東京地方裁判所 昭和44年(特わ)116号 判決 1973年12月01日
被告人
本籍
東京都保谷市中町六丁目一八九四番地
住居
東京都保谷市中町六丁目五番一三号
職業
金融業
貫井一雄
大正一五年三月一日生
被告事件
所得税法違反
出席検察官
河野博
主文
1. 被告人を懲役四月および罰金二五〇万円に処する。
2. 右罰金を完納することができないときは、二万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
3. この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
4. 訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、東京都保谷市中町六丁目五番一三号において金融業を営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようとくわだて、昭和四一年分の実際課税所得金額が一五、八九四、五〇〇円あつたのにかかわらず、昭和四二年二月二八日東京都武蔵野市吉祥寺本町三丁目二七番一号所在の所轄武蔵野税務署において、同税務署長に対し、利息収入の一部を除外したうえ、課税総所得金額が六〇三、七〇〇円で、これに対する所得税額は七六、一七〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により同年分の正規の所得税額七、三二九、五四〇円と右申告税額との差額七、二五三、三七〇円を免れたものである。(所得および税額の計算は、別紙一ないし三のとおりである。)
(証拠の標目)(甲、乙は検察官の証拠請求の符号、押は当庁昭和四四年押一、〇五四号のうちの符号を示す。)
判示事実全般につき
一 被告人の当公判廷における供述および検察官に対する各供述調書(乙1ないし3)
一 本間静夫(甲一4ないし7)、土屋郁夫(甲一11)、野村純章(甲一12)、岡本善造(甲一55)の検察官に対する各供述調書(主として犯意関係)
一 生沼勲(甲一58)、黒沼利一(甲甲一77)、草野耕三(甲一76)、山口伸一(甲一163)、吉田忠三(甲一170)、渡部猛(甲一177)に対する大蔵事務官の各質問てん末書(犯意関係)
一 昭和四一年度分の所得税の確定申告書一通(押12)
一 所得調査書綴二綴(押13の1、13の2)
収入利息につき
(収入利息全般につき)
一 本間静夫の検察官に対する各供述調書(甲一4ないし7)
一 大蔵事務官作成の貸付金等整理表(以下、単に「貸付金等整理表」という。)(甲一8)
一 埼玉銀行田無支店長比留間敏夫作成の「取引内容について」と題する書面(以下、単に「取引内容回答書」という。)(甲一14)
一 個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)
一 金銭出納帳一冊(押4)
(青崎省三関係)
一 証人青崎省三の当公判廷における供述
一 貸付金関係書類一綴(甲1の208)
(五十嵐正関係)
一 被告人作成の「差押物件の写の提出について」と題する書面(以下、単に「差押物件の写」という。)(甲一217)
一 貸付金関係書類一綴(押1の63)
(池田沙雉子関係)
一 貸付金関係書類一綴(押1の149)
(石川ヨ子関係)
一 木村マサに対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一72)
一 坂野晴次の検察官に対する供述調書(甲一の三の1)
一 貸付金関係書類一綴(押1の132)
(遠藤寅次郎関係)
一 手紙(甲一の三の2)
一 貸付金関係書類一綴(押1の91)
(大島和重関係)
一 貸付金関係書類一綴(押2の309)
(片山喜三関係)
一 証人片山喜三の当公判廷における供述
一 貸付金関係書類一綴(押2の301)
一 入金伝票一〇枚一綴(押61)
(杉本ヤスエ、同広義関係)
一 証人杉本カズ子の当公判廷における供述
(塚田申二郎関係)
一 証人鈴木藤三郎の当公判廷における供述
一 貸付金関係書類一綴(押2の232)
一 収入帳一冊(押5の1)
(高橋真一郎関係)
一 高橋真一郎に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一103)
一 貸付金関係書類一綴(押1の2)
(土井真二関係)
一 渡辺政吉に対する大蔵事務官の質問てん末書および同人の検察官に対する供述調書(甲一の二の34)
一 貸付金関係書類二綴(押1の1626)
(沼田良司関係)
一 沼田良司に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一の二の5)
一 貸付金関係書類三綴(押2の156299300)
一 日記帳(収支メモ)一枚(押95の2)
(別府久守関係)
一 貸付金関係書類一綴(押1の197)
(森田広吉関係)
一 証人森田広吉の当公判廷における供述
一 森田広吉の検察官に対する供述調書(甲一190)
一 登記簿謄本(甲一189)
一 差押物件の写(甲一216)
一 貸付金関係書類一綴(押1の94)
(吉沢末男関係)
一 差押物件の写(甲一215)
(上田孝太郎関係)
一 被告人の当公判廷における供述
一 貸付金関係書類一綴(押1の67)
(森谷政雄関係)
一 証人森谷政雄、同小林義雄の当公判廷における各供述
一 登記簿謄本二通(甲一8283)
一 貸付金関係書類二綴(押1の114144)
(小林義雄関係)
一 証人小林義雄の当公判廷における供述
一 小林義雄に対する大蔵事務官の質問てん末書および同人の検察官に対する供述調書(甲一7981)
一 登記簿謄本二通(甲一8283)
一 差押物件の写(甲一215)
(竹中国義関係)
一 証人竹中国義の当公判廷における供述
一 貸付金関係書類一綴(押1の84)
(松井大八郎関係)
一 証人松井大八郎の当公判廷における供述
一 差押物件の写(甲一218)
受取手数料、物件処分収入、物件処分原価、値引、貸倒損失、収入家賃につき
一 貸付金等整理表(甲一8)
給料につき
一 奥川美奈子の検察官に対する供述調書(甲一192)
法務費、租税公課、消耗品費、光熱費、通信費、交通費、雑費につき
一 柴一成の検察官に対する供述調書(甲一10)
減価償却費につき
一 大蔵事務官作成の固定資産明細表(甲一9)
申告事業所得につき
一 昭和四一年度分の所得税の確定申告書一通(押12)
(弁護人の主張に対する判断)
第一弁護人の主張
一 貸倒損失について
被告人には、昭和四一年中に、検察官が認容している以外に さらに次のとおり、合計六、七〇六、二五五円(または五、八五〇、〇一八円)の貸倒損失があつた。
