大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1444号 判決 1971年8月31日

原告

山田喜平

ほか一名

被告

大和交通株式会社

主文

被告は、原告らに対し、各金一七三万九一三一円およびこれに対する昭和四四年二月二七日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告ら

(一)  被告は原告両名に対し、各金五〇五万一五八二円およびこれに対する昭和四四年二月二七日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二、原告ら主張の請求原因事実

一、(事故の発生)

訴外亡山田照夫は左記の交通事故(以下「本件事故」という。)によつて傷害を受けた。

(一)  発生日時 昭和四三年六月二八日午後八時四五分頃

(二)  発生場所 東京都文京区小向四の二の九先路上

(三)  事故車 営業用普通乗用車(足立五え二九三五号)

右運転者 訴外 原田雅幸

(四)  被害者 亡山田照夫(右事故車の乗客)

(五)  態様

訴外原田雅幸が事故車を運転し、都電軌道敷内を進行中、前方注視義務を怠り、対向してきた都電と正面衝突したものである。

(六)  傷害

亡照夫は、本件事故のため、頭部打撲、頭部外傷の傷害を受け、以後昭和四四年一月一六日まで二〇三日間駿河台日大病院へ入院して治療を受けたが、頭部外傷によつて中枢神経を侵され、左上、下肢に運動障害を遺残し、快癒の見込はない。

二、(責任原因)

被告は、事故車を所有して、その営むタクシー業務に使用し自己のために運行の用に供していた者であるから、自賠法三条により、右照夫の蒙つた損害を賠償する義務がある。

三、(右照夫の損害)

(一)  逸失利益

照夫は、昭和四一年三月国学院大学政経学科卒業後、訴外稲村建設株式会社に就職し、事故当時二五才で、年間金四五万四八〇〇円の給与の支払を受けていたので、今後六五才にいたるまで少なくとも右収入は得られるはずであるところ、前記の如き後遺症のため、照夫は向後収入の得られる業務の就労は不可能で、約六年後には精神状態が安定し、就労意欲も生じて軽度の仕事に従事し得たとしても、その収入は年金一四万四〇〇〇円にすぎないから、同人の喪失した得べかりし収入を計算すると次のとおり金七三五万三一六四円となる。

四五四、八〇〇×四・三六四三七+(四五四、八〇〇-一四四、〇〇〇)×(二一・六四二六一五-四・三六四三七)≒七、二五三、一六四(円)

(なお、四・三六四三七は年五分の法定利率によるホフマン式年金現価総額の五年の指数、二一・六四二六一五は同四〇年の指数)

(二)  慰藉料

右照夫は、本件事故により、四〇日間以上も意識不明の状態が続き、意識回復後も結局二〇三日間安静加療を重ね、治療完了後も、中枢神経障害による左上、下肢に運動障害の後遺症を残し、右症状は一生回復しない。

右照夫は近く結婚する予定で、その準備にあたつていた矢先に本件事故に遭遇し、希望に燃え、楽しかるべき青春を一挙に失い、暗い日々を余儀なくされていた。

これらの諸事情に鑑み、照夫の本件傷害による精神的損害を慰藉すべき額は金四〇〇万円が相当である。

(三)  損害の填補

右照夫は、本件事故により蒙つた損害に関し、自賠責保険金金一二五万円の給付を受け、これを右損害に充当した。

四、(相続)

右照夫は、後遺症である左半身不全麻痺および言語障害が治癒せず、就職することもできず、収入は全く得られないに拘らず、被告よりの送金もないため、親、兄弟の物心両面の負担に対する気兼ね、更には再度にわたる精神検査の強行等による精神的苦痛に耐えられず、昭和四五年九月三〇日服毒自殺を企て死亡した。照夫の死亡は、本件事故と相当因果関係にあるので、照夫の親である原告らは、照夫の右債権を各二分の一宛相続した。

五、(結論)

よつて、被告に対し、原告らは各金五〇五万一五八二円およびこれに対する訴状送達の翌日以後の日である昭和四四年二月二七日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、被告の答弁および主張

一、(請求の原因に対する答弁)

