東京地方裁判所 昭和44年(ワ)7262号 判決 1974年9月05日
原告 橋本伝之助
右訴訟代理人弁護士 新井章
同 新里恵二
右訴訟復代理人弁護士 高野範城
同 門井節夫
被告 金子恒代
同 水越雅昭
右被告両名訴訟代理人弁護士 谷川八郎
同 川合常彰
同 斉藤勝
同 渡辺彬迪
右被告両名訴訟復代理人弁護士 那須忠行
同 村山廣二
同 安藝勉
同 谷川浩也
主文
一 被告らは原告に対し、各自金一、六五〇万円とこれに対する昭和四四年七月一九日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その三を被告らの負担とする。
四 この判決は原告が一六五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自金四、〇〇〇万円とこれに対する昭和四四年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和二九年九月二九日訴訟上の和解(東京地方裁判所昭和二六年(ワ)第四二五八号事件)により、被告らの先代である訴外亡水越加津から同女所有の新宿区角筈二丁目八二番三五宅地二〇一・六五平方メートル(区画整理による割当面積一二九・〇五平方メートル。以下「本件従前土地」という。)を木造建物所有の目的で、期間は同年一〇月一日から二〇年間、賃料は一か月坪当り二八円の約定で賃借した。
2(一) 水越加津は昭和四三年四月二九日死亡し、その長女である被告金子と長男である被告水越が相続により、各二分の一の持分の割合で、本件従前土地の所有権および賃貸人たる地位を承継した。
(二) その後本件従前土地は、昭和四四年一月二六日に土地区画整理法による換地処分がなされ、同区角筈二丁目一五番三宅地一二九・〇五平方メートル(以下「本件土地」という。)となった。
3 被告らは、昭和四四年五月一九日本件土地を訴外有限会社豊和(以下「豊和」という。)に売却し(以下「本件売買」という。)、同日同社はさらにこれを訴外文永哲(別名文平陵哲)に転売し(以下「本件転売」という。)、同日被告らから文永哲に中間省略登記の方法で所有権持分全部移転登記がなされた。
4(一) 本件従前土地には前記和解当時から建物は建築されておらず、本件売買当時も本件土地は更地のままであった。
(二) 本件売買は賃貸人たる地位の譲渡の合意を伴わないものであったため、被告らの原告に対する本件土地を使用収益させる義務は本件売買の日である昭和四四年五月一九日に履行不能となった。
(三) 仮に、本件売買が賃貸人たる地位の譲渡の合意を伴うものであったとしても、次に述べるような本件土地の売買の実情に照らすときは、被告らはその賃貸人たる地位の承継を豊和のみならず文永哲に対しても明確に承諾させておくべき義務を負うものといわなければならない。すなわち、本件土地の売買については、仲介人たる不動産業者の訴外飯田義則が「自分で買受けるが、買受人名義は豊和にしてくれ。」と申出たので、被告らはそれに従って本件売買契約書上豊和を買受人と表示したとのことであり、また、文永哲らが本件売買以前から本件土地の所有者たる被告らを訪づれ話合いを行なっていたとみられること、本件売買当日には、被告らから豊和、豊和から文永哲の二つの売買が同一場所で全く同時に実施され、関係者の間では、あたかも買主がその場で豊和から文永哲に入れ替ったかの如く認識されていたこと、被告らの代理人ないし履行補助者として右売買に立会った弁護士訴外川合常彰は、その時まで豊和の代表者訴外辻半吾に会っておらず、売買実施の際に本件売買契約書第四条に基づいて賃貸義務の承諾を得ようと考えていたこと等、本件土地の売買の実情から勘案すると、右売買における豊和の地位は全く名義上のものであって、右売買は、実際上、飯田を仲立ちとして、被告らより文永に直接なされたか、または、被告から飯田、飯田から文永哲へと連鎖して行なわれたものと解されるのであり、このような事実関係のもとにおいては、被告らとしては、豊和のみならず、文永哲からも賃貸人たる地位の受継の承諾を得ておくことが、原告との賃貸借契約における信頼関係から要請されるところであるといわなければならない。しかるに、被告らは、本件売買に際し、文永哲から前記承諾を得なかったから、被告らの原告に対する本件土地を使用収益させる義務は本件売買の日である昭和四四年五月一九日に履行不能となった。