(一) 青崎省三関係 二五〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は、昭和四〇年七月一五日貸付の一五〇、〇〇〇円および昭和四一年四月二五日貸付の一〇〇、〇〇〇円合計二五〇、〇〇〇円であるが、同人は、同年一〇月以降利息の支払をせず、しかも昭和四一年中に他の保証人として有体動産の差押、競売を受けるなど財産はなく、かつそのころから収入もなかつたので、被告人の同人に対する右二五〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(二) 五十嵐正関係 三二〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は、昭和四一年五月一四日貸付の一〇〇、〇〇〇円の残金二〇、〇〇〇円および同年九月三〇日貸付の三〇〇、〇〇〇円合計三二〇、〇〇〇円であるが、同人は無資力で同日以降全く入金せず、しかも行方不明となつているので、被告人の同人に対する右三二〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(三) 池田沙雉子関係 四八、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は四八、〇〇〇円であるが、同人は昭和四一年一〇月一二日以降全く入金せず、しかも無資力であるので、被告人の同人に対する右四八、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(四) 石川ヨ子関係 一四、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は一四、〇〇〇円であるが、同人は昭和四一年七月一二日以降全く入金せず、しかも死亡しているので、被告人の同人に対する右一四、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(五) 遠藤寅次郎関係 九、九六三円
同人に対する貸付残元金は九、九六三円であるが、同人は昭和四一年一一月五日以降全く入金せず、しかも無資力であるので、被告人の同人に対する右九、九六三円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(六) 大島和重関係 一五〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は一五〇、〇〇〇円であるが、同人は貸付以来全く入金せず、しかも昭和四一、二年は行方不明となつていたので、被告人の同人に対する右一五〇、〇〇〇円の貸付金は昭和四一年中に貸倒となつた。
(七) 片山喜蔵関係 一二〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は一二〇、〇〇〇円であるが、同人は昭和四一年一〇月二六日以降利息の入金をせず、しかも同年秋には病気で倒れ、老令で収入もなく無資力の状態にあつたので、同人に対する右一二〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(八) 杉本ヤスエ、同広義関係 二一二、三七五円
同人らに対する貸付金は実質的には杉本ヤスエに対する貸付金でその残元本は二一二、三七五円であるが、同人は昭和四一年八月二五日以降全く入金せず、しかも同年に病気となり収入もなく無資力であつたので、同人らに対する右二一二、三七五円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(九) 塚田申二郎(塚田金幸)関係 三〇〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は、昭和四一年七月二日貸付の三〇〇、〇〇〇円および同年九月九日貸付の四、〇〇〇、〇〇〇円合計四、三〇〇、〇〇〇円で、うち四、〇〇〇、〇〇〇円の分については不動産を担保に徴してあつたが、三〇〇、〇〇〇円の分については無担保である。同人は同年一〇月二九日以降利息の支払をせず、しかも無資力で他に負債もあり昭和四二年ころから行方不明となつているので、被告人の同人に対する右無担保の三〇〇、〇〇〇円の貸付金は昭和四一年中に貸倒となつた。
(一〇) 高橋真一郎関係 三〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は三〇、〇〇〇であるが、同人は昭和四一年七月一五日以降全く入金せず、しかも無資力であるので、被告人の同人に対する右三〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(一一) 土井真二関係 四二九、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は、(イ)二〇三、六四〇円、(ロ)四二九、〇〇〇円、(ハ)二四〇、〇〇〇円であるが、うち(イ)の二〇三、六四〇円については検察官も貸倒を認め、(ハ)の二四〇、〇〇〇円については渡辺政吉の保証がある。しかし(ロ)の四二九、〇〇〇円については何らの保証もないのであるから(イ)と同様貸倒として処理すべきである。
(一二) 沼田良司関係 五〇〇、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は五〇〇、〇〇〇円であるが、同人は昭和四一年中に右貸付金の支払が不能となつたので、右五〇〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(一三) 別府久守関係 三〇〇、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は三〇〇、〇〇〇円であるが、同人は昭和四〇年一〇月二九日以降全く入金せず、昭和四一年中に支払不能の状態となつたので、被告人の同人に対する右三〇〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(一四) 森田広吉関係 九〇〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は、(イ)昭和四〇年三月二四、二五日貸付の三、〇〇〇、〇〇〇円、(ロ)同年四月五日貸付の三〇〇、〇〇〇円、(ハ)同月一三日貸付の六〇〇、〇〇〇円合計三、九〇〇、〇〇〇円であつて、うち三、〇〇〇、〇〇〇円の分については不動産担保が設定されているが、九〇〇、〇〇〇円については無担保である。しかるに同人は昭和四一年中に事業に失敗し無資力となつたので、被告人の同人に対する右無担保の九〇〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(一五) 吉沢末男関係 二、七七九、九〇〇円(または一、九二三、六六三円)
同人に対する貸付残金は二、七七九、九〇〇円である。これについては東京都田無市所在の家屋に抵当権が設定されていたが、右家屋は当時都市計画区域内にあつて早晩取りこわさなければならない状況にあつたもので、抵当権の実行は困難であつた。そのうえ先順位抵当権者が多額の抵当権を設定しており、被告人の債権全額の回収の見込は当初よりなかつた。同人には他に資産はなく支払能力もなかつたので、被告人の同人に対する右二、七七九、九〇〇円の貸付金は昭和四一年中に貸倒となつた。しかし、昭和四三年一一月に右家屋の移転補償として東京都から被告人に八五六、二三七円が支払われたので、貸倒金額は右八五六、二三七円を控除した一、九二三、六六三円であるかも知れない。
(一六) 上田孝太郎関係 七〇、〇〇〇円
同人に対する貸付残元金は七〇、〇〇〇円であるが、同人は昭和四一年に入つてから全く支払をせず、しかも老令、無資力で収入もなかつたので、被告人の同人に対する右七〇、〇〇〇円の貸付金は同年中に貸倒となつた。
