大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)2260号

申請人

味岡亨

申請人

渋谷正行

右両名訴訟代理人弁護士

葉山水樹

(ほか三名)

被申請人

全国朝日放送株式会社

右代表者代表取締役

高野信

右訴訟代理人弁護士

沢田喜道

(ほか二名)

主文

本件各申請をいずれも却下する。

訴訟費用は申請人らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  申請人ら

1  申請人らが、被申請人に対し、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は、申請人味岡亨(以下、申請人味岡と略称する。)に対し、金二四七一万〇一八七円を仮に支払うとともに、昭和五二年九月一日から本案判決の確定に至るまで、毎月二五日限り、月額金二四万四二八〇円の割合による金員を仮に支払い、申請人渋谷正行(以下、申請人渋谷と略称する。)に対し、金二三九二万四七二六円を仮に支払うとともに、昭和五二年九月一日から本案判決の確定に至るまで、毎月二五日限り、月額金二四万三六七〇円の割合による金員を仮に支払え。

二  被申請人

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被申請人は、テレビジョンその他の放送事業、放送番組の制作、販売その他これに付帯する事業の経営を目的とする、従業員数約一〇〇〇名の株式会社であり、昭和五二年三月三一日以前は株式会社日本教育テレビ(略称NET)という商号を使用していたものである。そして、申請人味岡は、昭和三六年四月に、申請人渋谷は、昭和三八年四月に、それぞれ被申請人との間に雇用契約を締結し、昭和四五年四月当時は、申請人味岡は報道局運動部に、申請人渋谷は制作局演出部にそれぞれ所属していたものである。

2  ところが、被申請人は、昭和四五年四月一五日付をもって申請人らを解雇したと主張して、同日以降、申請人らの就労を拒否し、かつ、その賃金、賞与、一時金等の支払いをしない。

3  昭和四五年四月一五日当時、申請人味岡の賃金月額は平均金八万〇〇四四円であり、申請人渋谷のそれは平均金七万九七二四円であって、その賃金の支払日は毎月二五日であった。そして、被申請人は、その後、昭和四五年四月一日に遡って従業員の賃金の引上げを行ない、また、昭和四六年以降も毎年四月一日から賃金の引上げを行なっている。従って昭和四五年四月一六日から昭和五二年八月三一日までの間に申請人らが被申請人から支払いを受けるべき賃金、賞与、一時金等の金額は、別紙(略)賃金等年度別一覧表記載のとおりとなる。

4  ところで、申請人らは、被申請人から支払いを受ける賃金等のみを生活の糧としているものであるから、本案判決の確定に至るまで賃金等の支払いを受けられないとすると、申請人らの生活が破壊され、また、被申請会社の従業員としての将来に大きな不利益を受けることになり、結局、回復しがたい損害を被ることになる。

5  よって、申請人らは、申請人らが被申請人に対してそれぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるよう求めるとともに、被申請人に対し、昭和四五年四月一六日から昭和五二年八月三一日までの間の賃金等(申請人味岡につき金二四七一万〇一八七円、申請人渋谷につき金二三九二万四七二六円)の仮払いと、昭和五二年九月一日から本案判決の確定に至るまでの賃金(申請人味岡につき月額金二四万四二八〇円、申請人渋谷につき月額金二四万三六七〇円)の仮払いをするよう求める。

《以下事実略》

理由

一  申請の理由1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、被申請人の抗弁について判断する。

1  抗弁事実のうち、1の事実は、当事者間に争いがない。

2  そして、(証拠略)と、後記の当事者間に争いのない事実に、弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実を認めることができる。そして、(証拠略)のうち、この認定に反する部分はいずれも採用することができないし、その他にこの認定を左右するに足りる疎明はない。

(一)  桑原は、昭和四四年四月二二日、被申請人との間に、契約期間三か月、双方に異議のない場合は契約を自動的に三か月間ずつ更新する(但し、一年が限度)という約束で、学生アルバイトとしての雇用契約を締結し(なお、桑原は、当時、中央大学の学生であった。)、営業局ネット連絡部ネット第二課に所属していた。そして、同人は、主として、フィルムやビデオテープの貸出し、売却の際に、出庫伝票を切ったうえ、これを調査開発局資料部のフィルムライブラリーから持ち出して、NETサービスという会社の係員に手渡し、逆に同社の係員から返却されたフィルム等を受け取り、入庫伝票を切ったうえ、フィルムライブラリーに収納するという業務及びこれに付随する業務を担当していた。ところが、同人の勤務態度は甚だ不良で、契約締結後昭和四五年一月二二日に至るまでの間、所定労働日数が二二二日のうち、欠勤は四三日(昭和四五年一月に入ってからは、所定労働日数一五日のうち八日も欠勤。)、遅刻は一〇五回にも達したのみならず、欠勤の約七割及び遅刻の殆ど全部について事前の届出がなかった。しかも、右の遅刻については、ネット第二課における就業時間は午前九時三〇分から午後五時三〇分までであったにもかかわらず、同人の出勤時刻が午前一〇時までであったのは六七回だけで、その他は、同一〇時から同一〇時三〇分までの間が一七回、同一〇時三〇分から同一二時までの間が一二回、同一二時以降が九回もあり、特に昭和四五年一月においては、出勤七日のうち六日も遅刻していた。

桑原の勤務態度はこのように不良であったところから、その上司であるネット第二課の大久保課長は、昭和四四年の暮頃、桑原に対して勤務態度を改めるよう注意したが、同人はその後もその態度を改めなかったので、ネット第二課の課員はもとより、フィルムライブラリーやNETサービスの係員も、各自の業務のほかに桑原の担当する業務をも手伝わなければならない事態がしばしば生じ、これに少なからぬ不満を抱き、苦情を述べていた。

そこで、被申請人は、一月二二日、桑原には無断の欠勤及び遅刻が多く、会社の業務に支障を来すという理由で、同人に対し普通解雇の意思表示をし、かつ、同日中に解雇予告手当の支払いをもすませた。