5 原告は被告らの右債務不履行によって少なくとも四、〇九五万円の損害を受けた。すなわち、本件土地の本件売買当時の更地価格は坪当り一五〇万円以上であるところ、東京都内における借地権価格が更地価格の平均七割であることは公知の事実であるから、被告らの本件売買当時の借地権価格は坪当り一〇五万円以上であるというべく、したがって本件土地(面積一二九・〇五平方メートル)の借地権価格は四、〇九五万円以上となる。ところで、賃貸人の責に帰すべき事由により賃借人に対し土地を使用収益させる義務の履行不能が生じた場合における損害額は当該借地権の価額をもって評価すべく、結局原告の蒙った損害の額は四、〇九五万円を下らないものと認めるのが相当である。
6 よって、原告は被告ら各自に対し、債務不履行による損害賠償として右損害額の内四、〇〇〇万円とこれに対する履行不能となった日の翌日である昭和四四年五月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1ないし3の事実は全て認める。
2 同4の事実のうち、(一)の事実および(三)の事実のうち、本件土地売却の仲介人たる不動産業者の訴外飯田義則が「自分が買受けるが、買受人は豊和にしてくれ。」と申出た事実は認めるが、その余の事実および(二)の事実は否認する。
3 同5の事実のうち、本件土地の本件売買当時の更地価格が坪当り一五〇万円以上であったことは認めるが、その余の事実は否認する。
4 同6は争う。
(被告らの主張)
(一) 本件売買および本件転売はいずれも借地権付きの売買であって、賃貸人たる地位の譲渡を含むものであったから、原告と被告ら間の本件土地賃貸借関係は被告らから豊和へ、次いで文永哲に順次移行していった。
したがって履行不能ではない。
(二) 仮に、本件転売が賃貸人たる地位の譲渡を伴わないものであったとしても、被告らは、豊和に対し、本件土地の所有権とともに原告に対する賃貸人たる地位をもあわせて譲渡したものであるから、原告が借地権を喪失したとしても、それは被告らの賃貸人たる地位が豊和に承継された以後のことであって、被告らの債務不履行ではない。
三 被告らの抗弁
原告が損害を受けたとしても、原告には次のような過失があるから、被告らの損害賠償責任の有無およびその額を定めるについて斟酌すべきである。
(一) 被告らは本件売買に先立って、本件土地を借地人である原告に売る努力をしたが、原告はこれに応えなかった。すなわち、被告らと原告との第一回目の交渉では代金を一、二〇〇万円としたが原告の方で期日までに金策ができず売買不成立となり、第二回目のときは代金一、三〇〇万円としたが、このときも原告の方で金の用意ができなかった。また第三回目の交渉の際は代金を一、六〇〇万円とし、原告が金融機関から融資を受ける便宜のため被告らは売渡承諾書(本承諾書の有効期限は昭和四四年四月三〇日までであった。)まで書いて交付したが、右期限までに原告は金策ができなかったものである。
(二) 右期限の約一週間後に、被告金子の夫である訴外金子善次郎は、原告方を訪づれ、期限までに原告が金を用意しなかったから、以後は本件土地を自由に処分すると原告に了解を求めたが、原告は異議を述べなかった。
(三) 被告らと原告との間には借地権設定登記をすべき特約は存しなかったのであるから、被告らに原告の借地権をあらかじめ登記すべき義務はなかった。
(四) 原告は前記和解以来本件売買時まで一五年近くも本件土地を自ら使用せず放置していたものであるが、原告が本件土地上に建物を建て保存登記をしておれば、何人に対しても借地権を対抗できたにかかわらず、何ら借地権保全の措置を採らなかった。