(一七) 森谷政雄関係 二七三、〇一七円
同人に対する貸付残元金は二七三、〇一七円であるが、同人は昭和四一年五月以降全く入金せず、しかも営んでいた酒類小売業が同年三月事実上倒産し、同年五月には有体動産の競売を受けたりなどしているので、被告人の同人に対する右二七三、〇一七円の貸付金は同年中に貸倒となつた。もつとも右貸付については小林義雄、竹内秀雄の両名が保証人となつていたが、両名とも無資力で返済能力はなかつた。
二 利息収入金額について
検察官は、被告人が現に収受した利息(既収利息)について、次のとおり合計三、七二八、七五六円を過大に計上している。
(一) 小林義雄関係 二、〇〇〇、〇〇〇円
同人に対する貸付金は昭和四一年九月一六日貸付の一三、二五〇、〇〇〇円であるが、抵当権設定については便宜債権額を一五、二五〇、〇〇〇円とした。検察官は右差額の二、〇〇〇、〇〇〇円を被告人の利息収入であると主張するが、右二、〇〇〇、〇〇〇円は現実に被告人に支払われたものではなく、将来利息として支払われるであろう金額を抵当債権として加えたものにすぎない。よつてこれを利息収入として昭和四一年度の収入にするのは誤りである。
(二) 竹中国義関係 二三四、〇〇〇円
検察官は、被告人が同人から、元金六〇〇、〇〇〇円について、昭和四一年九月六日六二、〇〇〇円、同月一〇日一〇、〇〇〇円、同年一二月一二日五四、〇〇〇円、元金三、〇〇〇、〇〇〇円について、同年九月一三日一八〇、〇〇〇円、同年一一月一四日一八〇、〇〇〇円、同年一二月一二日一八〇、〇〇〇円合計六六六、〇〇〇円を利息として受領したと主張するが、右金額のうち同年一二月一二日に受領したとされている五四、〇〇〇円および一八〇、〇〇〇円合計二三四、〇〇〇円は同日同人振出の約束手形を受取つたにすぎず、現実の支払を受けたわけではないから、右金額は同年中に既収利息とはならない。
(三) 塚田申二郎(塚田金幸)関係 七四六、五五〇円
同人からの利息収入は、昭和四一年七月二日の三、九〇〇円、同年八月二日の二六、五五〇円、同年九月二日の二六、五五〇円、同年一〇月一日の二六、五五〇円、同月八日の三、二〇六円、同日の一〇〇、〇〇〇円、同月一五日の一四〇、〇〇〇円、同月二九日の二六、五五〇円合計三五三、三〇六円のみである。しかるに検察官は、右利息収入のほかに、同年九月一三日二四〇、〇〇〇円、同年一二月一日二六、五五〇円、同日二四〇、〇〇〇円、同月一八日二四〇、〇〇〇円合計七四六、五五〇円の利息収入があつたと主張する。しかし右金額については、いずれも小切手ないし約束手形の振出を受けたにすぎず、しかも右小切手、約束手形はいずれも不渡りとなつているので、右金額は同年中の既収利息とはならない。
(四) 松井大八郎関係 七四八、二〇六円
同人からの利息収入は九二、二四四円のみであつて、検察官の主張する八四〇、四五〇円は誤りである。
三 犯意について
被告人の貸出については、昭和四〇年ころから恩田俊雄に対する七、八千万円にのぼる貸付金をはじめとする莫大な金額の貸倒が生じた。右損失は、被告人の数年分の収入に匹敵するものであつたので、税務知識に乏しい被告人は右貸倒金額を数年にわたつて損失に計上してもよいものと考え、そのため昭和四〇年、同四一年には実質的な利益がなかつたものとして税務申告を行つたものである。したがつて、被告人には昭和四一年度の所得税の確定申告にあたり、所得税をほ脱しようとする意思はなかつたものである。
第二当裁判所の判断
一 貸倒損失について
貸金等の債権は、それが回収不能となつた場合に貸倒となるが、債権が回収不能となつたかどうかは、債権者の主観のみによつて決定すべきではなく、債務の弁済状況、債務者の現在および将来の財政状態、経済的信用、担保の有無・その内容、保証人の有無・その支払能力、さらにこれに対応して債権者の採用した取立の手段・方法等を総合して客観的に判断すべきである。したがつて、一時的に支払が遅延ないし停止し、あるいは債務者に対する強制執行が効を奏さなかつた場合でも、将来債務者の経済的回復が見込まれる場合には回収不能とはいえず、また債務者が死亡あるいは行方不明となつた場合でもそれのみで直ちに回収不能とはいえず、前記諸事情を総合勘案して貸倒の成否を決定すべきである。
そこで、弁護人主張の各貸付金について貸倒の成否を検討する。
(一) 青崎省三関係
証人青崎省三の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類一綴(押1の208)、個人別貸付元帳二綴(押3の2、3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は昭和四〇年七月八日青崎省三に対し、一五〇、〇〇〇円を貸付けたこと、青崎は同年一二月から昭和四一年一〇月一一日までほぼ毎月利息の支払をしてきたが同日以降利息の支払をしなかつたこと、そこで被告人は、昭和四二年一月二三日、青崎およびその保証人であつた西谷啓四郎との間において、右一五〇、〇〇〇円に昭和四一年一〇月分以降の未払利息等七〇、〇〇〇円を加算して元本を二二〇、〇〇〇円とし、青崎がこれを昭和四二年一月から各月二〇、〇〇〇円ずつ支払う旨の契約をしたこと、青崎は右契約に基いて同年一月二六日から同年一二月二二日までの間に少くとも合計一〇万円の支払をしたことが認められる。右事実によると、青崎は昭和四二年中も被告人に対し元利金の弁済をしていたのであるから、被告人の青崎に対する前記貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(二) 五十嵐正関係
貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、差押物件の写(甲一217)、貸付金関係書類一綴(押1の74)、個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は五十嵐正に対し、昭和四一年五月一四日一〇〇、〇〇〇円、同年九月三〇日三〇〇、〇〇〇円を貸付けたが、右一〇〇、〇〇〇円については遅くとも昭和四二年一月までに元利金全額の弁済を受けていること、右三〇〇、〇〇〇円は、昭和四一年一〇月から昭和四二年二月まで各月二九日に元本六〇、〇〇〇円とその月分の利息を支払う約束で貸付けられたものであるが、被告人は昭和四二年一月一六日に昭和四一年一〇月、一一月、一二月分の利息の一部として三〇、〇〇〇円を受領していること、被告人はその後昭和四二年四月四日に、右三〇〇、〇〇〇円の債権について五十嵐の有体動産を差押え、さらに同年八月七日には五十嵐に対し二二〇、〇〇〇円を貸付けた旨の公正証書を作成していること、右差押および公正証書の作成後も五十嵐から手形、小切手等を受領していることが認められる。右事実によると、前記一〇〇、〇〇〇円の貸付金が昭和四一年中の貸倒とならないことは明らかであり、三〇〇、〇〇〇円についても昭和四二年に入つてから利息の一部が支払われ、かつ取引も継続しているのであるから昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(三) 池田沙雉子関係