因に、被申請人が桑原との間で取り交した雇用契約書の中には、契約期間中であっても、桑原の責に帰すべき不都合な事態により被申請会社の円滑な業務の進展を阻害した場合は、被申請人は直ちに契約を解除することができる旨の条項(第五条第二号)があったのであり、被申請人は、この条項に基づき、桑原を解雇したものである。

そして、桑原自身も、解雇当時は、勤務期間中勤務態度が悪かったことを認めており、解雇されたのちも、解雇を争うための訴訟その他の法的手段は全く講じていない。

なお、被申請人は、桑原を解雇すると同時に、同人と同じくネット第二課に所属していたアルバイト学生二名を、桑原と同様勤務態度不良との理由で、解雇した。

(以上の事実のうち、被申請人が、一月二二日、学生アルバイトとして勤務していた桑原に対して普通解雇の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。)

(二)  ところで、申請人らは、被申請会社の従業員のうち管理職を除く約七〇〇名で組織されている組合の組合員であったが、桑原の解雇は同人の思想、信条を理由とするいわゆる反戦パージであって、不当なものであると考え、申請人渋谷が一月二三日に、桑原と共に、組合の書記局に赴き、居合わせた猪狩委員長、牧書記長ら執行部の役員に対して、右解雇の撤回闘争を行なうように申し入れた(もっとも、桑原自身は、組合員ではなかった。)。しかし、組合の執行部は、桑原の勤務態度が被申請人のいうとおり不良であることを否定しがたいばかりか、桑原が自己の非を認めたうえで組合員の理解を求めるという努力をもしていないので、解雇撤回闘争につき個々の組合員の支持を得ることが困難であることや、申請人らが桑原逮捕の直後から組合に相談もせずにE君救援活動準備会名義で行なったビラの配付等の行動が組合の分裂を企図したものであることなどを理由として、一月二六日に、桑原の解雇問題についてはその撤回闘争を行なわないという方針を決定した。そして、この方針は、一月二七日の代議員会で可決された。

ところが、申請人らは、組合の右決定は納得しがたいものであるとして、桑原君救援活動準備会名義で、桑原解雇の不当性を訴えるビラを構内において配布し続けるとともに、二月五日には、申請人らに同調する須永ほか数名の被申請会社の従業員とともに、NET全労闘なる団体を結成し、「桑原君不当解雇撤回闘争に関するすべての責任と指導をみずからの任務として引受ける。」、「あらゆる党派、組織を問わず全都、全国の戦闘的労働者、学生、農民、市民と連帯して断固闘争を貫徹する。」などと宣言し、桑原解雇の撤回闘争を行なうことを明らかにした。そして、申請人らは、その後、マスコミ反戦、ML派、労働者解放戦線等のいわゆる新左翼系の外部団体ないしそれに属する労働者らにも呼びかけ、二月一四日には、NET全労闘とこれらの団体とを連携して、全都共闘準備会なるものを結成し、それらの団体員による押しかけ闘争や大衆団交を反復することにより、被申請人に対し桑原解雇の撤回を要求しようとした。なお、マスコミ反戦、ML派、労働者解放戦線等の団体は、いわゆる新左翼系の団体であるが、その組織や構成員、従ってまた、その責任の所在は、被申請人ら第三者には甚だ不明確であった。

これに対し、組合は、申請人らの行動は、組織を混乱させ、民主的な組合運動を根底からくつがえす分派活動であり、分裂策動であるとして、組織をあげて正面から対決する意思を表明した。

(以上の事実のうち、申請人らが、被申請会社の従業員のうち管理職を除く約七〇〇名で組織されている組合の組合員であったこと、組合の執行部が一月二六日に桑原の解雇問題について撤回闘争を行なわないという方針を決定し、この方針が翌二七日の代議員会で可決されたこと、この方針の決定は、申請人らが桑原逮捕の直後からE君救援活動準備会名義で行なったビラの配付等が一つの理由となっていたこと、申請人らが桑原君救援活動準備会名義でビラを配布し、二月五日にNET全労闘を結成したこと、更に同月一四日に全都共闘準備会が結成されたことは、いずれも当事者間に争いがない。)

(三)  ところで、申請人らは、被申請人に桑原解雇を撤回させる一つの手段として、まず二月二〇日の午後六時から構内にある玄関前広場において被申請会社の従業員のほか外部の労働者や学生らをも交えた集会(名称・全都労働者総決起集会)を開催し、被申請人に大衆団交を要求しようと企て、二月一七日から同月二〇日に至るまでの間連日にわたり、右集会への支持や参加を呼びかける、NET全労闘名義のビラを構内を含む被申請会社の付近で多数配布した。

そして、二月一七日に配布された「全労闘ニュースNo.4」というビラには、「反撃の第一波へ!」という見出しのもとに、桑原解雇問題についての闘争が「いよいよその序盤戦での情宣活動を終え、NET資本へ対する第一波の反撃行動を展望する時に入った」旨の記載があり、「ひらかれた闘争を!」という見出しのもとに、「NET構内で働くすべての労働者は、われわれ全労闘とともに『保守化した闘争』ではなく、『ひらかれた闘争』を目指しつつ、桑原君不当解雇撤回闘争を最後まで闘い抜こうではないか!」という記載があったほか、「大衆団交要求!」という記載もあった。その余のビラの記載内容も趣旨は大体同じであるが、同月一八日に配布されたNET全労闘名義のビラの裏には、「19・20三里塚決戦に決起せよ!」という見出しによる、マスコミ反戦名義の三里塚闘争の決起文も記載されており、また、同月二〇日に配布された「全労闘ニュースNo.5」というビラには、被申請人に対する具体的な要求事項の一つとして、「NET全労闘に結集するすべての労働者との大衆的な団交に誠意をもって応じよ。」という要求事項も記載されていた。