(五) 原告は文永哲が原告を相手どって東京地方裁判所に対し、本件土地に対する原告の占有を解いて執行官に保管させる旨の仮処分を申請し(同裁判所昭和四四年(ヨ)第四四五三号事件)、昭和四四年五月二七日その旨の決定を得、同月二八日右決定の執行を了するや、同年六月中、文永哲と和解して本件土地を明渡した。しかし、右仮処分を申請された際、原告が被告ら又は被告ら訴訟代理人事務所に本件土地売買の事情を尋ねていたならば、被告らは本件売買および本件転売が借地権付き売買であると説明することができたのであって、原告は文永哲と和解する必要はなかった。
(六) 右仮処分申請事件において申請人側から疎明資料として提出された諸文書は、きわめて措信しがたいものであるから、右諸文書について本人につき調査するか、又は作成者の審尋を求める等の努力をしたならば、原告は不本意な和解をする必要はなかった。
(七) 文永哲の原告に対する仮処分は執行官保管のみを認めた仮処分決定であって債権者使用を許したものでないから、原告としては、本案において十分争ったならば背信的悪意者である文永哲に勝訴する可能性もあったはずであるのに、原告は文永哲と和解して軽々しく借地権を放棄した。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁(一)および(二)の事実のうち、原、被告間に、本件土地の売買交渉があったこと、および被告らが最終的に、代金一、六〇〇万円での買取を求めた事実は認めるが、その余の事実は否認する。
2 同(三)の事実は認める。
3 同(四)の事実は否認する。
本件従前土地は公法的規制(防火地区に指定される。)により非堅固建物の建築は禁止されており、原告としては地主たる被告らから堅固建物を建築するにつき承諾を得るか、本件土地を買取る以外に借地利用の途も権利保全の手段もなかった。
4 同(五)の事実のうち、仮処分に関する事実は認めるが、その余の事実は否認する。
5 同(六)の事実は否認する。
6 同(七)の事実は否認する。
第三証拠≪省略≫
理由
一 請求原因1(賃貸借契約の成立)、2(被告らの相続と換地処分)および3(本件売買、本件転売および中間省略登記)の事実はすべて当事者間に争いがない。
二 請求原因4の(一)(建物不存在)の事実および同(三)の事実のうち、本件土地売却の仲介人たる訴外飯田義則が「自分が買受けるが、買受人は豊和にしてくれ。」と申出た事実は当事者間に争いがない。
三 そこでまず本件売買が賃貸人たる地位の譲渡の合意を伴わない売買であったか否かについて検討する。
1 ≪証拠省略≫によれば、
(一) 被告金子は、豊和に本件土地を売却するに先立ち、弁護士訴外谷川八郎(本件訴訟代理人)に譲渡の件を相談し、同弁護士から借地権付で売るなら構わないとの指示をえており、
(二) 同弁護士事務所で契約条項を作成した本件売買の契約書にも、豊和は被告らが本件土地を原告に前示のような条件で賃貸中であることを了承の上、本件売買契約を締結することを確認する旨の条項(第四条)が明記されている
ことが認められる。右認定に反する証拠はない。
2 ≪証拠省略≫によれば、
(一) 原告と水越加津との間に昭和四二年暮頃本件従前土地の買取交渉が殆まり、当初水越加津側から売値一、六〇〇万円、原告側から買値八〇〇万円の代金額が提示され、水越加津死亡後も被告らが交渉に当り、昭和四四年二月頃には一、二〇〇万円から一、三〇〇万円のあたりまで双方歩み寄ったが、売買が成立するまでに至らず、その後昭和四四年三、四月頃には被告らの売値希望額は一、六〇〇万円となり、原告も買取資金等を金融機関から借り受けるため便宜被告らから一、六〇〇万円で売渡す旨の売渡承諾書の交付をうけたこと、
(二) 本件売買当時、本件土地の更地価格は六、〇〇〇万円(坪当り一五〇万円)位はしていたが、本件売買代金は一、九〇〇万円であり、右被告らと原告との間の買取交渉中提示された代金額一、二〇〇万円ないし一、三〇〇万円あるいは一、六〇〇万円に近い金額である