貸付金等整理表(甲一8)、貸付金関係書類一綴(押1の149)、個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は池田沙雉子に対し昭和四一年九月一三日六〇、〇〇〇円を貸付け、同年一〇月一三日にその利息分五、三九〇円および元本の一部一二、〇〇〇円の弁済を受けたこと、池田はその後昭和四一年中元利金の支払をしなかつたこと、が認められる。しかしながら右各証拠によると、池田は料亭を経営する者で店舗や有体動産を有しており、また右貸付については塗装業を営む樋口憲三およびビニール加工業を営む扇子要之助の両名が連帯保証人となつていて、それぞれ相当の財産を有していたこと、被告人は昭和四二年一月二〇日、右元本残債権により債務者たる池田および連帯保証人らの有体動産差押の執行を申立て、同月二四日右各差押がなされたのに、同年二月一五日右各差押を解放していること、その後同年三月四日、池田から元利金の一部として三〇、〇〇〇円の支払を受けていることが認められるのであつて、これらの事実によると、被告人は昭和四二年になつてから債務者らの有体動産を一たんは差押えながら、すぐこれを解放し、さらにその後元利金の一部の弁済を受けているのであるから、被告人の池田に対する前記貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(四) 石川ヨ子関係
貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、木村マサに対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一72)、坂野晴次の検察官に対する供述調書(甲一の三の1)、貸付金関係書類一綴(押1の132)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人の石川ヨ子に対する昭和四一年末における貸付残元本が一四、〇〇〇円であつたこと、同人からの入金は同年七月一二日が最後で、かつ同人は死亡していることは弁護人主張のとおりである。しかし、右各証拠によると、石川が死亡したのは昭和四二年であつてその死因も交通事故によるものであつたこと、右貸付については会社員嶺敬二郎、同坂野晴次、同須藤てるの三名が連帯保証人となつていたこと、右連帯保証人のうち、少くとも坂野は昭和四一年当時被告人から請求があれば右債務を弁済する意思および能力があつたことが認められるのであつて、右事実に右債権額が少額であることを合せ考えると、被告人の石川に対する前記貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(五) 遠藤寅次郎関係
貸付金等整理表(甲一8)、手紙(甲一の三の2)、貸付金関係書類一綴(押1の91)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人と遠藤寅次郎との間に、昭和四〇年一〇月一日遠藤が被告人に対し三一、九六三円の債務があること、右債務について同年一一月から各月二、〇〇〇円宛の割賦払によつて弁済する旨の裁判上の和解が成立し、遠藤は右和解条項に基いて同年一一月二七日から昭和四二年五月ころまでの間に右債務を完済を完済したことが認められるので、右事実によると、被告人の遠藤に対する右貸付金が昭和四一年中に貸倒となつたものとは認められない。
(六) 大島和重関係
貸付金等整理表(甲一8)、貸付金関係書類一綴(押2の309)、個人別貸付元帳一綴(押3の2)によると、被告人の大島和重に対する昭和四一年末における貸付残元本は弁護人主張のとおり一五〇、〇〇〇円であつたこと、しかるに被告人は昭和四二年一〇月一一日に利息と元本の一部として大島から一五〇、〇〇〇円を受領していることが認められるので、被告人の大島に対する右貸付金が昭和四一年中に貸倒となつたものとは認められない。
(七) 片山喜蔵関係
証人片山喜蔵の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類一綴(押2の301)、個人別貸付元帳一綴(押3の1)、金銭出納帳一冊(押4)、入金伝票一〇枚一綴(押61)によると、被告人は昭和四〇年一二月二八日片山喜蔵に対し一二〇、〇〇〇円を貸付け、その際利息の前払金として一〇、六二〇円を天引し、その後昭和四一年一月二四日から同年一〇月二六日までの間に前後一〇回にわたり同年二月分から同年一一月分までの利息金として合計一〇六、二〇〇円を受領したこと、片山は同年一一月ころ病気となり以後元利金の支払をしていないこと、被告人は右最後の利息を受領した同年一〇月二六日以後片山に対し元利金の請求をせず、一方債権の放棄、債務の免除等もしていないことが認められる。右事実によると、片山は昭和四一年一一月分まで約定の利息を支払つているのであつて同年中の利息の延滞分はわずか一ケ月分にすぎず、しかも支払停止後、被告人は債権回収のため特段の方策を講じていないのであるから、被告人片山に対する前記貸付金が昭和四二年中の貸倒となる余地はあるにしても、昭和四一年中に貸倒となつたものとは認められない。
(八) 杉本ヤスエ、同広義関係
証人杉本カズ子の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、個人別貸付元帳一綴(押3の1)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人の昭和四一年末における杉本ヤスエに対する貸付残元本が五〇、〇〇〇円であり、同広義に対する貸付残元本が一六二、三七五円であること、ヤスエは昭和四一年五月三〇日に同年六月分の利息として、四、四二五円を支払つた後同年七月分以降の支払をしていないこと、広義は同年八月一五日に利息および元本の一部の支払をした後元利金の支払をしていないことが認められる。しかしながら証人杉本カズ子の当公判廷における供述によると、広義はヤスエの子で山梨県で牧場を経営しているものであるが、被告人から利息等の支払の請求があつた都度、ヤスエの分も含め、時に牧場の牛を売却するなどして相当金額をヤスエに送金し、同人がこれを被告人に支払つていたこと、ヤスエおよび広義は最後の支払日である昭和四一年八月一五日以後被告人から特段の請求を受けなかつたので、これにあまえて元利金の支払を懈怠していたこと、同日以降においても広義は牧場の経営を続けていたもので、その前後において広義およびヤスエの経済状態に特段の変化はなかつたことが認められるのであつて、右事実によると、同日以降においても被告人が強力に督促するなど回収の努力をしていたならば、広義もこれに応じてヤスエの分も含めて支払を続けたであろうと考えられるので、右両名に対する被告人の各債権が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(九) 塚田申二郎(塚田金幸)関係