ところで、被申請人は、従来、組合が組合ニュースその他のビラを就業時間中に構内で配布するについては格別注意を与えていなかったし、組合も、その配布によって業務に支障が生じないよう十分に配慮していた。また、被申請人は、組合が玄関前等で組合員集会等を行なうことについても、事前の届出等を求めてはいなかった。そして、これは、その集会に被申請会社の従業員のみが参加する場合に限らず、上部団体の役員や他組合からのオルグが参加するような場合でも同様であった。なお、それ以外の部外者の加わる集会については、被申請人は、原則として玄関前広場の使用を認めない方針をとっていたが、部外者の参加が少なく被申請会社の業務に支障を来さないようなときは、その使用を黙認する態度をとっていた。そのため、組合が玄関前で行なう集会等について、被申請人がこれを禁止するというような態度に出たことは、従来一度もなかった。

しかしながら、申請人らの主催する二月二〇日の集会は、組合の関与しない、むしろ組合の意思に反して行なわれるものであり、かつ、配布されたビラの内容から見て、小規模な整然とした集会ではないと予想されたことや、前年の昭和四四年の秋にはいわゆる新左翼系の過激派集団が日本放送協会の玄関先に火炎瓶を投げつけるなどの事件が発生したほか、放送機関等に対する暴力の行使がそれまでにしばしば見られたことから、被申請人は、二月二〇日の集会を許容する場合には、集会参加者による社屋への侵入等の不祥事件が発生しかねないことを懸念して、この集会を禁止するという方針を決定した。

そして、被申請会社では、二月一九日の午後三時頃に出口が、更に翌二〇日の午後一時過ぎ頃に古橋が、それぞれ申請人味岡に対して同日の集会を禁止することを言い渡した。しかるに、同申請人は、これに従おうとせず、あくまでも集会を強行する姿勢を示した。

そこで、被申請人は、集会参加者による不祥事件の発生するのを避けるため、二月二〇日の午後三時頃から、管理職ら約五〇名を動員して、谷沢門及び呉竹門における出入りのチェック及び警戒に当たらせ、同日午後五時頃からは、管理職ら百二十数名をもって右各門の警備を行なった。その結果、申請人らの呼びかけに応じて二十数名の部外者が右集会に参加しようとしたが、その多くは門前で入構を阻止され、警備の隙をついて構内に入り、構内での集会に参加しえた部外者は数名にすぎなかった。

ところで、当日の午後六時頃(なお、この時間は、被申請会社の業務時間中であった。)、申請人らを含む約一〇名の労働者が玄関前広場で集会を開こうとする態度を示したので、その直前に、鮫島が集会を中止するように命じた。しかるに、申請人らは、この命令を無視し、申請人渋谷は、ハンドマイクを用いて集会への参加を呼びかけ、桑原の解雇が不当であることや、これに対する組合の対応も不当であることを激越な調子で演説した。また、申請人味岡は、NET全労闘という記載のある旗を掲げた旗竿を持って集会に参加し、気勢を示した。そして、同じ頃、前記のとおりに入構を阻止された約五〇名の部外者が、「ML」、「LFL」、「マスコミ反戦」などと書かれたヘルメットを着用した姿で呉竹門の門前に集まり、ハンドマイクのボリュームを上げて、申請人渋谷の前記演説に呼応し、それと同趣旨の演説やシュプレヒコール等を行なって、騒然たる状態を作り出し、更に、鉄製の門扉を激しくゆするなどしてその一部を変形させた。

右集会の開始後も、被申請会社の鮫島、樋口らは、申請人らに対して、繰り返し、集会の中止を命じたが、申請人らが全くこれに応じなかったので、同日午後六時四〇分頃、管理職らをして集会参加者を谷沢門から構外に退去させた。ところが、申請人らは、その後、呉竹門に回り、その門外に残留していた数名の部外者と合流して、更に約四〇分間にわたり、マイクをもって前と同趣旨の演説等を行なった。そして、午後七時二〇分頃、警察官の解散命令により、ようやく解散した。

申請人らの以上の行動の結果、被申請人は、構内で集会が開かれている間、混乱の生じるのを避けるため、業務で会社を訪れた第三者の入門を禁止せざるをえなかったほか、右集会による内外の騒音で迷惑をかけた近隣の民家八軒に対しては、後日見舞品を持参して謝罪することを余儀なくされた。

(以上の事実のうち、申請人らが桑原解雇の問題に関し二月二〇日の午後六時から玄関前で外部の労働者を交えた集会を開催しようと考え、参加呼びかけのビラを配布したこと、それらのビラには、「反撃の第一波へ!」という見出しのもとに、桑原の解雇問題についての闘争が「いよいよその序盤戦での情宣活動を終え、NET資本へ対する第一波の反撃行動を展望する時に入った」旨の記載があり、「ひらかれた闘争を!」という見出しのもとに、「NET構内で働くすべての労働者は、われわれ全労闘とともに『保守化した闘争』ではなく、『ひらかれた闘争』を目指しつつ、桑原君不当解雇撤回闘争を最後まで闘い抜こうではないか!」という記載があったこと、二月二〇日の午後六時頃申請人渋谷がハンドマイクを使用したこと、申請人味岡がNET全労闘という記載のある旗を掲げた旗竿を持っていたこと、ヘルメットを着用した部外者が呉竹門付近に集まってきたこと、鮫島が申請人らに対して集会の中止を命じたこと、被申請人が同日の午後六時四〇分頃申請人らを谷沢門から構外に退去させたこと、その後申請人らが呉竹門まで行ったことは、いずれも当事者間に争いがない。)

(四)  翌二月二一日には、「NET資本官憲一体の弾圧を粉砕し、さらなる闘いの炎を!」という見出しのもとに、「我々の追求した玄関前集会は結果的にできず、正門前集会にならざるをえなかったが、しかし七〇年代階級闘争の先頭を担わんとする我々は桑原君闘争を契機として創出した“全労闘運動”、“全都共闘会議”をさらに発展させつつ第二、第三のNET資本に対する攻撃を行なう!」ということを記載した、NET全労闘及びマスコミ反戦名義のビラが呉竹門付近で多数配布された。また、同日には、我々は、二月二〇日に行なったのと同様の押しかけ闘争を何度でも繰り返すという趣旨の、労働者解放戦線名義のビラが被申請会社の付近で配布された。