事実が認められる(原、被告間に本件土地の売買交渉があったこと、被告らが最終的に、代金一、六〇〇万円での買取を求めたこと、本件土地の本件売買当時の更地価格が坪当り一五〇万円以上であったことは当事者間に争いがない。)。水越加津が死亡した後に本件土地の買取交渉が殆まった旨の被告金子本人の供述および原告と水越加津との間に第一回交渉の際一、二〇〇万円、第二回目交渉の際一、三〇〇万円にそれぞれ買取代金額が決定された旨の証人金子善次郎の証言は前掲各証拠に照らすと措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 右認定の1および2の事実を総合すると、被告らと豊和との間の本件売買は賃貸人たる地位の譲渡の合意を伴う土地の売買であった事実が認められ、右合意を伴わないものであった旨の原告の主張は本件全証拠によるもこれを認めることはできない。
四 次に、豊和と文永哲との間の本件転売に際し、賃貸人たる地位を譲渡する旨の合意があったか否かにつき検討する。
1 ≪証拠省略≫によれば、
(一) 原告は、被告らとの間で前記本件土地の買取交渉を継続中であった昭和四四年三月下旬頃、知人から訴外平賀陸郎を紹介され、同人が経営に関与している訴外平賀建設株式会社(以下「平賀建設」という。)に、本件土地上にビルを建築する工事を請負わすとともに、平賀陸郎にその建築費用および本件土地の買取資金の金融機関からの融資の幹施方を頼んだが、平賀建設は同年四月二三日頃、訴外東京信用金庫からの融資の見込が立たぬことが明らかとなって前記請負契約が解約されるや、同月二五日付内容証明郵便をもって、原告に対し右解約を提出として八二一万円の損害賠償請求をなし、
(二) その頃、平賀陸郎は大学時代の友人で昭和二二年ないし二四年頃から親しく交際しじっこんの間柄である訴外文相守(別名文岩守)に本件土地のことを話したところ、同人は本件土地を買う意向を示したこと
が認められる。右認定に反する証拠はない。
右認定のとおり平賀陸郎が原告のため本件土地の買取資金の融資の斡旋をし、また文相守と古くからの友人であることなどを合わせ考えると、反対の事情が認められない限り、文相守は本件土地には原告が借地権を有していることを知悉していたものと推認することができる。
2 一方、証人文永哲の証言によれば、
(一) 同人は本件土地を豊和から買受けるについて全てを友人である前記文相守に委任したものであり、本件転売の日である昭和四四年五月一九日の約一週間前に文相守に案内されて本件土地を見分に行ったが、本件土地には借地人がいることの説明をうけなかったこと、
(二) 同人は資金事情が許せば本件土地にビルを建築してもいいとの考えをわずかながら抱いてはいたが、ほとんど小遣い稼ぎのつもりで豊和から買い受けてこれをすぐ他に転売するつもりであり、文相守との話でも一か月位で転売できるということであった
事実が認められる。右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 ≪証拠省略≫によれば、
(一) 本件転売の日である昭和四四年五月一九日から間髪を入れずして、文永哲は原告を相手方として東京地方裁判所に対し、原告の本件土地に対する占有を解いてこれを執行官に保管させる仮処分を申請し(同裁判所昭和四四年(ヨ)第四四五三号事件)、同月二七日その旨の仮処分決定がなされ、翌日右決定が執行されたが(以上の仮処分に関する事実は当事者間に争いがない。)、
(二) 右仮処分申請事件についても文永哲は全てを前記文相守に委任し、同人が弁護士訴外秋山昭八に事件処理を頼み、疎明資料の一部として文平陵哲名義の報告書(甲第一二号証)、豊和の代表取締役である辻半吾名義の報告書(甲第一五号証)、および平賀建設と文永哲名義の民間建設工事請負契約書(甲第一五号証)ならびに平賀建設名義の右契約金領収書(甲第一四号証)を同弁護士に提出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで、右甲第一二号証は文平陵哲名義であるが、≪証拠省略≫によると、右甲第一二号証は、秋山弁護士が文相守から事情を聴取しながら文平陵哲の記名を含めて全文を記述したものであるところ、文永哲自身はかつて該書面を目にしたことはなく、文平陵哲名下の捺印も文相守がしたものであることが窺われる。