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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)1668号・昭44年(刑わ)1667号・昭44年(刑わ)2437号・昭44年(刑わ)1669号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔主文〕一、被告人A、同Bを各懲役六月に、被告人Cを懲役七月に、被告人Dを懲役五月にそれぞれ処する。

二、未決勾留日数中、被告人A、同C、同Dに対しては各六〇日、被告人Bに対しては一五日を、それぞれその刑に算入する。

三、被告人らに対し、この裁判確定の日から各二年間それぞれその刑の執行を猶予する。

四、訴訟費用は被告人らの連帯負担とする。

〔判決理由〕(事実)

一、本件犯行に至る経緯

被告人Aは、昭和四〇年四月東京大学教養学部に入学し、同四三年四月同大学法学部へ進学した者、被告人C、同Dは、いずれも同四二年四月同大学教養学部に入学した者、被告人Bは、同三七年四月同大学教養学部に入学し、同四三年四月同大学大学院社会学研究科博士課程に進学した者である。

東京大学医学部学生の登録医制度反対運動などに端を発したいわゆる東大紛争は、昭和四三年六月一七日の安田講堂への機動隊導入を契機として全学的に拡大し、まもなく全学的組織である東大闘争全学生共闘会議(以下全共闘という。)が結成されて、大学に対する基本的要求事項として、いわゆる七項目要求を掲げるようになり、被告人らもその一員として参加した。被告人Cは、同年六月教養学部学生自治会委員長(任期六か月)に当選し、以来同自治会の運営を通じて、同学部における全共闘運動を強力に推進することになつた。

同自治会は、同年七月、前記機動隊導入などに抗議して無期限ストライキに入り、さらに、同年一一月五日の代議員大会において、無期限ストライキ貫徹、駒場共闘会議(教養学部における全共闘の下部組織―以下駒場共闘という。)を同学部の学生の唯一の正式代表とすることなどを決議した。駒場共闘は、同月八日右決議に基づき、野上学部長といわゆる団交を行ない、駒場共闘を正式な交渉主体として認めさせたが、同学部長は、なるべく多くの学生との話合いを希望していたので、他の学生団体とは交渉しない旨の要求に対しては承諾を与えなかつた。しかし、駒場共闘は、その後も東大闘争の闘争主体はあくまで全共闘だけであると主張し、学部当局が民主化行動委員会(日共系)その他の学生団体と交渉することに極力反対するとともに、右委員会の学生らとの間に、互いに暴力を行使しての激しい対立をつづけていた。

同年一一月総長代行に就任した法学部長加藤一郎は、紛争解決のための全学集会を開催しようとして、全共闘ならびに民主化行動委員会およびこれに同調する組織の学生らと各別に交渉を行なつて来たが、前者は、前記七項目要求の貫徹を唱えて一歩も退かなかつたので、これとの交渉はほとんど進展しなかつたのに対し、後者は柔軟な態度をとつて交渉を進め、その結果、同大学一〇学部中七学部において、全学集会のための代表団が選出されるに至つた。すなわち、教養学部においては、自治会委員長である被告人Cが、相当数の学生から再三にわたつてなされた代議員大会招集の要求を拒絶していたので民主化行動委員会系の代議員が中心となり、同年一二月一三日、自治会規約には違反するが、委員長の招集手続を経ずに代議員大会を開き、全学集会のための代表を選出した。大学当局は、右代議員大会は委員長の招集行為を欠いてはいるが、その他の要件を充足しているので、その結果選出された代表を、正規の選出がなされるまでの暫定的な代表とみなすことにした。こうして、昭和四四年一月一〇日、秩父宮ラグビー場において大学当局と教養学部を含む七学部の代表団との間にいわゆる七学部集会が開かれ、全共闘の要求する七項目を含む一〇項目に関して双方が合意した確認書が作成された。この結果、右代表団系の学生らは、学生の要求が基本的に充されたとしてストライキ解除の方向に転じ、教養学部においても、同月一一日右学生らによつて代議員大会が開かれ、ストライキ解除決議がなされるに至つた。教養学部当局においても、右事情を考慮し、そのころからなるべく早く授業を再開する方針をとつていた。