更に、同月二三日には、「二・二〇その時何が起ったか?」という題辞のもとに、「レポ風情景描写」として二月二〇日の事件の経過を述べ、「実感的総括」として同事件の意義や将来の展望等を記載した、「全労闘ニュースNo.6」というビラが、また、我々は、さらなる攻撃を、第二、第三の闘争を創り出すという内容の、マスコミ反戦名義のビラが、いずれも被申請会社の付近で多数配布された。

そして、右の「全労闘ニュースNo.6」は、申請人らによって作成されたものであるが、その「実感的総括」の中には、「全都の労働者が玄関前へ結集するというだけで会社が示した恐怖は、逆に、NET資本は日常的にもロックアウト体制をしかなければ、労働者の攻撃を防ぐことができないことが明らかになった。いいかえれば全都、全国に散らばっている労働者、学生、市民はいつでも、桑原君不当解雇粉砕を叫んでNET資本を攻撃することができると言うことになる。こうした闘争形態は『押しかけ闘争』と呼ばれ、企業労組が日和ればひよるほど、恒常的に行なわれるだろう。そしてもっと根源的に言えば、労働者階級が支配階級より力として優位に立てるのは、チマチマとした団結では決してなく、圧倒的な量として存在することにあるという事実も明らかになったことの一つだろう。」ということが記載され、NET全労闘や全都共闘準備会が行なおうとしている押しかけ闘争の意義と、この闘争を反復して行なおうとする決意とが強調されている。

(五)  そこで、被申請人は、申請人らが外部の反戦系団体の労働者らと共に再び構内集会を強行しようとしているものと判断し、まず二月二三日の午後、鮫島、出口、飯田及び古橋が申請人渋谷を本館貴賓室に呼び、同人の所属局の上司である田中及び山本も立会いのうえ、二月二〇日の集会の強行について注意するとともに、今後構内での集会を行なわないように警告した。しかし、同申請人は着席を促されてもこれに従わず、終始立ったままの姿勢で、反抗的な態度をとり続け、二月二〇日の集会の件についても何ら反省の色を示さなかった。

また、翌二四日午後には、鮫島らは、申請人味岡を同じく貴賓室に呼び、同人の所属局の上司である川上、富重及び大木も立会いのうえ、申請人渋谷に対するのと同趣旨の注意、警告を行なったが、申請人味岡もまた、反抗的な態度に終始し、二月二〇日の集会の件についても何ら反省の色を示さなかった。

(以上の事実のうち、二月二三日の午後、鮫島らが、申請人渋谷を本館貴賓室に呼び、同申請人の所属局の上司も立会いのうえで、二月二〇日の集会の強行について注意するとともに、今後構内での集会を行なわないよう警告したこと、翌二四日の午後、鮫島らが、申請人味岡を同じく貴賓室に呼び、同申請人の所属局の上司も立会いのうえで、右と同趣旨の注意、警告を行なったことは、いずれも当事者間に争いがない。)

(六)  その後三月七日の午前九時三〇分頃、呉竹門前でNET全労闘及び全都共闘準備会名義のビラが配布されたが、そのビラには、「三・七NETへ津波のような大激流を きょう六時『桑原君解雇粉砕』労学連帯集会へ結集を!」という見出しのもとに、「二月二〇日の第一波NET攻撃をロックアウト体制と第六機動隊一二〇名の厳戒下断固集会とデモンストレイションをもって闘い抜いた。……二・二〇から第二波へ向けて、固い決意をもってわれわれはNET労働者、全都、全国の労働者、学生が堅い連帯をかちとるべき場として、『三・七労学集会』と六本木デモンストレイションを呼びかける。」という内容が記載されており、その記載は被申請会社の近くの三河台公園における集会と同所から被申請会社までのデモ行進への参加を呼びかけるものであった。

そこで、被申請人は、このビラを見て、デモ隊による構内乱入の虞れもあると考え、三月七日、管理職を含む合計三〇〇名余の従業員を動員して警備態勢をとり、午後一時頃から同九時頃までの間各門の厳重な警備を行なった。そして、その警備のため、被申請会社の業務に支障を来さざるをえなかった。

しかし、同日は、午後七時三〇分頃から、約一五〇名の労働者、学生らが、三河台公園・被申請会社・有栖川公園間のデモ行進を行なっただけで、構内への乱入等の不祥事件は発生しなかった。

(以上の事実のうち、三月七日の午後七時三〇分頃から約一五〇名の労働者、学生らが三河台公園・被申請会社・有栖川公園間のデモ行進を行なったことは、当事者間に争いがない。)

(七)  三月一六日の午後一時頃から、組合の代議員会が呉竹門の近くの第一リハーサル室で開かれ、この席上、申請人らの組合統制違反の行動に対する制裁についての審議が行なわれた。ところが、これに先立つ同日の午後零時五分頃、突然、マスコミ反戦団体の労働者その他の部外者数名が構内の食堂に侵入して、「労働者弾圧のための代議員会を粉砕せよ!」という見出しのビラを配布し始めたので、被申請人は、これらの部外者を構外に退去させて閉門したところ、これらの者を含むマスコミ反戦、ML派、労働者解放戦線その他の約二〇名の部外者が、呉竹門から構内に侵入しようとして、また、桑原の解雇に対する抗議の意味をこめて、呉竹門の門扉を激しくゆすり、その一部を破壊するに至った。そして、右の部外者は、引続き、同門前でハンドマイクを用いて激越な演説等を行なった。

この間、申請人渋谷は、午後零時四〇分頃呉竹門のくぐり戸から構内に入り、一たん第一リハーサル室に赴いたが、午後一時頃再び同門の近くに現われ、その場にいた部外者の一人に向かって、「俺は代議員会に入るからもういいよ。」と述べた。すると、その部外者は、集っていた部外者一同に対して、「インターを歌って解散。」と号令し、部外者一同は、そのとおりインターを歌って解散した。