証人鈴木藤三郎の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類一綴(押2の232)、個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は塚田申二郎(塚田金幸)に対し、昭和四一年七月二日三〇〇、〇〇〇円を、同年九月九日四、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ貸付けたこと、右各貸付についてはいずれも鈴木藤三郎が連帯保証人となつていたこと、右四、〇〇〇、〇〇〇円については連帯保証人であつた右鈴木が昭和四二年二月九日未払分の利息五〇〇、〇〇〇円と共に被告人に支払つて元利金を完済したこと、右三〇〇、〇〇〇円分については塚田が昭和四一年八月二日以降昭和四三年三月二八日まで毎月分の利息の支払を続けていたことが認められるので、右連帯保証人の支払能力、利息の支払状況からみれば、被告人の塚田に対する右三〇〇、〇〇〇円の貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(一〇) 高橋真一郎関係
貸付金等整理表(甲一8)、高橋真一郎に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一103)、貸付金関係書類一綴(押1の2)、個人別貸付元帳一綴(押3の1)、金銭出納帳一冊(押4)によると、高橋真一郎が被告人から昭和四〇年九月一三日借受けたことになつている三〇、〇〇〇円は、実質的には三浦昭七外一名が被告人から借受けたもので、高橋は単に借受人名義を使用させたに過ぎず(右三浦外一名は名義上は連帯保証人となつている。)、被告人もこれを知つていて、利息も右三浦から受領していたこと、三浦は昭和四一年七月一五日までに利息として合計二七、八〇九円を被告人に支払い、以後元利金の支払をしていないことが認められる。しかし、右各証拠によると、被告人は昭和四二年一月二〇日元利金合計三六、三〇〇円として三浦外一名の有体動産差押の執行を申立てたこと、その結果差押えられた三浦の有体動産の見積り価額は右申立金額を越えていること、被告人は名義上の債務者である高橋に対しては何らの請求もしていないことが認められるので、右事実によれば、前記高橋(実質的には三浦外一名)に対する貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(一一) 土井真二関係
貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類二綴(押1の16、1の26)によると被告人が昭和四一年一月一〇日土井真二に対し、二四〇、〇〇〇円を渡辺政吉および室井水井の両名を連帯保証人として貸付けたことが認められる。
ところで、被告人が貸付先別に貸付および返済状況等を記帳していた個人別貸付元帳(押3の1)の土井真二の頁には
<省略>
なる記載があるので、右記載によると、あたかも被告人が昭和四〇年一二月一日に土井に対し、四口に分けて合計四二九、〇〇〇円を貸付けたように見える。そして貸付金等整理表(甲一8)の土井真二の頁にも前記二四〇、〇〇〇円とは別口のものとして右個人別、貸付元帳(押3の1)と同様の記載がなされている(ただし、右貸付金等整理表の記載は、その記載自体から、右個人別貸付元帳の記載をそのまま採用しこれを引用したにすぎないものと認められる。)。
しかしながら、右個人別貸付元帳(押3の1)には被告人が土井に対し昭和四一年一月一〇日に一括して二四〇、〇〇〇円を貸付けた旨の記載がないこと、取引内容回答書(甲一14)、渡辺政吉に対する大蔵事務官の質問てん末書および同人の検察官に対する供述調書(甲一の二の34)によると、土井は昭和四〇年一二月ころ被告人に対し金員の借用方を申入れたところ、被告人から連帯保証人を要求されたので、渡辺政吉外一名に依頼し、そのころ所持していた八束建設工事株式会社が同月一日土井宛に振出した約束手形四通、すなわち
金額 満期
<1> 一五三、〇〇〇円 昭和四一年二月一五日
<2> 八七、〇〇〇円 〃三月五日
<3> 八七、〇〇〇円 〃三月一〇日
<4> 一〇二、〇〇〇円 〃三月二〇日
のうち<1><2>の約束手形(金額合計二四〇、〇〇〇円)に裏書をしてもらつたうえ、昭和四一年一月一〇日右二通の約束手形を被告人に渡し、右額面合計と同額の二四〇、〇〇〇円を借受けたこと、なお土井は渡辺らの裏書のない右<3><4>の約束手形もそのころ被告人に渡していること、被告人は土井から受取つた右四通の約束手形をそれぞれ満期の前日に埼玉銀行田無支店の被告人の当座預金に振込み取立てにまわしたがいずれも不渡りとなつたこと、そこで被告人は同年一二月ころ前記<1><2>の約束手形の裏書人であつた渡辺らに対する各手形判決をえたうえ、昭和四二年に入つて二度にわたり渡辺の有体動産の差押をなしたこと、その結果渡辺らは昭和四二年二月ころから昭和四三年三月ころまでの間に元金合計一四〇、〇〇〇円を被告人に支払つたことが認められる。右事実によると、前記四通の約男手形はいずれも被告人が前記二四〇、〇〇〇円の貸付金の担保として取得したものであり、前記個人別貸付元帳(押3の1)の記載(したがつて前記貸付金等整理表(甲一8)の記載)は、単に右四通の約束手形の振出日、満期、金額を記載したにすぎないものとみるべきである。そうすると、右個人別貸付元帳および貸付金等整理表記載の四口合計四二九、〇〇〇円は、前記二四〇、〇〇〇円の貸付金と別個の貸付金として存在したものではないことが明らかであるから、弁護人の主張はその前提を欠き失当なものというべきである。
(一二) 沼田良司関係
貸付金等整理表(甲一8)、沼田良司に対する大蔵事務官の質問てん末書(甲一の二の5)、貸付金関係書類三綴(押2の156299300)、個人別貸付元帳一綴(押3の3)、日記帳(収支メモ)一枚(押95の2)によると、被告人の沼田良司に対する貸付残元本が昭和四一年末において五〇〇、〇〇〇円であつたこと、しかしながら、沼田は昭和四二年三月八日に六四六、一三〇円を被告人に支払つて右借受元利金を完納したことが認められるので、被告人の沼田に対する右貸付金が昭和四一年中に貸倒になつたものとは認められない。
(一三) 別府久守関係
貸付金等整理表(甲一8)、貸付関係書類一綴(押1の197)によると、被告人は昭和四〇年三月二〇日別府久守に対し四八〇、〇〇〇円を貸付けたが、同年四月三〇日から同年一〇月二九日までの間に同人から合計一八〇、〇〇〇円の返済を受け、以後返済を受けていないことが認められる。しかし、貸付関係書類一綴(押1の197)によると、被告人は同年一一月ころ別府の有体動産の差押をしたのにかかわらず、同月二四日にはその差押を解放する手続をとつたこと、その後約二年を経た昭和四二年一〇月一三日再び別府の有体動産の差押、競売の申立をし、同年一一月一七日その競売により三二、八〇五円を回収していることが認められる。右事実によると、被告人の最初の差押は別府を心理的に強制して債権の回収をはかろうとする趣旨で行われたものであり、その解放はなお任意の弁済の可能性を信じそれを期待してなされたものと考えられ、また再度の差押、競売はもはや任意の弁済が期待しえなくなつたため強制執行によつて債権の実現をはかつたものと認められる。そうすると、強制執行によつて売得金の配当を受けた昭和四二年一一月以降において残債権二六七、一九五円について貸倒を認める余地はあつても、昭和四一年末において前記三〇〇、〇〇〇円の貸倒を認めることはできないものというべきである。
(一四) 森田広吉関係