しかも、文相守は前認定のとおり本件土地には原告が借地権を有していることを知っており、また後記認定のとおり本件転売の日である昭和四四年五月一九日に弁護士訴外川合常彰から借地人がいることの説明をうけたにかかわらず、右甲第一二号証の記述内容からすると、文相守は同月二一日に秋山弁護士に対し「売主の豊和も前主の金子から聞いた話ではこの土地は現在誰にも賃貸していないとのことですので、安心して買った訳です。」などと全く虚偽の事情を申述べていることが明らかである。さらに、≪証拠省略≫に徴すれば、甲第一五号証は辻半吾が署名捺印したものであるかどうか相当疑わしく、また甲第一三、第一四号証に関しては、証人文永哲は平賀建設と建築工事請負契約を締結したことはない旨証言しているところから、これも文相守が事情をよく知っている平賀陸郎と通謀して作成した内容虚偽の文書である公算が大きい。
4 右認定の1ないし3の事実を総合すると、文永哲の代理人文相守は本件土地に原告が借地権を有することを知悉しながら、原告を追い出す意図であったことが認められ、本件転売に際し、賃貸人たる地位を譲渡する旨の合意はなされなかったものと推認される。
5 ≪証拠省略≫によれば、本件売買および本件転売の日である昭和四四年五月一九日、被告ら側は金子善次郎、川合常彰弁護士および金子の取引銀行員一名、豊和は代表取締役の辻半吾、文永哲側は文相守および弁護士訴外石黒竹男が東京法務局新宿出張所近くの司法書士事務所に集合し、同事務所において、本件売買の契約書の調印が行われ、次いで本件転売契約が締結されたのであるが、被告ら側は同事務所においてはじめて豊和が文永哲に本件土地を転売することを知り、中間省略登記により文永哲に直接所有権移転登記するよう求められたので、川合弁護士が、文永哲に所有権移転登記する義務はないと拒否し、話が違うからやめようといったが、石黒弁護士から登録税の問題があるから中間省略登記してほしいといわれ、これに応じ、その際豊和および文永哲側に本件売買が借地権付きの売買である旨を説明した事実が認められるが、この事実だけではいまだ豊和と文永哲間に賃貸人たる地位を譲渡する旨の合意がなかった旨の前認定を覆する足りない。
前掲乙第一号証(本件売買の契約書)の末尾に「本物件は第三者(文平陵哲)に売却するに付登記は中間省略致します」との記載があり、豊和の代表取締役の印が捺印されており、右記載について、証人川合常彰は文永哲が書いたものであると証言し、証人金子善次郎は川合弁護士が書いたものであると証言し、また証人文永哲は自分が書いたものではない旨証言しており、真実を定め難いが、そのいずれであるにせよ、該文言の表現を素直に読み、且つ該文言の下に豊和の代表取締役の印が押捺されているところからすれば、該文言によって表明された意思の主体は豊和であり、豊和が被告らから文永哲に対する直接の所有権持分全部移転登記手続をすることに対し、いわゆる中間者として同意した趣旨と解するのが相当である。該文言の趣旨は右以上には出るものでなく、右文言を根拠にして、豊和と文永哲側において本件土地の賃貸人としての地位を譲渡する旨の合意が成立したとみることの許されないことは多言を要しない。
五1 以上の認定事実に基づき被告らの責任の成否について検討する。
原告は本件従前土地上に建物を建築しておらず、本件売買当時も本件土地は更地のままであったことは前記二のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、本件土地賃借権の設定につき登記が経由されていなかったことが認められるから、原告の本件土地賃借権は、民法第六〇五条の規定によっても、建物保護ニ関スル法律第一条の規定によっても、第三者に対抗する効力を有しない権利であった。しかし、このように対抗力を有しない賃借権者であっても、賃貸人(甲)が賃貸借の目的たる土地所有権を第三者(乙)に譲渡した場合には、賃借人は甲に対し、賃借人に目的物を使用収益させる義務の履行不能を理由に損害賠償責任を追求することができる(ただ、甲から乙に対する所有権移転登記が経由されない間は、賃借人は、乙の所有権に基づく土地明渡請求に対し、登記の欠缺を主張して乙の所有者たる地位を争うことができるから、甲の使用収益をさせる義務の履行は不能に陥ったとはいえず、履行不能は右所有権移転登記の完了によって確定する。)。