ところが、同日の午後二時二〇分過ぎ頃になり、再び十数名の部外者が谷沢門付近に押しかけ、門をゆするとともに、警備に当たっていた被申請会社の従業員長谷川創一ほか三名に対して、殴る、蹴るの暴行を加え、長谷川に対し治療に約一〇日間を要する左手掌、左環指裂創の傷害を負わせたほか、他の三人に対してもそれぞれ治療に約七日から約一〇日間を要する傷害を負わせた。

更に、同日の午後六時頃から同一〇時頃までの間、申請人らの呼びかけにより、被申請会社の近くにあるレストランワールドにおいて申請人らを含む約三五名の労働者、学生が集会を行なったが、申請人らは、その集会の終了後、他の参加者と共に、呉竹門前に押しかけ、同所でシュプレヒコールを行なって気勢を上げるとともに、付近のほとんどすべての電柱に、「NET資本官憲一体化粉砕」、「構内共闘獲得」、「NETの戦闘的労働者は首切撤回大衆団交を克ちとるぞ。」などと書いた、全労闘、マスコミ反戦名義のステッカー多数を貼り付けて解散した。

ところで、申請人らは、この数日前から、ビラを配布して右集会への参加を不特定多数の者に呼びかけていたので、被申請人は、その集会の参加者による不祥事件の発生することを懸念して、この日も、とくにその午後は、管理職を含む多数の従業員によって厳重な警備態勢をとらざるをえず、そのため、業務に支障の生ずるのを余儀なくされた。

また、被申請人は、当日の部外者の行動によって破壊された門扉の修理に多額の修理代を支出するとともに、集会の騒音によって迷惑をかけた近隣の民家等に対して戸別に見舞品を持参して、謝罪せざるをえなかった。更に、電柱に貼られた多数のステッカーは、被申請会社の手で取り除かなければならなかった。

(以上の事実のうち、三月一六日の午後一時頃から組合代議員会が行なわれたこと、申請人渋谷が構内に入ったこと、申請人らがビラを配布して、レストランワールドにおける集会への参加を呼びかけたことは、いずれも当事者間に争いがない。)

(八)(1)  三月一九日の午後零時二五分頃、「ML」、「LFL」などと書かれたヘルメットを着用し、覆面をした二十数名の部外者が突如、谷沢門から構内に乱入し、同門の近くにあった警備員詰所の窓ガラスを叩き割り、同詰所から電話でこの事態を警備本部に連絡しようとした小島警備員の後頭部を鉄製容器様の物体で殴打し、更に玄関前のポールに掲揚されていた国旗を引き降ろして、そのポールに赤地に白抜きのML派の旗を掲げた。引続き、社旗をも引き降ろして、そのポールにもML派の旗を掲げようとしたが、警備員らが駆け付けたため、その掲揚は阻止された。また、一部の部外者は、赤色ペンキの入った噴霧器をもって、社屋の壁面、ガラス戸や、外来者の自動車、ガードレール、コンクリートの路上等に、手当り次第「ML」、「解雇粉砕」などという落書きをした。

そこで、被申請会社の従業員や警備員が右乱入者の行動を阻止しようとしたところ、乱入者は、これらの従業員等に対して、ヘルメットで殴ったり、足で蹴ったり、持参した針金を振り回したりするなどの激しい暴行を加え、二九名にも上る被申請会社の従業員ら(被申請会社の従業員や警備員のほか、朝日テレビニュース社のカメラマン、外来者等を含む。)に対し、治療に約三日間から約二か月半をも要する傷害を負わせるに至った。

そして、右の乱入、傷害等の事件により、被申請会社内の秩序が大いに混乱するとともに、被申請会社及びその従業員等は、多大の財産的、身体的ないし精神的損害を受けるに至った。更に、右事件の結果、被申請会社の信用にも重大な影響が生じざるをえなかった。

なお、右乱入者のうち加藤恵一ほか六名は、その後、建造物侵入の罪で起訴され、いずれも有罪の判決を受けている。そして、右乱入者の大部分は、全都共闘準備会に結集した前記各団体のメンバーであって、以前から、桑原解雇の撤回闘争に関し申請人らと行動を共にしてきた者であった。

(2)  ところで、申請人味岡は、同日の午後零時一九分頃、出社して玄関前にいたが、芳野警備員が国旗等を引降した乱入者で自己に暴行を加えた者を現行犯人として逮捕しようとしたところ、同申請人は、「何をするのだ。」と叫びながら、二人の間に割って入り、右犯人を逃がしてしまった。更に、同申請人は、被申請会社の従業員や警備員が乱入者の一部を逮捕して警察官に引き渡そうとした際にも、その従業員らに対し、不当逮捕であるとか、何の証拠があるのかなどと語気荒く詰め寄り、逮捕者の警察官への引渡しを妨害した。

(3)  また、申請人渋谷は、三月二三日の組合代議員会において、三月一九日の事件につき、代議員から、「三月一九日に何人もの血を流したが、これは誰が贖ってくれるのか。ああいう形でやることが桑原君にとっても本当によいことだと思っているのか。」と質問されたのに対し、右事件との関係を否定しなかったばかりか、「労働者の政治処分という資本の弾圧に対して、全都の労働者が結集してくることは至極当然のことである。流血というが、あの場合シュプレヒコールを二、三回やって帰る予定だった。ガードマン、職制や、右翼組合員の企業防衛の立場からの挑発がなければ流血にはならなかった。」などと答え、乱入者の行動を当然のこととして支持、弁護するとともに、却って被申請会社の従業員や警備員のとった行動や態度を非難した。

(4)  ところで、三月一九日の乱入、傷害等の事件が発生したにもかかわらず、申請人らが乱入者の行動を積極的に支持するばかりか、被申請会社の従業員らの行動や態度を非難する態度を示したため、被申請会社の管理職や警備員はもとより、組合ないし組合員らも、申請人らの一連の言動に強い反感を抱き、申請人らを暴力集団、暴力グループなどと呼んで、申請人らに対して激しい非難を浴びせるに至った。