このような動きに対し、駒場共闘は、右一連の代議員大会は無効であり、東大闘争は内容的にもまだ全く解決されていないと主張し、授業再開は全共闘によるそれまでの東大闘争の成果を無に帰させるものであるとして、断固これに反対する立場をとり、同年二月一〇日、被告人Cの招集により全共闘系の代議員を中心とした代議員大会を開き、無期限ストライキ続行を決議し、学部当局に対してますます対決姿勢を強めていたので、両者間に正常な折衝、話合いは全く行なわれなくなつた。すなわち、駒場共闘は、昭和四三年一一月に学部長に就任した田村二郎が、どのような形式による交渉にも応ずるという積極的な態度を表明していたにもかかわらず、同学部長との正常な話合いによる交渉の機会をもたないまま、同四四年二月六日、同学部長が代表団系の学生らと交渉していた第七本館を包囲し、同館から出てきた同学部長と同日から翌七日にかけていわゆる追及集会を開き、また、同学部長のあとをうけて同月一八日高橋詢が学部長になつたのちも学部当局に正式に右学部長との正常な話合いによる交渉の申入れをすることなく教官らといわゆる大衆団交をするため、教授会開催などの機会をうかがつていたが、当時教授会は学生の妨害を防ぐため学外で秘密裡に開かれていたので、その機会を捉えることはできなかつた。

被告人らを含む駒場共闘の学生らは、同年三月三日、同大学法学部研究室封鎖闘争に参加した際、たまたま教養学部教授会が同学部教官会議室(通称教職員会館、東京都目黒区駒場三丁目八番一号所在)で開かれていることを知ると、授業再開を阻止し、学部当局が従来駒場共闘および民主化行動委員会に対してとつてきた態度などについて、その責任を追及するため、右教授会に出席している全教官と集団的に交渉する絶好の機会であると意見が一致した。そこで、右学生らのうち、一部ヘルメットをかぶつた数十名が、急拠本郷から駒場に赴き、被告人Cを先頭にして同日午後六時ごろ、約一八〇名の教官が出席して授業再開問題などを協議中、学生らが入つて来るとの報に接して会議を中止した直後の右教官会議室の三階会議室に乱入し、同被告人らが、同学部長高橋詢および評議員衛藤瀋吉らを取り囲み、教授会の協議内容を詰問したうえ、教授会において授業を再開しないことを議決するよう要求した。