原告主張請求原因第一および第二項の事実は認める(ただし、後遺症の程度については不知)。

同第三項の事実中、照夫に左上、下肢の運動障害の後遺症が残つたこと、照夫が自賠責保険金金一二五万円の給付を受けたことは認めるが、照夫が労働能力を喪失したとの点は否認し、その余の事実は不知。

同第四項の事実中、照夫が服毒自殺により昭和四五年九月三〇日死亡したことおよび原告らが照夫の親であることは認めるが、照夫の死亡が本件事故と相当因果関係にあるとの点は否認する。そうすると、照夫の逸失利益については、死亡時までに限らるべきである。

二、(抗弁)

被告は、本件事故発生後、照夫の休業補償に対する内金として金二四万〇一〇二円を支払つたので、右額は控除さるべきである。

第四、抗弁に対する原告らの認否

被告主張抗弁事実は認める。

第五、証拠関係〔略〕

理由

一、(事故の発生および山田照夫の死亡)

原告主張請求の原因第一項の事実は、照夫の後遺症の程度を除き当事者間に争いがない。

ところで、〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1)  亡照夫は昭和四四年一月一六日駿河台日大病院を軽快したとして退院したが、その際にも、頭部外傷により中枢神経が障害され、左上、下肢の運動障害があり、今後軽い作業にしか従事できないと思われるので労働者災害補償保険の八級に該当すると診断された。

(2)  本件訴状は、亡照夫を原告として、同年二月一二日東京地方裁判所宛提出された。

(3)  亡照夫は右病院を退院後北海道の親、兄弟の許で静養していたが、足のけいれんを訴え、同年四月一六日から同年四月一二日まで、札幌在の中村脳神経外科に入院し治療を受け、同所では、同人の後遺症は労災の七級に該当すると診断された。その後、同人は、同年四月一四日から同年七月二三日まで虻田郡虻田町所在の洞爺病院においてリハビリテーシヨンを行なつたが、同病院でも、同人は中枢神経障害で、左上下肢に運動障害ならびに軽度の知覚障害を残し、労災の七級に該当すると診断された。

(4)  当裁判所は第六回口頭弁論期日に、原告申請の鑑定嘱託の申出を採用し、昭和四四年一一月一四日札幌医科大学附属病院に対し、照夫の鑑定を嘱託した。同病院からは昭和四五年一月三一日、同日付同病院脳神経外科医師宮崎雄二作成の鑑定書が当裁判所宛送付された。

同医師は、照夫が脳挫傷のため、左痙性不全麻痺を残し、そのため左上肢は使用に耐えず、歩行も痙性跛行で、速度も極めて遅く、凸凹面上の歩行は極めて困難で、しやがみ運動も膝関節、股関節が筋痙縮のため屈曲困難なため左下肢を外側に回旋して不完全にしやがみ得るにすぎず、その他言語障害および知能低下を残しているとの診断のうえ、労災七級に該当すると鑑定している。

(5)  当裁判所は、さらに第一二回口頭弁論期日に被告の申請する再鑑定嘱託の申出を採用し昭和四五年七月二四日北海道大学医学部附属病院に照夫の鑑定を嘱託した。同病院からは、同年一一月一三日、同年一〇月二六日付病院脳神経外科医師都留美都雄作成の鑑定書が当裁判所宛送付された。

同医師は、照夫が左側不全麻痺を有し、左側の握力は極度に低下し、左肩の挙上、左肘の伸展も各々制限され、歩行は痙性跛行で、速度も遅く、凸凹面では比較的困難であり、言語障害の点では、失語症および構音障害は認められないが、発語が緩徐で、反応時間が遅く、軽度の知能低下が想定され、これら左側不全麻痺の回復の可能性は殆んどないとの診断のうえ、精神症状に関する検査が不充分のため判定困難であるが、大体労災の七級に該当すると鑑定している。

(6)  亡照夫は再三、再四やられる精密検査をいやがり、とくに脳室検査は二度とやりたくないともらしていた。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

そして、第二の鑑定嘱託中の昭和四五年九月三〇日に照夫が自殺したことは当事者間に争いがない。

二、(責任原因)