(5)  なお、右のような乱入、傷害等の事件が発生したため、被申請人は、その後の警備を一層厳重にしなければならないことを痛感し、三月一九日の夕刻から四月三〇日までの間、麻布警察署に対し機動隊一個分隊の派遣を要請して、被申請会社付近に常駐させるとともに、三月二〇日から六月末日までの間連日にわたり、管理職らによる特別の警備態勢をとり、更に三月二〇日からは、外部に委嘱の警備員を一一名増員して合計二〇名とし、被申請会社の警備に当たらせた。そして、このような警備のため、被申請人は、その業務の運営に著しい支障を来すとともに、その信用にも重大な影響を受け、更に、多額の金銭的損害を被るに至った。

(九)  その後も、申請人らは、三月二四日に、「全労闘は呼びかける。三月二七日(金)一七時三〇分から玄関前でサークル討論会を開催しよう!」と記載した、NET全労闘名義のビラ(全労闘ニュースNo.19)を構内で配布した。そこで、出口らの労務担当者は、三月二五日の午後、申請人らを交互に呼んで、構内での集会を開かないように、また、集会への参加を呼びかけるビラを配布しないように厳重に警告したが、申請人らは、いずれもこの警告に従おうとせず、反抗的な態度に終始した。

更に、申請人らは、三月二七日の昼過ぎ頃、「きょうの一七時三〇分、玄関前サークル討論会を断固成功させよう!」という見出しのある、NET全労闘名義のビラ(全労闘ニュースNo.21)を構内で配布した。そして、右ビラには、NET全労闘及び全都共闘準備会の共催により右時刻から三河台公園で行なう三・二七NET闘争勝利・全都労働者総決起集会と六本木・広尾間のデモ行進への参加の呼びかけも記載されていた。

そこで、被申請人は、右のビラを見て、部外者による構内乱入などの事態の発生することを懸念し、警備態勢を更に厳重にすべく、管理職多数を動員して各門の警備に当たらせた。

ところで、申請人らは、同日午後五時三〇分頃、集会を開催するため玄関前に現われたが、同所には朝日テレビニュース社の従業員ら四名しか集まらなかったので、同日の集会を断念して、午後六時頃にその場を立ち去った。

なお、申請人らも加わったデモ隊六、七十名は、同日の午後八時頃三河台公園での集会を終わったのち、NET全労闘及びマスコミ反戦の旗を先頭に谷沢門前を進行して気勢をあげたが、不祥事件は起こらなかった。

(以上の事実のうち、申請人らが三月二四日に「全労闘は呼びかける。三月二七日(金)一七時三〇分から玄関前でサークル討論会を開催しよう!」という記載のあるNET全労闘名義のビラを構内で配布したこと、出口らの労務担当者が三月二五日の午後申請人らを交互に呼んで集会及びビラの配布を行なわないよう警告したこと、申請人らが三月二七日に「きょうの一七時三〇分、玄関前サークル討論会を断固成功させよう!」という見出しのビラを配布したこと、右ビラには、NET全労闘及び全都共闘準備会の共催により右時刻から三河台公園で行なう三・二七NET闘争勝利・全都労働者総決起集会と六本木・広尾間のデモ行進への参加の呼びかけも記載されていたこと、申請人らが玄関前に現われたこと、デモ隊が三河台公園での集会を終わったのち谷沢門前を進行したこと、申請人味岡がこれに参加していたことは、いずれも当事者間に争いがない。)

(一〇)  申請人の結成したNET全労闘は、その実体から見てE君救援活動準備会が桑原君救援活動準備会を経て順次発展したものであると認められるが、この間、須永も、申請人らの呼びかけに応じて、NET全労闘等に参加し、ビラの作成、配布等を行ない、桑原解雇の撤回を求める闘争を推進した。

そして、須永も、申請人らと共に、二月二〇日の集会にも参加し、二月二三日には鮫島らから、申請人らに対するのと同様の注意や警告を受けた。しかし、須永は、その後は格別目立った行動をしなかった。

ところで、被申請人は、申請人らに対して解雇の意思表示をしたのと同じ四月一三日に、須永に対しても、同人が、一月二六日以降、再三にわたる注意を無視して、桑原君救援活動準備会又はNET全労闘名義のビラを構内で無断配布したこと、同人が、二月二〇日の午後六時から同七時二〇分までの間、構内において無断集会を実施し、しかも、管理職から再三の制止を受けたにもかかわらずこれを中止しなかったことが、就業規則第八八条第一号(この規則またはこの規則にもとづく諸規定に違反したとき)、第四号(社員としてふさわしくない行為のあったとき)及び第五号(その他前各号に準ずる不都合な行為のあったとき)の各規定に該当すると判断して、就業規則第八九条第三号の規定により、謹慎を命じ、四月一五日から同月二一日までの間出勤停止にする旨の懲戒処分を行なった。

なお、前記認定のとおり、被申請会社の従業員の中には、須永以外にも、申請人らに同調してNET全労闘に参加し、申請人らと行動を共にした者が数名いたが、同人らは、それほど積極的な行動はしなかった。

(以上の事実のうち、被申請人が須永に対して出勤停止五日間の懲戒処分をしたことは、当事者間に争いがない。)

3(一)  ところで、以上に認定した申請人らの一連の行動は桑原の解雇が不当であることを理由として開始されたものであるから、まず、桑原の解雇の当否について考察するに、前記認定のとおり、同人の契約期間中の勤務態度が著しく不良で上司から注意を受けても改悛の情が見られず、かつ、そのため被申請会社の業務に支障を来したものである以上、そのことを理由としてなされた被申請人による桑原の解雇はまことにやむをえないものであったといわなければならない。