証人森田広吉の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、森田広吉の検察官に対する供述調書(甲一190)、差押物件の写(甲一216)、登記簿謄本(甲一189)、貸付金関係書類一綴(押1の94)によると、被告人は、昭和四〇年三月二四日、二五日森田広吉に対し合計三、〇〇〇、〇〇〇円を東京都文京区駒込林町一八〇番の一五宅地四六・五五坪(森田産業株式会社所有)を担保として貸付けたほか、森田産業株式会社(代表取締役森田広吉)に対し同年四月一三日三〇〇、〇〇〇円を、森田個人に対し同月一五日および同月二六日各三〇〇、〇〇〇円をそれぞれ有担保で(ただし森田産業株式会社に貸付けた分については森田個人が連帯保証人となつた。)貸付けたこと、ところが森田産業株式会社は昭和三九年一二月ころ不渡手形を出して銀行取引停止処分を受け、その後代表者名義を森田の長女に変更して事業を続行していたもののこれもついに昭和四〇年五月ころ倒産し休業状態となつたこと、右倒産当時右会社には前記三、〇〇〇、〇〇〇円の担保に提供してあつた宅地のほか何らの資産もなく、しかも右宅地は当時地上に他人所有の建物が建つていて三、〇〇〇、〇〇〇円以下の価値しかなかつたため右倒産により右会社としては前記三〇〇、〇〇〇円の債務を弁債することは不可能となつてしまつたこと、一方森田個人は被告人の訴提起により前記昭和四〇年四月一五日借受の三〇〇、〇〇〇円について同年七月二〇日また同年四月二六日借受の三〇〇、〇〇〇円について同年七月二七日それぞれ敗訴判決を受けたが、当時右各債務および前記会社の保証債務(以上合計九〇〇、〇〇〇円)の弁済にあてるべき何らの資産も収入もなく弁済不能の状態にあつたこと、そこで被告人は同年一二月ころ右確定判決に基き森田の有体動産の競売を申立てたが、右競売によつても同月六日利息損害金として五、八六〇円、元本として四〇、七一二円合計四六、五七二円を弁済に充当しえたにとどまつたことが認められる。右事実によると、被告人の前記会社に対する三〇〇、〇〇〇円および森田個人に対する五五九、二八八円(六〇〇、〇〇〇円から競売売得金による元本充当分四〇、七一二円を控除)合計八五九、二八八円は昭和四〇年末においてすでに貸倒となつていたものと認められるので、昭和四一年度においてさらにこれについて貸倒を認める余地はないものというべきである。
(一五) 吉沢末男関係
貸付金等整理表(甲一8)、差押物件の写(甲一215)によると、被告人は昭和四〇年ころ吉沢末男に対し、二、七七九、九〇〇円の約束手形金債権があるとしてその支払を求める訴を提起したところ、同年一〇月一三日被告人と吉沢との間に裁判上の和解が成立したこと、その和解条項は、吉沢が被告人に対し約束手形金二、七七九、九〇〇円の支払義務があることを認め、これを昭和四一年三月末日限り支払うこと、吉沢はその担保として東京都北多摩郡田無町字下宿二八六番地二、家屋番号同町第五八一番六の木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟について停止条件付代物弁済契約に基く所有権移転請求権保全の仮登記手続をなし、債務の履行をしないときは代物弁済として右家屋の所有権を被告人に移転し、その旨の登記手続をなすことというものであつたこと、右家屋には、当時すでに二名について先順位担保権が設定されていたこと、被告人は右和解条項に基き昭和四〇年一〇月一五日右家屋について代物弁済の予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記をし、さらに昭和四一年四月二〇日吉沢に対し、停止条件(債務不履行)が成就したとして右家屋について代物弁済としてその所有権移転の本登記手続を開始する旨の通知をしたことが認められる。右事実によると、被告人は前記和解において、前記家屋に先順位担保権者のあることを知りながらこれを債権全額の担保として受入れ、債務不履行の場合にはこれを代物弁済として取得することによつて満足することで和解を成立させたもので、ことさら右家屋の担保価値を評価し不足分があればさらに担保を提供させるとか評価額超過分の債権額を放棄する等の方策を講じていないのであるから、被告人の吉沢に対する前記二、七七九、九〇〇円の債権は昭和四一年四月ころ代物弁済によつて消滅したものと認めるべきである。よつて右債権が同年中に貸倒となつたものとは認められない。
なお、東京都北多摩郡南部建設事務所長作成の「貫井一雄に対する回答について」と題する書面によると、昭和四三年年ころ東京都が前記家屋の敷地を買収し、その後被告人を右家屋の所有者として被告人に対し物件移転補償料八五六、二三七円を支払つていることが認められるが、右買収の事実は前記代物弁済の効力に影響をおよぼすものではないから、これをもつても前記債権の貸倒を認めることはできない。
(一六) 上田孝太郎関係
貸付金等整理表(甲一8)、貸付金関係書類一綴(押1の67)によると、被告人は昭和三八年八月二日上田孝太郎に対し二五〇、〇〇〇円を貸付けたがその後数回にわたつて元金の弁済を受け、昭和四〇年九月三日現在貸付残元本は七〇、〇〇〇円でこれが同年末まで残存していたこと、その後昭和四二年八月一日上田から、右残存元本七〇、〇〇〇円に利息等七〇、〇〇〇円を加え合計一四〇、〇〇〇円の債務が同日現在において存在する旨およびその債務を昭和四三年五月末日までに弁済する旨の債務確認証なる書面を徴していることが認められる。ところで被告人の当公判廷における供述によると、上田は右二五〇、〇〇〇円の借入当時すでに七〇才を越し無職無収入で娘夫婦の世話になつていたものであること、上田が右二五〇、〇〇〇円を借入れたのは同人の女婿が工場を建設する資金とするためであり、したがつて実質上の借受人は同人の女婿であつたこと、被告人はこれらの事情を知つた上で右二五〇、〇〇〇円を上田に貸付けたものであることが認められるので、右事実によると、被告人は上田の女婿の弁済能力を信じて二五〇、〇〇〇円を貸付け、右女婿が出したものであることを知つて前記弁済金を受領し、さらに昭和四二年に入つて女婿から弁済を受ける意思で前記債務確認証を徴したものと認められる。そして右上田の女婿が昭和四一年中破産する等して弁済能力を失つたと認められる事情はなかつたのであるから、右各事実を総合すると、昭和四一年末において上田自身は無職無収入で弁済能力がなかつたとしても、前記債権が同年末において貸倒になつたものとは認められない。
(一七) 森谷政雄関係
証人森谷政雄の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、貸付金関係書類二綴(押1の114144)によると、森谷政雄が経営していた酒類小売店村上屋が昭和四一年三月事実上倒産してしまつたこと、被告人は同年五月森谷の有体動産を競売し、同月一八日その売得金によつて二六、九八三円を回収したが残金二七三、〇一七円については森谷個人から回収することは不能となつたことが認められる。しかし証人小林義雄の当公判廷における供述、登記簿謄本二通(甲一8283)、貸付金関係書類二綴(押1の114144)によると、被告人の森谷に対する右貸付については小林義雄、竹内秀雄の両名が連帯保証人となつていたこと、右小林は、処分しうべき財産として同人の妻名義の土地(東京都武蔵野市吉祥寺本町一丁目二一五一番の七宅地八九・四八平方メートル)および家屋(同番地七、木造モルタル塗瓦葺二階建居宅一階四一・三二平方メートル、二階二八・九二平方メートル)を有していたこと、右土地および家屋は昭和四一年当時小林自身が被告人から借受けていた一五、二五〇、〇〇〇円の担保に供されていたがその時価はその当時で優に二〇、〇〇〇、〇〇〇円をこえるものであつたことが認められる。右認定の連帯保証人小林の資力を考慮すると、被告人の森谷に対する前記貸付金が昭和四一年中に貸倒となつたものとは認められない。