原告主張請求の原因第二項の事実は当事者間に争いない。

したがつて、被告は原告らに対し、本件事故が原因となつて、その結果亡照夫が蒙つたとみられる損害のうち、相当の因果関係にあるか、あるいは、被告において特に予見し得るものといえる範囲の損害を、自賠法三条によつて賠償しなければならないことになる。

三、(亡照夫に生じた損害)

(一)  逸失利益

〔証拠略〕によれば、照夫は昭和一八年八月一九日生の男子であつて、国学院大学を卒業後、稲村建設株式会社に勤務し、同社より毎月金三万六〇〇〇円の月給を得ていたが、事故による受傷後はその月給を受けることはできなかつたこと、同人は昭和四四年二月一日札幌市在の株式会社茶谷商事に、マツチのレツテル貼差換、ならびに倉庫管理補助として雇われ、月金一万三〇〇〇円の給与を得ていたが、同社を同年四月三〇日付をもつて解雇され、以後は内職程度のレツテル貼りをやつていたが、それによる収益はせいぜい月六〇〇〇円程度であつたことが認められ、以上の認定に反する証拠はない。これによると、照夫は、本件事故による受傷がなければ、少なくとも毎月金三万六〇〇〇円の給与と、毎年六月末と一二月末に少なくとも一ケ月分の給与に相当する賞与を受給し得たものと推認するのが相当である。そうすると、前記照夫の入院期間に鑑みれば、同人の本件事故がなければ得られたであろう収入は別表逸失利益計算書のとおり、金九六万八三八〇円となる(なお、原告らは昭和四四年二月二七日以降遅延損害金の支払いを求めているもので、逸失利益計算にあたつては、それ以降の分については民法所定の年五分の割合による中間科息を控除して計算する。)。

原告らは、照夫の逸失利益を、照夫の死亡後についても請求している。しかしながら、本件事故と照夫の自殺との間にはいわゆる条件関係にあることは認められるとしても交通事故による精神的苦痛から免れるべく被害者が自殺することは事故から通常発生する結果とは認め難く、また被告において自殺することを予見し得た事情を認めることのできる証拠もないから、結局、照夫の死亡について被告にその責任を負わせることはできないものといわねばならない。そのような被害者の自殺の場合には、被害者が交通事故による受傷後、全く事故と関係のない病気により死亡した場合と同様、被害者の死亡後の逸失利益を被告に負担させることはできない。したがつて、この点の原告らの請求部分は認められない。

(二)  慰藉料

前記認定の本件事故態様、治療期間と治療状況、後遺症状などのほか、前記するような照夫の自殺に至るまでの経緯、とくに同人の自殺が被告申請の再鑑定嘱託中に行なわれ、その再鑑定が同人の自殺の一因をなしていると推認されることならびに〔証拠略〕により認められるところの、照夫が就職口を見つけることができず、親、兄弟の援助によつて生活していたがそれを心苦しく思つていたが、一方被告から支払われた休業補償は昭和四三年中に限られ、その後の支払がなかつた事実およびそれにより推認されるところの、そのような親、兄弟への経済的負担をかけさせていることの苦痛が照夫の自殺の一因となつていること等、これら諸般の事情を検討すると、照夫が本件受傷によつて蒙つた精神的損害は金四〇〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

(三)  損害の填補

亡照夫が、本件事故による受傷に関し、自賠責保険金金一二五万円の給付を受けていることおよび被告から休業補償として金二四万〇一〇二円の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、同金額を照夫の蒙つた損害額より控除する。してみると、照夫の被告に対する損害賠償請求権は金三四七万八二六三円となる。

四、(相続)

原告らが照夫の親であることは当事者間に争いがないから、原告らは右照夫の請求権を各二分の一宛相続承継した。

なお、照夫の慰藉料請求権は本来一身専属的なものであるが、同人は被告に対し慰藉料の支払いを求める訴を提起し、その審理中死亡したのであるから、このような場合には、本件受傷による慰藉料請求権も個人的、主観的色彩の減退のため、通常の金銭債権と同視し得べきものに転化したものというべく、相続の対象となると解する。

五、(結論)

よつて、被告は原告らに対し、各金一七三万九一三九円およびこれに対する訴状送達の翌日以後の日である昭和四四年二月二七日以降支払済みにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中康久)

別表 逸失利益計算書

<省略>

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