前記認定のとおり、桑原は当時中央大学の学生であったというのであるから、そのことからすると、同人が、大学での受講や試験などのために、欠勤、遅刻等をしなければならない場合のあったであろうことは、特別の疎明をまつまでもなく、容易に推測しうるところである。しかしながら、桑原が学生であったとはいえ被申請人との間に雇用契約を締結していたものである以上、桑原はその契約に従い労働力を確実に提供する義務があったのであり、反面、被申請人はその労働力を業務のため計画的に利用しうる権利を有したのであるから、桑原が受講や試験などのために欠勤、遅刻等をしなければならない事情の生じた場合には、同人はそのことを事前に届け出て被申請会社の業務に支障を来さないように配慮する義務をも負っていたものというべきであって、桑原がその義務を著しく怠り被申請会社の業務に支障を来した以上、そのことを理由として契約を解除されてもやむをえないものといわざるをえない。また、(人証略)によれば、桑原は一月一八日デモ行進に参加中警察官に逮捕され、同月二〇日まで身柄を拘束され、同月二一日は自宅で休養していたことが窺えるけれども、そのようなことが同人の欠勤を正当化する理由となるものでないことはいうまでもない。

従って、組合が、桑原の勤務態度に関する前記認定の事実関係を踏まえて桑原解雇の撤回闘争を行なわないという方針を決定したことは当然のことというべきであるし、更に、申請人らも、桑原の勤務状況を冷静に考察すれば、被申請人による同人の解雇がやむをえないものであったことを十分に理解しうるはずであったと考えられる。

(二)  そこで、更に、以上に認定、考察したところに基づき、申請人らと被申請人との間に、労使間の信頼関係が著しく破壊され、雇用契約を継続しがたいような状態が生じたか否かについて判断する。

(1) まず、被申請人による桑原の解雇がやむをえないものであって不当なものでなかったことは先に判断したとおりであるし、組合が桑原解雇の撤回闘争を行なわないことを決定したことも前記認定のとおりである。しかし、そのような場合であっても、申請人らが桑原の解雇を不当なものと主張し、被申請人に対してその解雇の撤回を要求すること自体は自由であって、これをそれだけで違法ということはできない。これは見解や評価の相違に起因する問題であり、申請人らが右のような主張、要求をすること自体が禁止される理由はないからである。

しかしながら、ここで問題になるのは、その主張、要求の手段、方法や態様である。そこで、前記認定の事実関係に基づいてその点を検討するに、まず、申請人らは、組合が桑原解雇の撤回闘争を行なわないことを決定したことを知るや、これに強く反発し、桑原君救援活動準備会名義で桑原解雇の不当性を訴えるビラを構内で配布するとともに、申請人らに同調する須永ら数名の従業員らを糾合してNET全労闘なる団体を結成して、「桑原君不当解雇撤回闘争に関するすべての責任と指導をみずからの任務として引受ける。」、「あらゆる党派、組織を問わず全都、全国の戦闘的労働者、学生、農民、市民と連帯して断固闘争を貫徹する。」などと宣言し、更に、マスコミ反戦、ML派、労働者解放戦線等の外部団体(なお、これらの団体の組織や構成員、従ってまた、その責任の所在は、被申請人ら第三者には甚だ不明確であった。)ないしそれに属する労働者らにも呼びかけて、全都共闘準備会なるものを結成し、通常の方法での交渉や訴訟その他の法的手段によって冷静に要求するのではなくして、右のような団体員による押しかけ闘争や大衆団交を反復することによって、被申請人に対し、桑原解雇の撤回を要求しようとしたものである。そして、申請人らを含む右団体員は、被申請会社の付近において、桑原解雇撤回闘争への支持、参加を訴える激越な表現のビラの配布を繰り返すとともに、被申請人の再三にわたる警告や制止を無視し、かつ、暴力の行使をも辞さない態度で、構内への侵入や構内での集会を強行することを企て、更にこれを一部実行して、被申請会社の門扉、窓ガラスその他の器物を損壊したり、その従業員や警備員に暴行、傷害を加えたりするなどの暴力行為を働いたものである。そして、その結果、被申請人に対してはもとより、その従業員、警備員やその他の第三者に対してまでも、多大の財産的、身体的ないし精神的損害を与えるとともに、被申請会社の業務の運営や信用に重大な影響を及ぼしたものであり、しかも、申請人らは、その間被申請人や組合から再三にわたる注意や警告を受けながらこれに全く耳を傾けようとせず、かつ、右のような行動及びその結果の重大性について何ら反省の色を示していないのである。そのため、組合ないし組合員すら、申請人らの一連の言動に対して強い反感を抱き、申請人らを暴力集団、暴力グループなどと呼ぶとともに、その行動は組織を混乱させ民主的な組合運動を根底からくつがえす分派活動であり、分裂策動であるとして、激しい非難を浴びせているのである。これらの事実を総合して判断すると、桑原解雇の撤回を主張し要求する申請人らの手段、方法や態様は、まことに異常かつ過激なものであって、明らかに違法、不当なものであったといわざるをえない。

(2) ところで、申請人らは、申請人らの以上の行動は組合活動として行なわれたものであって正当な行為であったかのごとくに主張する。しかしながら、前記認定の事実関係に基づいて総合的に判断すると、申請人らの以上の行動が、果して労働者の団結の擁護やその労働条件の維持、改善等を真の目的として行なわれたものであって、組合活動としての評価を受けるに値する行為であったか否かも甚だ疑問といわざるをえないのみならず、仮に申請人らの行動が何らかの意味で組合活動としての評価を受けうる側面を有したとしても、右に述べたとおりに暴力行為を正面から肯定し、かつ、これを反復することを辞さない行動が、民事上及び刑事上の免責の認められる正当な組合活動であったとは到底解することができない。

