運転し、異状はなかったことを一応認めることができる。右の各事情に鑑みれば、右原告の飲酒行為をもって直ちに懲戒免職に値いする程の事由に該るものとは認め得ない。
次に、(一)の(2)で認定した遅刻、早退について。
原告が無断遅刻、早退をしたことは職場の規律をみだすものであり、ことに遅刻については、原告は胃が悪いため医者に行きたいとの理由をあげて上長の了解を得ようとしていたのに拘わらず、動労千葉地方本部と当局との団体交渉の傍聴に参加して遅刻したものであるから、その情状は必ずしも軽いとはいいがたい。しかし当日の勤務は出勤予備であり、出勤予備の場合は、その出勤、退庁時間の厳守は必ずしも厳格に行われていなかった事実を考慮すれば、このため業務の運営に著しい支障を生じたという特段の事情が認められない本件にあっては、右遅刻、早退をもって懲戒免職に値いする程重大な規律違反に該るものとは認めがたい。
さらに、前記(一)の(4)で認定した職場離脱ならびに汽笛吹鳴の懈怠については、前にこの点につき認定した事実に鑑みれば、職場離脱の時間が約三時間四〇分に亘ったことを考慮に入れても、いまだ懲戒免職に該る程の規律違反であるとはなしがたい。
以上説示のとおり、原告のなした上記飲酒行為、遅刻、早退ならびに職場離脱および汽笛吹鳴の懈怠は、それ自体独立には懲戒免職の事由には該らないのみならず、これらを総体的に評価しても、いまだ懲戒免職に値いするものとは認めがたい。したがって被告総裁のなした本件懲戒免職は苛酷に失し、懲戒権行使の裁量の範囲を著しく逸脱したものであって、解雇権の濫用にあたるものとして無効であるというべきである。
(五) ところで、被告は本件懲戒免職は、いわゆる行政処分であるから、右懲戒免職に重大かつ明白な瑕疵が存しないかぎり、右免職が無効となるいわれはない旨主張するので、この点について考えてみる。
被告が国有鉄道事業等の能率的な運営を計るため、法律に基いて設立された公法上の法人であることは、国鉄法第一条、第二条の規定に照して明らかである。
しかし被告が公法人であることから直ちにその職員の勤務関係を公法関係、ことに国家公務員のごとき特別権力関係であると即断することはできない。そもそも独立の公法人たる国鉄を設立し、これに従前国家の行政機関である運輸省によって運営せられてきた鉄道運輸事業などを経営せしめるに至ったのは、事業の性質が元来私企業的なものである関係から、国鉄の行政機関をして運営せしめるよりは、むしろ私企業におけるような能率的運営を行わしめることの方が、よりよくその発展を期し公共の福祉の増進に役立つとの政策的理由によるものであることは国鉄法第一条の規定の趣旨から明らかである。このような国鉄設立の趣旨、目的から考えれば、国鉄はもはや公権力の行使を担当する国の行政機関たる性質を有するものとは解しがたく、ことに、国鉄職員の勤務関係、国鉄とその職員との関係は基本的には私法関係と解するのが相当である。
もっとも、国鉄法には国鉄職員の任免、分限、懲戒、職務専念義務等に関しては、国家公務員と同様の規定ないしは公務員的性格を有する規定(第二九条ないし第三二条)が存し、また公共企業体等労働関係法第一七条の規定により国鉄職員は一切の争議行為を禁止されているが、右はいずれも国鉄の事業の公共的性質に基づくものと理解すべく、また国鉄法第三四条の規定は、刑罰法規の適用に国鉄職員を公務員と同視したものと解すべきであって、いずれも国鉄職員の任務関係を基本的に私法関係と解することの妨げとはならない。
以上実定法規を通覧すると、被告とその職員との雇用関係については、一般私企業の従業員のそれと全く同じであるとすることはできないが、しかし国と国家公務員との関係と同じように被告総裁に優越的な地位が与えられているものというよりも、むしろ当事者対等の関係として規定されているものと解される。
従って、被告とその職員の雇用関係は基本的に私法関係に属するものと解するのが相当であり、被告総裁がした本件懲戒免職は、いわゆる行政処分とはいい得ないものである。それゆえ、本件懲戒免職についての前記懲戒権濫用の違法が、重大かつ明白であるか否かにかかわりなく、本件懲戒免職は無効であるというべきである。
三、そうすると、原告主張のその余の点について審究するまでもなく、原告と被告との間の雇用関係はなお存続し、原告は被告に対し雇用契約上の権利を有するものというべきであり、被告が本件懲戒免職により原告との雇用関係は終了したとして、その就労を拒絶していることは当事者間に争いがないから、右就労不能は被告の責に帰すべき事由によるものというべく、従って原告は賃金請求権を失わないことが明らかである。
しかして、原告の本件懲戒免職当時における賃金は、被告の職員給与規程上、動力車乗務員三職群一八俸で、月額三万一、六〇〇円であり、毎月二〇日に当月分の支払を受けていたこと、その後昭和四四年四月給与規程の改訂が行われた結果、月額三万五、四〇〇円となったこと、給与規程上被告職員については原告主張の各手当が支給するものと定められ、右三職群一八俸の給与を受ける職員に支給される右各手当の額が別表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
従って、原告は被告に対し、本件懲戒免職の日の翌日である昭和四三年一一月二日から同四五年八月三一日までの間の毎月の前記賃金(昭和四三年一一月分は三万一、六〇〇円)と年末・夏季・年度末各手当との合計金一〇六万四、六〇六円ならびに同四五年九月一日以降は毎月二〇日限り金三万五、四〇〇円づつの支払を受くべく賃金請求権を有することが明かである。また、右九月一日以降の毎月の前記賃金については、本件口頭弁論終結時(同四五年九月九日)に、いまだ弁済期が到来していないが、右九月一日以降この判決が確定するに至るまでの分については、被告が前記のように原告との雇用契約関係の終了を主張していることに徴して、あらかじめその請求をする必要を肯認することができる。
四、以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 菅原晴郎)
<以下省略>