これに対し、賃貸借の目的たる土地の所有者甲がその所有権とともに賃貸人たる地位をも第三者乙に譲渡した場合には、目的物の使用収益をさせる義務も該合意に基づき乙に承継させるから、賃借人から甲に対し履行不能による損害賠償を請求する余地は生じない。しかし、右甲乙間の譲渡に続いて乙が更に丙に対し土地所有権を譲渡する場合、乙が丙にも賃貸人たる地位を承継させなければ、賃借人は目的土地の使用収益ができない理であるから、すくなくとも、右甲から乙への所有権譲渡に引き続き、同一機会に乙から丙へ更に所有権が譲渡され、甲において乙丙間の譲渡契約の内容を知りうるような場合においては、甲は、土地所有権および賃貸人たる地位を乙に譲渡するに際し、乙丙間にも賃貸人たる地位を譲渡する旨の合意がなされることを確認した上で、乙との間に譲渡契約を締結すべきであり、これをなさずして、乙が丙に単純に土地所有権を譲渡するに委ねたときは、甲は賃借人に対し賃貸借契約上の債務不履行責任を免かれないというべきである。蓋し、対抗力を有しない賃借権者に対しても、目的土地の使用収益を確保すべきことは一旦賃貸借という契約の絆に結ばれた賃貸人甲の負担する基本的な義務であって、甲が前述のような措置をとることは、右義務の外延として信義則上期待されるところであり、それが契約者としての誠実な行動であるというべきであるから、甲が右措置をとらない場合には、あたかも甲が賃貸人たる地位を乙に承継させないで土地所有権を譲渡した場合と同視して、履行不能による損害賠償責任を負担すべきものと解するのを相当とするからである(この場合も、履行不能は、丙が土地所有権の取得につき登記を経由し、賃借人が丙の所有権に基づく明渡請求を拒みえない関係になったとき確定するとすべきである。)。
2 本件は、前認定のとおり、被告らにおいて昭和四四年五月一九日賃貸人たる地位とともに本件土地を豊和に売却したが、売買契約書を調印した司法書士事務所において引続いて豊和は文永哲に賃貸人たる地位を移転しないで本件土地を転売し、同日被告らから直接文永哲に、中間省略登記によって所有権移転登記がなされたものであるから、被告らは豊和と文永哲間の譲渡の内容を知りうる状況にあったことは否定できない。しかるに、被告ら側では文永哲側に対し、本件売買が借地権付きの売買である旨を説明したにとどまり、更に進んで本件転売が賃貸人たる地位の譲渡の合意を伴わないことを突きとめることなく、豊和との間で本件売買契約を締結したという経緯にあること明らかであるから、前説示のとおり、被告らは原告に対し、原告の本件土地の使用収益を不能ならしめたことによる損害賠償責任を負うべきものといわなければならない。
六 損害額について。
本件売買当時、本件土地の更地価格が六、〇〇〇万円はしていたこと前記のとおりであるところ、原告主張のとおり東京都内においては賃借権価格が更地価格の約七割であることは公知の事実であるから、本件賃借権価格は、一応四、二〇〇万円相当と認められる。
ところで、賃借人に土地を使用収益させる賃貸人の債務の履行不能による損害賠償額は、通常賃借人の有する賃借権そのものの価格であると解することができるが、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、本件土地は前記訴訟上の和解当時から防火地域の指定を受けていたことが認められ、防火地域内においては、延べ面積が百平方メートルをこえる建築物の主要構造部およびその他の建築物の外壁は耐火構造としなければならず(当時施行中の建築基準法第六一条)、右の耐火構造とは、鉄筋コンクリート造、れん瓦造等の構造で政令で定める耐火性能を有するものをいう(同法第二条第七号)とされていた。これがため、本件土地には、前記訴訟上の和解で原告が所有を予定された木造建物を建築することができず、このことは規制の態容に変化があるが現在に至るまで基本的には変りがないので(現行建築基準法六一条、第二条第七号、第九号の二・三等)、原告としては、借地条件の変更につき協議が整わない限り、本件土地に建物を建築することができなかったことが明らかである。したがって、原告の有していた本件土地賃借権は、非堅固建物所有を目的とする賃借権価格と堅固建物所有を目的とする賃借権価格との差額に相当する減額要因をその成立の当初から包蔵していたものというべく、該差額を更地価格の一割とみて、これを差引くと、本件土地の賃借権価格は三、六〇〇万円ということになる。