二 利息収入金額について
(一) 小林義雄関係
証人小林義雄の当公判廷における供述、小林義雄に対する大蔵事務官の質問てん末書および同人の検察官に対する供述調書(甲一7981)、貸付金等整理表(甲一8)差押物件の写(甲一215)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類二綴(押2の22283)、個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は昭和四一年九月一六日小林義雄に対し、一五、二五〇、〇〇〇円を貸付けたが、その際二、〇五〇、〇〇〇円を天引して一三、二〇〇、〇〇〇円を小林に交付したことが認められる。
ところで弁護人は、右天引額のうち二、〇〇〇、〇〇〇円は現実に被告人に支払われたものではなく、将来利息として支払われるであろう金額を抵当権として加えたものにすぎないと主張するけれども、登記簿謄本二通(甲一8283)、差押物件の写(甲一215)、個人別貸付元帳一綴(押3の3)によると、被告人と小林との間に債権額一五、二五〇、〇〇〇円とする金員借用抵当権設定契約書が作成されていること、小林が被告人に対し担保として提供した土地および家屋について債権額一五、二五〇、〇〇〇円とする抵当権設定登記がなされていること、被告人が貸付先別に貸付および返済状況等を記帳していた個人別貸付元帳(押3の3)にも被告人が小林に一五、二五〇、〇〇〇円を貸付けた旨の記載があることが認められるのであつて、右事実によると、右貸付元本額が一五、二五〇、〇〇〇円であることは明らかであり、したがつてこれと小林に現に交付された一三、二〇〇、〇〇〇円との差額は、まさに利息の天引分であるというべきである(なお、天引額二、〇五〇、〇〇〇円のうち五〇、〇〇〇円は後記のとおり貸付手数料と認められる)。そして天引された利息が既収の利息に当ることは明らかであるから、弁護人の主張は失当である。
なお、被告人は検察官に対し、右天引した二、〇五〇、〇〇〇円は利息ではなく、小林に対する別口の貸付金を回収したものであると供述している(乙3)けれども、右供述は弁護人の主張にも反するし、前記各証拠によつても右供述にそう事実は認められない。前記各証拠によると、右天引額二、〇五〇、〇〇〇円のうち二、〇〇〇、〇〇〇円は利息であり、五〇、〇〇〇円は貸付手数料と認められるので、右被告人の検察官に対する供述も採用することができない。
(二) 竹中国義関係
証人竹中国義の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類一綴(押1の84)、個人別貸付元帳三綴(押3の1ないし3の3)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は竹中国義に対し、昭和四一年四月三〇日六〇〇、〇〇〇円を利息月三分(一八、〇〇〇円)の約束で、また同年九月一〇日三、〇〇〇、〇〇〇円を利息月六分(一八〇、〇〇〇円)の約束でそれぞれ貸付けたこと、竹中は、右元金六〇〇、〇〇〇円の利息について同年九月六日に五月分、六月分、七月分(各一八、〇〇〇円)および八月分の一部(八、〇〇〇円)として合計六二、〇〇〇円を、同年九月一〇日に八月分の残金として一〇、〇〇〇円を、同年一二月一二日に九月分、一〇月分、一一月分(各一八、〇〇〇円)として合計五四、〇〇〇円をそれぞれ現金で被告人に支払つたこと、また元金三、〇〇〇、〇〇〇円分の利息について同年一〇月一三日に一〇月分として一八〇、〇〇〇円を、同年一一月一四日に一一月分として一八〇、〇〇〇円を、同年一二月一二日に一二月分として一八〇、〇〇〇円をそれぞれ現金で支払つたことが認められる。
ところで、弁護人は、同年一二月一二日に支払われた五四、〇〇〇円(元金六〇〇、〇〇〇円分に対するもの)および一八〇、〇〇〇円(元金三、〇〇〇、〇〇〇円分に対するもの)合計二三四、〇〇〇円については竹中から約束手形を受取つただけで現実の支払を受けたわけではないと主張するが、個人別貸付元帳(押3の2)によると、被告人は手形で入金された分については個人別貸付元帳に「手形」なる記載をしてその旨を明確にしているのに、右五四、〇〇〇円および一八〇、〇〇〇円についてはその旨の記載がないのであるから、右各金額はいずれも現金で入金されたものと認めるべきである。よつて弁護人の主張は採用できない。
(三) 塚田申二郎(塚田金幸)関係
証人鈴木藤三郎の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、貸付金関係書類一綴(押2の232)、個人別貸付元帳二綴(押3の1、3の3)、金銭出納帳一冊(押4)、収入帳一冊(押5の一)によると、被告人は塚田申二郎(塚田金幸)に対し、昭和四一年七月二日、三〇〇、〇〇〇円を利息月二六、五五〇円の約束で、また同年九月九日、四、〇〇〇、〇〇〇円を利息月二四〇、〇〇〇円の約束でそれぞれ貸付けたところ、塚田は被告人に対し、同年中に次のとおり利息の支払をしたこと
(1) 元金三〇〇、〇〇〇円分
<1> 昭和四一年八月二日 八月分 二六、五五〇円
<2> 〃九月二日 九月分 二六、五五〇円
<3> 〃一〇月一日 一〇月分 二六、五五〇円
<4> 〃一〇月二九日 一一月分 二六、五五〇円
(2) 元金四、〇〇〇、〇〇〇円分
<1> 昭和四一年九月一三日 九月分 二四〇、〇〇〇円
<2> 〃一〇月八日 一〇月分 一〇三、二〇六円
<3> 〃一〇月一五日 一〇月分 一四〇、〇〇〇円
その後、塚田は昭和四一年一一月二九日に元金三〇〇、〇〇〇円分についての一二月分の利息および元金四、〇〇〇、〇〇〇円分についての一一月分の利息として額面三二六、五五〇円の約束手形を被告人に渡したが右約束手形は同年一二月一日不渡りとなつたこと、さらに塚田は同年一二月六日に元金四、〇〇〇、〇〇〇円分についての一二月分の利息として額面二四〇、〇〇〇円の約束手形を被告人に渡したがこれも同月八日不渡りとなり、結局右元金三〇〇、〇〇〇円分についての一二月分(二六、五五〇円)および元金四、〇〇〇、〇〇〇円分についての一一月分、一二月分(合計四八〇、〇〇〇円)の各利息(合計五〇六、五五〇円)は同年中には入金されなかつたこと、しかしながら塚田は、昭和四二年一月六日から同月二三日までの間に右昭和四一年中の各未払利息として合計五一五、五五〇円を被告人に支払つて同年中の利息を完済したことが認められる。
