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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)7537号 判決 1971年11月30日

被告人 西墻英夫

昭二二・八・八生 会社員

主文

被告人を懲役八月に処する。

未決勾留日数中九〇日を右の刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、もと東京電機大学学生で、いわゆる全学連ML派に同調していたものであるが、昭和四四年一二月一四日東京都千代田区日比谷公園内野外音楽堂前付近において同派、中核派、社学同などで構成された全国全共闘連合派学生らが開催した「糟谷孝幸君虐殺抗議人民葬」に参加した際、右集会からしめ出されたためこれを粉砕しようとして角材などを携行して同集会を襲わんとしたいわゆる全学連革マル派学生多数に対し、右集会を成功させるべく右全共闘に属するML派などの学生ら多数とともに共同してその身体に対し危害を加える目的で、同日午後三時すぎころから同日午後三時四三分ころまでの間、同公園内において、ML派などの学生とともに兇器である竹竿、丸太、コーラ、牛乳の空びん、石塊など多数を携え、(被告人においても竹竿一本を携行した)準備して集合したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

刑法二〇八条の二の一項前段、罰金等臨時措置法三条(懲役刑選択)、刑法二一条、刑事訴訟法一八一条一項本文。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人の主張の要旨は、

一  刑法二〇八条の二の兇器準備集合罪の規定は、処罰の実質的合理的根拠に乏しく、その規制が広きに過ぎるのみならず、その構成要件たる「兇器」、「準備」の意義概念が極めてあいまい不明確である。よって右の規定は憲法三一条に違反し無効である。

二  被告人には共同加害の目的は存在しない。

すなわち本罪にいう共同加害の目的とは、共同実行の形で加害行為を実行する目的をいうところ、該目的は集合した二人以上の者がこれを有し、かつ犯人自らもこれを有することが必要であるばかりでなく、互いに右の共通の目的を積極的に実行しようとの意欲を有することの認識を要する。ところが本件においては被告人がこの目的を有するに至ったと認むるにたる客観的な行為は何もない。

三  本件における竹竿、石塊、空びんは、本罪にいう「兇器」にはあたらない。とくに竹竿は長さ二米位のもので、その先端には追悼の意を表する赤旗が付いており、とうてい「兇器」とはいえない。

というにある。

よって判断する。

第一点 まず刑法二〇八条の二の兇器準備集合罪はこれを要するところその立法目的、保護法益、処罰の対象、規定の文言、客観的、主観的要件のしぼり具合からみて、処罰の実質的相当性、合理性をもつものであり、かつその規制の範囲程度は立法目的にてらし必要な限度を超えて広きに過ぎるものとは解されない。また本罪にいう兇器には、用法上の兇器をも含むと解すべきであってここにいう用法上の兇器とは人に危害を及ぼすに足る器具であるがその構造または性質からみて人の身体に危険を感ぜしめるにたるものと限定されるもので、その兇器性の認定は社会通念にてらし客観的になしうるものであり、また本罪にいう「準備」とは必要に応じていつでも加害行為に使用しうる状態におくことをいいこれを定型的に把握することはなんら支障はなく、その成立時期に明確を欠くものとはいえないのであって、「兇器」、「準備」の概念があいまいかつ広範囲にすぎるということはできない。してみると、本条の解釈運用にあたってはその立法経過、人権を保障する憲法の精神などにてらし、厳格になされねばならぬことはいうまでもないところではあるが、本条の規定は罪刑法定主義を定めた憲法三一条の実質を貫いているもので、同条項には違背しないものである。刑法二〇八条の二の規定が違憲であるとする弁護人の主張は失当というべきである。

第二点 証拠の標目掲記の各証拠によって認められる判示認定の場所における被告人らの集合体の態勢およびその客観的状況、兇器の種類、数量、被告人ら軍団員のいわゆる武闘(ゲバ)スタイル等を総合すれば、被告人を含むML派の軍団には共同実行の形で、対峠した革マル派所属の学生集団に対し反撃または攻撃をしかけるとの共通の目的およびその認識が、存在したことは、優に窺い知れる。

第三点 本罪にいう兇器の意義についてはすでに判示した如くであって、本件における竹竿、空ビン、石塊はいずれもその性質、形状にてらし兇器というべきものである。本件竹竿は被告人らの二つの軍団員一五〇名位少くとも約五〇本位保有されていたものであるが、これは二米から二米半位の長さ(太さは普通程度のものの如くである)のもので、そのうち旗の付いていないものが若干あるほかは竿の先端にたてよこ概ね三〇センチ位の小さい赤旗が付置されているものである。被告人らは竹竿及びその旗は糟谷某に対する弔慰の表明である旨陳弁するがこれはいずれもその性能形態からみて、兇器であることの明白な角材(いわゆるゲバ棒)とその危険性および危険感において差異があるものとは認められない。兇器性は十分というべきである。

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