そして、≪証拠省略≫によれば、文永哲による前記仮処分執行後である昭和四四年六月、原告は文永哲との間で、和解契約をなし、本件土地を和解金三〇〇万円の支払いと引換えに明渡した事実が認められ、右認定に反する証拠はない。したがって、原告の受けた損害額は前記賃借権価格から該和解金額を差引いた三、三〇〇万円と認められる。
七 過失相殺について。
1 前記三の2の(一)で認定したとおり、原告は水越加津との間で昭和四二年暮頃から本件土地の売買交渉をなしたが容易に売買が成立せず、右加津の死亡後の昭和四四年三、四月頃には、被告らは原告の資金調達のため便宜上一、六〇〇万円で本件土地を売渡す旨の売渡承諾書まで交付したのであるが、≪証拠省略≫によれば、前記売渡承諾書の期限である昭和四四年四月三〇日までに原告が資金調達ができず売買が不成立となったので、被告らは同年五月九日原告に到達した内容証明郵便をもって、右売渡承諾が失効した旨を通知するとともに、その頃被告金子の夫訴外金子善次郎が原告方に赴いて、これからは本件土地を自由に処分する旨を伝えたところ、その後原告から何ら異議らしきものもなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。
しかし、右のように原告が被告らから売渡承諾書の交付まで受けながら、期限までに買取資金の調達をすることができず、売買不成立に帰したからといって、このことが被告らの前記債務不履行を惹起したとか、損害の発生の原因になったとかいう関係は肯認することができない。
2 また、被告らと原告との間に賃借権設定登記をなすべき特約がなく、被告らに該登記手続をなすべき義務がなかったことは当事者間に争いがないが、このことは原告の過失の有無となんらかかわりなく、この点に関する被告らの主張はそれ自体失当である。
3 前記昭和二九年の訴訟上の和解当時から建築基準法上右和解で定めた木造建物の建築ができなかったことは前示のとおりであり、原告としては、契約上は木造建物以外のものを建築することができず、また公法上は木造建物を建築することができないという進退両難に陥っていたのであるが、この局面を打開するためには、被告らから、建築基準法所定の防火地域における建築規制に適合する建物(以下「規制適合建物」という。)の所有を目的として借地条件の変更をする承諾を得る方法があったのであり、原告がこの方法をとる時間的余祐は充分にあったと認められる(本件のように木造建物所有を目的とする賃借権設定当時、既に当該土地が防火地域に指定された場合において、右借地条件の変更に関し当事者の協議が調わないとき、賃借人が裁判所に法的措置を求めることができるかという点については、防火地域の指定を賃借権設定後における事情の変更として把握する現行借地法第八条ノ二の規定のもとにおいては難点があるとしなければならない。旧防火地域内借地権処理法((昭和二年四月一日法律第四〇号。昭和四二年六月一日廃止))第二条の規定のもとでも同様に解すべきであろう。しかし、このような裁判所の法的措置を求めえないからといって、賃貸人の任意の承諾を得る努力をなおざりにしてよいとはいえない。)