二、罪となるべき事実

その後右三階会議室の学生数は次第に増加し、同日午後七時ごろには被告人らを含めて百数十名となり授業を再開しないことを議決せよとの要求を学部長高橋詢が拒否したので、右学生らは、被告人Cほか三名の議長団を選び、同被告人が右学生らに対し、「この集会を追及集会にきりかえる。机を片ずけてバリケードを築こう」と指示し、右学生らもこれに応じ、ここに被告人四名を含む百数十名の右学生らは意思を相通じたうえ、同室にあつた机を運び出し、これらを積み重ねて、右建物内部東側に設置された階段の一階から二階への部分および玄関には人一人がようやく通れる程度の、右建物西側の外部に設置された非常階段には一階から三階まで通行がほとんど不能の、それぞれバリケードを築き、教官らを同室の西側寄り(非常階段に近い部分)に移動させ、学生らは東側寄り(内部の階段に近い部分)に坐りこむなどしたうえ、前記議長団が中心となつて、前記高橋詢、衛藤瀋吉らに対し、東大紛争が未解決のままで授業を再開することは不当であること、学部当局は被告人Cが依然として自治会の正式な委員長であると認めること、学部当局が代表的および民主化行動委員会を支援し、全共闘を弾圧しているのは不当であることなどを主張して、その責任を激しく追及したのち、同日午後一一時三〇分ごろ、被告人Cが右教官および学生らに対し、「本日の追及集会はこれで終り、あす九〇〇番教室で集会を続行する。教官はここに泊つてもらう。病気と認められる者以外はここから帰さない。学生もなるべくここに泊つてほしい」旨通告し、これに応じて右学生らのうち、十数名が同室に残り、その入口付近などにいて右教官らの動きを監視し、二、三名が同建物玄関まえで見張りをし、被告人A、同Cら約二〇名が同建物二階の部屋に泊りこんで待機し、更に翌四日午前八時ごろ、右教官らのうち、村上泰亮、玉木英彦、浜井修らが三階会議室から脱出しようとすると、被告人Bら十数名がかけつけ、右村上の外套の襟、右玉木の腕をそれぞれ捉えて引き戻し、右浜井の頭部を手挙で殴打するなどして、その脱出を阻止し、もつて、前記高橋詢および衛藤瀋吉ら別紙記載の一二一名の教官をして、同月三日午後七時ごろから、別紙記載のとおり翌四日午前二時ないし一〇時四五分ころまでの間、前記三階会議室、同建物の二階応接室およびその付近の右建物内から脱出することをいちじるしく困難にさせ、共謀して同人らを不法に監禁したものである。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人は、

(一) 監禁罪の構成要件はいわゆる開かれた構成要件であり、構成要件該当性を判断するまえに実質的違法性の存否を検討すべきであるが、本件については、法益の侵害があつても極めて軽微であること、被告人らは、大学の自治に参加する権利を有する学生として、その権利行使のために教官にいわゆる団交を求めたものであつて、正当な目的を有していたこと、本件行為には暴行、脅迫が伴わず、教官の寝具、食事、病気などについて適当な配慮をしているので、手段も相当であることなどを考慮すれば、本件行為は、右の意味の違法性がなく、罪とならない。

(二) また、本件は、学園において教官と学生との間に起つた特殊な事件であること、被告人らは、大学当局が被告人ら全共闘の学生との会見を拒否していたので、やむをえず本件行為に及んだこと、前記のとおりとつた手段が相当であり、被害が非常に軽微であることなどからして、本件行為は、実質的違法性または可罰的違法性を欠き、違法性または構成要件該当性を阻却する場合であつて、犯罪を構成しない。

と主張するので判断する。

前記認定のとおり、田村二郎が学部長に就任した昭和四三年一一月から本件発生の日まで、学部当局は被告人らの属する駒場共闘と話合いをすることを希望していたのであるから、被告人らの側としても、学部当局との正常な話合いを実現するため、折衝を重ねるべきであつたのに、その努力を十分につくさずに本件のような実力行使に走つたこと、前記認定の本件犯行の手段、態様、本件犯行により、教授会は中止をよぎなくされ、多数の教官が約七時間ないし一五時間余行動の自由を拘束されたこと、前記証拠の標目一、(二)の各証拠によつて認められるとおり、その間多数の教官が椅子に腰かけたまま十分な食事もとれずに一夜を過さざるを得なかつたことなどを総合考察すると、前記認定の本件犯行の動機、目的、本件が学園において学生と教官との間に発生した事件であること、病気の教官については医師の診療を受けさせあるいは帰宅させていることなどの諸事情を考慮に入れても、本件行為は、弁護人の主張するようにその被害の程度が著しく軽微であつたとは認められず、またその手段も相当であつたとはいい難く、結局違法性を具備するものと認めざるを得ないので、右各違法性がないことを前提とする弁護人の各主張はいずれも採用しない。

二、なお、弁護人は本件行為は社会的相当行為であつて法的正当性を有するから無罪である旨主張するが、本件行為が刑法三五条にいう正当行為であつたとは認め難いから右主張も採用しない。

(海老原震一 田中清 肥留間健一)

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