なお、弁護人は、前記元金四、〇〇〇、〇〇〇円分に対する九月分の利息二四〇、〇〇〇円(九月一三日入金)(前記(2)<1>)については、昭和四一年一〇月六日塚田から額面二四〇、〇〇〇円の小切手を渡されたが同月八日これが不渡りとなつたので結局入金されていないと主張するが、取引内容回答書(甲一14)によると、右元金四、〇〇〇、〇〇〇円分に対する九月分の利息は同年九月一〇日額面二四〇、〇〇〇円の約束手形で渡され、同月一三日に決済されていることが認められるので、弁護人の主張は採用できない。
取引内容回答書(甲一14)、個人別貸付元帳一綴(押3の1)、金銭出納帳一冊(押4)、収入帳一冊(押5の1)によると、弁護人の主帳する昭和四一年一〇月八日不渡りとなつた額面二四〇、〇〇〇円の小切手は、元金四、〇〇〇、〇〇〇円分に対する一〇月分の利息として同月六日塚田から渡されたもので、右小切手は同月八日不渡りとなつたので塚田は同日同月分の利息の一部として一〇三、二〇六円を現金で被告人に支払い(前記(2)<2>)、さらに同月一一日残額一四〇、〇〇〇円について額面一四〇、〇〇〇円の小切手を被告人に渡したがこれも同月一三日不渡りとなつたので塚田は同日同人の別段預金を振替えてこれを決済した(前記(2)<3>)ことが認められるのである。
ところで、検察官は、塚田からの前記未収入の利息、すなわち元金三〇〇、〇〇〇円分に対する一二月分(二六、五五〇円)および元金四、〇〇〇、〇〇〇円分に対する一一月分(各二四〇、〇〇〇円)合計五〇六、五五〇円については、各約束手形の支払期日(二六、五五〇円については昭和四一年一二月一日、各二四〇、〇〇〇円についてはそれぞれ同月一日および同月八日)にそれぞれ権利が確定したものとして、右約定利息全額を昭和四一年の収入利息(未収入利息)とすべきであると主張する。しかしながら、利息制限法による制限をこえた約定利息について履行期が到来した場合、未収利息として課税の対象となるべきものは利息制限法による制限内のものに限るべきであつて、その制限をこえた部分はもはや課税対象のらち外にあるものというべきである。この理は、かりに次年度以降において制限超過の約定利息が前年分の未払利息として入金されても同様であつて、この場合には、その制限超過部分をそれが入金された年度の雑収入として計上すべきである。
そこで、塚田からの前記未収利息を利息制限法の規定にしたがつて計算すると、別紙二のとおり、元金三〇〇、〇〇〇円分については六、五一四円、元金四、〇〇〇、〇〇〇円分については一一三、一〇七円、合計一一九、六二一円となるので、右金額と検察官の主張する未収利息五〇六、五五〇円との差額三八六、九二九円を検察官主張の本件収入利息から控除することとする。
(四) 松井大八郎関係
証人松井大八郎の当公判廷における供述、貸付金等整理表(甲一8)、取引内容回答書(甲一14)、差押物件の写(甲一218)、個人別貸付元帳一綴(押3の1)、金銭出納帳一冊(押4)によると、被告人は松井大八郎に対し、昭和四〇年一一月二四日五〇〇、〇〇〇円を、昭和四一年一月一四日一、〇〇〇、〇〇〇円をそれぞれ貸付けたこと、松井は右五〇〇、〇〇〇円については同日右元金五〇〇、〇〇〇円を返済するとともにその利息として三二、四五〇円を被告人に支払い、右一、〇〇〇、〇〇〇円分については同年二月一五日から同年一一月一五日までの間に前後九回にわたり合計八〇八、〇〇〇円をその利息として被告人に支払つたこと、被告人は右受領した各利息をいずれも利息の支払分として受入れ、その旨を個人貸付元帳(押3の1)や金銭出納帳(押4)などに記載し、利息制限法にしたがつてその制限超過部分を元本に充当するなどの取扱いをしていないことが認められる。右事実によれば、被告人が松井から利息として受領した右合計八四〇、四五〇円は全額被告人の昭和四一年度の利息収入になるものというべきであるから、弁護人の主張は採用できない。
三 犯意について
被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人の恩田俊雄に対する七、八千万円の貸付金が昭和四〇年ころ貸倒となつたことは認められるが、被告人は昭和二〇年代ころから多年にわたつて貸金業を営んでいたものであるから、ある年度の貸倒金についてこれを数年度にわたつて損失に計上することも許されると思つていたとは到底考えられないところである。また、弁護人が昭和四一年度中に貸倒となつたと主張する各貸付金がいずれも客観的には貸倒と認められないことは前記のとおりであるが、被告人は右各貸付金について何ら貸倒の処理をなさず、しかもそのうちのあるものについては、次年度以降に支払の請求をし、あるいは入金を受け、またあるものについては、誠実な債権回収の努力をせず、あるいは一たんは債務者等の有体動産の差押をしながらその直後にこれを解放するなどしているのであるから、被告人としても右貸付金のうちの大多数のものは税法上貸倒と認められないであろうことを知つていたものと考えられる。さらに本間静夫(甲一4ないし7)、土屋郁夫(甲一11)、野村純章(甲一12)、岡本善造(甲一55)の検察官に対する各供述調書、生沼勲(甲一58)、黒沼利一(甲一77)、草野耕三(甲一76)、山口伸一(甲一163)、吉田忠三(甲一170)、渡部猛(甲一177)に対する大蔵事務官の各質問てん末書によると、被告人は、昭和四一年一〇月武蔵野税務署の税務調査が開始されるや、その直後ころそれまで使用していた埼玉銀行田無支店の被告人の実名口座を解約して仮名の普通預金口座を開設し、また貸付先に対しては一帳簿には利息をはつきり記載するな」、「税務署には帳簿を見せるな」と指示要求し、さらに実際は月八分八厘五毛の利息をとつているのに貸付先には「税務署が来たら利子は月三分であるように云つてくれ」とか「以前は借りたが今は返済してしまつていると云つてくれ」などと虚偽の供述をするよう要求して被告人の利息収入の実態やその秘匿状況が税務当局に発覚しないように隠滅工作をし、加えて被告人自ら調査査察に従事していた大蔵事務官に対し調査に協力しないばかりか虚偽の申立をし、帳簿書類を隠匿するなどしていたことが認められるので、以上の各事実を総合すると、被告人が本件所得税の申告に際し、脱税の意思すなわち過少申告の意思を有していたことは明らかである。
(法令の適用)
所得税法二三八条(懲役刑と罰金刑を併科)。刑法一八条(主文2)。同法二五条一項(主文3)。刑訴法一八一条一項本文(主文4)。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 松本昭徳)
別紙一 修正損益計算書
貫井一雄
自昭和41年1月1日
至昭和41年12月31日
<省略>
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(注) 収入利息の内容は、別紙二記載のとおり
別紙二 収入利息の内容説明書
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(注)イ
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(注)ロ
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別紙三 税額計算書
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(注) 15,894,500円×55%-1,412,430円=7,329,540