しかるに、証人金子善次郎の証言によると、原告が本件土地賃貸借権を規制適合建物の所有を目的とするよう借地条件の変更に関し申入れたのは、前記訴訟上の和解が成立してから実に一三年余の年月を閲した昭和四二年暮頃であり、この間、原告は本件土地を訴外角田某に材木置場として使用させたり、あるいは昭和四一、二年頃第三者に本件従前土地上に建物を建てさせ被告らから建物を撤去せねば契約を解除するといわれ右建物を撤去する等の経緯を辿ったにすぎないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、原告が、被告らの承諾を得て借地条件を変更し、規制適合建物を建築し、所有権保存登記を経由すれば、建物保護ニ関スル法律第一条の規定により本件土地の賃借権を第三者に対抗することができた筋合であるから、原告が長年月に亘り右のような方途に出なかったこともやむをえないとすべき特別の事情(原告が被告らの右承諾を得るにつきなにがしかの対価を出捐しなければならないということは、当然には該特別の事情にはならない。)が認められない限り、原告の過失とすべきであり、右過失が被告らの前記債務不履行および原告の損害の発生の原因の一端を成したことを否定することはできない。
4 被告らは、原告が文永哲から仮処分を申請された際、被告ら又は被告ら訴訟代理人事務所に本件土地売買の事情を尋ねていたならば、被告らは本件売買および本件転売が借地権付き売買であると説明することができた旨主張するが、本件転売は借地権付き売買でなかったのであるから、たとえ被告らが本件転売が借地権付き売買であると信じていたとしても、被告らの主張は前提を欠くものといわなければならない。なるほど、≪証拠省略≫によれば、原告は、文永哲から仮処分の執行を受けた後、訴外水越せい一(水越加津の弟で、水越加津時氏以来原告と本件土地の売買交渉に当っていた者)に面会したところ、同人から、「期間もあるから心配するな。」といわれたことはあるが、それ以外に原告が被告ら自身に面会し本件売買および本件転売の事情を積極的に聴き出す努力をしなかったことが認められる。そして、前記仮処分事件の疎明資料として提出された文平陵哲名義の報告書(甲第一二号証)には、被告の金子が本件土地を誰にも貸してない旨虚偽の事実が記載されており、前掲甲第一五号証によれば、同じく疎明資料として提出された辻半吾名義の報告書(甲第一五証)にも同旨の記載があることが認められるのに、この点について原告は被告金子に問いただす努力さえしていないことも弁論の全趣旨により認められる。しかし、原告が叙上のような努力をして被告らから本件売買および本件転売の事情を聴き出したとしても、はたして、本件において当裁判所が認定したような事実関係の全体を適確に把握しえたかどうか保し難い。したがって、現在の時点で、前記仮処分申請手続あるいは仮処分決定に対する異議手続(実際には異議の申立はなされなかった。)の展開を事後的に想定し、原告が仮処分の被保全権利の不存在を当該裁判所に肯認させる事実関係およびこれに基づく法律構成を有効に提示することができる蓋然性が強かったと断定することは躊躇される。そうとすれば、被告らが、前記仮処分の執行後原告が文永哲となした和解を捉えて、かかる和解をなすべきでなかったとし、これを原告の過失であるとする主張は失当である。
5 以上の次第で、被告らの過失相殺の抗弁は、前記3で肯認した原告の過失を主張する限度において理由があるところ、当裁判所は前記3の原告の過失は決して軽微とはいえず、原告の請求しうる賠償額は前記損害額のうちその二分の一に当る一、六五〇万円と認めるのが相当である。
八 原告は履行不能となった日の翌日である昭和四四年五月二〇日から支払ずみまでの遅延損害金の支払を求めているのであるが、本件債務不履行による損害賠償請求であるから損害賠償請求日の翌日から遅延損害金を生ずると解すべきであり、本件訴訟以前に損害賠償請求をした旨の主張がないので、本訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和四四年七月一八日の翌日から遅延損害金は発生するものと認める。
九 以上によれば、原告の被告らに対する本訴請求は、損害賠償金一、六五〇万円とこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年七月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言については、同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 中田昭孝 中村謙二郎)