(3) また、申請人らは、被申請人は、従来、組合が構内でビラの配布や集会を行なうことを認めていたにもかかわらず、申請人らが組合活動として行なう構内でのビラの配布や集会を禁止するとともに、異常に厳重な警備態勢をとったため、一部に混乱が生じたものであるかのように主張する。そこで、判断するに、たしかに、従来、組合が構内で行なったビラの配布や集会も、それが平穏に行なわれるものであって被申請会社の業務に支障を来さないかぎり、被申請人がこれを認めていたことは、前記認定のとおりである。しかしながら、被申請人は、テレビジョン等の放送を業とする会社であって、放送法第一条所定の目的に従って放送を行なう社会的責任を負っているとともに、会社の施設及びその敷地の管理者として、構内での秩序を維持し、従業員、放送出演者その他の関係者の安全を保護する責任を有した者である。ところが、前記認定のとおり、申請人ら及びその同調者は、責任の所在も明確でない外部の団体と連携して、全都共闘準備会なるものを結成し、激越な表現のビラの配布などにより、被申請人に対する押しかけ闘争や大衆団交を強行することを呼びかけ、現に、被申請人の再三にわたる警告や制止を無視して、被申請会社の門扉、窓ガラスその他の器物を損壊したり、その従業員、警備員等に暴行、傷害を加えたりするなどの暴力行為を反復したものである。しかも、当時、日本国内の各地において、学園紛争や政治的闘争をめぐり過激な集団による暴力行為が頻発していたことは、公知の事実である。従って、このような状況のもとにおいて、前記のような責任を有する被申請人が、申請人らに対して、構内におけるビラの配布や集会を禁止し、前記認定のとおりの警備態勢をとったとしても、それはやむをえない自衛の措置であったといわなければならない。申請人らの主張は、本末を転倒する議論というべきであって、採用することができない。

(4) 更に、申請人らは、三月一九日に発生した部外者による構内乱入、器物損壊、暴行、傷害等の事件については全く関与していないと主張している。たしかに、本件の疎明によるも、申請人らが右事件の発生について直接に関与していたか否かは明らかでない。しかしながら、右事件は、最初に申請人らが呼びかけた桑原解雇撤回闘争の一環として、しかも、当初から申請人らと行動を共にしてきた者によって行なわれたものであるのみならず、申請人味岡の当日の言動や申請人らのその後の言動、態度等から見て、申請人らが部外者による当日の行動を当然のこととして積極的に支持するとともに、被申請会社の従業員らのとった当日の行動や態度を非難していることは、前記認定のとおりである。してみれば、仮に右事件自体については、申請人らの刑事上ないし民事上の責任を追及することが困難であるとしても、右事件発生の原因となった桑原解雇の撤回闘争に申請人らが重要な役割を果していることや、右事件の発生後申請人らがこれを積極的に支持する態度をとっていることをもって、労使間の信頼関係を破壊する一つの重要な徴憑事実と解することは何ら不当なことではないというべきである。

(5) なお、(証拠略)によれば、被申請会社の就業規則第九一条には、従業員(社員)の懲戒解雇事由が列挙されており、その第五号には、「他の社員に対し暴力脅迫を加えまたはそそのかしその業務を妨げたもの」との事由が、第七号には、「故意または重大な過失によって会社に損害を及ぼしたもの」との事由が、更に第一〇号には、「その他前各号に準ずる悪質の行為があったもの」との事由がそれぞれ規定されていることが認められるのであるが、申請人らの前記行動はこれらの懲戒解雇事由にすら該当するということができる。

(6) 以上に考察したところを総合して判断すれば、申請人らの前記一連の行動の結果、申請人らと被申請人との間には、労使間の信頼関係が著しく破壊され、雇用契約を継続しがたい状態が生じるに至ったものと認めるに十分である。そして、仮に申請人らの職務上の勤務成績が良好であったとしても、そのことは右結論を左右するに足りるものではない。

(三)  以上に述べたところからすれば、申請人らにはいずれも就業規則第五一条第八号所定の解雇事由(その他やむを得ないと認められる事情がおきたとき)があると解すべきであり、従って、被申請人が昭和四五年四月一五日付で申請人らに対してなした普通解雇の意思表示は右解雇事由に基づく正当なものであったというべきである(なお、就業規則第五一条はいわゆる制限列挙主義をとるものであって、同条第八号所定の事由はその第一号ないし第七号所定の各事由に準ずる程度に解雇もやむを得ないと認められる事情がおきたことを意味するものと解すべきであるが、そのような見解に立って判断しても、右の結論は相当なものというべきである。)。

三  そこで、更に、申請人らの再抗弁について判断する。

1  まず、申請人らは、被申請人による申請人らの解雇は申請人らの正当な組合活動を理由としてなされたものであるから、不当労働行為に該当すると主張する。しかしながら、申請人らの前記行動が民事上及び刑事上の免責の認められる正当な組合活動であったと解しえないことは前記判示のとおりであり、そして、本件の全疎明を検討しても、被申請人が申請人らの正当な組合活動を理由として申請人らを解雇したものと認めるべき疎明はない。従って、申請人らの右主張は理由がない。

2  また、申請人らは、被申請人による申請人らの解雇は解雇権を濫用してなされたものであると主張する。しかしながら、申請人らについて前記認定のような一連の違法、不当な行動ないし態度が認められる以上、就業規則第五一条第八号の規定を適用してなされた申請人らの解雇は、客観的に合理的な理由を有するものであって、社会通念上相当なものであったというべきであり、本件の全疎明によるも、これを不当とすべき事情は認められない。なお、被申請人の須永に対する処分が出勤停止五日間の謹慎処分(懲戒処分)にすぎなかったことは、当事者間に争いがないが、前記認定の事実関係からすれば、これは同人の行動ないし役割が申請人らのそれよりも軽度であったためであることが窺われるのであって、この事実は何ら右の判断を左右するに足りるものではない。従って、申請人らの右主張も理由がない。

四  以上に判断したところからすれば、申請人らの本件仮処分の申請はいずれもその被保全権利の存在についての疎明がないというべきであり、そして、保証をもってその疎明に代えることも相当でないから、これらの申請を却下するのが相当である。よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 石井宏治 裁判官富田郁郎は、転補のため、署名、捺印することができない。裁判長裁判官 奥村長生)

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